ソードアート・オンライン・クロニクル もう一人の黒の剣士の物語 作:場流丹星児
第五十層主街区アルゲード
アインクラッド最大規模のその街は、他の階層の主街区と同じく、一見すると中世ヨーロッパの田舎街の様な雰囲気を持った街である。しかし、最大規模を持つという事は、その分多彩な面を持っているという事だ。その多彩さが、他の階層の主街区と一線を画する所だろう。無計画に拡張された様な街並み、それに相応しい迷路の様にいりくんだ裏道、メインストリートを除けば、雑多で猥雑、混沌とした街だった。この街の地図を作るより、迷宮区のマッピングをする方が楽である、あのネズミの情報屋さえ、この街の全てを把握してはいないだろうとまで言われている。
決して一見さんお断りではないのだが、初めてここへ来る者にとって、すんなりと目的地にたどり着くのは至難の技である。アクティベートした直後の街開きで、冗談抜きで隘路に迷い込み、遭難者が続出したこの街の一角を、地図を片手に途方に暮れているプレイヤーがいた。年の頃は十三才から十四才といった所か、赤いコスチュームの可愛らしい短剣使いの少女、シリカである。
「えーっと、どうやって行けば良いのかな? ここはさっき通ったから……、うーん」
シリカがアルゲードに来るのは、これが初めてである。彼女のホームタウンは八層であり、普段レベリングをしているのも、三十五層を中心とする中層域である。一度だけ四十七層に来た事もあるが、それは遥かレベル上の人間に連れてきてもらった訳で、自力踏破ではないのでノーカンといった所で、攻略組の多くがホームタウンに使っているこの街は、彼女にとっては正に雲の上の別天地であった。そんな中堅プレイヤーのシリカが、何故こんな場違いの所に居るのかと言うと、それはある男との出会いが原因だった。
強くなりたい、あの人の様になれなくても、あの人に並び立つ事が叶わなくとも、それでもあの人の背中を追って強くなりたい。
その想いが、シリカをアルゲードへと誘っていたのだ。しかしその想いとは裏腹に、彼女の足は一向に目的地にたどり着く気配が無い、次第に不安な気持ちが込み上げてくる。
クルルッ、キュア?
「大丈夫だよ、ピナ。きっともう少しで着くからね」
心配そうに問いかける、かけがえの無い相棒に作り笑顔で返事をしたシリカに、不意に声がかけられる。
「おい、嬢ちゃん、一体どうしたんだ、迷子か?」
アルゲードで迷子になる者は珍しくない、そんな者に出会ったら声をかけるのがこの街の暗黙のルールである。しかし初めて来たシリカにはそんな事は知るはずもない。振り返り仰ぎ見た、大戦斧を担いだ褐色の巨人にシリカは肝を潰してしまう、そして……
「いっ、いえ、何でもありません、失礼しまーす」
彼女は脱兎のごとく、走り去って行った。
「何でぇ、ありゃあ? ま、良いか。おっ、いけねぇ、もうすぐ約束の時間だ、俺も急いで帰らねぇと」
面食らった褐色の巨人は、少女の背中を暫し見送った後、足早にその場を立ち去るのであった。一方の逃げ出したシリカである。彼女はと言うと、目くら滅法に走ったが為に、完全に迷子になってしまった。こんな時は一度転移門前に戻り、道を探し直すのが定石だが、完全に自分の位置を見失い、途方に暮れてしまった。
「ああ、もう全然わからないよ、何処かしら? ここ? きゃん!!」
いっそのこと、転移結晶を使おうかとも考えたが、こんな事で貴重な転移結晶を使うのは勿体ないと思い直すが、それでも焦るシリカは地図を片手にキョロキョロと、前方注意を散漫に歩いていたため、前を歩く二人連れにぶつかってしまい、バランスを崩して転んでしまった。
「大丈夫?」
「あ痛たた、ごめんなさい、大丈夫で……す……」
