ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯330 一欠片の希望

「状況を整理するわね」

 

 格納庫に戻るなり急ピッチで進められる《モリビトシンス》の改修を横目にしながら、茉莉花は口火を切っていた。

 

 鉄菜は集ったニナイと桃、それに蜜柑を視野に入れている。瑞葉とタカフミはタキザワより別の命令を受けていた。

 

 だが意図するところは同じはずだ。

 

 茉莉花はほとほと理解出来ないとでも言うように額に手をやる。

 

「あの《イザナギ》とか言う人機と操主……、本当に三時間だけ、余裕を与えたというべきでしょうね。でも、それはこちらだけも優位ではない。敵も同じはず。少なくとも、特攻した《キマイラ》に宇宙駐在軍は恐れを成している。それもそう、自分達の眼前であれほどの覚悟を持つ人間が現れた。それは同時に慎重にならざるを得ない状況を作り出したはず」

 

「……敵も安易には動けない、と?」

 

 桃の問いに茉莉花は首肯していた。

 

「そう信じたい、わね。あの人機がアンヘルとアムニス側に肩入れしていなければ、だけれど。でもこの時間的余裕を相手も最大限に利用するはず。今度こそ、逃げられない追撃が来る」

 

 やはり、それは免れないだろう。それに、と鉄菜は追いすがってきた《キリビトイザナミ》と《ゼノスロウストウジャ》を思い返していた。

 

 重力圏ギリギリまでの攻防、あれほどの執念だ。自分達の前に今一度現れると見て間違いないはず。

 

「地上のアンヘルも追ってくる。余裕は、あるようでないと思っていい」

 

「そうね、そこは鉄菜の言う通りだと思うわ。でも、ニナイ艦長。こちらの打つ手はもう決まっている。そうよね?」

 

 ニナイは決定権を振られ、双眸に決意を浮かべていた。

 

「……鉄菜が《モリビトシンス》で相手を食い止めている間に、月面軌道に入る……。でも、本当にいいの? また鉄菜を……一人にしてしまうわ」

 

 その懸念に桃が声を荒らげていた。

 

「茉莉花! あんたまたクロを単独で出させるような真似を……!」

 

「容認した覚えはない。それに推奨も。でも、鉄菜。あなたは行くのよね?」

 

 多くの言葉を語るまでもない。鉄菜は頷いていた。

 

「ああ。私はどうやらあの人機と操主に……大きな貸しがあるようだ」

 

 瑞葉が今は傍にいないで助かった。どうしたって自分と行動を共にすると言い張って聞かないだろう。

 

「だからって……クロを置いてけぼりには出来ない! それじゃ……六年前と……同じじゃない……!」

 

 苦渋を噛み締めた桃の声音に鉄菜は強く言い返す。

 

「誤解しないでくれ、桃。私は必ず、帰ってくる。六年前の殲滅戦とは違う。あの時は何もかもが混迷の中だった。だが今は。今この瞬間に、確かなものを……私は感じている。……彩芽を地上で失った。私が撃ったんだ。だから、それも含めて、私は前に進む。進むしかない。進む事でしか、報いる事は出来ないはずだ」

 

 そう、胸の中の何かが告げている。後ろを振り返るな。今だけは、前のみを向いていろと。

 

 桃は承服し切れないのだろう。額に手をやって何度も頭を振る。

 

「でも、でも……っ! どうしたってモモ達だけが……。月の本隊に勝てるかどうかも分からないのに」

 

「作戦というのはそれもある。月面よりの通信を傍受した。つい二十分前だ。既に月内部で桃・リップバーン。それに蜜柑・ミキタカ。あなた達のためのモリビトは完成段階にある。加えて現状、《ナインライヴス》も《イドラオルガノン》もほとんど大破に近い。ここで提言するのは、一刻も早く月面に到着し、新たなるモリビトを受け取る。その上で、本隊との決着をつける」

 

