「結果論から言わせてもらうと、つい十分前に世界は覆った」
茉莉花の結論に鉄菜は言い返す。
「結果を焦り過ぎだ。何も分からない」
「分からない? 本当に?」
茉莉花が投射画面を指先でスライドさせる。映し出されたのは惑星の世界地図であった。赤く塗り潰された地点の符合する事実にいち早く気づいたのは桃である。
「連邦国家のコミューンばっかり……」
言われてみれば、と鉄菜は赤く塗られた場所を脳裏で関連付ける。C連邦傘下のコミューンか、あるいは新鋭のコミューンが大多数であった。
「それがどうしたって言うんだ?」
「一言で言えば、堕ちた、というべきでしょうね。全てのライフライン、並びにシステムが」
やはりというべきか茉莉花の言葉は要領を得ない。わざと結論を引き延ばしているかのようである。
「分かりやすく話せ。つまりは……」
『つまり、C連邦のコミューン……バベルのシステムラインが何もかもダウンした。この現状は世界に一撃を放った』
ルイの補足に鉄菜は絶句する。桃は尋ね返していた。
「嘘……でしょう? だってバベルは、地上のものはレギオンに支配された。アムニスもそれを握っていて……アンヘルは」
「そう、アンヘルはその情報を基にしてこちらを幾度となく追い込んだ。でも全てのシステムが一斉にダウンするなんて誰も想定出来ていない。ゆえに、現状を言い表せる人間は数少ない。いえ、断言してはいけない、とも言い換えられるわね。バベルなんていう、万能のシステムで星の何もかもが賄われていた、なんて」
「……知っているのは特権層……レギオンのみのはず」
「アンヘルでさえも、自分達の情報網を磐石にしているのはバベルという強大なる一だという事を理解していないはず。知っているのは一握りの権力者のみ」
ニナイの言葉振りには憔悴が滲む。連鎖して巻き起こった事に気持ちがついて行っていないのかもしれない。
「でも! だったら余計にどうしようもないんじゃ? だって、知らないのならば何も出来やしない、混乱のるつぼに……」
「もうなっているわよ。これ、連邦コミューンのリアルタイム映像」
茉莉花の示した投射映像には街頭モニターが砂嵐を映し出し、人々が混乱の末に車から飛び出して喚き散らしている光景が広がっていた。誰もが今、世界で何が起こっているのか分かっていないようである。
「そしてこれが……五分前にアンヘルと各国のトップへと送信された、最新映像」
茉莉花がブリーフィングルームの中央モニターに映し出す。
そこには一人の男性が映し出されていた。
場所がどこなのかは分からない。白亜の部屋で男は中央の椅子に深く腰かけ、画面の向こう側を睨んでいる。
その瞳には深い絶望が見て取れた。
しかし何よりも、鉄菜にはその映像の男に心当たりがあった。口からついて出た名前に、自分でも動揺する。
「……保険医の、ヒイラギ……?」
「クロ、知っているの?」
桃の意想外と言う声音に鉄菜は困惑する。まさか、そのはずはない、と思い直そうとしたが、直後に響き渡った声音はヒイラギのものであった。
『世界を束ねる者達に告ぐ。この映像が流れているという事は、僕の目論見が成功した、という事だ。いや、目論見なんて大げさなものじゃない。僕が百五十年もの間、ずっと保留にし続けてきた答えを、君達に示したのみなのだから。改めて、名乗らせてもらう。僕の名前はエホバ。……神の名を騙る事を唯一許された、この世で最も愚かしい存在だ。最初に言っておくがこの映像の逆探知は意味がない。僕の声紋データから全てを割り出すのも。僕は自分に関する記録を全て抹消した。記憶には、残っているかもしれないが、記録上、僕はどこにも存在しない。だからこの場所を割り出して君達特有の……何もかもを破壊してなかった事にしてしまう、という愚行は不可能だという事だ。僕は百五十年前に、ブルブラッドキャリアの先駆者の造り出した人造人間……、不老不死の夢を与えられた怪物だ。そして、この世界を支配している基盤である、システム、バベルへの唯一の直通のアクセス権を持っている。だから僕のやり方を真似てバベルを設定し直す事は不可能だ。僕を超える権限持ちは存在しない。エホバの名前は伊達ではない、と言わせてもらう』
「鉄菜、このエホバを名乗る男の事を、知っているのか?」
茉莉花の問いかけに鉄菜はまさか、と思い返す。ゾル国の教員身分が、どうしたところで世界をたばかるなんて出来ないはず。
だが思えはおかしな事は一つではない。燐華が軍属に入っている事、それも加味すればあの男がただの人間でなかった事の説明もつく。
「……だが、ヒイラギ。お前はただの人間のはずだ。何故、私を騙せた?」
問いかけにも、映像の中のヒイラギは読めない視線を返す。
『僕は世界を……それなりに美しいものだと思っていた。いや、思いたかった。規定したルールの上でしか、人々が争えない、奪い合えない、殺し殺されのみの世界だと、絶望するのは容易かった。だが、僕だけは、それを早合点してはいけなかったんだ。だから、百五十年待った。ブルブラッドキャリアの報復作戦の後、世界がどう変わるのかを。……だが、思い過ごしだった。人々は変わらず愚かであり、それを統率する一部の特権層は吐き気がするほどの。……僕はもう、これ以上の高望みはやめる事にした。君達に世界を任せ、破壊兵器を作り立てるのを見て見ぬフリはもう出来ない。アンヘル、並びにそれを統括する上位集団――レギオンに告ぐ。これは宣戦布告でも何でもない。報復でも、ましてや争いの火種でも。ただ、僕は僕の世界を憎む。これはその、逆襲の始まりだ』
