ソードアート・オンライン・クロニクル もう一人の黒の剣士の物語 作:場流丹星児
「お集まりの皆様、遂に我々はここまでたどり着きました」
野戦指揮所といった趣のテントの中で、凛とした声を響かせているのは、第五十層攻略会議を主導する血盟騎士団副団長、攻略の鬼アスナである。集まった攻略組の面々は、ギルドの違いが有れど、皆一様に感慨深い表情で彼女の言葉に頷いている。ベータ版での攻略実績から半ば絶望感からの出発となった攻略も、ようやく半分の折り返し地点にたどり着いたのだ。ここまで長かった、あるいは短かった、個人個人に思いの差は有れど、それでもここまでやって来たのだという達成感は共通していた。壇上から参加者のその様子を確かめたアスナは、再び言葉を続ける。
「しかし、これで満足してはいけません。今後の攻略を磐石とする為にも、今回の攻略は今まで以上に万全を期す必要があります」
アスナが言葉を切って見回すと、会議に参加する攻略組メンバーは、皆一様に緊張感を滾らせて彼女を見返す。
「その為に今回は、強力な助っ人に来てもらいました」
そう言ってアスナは配下の団員に目配せすると、彼は頷いてテントの外に出ると、一人の黒ずくめのプレイヤーを先導して戻って来た。アスナは団員に一言「ご苦労様、下がって」と声をかけた、そして黒ずくめのプレイヤーに一瞬柔らかい表情を向けるが、直ぐにそれを改める。
「ヒョウ君、お願いね」
ヒョウはその言葉に、ただ笑顔で答えるのみだった。
そして翌日のボス戦、ヒョウはアスナの期待に応える様に、レイドの先頭を雄叫びをあげて駆け抜けて行った。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「経緯は大体分かったわ。で、その上でもう一回聞きたいんだけど、アタシにこれで何を打てと?」
眉間に皺を寄せて、リズベットは一端言葉を区切った。
ここは四層の個人所有の島の保育園に併設された、鍛治職人専用の訓練工房である。
リズベットは四十八層主街区に見つけた店舗物件を手に入れる為、ここしばらく大車輪でハンマーを奮っていた。昼間は主だった狩場の有る階層の主街区で露店を開き、狩りを終えたプレイヤーの武器メンテナンスに励み、夜は受注を受けた武器を製作する為に訓練工房に籠る毎日が続いている。受注を仕上げる為に、泊まり込みが続くのも半ば常態化しており、夜遅く迄ハンマーを奮っていたリズベットが、仮眠明けで露店営業に出掛けようとした所を、この島の名目上の持ち主に呼び止められ、人目を憚る様に回れ右をさせられて訓練工房に連れ込まれていた。真剣な眼差しの彼に、心浮きかけたリズベットだったが、開口一番発せられた男の言葉に、その心は木っ端微塵に爆砕された上に、名状し難い不快感を伴う疑問を抱かされて今に至る。
「だから、包丁なんだけど」
何か不味いことでも言ったかなと、首を傾げながら答える男の天然ぶりに、ここ暫くの激務にやや気の立っていたリズベットの、精神の安全弁が吹き飛んだ。
「ちょっとアンタ! 今、自分が何言ってんのか分かっているの!? 言うに事欠いて武器屋のアタシに包丁を打てって、いくら材料持ち込みって言ってもそんなの無いでしょう!? それもその材料が、五十層ボス戦のラストアタックボーナスで出たヒヒイロカネですって!? それを言うに事欠いて包丁!? 打つんなら普通刀でしょう! カ・タ・ナ! ヒョウ! アンタ何考えてるの!? アタシを馬鹿にしてるの!? 返事によってはタダじゃおかないわよ!!」
「シッ! 声がデカいって、リズ」
武具鍛治師としての誇りを傷つけられて憤慨するリズベットをなだめ、横目で外を窺うヒョウの視線の先には、保育園運動場にて、孤児達と一緒にラジオ体操に励むこの島の実質的な持ち主、ツウの姿が有った。
