鉄菜は、と目線で問いかけるとタキザワは頭を振った。
「どうにも、な。ショックだったらしい。エクステンドチャージでも倒せない敵が」
「そう……。《モリビトシン》の整備状況は?」
『悪くはないが、オーバーヒートを起こしている。三位一体血塊炉を積んでいなければ今頃、完全に起動不能に陥っていてもおかしくはなかった』
淡々と事実を述べるゴロウにタキザワは肩を竦める。
「ショックなのは僕も同じ、かな……。六年間、無意味に費やしてきたつもりはないのに、実戦で操主に不安を持たせたとなれば」
「《ナインライヴス》や《イドラオルガノン》には、別状は」
『特にないな。《イドラオルガノン》は一応、精密検査に回しておいたが、《モリビトシン》よりかはマシだろう。三位一体血塊炉の組み直し、というほどの余裕もない。我々はそうでなくとも有限の資源でやり繰りするしかないのだから』
桃は整備の火花をところどころで咲かせる《モリビトシン》を横目に見ながら、ふとこぼしていた。
「でも……よかったのかもしれない」
「よかった? それは何で?」
「クロは……一人で突っ走ってしまうから。もし、エクステンドチャージを完全に物にしていたら、今頃一人で行っちゃっていた。そんな気がするんです」
自分の知らぬ間に強くなっていた鉄菜は、どこまでも独りで進んでいくようなイメージがあった。六年間も単独行動をしていたのだ。それくらいは当然かもしれない。
だが、これ以上離れてしまわれると、本当に心の距離でさえも後戻り出来なさそうで、桃は不安に駆られていた。
「鉄菜には足枷くらいがちょうどいい、のかもね。《モリビトシン》があまりに強大な人機であったのならば、彼女はブルブラッドキャリアでさえも必要としなかったかもしれない」
「でも、それって悲し過ぎますよ。……悲し過ぎる」
整備デッキに並んだ《ナインライヴス》がメンテナンス用の装甲を開いている。《ナインライヴス》は元々、陸戦型。海中戦は全くの想定外であった。
だからか、ところどころに腐食がある、と整備班が声を飛ばす。
「仕方ないでしょう! こちとら慣れない重力下で!」
「やるんだよ! 《ナインライヴス》のRランチャーの照準補正、しっかりかけておけ! 重力と地軸の補正値をわざわざ操主に負担させていたら持たないだろうが!」
滑り落ちていく整備スタッフの怒声に桃は手すりにもたれかかった。
「……モモ、何も出来ていませんね」
「上出来だとも。今のところ《ゴフェル》へのダメージは想定内だ。それに、《モリビトシン》が出せないとは言っても、エクステンドチャージを推奨しないだけで別に全く出せなくなったわけじゃない」
「でも、敵は待ってくれないんですよ」
『あの機体……《スロウストウジャ弐式》の改造機か。《モリビトシン》に律儀にもデータを送ってきている。《コボルト》、と呼称するらしい。白兵戦特化の機体だが、凄まじいほどの数値だ。推進力と近接戦における反応速度に全部の値を振っている。他はほとんどどうでもいいとでも言うように。ここまで極端な例はあまりないだろう。だからこそ、《モリビトシン》が苦戦したとも言える』
「極端に数値を振られた機体には対応し切れない……。量産体制の敷かれている《スロウストウジャ弐式》を対処するのに頭を回し過ぎたかもしれないな。本当のエース機って言うのは極端なものだ」
「それも功罪でしょう? モリビトはたったの三機なんですから」
端末をタッチしつつ、タキザワは嘆息を漏らした。
「そうだね。たったの三機。それもここまで絞り込むのに随分と苦労した割には、敵は思った以上に力をつけてきている。《スロウストウジャ弐式》だけを相手取ればいいって言うものでもない。《ゼノスロウストウジャ》、それに《コボルト》、か。先の海中戦用の人機も気になる。連邦側にいいスポンサーでもいるのだろうか」
「スポンサー……ですか」
『そうでなければあのような機体など道楽でも造らない、という事だ』
ゴロウの弾き出したデータをすぐさま寄越される。前回、水中より襲い掛かってきた人機を製造するのにかかるだけの予算と審議をシミュレートしたものであった。
それによると、あの規模の人機を造るのには一朝一夕の議論では不可能という結論らしい。
