だから、目の前の光景は嘘だと言って欲しかった。
隊長の《ゼノスロウストウジャ》が青く染まったモリビトに引き裂かれる。その一閃が自分を庇うものであった事を、燐華は理解していた。だが理解の外であったのは、最後に焼き付いた通信の声だろう。
『ヒイラギ准尉……いいや、燐華。君は希望の――』
爆発の光輪が周囲へと拡散する。粉砕された《ゼノスロウストウジャ》の機体に、燐華は絶句していた。
「……隊長? どこへ……嘘ですよね? だって、あんなに……あんなに強かったのに」
漂うこちらへと両盾のモリビトが斬り込んでくる。その射線をヘイルの《スロウストウジャ弐式》の放った光条が遮った。
『野郎……隊長を……よくも。墜としやがったなァッ!』
ヘイルの機体がモリビトを追い詰めんとプレッシャーソードを引き抜いて応戦する。それら全てがまるで虚飾のようであった。
何もかもが嘘くさい。
何もかもが現実めいていない。
だが、この絶望は。この身を焦がす――灼熱の怒りは。
コックピットが赤く染まっていく。急速に脳内を塗り替えていく憤怒に燐華はアームレイカーを引いていた。
瞬間、飛び越えたとしか思えないほどの速度で《ラーストウジャカルマ》がモリビトへと肉迫する。
燐華の怒りを受けたハイアルファーが照り輝き、脚部を失った人機に戦闘の灯火を点けていた。
「隊長は……! 隊長はいい人だった……! にいにい様だったんだぁっ!」
蛇腹剣が宙域を引き裂きモリビトへと命中しようとする。しかし、敵機の速度があまりにずば抜けていた。
こちらの機動力を凌駕するモリビトの機動にヘイルが照準をつけかねている。
『なんて、速さだ……。照準が追いつかねぇ』
モリビトは右側に拡張パーツを得ただけのはずだ。だというのに先ほどまでとはまるで別種の動きをする。
「それでも……墜とせない道理があるものか!」
両腕の蛇腹剣を叩きつける。モリビトが巨大構造物の陰に入り、十字架の巨大構造物が傾いだ。
「邪魔だァッ!」
巻きついた蛇腹剣がハイアルファー【ベイルハルコン】の力を引き移し、余りある膂力で十字架の巨大人機を引き戻していく。
『おい! ヒイラギ! 無茶苦茶すんな! 戦場が乱れる!』
ヘイルの警告も今はほとんど意味を成さない。モリビトを新たに照準器に捉えた燐華は蛇腹剣を剥がし、再接近する。
その速度、神速と言ってもいい。
操主の追従性をほとんど無視した形のハイアルファーの加護が機体を即座にモリビトへと走らせる。
蛇腹剣を拡張させず、そのままモリビトへと叩き込んだ。敵がリバウンドの刃で受ける。
「このまま……墜ちてしまえェッ!」
X字の眼窩が悪鬼の如く輝き、全身に怨嗟の血を巡らせる。敵は片腕を失っている形だ。押さえ込めば何とかなる。
そう考えた矢先であった。
敵機が黄金に包まれていく。話に聞いていた新型武装か、と燐華が機体を剥がそうとした刹那、声が響き渡った。
――この機体、どこまでもしつこいな。
不意に脳裏を走った声音に燐華は我に帰る。
「……鉄菜の、声……?」
何が起こっているのかまるで分からない。ハイアルファーの拡大化した思惟が拾い上げた幻聴であったのかもしれない。
それでも、燐華はこの硝煙の宇宙に確かに親友の声を聞いていた。
「嘘でしょ……どこ? どこにいるの?」
ハイアルファーの幻覚症状だという確証もなく、燐華は首を巡らせる。
まさか、と燐華は干渉波の火花が散る先――接触回線を開いていた。
「鉄菜……なの?」
『まさか……この声は。燐華・クサカベか?』
今度は実体の耳朶を打った声に燐華は頭を振っていた。
