偽伝・機動戦艦ナデシコ T・A(偽)となってしまった男の話   作:蒼猫 ささら

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第十一話―――慰霊(前編)

 戦闘は終わった、ナデシコが到着する前に。

 そのナデシコは既にドック入りしている。ただあれから数時間、再度襲来を警戒して戦闘配置が続いていた。

 しかし、それも今は解除されている。

 サツキミドリより離れたL3の別の宙域……別のコロニーに駐留している連合軍第2艦隊(月方面軍)に属する部隊が警護に就いたからだ。

 恐らくルリちゃんの打った策によって、主導権を握ったネルガルが動かしたのだろう。住民の退避も考えての事だと思う。

 お蔭でようやく長い、長い緊張から解放された。

 

「すぅ……はぁ……」

 

 コックピットから降りて一度背を伸ばして軽く深呼吸した。

 長い間シートに座り、狭いコックピットに缶詰めになっていた状態からの解放感からそうせずにいられなかった。

 

「おう、テンカワ……」

「あ、ウリバタケさん」

 

 何時ものように……といってもまだ二度目だが、ウリバタケさんが出迎えてくれた。

 

「ご苦労さん」

「いえ、そちらこそ、ご苦労様です」

 

 やはり例によって労いの言葉が掛けられ、俺も長い待機状態にあったウリバタケさんを労った。

 だが、ウリバタケさんは首を横に振る。

 

「いや、俺達はそんなでもねえ。交代で休憩と仮眠の許可は出てたからな。ずっとコックピットで缶詰めだったお前ほどじゃねえよ」

「そうなんですか?」

「ああ、まあ、だが……ありがとよ。パイロットってのは自分が主役だと思いたがる奴が多いっていうしな。こうして俺達……整備の連中に気を遣うのは良い事だ」

 

 そう言いながらウリバタケさんは、ガイの機体があるガントリーの方へ視線を向ける。

 思わず苦笑した。アイツは自分が主役だと思ってるパイロットの代表格と言えるような奴だし……うん?

 

「あれ? ガイの奴、降りてこないな?」

 

 ふと、ガイのエステのコックピットが一向に開かない事から不思議に思う。

 

「そういや、そうだな。どうしたんだアイツ? ……おーい!」

 

 ウリバタケさんも首を傾げて……叫んだ。ガイの機体の周囲にいる整備員達に。

 

「ヤマダの野郎、なんで出て来ないんだ! これからが俺達の仕事……整備があるんだぞ! ピットを外してとっとと取っからねえと! 0G戦フレームが納入次第、そっちの調整だってあるんだ!」

「いや、……そ、それが!」

「あん、なんだ! 何が言いたい! ハッキリしろ!」

 

 ウリバタケさんの言葉に困惑した表情を見せる整備員。

 

「……ヤマダの奴――寝てます!」

「ハァ!?」

 

 ウリバタケさんが盛大に唖然とした表情を見せ、その隣で俺も唖然とした。

 って、そういえば待機に入って一時間ほどは通信でやたらと話しかけて来ていたガイが、どうしてか突然に黙り込んでいた。少し不思議に思ったけど…………そうか、眠っていたのか。

 

「――ッ! コックピット強制開放だ! 叩き起こせ! ……いや、放り出してそこらに捨てちまえ!! こっちはこれからが忙しいんだ!! 遠慮してやる必要はねえ! 構ってられるか!!」

「りょ、了解!!」

 

 ピキッとこめかみに青筋を浮かべたウリバタケさんの怒声を受けて、整備員達はアワアワとした様子で指示を実行した。

 コックピットが解放され、三人以上の整備員にガイは引きずり出されて――

 

「「「――せーの……っ!!」」」

 

 固い床に投げ捨てられた。

 一切躊躇した様子もなく整備員達はそれを行った。彼らにしても呑気に寝ていたガイに思う所があったのだろう。

 ……俺も止めようとは思わなかった。

 

「ぐぇ!?」

 

 エステバリスの胸下ほどの高さから床に叩きつけられたガイは、思いっ切り背中を打ってカエルが潰れたような声を上げた。

 

「……!? ……!!?」

 

 寝ていた所への突然の衝撃と痛みにガイは目を覚ましたものの、パクパクと口を動かし、一度声を上げてからは無言でピクピクしている。まるで陸に打ち上げられた魚だ。声を出せない程の痛みらしい。

 しかし、

 

「ったく! 手間かけさせやがって!」

 