「……一強のスポンサーが、人機製造を牛耳っている?」
「そうとしか考えられなくってね。あるいは酔狂な金持ちが、アンヘルに資金を横流ししている」
「……あまり気持ちのいいニュースじゃないですね」
三次元図の海中用の人機は《モリビトシン》単騎で破壊出来たのが不思議なほど精緻であった。四本のクローをそれぞれ推進力にも用いられるように応用されており、中距離から近距離において海中では無双を誇るであろう性能を叩き出している。
「それでも勝ち星を取れるだけまだ分がある、と思いたいね。鉄菜は確実に強くなっているし、君だってそうだ。《ナインライヴス》を操るのに適した操主になっている」
「……褒めてます?」
「上々に、だ」
鼻を鳴らした桃は愛機へと視線を流していた。
「でも……このままの戦局じゃ何も好転しませんよ」
『それには同意だな。ラヴァーズからありったけの資財を持ち込んでもらっても、《ゴフェル》が重くなるだけだ。どうやったところで、この海域から一度離脱しなければ』
「縫い止められている以上、一時撤退が望ましい、って事でしょ。でも、どこに逃げるって言うの? だって地上は」
「バベルに見張られて久しい。虐殺天使の楽園だ」
結んだタキザワに、分かっているのなら、と桃は抗弁を発する。
「何か手を打ってくださいよ」
『悔しいが打てる手も少なくってね。ラヴァーズ……いや、《ダグラーガ》か。あの機体が理解を示してくれたお陰で補給難には陥らないだろうが、一度敵の重要拠点を抑える必要がある』
「……攻めに転ずる、って言いたいの?」
「それが出来れば苦労はしないよ。何か考えが?」
アルマジロの姿のまま、ゴロウは手を必死に伸ばして情報を手繰る。
『懇親会……とでも言うべきか、C連邦コミューンにて、アンヘルの上層部が一同に会する会合が催される。今、解析に入った。三日後、だそうだ』
「また危ない事をするなぁ……」
呆気に取られるタキザワを他所にゴロウは勝手に自分の名前を出席者名簿に書き連ねる。
「何やってるの!」
『スポンサー連を抑えるのにはこれが最適解だろう。会合に潜入し、要人を暗殺する』
「簡単に言ってくれるよ……」
額を押さえたタキザワにゴロウが不思議そうに目線を振った。
『何が難しい? 今まで重要拠点に潜り込んできた実績のあるモリビトの執行者ならばむしろ簡単なミッションに入るはずだが?』
「……ニナイの許可なしにそんな事を決めないで。そういえば、ニナイは?」
「《ダグラーガ》との話し合いだってさ。ラヴァーズと身の振り方を考えると慎重に行きたいみたいだ。相手が敵になるのだけは避けたいからね」
三十機前後の人機が一斉に敵に回ればさしものモリビトでも対応出来ないだろう。艦長として出来る事はやっているわけか。
「……じゃあモモ達は、そのスポンサー会に潜入するのが目下の仕事ってわけ?」
『モリビトの整備状況もある。《ゴフェル》をどこへなりと停泊させたいのが本音だが、どこの港も当たり前のようにアンヘルが押さえていてね。地上で信用出来るコミューンは一個もない。だが、ラヴァーズがうまく弾除けをしてくれるのならば』
「少しばかりの時間はある、って事か。……計算高過ぎないか? それってラヴァーズがこちらの思う通りに動く前提だろう? 彼らがそうとは思えない」
『だが敵意を向けるのならばとっくにやっている。むしろ、時間は取らせた分だけこちらには優位に働くと思っていい』
タキザワとゴロウの言い合いに桃は割って入る。
「要するに、こっちがあまりにも情報不足だから執行者でも足で稼げって言いたいんでしょ。……まったく、これだからシステムAIって言うのは」
『失敬だな。こちらは何度もハッキングの危険性のある機密情報にアクセスし足跡を消して情報だけを抜き取っている。これを君達にやってもらいたいところだが、なにぶん、人間では無理だろう』
自分達に出来る精一杯をやれ、というゴロウの弁は何も間違っていない。問題なのは鉄菜だ。彼女がやる気になるかは分からない。
「……クロの考えが分からない」
「話し合わないのか? もう腹を割って話せないって言うような仲じゃないだろう」
