ようやくだ。ようやく辿り着けた。
その感慨に桐哉は乾いた笑いを浮かべる。ここに来るまでに犠牲にしたもののあまりの多さに自嘲したのだ。
自分はこんな最後の最後になるまで、本当に大切なものに気づけなかった。
屋上で旗を振る一団の中にシーアとリーザを見つける。二人は分かったのだろうか。
《プライドトウジャ》を操っている自分に。伝わったはずだ。《プライドトウジャ》を操れるのはこの世界でただ一人なのだから。
拡大されたリーザが泣きじゃくりそうになっていた。シーアも目を戦慄かせている。驚かないで欲しい、というのはどだい無理な話か。自分はもう死んでいるも同義なのだから。
ステータスに警告が混じっている。全信号はレッドゾーンだ。血塊炉付近に多大なダメージを負っている。破損した装甲だけでも充分なほどに撤退警告が出ていたが、桐哉はそれらを全て無視した。
この身が尽き果ててもいい。自分の命を吸い上げられても構わない。その覚悟が《プライドトウジャ》に最後の機動を与えた。
ハイアルファー【ライフ・エラーズ】の効果か、身体は今までにないほどに好調である。昂った神経が守れるすぐ傍の距離にリーザがいる事を実感させた。
ようやく、帰ってこられた。
桐哉が手を伸ばそうとしたその時、照準警告が幾重にも鳴り響いた。
どこから、と身構える。
直上のモリビトが武器腕を突き出している。来るのならば来い、と《プライドトウジャ》にパイルバンカーを構えさせようとして現れたもう一機のトウジャがモリビトへと覆い被さった。
そのままもつれるように二機は墜落していく。
これでもう何の心配もない。基地は守られたのだ。自分の手によって、人々は安息を得たのだ。
ようやく誇れる。守り人の名前を、誰かに誇って言う事が出来る。
安堵に沈みかけた桐哉の意識を際立たせたのは再度の照準警告であった。またモリビトか、と構えた視線の先にいたのは他でもない。
自国の機体であるはずの《バーゴイル》であった。
《バーゴイル》部隊がプレスガンをこちらに構えているのである。何をしているのか、と桐哉は通信をアクティブにした。
「何を……、何をしているんだ! この基地は味方のものだぞ!」
『ならば退くんだな、不明人機。ブルブラッドキャリアの新たな手先か』
ブルブラッドキャリアの手先? どうしてそうなるのか一瞬脳裏で結びつかなかった。
だがすぐに理解される。この機体は照合データにはない。どの国の機体でもないのだ。この世界においてどの国家のものでもない機体はブルブラッドキャリアのものと認定される。
「待ってくれ、これには理由が……」
『黙れ! 人々を人質に取り、基地を占拠せしめんとするその愚行、正してくれる! 《バーゴイル》部隊、プレスガン一斉射、用意』
白い《バーゴイル》が手を掲げ、《バーゴイル》部隊に準備させる。桐哉は身も世もなく叫んでいた。
「俺はゾル国の桐哉・クサカベだ! この名前に聞き覚えがないわけがないだろう」
自分の名前さえ出せば事態は収束するはず。そう思い込んでいた桐哉へと冷たい声が差し込まれた。
『……英雄の名を騙るか、貶めるなよ、モリビト! 発射!』
白い《バーゴイル》の号令でプレスガンが発射される。桐哉は《プライドトウジャ》で守り通そうと彼らの前に立とうとした。
その時、血塊炉の循環器が完全に機能不全を起こす。
貧血状態だ。
ハイアルファーの赤い光が急速に凪いでいく。まさか、こんなところで。
「動け! 動けよ、《プライドトウジャ》!」
操縦桿を引いても《プライドトウジャ》は指一本を動かすのさえもギリギリであった。手を伸ばし、リーザを守ろうとする。
リーザもこちらへと手を伸ばしたのが拡大された映像の中に捉えられた。
