ソードアート・オンライン・クロニクル もう一人の黒の剣士の物語   作:場流丹星児

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第五話 猛の戦い、小鶴の戦い

「お待たせ」

 

 駅近くの多目的公園のベンチに腰掛ける小鶴と明日奈に足早に駆け寄り、和人は屋台で買ってきたタコ焼きを差し出した。

 

「わぁ、美味しそう。いただきます、キリト君。小鶴もほら、遠慮しないで」

「このタコ焼き、旨いんだぜ。アッ、アチチチチ」

「慌てないの、キリト君」

 

 出来立ての熱さに悲鳴をあげて、目を白黒させながらタコ焼きを冷まそうと、ハフハフと口内に空気を取り込む和人と、半ば呆れた笑顔でたしなめる明日奈。その姿にSAOでの二人の姿を思い出し、小鶴はクスリと笑顔を浮かべる。

 

「じゃあ一ついただきます、桐ヶ谷君」

 

 ベンチでタコ焼きを食べ終わると、明日奈と和人は改めて姿勢と表情を正し、小鶴に向き直った。

 

「でね、話っていうのは、ヒョウ君の事なの」

「タケちゃんの事? 何かしら?」

 

 明日奈の言葉に、小鶴は平静を装って首を傾げるが、明日奈と和人は僅かだが不自然に上ずった声と、小さくもピクッと反応した肩の動きを見逃さなかった。小鶴の動揺を見抜いた和人と明日奈は「明日奈」「ええ、キリト君」とアイコンタクトを取る、そして和人はベンチから立ち上がると、小鶴の正面に移動する。

 

「すまない、小鶴さん」

 

 深々と頭を下げる和人に、目を白黒させて動揺する小鶴。

 

「どうしたの、桐ヶ谷君、いきなり……」

 

 小鶴は明日奈に救いを求める視線を投げかけた、すると明日奈は真剣な眼差しで見つめ返す。

 

「ごめんなさい、小鶴。私達、どうしても気になる事が有って、調べさせてもらったの」

「深く詮索するつもりはなかったんだ、それだけは信じて欲しい」

 

 二人の誠意ある、そしてただならぬ態度に圧倒された小鶴は背筋を伸ばすと、やや狼狽えた表情で頷いた。

 

「実はね、私達ヒョウ君のナビゲーションピクシーのユウキの事がどうしても気になって、悪いとは思ったんだけど勝手に調べさせてもらったの」

「ユウキの事が?」

「ええ、ユウキが私達の大切な友達と同じ名前で、姿もよく似ていて……」

 

 首をかしげる小鶴に、明日奈は絶剣のユウキとの想い出を話し始めた。彼女との出会いから別れに至る全てを話し終え、明日奈が目を伏せると、和人が明日奈に継いで話し始める。

 

「で、俺達はヒョウのユウキと絶剣のユウキには、何かしらの関係が有るんじゃないかって、調べてみたんだ……」

 

 和人はユイからの報告を小鶴に説明し、最後にこう結んだ。

 

「俺達は、ヒョウが今、メディキュボイドに居る事を知ってしまったんだ……」

 

 和人は歯を食い縛り、拳を握りしめる。

 

「ねぇっ! 教えて小鶴! ヒョウ君、死んじゃうの!? 教えて!!」

「死ぬって……」

 

 明日奈は小鶴の手を握り、目に涙をためて食い入る様に詰問した。明日奈の「死んじゃうの」という言葉に驚く小鶴に、和人がフォローを入れる。

 

「俺達が知っているメディキュボイドの利用目的は、終末期医療の患者の苦痛軽減なんだ……」

 

 悲痛な眼差しで自分を見つめる二人の視線から伏し目がちに顔を反らして小鶴は逡巡する、猛には黙っていて欲しいと頼まれていたこと、それと何よりも、この二人が、そしてSAOで友誼を築いた仲間達も故郷の友人の様に猛から去って行く事を恐れ、全てを口にするのが憚れた。

 

「小鶴! 私達、たとえどんな結末になっても、最期まであなた達の力になりたいの!! だから教えて、小鶴!!」

 

 ためらう小鶴の両肩を掴み、明日奈は涙まじりの決意のこもった視線で訴えかける。その視線に小鶴の心の中の、頑なな思いが溶けていった。

 

「二人共、タケちゃんの現実の姿を知った後でも、これまで通り普通に接してくれる?」

「えっ?」

 

 聞き返す二人に、小鶴は震える声で話しを続ける。

 

