「えーっと……、何言えばいいんだっけ?」
アームレイカーに片手を突っ込んだ緑髪の少女が中空を見つめる。返答が来ないので、下で索敵している栗色の髪の少女の頭を蹴った。
「いった……っ、何するの! 林檎!」
「いや、ゴメンて。でも反応しないからさ。それに……セリフ忘れちゃったかも」
てへ、と舌を出す林檎と呼ばれた少女に、栗色の髪を二つ結びにした少女はため息を漏らす。
「ブルブラッドキャリアの宣戦布告でしょ? ……抜けてるんだから」
「あー! そうだったそうだった! えーっと、これゾル国の艦隊だよね? ボクらはブルブラッドキャリア。そのモリビトの、執行者だ!」
あまりに軽率な声音に下で策敵をしていた少女は唇の前で指を立てる。
「しーっ! あんまり言っちゃうと機密事項に触れるよ!」
「あっ、そうだっけ? まぁいいや。だってこの艦隊、全滅でしょ?」
「……林檎。考えなしの行動はミィ、よくないと思う」
「悪かったって。でも蜜柑だってさっきから策敵ばっかり。何してるの? もう《バーゴイル》は全部落としたじゃん」
「逃げた《バーゴイル》がいないか探しているの。一機でも逃がしちゃいけないんだから」
バイザー型の策敵センサーから海域を見張る蜜柑に林檎はため息を漏らす。
「マメだねぇ。大丈夫だって。一機逃したって、もうそいつ、分かんないでしょ。この機体の事も、自分達に何が起こったのかも」
「それでも、だよ。モリビトの執行者は一糸たりとも乱れちゃいけないんだから」
「桃姉に褒められたいから?」
にんまりと笑みを浮かべながら放った言葉に蜜柑がぷいと顔を背ける。
「ふんだ。林檎なんて知らないもん。ミィがちょっとでも策敵を怠ったら、すぐにやられちゃうくせに」
「不貞腐れないでよ。それに、ウィザードだけでもこの機体は充分に動くし。型落ち《バーゴイル》相手なんて勿体ないほどだよ。この《モリビトイドラオルガノン》には」
「よく言うよ。ガンナーがいないとさっきの敵だって逃してた」
蜜柑はバイザーの中を覗きつつ、引き金と連動した操縦桿を握り締めている。
それだけではない。足元にはキーボードが無数に点在しており、蜜柑は裸足でのオペレーションである。
林檎は赤色のRスーツを首筋から足まですっぽりと着ており、袖口を何度か叩く。
「いいなぁ、蜜柑は。だって私服でもいいんじゃん」
「ミィは足でも作業するからなの。林檎は動かすだけでしょ」
「足でも作業って……、それ行儀悪いじゃん」
「じゃあ林檎がガンナー出来るの?」
バイザーから視線を外した蜜柑が林檎を睨み上げる。林檎は頬を掻いて、ははと乾いた笑みを浮かべた。
「そりゃ勘弁かな。だってボクのガンナー適性ってEだし」
「十メートル先の敵に狙いもつけられないもんね。林檎は」
ガンナーとしての誇りがある蜜柑は照準に関しては姉である自分に臆する事なく言ってのける。
他はどこか自信なさげな妹の数少ない長所だ。無論、執行者としての冷静さもあるが。
「で、どうしよっか。艦隊中央部はもう離れているから通信も繋がらないだろうけれど、送ってくるのかな。まだ戦力を」
「送ってくるのならば撃墜すればいいだけの話じゃん。艦隊を分散させ、旧ゾル国の戦力を潰す。それが《イドラオルガノン》に与えられた、第一フェイズ」
《イドラオルガノン》が眼窩をぎらつかせ、新たな敵の到来に空を仰いだ。雲を切って接近する《バーゴイル》三機に林檎はへぇ、と笑みを浮かべる。
「一応、送り狼くらいは出すんだ」
「威信がそれなりにあるのかもね」
「でも、キミらの人機じゃ、モリビトには追いつけない! 《イドラオルガノン》、ガンナー頼むよ! 蜜柑!」
「そっちこそ。ウィザード、トチらないでね、林檎」
「誰に物を!」
飛翔した《イドラオルガノン》が《バーゴイル》を射線に入れる。
甲羅が拡張し、ミサイルが全方位にむけて放射された。《バーゴイル》部隊は先ほどの失敗から学んだのか出来るだけ距離を取ろうとしてくる。
しかし、ガンナーである蜜柑の真髄はただ単にミサイルの砲手をやるだけではない。
「敵人機の次手を確認。敵は次に十時の方向に流れる」
「了解!」