「そういう風に勘繰らないでくださいよ。モモだって、空気は読みます」
『空気、か。しかし桃・リップバーン。あれは思ったよりも深刻そうだぞ』
ゴロウが中空を眺めている。その視野が鉄菜の部屋を覗いているのを感知して、桃はその頭を殴りつけた。
ゴロウが振り返って抗議する。
『何をする! 情報の取得中に精密機械を殴る人間がいるか!』
「こっちの台詞! それって覗き見でしょ! 悪趣味!」
『執行者の管理は一任されている! 口を挟むな!』
「どこが! ただの女の子の部屋のノゾキ! 何を偉そうに!」
「まぁまぁ……。まったく、君らはそうも元気なのに、元気を出して欲しい人間は元気じゃないって言うのは……どうにも出来ないのかなぁ」
後頭部を掻いたタキザワは搬入されてくるコンテナを視野に入れて嘆息をついた。
医務室に立ち寄ったのは自分でもよく分かっていなかった。
メンテナンスして欲しかったのだろうか。それとも、この心に湧いた不安を取り除いて欲しかったのだろうか。
いずれにせよ、ノックした鉄菜をリードマンは快く受け入れていた。
彼は猫背を向けたまま、こちらへと問いかける。
「《モリビトシン》、健闘したみたいじゃないか」
「だが、負けた」
「敗北は何も悪い事じゃない。一度問題点が出たほうがもしもの時にはフィードバック出来る」
「……いや、あれは取れた。そのはずなんだ」
そう、そのはずであった。《コボルト》を叩き潰すために刃を振り上げた刹那、コックピットが赤色光に塗り固められ、《モリビトシン》が動かなくなった。
エクステンドチャージ。こちらの切り札が使い潰されたも同然。これでは自分に価値など……と思いかけたその時、リードマンが振り返っていた。
「……かつてのように、自分に価値なんてない、と思い詰める必要はないよ。ここはブルブラッドキャリア本隊じゃないし、誰も君に責なんて負わせないさ」
「だが……勝てたんだ」
「しかし結果は結果として重く受け止めるべきだ。鉄菜。一度仕損じればお終いだと、そういう考えはもうなくしてもいいんじゃないかな? そこまでして君をモリビトから降ろしたい人間なんてここには一人もいないんだから」
《ゴフェル》は一人でも欠けないほど、今は困窮している。だから必要とされるのだろう。《モリビトシン》も同じようなものだ。骨董品の人機であっても、可能性があるから前に出る事が許されている。
それも今回の一件でどう転ぶか、鉄菜には全く読めなかった。
「……頼みがある」
「言っておくが、もうモリビトの執行者を云々、という権限はない。ここにいる以上はただの医療スタッフだ」
「それでも。私の担当官として、だ。私を、モリビトから降ろさないで欲しい。もう失いたくないんだ。何もかも」
六年前には至らないばかりに彩芽を失い、多くの犠牲を払って生き永らえた。もう誰も失いたくないというのはエゴかもしれない。
それでも、このエゴを通しきるだけの力が欲しい。誰にも口を挟めないほどの圧倒的な力が。
リードマンはこちらの眼差しを真っ直ぐに受け止めた後に嘆息をつく。
「……君達は何も、もう実験体でもなければ、誰かのために生きているスケープゴートでもない。ここにいる、人間なんだ。どうして、君も瑞葉君も思い詰めたがる? 自分に価値がなければそこまでだって? そんな風に人生を狭く考える事はないはずだ」
「ミズハ……もなのか?」
「彼女は責任を感じている。自分のせいで《ゴフェル》が動かせないんだ、とでもね」
その言葉に鉄菜は立ち上がっていた。拳をぎゅっと握り締め、リードマンを睨む。
「……そう言ったのか? ミズハが?」
「座るんだ。落ち着いて話を聞くといい」
諭され、鉄菜は腰を下ろす。
「ミズハをこの状況に落とし込んだのは私だ。責を負うのは私でいい」
「ところが、あちらもあちらで君の事を心配している。前にばかり出るのを悪いとは言わない。だが、帰りを心配してくれる誰かがいるんだ。あまり無鉄砲に戦うのはよしたほうがいい」
「私が……無鉄砲に戦っているように見えるって言うのか?」
「そうでないのなら、どうしてエクステンドチャージを使ったからと言って僕のところに来た? 審議して欲しいからだろう? 自分の存在価値を」