「私、タケちゃんに頼まれているの、内緒にして欲しいって。だから、二人を直接タケちゃんに会わせる事は出来ない。でも、タケちゃん、ALOの中でみんなに会えるのを、毎日すごく楽しみにしているの。私、タケちゃんを傷つけたくない。だから……」

「わかったわ、約束する」

「ああ、この事はヒョウには絶対言わない、これまで通りに付き合うと約束する」

 

 現実の猛を見ても、これまで通りの付き合いが出来なければ、いくら二人でも猛に会わせる事は出来ない。絞り出す様にそう口にした小鶴に、明日奈と和人はそう誓約した。

 

 

 翌月曜日の放課後、和人と明日奈が人目を憚る様に下校して、小鶴の案内でやって来たのは、あの思い出深い横浜港北総合病院だった。

 

「先生、ただいま戻りました、タケちゃんは?」

 

 面会手続きを終え、病室へと向かう廊下で、小鶴は主治医とおぼしき医師の後ろ姿を見かけると、小走りで駆け寄り声をかけた。

 

「ああ、お帰りなさい、小鶴君。猛君なら今、バーチャルホスピタルのリハビリプログラムに励んでいる所だよ……。あれ、君たちは……」

 

 主治医が振り返り小鶴の問いかけに答えながら、視界に入った見覚えの有る二人の姿を認めると、軽く目を見開いた。

 

「お久しぶりです、倉橋先生」

「その節は、お世話になりました」

 

 猛の主治医は、かつて紺野木綿季の主治医を勤めていた倉橋だった。軽く頭を下げて会釈をする二人に、倉橋医師は相好を崩す。

 

「これは……、明日奈さんに和人君。本当に久しぶりだね、二人が小鶴君と知り合いだったとは……」

「はい、実は以前同じゲームで……」

 

 言葉を濁してそう答える和人に、倉橋医師は全てを察した。

 

「と、いう事は、当然猛君とも……」

「はい、ヒョウ君……いえ、猛君がここにいると聞いて、小鶴に無理を言って連れてきてもらったんです」

 

 明日奈のその言葉を聞いて、倉橋医師は意外そうな、そして興味深げな瞳で小鶴を見ると、彼女は半ば後悔している様な暗い表情で視線を反らしてうつむいた。一瞬考え込む倉橋医師に、明日奈は思い詰めた表情と口調で胸中にわだかまる疑念をぶつける。

 

「先生、私は以前先生から、メデキュボイドはターミナルケアの分野に光を当てたと聞きました。 ヒョウ君がメデキュボイドにいるという事は、ヒョウ君もそうだと受け取って良いのでしょうか?」

 

 食い入る様に見上げる明日奈と和人の視線をしっかりと受け止め、倉橋医師は頷いた。

 

「そうか、君達は小鶴君からは、何も聞いて無いんだね? まぁ、立ち話もなんだ、二人ともこちらに来たまえ」

 

 

 そう言って倉橋医師が招いたのは、猛の病室の前室である。ここは、かつて明日奈が、病に臥せるユウキと初めて対面した部屋である。そして今、ガラス窓の向こう側では、メディキュボイドにフルダイブ状態で横たわる祝屋猛のリアルの姿が有った。その姿にユウキとのリアルでの初対面をデジャブした明日奈は、思わずガラス窓に駆け寄り、食い入る様に猛の姿を見つめるのだった。

 

「二人をここに連れて来たという事は、僕から言える事は全て話して構わない、そう解釈して良いのかな? 小鶴君」

「あの……、タケちゃんには……、二人が来た事は内緒に……」

「窓はマジックミラーモードに、モニターも双方向通信から視聴モードに、これで猛君には二人が来た事を隠せるでしょう」

 

 消え入りそうな声で、条件付きで頷く小鶴に倉橋医師は微笑んで頷いた。そして机の上の端末機を操作する、するとモニターが起動して映像を映し出す。

 

「これは!?」

「!?」

「……」

 

 モニターの映像を見て和人は呻き、明日奈は絶句し、小鶴は悲しそうに目を背ける。映像はバーチャル空間で、必死に椅子から立ち上がろうとする猛の姿だった。その姿は和人や明日奈にとって、SAO、ALOで見ていたヒョウの姿からは、全く想像できない姿だった。

 

 介添え補助の手摺を掴む両手に力をこめて、歯を食い縛り腰を浮かせようと頑張る猛に目を奪われた和人と明日奈の肩に、倉橋医師はそっと手を乗せる。我に帰って見上げる二人に向かい、倉橋医師は口を開く。

 

「まず一つ、結論から言うと、猛君は重度の障害を背負ってはいますが、そのせいで死ぬ事はありません」

 

