やはり伯爵は上機嫌だった。
眼下には、一面黒に染まった地面が見える。
どういう状態なのか、透明な物を下に黒い紙を置いているかのように上に立つものを映し出している。
しかし、その光景が伯爵を喜ばせているのではない。方舟の完成が間近なこと、そしてこの惨状を見てやってくるであろう者のことを考えたからだ。
やってくる者の為に、捕獲用の仕掛けの起動もすぐにできるようにしてある。
あとは捕まえて、連れ帰るだけ。
「……惚れ惚れするねぇ。おっかないけど」
嬉しそうに笑っている伯爵を見て、ティキがいう。
彼にしてみれば、この惨状を生み出して這い蹲るエクソシストを見て笑っているようにしか見えなかった。つくづく味方で良かったと、そう思った瞬間だった。
「へっぷしっ♥! さぁ出てくるかナ♥ 出てくるかナ♥」
くしゃみをし、そう言いながら、眼下に目を凝らす。
倒れふすエクソシストなど見向きもしない。一人、光りの柱の根元にいたミランダには目を向けたが、それだけだった。彼女が特殊なイノセンスの使い手だとは知っていたし、最初に巨大アクマの攻撃を防いだ時間停止なのだろうとあたりをつけた。しかし、そんな能力をもつミランダの事をブックマンが守るよう針の加護が発動していたがなぜだろうか、しかもブックマンはポカンと口を開けて何かに驚いていた。
まぁ、いいでしょうと伯爵は捨て置く。
伯爵が用があるのは某狸だけなのだ。
しかし、そんな伯爵の視線釘付けにする存在があった。
「……おかしいですねェ♥ あのイノセンス♥」
それはリナリーのイノセンスだった。
船上での現象と同じで、あたかも瀕死のリナリーを守ろうとするかのように結晶化してリナリーを包み込んでいた。暖かな光りを放ちつつも、その中に人影が見える。それは伯爵側にしてみても今まで確認されたことのない現象だった。
それに見覚えのあったラビは、冷や汗を流し痛む体をたたき起こす。
同時に、離れたところにいたティエドール元帥から聴力のいいマリ、そして神田たちへと伝えられる。
「神田! リナリー・リーが危ない!」
それを聞いていたアレンもまた、そちらの方に視線を向ける。
そして空から降りてくる伯爵を視界にいれた瞬間、二人は走り出した。が、そこにティキが立ちふさがる。
「行かせないよ、彼女はもらってく」
「くそ、リナリー!!」
叫ぶが何の意味もなさない。
中から、意識を取り戻したらしいリナリーの声と、結晶と叩く音が聞こえるがリナリーは出てこない。着々と近づいている伯爵を見て、皆の表情が強張り焦りが生まれる。
たどり着いた伯爵は、両の手に再度小さな黒を作り出し、結晶へと近づいた。
ティエドール元帥であれ、この距離と状況では伯爵を止められない。止められるとすれば、音もなく、影もなく忍び寄っていた伯爵の待ち人たる狸のみ――――――
視界が黒にのまれてどれだけ時間が経ったのか、リナリーには分からない。
外にいる皆は無事なのだろうかと意識が朦朧とする中考えた。少しずつ浮上していく意識を感じつつ、開いた目で外を見つめる。
(なにも、ない……)
リナリーの視界に入ったのは何もない世界。
よく見れば、鏡面のような地面に倒れふす幾人かの姿が見えた。それは共にここまで旅してきた仲間の姿だった。かろうじて立っている仲間もいるが、ふらついていて限界が近いと分かる。
そんな中、割と平気な神田とアレンが立ち上がり、目を見開いたあと焦ったように向かってくる。
理由が分からないリナリーだが、僅かに嫌な気配を感じ取る。
もうすぐ二人が来る、と思いきやその道中に立ちふさがるノア。それは、以前アレンの心臓に穴を開けたあのノアだった。アレンの隣に神田がいるも、やはり心配になる。
その後、リナリーは気づく。
他人の心配をしている場合ではないほどの危機が、迫っていることに。
(っ!? な、なに? 視界が、暗く――――――っ!?)