図星を刺され、鉄菜は押し黙る。そうだ。自分が失態を犯したのだと誰かから責められるのならばまだ楽であっただろう。
誰も、自分の失敗を責めない。それどころかよくやったと言う。そのような賞賛は、六年も孤独に戦ってきた身からしてみれば逆に毒であった。
「……六年間。独りでやるしかなかった」
「だがここにいるのは君だけじゃないはずだ。もっと頼ってもいい。他のスタッフやモリビトの執行者にも」
「だが、桃は充分に苦しんできたはずだ。あの操主姉妹も組織の犠牲者だろう。私は……私で終わらせられるのならば、何もかもを――」
「それは驕りだよ」
遮られて鉄菜は面を伏せていた。《モリビトシン》。原罪の象徴を手にして一番に思い上がっていたのは自分だったのかもしれない。
全ての罪に決着をつける、と。
しかし、この身体は依然として弱々しく、《モリビトシン》を操るのにはまだ脆弱。
どれほどまでに強くなれば、何も失わないで済むのだろうか。どこまで孤独を極めれば苦しまないでいいのだろうか。
堂々巡りの思考は結局、分からない、という一点に集約される。
《モリビトシン》を今のまま、自分が扱っていいのかも。これまでのような考え方で戦っていいのかも。
――もう一人の自分。
瑞葉の口にした言葉が不意に蘇ってくる。瑞葉は自分の事をもう一人の己だと言っていた。それは何も境遇だけではないのかもしれない。
戦いを続けるのに、今のままでいいのか。鉄菜は自分の掌に視点を落とす。まだトレースシステムのアームレイカーに慣れていない手。しかしながら六年間も《シルヴァリンク》を操り、世界を敵に回してきた手。
どちらも同じだ。同じでありながら、決定的に違う。これから先、戦い続けるのには、この手では足りない。
もっと強くならなくては。そうでなければ何も守り通せやしない。
「鉄菜、瑞葉君も君も充分に苦しんだ。だからもう、そこまで思い詰めたところで」
「だが私は……モリビトの執行者だ。まだ、さじを投げるわけにはいかない」
この世界を諦めるのには、今の立場では早過ぎる。リードマンは頭を振り、鉄菜へと目線を振る。
「……だからと言って一人で背負い込んでも仕方ないだろう。四人いる意味を、履き違えてはいけない」
執行者の数がいても結局は世界に是非を問えないのならば同じ。鉄菜は立ち上がっていた。
「私は、自分を慰めるための言葉が欲しかったわけじゃない」
「だが、君を責め立てるような卑怯者はこの舟にはいない」
だからなのだろう。だからこそ、自分で自分を許せない。
医務室を後にした際、ちょうど瑞葉と鉢合わせした。お互いに何を言うべきか逡巡したのも一瞬、鉄菜は声にしていた。
「無事でよかった」
「それは……クロナのほうだろう。敵機に苦戦したと聞いた」
「大した事じゃない」
そう言い放つしか出来ない。自分が鬼札を晒しても勝てなかったなど、ただの不安材料でしかないだろう。
「そう、か。だが、わたしは……」
「医務室に何の用だ? リードマンはさほど有能ではない」
こちらの言葉に瑞葉は面を伏せていた。
「……どうにも、まだわたしは一端の人間に成れていないらしい」
思わぬ告白に鉄菜は瞠目する。
「どういう……」
「後遺症、とでも言えばいいのか。リードマンに詳細を尋ねてある。その……クロナ、よければ聞いてくれないか。わたしの……罪を」
強化兵の後遺症。鉄菜は今しがた出て行った医務室に再び戻る事になった。
リードマンがわざとらしく言いやる。
「おや? 早かったじゃないか」
「ミズハの後遺症とは何だ?」
問い詰めた鉄菜にリードマンは端末を差し出す。そこに記されていたのは、瑞葉の身体検査記録であった。
「強化実験兵としてのプログラムはまだ、完全に消されたわけじゃない、という事だ。定期的な投薬が必要になってくる。その薬物を、我々では用意出来ない」
恥じ入ったように顔を上げない瑞葉に、鉄菜は前に歩み出た。
「用意出来ないのなら、奪えばいい。生産されているコミューンの場所くらいは分かるのだろう?」
「クロナ! わたしは……みんなに迷惑はかけられない……」
「だが後遺症だ。放置し続ければ何か決定的な事が起こってからでは遅い」