「もうすぐコヅ姉の誕生日なんだ、そのプレゼントに包丁を贈ろうと思って。俺の知る限り、リズ以上の鍛治職人は居ないんだ。頼むよ、この通り」
平身低頭で手を合わせるヒョウに、毒気を抜かれたリズベットの怒気は雲散霧消し、代わりにただ甘いだけの、出来の悪いケーキを無理矢理大量に食べさせられた様な胃のもたれを感じた。
「あーあーハイハイ御馳走様ー。分かった分かった分かりましたー、誠心誠意打たせて頂きますー」
死んだ魚の目をしたリズベットが、抑揚の無い投げ遣りな口調で快諾すると、ヒョウは喜色満面のガッツポーズで喜びを表す。
「やった! 有り難う、リズ! これでコヅ姉に最高のバースデープレゼントが贈れる」
ヒョウの喜ぶ様を見て、リズベットはこの二人には付け入る隙が無いことを、しみじみと再確認した。
あーあ、やっぱりダメね、お邪魔虫はもうおしまい。それにしてもツウって早生れなんだ、学年は私と一緒でも、年は私の方が上なんだ。よーし、決めた、これからはお姉さんとして、二人の仲を見守りましょう、うん、そうね、それが良いわ……
そんな決心を固めたリズベットだったが、自分の内心を察そうとしないヒョウの一言で悪魔の顔が頭をもたげる。
「リズ、コヅ姉には内緒にして欲しいんだ、びっくりさせたいから」
「ええ、良いわよ。ただし、高くつくけどね」
「え"~っ」
意趣返しが成功したリズベットは、この日を境に一層仕事に打ち込み、驚異的なスピードで目標金額の三百万コルをかき集める事に成功する。その内訳の中には、無期限無利子の、ヒョウによる融資が含まれているのは、言うまでもない。
そんなこんなでツウの誕生日がやって来て、園を挙げての盛大な誕生日パーティーが開催される。そのフィナーレにヒョウからの誕生日プレゼントとしてSレアアイテムの包丁『若奥様の相棒』を贈られたツウは、天にも上る様な想いでそれを受け取った。
「アインクラッドに来てから、一番嬉しい贈り物。タケちゃん、有り難う」
と言ってツウは、その次の日から包丁を眺めてはニヘラっと締まりの無い笑顔を浮かべていた。そして上機嫌でキッチンに立つツウの料理スキルの上昇速度は、後半に来て鈍る筈なのだが更に研きがかかる事となる。その恩恵はヒョウ及び園の子供達のみに留まらず、子供達の親達、ヒョウの顧客にまで及び、園の知名度を上げヒョウの顧客にもリピーター客が増えていく。更にはその口コミでヒョウの万護衛請け負い業には、ツウの夕食付きコースが設定され、一ヶ月以上の予約待ちが出る人気コースに成長する。これにより保育園開園時に危ぶまれていた資金面の懸念も、完全に払拭される事となった。
ツウに胃袋を掴まれたのは彼等だけではない、攻略を離れているにも関わらず、その強さに些かの陰りも見えないヒョウに対し、友好的な関係を維持しておこうと考える攻略ギルドの面々も含まれていた。個人的な友人である、クライン率いる風林火山のメンバーは言うに及ばず、未だヒョウの加入を望むヒースクリフ率いる血盟騎士団のメンバーにも、じわじわとツウに胃袋を征された人間が増えつつある。
「おおっ、流石はツウさん、料理は絶品ですなぁ! わははははは」
「あら、ゴドフリーさんったら。皆さんも沢山召し上がって下さいね」
「「はい!」」
ゴドフリーは初め、ヒースクリフがヒョウの入団に執着するのに反対していた。リアルでは無名中学校の弱小軟式野球部の監督を勤めていたゴドフリーは、五十層攻略時ヒョウに助っ人の依頼をするのにも、それよりは若手団員にチャンスを与えるべきだと主張して、最後の最後まで反対していたのだ。そして若手がヒョウに弾かれてチャンスを失うよりはと言って自らがボス戦から外れていた。
ヒョウはボス戦参加の条件に、キバオウ一派からの島の護衛を依頼しており、その役目も「部下が嫌な思いをするなら」と、ゴドフリー自ら赴いてその任についていたが、そこで彼は宗旨替えをする事となる。
