輸送機が誘導灯に従って《ゴフェル》に収容されたのはその日の夕刻になってからであった。
すぐさま《モリビトシン》が整備班によって運搬される。
「酷い損傷だね」
通路を行き交う際、声にしたタキザワに鉄菜は苦味を噛み締めていた。
「……会敵した。情報の連携は厳にする」
『こちらでも把握した。……なるほど、これは《モリビトタナトス》の発展機。名称、《モリビトサマエル》……このようなものを裏で開発していたとはね。アンヘルも抜け目ない事だ』
鉄菜は手すりへと思い切り拳を打ちつけていた。その様子にタキザワが目を丸くする。
「……鉄菜?」
「何も! 何も出来なかった! 《モリビトシン》であっても! ……私は、まだ奴に勝てない……!」
「落ち着くんだ、鉄菜。何があったかは後で聞く。部屋で休むといい」
「……ああ。そうさせてもらう」
今の自分は我を忘れているだろう。このような状況で誰かに噛み付いたところで意味のない事。
そう断じて通路を渡り歩こうとした際、小さな影が道を阻んだ。
「……誰だ?」
濃紺の髪に、銀色の瞳を持つ少女であった。彼女は勝気な様子で鉄菜を見据える。
「……あなたが、鉄菜・ノヴァリス?」
「何者だ、お前」
「まるで獣ね。抜き身の刃、とでも言い換えれば相応しいかも」
「何者だと、問うている」
ホルスターのアルファーに手を伸ばしかけた鉄菜に、ニナイが慌てて声を飛ばす。
「鉄菜! その子は……!」
「ニナイ。……任務を完遂出来なかった。瑞葉に必要な薬剤は手に入れられなかった」
「それでも、あなたが帰ってきてくれただけでもよかったわ」
どこかニナイは憔悴しているようであった。その根源が目の前の少女にあるのだろうか、と窺う眼差しを投げると、少女は首を横に振る。
「吾のせい、みたいな顔。言っておくけれど、ブルブラッドキャリアが疲弊し切っているのは誰でもない、あなた達自身の過ちよ」
「……知った風な口を」
「鉄菜、彼女は茉莉花。ラヴァーズより条件として託された……人間型端末よ」
まさか、と鉄菜は目を見開く。人間型端末、その因縁は六年前を否が応でも思い出させた。
水無瀬なる存在。あの時の再現になりかねないと思うと、鉄菜は自然と身構えていた。
「では、余計に信用ならないな。ラヴァーズは何のつもりで私達の道を閉ざそうとする」
「道が閉じるかどうかは、これから先のあなた達の行動にかかっていると思っていいけれど? それにしても、思ったよりも変な数式なのね、あなた。冷静かと思ったら、いきなり身を焼きかねない怒りを抱いている。……まるで人間みたい」
「茉莉花。鉄菜は人間よ」
「薄っぺらい嘘もそこまでにしたら? 血続でしょう? それも造られた」
自分の経歴を丸裸にされるのはいい気分ではない。鉄菜は茉莉花を睨み据えた。
「お前は……私達をどうするつもりなんだ」
「どうもこうもない。言ったはずでしょう? 条件であった、と。吾は別に、ラヴァーズにいてもよかった。それをこんな……破滅を目前にしている艦に引き渡されたのは何も酔狂ではないと願いたいわね」
「ニナイ、どういう事なのか、説明を」
こちらの問いかけにニナイは額に手をやった。
「ごめんなさい、鉄菜。私も混乱していて……」
「ハッキリしている事だけ言ってあげる。吾がいないとあなた達は何も出来ない」
ふふん、と鼻で笑った相手に鉄菜は声を投げていた。
「一つだけ質問させろ。……そのふざけた格好は何だ?」
茉莉花は黒衣を身に纏い、帽子を傾けていた。
「知らない? 魔女の正装よ。吾があなた達にとって、理解出来ない魔女という、証明みたいなものね」
歩み去っていくその背中を鉄菜はいつまでも見据えていた。ニナイが割って入る。
「ごめん、鉄菜。何かハッキリした事を言えればよかったんだけれど」
「……いい。そちらも疲れている様子だ」
ニナイは手すりに体重を預け、嘆息をついた。
「分かった事が多過ぎてね。……鉄菜は、月、っていうものを知っていた?」
「……いや、何だそれは」
「やっぱり、普通は知らないのか。じゃあ、どうやって、茉莉花は月の存在を……」
顎に手を添えて考え込んだニナイの顔を鉄菜は覗き込む。
「大丈夫か?」
「ああ、うん。心配しないで。でも、《モリビトシン》は……」
投げられた一瞥に鉄菜は目を伏せる。
「ああ。敵わなかった。歯が立たなかったと言ってもいい。ほとんど六年前と、実力差が埋まっていなかったのは当たり前というべきか……、苦味が残った」
「《モリビトサマエル》……妙な人機も存在したものね。でも、現状の惑星の情勢でモリビトタイプなんて要らない混乱を招くだけだと思うけれど」
「相手がどこに与しているのかも分からない。難しい立ち回りになるだろう」
それと、と鉄菜は付け加える。