「簡単そうに言うけれど……! そのためには月面展開する《アサルトハシャ》部隊と、それにあの……《トガビトコア》って言う、単騎で大気圏を突破出来る無茶苦茶な性能の人機と渡り合わなければならないのよ……!」

 

 声を荒らげた桃に茉莉花は非情なる声音で返す。

 

「そう、だからこれは、最も残酷な決断。鉄菜に頼らずして、こちらの残存戦力だけで月のプラント部まで到達しなければならない。でも、これが達成されなければ、勝利はない」

 

「ニナイ! あんたはそれでいいの? クロを……また置いて行けという、こんな命令なんて……」

 

 鉄菜はニナイと視線を合わせようとする。彼女は一瞬拒んだが、それでもこちらを真っ直ぐに見据えた。

 

「……ええ、桃の言う通り、残酷な命令よ。でも、これしかない。鉄菜が作り出してくれる時間を無駄には出来ない。恐らくはアムニスに追われながらの任務となる。もしかしたら途中で轟沈するかもしれない。月まで辿り着けないかもしれない。それでも……今は前向きな作戦を信じるしかないのよ。茉莉花はそれも分かってくれている」

 

「ま、これも結果論に過ぎないけれどね」

 

 茉莉花は肩をすくめる。鉄菜は桃へと視線を移動させていた。

 

「私は、構わない。みんなの作ってくれた時間を最大限に活用する。桃、置いていかれるなんて事を、私は考えていない。それに、犠牲になろうとも。私達は、全員で、生きて明日を迎える。そのための、最後のチャンスなんだ」

 

「……どうして、クロはそんな事を、いつものように言えるの? 一歩間違えれば! クロもモモ達も、死んじゃうんだよ……」

 

 それも分かっている。全滅の憂き目に遭えば、これまで自分達に託してくれた全てが水泡に帰すとも。だが、ここで粘らなければいつやるというのだ。

 

「桃。分かってくれとは言わない。それに納得してくれとも。ただ、私は戦う。あの人機と操主に、決着をつけなければならない」

 

 それに、と鉄菜は燐華の事も考慮に浮かべる。

 

 ともすれば、そのまま、燐華の操るキリビトタイプとの戦闘にもつれ込む可能性だってある。

 

 その時に、自分は冷静になれるのだろうか。それさえも分からないまま、今は決定を下そうとしている。

 

 桃は何度も納得出来ないように首を横に振った。

 

「……無理だよ。こんなの、納得しろなんて……。あんまりじゃない、モモは……」

 

「――ミィは、この作戦に異論はないよ」

 

 だからなのだろうか。不意に発せられた蜜柑の声に全員が息を呑んでいた。当の発言者である彼女は迷いのない論調で口にする。

 

「……林檎が死んだ、でもだからって! ミィが昨日ばっかり見ているんじゃ、誰も浮かばれない。きっと、浮かばれないんだと思う。……桃お姉ちゃんの言う通り、分かんないよ、ミィだって。これが正しいのかどうかは。それに……林檎と争った鉄菜さんを、完全に許せるかと言えば、そうでもない」

 

 蜜柑は最も残酷な立ち位置のはずだ。この世で唯一の半身を失い、それでも戦えと強制されている。銃を取らない道もあるのに、彼女は《イドラオルガノン》に乗り続ける事を選んだ。それが林檎の魂を振り切れないのだと分かっていても。

 

 ニナイはさすがに蜜柑に戦わせる事は憚られたのか、ここでの後退の道もあるのだと、言いやっていた。

 

「蜜柑……あなたは辛い立場のはず。艦のクルーになるのだって、誰も咎めは……」

 

「いいえ、ニナイ艦長。ミィに、戦うなと命令しないでください。ミィも、戦わなくっちゃいけないんです。林檎を失って、それで自分が悲しいからって塞ぎ込んじゃ駄目だと、そう信じたい。ミィは《モリビトイドラオルガノン》の……執行者です」

 