気遣いの言葉を発しながら、手を差し伸べる女性プレイヤーを見たシリカは思わず目を見開いた。
なんて……、綺麗な人なんだろう……
「君、大丈夫?」
女性プレイヤーの背後から、もう一人、彼女の連れとおぼしきプレイヤーが声をかけてきた。ぼんやりとその方に目を向ると、シリカの目に黒装束の男性プレイヤーの姿が有った。
キリトさん!? 違う……
「すみません、大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
立ち上がったシリカは、少し暗い表情で二人に頭を下げて踵を返した。シリカは軽い自己嫌悪に陥っていた、それは道に迷い注意散漫に歩いて人とぶつかった事もあるが、同じ黒装束だからといって全くの別人をキリトと間違えた事が大きな原因である。
帰ろう。
とぼとぼと歩きだしたシリカの前に、女性プレイヤーが回り込む。
「どうしたの? 何か困っているなら聞かせて、力になれるかも知れないわ」
「いえ、もういいんです」
「そんな事言わないで、聞かせて頂戴、ね」
一度は断ったシリカだったが、女性プレイヤーの醸し出すゆるふわなな空気と、包み込む様な癒し系の笑顔に導かれ、迷子になって途方に暮れている事を話す。すると女性プレイヤーは、にぱっと明るい笑顔をシリカに見せると、連れの男性プレイヤーに振り返る。
「連れていってあげようよ、タケちゃん。もう大丈夫よ、安心して」
「いいんですか? 本当にご迷惑じゃ……」
シリカがアワアワと顔を上げると、黒装束のプレイヤーが女性プレイヤーの隣に立ち、莞爾として微笑む。
「ああ、大丈夫。実を言うと彼女も迷子になって、俺を呼び出したんだから。ねぇ、コヅ姉」
「お願いタケちゃん、それは言わないで」
「で、何処に行きたいんだい?」
バッテン目でポカポカと胸を叩いてくるツウの頭を撫でながら、ヒョウはシリカに目的地を聞く。
「ここです」
シリカが地図を差し出すと、ヒョウはそれを眺めて破顔する。
「なんだ、エギルさんの店か。なら俺達と同じだ」
「あら、偶然。良かったわね、じゃあ一緒に行きましょう。レッツゴー」
ツウはそう言うと、先導する様に胸を張り、スキップを踏んで進み出す、しかし……
「コヅ姉」
「なあに、タケちゃん」
数歩進んだ所でツウはヒョウに呼び止められて、振り返る。
「そっち反対方向」
「失礼しましたー」
ベタな夫婦漫才に、シリカの顔に笑顔が戻った。
「こんにちは、エギルさん」
「よう、ツウさん毎度!」
ヒョウの案内の下、一行はエギルの店に到着する、扉を開けると禿頭の巨人は人懐っこい笑顔を向けて歓迎した。
「ごめんください、失礼します」
「おう、ヒョウも一緒か」
「道案内」
「そうか、また迷ったか」
「えへへ」
ツウはプレイヤーブランド『Senbaori』の商品を卸しにエギルの店を訪れたのだが、エギルがここに店を構えてから毎回道に迷ってしまい、ヒョウを呼び出しては道案内をさせていたのだ。エギルはペロッと舌を出して、誤魔化し笑いをするツウの背後に、所在なさげに店内を見回すシリカに気がつくと、ギョロりと目を見開いた。
「あれ、嬢ちゃんはさっきの……」
「あっ、あなたはさっきの……」
「「ん?」」
予期せぬ再会に驚くエギルとシリカに、状況を知らないヒョウとツウは、同時に頭上に『?』を浮かべるのだった。
「あっはっはっは」
「ひーっ、ひーっ、お……可笑しい……可笑しい……」
「酷ぇな、そんなに笑う事ァ無ェだろう、二人とも」
「いっ、いや、悪い……、で、でも……なぁ、コヅ姉」
「ごっ、ごめんなさい、エギルさん。でも……ねぇ、タケちゃん」
「あっはっはっは」
「うふふふふふふ」
「けっ!」
シリカから怖さから逃げ出した経緯を聞いたヒョウとツウは、むくれるエギルを前に一頻り笑い転げると、シリカに向かってエギルを紹介する。