「瑞葉の事だ。薬剤を確保出来なかった。……単刀直入に聞く。どれくらい持つ?」
鉄菜にとっては重要な疑念はそれであった。自分の至らなさも相まって瑞葉の必要なものを仕入れられなかった。このままでは瑞葉は壊れてしまうのではないか。その危惧にニナイは頭を振る。
「正確な数値までは……。ただ、長くはないと、思ったほうがいいかもしれないわ」
「そう、か」
予見していた事とは言えやはりショックではあった。自分のせいで、瑞葉は追い込まれてしまう。
あの時、エクステンドチャージを使ってでも《モリビトサマエル》を撃墜すべきだったのではないか。
握り締めた悔恨にニナイが運び込まれていく《モリビトシン》を視野に入れていた。
「でも、鉄菜は善戦した。それは間違いないのでしょう?」
それに、とニナイの手が鉄菜の拳を包み込む。
「しっかりと……約束は果たしてくれた。帰ってこないと思っていた」
温かな体温に鉄菜はわざと突き放す物言いを選んだ。
「何も出来なかっただけのでくの坊だ」
「それでも……一つの約束を守っただけでも、これまでのあなたじゃないのは分かるわ」
これまでの自分じゃない。その言い草に鉄菜は毒気を抜かれたようになった。
今までの人造血続である「鉄菜・ノヴァリス」ではないのか。では、何になろうとしているのか。それが一切分からない今、ただただ不安の胸中を持て余す。
「ニナイ。作戦をくれ。その言葉だけで、私はどこへなりと行こう」
急いた言葉にニナイは首を横に振る。
「作戦は後で追って伝える。今は休みなさい。戦士にも休息が必要、でしょう?」
ニナイもこれまでの彼女からは想像出来ないような事を言う。鉄菜は混乱の中、ただ頷いていた。
何もかもが変わろうとしている。その変化の只中にあって、何も出来ないのはもどかしいだけであった。
タキザワとゴロウに話を振ろうとして、彼らも同じような事を口にする。
「現状、《モリビトシン》の修復にはそれなりに時間がかかる。少しくらいは休んでもいい」
「……だが、作戦は待ってくれない」
『作戦までの時間をどう過ごすのかも必要な要素だろう。《モリビトシン》の修復と情報の共有化……あらゆる難題が山積している』
ゴロウも先ほどの少女に一杯食わされたのかどこか苦々しげな口調であった。
しかし作戦まで何もせずに待っていられるほど、自分は甘く考えてはいない。
「……私は誤魔化せるかもしれない。だが、誰もが作戦の延期に異議を挟めないとも思えない」
『それほどまでに信用出来ないか? 茉莉花という少女が』
「それ以上に、私が納得出来ないだけだ。モリビトを使えないなんて」
「安心するといい。鉄菜。任務はある」
端末を放ったタキザワに鉄菜は受け取って投射された内容を目にする。
「……スポンサー連への。潜入調査?」
「近々、記されているコミューンでアンヘルの高官達が集る。連なる企業の上役も、だ」
「奇襲をかけるのか?」
鉄菜の問いかけにタキザワは肩を竦めた。
「あまり物騒に考えるものでもない。今回は本当に、ただの潜入任務だ」
「しかし、アンヘルに露見すればすかさず戦闘に持ち込む事になるだろう」
「モリビトは遣わすさ。ただし、《モリビトシン》以外の機体で、だけれどね」
今の状態の《モリビトシン》を無理やり使ったところで意味がないのは理解出来る。だが、これほどの重要度の任務に武装もなく潜入するのは危険だと判断した。
「簡単そうには思えないが」
「《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》をもっと信用するといい。鉄菜、君には《ナインライヴス》に搭乗してもらう」
「……桃はどうなる?」
胡乱そうに尋ね返したのが伝わったのだろう、ゴロウがすかさず応答した。
『桃・リップバーンはこの作戦の中核を担っている。彼女が潜入任務の大役を務める事になった』
ゴロウの淡白な言い草に鉄菜は反感を覚える。
「私は、しかし《シルヴァリンク》と《モリビトシン》以外のモリビトには……」
「なに、マニュアルには目を通してあるだろう。そりゃ、桃ほどうまく動かせとは言っていないさ。もしもの時の待機に《ナインライヴス》に乗って欲しいという話だ」
もしもの時、しかしアンヘルの――敵の巣窟に飛び込むようなもの。戦闘は容易に想像出来る。
「……心配しなくとも、平和的な解決を考えている。モリビトは本当に、有事の際、程度で考えていいだろう」
「アンヘルがそこまで日和見だとも思えないが……。上役やスポンサーの会合だというのならばそれなりの警備があるはずだ」
『それも、あの少女が問題点を浮き彫りにしてくれた。我々だけでは恐らく、捕まっていてもおかしくはなかっただろうが、茉莉花という少女は凄まじい逸材だ。警備上の問題点をピックアップし、それを解析にかけた事で、ほとんどこちらの作業がなくなったほどに』