 その言葉に安堵する和人と明日奈、だが小鶴の表情は暗く沈んだままだった。倉橋医師の話しは続く。

 

「SAOクリア直前、アバターのHPの全てを失った猛君は、ナーヴギアからマイクロウェーブの照射を受けるも、直後のゲームクリアでそれが中断されて一命をとりとめました。カルテを見た所、まさにそれは九死に一生のタイミングでした。後僅かでもクリアが遅かったら、猛君は脳死状態になっていたかも知れない、それまでにクリアできたのは、奇跡と言って良いでしょう。しかし、命が助かったのと、無事にクリアできたのとでは、大きな隔たりが有ります。脳を焼かれた猛君は、それが原因で脳の運動神経ネットワークに大きな損傷を受け、現在も全身不随状態が続いています」

「……全身……不随……」

「そんな……」

「ええ、今確認されている猛君の状態は、眼球運動以外、全ての運動機能を喪失しています」

 

 その言葉に息を飲み、モニターの映像からメディキュボイドに横たわる猛に目を戻す和人と明日奈。明日奈の頬には、涙が伝っていた。肩を震わす二人の背中に、ふうと嘆息を漏らした倉橋医師は、自嘲気味に目を閉じると、首を左右に振ってから話しを再開する。

 

「申し訳ない、どうも話しが重くなってしまった。少し話題を変えましょう、これは昔アメリカで起きた、銃による事件の話なのですが……」

 

 突然猛とは全く違う話題に転換した倉橋医師に、軽い抗議の視線を向ける和人と明日奈。しかし倉橋医師は、包み込む様な笑みを浮かべた眼差しで二人の視線を制して話を続ける。

 

 

「昔、アメリカのとある都市の街中で、突然ギャング同士による銃撃戦が始まって、駆け付けた警官隊に制圧されるまでに、多くの関係ない人達が巻き込まれて犠牲になった事件が有りました。その被害者の中に、頭、つまり脳だね、脳を半分吹き飛ばされた、五歳の黒人の男の子がいたんです」

「……酷い」

「その男の子は、その後どうなったと思いますか?」

 

 思わず顔をしかめる明日奈に、倉橋医師が問いかけると、目を見開いて絶句する明日奈に代わり、和人が答える。

 

「えっ、それって死んだんじゃ!?」

 

 和人の答えに倉橋医師は首を左右に振って、続きを話し始めた。

 

「大脳は右脳と左脳の二つの脳を、脳梁という太い神経で繋いで情報交換をして機能をしています。男の子は、片方の脳を吹き飛ばされ、脳梁にも損傷を受けましたが、もう片方の脳は無傷という状態でした。息が有った彼は救急車で病院に搬送され、奇跡的に命が助かりました」

 

 その言葉に明日奈は安堵した表情を浮かべるが、和人はさらに疑念を口にする。

 

「でも、脳が半分吹き飛ばされたんじゃ、その後も酷い後遺症に悩まされて、最悪寝たきりなんじゃないでしょうか?」

「そう思うでしょう? ところが」

 

 そう続ける倉橋医師に、明日奈と和人は目を見開く。

 

「彼は手術後、僅か数日のリハビリを経て、後遺症も無く元気に退院しました。そうして事件後もスクスクと成長し、大学を卒業して無事に社会人になりました」

「まさか!? 脳は右脳と左脳では、運動や思考といった機能が分離して備わっているから、片方を失ったら……」

「機能は永久に失われる、そう思ったでしょう? 所が脳には我々がまだ知り得ない、神秘の能力が備わっていたのです」

「神秘の……能力……?」

 

 驚く和人と明日奈に、菩薩の様な笑みを浮かべ、倉橋医師が頷く。

 

「ええ、神秘の能力です。その子の失った脳が持つ機能が、残った脳細胞の中で再構築されたのです」

「!! ……と、いう事は!?」

「ヒョウ君……、猛君も」

 

 話しがここに至り、倉橋医師の言わんとするところを理解した和人と明日奈の心に、一筋の光明が射した。倉橋医師は大いに頷く。

 

「はい、リハビリを続けていけば、いずれ脳内に運動神経ネットワークが再構築され、運動機能を取り戻す可能性が充分に有るのです。そこで、このメディキュボイドの出番という訳です」

「メディキュボイドの出番?」

「ええ、木綿季君が最期までダイブしていたお陰で、メディキュボイドはかなり微弱な脳波をも拾い、被験者をダイブさせる事が可能である事が判明しました。それに現在市販されている、バーチャルスポーツの成果を加味すると、メディキュボイドはターミナルケアだけではなく、脳梗塞等の後遺症、そのリハビリにとって、一つの可能性と成りうる事を示したのです。木綿季君の頑張りが起こした、奇跡の一つと言っても過言ではないでしょう」