先読みした《イドラオルガノン》が敵の位置情報を更新し、回り込んだ。まさか《バーゴイル》の機動力についてこられるとは思っていなかったのだろう。
急制動をかけようとした敵をリバウンドトマホークで両断する。もう二機が弾かれたように離脱しようとするのを蜜柑の放ったミサイルが邪魔をする。
青い弾頭を持つアンチブルブラッドミサイルは汚染濃度の高い大気内でも敵を捉え、なおかつ着弾しなくとも人機の動きを鈍らせる。
効力が発揮され、軋みを上げる《バーゴイル》へと《イドラオルガノン》が跳躍していた。
Rトマホークが敵をX字に引き裂き、最後の一機へと視線が据えられる。
最後の《バーゴイル》が弾幕を張って抗った。しかし《イドラオルガノン》は相手の攻撃へと牽制を見舞う必要性もない。
姿勢を沈めて甲羅を銃弾の射線に入れる。甲羅の表面で弾丸に力場が加わった。
「リバウンド、フォール!」
反射された弾丸が《バーゴイル》を射抜いていく。操縦不可能に陥った《バーゴイル》は海に没していった。
さすがにこれ以上の戦力は割けないのだろう。
こちらへの追撃を諦めた艦隊に林檎は呆れ返る。
「弱過ぎ! こんなのじゃ、肩慣らしにもなりゃしない!」
「モリビトの脅威を再び知らしめるのが、ミィ達の役目。これでも任務は遂行出来ている」
「そうじゃなくってさ。エースってのはいないのかな? 六年前にはそいつらに苦戦したんでしょ?」
「今のところ接近してくる《バーゴイル》はなし。持ち堪えただけマシだよ」
「つまんなーい!」
文句を垂れる林檎に蜜柑は嘆息を漏らす。
「……《イドラオルガノン》はこのまま艦隊の残骸と共に行動。後の指示を《モリビトナインライヴス》……桃お姉ちゃんに託す」
「桃姉は見つけたのかな。六年前のお仲間」
「執行者……鉄菜・ノヴァリスさん、だっけ?」
データ上では二人とも知っている。だが実際に見た事はなかった。
「ま、結局旧式の人造血続でしょ? ボクらには敵わないよ。ブルブラッドキャリアの、最新型の血続だもん」
《イドラオルガノン》を預かっている以上、それなりの強さは自負している。蜜柑も同意見であったが、あまり会ってもいない人間の判定を下すのは慣れていない。
「合流出来れば、だね」
「いいって。こっちの《イドラオルガノン》と《ナインライヴス》だけでも充分でしょ。問題なのは、あれを動かせるかどうかってだけで」
あれと示された人機に蜜柑は情報を呼び出す。
禁断の人機。原初の罪――。
「一人でも戦力が多いほうが優位なのはそうだと思う。どれだけ弱くっても」
「弱かったらそもそも大迷惑だけれどね。この六年間、逃げ回ってきたその実力だけは買おうじゃん」
艦の骸の上で《イドラオルガノン》は静かに水平線を睨んでいた。
燐華は震える視界の中、隊長の眼差しに耐えていた。
インナースーツのみの自分を慮って隊長は操主服を支給してくれたが、それでも解せない事があったらしい。
彼は静かに詰問する。
「今回、事前に情報が漏れていたとしか思えない動きの迅速さで、敵のコミューンは動いた。我が方にも落ち度はあったのかもしれない」
何よりも、自分が情報を漏らしたのではないか、という危惧だろう。一度でもそのような事があれば兵士としては失格だ。
燐華は何かを訴えかけようとして、あの戦場で目にした鉄菜の幻影に何も言えなくなっていた。
「何も言えない、というのが不利な事くらいは分かるな?」
「それは……、あの場所で、その……」
「秘匿義務はあるかもしれない。だが、君はアンヘルの兵士だ。何よりも情報開示を求められればすぐにでも応じる義務がある」
何も言えない、それ事態がやましい事があるという証明。燐華はぎゅっと拳を握り締め、言うべきかどうかの逡巡を浮かべる。
隊長ならば分かってくれるかもしれない。
そう考えた矢先、隊長の端末が鳴った。
「失礼。……どうした? ……なに? ブルブラッドキャリアの声明が、全コミューンに?」
目を見開いた隊長がこちらへと視線を振る。
「そうか……。兵士は一同に会しろ、と。了解した」
通信を切った隊長は首肯する。
「査問を開いている場合でもないらしい。ヒイラギ准尉。ブルブラッドキャリアが来るぞ」
ブルブラッドキャリア、モリビト――。
