俺はあの日ふらふらと道を歩いていた。
学校から家までの帰り道だった。
歩いているような、歩いていないような、浮ついた感覚で家まで向かっていたのを覚えている。
俺はあの日失恋したんだ。
といってもフラれたわけじゃない。
気になってたあの子が、別の男と手をつないで歩いているのを見たんだ。
あの子、そんな様子今までなかったのに。彼氏なんていないと思っていた。
俺はあの子と話したことが殆どなかった。
でも見た感じではそんなそぶりはなかった。
ちくしょう。
なんでなんだ。
そんなことを頭の中でずっと呟いていた。
そんな状態で歩いていたから、轢かれたんだ。
赤信号に気づかなくて。
気づいたら、目の前いっぱいにトラックのフロントがあった。
目が覚める。
ベッドの上。
真っ白い部屋。
窓はない。
俺と、ベッドと、ドアが一つ。
手で額をぬぐう。
あくびをした。
だんだんと頭がはっきりしてくる。
何があったのか思い出してきた。
そうだ、俺はトラックに轢かれたんだ。
轢かれて、ここに運ばれたのか。ここは病院か。
その割には点滴がない。
そして気づいたが、不思議なことに体が痛くなかった。
腕は動く。包帯もされていない。
試しに上体を起こす。
問題ない。痛みもない。
起き上がり、床に足をつく。
どこも痛くない。普通に動く。
これはおかしい。
するとドアが開いた。
女性が一人、入ってくる。
きれいな女性だった。
どこか気になっていたあの子に似ている。
「目が覚めたのね、気分はどう?」
その声はあの子そっくりだった。
「ここはどこの病院なんですか」
「立って、歩ける?」
「俺はトラックに轢かれたんじゃ...」
「歩けるなら、ついてきて」
彼女は俺の質問に答えてくれない。
ただ、来いと言うだけ。
俺は立ち上がり、彼女に従った。
廊下を歩く。白く、長い廊下だった。
その廊下にはドアがなかった。
病室は他にはないのか?ここはどういう病院なんだ?
しばらく歩くとつきあたり、エレベーターがあった。
それに乗る。
彼女はボタンを押し、扉を閉じる。
下降する感覚。
沈黙に耐えられない俺は口を開く。
「あの...」
「あなたは死んだの」
彼女が扉を向いたまま唐突に言った。
「え?」
「死んだのよ」
「死んだって...でも、俺はここでこうして...」
「そうね、あなたにとっては、ここは死後の世界のようなものね」
「死後?まさか」
「あなたはトラックに轢かれた。それは覚えてるでしょう?」
「はい...」
「あんなに勢いよく轢かれちゃあまず助からないわ。即死よ。赤信号をふらふらと飛び出されたら運転手だってブレーキを踏む暇すらないものね。好きな子のことで頭がいっぱいだったにしても、もう少し気を付けないとダメよ?」
ドキン、と心臓が高鳴る。
なんで知ってるんだ?
「なんのことです...」
「あなたのことはちゃんと知ってるの。いいのよ、ごまかさなくても。失恋ってつらいものね」
そういって彼女は哀れみのように笑った。
でも俺は、恥ずかしいとか、情けないなんていう気持ちは起きなかった。
この女はなぜこんなことを知っている?
何者なんだ。
おれは恐る恐る聞く。
「あなた、なんなんです」
「私はあなたの補佐」
「補佐?」
「話すと長くなるから、直接見て理解してもらおうと思ってるの。すぐにわかるわ。だからエレベーターが着くまで待って」
そして彼女は俺のほうに向きなおり、俺をまっすぐに見てこう続けた。
「でもね、これだけは言っておくわ。あなたは特別なの。何万人もの中から選ばれた人間なの。信じられないでしょうけどね。でも、これは本当よ。自分で気づいてないでしょうけど、あなた、天才なのよ。だから自信をもって」
「天才?一体なんの...」
エレベーターが止まる。
「いい?これから見るのは夢でも何でもないわ。現実のことよ」
扉が開く。
そこに見えたのは、先ほどの白い病室や廊下とはまったく違う光景だった。
パイプ、鉄骨。工場のような、整備場のような場所だった。
そして、目の前に、ロボットが佇んでいた。
俺は驚いた。
大きい。
高さは5メートルほどだろうか。
彼女はそれを指さす。
「あなたはアレに乗るのよ」
「なんです、アレ...」
「あなたの、AC」
「えー...しー...」
俺は狭いコクピットに収まっていた。
機体はヘリコプターに吊るされている。
作戦領域へ輸送中だった。
あれから5回目の出撃だった。
最初は戸惑った操縦も、数回動かすとすっかり慣れ切った。
このコントロールスティックは手に馴染んでいる。
フットペダルも、モニターも、全て見慣れたもののように感じる。
まるで生まれた時から知っていたみたいに。
彼女は俺が天才だと言った。
それが、なんとなくわかる。
本当に俺は天才なんだと、ほのかに信じられるようになる。