「その発言には同意だね。瑞葉君。生産施設のデータはあったが、ここに行くのにはちょっとやそっとでは難しい」
示されたコミューンに鉄菜はデータを受け取って踵を返した。その背中に声がかかる。
「待ってくれ! クロナ!」
足を止めると、瑞葉は声を搾り出していた。
「……わたしなんかのために……危険は冒さないで欲しい」
「それでも、必要ならばやるまでだ。生産施設を押さえれば何とかなるはず。それに、コミューン自体は連邦より委託されている弱小コミューンだ。アンヘルの攻撃の心配もないだろう」
「だが……また血が流れるのは……」
看過出来ない、というような瑞葉の声に鉄菜は瞼をきつく閉じていた。
どうしたところで、誰かが割を食わなければならない。そういう風に、世界は出来ているのだ。
「《モリビトシン》で強襲する」
「鉄菜、許可は降りないと思ったほうがいい」
リードマンの忠言に鉄菜は反抗的な声を上げる。
「ではどうしろと? ……私に、何もしない事を是としろと言うのか」
「落ち着くんだ、鉄菜。どう考えたって、《モリビトシン》による強襲許可が下りるとは思えない」
「だが、ミズハの危機だ」
「その瑞葉君だって、君の独断でこの艦に置いている。あまり多数の了承は得られないと考えるべきだ」
「……了承が降りなくたって、私が行けばいい」
否が応でも通そうとする鉄菜にリードマンは嘆息をついた。
「……一度言い出すと聞かない。それは六年前から同じか。ニナイ艦長に報告はしておこう」
「……助かる、なんて事は言わない」
「それでいいさ。そっちのほうが君らしい」
リードマンの言葉に背を向け、鉄菜は廊下に出ていた。瑞葉は困惑気味にこちらへと尋ねる。
「クロナ……わたしも作戦としては上策とは思えない。ブルブラッドキャリアがどういう命令系統を辿っているのかは分からないが、今は一刻も早く、この海域を離れるべきだろう。アンヘルに目をつけられているのなら」
「だが離脱方法がまだ定かではない。それに、ここを逃れたところで、では地上で相手の眼がない場所があるかと言えば難しいだろう。今はニナイや、他のスタッフの判断に任せるしかないはず」
「……そんな中で、わたしを助けるというのはやはり、無駄だとしか思えないんだ」
瑞葉は自分を軽んじている。その事実に鉄菜は言い返していた。
「ミズハ。私はお前に敬意を払っているつもりだ。ブルーガーデンの強化兵であった、という過去も含めて。だからこそ、私はお前を助けたい。……言ったな。私とお前は同じだと。なら、自分の事のように考えてもいいはずだ」
「でも、クロナ……。そういう意味で言ったんじゃ……」
濁す瑞葉に鉄菜はわざと聞こえない振りをした。分かっている。そのような浅い意味で言った事ではないくらい。だが、瑞葉を救うと決めたのは自分自身。単純に曲げられないだけなのだ。自分が決めた事ならば最後まで責任を取ろう。
「《モリビトシン》で出る」
歩み去ろうとした鉄菜の手を瑞葉は掴んでいた。彼女は首を横に振る。
「だったら、わたしもついていく」
思わぬ言葉に鉄菜は目を見開いていた。
「だが……お前が来たところで」
「それでも。クロナだけに痛みを背負わせる事は出来ない」
ああ、これが、と鉄菜は思い知る。
もうこの舟で自分だけに責任をおっ被せるような人間はいない。分かっている。分かり切っているのに、そのような甘い考えを飲み込む事が出来ない。
それは戦い続けてきたからか。孤独を貫いてきたから、今さらの誰かの優しさを受け止められないだけの、狭い心のせいなのか。
判ずる術もないまま、鉄菜は首肯していた。
「……危険だぞ」
「それでも」
こちらの目を真っ直ぐに見返す瑞葉に鉄菜はこれ以上の問答を打ち切った。
「ニナイの許可が出ればすぐに出撃する。用意はしておくといい」
どうしてなのだろう。
自分の意見を飲んでくれた瑞葉へと正体不明の感情が渦巻いていた。この感情の赴く先を決めるのにはやはり、「心」とやらが必要なのだろうか。
だが、それを決めるだけのものがまだどこにもない。
どれだけ独りでいても、心の在り処だけはまだ依然として不明であった。
――教えてくれ。彩芽。心はどこにある?
問いかけても答えなんて出るはずもなかった。