滑り落ちていく言葉の数々に燐華は沈痛に顔を伏せた。
あの日、自分達から全てを奪った敵。何もかもを捨てざるを得なかった燐華の人生に汚点をつけた相手。
「戦えるな?」
その問いには燐華は迷わなかった。
「はい。……ブルブラッドキャリアは世界の敵です。倒さないと」
今はその言葉だけでも充分だったのだろう。隊長は告げていた。
「ついて来い。倒すべき敵を見据える。それはいい経験だ」
『惑星に棲む全ての人類へと勧告する。我々はブルブラッドキャリア。機動兵器モリビトを有する反逆の組織である。この映像が流れているという事は、人々は変わるべくして変わったが、それは無知蒙昧な網に遮られ、間違った再生を遂げた事だろう。我々ブルブラッドキャリアは、モリビトを使い、世界に是非を問う。これが本当に君達の望んだ末路か。それともまだこの星には救いがあるのか。原罪を直視出来る者のみが生き残れるはずだ。勇気ある者のみが、ここにいるはずだ。ならば、問う。罪に塗れた星で、君達はどう生きる? どうやって終わりにすればいい? 我々は終わりを導く、とまでは言わない。そこまで傲慢に成り果てたつもりもない。だが、人間は、自身で終末の形をいくらでも描ける生き物だ。ゆえに、この終末に異議を唱える。我らの報復作戦が再び、意味を成す事を。ここに宣言しよう』
「オガワラ博士……。あなたはそれでも前に進むというのか。モリビトがどれほど穢れていようとも。この星がどれほどまでに、間違いを正す機能を失っていようとも、それでも、か……」
声明を聞き届けていたリックベイは悔恨に歯噛みする。
六年前で終わりではなかった。新たなモリビトと新たな報復作戦が始まる。
その予感はリックベイの中に一滴の墨のように黒々とした疑念を渦巻かせるのみであった。
「新たなるブルブラッドキャリアの声明文が届きました。これを」
開示された情報に面を上げたのは強い顎鬚の老人であった。
「ワシに、まだブルブラッドキャリアの相手をしろとでも?」
「六年前に打ち漏らした。それだけでも危険視すべき代物です。それに……タチバナ博士。あなたは現状の人機開発における最重要人物。アンヘルの人機が敗北するかもしれない試算を立てられるのは世界でもあなたしかいない」
応じた黒服の答えにタチバナはふんと鼻を鳴らす。
「ワシの一意見など無視してどれだけでも人機を量産すればよかろう」
「そうもいかないのです。あなたが見た、そして納得した、という理由だけで、その人機の信頼度は跳ね上がる。ブルブラッドキャリアの脅威が再び世界を覆おうとしている中、あなたが信頼度を置いた陣営に軍配が上がると言っていい」
「ハッキリ言えばいい。ワシが一度でも頷けば、人機市場が潤うと」
黒服はそれ以上言及してこない。いずれにせよ、ブルブラッドキャリア。あの壊滅的な打撃を受けても、まだ復旧可能であったとは。
恐るべきは人の執念か、とさえも感じる。
「新型トウジャの開発予算も滞りなく国会を通りつつあります。タチバナ博士。あなたの一意見は重要なのです。私見に過ぎなくとも、世界を動かせるだけの力がある」
それだけの力があれば、六年前にキリビトエルダーなどという危険な人機の暴走を許さなかっただろう。
この身は贖罪のためだけにあると言ってもいい。
「……本国に帰還して、もう四年、か。ゾル国はほとんど解体され、旧陣営が声を張り上げても所詮はその程度。連邦国家制定の前には、ただ吹き消されるだけの火と同じ」
「《スロウストウジャ参式》がロールアウト間近です。それに関するレポートも仕上げてもらいたい」
「ワシはもう老躯に等しい。それに鞭打ってでも抵抗する必要が?」
黒服は首肯する。
「あなたは世界の希望なのですよ」
どうだか。いい加減一老人の意見など無視して人機開発を進めたいと言えばいいだろうに。
老人がいつまでも人機開発の最先端に立てるほど生易しい事業ではないのは分かり切っているはずだ。
「アンヘルの《ゼノスロウストウジャ》。あれが打ち立てる武勲の数々こそが人機開発がどれほど進んだのかの証明だろう」
「それでも、です。軍の上級仕官はあなたの意見を参考にしています」