「到着よ、AC切り離し用意」
ヘッドセットに彼女の声。
外を見る。
旧都市部。今は廃墟になったビル群だった。
「了解」
ガコン、という衝撃。
機体が空中のヘリから投下される。
敵は戦車とガードメカの混成部隊。
ちょうど真下にいた。
敵機から迎撃。
ブースターを吹かし、機体を左右に振る。相手のFCSをかき乱す。
機体の横を銃弾がいくつも通り過ぎて行くのを横目に見ながら、両手のライフルを定め、こちらも撃つ。
回避と攻撃を同時にやる。
かわし、撃ち、次の目標を狙う。
それで、地上に降りる頃には敵は半分以下になっていた。
「まだいるわ。残りも片づけて」
彼女から指示が入る。
俺は了解と言って、リコンドローンを飛ばし、索敵。
敵を発見。
ブースターでジャンプし、ビルの壁を蹴って三角飛びの要領で接敵。
二機のガードメカだった。
敵の正面に飛び出し、そのまま敵機の頭上を飛び越える。
着地と同時に180度ターン、両手に持ったライフルで弾を浴びせる。
敵機が二機とも爆発。沈黙した。
残った敵はあと一機だった。
リコンから位置を特定、スキャンする。
狙撃型だった。
俺は、少し楽しむかと思いつつ、敵機の射線に出る。
途端に赤いガイドレーザーが自機を捉える。
敵の発射タイミングを見切り、ブースターで横にスライド。
敵機の放った弾丸が横をすり抜ける。
そのまま敵に向かってグライドブーストで突進。
そして敵機の次弾装填を見計らい、かわし、一気に敵の懐に飛び込む。
その勢いで敵機を蹴る。
ガキャン!という音とともに、敵機は沈黙した。
敵、全滅。
被弾なし。
「敵機全滅を確認。こちらの損傷はなし。たった5回でここまでの戦果を出せるなんて、さすがね」
彼女のうれしそうな声がヘッドセットに入る。
今まで感じたことのないような高揚感が俺を包んでいた。
俺は、ここまでやれるんだ。
そうさ、俺は、特別なんだ。
10回目の出撃だった。
相手は小規模部隊との事だった。
数は少ないし、楽勝だ。
彼女はそう言った。
いつもどおりの出撃。
いつもどおり、ACを投下し、敵機をせん滅する。
それだけ。
もう慣れ切った。
もう造作もないことだった。
俺は、特別なんだから。
最後の一機を撃破。
その時、大きな不快音と共に機体を大きく揺さぶられた。
その音は、ドジュウというような何かが蒸発する音でもあり、ドンという爆発音でもあったように聞こえた。
そして、自機左腕が無くなっていることに気づく。
被弾し、吹っ飛ばされたらしい。
俺は驚き、周囲を見る。
誰もいない。
どこだ。
目を見開き、モニタを凝視する。
でもどこにもいない。
くそ、どこだ。
悪態をつきながら見まわしていると、モニタの左端に青い光の塊が見えた。
そこか、と思い右腕のライフルを構えた瞬間、そのライフルが爆発した。
ライフルが溶けている。
レーザーライフルによる攻撃だった。
敵機をようやく視認する。
ACだ。
溶かされたライフルを捨て、右ハンガーのレーザーブレードを取る。
俺は特別だ。こいつでやってやる。
機体を突進させる。
しかし敵は無情だった。
わざわざ相手の戦法に付き合う間抜けはいない。
敵は全速で後ろに下がりながら、肩部のハイスピードミサイルをこちらに向けて放つ。
それはギリギリのところでかわした。
でも相手が一枚上手だった。
かわしたところに、レーザーライフルを叩きこまれた。
俺はそれに反応できず、右脚部に被弾。機体の右足がもげる。
その衝撃で機体が倒れ、ごろごろと転がり、仰向けになった状態で止まった。
足をやられた。
機体が立ち上がれない。
なんてこった。この俺がこんなにやられるなんて。
だが、しかたない。
いつか復讐してやる。
そう思い、脱出するためハッチロックを解除しようとしたところで、俺は息を呑んだ。
目の前に奴がいた。
正確には、俺の機体を踏みつけて、見下ろしている。
やばい。
やられる。
とっさに右腕のブレードで切り付けることを思いついたが、だめだった。
奴は左足で右腕を踏んで抑えている。
動かない。
奴が右腕の武器をハンガーのものとチェンジした。
それがなんだか一目でわかった。
ヒートパイルだ。
そして、それを俺がいるコクピットに向ける。
あれで俺は機体ごと貫かれるのか。
恐怖がこみ上げる。
嘘だ。
こんなの嘘だ。
俺がやられるはずがない。
俺は、特別だって―――
「おかえりなさい」
女が言った。
整備場だった。
たった今帰ってきたばかりの機体。
右腕と、そこに装備したヒートパイルには、敵機のオイルが返り血のようについている。
機体ハッチを開け、男が一人降りてくる。
「AC撃破おめでとう。本当にすごいわ。私の見込んだ通り」
男はありがとうと言って、微笑む。
女は言う。
「あなたは、特別なんだから」