ソードアート・オンライン・クロニクル もう一人の黒の剣士の物語 作:場流丹星児
六十七層のオレンジプレイヤー襲撃事件以降、首謀者サーキーを取り逃がしたものの、ヒョウの身辺はとてものどかな状況であった。確かに例の事件の結果、オレンジプレイヤー及び殺人ギルド『ラフィン・コフィン』の危険性を看過できない物と認識した攻略組が、一斉討伐に踏み切った経緯も有ったが、それはヒョウにとって些末な事である。待ち伏せによる不意討ちを乗り切った後は、ヒョウの独壇場であった。双方レイド級の戦力同士の衝突で、お互いに壊滅的な損害を出す事無くラフィン・コフィンメンバーを屈服させ、監獄エリアに送り込めたのは、全てヒョウの功績である。対人戦闘最強と噂されるヒョウを討ち取り、名前を上げようと群がる者達を、片っ端から四肢損壊にした上、HPバーを危険領域に削り飛ばし、戦意を崩壊させた上で監獄エリアに放り込んでいった。あっという間に戦力を減らしたラフィン・コフィン達は、幹部メンバーが強硬に抵抗するも囲まれて投降し、監獄エリアの住人になる道を選ぶに至る。
この戦いでサーキーとPoHの不在を訝しく思っていたヒョウではあるが、その後もたらされた日常の平和による喧騒で、その思いは徐々に頭の隅へと追いやられていった。だがしかし、これはサーキーが諦めたからではなく、彼が新たに身につけたユニークスキル『毒手』の習熟に勤しんでいたためである。むしろ習熟作業の辛さを克服するため、このスキルでどうやって苦しめてやろう、どうやって殺してやろうと考え、計画を練り上げていたのだ。基本的に善人で武人であるヒョウには、サーキーのそうした性質は理解の埓外であり、決して油断しているわけでは無いが、警戒のしようもなかったのである。
サーキーの奸計は、ヒョウの思わぬ所でゆっくりと、そして確実に地下茎を伸ばし、彼を引きずり倒そうと狙っていた。
とある階層のダンジョンの中、あてどもなく何かから逃げる様に、走る男がいる。男の名前はキバオウ、序盤の攻略をリードした彼も、失敗続きで解放軍の中で立場を失っていた。起死回生にシンカーを罠にかけ、第一層黒鉄宮にあるエクストラダンジョンに置き去りにして、不在の間に復権を謀ろうとするも、ユリエールによってその行動を暴露されると、キバオウは取った手段の悪辣さに完全に人心を失い、復権どころか逃亡を余儀なくされていた。
「なぁキバオウさんよ、アンタもう後戻りできねぇんだ、解ってるんだろ」
「ヒィッ……」
息が上がり足を止めると、物陰から声が囁く。その声に怯えたように、また走り出すと、囁く声はどこまでも着いてきて、キバオウの心を掻き乱す。
「邪魔モンのシンカーをハメたんだ、そうだろう、なぁ」
「ちゃう、ハメたんちゃう! あれは天誅や、ワイに反対して、邪魔ばかりしよるシンカーはんが悪いんや! ワイは悪う無い、悪無いでぇ!!」
「そう、あれは天誅だ。でも、周りの連中は冷たいよなぁ、攻略序盤はあんなに持ち上げていたのに、ちょっと調子が悪くなると、手のひらを返してコキ下ろす」
シンカー置き去り事件は、元はと言えばサーキーからキバオウにもたらされた策だった。
コーバッツ大隊の攻略失敗が原因で八方塞がりになり、追い詰められたキバオウの精神状態は遂に破綻してしまう。解放軍メンバーの大部分はそんなキバオウを見限って離れていき、完全に孤立してしまった。旧知の者も櫛の歯が欠ける様に離反する中、昔の事は水に流し、今度こそ力になりたいと近づいて来たサーキーに、キバオウが飛びつくのは無理もない事である。
しかしそれは更なる苦難の入り口だったとキバオウは直ぐに思い知る事となる、サーキーの策に乗ってシンカーを置き去りにしたキバオウは、事件解決後にその行動をアルゴを始めとする情報屋達によりアインクラッド全体に晒されて、卑怯な卑劣漢として誰からも相手にされなくなってしまった。時を置かずしてかつての仲間達は全て離反し、その代わりに周りを固めたのは、ラフィン・コフィンの遺志を継ぐオレンジプレイヤーである。そこに至ってキバオウは己の浅はかさに気がついた。このままではいけないと逃げ出したキバオウだったが、それを見逃すサーキーではなかった。
「……そうや! あんなに目ェかけてやったんに、どいつもこいつも離れて行きよった……」
「薄情だよなぁ……、どいつもこいつも。これで良いんかい、キバオウさん? アンタはこれで終わる器じゃ無い。見返してやろうぜ、なぁ」
キバオウの足の動きが鈍る。そうや、ワイはまだまだ終わらへん、終わってたまるかいな!!
