ソードアート・オンライン・クロニクル もう一人の黒の剣士の物語 作:場流丹星児
陣羽織の少年の言葉通り、トールバーナーの転移門前広場からほど近い郊外に、彼等の借りている家が有った。そこは意外にも、キリトとアスナが利用している農家の隣であった。もっとも隣と言っても、広大な農地を挟んだ隣なので、今まで面識が無かったのも不思議では無いが、この事実はキリトとアスナを拍子抜けさせた。キリトとアスナは第二層のアクティベートを済ませた後、一度引き払っていたのだが、まだまだ第二層の攻略序盤でもあり、ここからでも利便性に不利は無いと戻って来ていた。更に厳密な理由を挙げると、キリトは毎日の新鮮なミルクであり、アスナはゆったりとした風呂場である。
四人は何だ隣だったんだ、偶然ねと言いながら、同じ作りの農家の二階に上る、途中アスナはロッキングチェアーで船を漕ぐお婆さんの頭上に、クエスト開始合図の『!』が無い事に気がついたが、スルーして後に続いた。
部屋に入ると、黒い陣羽織の少年がキリトとアスナに、ようこそ、寛いでくれと言いながらメインメニューを操作して、装備を部屋着に替えて椅子に座った。ああ、ありがとうそうさせて貰うと、キリトとアスナも武器防具装備品解除をした。二人に椅子を勧めながら、少年はある事をはたと思い出す。
「そうだ、自己紹介がまだだったね。はじめまして、俺はヒョウ、よろしく。」
続いてパートナーの少女も自己紹介をする。
「はじめまして、私はツウよ、よろしくお願いします。」
二人の自己紹介を聞いて、アスナが面食らって聞き直す。
「ええっ! じゃあタケちゃん、コヅ姉って……」
アスナの言葉にヒョウが罰の悪そうな顔で答える。
「あっち側で、お互いそう呼んでいるんだ。なかなか抜けなくて。」
ヒョウの言葉に相槌を打つ様にツウが微笑む、なあんだ、そうだったのと笑顔を返すアスナ。
「じゃあ今度はこっちの番だな、俺は……」
とキリトが自己紹介を始めると、ヒョウはそれを意味有り気な笑みを浮かべて遮った。
「知ってるよ、キリトにアスナだろ。」
してやったりと微笑むヒョウに、驚きを隠せない二人が聞き返す。
「どうして、それを!? 」
「いや、実は俺も第一層のボス攻略に参加していたんだ。」
「タケちゃん、ボス攻略から帰って来るなり、凄い二人が居るって、あなた達の事をベタ褒めしてたのよ! 」
えっ、という表情を浮かべるキリトとアスナに、今度はツウがそう話すと、ようやく二人は警戒値を下げた。
「何だ、そうだったのか。」
「ごめんなさい、全然覚えてなかったわ。」
「無理ないよ、俺はあの時はその他大勢だったし、装備も全部変えたから。さて、お腹空いたな……、二人はどう? 」
ヒョウが話題を変えてそう聞くと、二人は微妙な表情を浮かべて顔を見合わせる。
「そうだな、時間も時間だし……」
「要件だけ手短に済ませて、今日はそろそろ……」
二人が済まなそうに立ち上がろうとするのを、ヒョウは慌てて引き留める。
「いや、そうじゃなくって、もし腹が減っていたら、ここで食っていったらどうかな。」
意外な申し出に、キリトとアスナが『えっ』と固まる、そんな事はお構い無しにヒョウは傍らのツウに確認を取る。
「良いだろ、コヅ姉。」
ヒョウの言葉を首肯したツウは得意気に頷くと、キリトにアスナにVサインを送って高らかに宣言した。
「任せなさい! 」
バーンと効果音が聞こえそうなツウの反応を、満足気に微笑んで見上げるヒョウ。その姿をキリトとアスナは呆気に取られて見つめていた。
「さあアスナさん、手伝って貰うわよ。」
二階の部屋を出て、アスナを伴い一階の厨房にやって来たツウは、メインメニューを操作してある道具を実体化させる。
「あの、ツウさん……、これは……何なのかしら。」
いまいち事態が飲み込めないアスナに、ツウは笑顔で説明をする。
「ジャジャーン、調理器具でーす。」
「調理器具!? 」
オウム返しに聞き返すアスナに、ツウは更に詳しく説明をする。
「こっちが昨日タケちゃんにおねだりして買ったフライヤーで、こっちが今日のクエストで手に入れた羽釜! 」
目を皿にしてフライヤーと羽釜を見つめるアスナに、ツウはパンパンと手を叩いて意識を自分に向けさせた。
