タチバナにもたらされた情報は大きく二つ。
オラクル政府が独立から亡命に切り替えた事。もう一つはその亡命先がゾル国である事であったが、タチバナは一つのネットニュースが静かに民衆を騒がせている事を既に関知していた。
オラクルの内情に立ち入っていた現地メディアのカメラが映し出したのはモリビトに制圧されるオレンジ色の人機である。
ガワを分かりにくくしているが人機開発の第一人者ならば誤魔化しようのない。
これはバーゴイルだ。
正規品かどうかは分からないが、バーゴイルの管理はゾル国が一任しているはず。
もし、ゾル国がもたらしたバーゴイルだとすれば、このオラクルの一事変はただの独立運動ではない。
大国が裏で糸を引いているとなれば後々にはC連合とゾル国の対立図式になりかねない。
C連合の高官が困惑顔を浮かべているのはそれが起因だろう。
《ナナツー》の最新式を売り出しに来たのに人機開発の専門家から話を聞かなければならなくなったとは。
高官は肩を竦めて言いやる。
「我々も、このネットニュースに関しては寝耳に水でしてね。まさかゾル国の……」
そこから先は言葉を濁した。まだ決定事項ではない。だからこそ高官は自らの立場も踏まえて発言しなければならないのだ。
「ワシが見た限りでは、あれは見間違えようもない。だが、老人の一言で戦争が起きるなど、真っ平御免だな」
その一言に高官は胸を撫で下ろしたようであった。
「あの粗い画質では民間のデマ程度で沈静化出来ます。ただ……人機開発の第一人者の言葉となるとどうにも誤魔化せないのが現状で……」
「ワシに、口を噤めというのだろう? いいさ、黙っておく」
元々囃し立てるつもりもない。火のないところに煙は立たないが、それでも自分に与えられた役目くらいは心得ているつもりだ。
「噂の参式、カタログスペックを拝見しました。……ですが」
決定を渋る理由が分からない。タチバナはコミューン内壁を巡るリニアチューブの中で高官と対峙していた。
高速で走るリニアの中での会話は漏れ聞こえる事はない。外部流出があり得ないという点で言えば移動中が最適であった。
「ワシのお墨付きがあっても買い取れない、か」
「国力の調整、というものがあります。今、C連合が参式を正式採用するのは待ったをかけたほうが正解かと」
「だな。ワシもそう思う。ここで兵力を上げれば、それこそ相手の思うつぼというもの。今回の件の不明人機共々、今のC連合は内側が疲弊している。ここで無駄に火を熾す理由もあるまい」
「理解が早くて助かります」
軍備増強は急務であろうが、それも慎重の末に行わなければ首を絞めるだけだ。
タチバナは外の景色が内壁のトンネルを超えてコミューンの内側に変化したのを目にしていた。
「モリビトタイプに対抗する術は他にもあるのだろう? 無理に参式に背負わせる必要もない」
「そうなのですが……」
額の汗をハンカチで拭う高官には別の懸念事項もあるようだった。
タチバナはそれを言い当ててみせる。
「モリビトよりも、他国との関係のほうが重要、か」
「……惑星の危機と言われても結局、C連合が兵力を割くのは今までのパワーバランスです。確かにモリビトとブルブラッドキャリアは脅威ですが……一万分の一で遭遇する猛獣よりも、百分の一で疾病する病気のほうが民衆には現実味のある事柄なのです」
モリビトへの対抗策など練っていたところで所詮は三機。
こちらにはほぼ無尽蔵に近い兵力がある。地上の血塊炉産出は安定しているが、輸出入でいざこざがあるだけだ。
それに比してモリビトは常に補給の危機に立たされている。
あちらが疲弊するのを待って仕掛ければ難しい敵ではないだろう。
「ブルブラッドで動く人機であると分かっている以上、不要に恐れる必要もない、か」
「むしろ恐れるべきはゾル国とブルーガーデンの牽制なのです。ゾル国が何を仕掛けてくるのか分からない上に、今回の戦場ではブルーガーデンのロンド系列が介入したとの情報もあります」
「ロンドが? あの秘匿国家が兵力を差し出したというのか」
にわかには信じられない。ブルーガーデンは秘密主義が強い。ロンド系列を操っているのは分かっているもののその機体が前線に出る事はまずないと言ってもいい。
だからこそ、このような目立つ戦場にロンドを遣わすのは納得がいかないのだ。
「ブルーガーデンも焦っているのかもしれませんね。モリビトという脅威に」
「モリビトが、脅威、か」
呟いたタチバナは目の前の政府高官がどこまで信用に足るかどうかを瞬時に判断した。
口は堅いほうだろう。タチバナは次のトンネルに入る直前に切り出す。
「……百五十年前、人機開発のターニングポイントがあったのはご存知かな」
トンネルの明かりが高官の顔を照らす。タチバナはその相貌を静かに見守っていた。
政府高官が知らぬ存ぜぬを通せるはずがない。一般教養レベルだ。知らないのもどうかしている。
「……政府上層部ではその事に関して、非常にナイーブな問題だと捉えている節があります」
「しかし、歴史を覆い隠す事は出来んぞ。百五十年前、何が起こったかなど子供の端末でも探れる」
「参ったな……。自分の発言権の分類にはないんですよ。その事実は」
「どうしてひた隠しにする? 探れば誰でも分かる」
「それでも、決定的な事は誰も言いたくないものです。今回の……不明人機と同じように」
「しかし民衆は思っているよりずっと聡いぞ。探り始められればクーデターでさえも起こり得る」