「い、いや……、いや……何で? 何でこんな……。鉄菜ぁっ……モリビトなんて……嘘でしょう?」
舌打ち混じりに敵機が弾き返す。追いついてきたヘイルがプレッシャーライフルで援護した。
『何やってんだ! ヒイラギ! せっかくの高性能機を無茶に晒して!』
燐華はコックピットの中で過呼吸に襲われていた。モリビトの中から鉄菜の声がした。それが今までの偶然と結び付けられる。
――あの時も、あの時も、鉄菜と再会した直後にモリビトが現れた。
それは最初からそうであった。
鉄菜がいたから、コミューンをテロが襲った。
――自分達を殺そうとしたのは、鉄菜だった。
その結論に燐華は咽び泣いていた。
「いや、いやぁっ……! 鉄菜ぁっ……嘘って言ってよぉっ!」
『錯乱しているのか。動かせないのならさっさと帰投しろ! あとは引き受ける!』
ヘイルがモリビトへと追撃を見舞う。燐華は宙域を漂いながら手を伸ばしていた。
この手に、もう友情は存在しなかった。
否、最初からそのようなものはなかったのだ。
鉄菜はモリビトの遣いであった。だから自分達を殺そうとしたのは、大勢殺したのは、鉄菜自身なのだ。
自分は馬鹿正直にも、今まで鉄菜を親友だと思い込んでいた。
それがたった一度で何もかも瓦解した。
「隊長を……にいにい様を……殺したなァッ!」
怨嗟をハイアルファーが吸い上げ、《ラーストウジャカルマ》が再び挙動しようとしたが、それを阻んだのは機体の破損率であった。
既にスペックの限界値を超えている。《ラーストウジャカルマ》がこれ以上の継続戦闘を拒んでいた。
燐華は拳で全天候周モニターを殴りつける。
「こんな時に! あたしは何も出来ないなんて!」
口惜しく、燐華は怒りに歯噛みした。
「エクステンドチャージに入る! 敵機から離脱するぞ!」
鉄菜の声に瑞葉とゴロウが応じる。
『待ってくれ……。何だこれは。声が……』
「声?」
鍔迫り合いを繰り広げる敵機から漏れ聞こえたのは通信回線を介してのものではない。
別の声であった。
――どうして、隊長を……にいにい様を墜とした!
その声の主に鉄菜は目を見開く。
「まさか……燐華・クサカベだというのか。この機体に乗っているのは……」
だがどうして声が突然聞こえるようになったのか。それを判ずる前に鉄菜は敵機を引き剥がし、敵の射線を潜り抜ける。
今しがたの精神の邂逅は何であったのか、判別する術がない。だが、鉄菜はまずはこの戦場を終わらせる事だと割り切った。
宙域を飛び交う敵機の数を表示させる。
「新型機は両方とも健在か。《イドラオルガノン》と《ナインライヴス》は?」
『二機とも生存を確認。どうやら月面地表に縫い止められているようだ。イクシオンフレームのうち一機が抜けてくるぞ』
鉄菜は黄金に染まった《モリビトシンス》で宙域を駆け抜ける。エクステンドチャージが安定域に達した自信はない。だが、先ほどの《ラーストウジャカルマ》より離脱するのには必要であった。
『クロナ……さっきの……《ラーストウジャカルマ》に乗っていた者の声……』
やはり瑞葉にも聞こえていたのか。鉄菜は静かに応じる。
「……今は、頓着している場合ではない。イクシオンフレームを撃墜する」
『来るぞ! 敵機接近!』
参照機体、《イクシオンアルファ》が月面の銃座の火線を抜けてこちらへと追いすがってくる。
『損耗機体なんて! 墜ちなさい!』
巨大な砲塔から掃射される光軸に鉄菜は《モリビトシンス》を限界機動まで離脱させようとする。しかし、機体損耗率は先ほどから変わらない。表層装甲が塗り変わっただけだ。
依然として右腕は肘から先が存在せず、機体各所は注意色に染まっている。