「さぁ、腹っぺらしが皿を叩いて待ってるわ、愛しい旦那様の為に、我々愛妻軍団で美味しい御馳走を作りましょう! 」
「えっ、愛しい旦那様って……、ちょっとツウさん、私とキリト君はそんな関係じゃ……」
慌てて否定するアスナの言葉もなんのその、ツウは食材アイテムの米を羽釜に入れながらアスナに指示を出す。
「さぁて、御飯はこれで良し、お米を研がなくて良いのは楽ね。アスナさん、そこの卵をボールに割って、溶いてちょうだい。」
「あっ、はい。」
ツウの指示に従い、アスナは卵をボールに割り入れて、目についた菜箸でグルグルと溶き始めた。その様子をツウは目を丸くして見つめ、アスナを賞賛する。
「アスナさん凄い! 私、そこまで出来る様になるまで、卵幾つダメにしたかわかんないわ。」
「そんなに凄い事なの、これ。」
ツウの賞賛を、半信半疑で聞き返すアスナ。
「凄いも何も、料理スキル無しで、食材アイテムをダメにしないで扱えるなんて、この世界では有り得ないのよ。」
「料理スキルって、何!? 」
『料理スキル』という言葉に激しく反応したアスナは、自身の放つリニアーもかくや、という勢いでツウに迫る。ツウはそんなアスナをゆるふわっと包む様に、料理スキルについて説明する。
「料理スキルっていうのは、その名の通りドロップしたり買ったりして手に入れた食材アイテムを、美味しく料理する為のスキルよ。ゲームがこうなった以上、ある意味今のSAOで最も重要なスキルだと私は思うの。」
「今のSAOで最も重要なスキル……」
「ええ、ゲームをクリアして現実に帰るには、戦闘スキルを上げるのが確かに早道なんだけど、私はそれだけじゃダメだと思うの。」
今日までの自分を思い返し、ハッとするアスナ。ツウはアスナの目の鱗をまとめて大量に落としている自覚を持たず、ベータ版から感じていた持論を開陳していく。
「どんなに心の強い人でも、いつか必ず挫折を経験すると思うの。強い人ほど、その時味わうショックは大きいんだと私は思う。だから、心に余裕を持つ事が何より大事じゃないかなって思うの。SAOがこんなデスゲームになった今、ただボス攻略にだけ血道をあげて、そのためだけにレベルを上げて、殺伐とした空気の中で生きていたら、いつかきっと心が壊れてしまう。そうならない様に、私はタケちゃんの為に、心の余裕を作ってあげたいの。毎日の終わりには、笑って美味しいご飯を食べられたら、それだけで幸せじゃない? だからこの料理スキルを取ったのよ、タケちゃんの心が壊れないように。」
ツウの話を聞いて、アスナはトールバーナーに来るまでの自分を思い返す。絶望感に押し潰されてはじまりの街の宿屋の一室で震えてたあの日、その反動から自暴自棄になり、無茶苦茶なレベリングを行い、倒れるまでダンジョンに籠ったあの日。
モンスターに負けて命を失っても、このゲームにだけは負けたくない、そう意気込んでいた自分は、実は今までこのゲームに負けていたのだ。アスナはツウの言葉で、改めてそれを思い知らされる。
「料理スキルか……」
しみじみと呟いたアスナがツウに目をやると、彼女は新たな食材アイテムを実体化して包丁で切り分けていた。
「それは……ひょっとして……」
「昨日ドロップしたドナドナ猪豚のロース肉よ、今切り分けるから、アスナさんは塩コショウをして溶き卵に漬けて、パン粉をまぶして並べてちょうだい、フライヤーから先はスキル持ってないと失敗するから。」
「分かったわ、先ずは塩コショウね……、ってそうだ、昨日あなた達が沢山ドロップアイテムを出したのに、私達は全然だったの。この違いって何だったのかしら? 」
ドナドナ猪豚のロース肉を切り分ける手を止める事なく、ツウはニコニコと笑いながらアスナの疑問を解消する。
「怒りのドナドナスタンピートには裏技が有って、料理スキルを持つプレイヤーが挑戦すると、レベルによって最低十五パーセント以上の割合で、食材アイテムを拾う事が出来るの。」
「ああ、そうだったんだ……」
この人一家に一人欲しい。アスナはツウの博識に感心すると同時に、内心で目下パーティーを組んでいる宿六に「キリト君の戦闘バカ! 同じクエストでも、アプローチの仕方でこんなに違いが有るじゃない! おかげで食材アイテムを丸々大損よ! 」と拳を握って毒づいた。