直後、R兵装の加護を得た銃弾がリーザを、基地の人々を蒸発させる。
この世にいた証明を一つも残さず、プレスガンの弾痕が基地の屋上へと刻み込まれた。
白旗が翻り、硝煙の棚引く戦場で舞う。
桐哉は言葉を失っていた。
眼前で大切な人が死んだ。守り通す事も出来ずに。守ると、約束したのに。
桐哉の思考は白熱化し、次の瞬間、小さな花びらのように散り落ちた。
咆哮であった。
通信網を震わせたその絶叫にカイルは肩をびくつかせる。《バーゴイル》部隊の弾道は予測通り基地の人々の命を奪い去った事だろう。
仕方あるまい。あの基地の人々とてゾル国の人間だけであるとも限らないのだ。既にブルブラッドキャリアに洗脳されていた恐れもある。
洗脳を解くよりも安らかな死を、とカイルはコックピットの中で十字を切ろうとして、《バーゴイル》部隊の悲鳴が劈いた。
『大尉! 敵人機が――!』
激震が見舞う。《バーゴイルアルビノ》の機体が軋んだ。眼前に映り込んだのはX字の眼窩を赤くぎらつかせる獣であった。
パイルバンカーを片手にこちらへと肉薄した不明人機にカイルは雄々しく斬り返す。
「貴様らブルブラッドキャリアの、好きにはさせん!」
大剣の太刀筋が不明人機を断ち割ったかに思われたがその時には跳ね上がっていた不明人機の速度は明らかに現行の兵器とは異なっている。
直上でこちらを睥睨する敵にカイルは呼吸を整えた。
「やはりブルブラッドキャリアの手先であったか。怪しい奴、そこに直れ! このカイル・シーザーが! 直々に成敗して――」
剣を突き上げようとしてパイルバンカーが射出された。すぐ傍の地面を抉ったその衝撃波だけで《バーゴイルアルビノ》のコックピットが震える。
だが、それだけでは済まない。
敵人機は急速に接近し、蹴りを見舞ってきたのである。腹腔に受けた《バーゴイルアルビノ》がたたらを踏む。
その身へとさらに一撃、今度はパイルバンカーによる薙ぎ払いであった。
大剣で辛うじて受け止めたものの、どれも必殺の間合いである。
この人機には人の心がないのか。操主共々、悪鬼羅刹の類なのか。
カイルはその事実に奥歯を噛み締めた。
「貴様らのような悪辣な輩がいるから! 戦争が終わらないんだ!」
大剣の太刀筋が敵へと叩き込まれようとする。しかし、後退した相手には届かない。
カイルは果敢に攻め立てた。加速し敵の射程へと潜り込む。通常ならば下策であろうこの挙動はしかし、《バーゴイルアルビノ》のみ有効な策であった。
左手首に装備したフラッシュライトを明滅させる。これで敵の視界は削いだ。さらにこのフラッシュライトにはロックオンの解除作用もある。照準を失った相手へとカイルは命じた。
「《バーゴイル》部隊、一斉掃射、準備」
構えた《バーゴイル》部隊がプレスガンを不明人機に照準する。これで圧倒されるはずだ。カイルは手を振り下ろす。
「発射!」
だが、発射されたはずのプレスガンは一つも命中しなかった。そればかりか、射線を潜り抜けた敵の人機は《バーゴイル》部隊のうち一機へといつの間にか至近距離まで近づいていたのである。
《バーゴイルアルビノ》の関知を完全に無視した形であった。
「何を……!」
振り返った時にはパイルバンカーが《バーゴイル》の頭部へと突き刺さっていた。
脱力した部下の機体へと他の機体が照準を合わせようとする。不明人機が片腕からパイルバンカーを射出する。
もう一機が貫かれ、恐慌に駆られた残り二機がプレスガンを同時に発射する。
交差した弾道を不明人機は飛び越えていた。
瞬時に二機の間に割って入りその腕で《バーゴイル》の頭部を引っ掴む。万力のように食い込んだ腕と爪が《バーゴイル》の延髄を引き剥がしていた。
スパークの火花が散り、青い血が滴る。
