ソードアート・オンライン・クロニクル もう一人の黒の剣士の物語 作:場流丹星児
「ううっ……、うぬぬぬぬぬぬぬぬぅ……」
テストの採点、返却から一ヶ月程の間を置いて、久しぶりにALOにログインしたレコンは、ずっと楽しみにしていたリーファとの冒険で、見知らぬ二人のメンバー、黒い着流しのインプとネコマタアバターのケットシーの存在に、出発からずっと歯噛みをしていた。
「それでですねタケちゃんさん……、じゃない、ヒョウさん、聞いて下さい!」
「やっぱりそう思いますか? コヅ姉さん……、じゃなくてツウさん! やっぱりそうですよねぇ~」
先頭を歩くリーファは、久しぶりのレコンを気にする素振りも皆無の状態で、隣を歩く男女二人に夢中で話しかけている。それもリアルでもALOでもレコンが見た事の無い笑顔で……
レコンがテストの後、一ヶ月もALOにログイン出来なかったのには訳がある。
リーファこと桐ヶ谷直葉とレコンこと長田慎一は、同じ高校に入学したが、入学以来、二人は学校では余り顔を会わせる機会が無かった。その理由は、直葉が避けていた事も少し有るのだが、それは微々たる物であり、大部分は二人の入試形態の違いに有る。直葉は剣道によるスポーツ推薦入試であったのに対し、慎一は学力による特進科推薦入試だった。
二人の通う高校は、公立ながらも文武両道を謳う学校であり、県下の高校では東大進学率ナンバーワンのエリート高校である。スポーツ推薦枠も狭き門だが、学力推薦は更に輪をかけて狭き門だったりする。
スポーツ特待生クラスと特進科クラスは、教室どころか校舎も別々に分けられ、接点が全くと言って良い程に無い。
で、あるからこそ、直葉に想いを寄せる慎一にとって、ALOは唯一無二の彼女との接点であり、心のオアシスである。そんな慎一にとって、前回のテストで彼の生涯初めて学年トップの座から陥落する、という大事件が起こったのだ。
慎一の成績は六位だった。
偏差値七十超が当たり前、六十九なら劣等生と言われる特進科、その中でトップテンに入る事は客観的に見て、実に大した成績である。しかし慎一は、この結果に満足せず、流石に高校の勉強は違う、と気を引き締めていた。だが、話はここからである。彼の両親、特に母親はこの成績に慎一以上のショックを受けており、テスト結果を報告した慎一を正座させると、トップファイブにすら入れないとは何事か! と、優に二時間に渡る説教をした後、ALOへのログインを禁止。解除条件は次のテストで学年トップに返り咲くか、それに値する学力証明をする事、である。
その翌日から慎一は母親によって、家庭教師付きっきりの勉強地獄にみっちりと落とされていた。とても次のテストなどと悠長な事は物心両面で耐え難い慎一は、手っ取り早く値する学力証明をする道を選ぶ。そうして勉強地獄開始から一ヶ月後の先日、前回テストより遥かに難易度の高い家庭教師御謹製のテストで、全教科満点を叩き出して学力証明をして母親を納得させる事に成功する。それもこれも、全てリーファ、直葉に会いたいが為の、慎一の執念の賜物だった。
だが、しかし……
晴れて母親の許しを得て、慎一がALOに勇躍ログインしてみると、久しぶりの冒険だというのに、見知らぬ二人連れが親しげに、愛しのリーファを独占していたのだ。
しかも由々しき事に、そのうちの一名は男である。
更に由々しき事に、どう見てもリーファはその男の方に夢中である。
更に更に由々しき事に、たった今仕入れた情報によると、見知らぬ二人組は、ゲーム内とはいえ結婚している夫婦なのである。
レコンの心中は、巨大台風の如くに荒れ狂い、巨大地震の様に揺れていた。
「ねぇお兄さん!」
「ん? どうした、レコン」
「一体誰なんですか! あの二人は!?」
「だから、出発前に紹介しただろう。着流しのインプがヒョウで、ネコマタケットシーがツウさん」
眉間に皺を寄せながら、道中何度も同じ質問をするレコンに辟易としたキリトが投げやりな口調でそう答えるが、レコンはなおもキリトに激しく噛みついた。
「そんな事を聞いてるんじゃ無いですよ! お兄さん! 僕はあの二人、特にインプの方の素性を聞いて……。あ、ああっ!!」