「アスナさん。」
暫し脳内トリップをして、キリトを正座させて説教していたアスナは、ツウの呼びかけで我に返る。そして自分がパン粉にまぶしたロース肉を、まるで首を絞める様に握り締めている事に気がづいた。
「あら、私ったら! ごめんなさい! あは、あはははは……」
「うふっ」
顔を真っ赤にして誤魔化し笑いをするアスナに、ツウは優しく微笑みながら次の指示を出す。
「それは後は私がフライヤーに入れておくわ。アスナさんはフライパンを使って、付け合せの目玉焼きを焼いて。」
「分かったわ、目玉焼き目玉焼きっと。」
知らず知らずのうちに、ツウのペースにハマってしまい、はからずも家庭的な空気に首までどっぷりと浸かってしまうアスナ。その心地よさにウキウキしながら、確かにこれは大事な事だと痛感する。そしてその気分は、最初の目玉焼きを、目玉炭にしてしまった事で霧散してしまった。ウルウルと涙目でフライパンを見つめるアスナの肩を、ツウは優しく抱き締める。
「良いのよ、さあ、次いってみよう! 」
「でも……」
折角の食材アイテムを無駄にしたと、アスナは済まなそうな視線を向けるが、ツウは気にしない気にしないと次の挑戦を促す。
「良いのよ、卵なんて幾らでもあるんだから。」
「だって……」
「アスナさん達の所はミルクでしょう? それが私達の所は卵なのよ。とっても美味しいんだけど、外に出したら五分でパーになるんだから、気にしないでジャンジャン使っちゃおう! 」
その言葉に心を持ち直すアスナ、頬をピシャピシャと叩き、気持ちを切り替えてフライパンを火にかける。
「私達がいの一番にこの農家を押さえたのは、それが理由なの。ここはふんだんに卵を使えるから、料理スキルをゲットして上げるのにはもってこいの場所なの。」
フライパン相手に奮闘中のアスナに、ツウは借りている農家についての説明を始めた。
「因みにアスナさん達の所はバリスタスキルがゲット出来るわ、お茶やらコーヒーは一階の厨房に有るのを勝手に使って大丈夫だから、遠慮なく使えばいいわ。一階のお婆さんのクエストはもう解いた? 」
「いいえ、レベリング優先だったから無視してる。」
「そうなんだ、勿体ない。私達は今日解いたの、在りし日の思い出の指輪ってクエストなんだけど、お婆さんが春先に種まきしている最中に、亡くなったお爺さんの形見の婚約指輪を農場で落としてしまうのよ。」
「あら、それは可哀想ね……」
「塞ぎ込んだお婆さんを元気づける為に、収穫を手伝いながら指輪を探すというクエストなんだ。」
「へぇ、良いクエストね。」
「で、挑戦するだけでも収穫したお米と麦と野菜を貰えるんだけど、指輪を見つけたら貰える量が二倍になって、炊飯用の羽釜を貰えるの。そして見つけるには……」
感の良いアスナが先回りして答える。
「料理スキルが必要! 」
「御名答! 」
「「あはははは」」
「因みにそっちは、お婆さんが趣味でやっている茶畑とコーヒー園という設定よ、貰えるのはティー&コーヒーセット一式。」
ひとしきり笑い合った後、アスナがフライパンを見て喜びにまた顔がほころんだ。
「見て、ツウさん、出来たわ! 」
「やったわね、お見事! 」
上手に焼き上がった目玉焼きを見つめるアスナ、彼女はSAOに来て初めての感動を味わっていた。
「ねえ、アスナさん。」
感動に浸るアスナに、ツウが嬉しそうに声をかける。
「顔はそのまま、動かさないで、目だけ動かして右下を見て。」
「え、こう? 」
言われるままに、アスナは視線を右下に持っていく。
「何か、点滅していない? 」
「本当だ、点滅してる! 何? 何なの、これ? 」
ツウの言葉通り、小さく点滅している点を発見したアスナは、興奮気味にツウに質問した。
「有った? やっぱり! じゃあ、メニューウインドウを開いてみて。そしたらスキルメニューを開いて、新規獲得スキル欄をオープン。」
言われるままにメニューウインドウを操作するアスナが、最後に開いたメニューに見たものは
料理スキルを獲得しました
セットしますか?