「えーと、シリカちゃんだっけ? この人は気は優しくて力持ち、攻略組を支えるスーパータンクのエギルさん」
「見た目は厳ついけど、本当に良い人だから怖がらなくても大丈夫」
「……はい、ごめんなさい」
「おう、これから宜しくな。じゃ、話は先にこっちの商談済ませてからってことで、ちっとばかり待っててくれな」
エギルはシリカにウィンクをすると、ツウと一緒に隣室へと消えて行った。残されたヒョウは、勝手知ったる何とやらで店の奥の戸棚を開け、紅茶を二つ淹れると一つをシリカに勧める。
「良いんですか?」
「遠慮しない遠慮しない。あっ、ジュースの方が良かったかな?」
「いえ、いただきます」
シリカはヒョウから紅茶を受け取ると、一口つけてようやく人心地つけた。
「美味しい」
「そう? 良かった」
笑顔で見上げるシリカに、ヒョウは笑顔を返す。
ヒョウさんって、どんな人なんだろう? さっきキリトさんと見間違えたのは、同じ黒装束だからじゃあ無くて、きっと同じように優しい人だからかな? 出会ってすぐだけど、それは判る、だってピナが、道案内してくれてる時から、ずっとヒョウさんの肩の上に停まっているんだもん。エギルさんとも親しいみたいだし、攻略組だって知っているって事は、ヒョウさんもツウさんも攻略組なのかな? だったら、キリトさんの事も知っているのかな? もしかしたらまた、キリトさんに会えるかも?
シリカがそんな事をとりとめもなく考えていると、隣室の扉がガチャリと開き、商談を終えたエギルとツウがホクホク顔でやって来た。
「さすがツウさんだ、どれも逸品ばかりだぜ。良い商売させてもらった」
「こちらこそ、いつも良い値段をつけてくれて、有り難うございます」
「良いってことよ、気にしなさんな。よう、嬢ちゃん、待たせたな。で? お嬢ちゃんの用は、何なんだ?」
ツウとの商談を終えたエギルが、シリカに向かって人懐っこい笑みを浮かべると、シリカは勢い良く立ち上がる。
「ハイッ」
今度は失礼の無い様にと、カチンコチンになって歩いて来るシリカの後ろで、帰る素振りも見せずにピナと遊んでいるヒョウとツウに、エギルが声をかける。
「帰らねぇのか? お二人さん」
いつもは園で留守番をする子供達の為に、用事が済むと直ぐに帰る二人に、あれっと思ったエギルが尋ねると、ピナに夢中のツウを横目にヒョウがこたえる。
「腕利きの留守居役が居るから大丈夫。それに……」
ヒョウは一端言葉を区切ると、シリカを指差し言葉を続けた。
「帰りの道案内、必要だろう? シリカちゃん」
「はい、有り難うございます、ヒョウさん、ツウさん」
ヒョウとツウの気遣いに勇気付けられたシリカの表情が明るくなる、二人に頭を下げるとシリカはエギルに振り返り、ネズミ印の攻略本を背表紙を表に勢い良く差し出した。
「今日は、これを申し込みに来ました」
「ほう……、これね。よし、分かった」
エギルはシリカの出した背表紙の広告をしげしげと眺めると、ウンと頷いて快諾する。そしてシリカの手から攻略本を受け取ると、背表紙を向けてヒョウに声をかける。
「おーい、ヒョウ。依頼人だ」
「えーっ!?」
エギルの意外な言葉に、驚いて振り返ると、莞爾として微笑みサムズアップするヒョウの姿が有った。シリカの差し出した攻略本の背表紙の広告にはこう書かれていた。
レベリングからクエストまで、萬護衛請け負います。申し込みはアルゲード、エギルの店にて受け付けます。
「良かったら、明日からやろう」
一週間の予定で申し込みたいとのシリカの依頼を聞くと、ヒョウは間髪入れずにそう答えた。キョトンとして見上げるシリカに、ヒョウは言葉を繋げる。