気づけばリナリーは、知らない空間にいた。
実際は、伯爵の攻撃によるイメージでしかないがリナリーには分からない。
何処か、そう思い体を動かそうとするリナリーだが、辺りを這いずり回るような、それでいて、硬質の物がぶつかり合うような音に気がつく。見れば、いつ現れたかも分からない、大量の髑髏がはい寄ってきていた。
それも、唯の髑髏ではなかった。耳の様なものがあり、そして在るはずのない眼球が存在していた。
(い…………やぁ――――――)
止まることなく向かってくるソレは、ガパリと口を開けリナリーへと飛びつく。
それが一つ、二つ、と増えていき最終的には辺り一面がソレで埋まっていた。四肢に腹部まで噛み付かれ、そして最後に、ソレらをかき分けて醜悪な製造者の顔が現れる。
とぼけたあの顔ではなく、目も、ギョロリとむき出しになり、有り得ないほど鋭く尖る牙が向けられる。その醜悪さに、リナリーは恐怖を覚え涙する。止まらない、そして眼前に迫った製造者は口を開きリナリーへと――――――
「い、や……いやぁあああぁああ――――!!!」
――――――喰らい付けなかった。
正確には、喰らいつく前に気になるものでも見つかったのか停止した。
何が起きたのか、やはりリナリーには分からなかったが、視界にあるものが入った際理解した。
その視界に写ったものは、泥。
しかし、これもまた唯の泥じゃなかった。あの髑髏が純粋な殺意から来るものならば、この泥は、幾つもの思念が混じった不純物。後悔、妬み、嫉妬、殺意、狂喜、それぞれが混ざり合って出来た負の感情を内包した泥だった。その泥は瞬く間に髑髏を飲み込み、消えていく。ただ、それはどこか作り物のようにも見える。
それを確認した伯爵は、早いところ終わらせるとばかりにリナリーへと襲いかかった。伯爵もまた、異常とも言えるこの光景に警戒していたのだ。故に、早いところ目的を達する。
「――――――ッ!!??」
声にならない声。
誰にも届いてはくれないリナリーの叫び。
伯爵は顔を歪め――――――再度喰いつく事ができなかった。飛び退く伯爵は、リナリーの奥を見据える。
これで二度目。偶然ではなく何者かによって妨害されているのだから必然であると、両者が理解する。
その決定的な証拠としてリナリーの目の前。先ほど伯爵の顔があったところには赤黒い剣があった。この剣を、リナリーは知っていた。いつだか、この剣を見たことがある。
そして、聞こえた。
「本当は俺の役目じゃないんだけどな――――こんばんはだ、ぽっちゃり」
それは、久しく聞いていなかった仲間の声だった。
巻き戻しの街以降、会うことも言葉を交わすこともなく消えてしまった、仲間の声だった。
肩が抱き寄せられる感覚。実際に触れているわけではないのに、人の温度を感じた。
「今の俺は、結構マジなんだ。――――しゃべる暇なんていらない。お前を潰す」
そして、黒い世界は砕け散った。
アレンと神田、その他のエクソシスト全員が目を見張った。
その理由は、リナリーが伯爵に殺されたからではない。その伯爵を防いだ者に対してだ。そいつは唐突に姿を現し、次の瞬間、彼の手に握られていたのは一振りの剣。それを持ち伯爵の眼前へと突きつけた。同朋切りを成し魔剣の属性を得つつもこの世界では担い手のせいでさらに歪んだ神造兵器の剣だ。その歪み故に、本来魔剣として存在した剣の色には、黒ずんだ赤が加わっている。それはまるで、血の色。
それは嘗て、ロードの空間で振るわれたものと酷似しつつも、放たれている存在感が幾分か収束されていた。
「ふ、ふふふ、うふふふふふ♥! ついに、ついに会えましたネ♥ ……ラスロ・ディーユゥゥゥ♥!!」
伯爵の前に立ち、剣をもつエクソシスト。
絶賛行方不明だったラスロ・ディーユだった。
その表情は、何時になく真剣で伯爵に覇気を向ける。それは今までの彼には無かったものだ。アレン達は、現在のラスロから戦う気、つまるところやる気を感じ取った。アレンが目を擦っているが、その光景は変わらない。
そしてアレンは、ラスロのもつ剣に違和感を感じた。
「……? 確かあれは、ロードの時の……それにしては、存在感が――――――」
ない、そう言い切ろうとしたところ、神田が舌打ちし訂正をいれる。
「――――――鋭い。何時ものアホ面からは想像できねぇくらいにな」
アレンの感じた違和感。それは以前あの剣が放っていた存在感にだ。あの時の剣は、無闇矢鱈に全方向へと放出していたが今ではある一点に集中し敵を斬らんとしていた。
それはラスロに原因がある。
ちょうど彼が現場に到着していた時、色々と終盤に近づいていた。不味いと思ったラスロは直ぐ様近くにいたブックマンを捕獲しボソリを呟いてからミランダの方へと投げた。ミランダは時間停止で自身を守れるが、今回はどうなるかわからないからだ。
その後、リナリーの前に隠蔽状態で立ち剣を抜こう――――――としたところ後ろから眩い光と共に衝撃を受ける。倒れたラスロは無様に転がり黒に飲まれた。有り得ない。