「心配性が過ぎますね。それは起こりません」
タチバナは一旦、言葉を仕舞った。どうしてその可能性はある、ではなく「起こらない」と断言出来るのか。
この高官、まだ歳若い。つけ入る隙はいくらでもあるだろう。
「ではもし、ワシが喋ればどうなる? 民衆に向けて、人機開発の第一人者が大っぴらに口にすれば」
「ドクトルタチバナ。言っていましたよね? 身の程は弁えている、と」
「それも込みの話だとは聞いていない。何よりも、事実を隠蔽するのはずっと不自然だ。どう責任を取る? もしも、の話だが現実になった場合。人機開発だけではない、国家の信用に関わる」
「だから何度も言わせないでください。あり得ないんです。それが明らかになるのは」
あり得ない、と断じられるのには理由があるはず。だが、これ以上の武器をタチバナは持ち合わせていなかった。
ここまで政府の役人の口が堅いとは。
少しばかり侮っていたかもしれない。
「では話題を変えよう。現時点でのブルブラッドの産出量で最も秀でているのは間違いようのなくブルーガーデンだが、その優位があってもあの国家を二国は認めようとしない。独裁国家だというのもあるが、輸出入の関係性もあるんだ。国家を、認めないというスタンスでいるのは危険ではないのか」
「それも考え過ぎですよ。ブルーガーデンは身の程を知っています」
国力が違う。喧嘩を売ったところで勝てない、くらいの判断はつくというわけか。しかし、今回、ブルーガーデンにとって優位に働く事実が浮き彫りになった。
「だが、もしあの国家が不明人機の一件を持ち出せば? そうなった場合、どちらが得をするのかな。ゾル国は不明人機に関しての釈明を求められるだろう。C連合は分かっていてオラクルをけしかけたのか、という話になる。ブルーガーデンだけが高みの見物を決め込めるわけだ。こういう展開は考えなかったのか?」
高官が口ごもる。それに関して絶対は言えない、というサインだった。
トンネルを抜け、コミューン中心街へとリニアが軸線に入っていく。少しずつ速度が緩まっているのが分かった。
「……ドクトル。あなたにだって分かっているはずだ。どこまで言えて、どこからが言えないのか、くらいは」
「確かに、不明人機に関してはワシからはノーコメントを貫いておこう。だが、忘れるな。事実は覆す事は出来ない。百五十年前も、今もそうだ。なかった事には出来ないのだ」
「それでも、国家はなかった事を装いますよ。最後の最後まで」
それが今際の際にならないとも限るまい。タチバナは鼻を鳴らし、コミューンの中心のターミナルにリニアが停車したのをアナウンスで聞き届ける。
「ワシの仕事は人機開発の助言のみ。そう捉えておるようだから言っておこう。人機について知るという事は人類が巻き起こした災禍についても知るという事。ワシの口からいつ出るとも限らない最悪の事実をどう揉み消す?」
「その時には、あなたは喋る事すら儘ならない」
既に手は打っているわけか。あながち馬鹿でもない。
「ワシは撃たれても公表するかも知れんぞ」
「世界はそれをよしとしません。ドクトル、背中には気をつける事です」
「見張っているのは世界規模の警察組織か」
反吐が出る。結局、保身に躍起になっているわけだ。
リニアの特別席から踏み出たタチバナを待っていたのは数名の新聞記者であった。耳聡い連中だ、とタチバナは面を伏せる。
「タチバナ博士、ですね。人機開発の第一人者の観点からモリビトの性能に関してお聞きしたのですが……」
「ブルブラッドキャリアはタチバナ博士と協力関係である、という噂も出ています。その真偽は……」
どれもデタラメの話ばかりであったがタチバナの足を止めたのは一人の記者の質問であった。
「百五十年前のポイントゼロに関しての質問、いいですか?」
その一言に報道陣が水を打ったように静まり返った。
タブーを口にしたのはくたびれたコートと帽子姿の記者である。どこをどう切り取っても三流記者、という印象の拭えない男であった。
口元には常に張り付いたような商売用の笑みがある。
「今、なんて……」
他の報道陣が息を呑む中、男だけが妙に通る声でタチバナに切り込む。
「百五十年前、ですよね? 人機開発のターニングポイントと呼ばれる時代がありました。それに関してのお話を聞きたいのですが、よろしいですか?」
男はにやにやと締まりのない笑みを浮かべたままタチバナに歩み寄ってくる。SPの一人が男を制そうとしてタチバナはすっと紙切れを差し出した。
SPに押される形で男は後ずさったものの、その手にはメモ用紙が握られている。
他の報道班がようやく調子を取り戻したようにがやがやと喚き出した。
「博士、モリビトの戦力は?」
「協力関係の噂は? どうなんです?」
どれも全て、真実から目を背けるためのゴシップばかりだ。だがあの男だけは真実に肉迫してきた。
その度胸だけは賞賛するべきだろう。
後は、あの男の運次第。
タチバナがリムジンに乗車したところで端末にメールメッセージが届いた。
『QS新報のユヤマです。一時間後に指定の場所でお待ちしております』
QS新報と言えば数年前に下らない三面記事をでっち上げた業界でも下の下という評価のメディアである。
その先鋒の男がどうして、あの場において大胆な発言を取る事が出来たのか。
「世界は、案外ワシが思っておるほど、つまらなくはないのかもな」
独りごちたタチバナは流れる景色を視野に入れていた。