「急かも知れないけど、今丁度キャンセルが出て空いてるんだ、その次となると、三ヶ月先まで空いてない。もし予定が無ければ、どうだろう?」
「はい、お願いします」
頭を下げるシリカに、ピナを抱いたツウが声をかける。
「じゃあ詳しい打ち合わせは家でやりましょう。ねっ、タケちゃん」
「ああ、そうだね、コヅ姉」
エギルの店を辞した三人は、そのまま打ち合わせの為に、四層の保育園へと向かう。その道すがらヒョウとツウは、フェザーリドラをどうやって手に入れたのかをシリカに聞き、シリカも二人の関係をおずおずと質問する。二人はゲーム内結婚をしている夫婦だと答えると、シリカはそんな二人の家に行って、邪魔ではないかと遠慮したが、ツウのゆるふわオーラに丸め込まれてゴンドラ船の上にいた。シリカは夫婦二人で使うには、余りにも大きなゴンドラ船に違和感を覚えつつも、櫓を漕ぐヒョウと彼を頼もしげに見上げるツウの姿に引き込まれ、思わず憧れの瞳で見つめてしまう。
良いなぁ、ヒョウさんとツウさん、お互いに信頼し合っていて、とても素敵なカップルだなぁ。私もいつか、キリトさんとあんな風に……
「……カちゃん、シリカちゃん」
「ひ、ひゃい!?」
いつしか二人の姿をキリトと自分の姿に置き換えて、ニマニマと妄想するシリカに、不意に声がかけられる。驚いたシリカが噛みながら返事をすると、ツウが目的地への到着を告げる。
「着いたわよ、シリカちゃん」
「シリカちゃん、お疲れ様」
「あっ、はい、今行きます」
噛んだことと、妄想の内容に赤面しながら、二人の後を追ってゴンドラ船を降りると、シリカの目に直立不動の姿勢で立つ、赤い甲冑を身に付けた二人の男の姿が映った。小太りとノッポの二人の姿に、よくパーティーに誘ってくる知り合いの二人組を連想したシリカは、次の瞬間心の中で目の前の二人に土下座する。
「お帰りなさい! ヒョウさん、ツウさん」
「留守中、異常ありません!」
叫ぶ様に気合いの入った言葉で出迎える二人の精悍さは、あの二人組とは全く違うものだった。なんて私は失礼な事をと自分を責めるシリカの横で、ヒョウとツウが二人を労いの言葉をかける。
「ただいま、ノブさん、シゲさん」
「留守番有り難うございます、私達の方が年下なんですから、もっと気楽に接して下さいね」
「いえ、滅相もありません」
「そんな事したら、ウチの大将にどやされます」
頭を振ってそう答える二人にツウは苦笑いしながら言葉を続ける。
「もう、クラインさんったら。ノブさん、シゲさん、直ぐにご飯の用意をしますね」
「押忍!」
「ごっっあんです!」
うふふと笑うツウの背中にヒョウが話しかける。
「コヅ姉、俺は船を片すから、シリカちゃんを案内して」
「分かったわ、タケちゃん。さぁシリカちゃん、こっちよ」
慌ててヒョウの手伝いをするノブとシゲの声を背後に聞きながら、ツウはシリカを保育園へと案内する。
「あの、今の人達は……?」
「あの人達? 攻略ギルドの見習いさんで、家に住み込みで留守居役兼剣術見習いに来ているノブさんとシゲさんよ」
「攻略ギルドの人ですか?」
歩きながら話題を作る為に、先程の二人の事をツウに尋ねたシリカは、意外な答えに驚いた。剣術見習いという事は、あの二人はヒョウさんの弟子みたいなものなのか? 見習いとはいえ攻略ギルドのメンバーを弟子にするなんて、キリトさん程ではないにしろ、ヒョウさんもとても強い人なんだ。でもそんなに強い人のホームが四層なんて意外だなぁ。そんな事を考えながらついていくシリカに、ツウはさらに意外な言葉を続ける。
「他にも血盟騎士団の人なんかも、タケちゃんに教わりに来るのよ」
「血盟騎士団!? トップギルドの人が!?」
「ええ、タケちゃんはね、アインクラッドで一番強いのよ。だから明日からのレベリングも、大船に乗ったつもりでいてね」