yes<
no
という表示だった。
アスナは迷わずyesをクリックする、そして目の前の恩人に抱きついた。
「やったーっ! ツウさん、私、料理スキルをゲット出来た! 」
「おめでとう、アスナさん。じゃあ早いとこ終わらせて」
「ええ、腹っ減らしの所に持って行こう。」
二人は楽しく笑いながら、再び料理に取り掛かるのだった。この日はアスナに取って、忘れられない一日となった。
「おおーっ、これはまた……」
「コヅ姉、今日は御馳走だねぇ。」
キリトとヒョウが、テーブルにところ狭しと並べられた御馳走を前に、目を丸くして感嘆の声をあげる。
「ジャーン、今日はドナドナ水牛の霜降りステーキと、ドナドナ猪豚のロースカツとヒレカツの盛り合わせでーす。その心は、テキに勝つ! 力を合わせて、アインクラッドと茅場晶彦に勝つぞー、おー! 」
「コヅ姉、ベタ過ぎ。」
「ベータテスターだけに? 」
拳を突き上げるツウに、ヒョウが苦笑いしてツッコミを入れると、ツウは更に悪ノリして見せる。
「それから、付け合せの目玉焼きは、なんとアスナさんご謹製でーす。パチパチパチ」
「いやだ、ツウさん、恥ずかしい。」
「へぇー、アスナって料理出来たんだ!? 意外…… 」
驚きの声をあげて、料理とアスナを交互に見やるキリト。
「ちょっとキリト君、それどういう意味よ、 もう! キリト君には食べさせてあげない! 」
「いや、悪い意味じゃなくて、良い意味で裏切られたというか……、アスナって、今まで攻略にばかり目が行ってる感じで、こんな余裕があるなんて、やっぱり流石は女の子だなと……」
誤解を解こうとしどろもどろに説明するキリトに、アスナは満足してお許しを与える。
「そう、ならば食べてよーし。」
「ははっ、心していただきます。」
「うふっ」
大袈裟に手を合わせて感謝の意を表すキリトに、クスリと微笑むアスナ。暫し見つめ合った二人は、不意に漂って来た懐かしい香りに一瞬目を丸くすると、クンクンと鼻をヒクヒクさせてその香りが何なのか確かめようとする。
「はい、どーぞ。お代わりも有るから、ジャンジャン食べてね。」
ツウが笑顔で茶碗によそって目の前に置いた、白く光り輝くそれを見て、キリトは長期海外留学を終えて帰国した日本人学生の心境を知った。一緒に料理の手伝いをして、知っていたとはいえアスナもそれは同様である。
「おい、これはまさか! 」
「ご飯、白いご飯よ! キリト君! 」
二人は血走った目でヒョウに迫り、その肩を激しくゆさぶる。
「おい、ヒョウ! お前は毎日こんな物を食っているのか!? 」
「うん。」
「これは不公平よ! ヒョウ君、ツウさんを私に頂戴! 」
「それはちょっと……」
「ヒョウ! 」
「ヒョウ君! 」
SAOに囚われて以来、初めて見るツヤツヤの白いホカホカご飯に我を忘れ、欠食児童と化したキリトとアスナにタジタジとなったヒョウに、ツウが助け船を流した。ツウは日本の呑気な母さんよろしく、二人の欠食児童に一言こう告げる。
「早く食べないと冷めちゃうわよ。食べないんなら、下げちゃうけど。」
その一言に、欠食児童二人は、自らのアジリティ能力の限りを尽くしてテーブルに着く。
「「いただきます! 」」
マッハの勢いで着席した二人を見て、微笑みながら自分達もテーブルに着くヒョウとツウ。テーブルの面々は、家の主人たるヒョウの一言を待つ。
「じゃあ食べようか、いただき……」