戦いもしない老人の意見など一蹴すればいいものを。タチバナは嘆息をつき、窓の外へと視線をやった。
「また、荒れるというのか。この世界が」
回収された鉄菜はコックピットから出てきた桃の姿を目にする。
まさか、六年もの月日を経て再会出来るとは思いもしなかった。
桃は随分と背丈も伸びており大人びた雰囲気の女性に変わっていた。一つ結びにした髪に鉄菜は凡庸に尋ねるのみであった。
「髪型を、変えたんだな」
「もう、クロったら何年経ったと思っているの? 六年よ。そりゃ髪型くらいは」
「だが私は変わっていない。そうだろう?」
桃は言葉を詰まらせた様子だ。自分の容姿は六年前に別れてから先、全く変容していないはず。
自分でも気づいている。この身体は成長しないのだ。
「……クロ。モモ達は再び、世界に是非を問う」
「ブルブラッドキャリアの……執行者として、か」
「そう。新しいモリビトはそのためのもの。そして、クロ。あんたに乗って欲しいのは、この機体」
端末に投射された機体の三次元図に鉄菜は絶句する。
機体中央部に逆三角形の意匠。頭部形状は《インペルベイン》のアイサイトを踏襲しているように見える。赤と銀に彩られた見た事もない人機であった。
「これは……」
「《モリビトシン》。モモ達の切り札であり、クロ。あんたが搭乗する新しいモリビトよ」
「私の……モリビト」
投射画面に浮かび上がった自身の新たなる機体に鉄菜は唾を飲み下した。
声明を受け取った何名かはすぐにでも応戦しようと声を高らかに上げたが、それを制したのは前を行く一機であった。
静かなる面持ちの機体が錫杖を手に古代人機の大移動を見守る。それに続くのは百機以上の型落ち人機達であった。
それぞれの操主は声を漏らす。
『やはりブルブラッドキャリア、生きていたか……』
『こっちから仕掛けるしかないんじゃ? あれは世界の敵……翻れば惑星の敵だ』
『落ち着けよ……、まずは情報を仕入れないと』
それらの滑り落ちていく声音を尻目に古代人機の大移動を見守っていた機体から広域通信がもたらされる。
『我々は、この星の意志に従うまでだ』
その言葉の重々しさにナナツーやロンド、《バーゴイル》が平伏していく。彼らの目には等しく、たった一機の人機が神の如く映っていた。
その人機――《ダグラーガ》に収まるサンゾウは人機の隊列に声を振る。
「世界がどう動くのか。今一度見極める時が来た。そして意に沿わぬならば、我らが出るほかあるまい」
『我ら惑星博愛主義者、ラヴァーズ! 星の敵を叩くもの也!』
人機からの通信が漏れ聞こえる中、サンゾウは静かに瞑目する。
――戦う宿命なのか。モリビトと、自分は。
急務である、という報告に男は歩み出ていた。
軍の機密ブロックを抜けていく男は鬼の面を被っている。その面の下には痛々しい傷跡が垣間見えた。
鬼面の男は動乱に落ちる軍施設の中、ただただ事実のみを反芻する。
モリビトの再出現。ブルブラッドキャリアの新たなる声明。
それが帰結する先は一つ。
自分の役目もまた、今一度蘇ったと言ってもいい。
一度死んだ身なれど、この身体はただ戦うためだけにある。
モリビトとの決着を。世界への結論を。
「そうか。また、我々の道を阻むか、モリビト。……いいとも、それでこそ、我が怨敵の、資格があるというものだ。全て叩き潰す。何故ならば、――俺が、守り人だからだ」
もたらされた情報に手が止まっている、と忠告された。
「やっぱり、それなりに衝撃? まさか生きていたとはねぇ。ブルブラッドキャリア」
同業者の声を聞きながら、彼女はフッと笑みを浮かべる。
「しぶといわけね。わたくし達の世界を再び混迷に引き戻そうとするなんて」
「せっかく平和になったのに」
愚痴に彼女は微笑み返し、茶髪の髪先を指で弄る。
「なに、まだまだ、どうなるかなんて分かったものじゃないわ。世界がどう転ぶのかも」
「こっちの情報網にかかっただけでも、相当数の組織が動き始めている。ぼやぼやしていられないやんね。彩芽」
その声音に彩芽は頷いていた。
「ええ。少しでも情報を集めて、彼らに接触しましょう。六年間の雌伏の期間が無駄ではなかったという事を」
そして古巣に決着をつけるために。
彩芽は端末を握り締めた。
第九章了