 そう、自分達は惑星に報復の刃を向けたモリビトの執行者。その疑いのようのない決意だけは確固としてある。もう逃げられない。逃げちゃ、いけない。

 

「どうして……。そんなの、蜜柑が……」

 

 桃はやはりここでの決断は出来ないのか、踵を返していた。駆け出した彼女を止める言葉を誰も持たない。

 

 茉莉花はこちらへと目線をくれていた。

 

「……鉄菜。あなたはやるのよね?」

 

「ああ。誰が止めてもやる。やらなければならないだろう」

 

 嘆息を一つ挟み、茉莉花は後頭部を掻いた。

 

「《モリビトシンス》の最終調整には少し時間はかかる。三時間……正直ギリギリよ。武装と破損箇所を修復してもそれでもまだ足りないくらい。それでも、……今のあなたを止める事は出来ないようね」

 

 茉莉花も分かってくれている。それに、蜜柑の決意は意外であった。彼女には逃げるだけの理由だってあるのに、それでも立ち向かう道を選んだ。

 

「蜜柑・ミキタカ。お前は……」

 

「何も。何も言わないでください。今、言われちゃうと、決意が揺らいじゃいそうで。だから、ミィと鉄菜さんが次に喋るのは、全部終わってからにしましょう。全部終わって……これ以上辛い戦いをしなくてよくなってから。世界を変えてから、次は真っ当にお互いを見れるようになってからに、したいんです」

 

 真っ当に互いを、か。鉄菜は蜜柑の在り方もまた苛烈だと感じる。

 

 こうして追い込む事でしか、彼女もまた前を向けない。それは教えを説いた桃でさえも、抱え切れないほどなのだろう。強さとは、単純な力の持ちようだけではない。きっと、これを皆が――。

 

「……茉莉花。《モリビトシンス》を頼みたい。私は、定刻まで身体を休めよう」

 

「それがいいわ。《モリビトシンス》は最大まで修復する。あなたは、血続とは言え、ここまでの連戦に耐えてきた。少しは休息なさい。そうじゃないといざという時に最大限のパフォーマンスが出せない」

 

 少しぶっきらぼうな言い草だが、それくらいのほうが性に合っている。鉄菜は個室へと戻りかけて、リードマンが廊下に立ち塞がっていた。

 

「……退いてくれ」

 

 横をすり抜けようとすると声が投げられる。

 

「鉄菜。ここまで君が戦い抜くとは誰も思っていなかった。もちろん、担当官であるわたしもね」

 

「……何が言いたい? まさか、今さら担当官として見過ごせないとでも?」

 

 そんな事を言いたいがために自分の道を阻むというのか。しかし、リードマンは静かに首を横に振る。

 

「いいや。君はわたしの計算なんて度外視して今までやってきた。六年前だって、生き抜くとは思っていなかったんだ。それにこれほどまでに……人間らしくなってくれたともね」

 

 鉄菜は向き直っていた。リードマンは静かな眼差しでこちらを見据える。その瞳に映るのは、今まで担当官として見てきた温情か。あるいは、作り物がここまで人間の道化を演じているのがおかしいのか。

 

「……私は何を言われようとも、行く」

 

「鉄菜・ノヴァリス。君の道筋に、余計な口を挟む気はない。もう君は充分に……人間だからだ。だがこれだけは言わせて欲しい。よく……ここまでなってくれた。私の想定なんて覆して、ここまで生きてくれた事に、感謝する」

 

 その言葉はどこかおかしい響きを伴わせている。自分は感謝される事など何もしていないからだ。

 

「自己満足だ、私の行動なんて」

 

「彩芽・サギサカや林檎・ミキタカ。そしてブルブラッドキャリアの皆との出会いは、君を確かに変えた。……ある意味では別れも。本来、兵器にはそこまでの感情がインプットされているはずもないんだ。ただの純粋な、兵器としての血続を極めるのならば余計な機能がついたと、そう思ってもおかしくはない」

 

「私が、余計な代物にこだわっていると、そう言いたいのか、お前は」

 