レコンが指差しながら、キリトからインプに視線を移す。レコンの視界には、両腕をしっかりインプの腕に絡みつけて歩くリーファの姿が映っていた。インプの二の腕は、さながら深山幽谷の桃源郷とも言える、リーファの豊かすぎる胸の谷間にしっかりと挟まっている。しかもリーファがそれを気にしている様子が全く無い。狂おしい程に羨ましくも憎たらしい光景に、思わず悲鳴をあげたレコンがキリトに食い下がる。
「良いんですか!? お兄さん!! あれ! あれ!!」
震える指先のレコンの隣で、キリトは拳に顎を乗せて、暫し目を閉じて考え込む。そして、レコンの言葉も尤もだと判断したキリトは、すたすたとリーファの背後に歩み寄り、彼女の頭に拳骨を落とした。
「いっ、痛い! いきなり何をするの!? 酷いよ! お兄ちゃん!!」
涙目で抗議するリーファに、キリトは眉をひそめてたしなめる。
「酷いじゃない、スグ。お前何回二人の事を呼び間違えたら気が済むんだ。この二人がコヅ姉タケちゃんと呼びあってるのは、俺がお前をスグと呼ぶのと同じで、リアルからの関係があるからだ! それをお前は何度も何度も……」
リーファを叱るキリトの姿に、レコンは「問題の方向性が全然違います、お兄さん」、と地団駄を踏む。しかし、そんなレコンを無視してリーファはキリトに反駁を試みた。
「だってぇ、二人に釣られちゃうんだもん。分かってよ、お兄ちゃん」
「あのなぁ、スグ……」
甘えるリーファにお冠のキリトが、なおも何かを言おうとした所、見かねたツウがリーファに助け船を流す。
「良いのよ、キリト君」
「でも、ツウさん」
ゆるふわな笑顔のツウに、キリトは済まなそうな瞳を向ける。ツウはリーファの手を取って、にっこり微笑んでこう言った。
「良いのよ、リーファちゃん。私達の事、コヅ姉、タケちゃんって呼んでも。良いよね、タケちゃん」
頷くヒョウとツウの顔を、交互に見ながらリーファの顔が、みるみる明るくなっていく。リーファは思わず二人に抱きついた。
「ありがとうございます、コヅ姉さん、タケちゃんさん。私の事は、これからスグって呼んで下さい」
「済まない、二人共」
リーファの豊かすぎる胸が、潰れる程にヒョウと密着した所で、遂にレコンは切れてしまう。
「違います! そうじゃなくてお兄さん!!」
大声でそう叫ぶレコンに、パーティーの視線が集まった。その視線の中で、最も怪訝かつ不機嫌なリーファの視線に気づいたレコンの腰が砕ける。
「んー!? 何がそうじゃないのよ、レコン!?」
「あぁ……、ああ、いや……、その、ALOなのに、何でみんな飛ばないのかな~と……」
リーファに気圧され、レコンは後退りながら、咄嗟に言い訳する。それに対するリーファの言葉が、レコンの心に致命傷を与えた。
「そんなのタケちゃんさんが歩いてるからに決まってるじゃない! バカなの、レコン?」
ヒョウはALOでの移動は、基本的に徒歩が主な手段である。理由はログインする目的がリハビリである為に、なるべくリアルと同じ動きを心掛けているからだ。これを知るのはパートナーのツウ、そしてキリトとアスナしかいない。リーファは勿論その事実を知らない、だが彼女は憧れの祝屋猛とおぼしきヒョウの行動は、基本的に全肯定なのだ。
リーファの言葉で石になったレコンを、パーティーメンバー達は何とも言えない愛想笑いで、生暖かい視線を向けていた。その中で唯一、ツウが済まなそうな笑みで、レコンに軽く頭を下げる。そのツウの笑顔にドキンとして、思わず赤面したレコンは会釈を返すふりをして、顔を伏せた。そのレコンの赤面を、リーファは見逃さなかった。
「なーに鼻の下伸ばしているのよ、レコン! 生憎コヅ姉さんは、タケちゃんさんとゲーム内結婚してるのよ、リアルでもラブラブなんだから、レコンの割り込む余地なんか無いわよ。さぁ、行きましょう、タケちゃんさん、コヅ姉さん」
「飛ぼうか? スグちゃん」
腕を引っ張るリーファに、ヒョウがそう言うと、リーファの瞳が輝いた。
「はい! じゃあ、どっちが早いか、競争しましょう」
競う様に飛び立つヒョウとリーファ、二人の行動にツウは目を白黒させて追いすがる。