園の子供達とふれあい、ヒョウとツウの想いに直に触れたゴドフリーは、己れの不明を恥じて悔い改める。そしてヒョウとツウが、リアルに残して来た自分の子供や生徒と同年代と知ると、その想いはさらに強化されて行く。
護衛のお礼に授与された子供達手製の勲章と、料理スキルカンスト間近のツウの手料理に胃袋を鷲掴みにされて、ゴドフリーは陥落した。
ゴドフリーは二人に対して血盟騎士団は全面的に協力する事を約束し、自ら連絡員として足しげく保育園に通い今に至る。血盟騎士団の重鎮たるゴドフリーは、その立場上、公務で単独行動をする事は許されない。必ず護衛の従者を連れて行動しなければならない決まりが血盟騎士団には有った。と、言うことは、ゴドフリーが園を訪れる時は、必ず従者も一緒に訪れると言うことであり、それ即ち彼等もツウの振る舞う食事を口にするという事である。結果として必然的に、従者達もツウに胃袋を捕まれる事となる。ゴドフリーの従者は平団員の人気職となっていた。そして島の護衛はボス戦参加よりも倍率の高い、隠れた人気任務となる。
「いやぁ、どうもどうも、しかしツウさん、一段と腕を上げた様ですなぁ」
「いやーん、分かります? 実はですねぇ、私の誕生日に、ウチの人が包丁を贈ってくれたんですよ」
「ほう、それならば納得ですなぁ」
「えへへへへへ」
「わははははは」
こうしてゴドフリー始めとする血盟騎士団のメンバー達に、ツウが必殺のストマッククローを決めて華麗にギブアップを奪った事で、ヒョウはある程度安心して行動の自由を得ることができた。そのお陰でレベリングは元より、萬護衛請け負い業も滞りなくこなせる様になっていった。
「では、明日は我々に任せて、充分楽しんで来て下さい」
「はい、有り難うございます」
胸を叩くゴドフリーに、ツウは頭を下げると、一緒に昼食をとっている子供達に声をかける。
「ほら、みんなもちゃんとお礼を言うのよ」
「はーい。ゴドフリーのおじさん、どうも有り難う」
ツウに促された子供達は、声を揃えてゴドフリーにお礼を言う。ゴドフリーは子供達の満面の笑顔を受け、発端はどうあれ、この縁を結べた事に感謝し、最強ギルドに参加する意味と覚悟を再確認していた。そんなゴドフリーの宗旨替えがもたらした恩恵は、ヒョウの行動の自由の確保のみにとどまらない、無論ゴドフリーの好意に甘える事となるが、園を留守に出来る下地が完成した事でツウはかねてより望んでいた行動を実行に移す。
「遠足ですか、懐かしいですなぁ」
「はい」
微笑んで見渡す二人の前には、翌日の遠足を楽しみにはしゃぐ子供達の姿が有った。翌日、約束通り早朝に部下と一緒に島にやって来て、ツウ達保育園の一行が遠足に出かけるのを見送ったゴドフリーに、訓練工房を利用する為に島に訪れたリズベットが聞く。
「あれ、ツウ達どこに行ったんです?」
「子供達を遠足に連れて行くそうですよ」
「遠足? 今日だっけ?」
「ええ、なんでも二十二層だそうで」
「キーッ、アタシも今こんなんじゃなかったら、一緒に行ってバカンス出来たのに、悔しー!!」
「仕方ありませんな、わははははは」
ヒョウの漕ぐゴンドラ船を見送るゴドフリーとリズベットの背後で、不気味な笑みを浮かべて工房へ消えていく職人見習いの存在に気が付いた者は、誰一人いなかった。
「いよう、ヒョウっち」
二十二層で子供達を引率するヒョウとツウを待っていたのは、クライン率いる風林火山のメンバーである。彼等もヒョウの手伝いをする様に、ツウの依頼を受けていた。子供達の護衛及び希望者のレベリング支援をするのが、彼等の目的だ。クライン始め風林火山のメンバーは、この依頼を快く引き受けていた、これはツウ手製の弁当にありつける事が理由の一つではあるが、純粋に子供達とふれあいをしたかったのも本音である。彼等も殺伐とした攻略を忘れる癒しを求めていたのだ。
「今日はどうもです、クライン」
「良いって事よ、ヒョウ。俺達の仲じゃねえか、なぁ、みんな」