『あまり無茶は出来ないぞ。どうする気だ』
「……《イクシオンアルファ》を迎撃する。《モリビトシンス》! リバウンドディバイダーソードで!」
急速に加速度を得た機体が楕円の軌道を描いて周回し、《イクシオンアルファ》へと向かい合う。
敵機のリバウンドの砲撃を抜け、鉄菜は射程距離へと入ろうとした。
「ここで切り裂く!」
『盾が一個増えた程度で! こちらはアムニスの序列三位ですよ!』
敵の機体が砲身を仕舞い込み、驚くべき機動力でこちらとの距離を詰めていく。誤算があるとすれば、こちらの距離の概算と相手の速度が違っていた点であろう。
鉄菜はアームレイカーを慌てて引こうとするが、増えた質量分だけ反応が僅かに鈍い。
制動用の推進剤を焚き切れずに《イクシオンアルファ》の引き抜いたプレッシャーソードの斬撃が《モリビトシンス》を両断したイメージが脳内を支配した。
《イクシオンアルファ》の剣筋が敵のモリビトを撃墜する。
頭部から完全に両断されたその姿にシェムハザは哄笑を上げていた。
「これが! アムニスの序列三位の力! 見ましたか、渡良瀬! 我が方の勝利ですよ!」
声を張り上げたシェムハザだったがどうしてだか応答の声がない。胡乱そうに通信機を確かめようとして、周囲が靄に包まれているのを目にしていた。
機器でさえも曖昧になる。
何が巻き起こっているのか分からなかった。確かに斬り据えたはずの敵機でさえも掻き消える。
シェムハザは周囲に何もないという感覚に恐怖を覚えていた。
「何だ? 何が起こった!」
その声さえも喉を震わせている自覚がない。
直後、不意に時間が巻き戻っていた。
敵モリビトが射線に入ったところで自分の機体は呆然と佇んでいるだけである。
プレッシャーソードは引き抜いていたが、払う様子もない。
ハッとアームレイカーを引こうとしたその時には、敵の高出力Rソードが片腕を落としていた。
激震が見舞う中、シェムハザはもう一方の腕に装備したプレッシャーソードで薙ぎ払う。
今度はより明瞭であった。
時間感覚が異常に引き伸ばされ、敵を斬るイメージばかりが先行し、実際の動きが追いついていない。
「これは……どうなっているんだ!」
敵はしかし、切り離された時間の中を唯一同一の速度で切り抜けていた。
こちらの剣筋を見切り、逆方向から斜に剣を浴びせかける。血塊炉が引き裂かれた瞬間、《イクシオンアルファ》の頭部が空気噴射され脱出していた。
炎に包まれ、《イクシオンアルファ》が粉砕される。
その光景をシェムハザは歯噛みして見つめていた。
「まさか……負けた? この、アムニスの序列三位……大天使であるはずの、こちらが?」
これは報告しなければならない。渡良瀬に一刻も早く、と脳内リンクを接続しようとしたが、接続領域はどうしてだか圏外であった。
何かが起こっている。だがそれを明確に口にする事は出来ないでいた。
確実に両断されたと思った。
自分だけではないはずだ。《クリオネルディバイダー》に搭乗する瑞葉とゴロウもそう感じたに違いないのに。
今の一瞬、時間がまるで巻き戻ったかのように全ての事象が変動していた。
《モリビトシンス》がリバウンドディバイダーソードを手に宙域を抜けていく。
「……何だったんだ、今のは……」
確証を得られずにいると桃の《ナインライヴス》より緊急通信がもたらされた。
『クロ! 敵が下がっていく……』
『こちら《イドラオルガノン》……。地上に縫い止められていたけれど、敵が退いて……』
二人の報告にひとまずは無事であった事にホッと胸を撫で下ろした。
だが解せない事が無数に起きていた。