と言いかけた時、無粋な来客を告げるノックが鳴り響いた。激しく落胆するキリトとアスナ。慌てて来客対応をしようと腰を浮かせかけたツウを制し、ヒョウは扉に向かい対応する。
「よう、邪魔するヨ、ヒー君、ツー子。」
「アルゴさん、こんばんは。いらっしゃい。」
来客はアルゴだった、気安い態度で接する所から、ヒョウとツウのカップルは、アルゴとかなり近しい仲である事が察せられる。
「ハイ、こんばんは、ヒー君。実は二人に会いたいって奴がいるんダ。悪い奴ジャ無いから、是非会ってやって……おおっ!? 」
部屋に入りながら話すアルゴは、意外な先客に驚いて目を見張る。
「キー坊にアーちゃん……、何でここに居るンダ!? 」
「アルゴさん!? 」
「何っ、アルゴ!? 」
アスナとキリトも、まさかアルゴとここで会うとは思わず、驚きの声をあげた。目をぱちくりさせて彼等を交互に見やるヒョウ。
「知り合いだったんだ。」
「知り合いも何も、二人に会いたいって言ってたノガこの二人サ。まさかここに居るとは思わなかったゼ。にしても、いい匂いじゃないカ。」
「アルゴさんもどうですか? 」
「えっ、良いのカイ? 悪いナァ、ヒー君。」
そうは言いつつ、御承晩に預かるつもり満々のアルゴは、ニンマリと笑顔を浮かべてテーブルに着く。
「白いご飯とは泣かせるじゃナイカ。お姉さん感激ダゼ。」
「お代わりしてくださいね。」
「コイツを前にして遠慮したら、日本人の名が廃るってモンよ! ガッツリいただくゼ! 」
白いご飯を前に、腕まくりをして箸を握り締めるアルゴに、キリトとアスナは一瞬前の自分を見た気がして苦笑いを浮かべる。
「それじゃぁ改めて、いただきます。」
「「「「いただきます! 」」」」
ヒョウのいただきますの挨拶を合図に、楽しい夕餉の時間が始まった。五人はアインクラッドに囚われて以来、忘れかけていた団欒の雰囲気を思い切り堪能する。
「いや、しかし、キー坊とアーちゃんがここに居るなんて、俺っちも意外だったゼ。」
「ああ、俺達だって正直こうなるなんて予想外だったさ。」
「ええ、でも転移門前広場で偶然あの騒ぎを見かけて……」
アルゴの疑問に、キリトとアスナがトールバーナーの転移門前広場での出来事を詳らかに説明する。
「ツー子、お代わり。ふーん、そうだったノカ。災難だったナ、ヒー君。」
「実際二人には感謝だよ、ありがとう。」
ヒョウの改めての礼の言葉に、キリトとアスナは「いや、もう気にしないでくれ! 」「そんな、当然の事よ! 」と、叫ぶ様に言った。
「そんな事があったノカ。あの三人、どこへ行っても評判が悪いゼ。まともに対応してるのは、MTDのシンカーとヒー君だけダゼ。」
アルゴの話によると、あの三人組は口先だけは一人前だが行動が伴わず、それが元でトラブルが絶えないらしい。そのくせ自分達の落ち度が明白な場合でも、強引な責任転嫁と無理な自己正当化で居直り、誰にも相手にされなくなっているらしい。
「そういえばあの三人、ヒョウ君の事をビーターって呼んでたわね。」
「ああ、そうだった。ヒョウ、お前何で否定しなかったんだ? 」
「あの子達、あっちの世界でもああだったのよ! タケちゃんにいつも突っかかって、困らせてばかり! 今日のアレだって、ああ言えばきっとタケちゃんが困るだろうって事だけで、軽い気持ちで言ってるの! 」
「多分、ビーターの意味すら知らないんだろうな……、否定しても傘にかかって連呼するだろうし、するだけ無駄なんだ。」