会釈をするヒョウに肩を組み、手荒く頭を撫でながらクラインがそう言うと、気の良い笑顔で風林火山のメンバーは頷く。
「もう、目上の人を呼び捨てにするなんて。失礼よ、タケちゃん」
攻略組の信頼できるバディとして気安い口調でヒョウと言葉を交わすクライン、そして風林火山のメンバーが、背後からの咎める声に振り返り、その声の主を目にして息を飲んだ。
ここ二十二層は通称『保養層』と言い、三つのリゾートから成り立っている。その構成は後にキリトとアスナが家を構えた湖畔と森林の別荘地を中心に、ウエスタンエリアという牧畜リゾートと、ビーチエリアというマリンスポーツリゾートが存在する。
ツウが遠足に選んだのは、この内のビーチエリアであり、ヒョウは言うに及ばずクライン達風林火山のメンバーも、皆海パン一丁の出で立ちだ。と言うことは当然ツウも水着であり、それも白地に赤の縁取りのトップスと、可愛らしい赤のフリルのアンダーのビキニである。アインクラッドに囚われて、一年あまり禁欲生活を余儀なくされたクライン達に、彼女の姿は些かと言うには余りある程に刺激的過ぎた。
「今日は本当にありがとうございますクラインさん、風林火山の皆さん」
「い、いえっ、こここここちらこそ、今日はごっ、ごっ、ごっ、御招待いただきまして、まこっ、まこっ、誠に……」
「クライン、まずは落ち着く」
大勢の園の子供達を引き連れてやって来たツウの艶姿に度肝を抜かれ、しどろもどろの噛み噛みで挨拶を返すクラインに、呆れた表情でツッコミを入れるヒョウに、ツウは再び眉をひそめる。
「タケちゃん!」
「ああ、いえ、怒らんで下さい、おツウさん」
語気の強まったツウに、慌ててクラインは口を挟む。
「これは俺がヒョウに頼んでそうして貰ってるんです、気にせんで下さい」
「本当ですか?」
なおも疑わしげに、ツウは風林火山のメンバー達を見回して確認をすると、彼等は大きく何度も頷いて肯定する。少しわざとらしく感じる程に大袈裟な挙動に半信半疑では有るが納得したツウは表情を柔らかく改め、クライン達に向かい深く頭を下げた。
「園の遠足に協力して頂き、本当に有り難うございます。美味しいお弁当も用意してきました、今日は一日、どうぞよろしくお願いします」
「ああっ、そんな、頭を上げて下さい、おツウさん。こんな事で良かったら、何時でも遠慮無く声をかけて下さい」
鼻の下を思い切り伸ばし、締まらない笑顔で応えるクラインを指差し、一人の男の子が冷やかす様に声を上げる。
「あーっ、クラインのおじさん、エッチな顔してる」
それを合図にしたように、子供達はクラインに向かって「エッチ! エッチ!」と囃し立てる、そんな子供達に向かい、ツウは「コラーっ、失礼な事言うんじゃありませーん」と制止するが、子供達は尚も声を高らかに囃し立てた。
「ぐぬぬぬぬ……」
子供達のエッチコールに拳を握り締め、顔を真っ赤にして肩を震わせるクラインが一喝する。
「お前らぁ、俺はおじさんじゃねえ!」
「わぁっ、逃げろぉ~」
蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した子供達を追いかけ、クラインが手近にいた男の子二人を軽々と肩に担ぎ上げた。すると、それを見て羨んだ子供達がクラインに群がり、僕も私もとせがみ始める。我慢出来なくなった子供達は次々とクラインに飛び付きしがみつき、よじ登る、そして……
「おい、待てチビ共、いっぺんには無理だって、おわっ!」
バランスを崩してよろけたクラインは、砂浜に仰向けに倒れてしまう。
「こら、みんな、いい加減にしなさい」
慌てて駆け寄り子供達を嗜めるツウに、上体を起こしてクラインは茶目っ気たっぷりの、楽しそうな笑顔を向ける。
「良いって事よ、おツウさん、こんな所に閉じ込められちまったんだ、たまにはチビ達にも羽目を外させてやらないと」