そう言って扉を開けたツウに、これは場違いな所に来たのかも知れない……、と少し尻込みを始めたシリカの心は、扉の中を見るなり更なる疑問に上書きされた。
「ツウお姉ちゃん、お帰りなさい」
大勢の子供達が、口々にお帰りなさいと言って、ツウを出迎える。子供達に揉まれながらツウは、目を丸くするシリカを中に招き入れた。
「みんなただいま。お客さんのシリカちゃんよ、ご挨拶して」
「シリカお姉ちゃん、いらっしゃい」
「いらっしゃい、シリカお姉ちゃん」
「アハハ、お邪魔します……」
ツウに促され、口々に挨拶する子供達に気後れしながらシリカは挨拶を返す、すると、一人の目ざとい子供が、ピナの存在に気がついた。
「シリカお姉ちゃん、それ、なーに?」
「この子はピナよ、私のお友達」
「凄い、お姉ちゃんビーストテイマーなんだ。ねぇ、触って良い?」
「僕も触りたい」
「私も私も」
あっという間に子供達が、シリカとピナを取り囲む。そんな子供達の勢いに呑まれたピナは、怯えてしまったのか天井近くの梁に飛び上がって隠れてしまった。両手を上げてピナの隠れた梁を見上げ、ワイワイ騒いでいる子供達に、ツウはやや語気を強めてたしなめる。
「みんな、いきなり騒いで取り囲むから、ピナちゃんびっくりして隠れちゃったでしょう。みんなだって、知らない所で知らない大きな大人の人に、騒いで囲まれたら怖いでしょう? ピナちゃんもおんなじよ」
ツウの叱責にシュンとなる子供達に、シリカが戸惑いながらもフォローを入れる。
「だ、大丈夫よ、みんな、ピナがびっくりしないように、優しく相手をしてね。ピナ、もう大丈夫だから、おいで」
シリカがピナに呼び掛けると、ピナは梁から顔を出し、大丈夫? と言うように一鳴きしてからシリカの元に舞い降りた。そして
「みんな、私のお友達のピナよ、仲良くしてあげてね」
シリカが腕に抱いたピナを、子供達の前に差し出すと、子供達の顔がパッと輝いた。ツウに叱責された為か、恐る恐る手を出してピナに触れ、ゆっくりと撫でると、ピナは気持ち良さそうな鳴き声を上げて子供達を見上げた。子供達はなお一層表情を輝かせ、口々に可愛いねと言いながら、優しくピナを撫で始める。ピナも子供達に慣れた様で、保育園の中を飛び回り、子供達を相手に遊び出した。その様子を見て、シリカは子供達についてツウに尋ねると、ツウはシリカにこの保育園の設立理由をかいつまんで説明した。SAOで孤児になった子供達の話しを聞いたシリカは、やるせなさそうに表情を曇らせる。
「だから、もし良かったらシリカちゃん、今回の件が終わった後も、気が向いたらでいいから、遊びに来てね」
「はい、私なんかで良かったら、喜んで」
「有り難う、シリカちゃん」
一つ自分に出来ることを見出だしたシリカが、真っ直ぐな瞳をツウに向けた時、保育園の扉が開いてヒョウが入って来た。
「ただいま、みんな」
ヒョウの声を耳にした子供達は、一斉に扉に駆け寄ってヒョウを取り囲む。
「おかえりなさい、ヒョウ兄ちゃん」
もみくちゃにされるヒョウの頭の上にピナが停まって鳴き声をあげると、そこにいた皆は一斉に笑い声をあげた。そんなほっこりとした暖かい空気の中、ツウがパンパンと手を叩いて注目を集める。
「さぁみんな、ヒョウお兄ちゃんが帰って来たから、晩御飯にしましょうね」
そうしてはからずも晩餐にお呼ばれする事になったシリカは、遠慮がちにツウの手料理を口に入れて目を見開く。そして勢いよくパクパクと口に入れ、感嘆の声をあげた。
「私、SAOでこんな美味しい物を食べたの、初めてです」
「そう、良かった。おかわり有るから、遠慮無く食べてね」
「はい」