「まずは四層の島、あの小生意気なヤツが居座る島を徴発して足掛かりにすれば、まだまだ挽回は可能だぜ、キバオウさん」
「せやな、力を貸して貰えるか? サーキー」
「当然だぜ、キバオウさん」
毒を喰らわば皿までよ、せやったらトコトンやったろうやないけ。最後にワイがこのクソゲーをクリアして、見下したモン裏切ったモンに目にもの見したるわ!
キバオウの顕示欲の残り火が、勢いを盛り返して行くのを見届け、サーキーはほくそ笑む。これからだぜ祝屋、今までの怨み、まとめて返してやる。
十一月七日は朝から晴れ渡り、見事な攻略日和だった。
今日は攻略組は、ボス攻略戦か……。キリト達、無事成功すると良いな。
ヒョウは自宅兼保育園の有る、自己所有している四層の島に居る。今日の攻略は、最後のクォーターラウンドという事で、参加を打診されていたヒョウだったが、園児達の実戦狩り実習の後詰めとバックアップをする予定を先に立てていた為、そちらを優先させて今回は不参加を決めていた。ヒョウは確かにトッププレイヤーの一人だが、他の攻略組メンバーとはその地位を維持する理由が違っている。彼がトッププレイヤーの立場を維持し続けるのは、ツウを守り抜いて、一緒に現実世界へ帰ることが理由である。どんな悪意や困難からも、ツウのアバターと心を守り抜く事こそが、SAOでのヒョウの存在意義なのだ。ゲームが後半に差し掛かった今、それはツウの大事に思うもの、大切に守りたいと思うもの全てを守り抜く、という心境に進化していた。
そんな訳で、どちらがヒョウにとって優先するのかは自明の理なのだが、今回は園の行事を優先した事を心の底から安堵した。先ほどヒョウがキリト達の身を案じたのは、本心からであるのは間違いないが、多分に不愉快事からの現実逃避も含んでいる。そしてその不愉快事の元凶は、保育園応接室で、ヒョウの前にカエルの様に這いつくばり、石亀の様に微動だにせず固まっていた。
「なぁキバオウさん、いい加減頭を上げてくれないかな」
ため息混じりにヒョウは声をかけるが、不愉快事の元凶たるキバオウは、その姿勢のまま首を左右に振って拒絶する。
「イヤや、ヒョウはんが首を縦に振る迄は、ワイは死んでもここを動かへん」
「って言われてもなぁ……」
これはコヅ姉一人では手に余る。頭を掻くヒョウに、キバオウはなおも食い下がる
「何でや!? ワイがこがいに頭ぁ下げてんのに、何でや!? ワイが再起する為には、この島が必要なんや! 後生や、ヒョウはん、頼んます!!」
「俺達が使うから、お前ら出てけって言われて、ハイそうですかと言う訳にはいかないでしょう? キバオウさん」
「やったらワイと手ぇ組まへんか!? 最高幹部や、最高級の待遇で」
「そういう問題じゃ無いんだよ、キバオウさん! ここはもう子供達の家なんだ、その子供達を追い出す様な事、俺達夫婦が受け入れると思うか!?」
どこまでも話は平行線である。そしてヒョウには譲れない理由がもう一つ有った。
実はヒョウとツウは、攻略戦に出発する前に訪れたキリトとアスナに、ギルドを結成しないかと、提案されていたのである。数日間の新婚生活の中で、何か思う事が有ったらしい。二人はただ攻略を目指すだけのギルドではなく、もっと多くのSAO孤児を引き取り、子供達がリアル同様の日常を過ごせ、一日の終わりに皆で美味しい夕食を食べ、笑顔で終われる様な、そんな家庭的なギルドをヒョウとツウの保育園を母体にして作らないか? そう申し出てきたのだ。
ヒョウとツウにとって、特にツウにとってその申し出は願ったり叶ったりである、異存などある筈もなく、二つ返事でオーケーしていた。キリトとアスナが攻略戦に向かった直後、アルゴとリズベットとシリカの三人から参加したいと打診するメールが届き、更にクラインとエギルからも、合流を視野に入れた支援協力を申し出るメールも届いていた。元々論外なキバオウの要求ではあるが、こうした経緯やシンカーの一件もあってヒョウは断固拒絶を貫いていた。
早く子供達の所に行かなきゃならないのに。ヒョウの苛立ちがピークに達した時である。
「ヒー君、大変ダ!!」
膠着した空気を打ち破る様に、血相を変えて飛び込んで来たアルゴは、這いつくばるキバオウを見て更に顔色を変えた。