「クラインさん……、有り難うございます」
「頭を上げて下さい、おツウさん。礼ならこっちが言いたいくらいだ。今日は声をかけてくれて、本当に有り難う」
一瞬だけ真面目な瞳でツウに頭を下げたクラインは、子供達に向き直ると相好を崩す。
「おう、チビ共、今日は一日思いっきり遊ぶぞ! 覚悟は良いか!?」
「おー!!」
クラインの掛け声に、元気よく応える子供達。
「腕白共はオイラに任せて、おツウさんも楽しんで下さい。じゃあ」
そう言い残すとクラインは、子供達の中に入り遊び始めた。その姿を眩しそうに見つめたツウは、残った子供達に笑顔を向ける。
「じゃあみんなは何して遊ぼうか?」
「砂遊び」
「貝殻集め」
「よぉし、じゃあお城を作って、貝殻で飾り付けましょう。お姉ちゃん、頑張っちゃうぞー」
こうして楽しい遠足が始まった、子供達も引率する大人も、それぞれが思い思いの方法で、心行くまで羽根を伸ばしてリゾートを満喫していた。そして時は中天を過ぎ、お楽しみのお弁当に舌鼓を打った後である、あるグループは砂遊びに興じ、あるグループは風林火山メンバーのサポートを受け、低レベルの水棲モンスターを相手にれべリングをしたりして、帰るまでの一時を名残を惜しむ様に楽しんでいた。そんな中、ヒョウとクラインはビーチパラソルの下で、子供達が遠足を楽しむ姿を眺めている。二十二層はリゾート地とはいえ、別荘地を除いては行楽地も基本的にモンスターのポップする圏外の為、ヒョウは引率責任者として最初から遊ぶのを抑えて、周囲の安全に気を配っていた。そんなヒョウにも遠足を楽しませようと、クラインは交代するつもりで隣に腰を下ろしたのだが、半分は子供達の底抜けのエネルギーにたじたじとなり、ギブアップして逃げ込んだというのも本音である。
「なぁ、ヒョウっち」
ストレージからエールを取り出し、一口つけてからしみじみとした口調でクラインはヒョウに話しかけた。
「本当に良い眺めじゃねえか、これがデスゲームじゃなけりゃあよ」
輝く太陽に照らされてキラキラと輝く水面は、VRのデータとは思えない程にリアルで、心地よい海風に運ばれて鼻腔をくすぐる潮風は、その場に居る者全てに安らぎを与えている。浜辺で子供達と戯れるツウの姿を眺めてヒョウは、故郷の海を思い出していた。
「ええ、そうですね」
「こぉら、ヒョウ、敬語は禁止だっつったろ。本当に固いんだからよ、オメエは」
相槌を打つヒョウに、クラインは軽く眉を吊り上げるが、直ぐにため息まじりの笑顔でエールに口をつける。
「まぁ、それがオメエの良いところでもあるんだけどよ」
もう一口エールを口に含み、ぐびりと飲み干したあとで、クラインは誰に話すでもなく独白を始める。
「本当に良い眺めだ、それなのに、何で茅場の野郎はこれで満足しなかったんだ? これで充分じゃねえか、これで……」
クラインの言葉に同感のヒョウが、同意の言葉を口にしようとした時に異変が起こった。ツウと子供達が輪になって、ビーチボールのラリーをして遊んでいたが、何回目かにラリーされたボールが大きく輪をそれて、ビーチに落ちて転がって行く。転々と砂上を転がるビーチボールを追って、走り出すジャスミン。ビーチボールはやがて勢いを殺し、それを見てジャスミンの顔が明るくなる。もう少しとビーチボールに飛びついたジャスミンは、頭に衝撃を受け尻餅をついてしまう。彼女の目の前にには、武骨なロングブーツを履いた六本の足が有った。ボールを追うのに夢中になって、ジャスミンは人の存在に気がついていなかったのだ。ごめんなさいと一言謝ろうと、顔を上げたジャスミンは思わず息を飲んだ。ジャスミンの目に映ったのは、フードを目深に被ったボロボロのポンチョに身を包んだ、不気味な三人組の姿である。真ん中の男の目がフードの奥で怪しく光り、一歩踏み出そうとした。その光景を見たヒョウは、三人組のカーソルを見て目を見開く!!