まさか、とカイルは震撼する。
数秒の間に、四機編成のうち、三機が完全に破壊された。残る一機は最後の足掻きのようにプレスガンを無茶苦茶に撃ち込むも、それらは全て虚しく空を穿つのみ。
不明人機がまたしても空間を飛び越えたとしか思えない機動力で《バーゴイル》の射線へと入っていた。
わざと《バーゴイル》のプレスガンの真ん前に現れたようである。
『来るな、来るなァッ!』
プレスガンがその装甲を射抜く。それでも相手は止まらない。その腕がプレスガンの銃口を握りそのまま引き裂いた。
銃身を失ったプレスガンは最早無用の長物だ。近接戦闘に切り替える、という頭を持つ前に敵人機が《バーゴイル》の首筋を掻っ切った。
青い血が噴き出し、《バーゴイル》がよろめく。その腹腔へと敵のパイルバンカーが突き破った。
血塊炉を沈黙させた《バーゴイル》の頭部を敵の人機は足蹴にする。
「やめろ……やめるんだ!」
その声が響くのと敵がコックピットを踏み潰したのは同時。黒煙と青い血に塗れた《バーゴイル》を敵は見下ろしていた。
カイルは残されたこの身一つで何秒稼げるのか、大剣を構えさせつつ試算する。
どう足掻いても二分か、それ以下であろう。
全身からどっと汗が噴き出した。今まで感じた事のない恐怖に足が竦む。
敵の人機は観察すればするほどに満身創痍だ。血塊炉付近には穴が開いている上に、全身の関節部から青い血が噴き出ている。貧血か、それに近い状態であろう。
だが、敵からは撤退の二文字がまるで浮かんでこない。
腕をもいでも、足を千切ってもそれでも食らいついてくるビジョンが脳裏にちらちらと浮かんだ。
敵は本気だ。本気で殺しにかかっている。
幾度となく死線は潜り抜けたつもりであった。戦いにおける緊張も味わったはずだ。
だが、カイルは眼前の敵が今までとは一線を画している事を認めざるを得ない。
モリビトならばまだ分かっている。まだ前情報があった。この人機はしかし事前情報がまるでない新型。
《バーゴイルアルビノ》がどれほどに優秀な機体であろうともこの人機の前では歯が立たないのは明白。
「……いざ」
尋常に、と摺り足で近づきかけて接近警告が耳を劈いた。
もつれたように墜落したかに思われたモリビトともう一機の不明人機が急速にこちらへと接近してきたのだ。
細身の人機には弾痕がいくつも穿たれており、青い血が全身から滴っている。モリビトはそれに比してほとんど無傷であった。
モリビトの銃撃で不明人機が離脱する。その挙動の先が偶然にもこちらの戦闘の間合いであった。
降り立ったのは四肢が異常に長い機体だ。
細くしなやかな四肢で、まるで獣のように四つ足になってモリビトを睨み据える。
背筋から循環パイプが伸びておりそれらが四肢へと過剰なほどのブルブラッドを供給しているのが見て取れた。
四つ足の人機が視界の隅にこちらを捉える。
敵からしてみればモリビト以外の全てが些事なのか、トマホークを握り締めたその機体は暴風を浴びせかけた。
全身を回転させた一撃は強力であったが、同時にそれはカイルにある判断をさせるのには充分であった。
後退用の推進剤を全開にしてカイルは戦場から撤退していく。
敵の射程から完全に逃れてからカイルは自分が思っているよりもずっと憔悴しているのを感じた。
あの人機の殺気に中てられたのだ。
モリビトと二機の不明人機が争い合うあの場所は戦場などと形容するのは生ぬるい。
まさしく地獄の様相であった。
こちらの救助信号が届いたのか、《バーゴイル》数機がすぐさまカイルの機体へと取り付く。
「下へは降りるなよ……、あれは鬼共の饗宴だ。見るもおぞましい」
完全に敵の射程から逃れたと確信するまでの数分間、カイルはずっと身体の震えが止まらなかった。