 ウリバタケさんはそれを見ても気が晴れないのか悪態をついた。

 そして俺は溜息を吐くしかなかった。

 

 

 

 

 忙しそうでピリピリした(半分はガイが原因なのだろうが)ウリバタケさんの様子もあって俺達は早々に格納庫を後にした。

 更衣室へ入り、パイロットスーツを脱ぐと、ガイはロッカーに張られた大きめの鏡と手鏡を写し鏡にして背中を確認していた。

 肩甲骨二つに大きな痣が出来ている。

 

「うわ、でけぇ痣になってやがる。痛っ……っつ……、この仕打ちは無いんじゃねのか? 蜥蜴どもを追い払ったヒーローに対してよ」

「寝てたお前が悪いんだろ。いつまた出撃が掛かるか分からないってのに……」

「ぐ……」

 

 俺もパイロットスーツを脱いで呆れた口調で言うと、ガイはバツの悪そうな顔をした。何かしら言い訳を口にするなり、誤魔化したりすると思ったがさすがに悪いと思ったようだ。で、

 

「悪かったよ」

 

 ほんとにそう思っていた。ガイは素直に謝った。

 

「なんだかんだ言って俺も防衛ラインの時が初陣だったからな。その後であの戦闘だ。柄にもなく疲れていたらしい」

 

 だが、そう言い訳めいた事も言う。しかし俺は咎める事はできなかった。パイロットとしては共感できる事だからだ。

 それにいつになく真面目な表情をしている。

 

「戦闘ってのは、ああなんだな」

「……」

 

 しみじみとした感じでポツリと言う。その言葉は曖昧だったが……不思議と言いたい事が何なのか理解できた。

 さっきの戦闘を思い返しているのなら嫌でも分かる。同じ思いがある筈だから。

 

「俺も軍人になろうとしたからな……だから分かってはいたんだ。その積りだった」

「そっか」

「ああ」

 

 ガイの言葉に短く答えると、ガイも短く頷いた。

 戦闘で人が死ぬ。ガイも俺もそんな分かり切っていた事を今更ながらに強く覚えたというだけ。

 

 ――それだけの事だ。

 

 戦闘機が撃墜されて目の前で少なくない人が死んだ。援護が間に合って助けられる事も決して少なくはなかったが。

 そして見えない所ではきっと多くの人が死んでいて、だから本当に俺は……俺達は……――疑問があって胸に淀むモヤモヤとした嫌な感覚があった。

 

 その所為か俺は黙り込み、ガイも何も言わず僅かに沈黙が漂ったが……しかし、

 

「まあ、だがウジウジする気はねぇけどな。それこそ俺の柄じゃねえし。……そもそもヒーローの俺様がそんなヘコたれた姿を見せられるかっての! でないと木星の連中からナデシコと地球は誰が守るってんだ!!」

 

 ガイはガイだった。一分ほどの沈黙の後、意味もなく不敵に笑ってカッコを付けて、自信に満ちた表情を見せる。

 

「……お前らしいな」

 

 神妙そうな顔を見せたと思ったらこれだ。呆れて苦笑するしかなかった。けど、

 

「けど、そうだよな。悩んだって仕方ないんだ」

 

 呆れはしたが、同意もした。

 死に対して辛く悲しくどうしようもないモヤモヤした感じや忌避や怖さもある。しかしそれを引き摺って落ち込んだり、あれこれ悩んだ所でどうにもならないのは確かだ。

 考えあっての言葉ではないのだろうが、少しはガイを見習って前を向こうと思えた……のだけど、

 

「おう! ウジウジ悩んだってそれで死んだ連中が帰ってくる訳じゃねえんだ。それによ! あの戦闘機のパイロット達だってコロニーを守る為に蜥蜴どもと戦ったんだ! なら俺達にしてやれるのは戦った連中の遺志を継いでやるだけだろ! 悪の侵略者たる木星人どもから無辜の人々を守る為に戦うってな!!」

「……そう、だな」

 

 この続いたガイの言葉には直ぐに頷けなかった。

 死んだ人達が帰ってくる訳ではない、誰かを守る為に戦った人達の意思に報いたい…というのはきっと間違ってもいないし、正しいと思う。

 しかしガイが出したその言葉の半分……その台詞は、“正義”を信じて疑わない事から言えたもの。

 ゲキガンガー3というアニメで描かれた誰が見てもそうだと思う、“分かり易い”それを、現実に持ち込んで――

 

「――ガイ」

「いつの日にか平和を~♪ 取り戻せこの手に♪ ……ともな。って……ん? なんだ?」

「あ、いや……なんでもない」

 

 先程の言葉に続けてゲキガンガーの歌詞を紡ぐガイに、自分でも何を言おうとしたのか? 声を掛けたものの、キョトンとしたガイの顔を見て……首を横に振らざるを得なかった。

 

「……変な奴だな?」

 

 訝しげに首を傾げるガイ。

 その顔に、まったくだ、と自分でも思わなくもない。

 本当に何を言う積もりだったのか……俺は?