「すまない、連れが迷惑かけた様だ、許してくれ」
真ん中の男の足が踏みとどまる。フードの奥から覗く男の目の前にいたのは、ジャスミンを庇う様に間に入った完全武装のヒョウだった。暫し睨み合うヒョウとポンチョの男。
「おい、ヒョウ! 大丈夫か!!」
押っ取り刀で駆けつけたクラインがタイミングになったのか、ポンチョの男が不敵な笑みをニヤリと浮かべる。
「そう尖るなよ、別に害意が有った訳じゃねえ。助け起こそうとしただけだよ」
「そうか、すまない、誤解していた様だ」
緊張を解かないヒョウを、値踏みする様な目付きで一瞥して、ポンチョの男が踵を返す。
「じゃあ俺達はおいとまするぜ、せいぜい遠足を楽しむんだな、祝屋猛」
「サーキーが宜しく言ってたぜ、アーバヨ」
「何っ!?」
三人組の捨て台詞の様な言葉に身を乗り出しかけたヒョウだが、次の瞬間背後から子供達の悲鳴が聞こえた。思わず振り返るヒョウとクラインが見たものは、ハイレベルの水棲モンスターに襲われる子供達の姿だった。
「っく!」
「チィッ!」
二人は風林火山のメンバーと共に、瞬く間にモンスターを倒していく。しかし……
「きゃぁあああーっ」
絹を裂く様な悲鳴にヒョウが目を向けると、そこには怯えて悲鳴をあげて震える女の子達を庇う様に、気丈に身構えるツウの姿が有った。
「コヅ姉!!」
ヒョウが視界の片隅に捉えたモンスターは、鋭い銛の様な鼻先を持つ魚型のモンスター、ニードルシジャーが十数匹である。それが物凄い勢いで、空中を飛んで向かっていた。レベル的にはツウのHPを刈り取る事は出来ないが、この数では後ろの子供達が危ない。
間に合え!!
ヒョウは刀を伸ばして飛び込むが、数匹落とした程度でニードルシジャーの群れは依然ツウと子供達に向かっている。
怖い怖い怖い怖い怖い!!
ツウは自分達に向かって飛んでくる、ニードルシジャーの群れを恐怖の目で見つめていた。怖い、逃げたい、でも子供達が!! 怖くても、私が盾になって守らなきゃ!!
そう覚悟を決めたツウだったが、迫り来るニードルシジャーの数が尋常ではない、とても自分一人で受け止めきれる数ではない。どうしよう? どうしよう!?
子供達を守ろうと、必死に考えるツウの頭が土壇場で閃いた。
あれはお魚! あれはお魚! モンスターじゃない! たかがお魚、たかがお魚。そうだ!! タケちゃんこのごろお肉に偏っているから、お魚もちゃんと食べさせなきゃ! 焼き魚煮付け天ぷらフライ、フリッターにムニエル、何が良いかしら? 獲れたてはやっぱり新鮮なお刺身!! これはお料理、戦闘じゃなーい!!