「ユウキの起こした奇跡……」

「木綿季君が旅立った後、彼女の残した臨床データを元に、猛君のリハビリに使う為、メディキュボイドは整備と並行して仕様変更が行われました。主な変更点は、拡張スロットにEMSマシンを増設した事です。フルダイブ中はALOでは自由自在に身体を動かす事で、バーチャルホスピタルでは身体を動かそうとする意志を持つ事で脳細胞を刺激し、ダイブしていない時はEMSマシンで筋肉から脳細胞を刺激する。これにより猛君はバーチャル、リアルの双方向から、脳細胞ネットワーク再構築を促すリハビリ治療を施されています」

 

 倉橋医師の言葉に、安堵と希望の光を浮かべ、和人と明日奈がモニターの映像に目を戻すと、先程とはアングルが変わって猛の姿ともう一つ、妖精の姿を映していた。

 

「うぐ、ぐぬぬぬぬ」

「頑張って、猛、あともうちょっと! もう一踏ん張りだよ!!」

 

 立ち上がろうと歯を食い縛る猛に、一生懸命激を飛ばす妖精の姿に、明日奈は目を見開き涙を流す。

 

「ユウキ」

 

 明日奈の漏らした一言に、倉橋医師はほうと驚きの眼差しを向ける。

 

「明日奈さんも、あの妖精をご存知でしたか」

「はい、ALOで……、初めて会った時は、本当にびっくりしました」

「僕も驚きました、あの木綿季君そっくりなんだから。きっとあの妖精は、木綿季君が残していった心なんでしょうね。次にこのメディキュボイドを使う人を励ます為に……。僕にはそう思えてならないんだよ」

「先生も……ですか?」

 

 驚いて聞き返す明日奈に、倉橋医師は頭を掻く。

 

「科学の最先端にいる者が、と、意外に思うでしょう。しかし長く医療に従事していると、時としてこうした想いに至る場面に出くわす事が有るんですよ」

「先生……」

 

 二人がモニターに目を戻すと、その前に拳を握りしめる和人の姿が有った。三人が見つめるモニターの中で、一瞬猛の腰が浮いた。

 

「猛!」

「猛君!」

 

 二人が、やった、という表情を浮かべたのも束の間、モニターの中の猛はバランスを崩して、前のめりに倒れてしまった。

 

「あっ!」

「ひっ!」

 

 息を飲む和人と明日奈だったが、モニターの中のユウキは違った。

 

「やったよ! 猛! 今、立ち上がったよ! 凄いよ!」

 

 喜色満面で誉めちぎるユウキの声に、照れ臭そうな猛の声が答える。

 

「でも、転んじまった。情けねぇ~」

「そんな事無いよ、メディキュボイドに入ってから、初めて立ち上がったんだよ! 凄いよ!」

「ありがとう、ユウキ。コヅ姉、見ててくれたかなぁ」

「もう、小鶴ったら、こんな肝心な時に居ないんだから……。でも大丈夫、映像記録、ちゃんと撮っておいたから」

「サンキュー、ユウキ。あれ、でもこれって……」

 

 そう言ってゴロンと寝返りをうち、仰向けになった猛が眉をひそめる。

 

「なんか俺、初めて立ち上がった赤ちゃんみたいだなぁ……」

「あっはっは、本当にそうだねぇ~。タケチちゃ~ん、タッチは上手でちたよ~」

「こら! ユウキ! ふっ、あはははははは」

「あはははは……。疲れたろう、猛。今日はもうログアウトして休みなよ」

「ああ、そうする。じゃあ、またな、ユウキ」

「うん、お休み、猛」

 

 猛とユウキの会話を聞いて、和人と明日奈の胸の中に、暖かい希望が湧き上がっていった。こんな世界を、俺は創りたい。猛の姿に、和人は自分が創造したいと願うヴァーチャルワールドの姿を、おぼろげに見つけていた。しかし……

 

「でも……、でもタケちゃん……、動けないの……。私……、私のせいでタケちゃん……、タケちゃん……」

 

 突然膝をついて泣き崩れる小鶴、明日奈はそんな小鶴に駆け寄り、肩を抱いて声をかける。

 

「小鶴、小鶴、しっかりして。大丈夫よ、猛君、きっと良くなるわ。倉橋先生も言っていたでしょう」

「でも……、でも……」

 

 泣き崩れる小鶴を抱き締め、あやす様に背中を叩く明日奈。二人の姿をみて、倉橋医師は思わず目を閉じ、うつむいた。

 