 まさか木星人でなくて同じ地球人だと、敵は木星蜥蜴ではなく木連っていう同じ人類が築いた国家で、この戦争はただの人間同士の殺し合いだって言う積もりだったのか?……確かにそれは事実なんだろうけど、幾らガイが単純でも、何の確証もなしにこんな突飛な話は信じないだろう。

 そもそもそんな簡単に誰かに言っていい事じゃない。

 

 それに今、ガイが信じる“正義”を崩す訳にはいかない。

 もしそれでこいつが戦う事に疑問を持ってパイロットを辞めるなんて言い出したら……どうなるのか?

 ガイの実力は本物だ。パイロットを辞めさせるのも、ナデシコから降ろすのも惜しいぐらいの。

 俺個人としても、ガイとはこれからも一緒に戦っていきたいという思いも、場合によって連るんで一緒に馬鹿をやっても良いという思いもある。だからパイロットでいて欲しいし、ナデシコに乗っていて貰いたい。

 まあ……ウリバタケさんの言うように喧しいし、付き合うと面倒で疲れを覚える事もあるけど。

 

 ……しかしそれでも、何時かはその事実が知られて、その時ガイはどう思うのか?

 

 その不安はどうあっても拭えなかった。

 けど、先程のガイの言葉ではないが、ウジウジと悩んでどうにかなるものではない。

 出来る事もない。いや、あるのかも知れないが、今一ついい案は浮かばない。だから、

 

「……とりあえず、ルリちゃんと相談か。これからの事もあるし、そろそろあの子と方針を含めて確りと話さないとな」

 

 一人悩んで鬱屈しそうになる気分を振り払うかのように、そう小さく言った。

 これまでは短く近いうちに起きる事の対処案しか話していない。

 だけど、サツキミドリを出れば、火星までの一月半にも及ぶ航海が待っている。その間に多くの事を話せる筈だ。

 今後のナデシコの事、ネルガルの事、連合の事、木連の事、あの子と話せば色々とやるべき事、出来る事、進むべき道が見えてくるだろう。

 

「しかし、はぁ……、女の子に頼りっぱなしっていうのも、ほんと情けないけどな」

「あ~ん、何か言ったかアキト?」

 

 仮にも大人の男性としてどうなんだという事実に軽く嘆息すると、ガイがまた怪訝そうな顔を向けたが俺はまた首を横に振った。

 

「いや、何でもないよ」

「さっきもそう言ってたな。まあ、いいけどよ。さっさとシャワー浴びて戻ろうぜ。いい加減疲れたし、眠いしよ」

「ああ」

 

 確かに疲れていた。それに眠い。防衛ライン突破は艦内(にほん)時間で午後2時、それからサツキミドリ到着まで4時間ほど、戦闘後の待機に6時間……もう真夜中だ。

 ガイの言葉に賛成だった。

 

 

 

 

 戦闘配置が続いた6時間。

 その間、私はレーダーの監視以外これといってやる事はなかった。ただし他に何もしなかった訳でもない。

 サツキミドリのコンピュータにアクセスして警戒態勢から戦闘に入った記録(ログ)を洗い。前回の事も含めた敵の動きを調査したり、まだ地球圏である事からナデシコの重力波通信機を利用して地球上の電子の海を泳いでいた。

 

 後者の方はともかく、前者に関してはほぼ推測通りに思えた。

 

 前回、サツキミドリはナデシコが寄港する直前になって、突然壊滅した。それも一瞬で、メグミさんが通信の最中に。その通信には敵に警戒した様子も接近に気付いた様子もなかった。

 それらから推測できる事は、サツキミドリは敵の接近に一切気付いておらず、尚且つコロニーを一撃で壊滅させるほどの戦力…大多数の無人兵器に奇襲され、攻撃されたという事だ。

 