アインクラッドに囚われて以来、楽しい事、嬉しい事、そして悲しい事もリアルと同様に沢山経験してきたシリカだったが、家庭的な空気に触れたのは初めてである。それは一も二もなくヒョウとツウに出会った事が原因である、シリカはベッドの中で、その喜びを満喫していた。今シリカが潜り込んでいる布団は、ホームタウンの宿屋の布団ではない。夕食後、明日からのレベリングスケジュールの打ち合わせをして、少し遅くなったため、どうせ明日も早いんだからとツウが寄り切り、保育園に泊まる事になったのだ。そのベッドの中で、シリカは今日の出来事を反芻していた。一見ゆるふわで、年下の自分でさえ支え守りたいと思うツウさんは、孤児になった子供達を守り、必死にSAOと戦っている。そのパートナーのヒョウさんは、攻略の傍ら、自分達の様なボリュームゾーンプレイヤーに手をさしのべ、少しでも生存率が上がる様にと、レベリングのレクチャーと護衛をしてくれてる。キリトさんだって今頃、最前線できっと! それに引き換え私は……。いや、私にも何か出来るはず、今は分からないけど、いつかきっと! そのためには、キリトさん程では無いにしろ、隣で胸を張れるくらいに強くならなきゃ。よーし、明日からのレベリング、頑張ろうね、ピナ……
夜も更けゆき、いつしか微睡み、そしてシリカは深い眠りへと落ちていった。
「お帰りなさい、あなた」
新妻のシリカは、攻略から帰って来たキリトを出迎える。
「ああ、ただいま、シリカ」
愛する妻シリカに、優しく帰宅の挨拶をするキリト。甘酸っぱい空気に気恥ずかしくなり、どうしようと戸惑うシリカを助ける様なタイミングで、ピナが腕の中に飛んでくる。シリカはピナをキリトに差し出して、照れ隠しの言葉をかける。
「ほら、ピナもお帰りなさいって」
「クルルッ、キュウ」
「おおっ、ピナ、ただいま」
ピナを撫でていたキリトの手が、優しくシリカを抱き寄せる、そして目と目が合い、引き寄せられる様に唇と唇が……
「……はっ!?」
ガバッと飛び起きてシリカが左右を確認すると、そこは夕べ泊めてもらった保育園のベッドの上だった。心配そうに見上げるピナを膝の上に載せ、撫でながらシリカは自分の心を落ち着かせる。
……わ、私はなんて嬉しい、じゃない、恥ずかしい夢を見ちゃったの!? いくら夢の中でも、私がキリトさんの奥さんで、キリトさんが私のだっ、だっ、だっ、旦那様!? それだけじゃない、後少しで、キリトさんとキ、キ、キスするところだったわ、どうしてあんな夢を!?
トマトの様に真っ赤な顔で悶絶するシリカにとって、救いになったのは泊めてもらった部屋が個室で、この恥ずかしい姿を誰にも見られなかった事だろう。そのおかげでシリカは少し心の平静を取り戻した所で、ふと有ることに気が付き、ピナを撫でる手が止まった。
後少しでキリトさんとキス出来たのに、目が覚めるなんて大損だわ!! この先、こんな事が起きるなんて有り得ないのに、何で私は起きちゃったの!? 勿体ない! バカ、バカバカ、私のバカ!! 早く寝直して夢の続きを見なきゃ!
……眠れない、寝ようと思ったら、逆に目が冴えて眠れない! えーと、こんな時は確か羊の数を数えれば良いんだっけ? 羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、早く眠ってキリトさんの夢を見なきゃ。キリトさんが四人、キリトさんが五人、キリトさんが六人……!? ちーがーうー!!
眠ろうとすればするほど、さっき見た夢の情景が頭の中に蘇り、益々目が冴える悪循環に陥り、一人悶絶するシリカ。
もう、どうしよう、眠れないよぅ、ねーむーれーなーいー、キリトさん、助けてー
こうして、アインクラッドの夜は、今日も更けていくのだった。
次回 第二十三話 フェザーリドラ②
改め
第二十三話 タイムクエスト