無装備で身構えていたツウの右手に武器が装備された。が、それはヒョウの地獄のレベリングで無理矢理カンスト迄に鍛え上げられた短剣ではない。つい先日、誕生日のプレゼントに贈られた包丁、若奥様の相棒だった。目を疑ったヒョウだが、彼の疑念とは裏腹に、ツウが手にした包丁から、ソードスキルの輝きが煌めく。
「えーい! 三枚おろーし!!」
掛け声と共に包丁を振るうツウの周りで、次々とポリゴンの欠片に爆ぜ消えていくニードルシジャー。やがて全て倒し尽くし、気が抜けてビーチにへたり込むツウに、子供達がしがみつく。
「あわあわあわ……」
「コヅ姉!」
「お姉ちゃん!」
「おツウさん!」
目を回しているツウに、ヒョウや他の子供達、そして風林火山のメンバーが駆け寄った。
「コヅ姉、大丈夫!?」
「タケちゃーん、腰が抜けちゃったー」
「よしよし、もう大丈夫、もう大丈夫」
ヒョウはしっかり抱き締めてツウを落ち着かせると、程なくして彼女は自分を取り戻す。
「あっ、そうだ!?」
ヒョウの胸の中で、はっと気が付いたツウは、急いでメニューウインドウをいてドロップ品を確認する。
「やったぁ! タケちゃん見て見て、今日はお魚よ!」
「お魚?」
突然屈託の無い笑顔を向けてツウはヒョウにメニューウインドウを示すと、そこには大漁と言って良い程のA級食材アイテム、ニードルシジャーの切り身が並んでいた。それを見たヒョウは、さっきのツウの戦闘を思い出し、彼女の両肩を掴んで揺さぶると、語気を強めて詰問する。
「コヅ姉、どうして包丁なんか装備したんだ!? 今はたまたま大丈夫だったけど、ちゃんと短剣を装備して戦わないと危険じゃないか!」
「だあってぇ~、私も今知ったんだも~ん」
がくがくとゆさぶられながら、ツウはスキルメニューを開いて指し示す。そこにはヒョウが無理矢理覚えさせた戦闘スキルにまじって、見覚えの無いスキル名が明記されていた。
「包丁……スキル?」
何だ? このスキルは? と、解説を読み進めたヒョウは、この人をおちょくった様なスキルの内容に、今までツウを心配して生きた心地のしなかった自分が馬鹿らしくなり、思いっきり脱力して溶ける様にビーチに身を横たえた。その様子を見たクラインは、ちょっと失礼とツウのスキルメニューを覗き込む。
「何々、包丁スキル。このスキルは全プレイヤーの中で一番先に短剣スキルを極め、なおかつ料理スキルも併せて一番先に極めたプレイヤーが、武器として包丁を装備した時に発現するスキルである。ソードスキルは三枚おろしと解体の二種類しか無いが、食材をドロップするモンスターに対してプレイヤーレベルにより最低十五パーセント以上の破壊力とアイテムドロップ率の補正が掛かるスキルである……。ぶわっはっは、こりゃ良いや。おツウさんの為に有る様なスキルじゃねえか! こいつぁ傑作だ! なぁ、ヒョウ」
「まぁ、そうだな」
不承不承認めるヒョウを、罰の悪そうな瞳で見つめるツウを、子供達と風林火山のメンバーの笑い話が包み込む。やがてその笑い声につられて笑い出すヒョウとツウ。そんな彼等を茜色の空が家路へ促す。
「さぁ、もう帰りましょう。いい、みんな、お家に帰る迄が遠足よ」
「はーい!」
ツウの号令に、子供達が元気良く応え、保育園一行はヒョウと風林火山の護衛の下、帰路についていた。子供達が今日出来た楽しい思い出の余韻に浸り、興奮気味に話す会話の響きを心地よく耳にしながら、ヒョウはビーチで遭遇した不気味な三人組について考えていた。
奴ら、俺のリアルの名前を知っていた、そして榊のアバター名を口にしていた。敵はキバオウ達だけじゃない、榊も忘れてはいけない、榊個人ならいくらでも対応出来るが、奴に強力な仲間が出来たなら話は別だ。特にあの真ん中の奴、アイツは要注意だ!
ヒョウは新たな、そして未知の敵の顕在化に、気を引き締めていた。
次回 第二十二話 フェザーリドラ
改め
第二十二話 迷子の少女