 それほどの…今回見たほどの戦力が気付かれずに接近できた方法は単純だ。

 アクティブセンサーを切り、動力の出力を最低限に落とし、デブリに紛れ…或いは偽装して慣性航法でサツキミドリへと移動したのだ。

 バッタのサイズならデブリに偽装するのは容易な筈。それと多少のデブリ群が纏まって流れていようがこの戦時だ。不審に思われる事は余りない。

 L3には敵が来ないという先入観もある。前回のサツキミドリのレーダー担当が見逃しても何ら不思議ではない。

 

 それら推測を裏付けるように、今回警戒態勢に入り、哨戒に出た戦闘機中隊の一つ…ゴルファー隊、最初に接敵した彼等が見たのは、サツキミドリへ侵入コースを取っていた大小様々なデブリに張り付くバッタ達だった。

 ゴルファー隊は警戒態勢に入っていたが故に、コロニーへ移動するデブリに不審感を持ったらしい。

 そして発見されたバッタ達は、奇襲は無理と判断し……かくして今回の戦闘となった。

 

 警戒態勢を取ったお蔭で奇襲による壊滅は防げたけど、対価として、前回より急いで航行するナデシコが到着するよりも早い段階で、無人兵器の攻撃を受けたという訳になる。

 

 ナデシコ到着前に戦闘が起きて、それなりに大きな戦いになったのも予想外だったけれど……結果としては喜ばしいものと言える。

 サツキミドリは壊滅せず、人的被害は戦闘要員だけ。前回リョーコさん達しか生き残らなかった事を思えば……手を打った甲斐はあった。本当に。

 でも、

 

「アキトさんは浮かない顔でしたが……」

 

 心配だった。通信で私の労いと艦長やプロスさん達の称賛にも苦笑するだけで嬉しそうな様子はなかった。達成感もないようだった。

 やはり戦闘は大変で辛く苦しい思いをしたのだと思う。

 

「……アキトさん、やっぱり貴方には戦う事は向いていないですよ」

 

 思わずそう呟いた。待機するコックピットの中で、何かを思い悩むようにずっと険しい表情だったアキトさんの姿が脳裏に浮かんで。

 

 優しいあの人には戦う事は似合わない。だけど、アキトさんは戦う事を止めない。私が止めようとしても、きっと……。

 それもきっと、優しいからなのだと思う。自分が凄惨な目に遭う未来が怖いというのが一番の理由なのかも知れない。けど、あの人が戦うのを止められないのは……。

 

 ――ああ、行ってくる! サツキミドリの人達を助けてくる……!

 

 臆した様子もなく、アキトさんは出撃直前にそう言った。強く意志が籠った声で。

 デルフィニウムとの戦いからそれほど間もなく、コックピットで苦しんでいたばかりだったのに。

 

「……優しいから戦うのが嫌なのに、優しいから嫌でも戦ってしまう」

 

 だから止める事はできない。ただのコックである事が出来ない。なら私は、そんなアキトさんに私が出来る事は……。

 

「パイロットとして頑張るアキトさんに、私は何をしてあげられるのだろう?」

 

 ゴロリとベッドの上で転がって天井を見る。作り物の魚が宙を泳いでいる。ぼんやりとそれを見つめる。

 今日の戦いで、私はブリッジで戦いを見守る事しか、祈る事しか出来なかった。

 オペレーターだからそれは当然の事。だからといってヤマダさんのように一緒に戦いに出るなんて以っての他。ナデシコのオペレーターは私にしか出来ない重要な役目。だから……

 

「結局は、これからもずっとそうなんでしょうね」

 

 見守って、無事に帰ってきてくれるのを祈る事しか……。

 

「艦長は……いえ、“ユリカさん”はよく平然としていられたものです」

 

 大好きだった人の事を思い出す。

 色々と問題がある人だったけど、ユリカさんは戦いに出るアキトさんを不安に思う事なく、艦長として戦いの指揮を執って、あの人の乗るレッドパープルのエステバリスが戻るのを待っていた。

 

 ……ううん、もしかするとユリカさんも同じ思いだったのかも知れない。

 

 私や他のクルーが知らないだけで、不安でアキトさんが無事で帰ってくるのを祈って――もしそうなら、そうだとしたら……聞きたい……ユリカ……さんに、

 

 ――重くなった瞼を閉じる。

 

 

 

 

「……という訳で今日は一段と忙しくなる」

 

 他のクルーよりも一足早い朝食を終えた後、ホウメイさんが言った。

 