「えっ、飛ぶの!? ちょっと待って、タケちゃん、スグちゃん」
慌てて飛び立ったツウは、悲鳴をあげながら先行する二人の間を、物凄い勢いで突っ切って行く。
「嫌ぁあああああああ! 誰か止めてぇえええええ!」
「大丈夫ですか!? コヅ姉さん!!」
あっという間にコントロールを失い、大空を迷走するツウを見て、リーファは目を剥いて追いかける。
「たぁすけてぇええええええええ!!!」
「あ~あ、ありゃあダメだねぇ、ヒョウ」
ヒョウの懐から顔を出し、ユウキが半ば面白がる様な瞳でツウを目で追う。
「コヅ姉……、スペックだけならALO最速なんだけどなぁ……」
自らの最大速度で、コントロールを失い墜落していくツウを追いかけるヒョウ。そんな二人の姿を見て、キリトとアスナは微笑み合う。一時期は自責の念で精神的に追い詰められていたツウは、このところ学校でも目に見えて明るくなっていた。それが意味する事は一つしか無い。
「私達も行きましょう、キリト君」
「ああ、そうだな、アスナ」
キリトとアスナは、肩を並べて三人の後を追って飛翔した。
小鶴に無理を頼み込み、猛には内緒で彼の病室を訪れた和人が、猛と小鶴のために用意したのは、一双のVRグローブだった。
VRグローブとは、バーチャルリアリティ開発の黎明期に産み出された、体感VR拡張器具の一つである。ナーヴギア以前のフルダイブ技術が未開発の時代は、バーチャルリアリティの世界を如何に実在空間の中で自然に体感できるか? という研究にその主眼が置かれていた。
まず開発されたのが、バーチャル空間を映し出すスコープ型の3D映写機で、次いでコントローラの一つとして開発されたのが、VRグローブである。
グローブを通じて仮想空間の中の物に触れる。
フルダイブが主流となった今、骨董技術と言って差し支えないその技術に和人が着目したのは、VRグローブは体感ツールであるという点に有った。モーションキャプチャーによって、装着者の動きを感知し、仮想空間の中にその動きをトレースし、かつ仮想空間内の触覚情報を装着者に伝えるこの機能を応用すれば、猛の手の動きを感知して数値化する事が出来るのではないか? 和人はそう考えたのだ。和人はVRグローブを入手すると、突貫作業でそれに適したプログラムを組み上げ、二週間程で握力測定器を作り上げた。そうして充分な変装を凝らした和人は、レクトの技術者と身分を偽って猛の病室に入り込むと、新機能追加と称してメデキュボイドの拡張スロットに改造したVRグローブとプログラムを組み込んだ。そして……
「では祝屋さん、握ってみて下さい」
普段よりも低い声色で、和人がそう猛に声をかけた。その声に答える様に猛の瞳が輝く、そして小鶴の歓喜の歓声が病室に響き渡る。
「タケちゃん! タケちゃあん!!」
和人が設定した機材の動作を示す数値と波形が、モニター画面上に映し出されたのだ。それは、今まで全身不随だった猛が、僅かながらにも握力を取り戻していた事の証明だった。その事実に小鶴は、歓喜の涙で猛の胸に顔をうずめていた。
こうして数値化されると、俄然として猛のモチベーションが上がるのは当然の事である。実のところ、猛も本音では気のせいではないかと、半信半疑だったのだ。自分は順調に快復している事を明確に自覚すると、リハビリの効果も加速度的に向上していく。それが小鶴の喜びになり、彼女も日に日に本来の明るさを取り戻していく。そしてその小鶴の姿は、猛の喜びとなり、励みになっていく。
こうして猛は、それまでの一年間が嘘の様にリハビリが進み、快復していった。その効果は小鶴の私生活にも表れている、学校で、ALOで、明日奈や和人が感じ取った、僅かに取り繕う様な明るさが消えていき、本来の自然な明るさを取り戻してる。
「ほら、コヅ姉!」
「タケちゃ~ん!!」
コントロール不能で落下するツウに追いついたヒョウが手を伸ばす。その手をツウが夢中で掴み、辛くも落下ダメージによるHP全損のデスペナルティーを免れる。バランスを取り戻し、ツウはヒョウと手を繋いで飛翔し、大空を満喫する。
繋いだ手と手の温もり、それはALOの中だけではなく、現実世界でも取り戻していた。
次回こそ 第七話 剣聖