ゴロウは茉莉花を歓迎しているのだろうか。自分はどうにも信用出来かねていた。
「……ラヴァーズの尖兵の可能性もある」
「しかしラヴァーズからしてみれば、せっかくの人間型端末を我々に寄越す、という時点で戦力を捨てている事になる。彼女が何を知っているかはともかく、今は素直に歓迎したほうがいい」
タキザワの判断は間違っていないだろう。自分は個人的な心象で拒んでいるだけに過ぎない。
「……少しだけ頭を冷やそう」
「そのほうがいい。リードマンに話を通そうか?」
「いや、いい」
鉄菜は廊下を伝っていった。部屋に戻る前に、操主姉妹が壁に背を預けていた。
歩み去ろうとするとその背中に声がかけられる。
「待ちなよ、旧式」
「林檎……、鉄菜さん困っているじゃない」
蜜柑はおどおどとしているが林檎は強硬姿勢であった。
「……何だ? 次の任務まで時間が惜しいんじゃないのか?」
「別に、さ、キミが行かなくってもよかったんじゃないの? 瑞葉とか言ったっけ? ブルーガーデンの強化兵、別段、放っておいたって、問題ないレベルなんでしょ?」
「……だが、いつ限界が来るかは分からない」
「来たってさ、キミのせいじゃないじゃん。別に他人のために命を張る必要性もないし、それにモリビトを介入させる事だってない」
「林檎! 鉄菜さん、すいません……! 林檎は瑞葉さんをこの艦で保護している事に疑問を感じているみたいで」
「それ、みんな思っているからね? ボクだけじゃない」
なるほど。モリビトを使ってまで他人のために動く自分が不合理だとでも言いたいのだろう。実際、その通りなのだから何も言い返せない。
鉄菜が無言を貫いていると林檎が壁を拳で殴りつけた。
「何か言いなよ。それとも、ボクら程度には開く口もないって?」
「……ああ言えばこう言うとはよく言ったものだ。私が何か言っても気に食わないのだろう。ならば、ここでの問答は意味がない」
「……嘗めて」
「《イドラオルガノン》の整備状況に問題はないはず。何故、私の《モリビトシン》に突っかかる。自分のモリビトが万全ならばそれでいいはずだ」
「……ふざけないで! ボクがキミなんかと、同じようなものだと思わないでもらいたいね……! こっちは最新の血続なんだ!」
今までならばこのような安い挑発にも乗らなかっただろう。だが、今の自分の胸中に渦巻いていたのは黒々とした感情であった。
《モリビトサマエル》との一戦がまだ燻っている。自分の中で折り合いをつけられない何かが、吼え立てていた。
「それがどうした? 最新でも使えなければ意味がない」
「……蜜柑。やっぱ気に入らない。こいつ、一回分からせてやらないと」
林檎がにわかに動き出しかける。その動作を予測し、鉄菜は懐に飛び込んでいた。相手の反応が一拍遅れたのを関知する前に、足払いして姿勢を崩させる。鉄菜はホルスターから抜き放ったアルファーを林檎の首筋に押し当てていた。
こちらの力加減一つでいつでも首を掻っ切る事が出来る位置だ。
あまりにも易々と王手をかけられたせいだろう。林檎は呼吸すら儘ならないようであった。
「……こんな」
「悪いが、ままごとに付き合っている暇はない。――今の私に、話しかけるな。死にたくなければ、な」
相手に否が応でも頷かせるようにアルファーの切っ先を頚動脈に当てる。蜜柑が叫んでいた。
「やめてください! 鉄菜さん! ミィ達が悪かったんですから! ……林檎を傷つけないで」
その懇願に鉄菜はアルファーを離す。林檎が荒く息をついて距離を取っていた。その瞳には涙が浮かんでいる。
無理もない。今の一瞬、死んでもおかしくはなかった。その緊張に置かれては如何に最新の血続と言っても恐怖くらいは覚えるものだろう。
「いい気になって……嘗めるな、旧式!」
吼えた林檎に鉄菜は身を翻していた。これ以上同じ土俵で戦ったところで結果は見えている。
その背中にいくつかの罵声が投げられたが鉄菜は気にするまでもなかった。
本来ならばあの程度、冷静に対処すればいいだけだ。
だというのに、本気になったのは自分でもどこか追い込まれているせいだろうか。
茉莉花という人間型端末の少女に、新たな任務。さらに言えば瑞葉の薬剤を確保出来なかった己の未熟さ。
抱えきれない重石が感情の堰を決壊させようとしていた。
それでも一線を引いて自分は冷静さを欠いてはならない。ここで一糸でも乱れれば全てが水泡に帰す。
これからの戦いに必要なら、自分は剣を振るう鬼になろう。
何も感じず、ただ敵を葬る破壊者に。人機と同じような鋼鉄に心まで武装し、何があっても戦い抜いてみせよう。
「……私は、単なる破壊者。それに過ぎないのだから」