「キバオウ! テメェ!!」
アルゴはずかずかと大股でキバオウに近づくと、胸ぐらを掴んで引き起こす。情報屋としてアジリティをメインにパラメーターを上げているアルゴに、ストレングスで抗えない程にレベル差が開いてしまったキバオウに、これが前半戦で攻略をリードした者の現状かと、ヒョウは少しだけ悲しくなった。
「なんや! なにするんや、ワレ!?」
「惚けるな! キバオウ! テメェ、サーキーと手を組んだロウ! ヒー君をここに足止めするノガ、テメェの役割カ!?」
「榊と手を……? それは本当か!? キバオウさん」
「今度はどんな汚い手で、ヒー君を嵌めようってんダ!! テメェ」
驚きの事実を知らされたヒョウは、アルゴと一緒にキバオウへと詰め寄る。
「なんや!? ワイは何にも知らんで!! ワイはただ、ヒョウはんに誠心誠意……」
「嘘をツケ! ここの子供が一人、十八層でサーキーの手下に拐われたんダゾ! サーキーに言われるまま、シンカーを置き去りにしたキサマが、知らない筈が無いダロウ! さぁ言え! 何を企んでイル!?」
子供が一人拐われた、お茶を用意して入室したツウは、それを聞いて顔色を失い、持っていたお盆を落としてしまった。力無くよろめいて膝を着くツウに駆け寄るヒョウ。
「知らん! ホンマにワイは何にも知らん! ワイはただ、ヒョウはんは困ってるモンには、必ず手ェ貸してくれるから、誠心誠意頼み込めばなんとかなるやろってサーキーに言われたから……、せやから……せやから……」
ヒョウとアルゴの冷たい視線にたじろいだキバオウは、後退りながら言い訳をまくし立てる。そこにまた、血相を変えたノブとシゲが乱暴に扉を開けて転がり込む。
「ヒョウさん、こんな手紙が」
「手紙?」
「ゴンドラ舟から投げ込まれて」
「誰からだ……?」
「アイツです、ヒョウさん」
「ここの訓練工房に長く出入りしている、鍛冶職人の女です」
リズベットの他で、ここに出入りしている鍛冶職人の女は限られている、長くとなれば一人しかいない。その人物にあたりをつけたヒョウは、眉をひそめて手紙を読み進めるうちに、徐々に怒りの表情を浮かべていく。読み終わった手紙を握りしめ、ヒョウは奥歯を噛みしめた。
「榊の奴……」
「ヒー君」
憤るヒョウに、アルゴが内容を促すと、ヒョウは手紙をアルゴに手渡す。それを読んだアルゴの顔色も変わる。
「ガキを一人預かった。テメェの島を、新生ラフィン・コフィンの本拠地として徴発する。一人で十三層のボス部屋まで来い、来なかったらガキの命は無いと思え……」
「!!」
余りの内容に両手で顔を覆うツウ、ヒョウは怒りを抑えて全員に指示を出す。
「コヅ姉、コヅ姉は血盟騎士団の本部に行って、他の子達が逃げ込んでいないか確認して」
「……ウン」
ヒョウは、涙を拭いて立ち上がり頷くツウを抱きしめる。
「ノブさん、シゲさん、コヅ……ツウの護衛をお願いします」
「はい」
「了解です、ヒョウさん」
「アルゴさん、留守番お願いします」
「アイヨ、もうすぐオレっちの家になるんだからナ! 任セロ」
アルゴはニィッと笑ってサムズアップで答える、最早キバオウに注意を払う者は誰も居なかった。
「ワイは知らん! 何も知らん! ワイは悪う無い、悪う無い……」
キバオウはそう口にしながら、ヒョウ達の前から逃亡していた、完全に心の折れたキバオウには、もうアインクラッドでの居場所は完全に失われたのだ。ヒョウ達はそれを理解して、敢えて追う事をしなかった。
メニューを呼び出し、装備を完全武装状態に整えたヒョウは、じゃあ行って来ると言って玄関に向かって行く。その背中に言い様の無い不安を感じたツウは、ヒョウを呼び止めて駆け寄った。
「タケちゃん」
「なんだい、コヅ姉」
「無理しないでね」
「うん、わかった」
短く言葉を交わした後、二人はいつもより長めに唇を合わせた。
▽▲▽▲▽▲