アスナとキリトの疑問に、ツウは憤慨しヒョウがため息混じりに答えた。
「今の所知れてるビーターの特徴は、すこぶる付きの美人の女を連れた、黒いロングコートを着た男、って事だからナ。ヒー君にもそれに該当するワケだ。あの三人は多分それでヒー君をビーター呼ばわりしたんだナ。」
大皿からヒレカツを一枚つまみ上げ、鼠の様に咀嚼しながらアルゴが呟くと、それを受けてキリトが強い口調でヒョウに提言する。
「なぁ、ヒョウ、その格好、どうにかならないか? 」
「どうにかって? 」
首を傾げるヒョウに、キリトの意を汲んだアスナも考えを伝える。
「あの陣羽織、見方によってはロングコートに見えなくもないわ。色を変えるとか出来ないの? 」
「ああ、何も好きこのんで誤解を受ける格好をしなくても良いだろう。」
キリトとアスナの意見を目を閉じて頷きながら耳を傾けるヒョウ、その姿に思いが伝わったと二人は感じたが、ヒョウは静かに首を左右に振った。
「だからこそ、なんだ。」
「えっ!? 」
「どういう事だ!? 」
意外な発言に驚く二人は、ヒョウの真意を問いただす。ヒョウは莞爾とした微笑みを浮かべ、ツウの後ろに立つと、愛げにその肩に手を置いた。
「もうお察しの通り、コヅ姉……いや、ツウは元ベータテスターなんだ。」
「ああ、俺っちもその時からのつき合いだからナ。」
ロースカツを口に放り込んだアルゴが、二ィッと笑ってツウにウィンクをする。
「アルゴさん、じゃあベータテスト中の、ツウの通り名は知っているよね。」
「おうよ、人呼んで『死に戻りのツウ』、色々情報を集めて来る割にはモンスター戦闘がカラッ下手で、気持ちいいまでの殺られっぷりは、ある種の清々しさが有ったヨナ。」
アルゴの説明に、えへへと罰の悪そうな笑顔を浮かべ、ヒョウを見上げるツウ。
「だからなんだ、ソードアートオンラインというゲームがこうなった以上、保身の為のスケープゴートとして、コヅ……ツウの情報をリークする元ベータテスターが出てくるかも知れない。そしたら……」
「そうか! 魔女狩りが起こるかも知れない、という事か。」
「ご名答。」
「そんな、まさか! 」
「イイヤ、充分有りうるだろうナ。軋轢を背負ったキー坊は、どうこう出来る相手ジャ無いから、手っ取り早い八つ当たりに、死に戻りを的にしようという馬鹿が出てこないとも限らないシナ。」
アルゴがそう結論すると、楽しかった団欒は、急に重苦しい空気に満たされる。
こんなに美味しい料理を作れるツウさんが、私に大切な事を惜しみなく教えてくれたツウさんが、そんな危険な立場にいるなんて。アスナの心はSAOという理不尽な『檻』に対し、明確な怒りの感情を抱くのだった。
そういえばキリト君が言っていた、元ベータテスターのほとんどを、レベリングもまともに出来ない初心者だったと。今はキリト君が自らビーターを名乗り、一般購入者の憎しみを肩代わりしているが、とてもではないが、闇討ちをしても彼に敵う存在がいるとは思えないし、今後も現れるとは思えない。それを誰もが実感した時、溜まった鬱憤を晴らす為、手近な『低レベル』の元ベータテスターを的にかける者が出てくる日が、本当に来るのかも知れない。その時迫害を受けるのは、ツウさんの様に戦闘を苦手とするプレイヤーだろう。こんな素敵な人が『元ベータテスター』だったという事だけで、スケープゴートとなり迫害されるなんて、絶対に許せない!