「黒人の男の子は脳が成長中だったから、数日のリハビリで済んだけど、脳が完成しつつある猛君にはすぐに効果が現れる物ではない。そう小鶴君には言っているのだが……」

 

 倉橋医師はそう言って表情を曇らせた。

 

 SAOからログアウトしてから、小鶴は今日まで献身的に猛のリハビリと生活の介助をしている。メディキュボイドに入るまでの約一年は、先の見えないリハビリに挫ける事なく、必死の介助を行っていた。それは大小の下の世話から入浴介助にとどまらない。精通の有った猛が、若い女性の看護師にその後処理をされた事を恥じると、小鶴は事前に精通の介助も行っていた。

 猛にだけ恥ずかしい思いをさせたくないと、自らも猛に裸体を晒し、愛を囁きながら……

 そんな、文字通り以上に体当たりの献身を捧げて来た小鶴だったが、それ故にメディキュボイドへの期待値が高かった。しかし、メディキュボイドによるリハビリが始まって約一ヶ月、猛には目に見える快復の兆しが見えない。そしてフルダイブして久しぶりに会話を交わした猛は、SAOの時とまるで変わらない、優しいタケちゃんだった。フルダイブした猛が、初めに小鶴にかけた言葉は、日々の介助に対する感謝の言葉である、次の言葉はこんな身体になった事の詫びの言葉。

 

 そんな猛の態度が、小鶴はとても辛かった。

 

 自分のせいなのに、タケちゃんは何一つ恨み言をこぼさない、タケちゃんに優しい言葉をかけてもらう資格なんか、自分には無いのに。

 

 自分を責め続け、小鶴の心は限界に達しようとしていた。

 

 

「先生、あれは何です?」

 

 いたたまれなくなった和人が視線を反らした先は、偶然にもメディキュボイドに横たわる猛の姿だった。そして和人は、猛の両手が握る様にボール状の物に乗せられているのに気がついた。

 

「ソフトテニスのボール」

 

 和人の疑問に答えたのは、倉橋医師ではなく小鶴だった。小鶴は嗚咽しながら、答えを続ける。

 

「タケちゃん、この頃握力が戻ったみたいだから、リハビリ用に買って来てって……。タケちゃん、私を安心させようとして……」

 

 和人は嗚咽する小鶴から倉橋医師に視線を向けた、すると倉橋医師は額を揉みながら言葉を濁す。

 

「実のところ……、本当に猛君に握力が戻って来ているかは不明なんです。小鶴君を安心させる為に嘘を言っているのか、それとも本当に握力が戻って来ているか、だとしてもそれは握力計に示されるほどの力ではない以上、計測して確かめる事は出来ません。真実の全ては、猛君の心の中なんです」

 

 倉橋医師の話しを聞きながら、猛の手を凝視する和人の頭に閃く物が有った。

 

「いえ、猛は本当に握力が戻っているのかも知れません」

「キリト君?」

 

 和人の言葉に、前室の中の全員が驚き、注目する。

 

「いや、猛がそう言うなら、絶対に握力は快復しています」

「そうね、私もそう思うわ、キリト君」

 

 断言する和人と頷く明日奈に、倉橋医師は若干の希望を含む驚きの視線で二人を見つめる。

 

「なぜ、そう言い切れるのですか?」

「SAOの最強剣士、黒のサムライ無敵のヒョウは、戦いにおいて嘘をついた事は一度も無かった。今メディキュボイドで、また立ち上がる為に必死で戦うヒョウが、猛が、いくら小鶴さんのためとはいえ、自分自身の戦いで嘘をつくことは絶対に有り得ない」

 

 その言葉にショックを受けた小鶴は、衝撃の眼差しを和人に向けた。和人は小鶴に頷いてみせた後、倉橋医師に向き直り、ある提案を持ちかける。

 

「もしかしたら、猛の握力を計測できるかも知れません、協力してくれますか? 倉橋先生」

 

 もしも和人の言う様に、猛に握力が戻っており、それを計測する事が出来ればメディキュボイドの成果を証明する事となり、不安に押し潰されそうな小鶴の心を救う事ができる。そして、視覚化された数値は猛の励みとなり、今後のリハビリの弾みとなるだろう。倉橋医師は力強く頷いた。

 

「ああ、勿論です。協力させて下さい、和人君」

 




メディキュボイドのリハビリ転用は、筆者による独自解釈によるオリジナル設定です。
銃撃戦に巻き込まれた黒人の男の子の話しは、奇跡体験アンビリバボーで紹介された実話を元にして書いています。


次回 第六話 剣聖 改め…… 第六話 レコンの憂鬱
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