「以前までならばそう考えていたかもしれない。それこそ六年前ならば、ね。だが、わたしは所詮、戦いには出られない。君の戦いに、全く介入出来ないんだ。だからこそ、想定外の変化に戸惑っているのは、一番にわたしかもしれない。黒羽博士が言い置いた、人間らしく生きて欲しいという願いは、わたしは叶わないのだとどこかで諦観していた。鉄菜・ノヴァリス、君は血続であり、ブルブラッドキャリアの執行者であったからだ。その身は戦うためだけに存在し、それ以外なんてまるで規定されない、ただの殺戮者……そのはずだった。だが君は獲得した。あらゆる出会いと別れが君を強くした。だから私も言おう。勇気の要る発言だが、それでも。……誇りを持っていい。君は、もう人間だ。心ある、人間なんだ」

 

 心ある人間――リードマンの口からまさかそのような評価が出るとは思っていなかった。彼は組織のために自分を観測し続けた担当官だ。だから「鉄菜・ノヴァリス」としてのエラーは網羅しているはずだし、その身に相応しくない願いや志は淘汰されて然るべきと考えていてもなんら不思議ではない。

 

 ――だからなのだろうか。

 

 この時、頬を一筋の涙が伝ったのは。

 

 何が心を震わせたのか、それは分からない。何もかも不明なままだ。だというのに、どうして。どうしてこうも悲しいのだろう。どうして、こうも胸の奥がきゅっと痛むのだろう。

 

 別に死にに行くつもりはない。だが、もう最終局面が近いのはどこかで分かっていた。《ゴフェル》の命運、艦のみんなの命が自分の掌にある。こんなに小さな、自分の手に。

 

 その事実だけでも信じ難いのに、リードマンは自分を人間だと言った。心ある、人間だと。

 

 探し続け、求め続けていたものが、もう手に入れているのだと。

 

「……分からないんだ。本当に、分からない。何をもって人間と呼ぶのか。何をもって兵器だと断じるのか。それはきっと、曖昧なんだ。私は、立場さえ違えばもっとおぞましいものに成り果てていたかもしれない。少しでも道筋を誤れば、きっとここにはいないはずなんだ。それが何と呼ぶのか……どうしても……」

 

 肩が震え出す。この身一つでしかない身体が、何を訴えているのか分からない。何のために存在し、何のためにこれから戦いに赴くのかも。

 

 リードマンはポケットに仕舞っていた何かを自分の手に寄越した。青いブルブラッド鉱石のペンダントである。

 

「これは……」

 

「黒羽博士のペンダントだ。彼女の死後、わたしがずっと持っていた。だが、もうわたしには相応しくない。君が持っているべきだ、鉄菜。これから先、どれほど迷い、困惑し、そして自らの道を問い質そうとも、彼女が見守ってくれている。それだけは確かなんだ。鉄菜、博士もきっと、天国で君の事を……」

 

 そこから先をリードマンは継げないようであった。どこかで彼も信じ切れないのかもしれない。惑星を追放された側の人間が、天国やあの世の世界に希望を見出す。もう死んでしまった者達から、何かを託されたのだと口にする。

 

 それがどこかで遊離しているのは自分も分かる。畢竟、同じなのだ。

 

 誰もが迷いの中にいる。きっと、暗中模索のその先を、照らし出せるのは、きっと――。

 

「未来だけ、か。それも、今よりはよくなっているかもしれない、という希望的観測だけ。だがヒトは、それで前に進めてきた存在だ」

 

 身を翻す。最早、言葉は必要ないのだろう。

 

 雛鳥はいつか旅立たなければならない。巣立ちの時を迎えないのならば、それはただ腐っていくだけの存在だ。

 

 きっと、リードマンは別れの代わりにそのような言葉を投げてくれた。手にあるペンダントをぎゅっと握り締める。

 

 今は、この一欠けらの希望だけでいい。

 

 それだけで、前を向けるのだから。

 

 


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