《ラーストウジャカルマ》の操主は本当に燐華であったのか。確かめようのない感覚に鉄菜は困惑していた。
『クロナ。とりあえず今は艦に戻るべきだ。《ゴフェル》は月面内部で立ち往生しているはず』
それに、と瑞葉が機体状況を伝える。依然として《モリビトシンス》はほとんど中破の状態。
あまり継続して戦闘するべきでもない。
「……了承した。《ゴフェル》へと帰還する」
敵機が下がっていく軌跡を見つめつつ、鉄菜はアームレイカーを握り締め、フットペダルを踏み込んでいた。
《ゴフェル》は月面の亀裂の奥で艦内の動力を停止させていた。敵に捕捉される恐れがあるからだろう。
甲板に降り立った《モリビトシンス》と戻ってきた《ナインライヴス》、それに《イドラオルガノン》が並び立つ。
『クロ、それが……』
桃の声音に鉄菜は首肯していた。
「ああ。新しいモリビトだ」
『……それ、強いの? 片方に比重がかかるだけじゃん』
林檎の指摘ももっともであった。現状ではバランサーが限界の調整であり、これから細部を弄っていかなくては実際の戦闘では支障を来たすだろう。
「《モリビトシンス》、帰還した」
信号を《ゴフェル》に送信するとすかさず茉莉花の声が返ってくる。
「鉄菜・ノヴァリス。もちろん、《セプテムライン》は撃墜したのよね?」
その問いかけに鉄菜は思い返す。途中より《セプテムライン》は離脱した。敵の撤退軍にも混ざっていた様子はない。
まさか、と息を呑んだ瞬間、アラートが響き渡った。茉莉花がコンソールへと取り付き、直後には拳を叩きつけていた。
『……やられたわ。月面のバベルが奪取された。それに、月面プラントで生産途中であった敵の新型機も』
新型、という言葉に鉄菜は反射的に機体を翻していた。損傷状態など関係がない。今、逃せば大きな禍根となる。
「《モリビトシンス》、迎撃行動に入る!」
『待って! クロ! そんな機体で……』
桃の制止がかかったがその前に鉄菜は月面に出ていた。《モリビトシンス》へと敵の位置が送信されていく。
「月の裏側……そこにバベルが」
自分達がなんとしてでも奪還しなければならないもの。それを奪われたとなれば作戦成功とはならない。
宙域を見据える鉄菜は《セプテムライン》が未確認の機体と連結し、月面の重力圏を離れようとしているのを目にしていた。
「ここで墜とす! 《クリオネルディバイダー》、高出力リバウンドブラスター用意」
《クリオネルディバイダー》の両翼に装備された砲身が《セプテムライン》を照準する。捕捉した敵影へと鉄菜は引き金を引いていた。
リバウンドのオレンジの光軸が宙域を引き裂いていく。そのまま《セプテムライン》へと突き刺さるかに思われた砲撃はしかし、謎の皮膜に弾かれていた。
「これは……リバウンドフィールドか」
連結した巨大構造物が作用していたのか、咄嗟のリバウンドフィールドを引き剥がす術はない。
遂には射程外となり、鉄菜は拳を叩きつけていた。
「……逃がした」
『クロナ……今、深追いは禁物だと思う。バベルが奪われたのは確かに大きいが、わたし達は月面プラントを手に入れた』
『瑞葉の言う通りだ。鉄菜・ノヴァリス。現状、あれだけ苦戦した《セプテムライン》に一矢報いる事は難しいだろう。プラント設備が奪還出来たという事は大きい。《モリビトシンス》を修復する事も容易になった、という事だからな』
瑞葉とゴロウの説得を受け、鉄菜は脳内をクールダウンさせた。それでも割り切れない事は多い。
何故、敵の刃からこの機体は逃れ得たのか。そもそも、《モリビトシンス》の力を自分はまだ、何も知らない。
「……《モリビトシンス》。何か、この人機にはある」