アスナが唇を噛み締めた時、ゆっくりとヒョウが済まなそうに真意を語り始めた。
「だから、キリトには悪いが、その決意を利用させて貰った。俺がキリトの振りをして、黒いロングコートを着ていれば、あの三人組の様に勝手に俺をビーターだと勘違いする奴が出てくるはずだ。そうなればツウを元ベータテスターだと勘ぐる奴はいなくなる、なにせビーターの連れの『すこぶる』美人は、一般購入プレイヤーだからな。」
すこぶる美人と言われ、頬を赤く染めながら、アスナはヒョウに自らの考える危惧を告げる。
「でも、それでもツウさんの危険は消えないわ。ビーターの連れは『女』なんだから、与し易いと侮る者も出てくるはずよ。私なら返り討ちにしちゃうけど、ツウさんは……」
「だから俺は強くなる! 」
アスナの言葉を遮り、ヒョウはキッパリとそう断言する。
「俺はその時コヅ姉を守れる様に、誰よりも強くなる! どんな相手からも、どんな手段からも、最後までコヅ姉を守る為に強く。」
静かに、穏やかにそう言い切ったヒョウの目に、三人は微かな狂気を感じ取った。その静かな迫力に三人は気圧され、押し黙ってしまった。
暫しの沈黙の後、意を決したアルゴが、場の空気を強制換気すべく、務めて明るい口調で口を開いた。
「ヒー君の決意はワカった! そうならない様祈っているガ、お姉さんが尽力シテ、情報を操作しておいてやるヨ! この旨い飯に免じてナ。それにしても本当に旨い飯だよナ、ツー子はいい嫁さんになるゼ、きっと。」
場の空気を変えるには、些かわざとらしく、無理の有る発言だったが、結果としてその目的は成功した。ただしアルゴの言葉を受けて返された、ツウの言葉により、その空気が変えられた方向は、三人の望んだよりも遥か斜め上の方向であった。
「お嫁さんになれるって、何言ってるのアルゴさん。私、もうお嫁さんなのよ! 」
「「「えっ!!! 」」」
驚いて目を見張る三人は、ツウの肩の上に優しく乗せられたヒョウの左手と、頼もし気に添えられたツウの左手のそれぞれの薬指に、堅い誓いの証が輝いてるのを確認したのだった。
食事の後片付けの為、再び一階の厨房へとやって来たツウとアスナは並んで流しに立ち、大量の洗い物と格闘していた。二人はまるで真逆の態度で作業を進めている、鼻歌まじりでルンルンと作業を進めるツウに対し、一方のアスナはどんな態度を示して良いのか分からずに、ぎゅっと口を閉じて黙々と作業を進めていた。
「あの、今さらこう言うのもなんだけど……、二人、仲良いのね……」
「うん、小さい時から、ずっと仲良しよ。」
屈託の無い表情でそう話すツウの顔を、アスナは眩し気に見つめる。
「私、歳の近い兄弟がいなくて、そういうの憧れちゃうな……」
「そう? でも、私はいつもタケちゃんに助けられてばかり、こっちでも、あっちの世界でも。タケちゃんね、中二なんだけど、訳ありで今忙しい生活をしているの。」
ツウが不意に遠い目をして、あっち側の世界での思い出を話し始めた。
「それは私が小さい時に逃げ出した事のせいなんだけど、タケちゃんは何も不満を言わないで、毎日一生懸命で……」
アスナは優しい目を向けて、ツウの思い出話に耳を傾ける。
「私、今のままじゃ、タケちゃんが壊れちゃうんじゃないかって心配で、何か上手に息抜き出来る事はないかしらって、色々探して、見つけ出したのがナーブギアとソードアートオンライン……」
皿がツウの手から床に滑り落ち、乾いた音と派手なライトエフェクトを発してポリゴンの欠片を散らして消えていく。膝をついて、激しく震える肩に、アスナはツウの深い悔恨の念を感じ取った。
「それが……、こんな事になるなんて、私……、私……」
慟哭するツウの肩を、アスナは後ろから優しく抱きしめる。
「それでも、タケちゃんは私を励ましてくれて、私の方が年上なのに、お姉さんなのに……。あっち側でも、こっち側でも、私はいつもタケちゃんに守られてばかりで、私、お姉さん失格よね……」
「いいえ! そんな事無い! そんな事無いわ! ヒョウ君、いえ、タケちゃんだってそんな事思ってない! 」
「本当……」
「ええ、きっと、きっとそうよ! そうに決まってる! 」
アスナは泣き崩れるツウを正面から抱きしめる。
「だから、あなたは何にも後悔しなくていいの! 後悔しなくていいのよ! 」
アスナは胸の中で、何度も頷くツウの姿に、みんな自分と同じ不安を抱えていた事を、文字通り肌で感じ取った。悲しみ。痛み。その全てを。
「ごめんなさいね、アスナさん。こんなみっともない姿を見せちゃって……」
「いいえ、大丈夫よ、ツウさんはみっともなくないわ、全然! 」
アスナは首を左右に振ってから、涙に濡れるツウの目を正面から覗き込む。
「今まで辛かったよね、痛かったよね、分かるわ、私も一緒よ。ねえ、泣こう、私達には泣く権利が有るわ! だから一緒に泣いて、後悔も、弱い自分も全部涙で流し尽くしましょう、ソードアートオンラインと戦う為に。」
抱き合って慟哭する二人を、暖炉の前でロッキングチェアーに揺られ座るお婆さんのNPCが、孫娘を見守る様な慈悲深い表情で、微笑みながら見つめていた。
次回 ナンバ