十一月六日はSAOプレイヤーにとって、特別な日である。それは忘れもしない二年前のSAOサービス開始初日、つまりこのデスゲームに囚われた初日の日付なのだ。初回ロットの一万人がログインした瞬間始まったチュートリアルで、取り返しのつかない事をしてしまったと泣きながら謝り続ける幼なじみを宥め、ヒョウがこのSAOに戦いを挑んだ ー剣を手に取り冒険を始めたー のは、翌日の十一月七日である。二年前のその日、ヒョウは中学二年の十四歳だった。それから二年経った今、園で保護しているSAO孤児の中に、当時のヒョウの年齢に達する者が数名いる、彼らもそろそろ独り立ちの頃合いになってきた。これはヒョウ達が突き放した訳ではなく、子供達の自発的な意志である。そういう経緯で十一月七日は、彼らだけで十八層以上のフィールドに出られるかの認定を兼ねた、狩り実習が予定されていた。ヒョウが引率する予定だったが、出掛けにキバオウの訪問があり、中止にしようかと考えた。しかし数日前からこの日を楽しみにしていた子供達の事を考えると、中止にするのも忍び無く、子供達に先行してもらい、キバオウを帰してからヒョウが後を追い、合流する手はずにした。
子供達を先行させるに当たり、ヒョウは三つの戒めをする。一つはヒョウが合流するまでは、絶対に迷宮区に入ってはいけない。次に絶対に無理をしない事、回復のためのポーションや結晶はケチらない事。最後にもし何かが有った時、必ず転移結晶で避難する事、避難場所はこの島か、もしそれが無理な場合は血盟騎士団のギルドハウスに保護を求める事。その三つだった。子供達はヒョウの言い付けをよく守り、順調に狩りを行っていたが、ハプニングが起きる。
「おおい、君たち」
「?」
子供達が狩りをしている所に、一人の女が駆け込んで来た。女は子供達が見知った人物で、保育園に併設されている訓練工房に長く出入りしている、鍛冶職人の女だった。女はあえぎながら、子供達に話しかける。
「君たち、大変だ、みんなの島が、キバオウ軍に襲われている」
「何だって!?」
驚く子供達に、女は言葉を続ける。
「私はヒョウさんに頼まれて、君たちを保護しに来たの。ここにもキバオウ軍の連中が来るかも知れない。ヒョウさんから、秘密の隠れ場所を教えてもらったから、そこへ早く」
「お姉さん、それ、本当なの」
年長の男の子が、鍛冶職人の言葉を遮った。真っ直ぐに疑問の目を向ける男の子に、鍛冶職人は一瞬たじろいだが、取り繕う様に言葉を続ける。
「ええ、本当よ。キバオウ軍が」
「そうじゃない、秘密の隠れ場所の事さ」
「?」
軍が攻めて来た事を確認していると思った鍛冶職人は、虚を突かれて言葉を失う。男の子は泳ぐ鍛冶職人の女の目を見据え、口を開いた。
「僕達、ヒョウ兄ちゃんから、島に逃げられない時は、血盟騎士団に行けって言われてるんだ。秘密の隠れ場所なんて言われてない」
「それは……」
狼狽える鍛冶職人を無視し、男の子は他の子供達を見回すと、子供達は転移結晶を手に、一斉に頷く。
「転移、グランザム」
子供達は一斉に転移して行ったが、一瞬行動が遅れた子が一人いた。ジャスミンである。ジャスミンはこの鍛冶職人の女を少なからず慕っていた。サーキーのせいで母親を喪った彼女は、保育園で暮らす日々の中で悲しみは薄れていったが、寂しさだけは拭えなかった。もちろんツウも精一杯愛情を注いで接していたのだが、彼女もリアルではまだまだ子供である、ジャスミンが求める母性愛を満たす事を求めるのは酷であろう。そんなジャスミンの前に現れたのが、この鍛冶職人の女である。ツウよりも大人で、求める母性に近いものを持つこの女に、ジャスミンがなつくのは無理の無い事だった。そんなジャスミンを、この鍛冶職人の女はずっと可愛がっていたのだ。しかし……
「チッ! 仕方ないわね。アンタだけでヨシとするか。来な!」
鍛冶職人の女は一瞬悔しそうに顔を歪めるが、ジャスミンの首根っこを乱暴に掴むと、一緒に転移して消えて行った。そう、この女は、サーキーがヒョウの動向を探る為に潜入させた『草』である。ジャスミンを可愛がっていたのも、ヒョウとツウの信用を得る為の芝居であった。本性を現した女は、ヒョウを誘き出す人質にするため、ジャスミンを誘拐してサーキーの下へと向かったのだった。
鍛冶職人の女が向かったのは、十三層のボス部屋である。そこにはやや小柄で、拗ねた目を持つ凶相の少年が立っていた。少年は転移して来た二人の人物を確認すると、凶相をヒクつかせて独り言を呟く。
「さぁ、お楽しみはこれからだぜ、祝屋。イッツ、ショウタイム」
次回 SAO篇最終回 第二十九話 あなた……