「レギオンの事を知っている……。いいえ、その全てを?」
「読み取る限りならば、ね。このエホバを名乗った男に関して、吾はそれなりに調べた。でも宣言通り、どこにも足跡はない。IDも登録番号も、ましてや出生も。記録は完全に抹消されている。加えて、世界の混乱と符合するこの発言。あまりにも容易な結びつけかもしれないけれど、この男の言う通り、バベルは掌握された、と見るべきでしょう」
鉄菜はヒイラギの眼差しを見据える。人類に絶望した、と嘯いた男の眼の奥は暗黒へと通じていた。
あの日、学園の日々で自分と燐華を見ていた男と同じとはとてもではないが思えない。
まさしく神の如き所業を可能にする存在の双眸。
「……レギオンはこの声明をどう受けるか」
「問題はそこね。バベルを掌握した、というのが嘘でも何でもない、と言うのならば、この星に存在する全ての機動兵器は完全に無効化された事になる。だってバベルに繋がっていない兵器なんて、連邦は認めていないはず」
「末端機器でもバベルへの接続権を持っている世の中……。バベル一つが手に落ちただけで世界中の端末や情報が……」
桃が濁した先を茉莉花は冷徹に言ってのけた。
「ええ。全てが白日の下に晒される。個人単位なんてものじゃないわ。機密なんて意味を持たない。国家同士の騙し騙され合いも全くの無価値に帰す。それに加えて、武力に関しても」
「アンヘルの機体は全て、バベルに多かれ少なかれ依存している。だからアンヘルはこの声明をまともに受けるのならば」
ニナイがヒイラギの映像を睨む。その帰結する先を鉄菜は言い当てていた。
「アンヘルは一機とて出撃出来ない。その上、全ての情報はヒイラギ……いいやエホバというこの男の一手に集約された。下手に動けば……」
茉莉花は首肯する。
「内部分裂なんてものじゃないわ。手を下さずして何もかもを破壊出来る」
高度に発達した情報網が仇となった形だ。レギオンはその存在を晒された形となる。今まで世界を裏から回してきた事実も、エホバの前では意味を成さない。
「だが、連中とて馬鹿ではないはずだ。エホバを殺す術はない、というわけでもあるまい」
「レギオンが打てる手立ては少ないわ。兵力を潰され、情報網を殺された。こんな状態で下手に出れば、それこそこれまでの支配が水泡に帰す。恐らくはゴルゴダの使用も慎重になるでしょうね」
相手の声明より先に爆弾を落とす、という手段すら潰されたわけか。レギオンがどう暗躍しても、エホバの上に立つのには一つの条件しかない。
相手より高度な情報ネットワークへの早期接続。加えて兵力の確約。
「……バベルはもう一つある」
「月面へのハッキングならば、もう探知しているわ。でも、さしものレギオンでも月までは手が伸びない様子。今のところシステムに亀裂を走らされた気配はない」
ホッと胸を撫で下ろすと共に、鉄菜は次なる可能性を口に出していた。
「ならば、今度は……」
「考えられるのは端的に言えば三つ。バベルネットワークに接続されていない兵力に共闘を申し出てエホバなるこの男の位置を割り出し、暗殺する。あるいはバベルのネットワークをあえて全部拒絶し、新たなネットワーク基盤の形成。最後は……これは愚策中の愚策だけれど、相手のいるであろう位置に無差別爆撃。こんなところかしら。でも、現実的なのはどれなのか、言うまでもないわよね?」
桃は震える声で答えを紡ぎ出す。
「……バベルネットワークに繋がっていないのは、モモ達《ゴフェル》と、ラヴァーズ。それに弱小コミューン……」
その解答に茉莉花は指を一本立てる。
「もう一つ、忘れているわよ」
思い浮かばない桃に、鉄菜は言ってやる。
「……資源衛星に潜むブルブラッドキャリア本隊。連中はバベルを使用していない」
まさか、と桃は目を戦慄かせた。
「だって……そんなの本末転倒じゃない! 今まで敵対してきた相手と共闘するなんて……!」
「あるいはそれこそがこのエホバの目的なのかもしれない。世界の統合。一つの絶対的な悪を作り出し、ブルブラッドキャリアと惑星との融和を進める……」
「でもそんなのは理想論。こちらもそれは分かっている」
ニナイの発した言葉に鉄菜はここで決断すべきは少ないのだと予見した。
「ブルブラッドキャリア本隊はレギオンからの接触があった場合、条件を突きつけるはず。それも相手が逃げられないような条件を」
「こんな形で世界が統合されるなんてどちらからしてみても不合理そのもの。だから裏がある、と見るべきね。どっちが歩み出たとしても」
「それって……レギオンは月の戦力を手に入れたいというのと、ブルブラッドキャリアからしてみれば……」
「地上の無条件降伏、か。小さく見積もっても地上勢力をある程度こちらに丸め込むつもりだ」
しかしそれは、平和の最短距離のようで最も縁遠い話だ。どちらも腹に一物を抱えているなど。
「……エホバなるこの男は何を目的としているのかしら。この状況でのバベルの掌握……うまく事が運ぶとは思えないのだけれど……」
茉莉花の疑問に鉄菜は神の名を騙るヒイラギの容貌を見据える。
「……お前は何がしたい? ヒイラギ」