そして一早く起きたラスロは煙が晴れる前に再度自分の姿を隠す。その状態であたりを見れば江戸はすっからかんだし、皆は倒れ伏しているし、ついでに言うと何かもうアレンがいるし。え、なんでいるの? と声に出そうとしたところ、ラスロは我に返りイノセンスに意識を集中させ、より一層隠蔽度を高めて姿を隠した。アレンがいるならば、プランの変更が必要と感じたための過剰隠蔽だった。
取り敢えず、自分を吹っ飛ばしたのがリナリーのイノセンスか別として、どうであろうとリナリーのところへと移動しておく。すると、ラスロの知っている原作通りに伯爵は降りてきた。さて、アレンはどうしたのかと見れば、ティキによって足止めを食らっている。であれば、ここは俺が殺るしかないと何時でも最終兵器を抜き出せるように準備していた。
そして時が来る。
伯爵が間抜けな顔でリナリーに食らいつこうとする瞬間、その殺意を『無毀なる湖光』の纏う魔剣の属性で押し流す。様々な負のエネルギーが放出されては殺意を飲み込んだが、ラスロは気にしない。もう今更だからだ。
だが、ここで問題が起きた。普段からイノセンスと深くシンクロしていないが為の双方の誤解により、まさかの現状態の『無毀なる湖光』完全開放状態だった。ラスロからすれば、守る人守って、隙あらば一撃と考え伯爵の前に踊りでたのだがイノセンスはそう取らなかった。残念な事にイノセンスの方は、ようやく戦う気になったのか!! 喜ばしい!! と、勝手に暴走。リナリーのように、高くもないシンクロ率をイノセンスの勘違いからくる好感度の上昇によって若干上げつつも強制的に開放した。
その結果、制御がきかず不完全だった過去の『無毀なる湖光』とは違い持ち主の意志に沿い敵である伯爵へと全ての敵意を向けていた。それがアレンの感じた違和感の正体である。
(なんでだぁぁぁぁっぁぁ!? なんでさして高くないシンクロ率で完全開放!? どうせ持ち主の意志に沿うんなら、力の方向より、基本方針に従って欲しかったッ!! 自身の武器に陥れられるとか有り得ない! どいつもこいつもイノセンスは馬鹿ばっかりか!!)
当のラスロ、内心で冷や汗。
前方に敵の親玉、自身の中に言うこと聞かない暴走兵器が一つ。詰んでいた。
思考が混乱し、冷静ではないラスロは、傍から見れば伯爵を睨んでいるようにしか見えない。確かに、眼前の敵への不満と敵意は本物だ。ただそこに、自身の武器への不満と文句と殺意が含まれている。伯爵への敵意には八つ当たりも含まれている状態だったりする。有り得ない。
(ぬぁぁぁぁ! 精神力がゴリゴリと削られる!! 強制完全開放とか、想像以上にやばいんですが!?)
イノセンスの能力を切り替えたい。
しかし、そんな力が今のラスロには残っていない。現在進行系でマイナス突っ切っている精神力では到底無理な話だった。止めようがなく、遠慮なく力が持っていかれる。これが、ラスロが完全開放した場合、他の能力が封印され続けると考えた理由でもある。要は、完全開放してしまうと常時精神力大幅消費の状態になり切り替え用のエネルギーが回ってこなくなる=『無毀なる湖光』(暴走)常時発動となる。
今のラスロはその状態だ。恐らく、このままだとヘタレ度が上がる。
まぁヘタレ度が上がるだけで済むのはラスロくらいのものだろうが。
「…………さっさと、終わらせて……帰る!」
自身でもそれを理解していたラスロは、目を爛々と輝かせ見つめてくる伯爵へと突貫する。
すると、いつも以上に思考は鈍いが、体だけは軽い事に気がつく。
(これが、ステータス補正か……だが、微妙だな?)
そんな疑問を覚えつつも、斬りかかる。
その一撃は今までのどの斬撃よりも早く、重い一撃となる。
当然、味方であるアレン達は呆然としてしまう。あの不良神父主席候補生の、ラスロ・ディーユがマジになっている、と。アレンはこんな戦いの中、ティムがいないことを悔やむ。撮影できない。
「いいですねェ♥ 相変わらあず素晴らしい、その憎悪に染まった目ワ♥」
「うる、せぇ! 大人しく斬られてろぽっちゃり!!」
ラスロはまた走りだし斬りかかる――振りをして地を蹴る。
急に止まったラスロについていけず、一人後ろに飛び宙に浮く。そのまま飛べばいいものの、伯爵は地に足をつけてしまった。その、着地硬直後をラスロは狙い打つ。
「ヒョ♥!?」
動けない伯爵は、驚愕の声を上げながらも剣を取り出しその一撃を受け流した。
しかし、今のラスロはそれだけでは止まらない。ステータス補正、微妙とは言え流石だった。
「取り敢えず、これで、一発!!」
流された『無毀なる湖光』を捨て、その強化された身体能力に頼り拳を振り抜いた。
それは避けられることなく、そのふくよかな体の中心に吸い込まれ吹き飛ばす。
思いの他ぼよんぼよん跳ねて止まらない伯爵を眺めつつ、拳を握り締めラスロは思う。
――――――俺は一体、何を殴ったのだろうと。
私怨をはらす一撃だったのにあの感触は、有り得ない。
そしてラスロは、自身を襲う倦怠感に身を任せ意識を落とした。
これから更新速度が落ちます(-_-;)
ようやくテストも終わり――と思ったら受験勉強ですぜ。
まだ早いまだ早いと思ってたら学校が土日に講習を開いてくれることに。
ええ、感謝しましたとも、感謝、しました、よ……。
まぁストックが二話くらいあるので放出するあいだにもう一話と書いていく予定です。
ではでは。