「合同葬儀による葬式料理ですか? サツキミドリにもそういう料理スタッフとかいるんですよね?」

「当り前さ。向こうは小さくともコロニーなんだ。ネルガルの研究所や工場だとかの食堂の料理スタッフどころか、個人やチェーンでも店を出して構えている奴も当然いる。まあ、けど……うちはうちで必要だし、手は多い方が良いって事さ」

 

 俺の質問にホウメイさんはやや呆れたように答えた。

 葬式というのは分かる。多くの人が亡くなったのだから。しかし昨日の今日で合同だとかの話が纏まるとは……それが遅いのか? 早いのか? 自分自身、前の世界では曾祖母や曾祖父と……ぐらいしか経験がないから良く分からない。

 彼の……アキトの記憶では両親の葬儀は行われたようだが、幼い頃の出来事の所為かハッキリとしない、突然の事で……しかも殺されたと思わしき現場を見たショックもあったのだと思う。

 

「――ッ!」

 

 途端、頭の中に強い電流が奔った。フラッシュバックだ。

 血溜りの中で倒れた男女の姿が見えた。まだ健在だった頃の男女……厳しい父、優しい母……そんな両親の姿も。

 

「テンカワさんどうしました?」

「あ、いや……なんでもない」

 

 声にハッとする。サユリさんがやや心配そうな顔でこちらを見ていた。

 

「でも、ちょっと顔色が悪いです。疲れているんじゃないですか? 昨日の事もありますし」

「……大丈夫だから。心配してくれてありがとう」

 

 心配を掛ける訳にはいかないと笑顔でなるべく元気よく答える。

 

「そうですか? でももし辛いなら休んで貰っても構いませんよ。テンカワさんが大変なのは私達も分かってますから――ね、みんな……」

「うん!」

「遠慮なく言って」

「多少忙しくても大丈夫だから」

「そうそう、倒れたら元も子もないから」

 

 サユリさんの賛同を求める声に皆が頷いた。

 ……正直ちょっと、いや……結構感動した。良い職場だなと改めて思った。

 だからこそ、甘える訳にはいかなかった。

 

「皆、ありがとう。けどさ、ほんと大丈夫だから。そう言ってくれるだけで元気が……疲れが飛んでやる気が出たからさ」

 

 さっきより元気よく声を出した。心配してくれる皆に感謝して。

 

「はははっ、良い意気込みだ。じゃあ早速取り掛かるとするか。皆、今日もよろしく頼むよ!」

「はい!」

「「「「「はい!」」」」」

 

 ホウメイさんの快活な言葉に俺達も快活に応えた。

 

 

 

「やっほー! アキト! おはよう!」

 

 ユリカ嬢が俺たち以外で誰よりも早く食堂に来た。

 

「ああ、艦長、おはよう」

 

 振るう包丁の手を止めて挨拶する。するとユリカ嬢はやはりというか不満そうな顔をする。

 

「ユリカで良いのに……」

 

 と。

 しかし今日はそれ以上は言わなかった。俺がそうする気がない事を理解したのだろう。

 

「今日も見てて良い? アキトの料理する姿」

「ん……それは俺じゃなくてホウメイさんに――」

「――いいよ、邪魔しないんなら」

 

 俺が答えようとしたら、そのホウメイさんがあっさり了承した。

 それにユリカ嬢は昨日と同じく「やったぁ!」と笑顔で喜び、

 

「じゃあ、おとなしくしてる……――あ、そうだ。ちょっとだけお話良いかな?」

「うん?」

 

 笑顔だった顔が真面目になり、声のトーンも落ちて俺は訝しげに思うと、ホウメイさんもおや? とした顔になる。

 

「ホウメイさん、少しだけアキトと二人きりになりたいんですけど……」

「そうだねぇ……」

 

 遠慮がちなユリカ嬢の声。唐突なお願いだが、ホウメイさんはユリカ嬢の様子に感じるものがあったのか、少し考えてから言った。

 

「なら隣の部屋でどうだい? あそこなら今の調理に必要なものは取って来てあるし、二人で話すにはちょうどいいよ。こっちもテンカワに用があればすぐに呼べるしね」

 

 その言葉に、ユリカ嬢は頭を下げる。

 

「ありがとうございます。じゃあ……アキト」

「あ、ああ」

 

 ユリカ嬢は戸惑う俺の手を引いて……って、包丁を握ったままだった事に気付いて慌てて調理台に置いた。

 

 

「で、話しってなんだ? なんか大事な事っぽいけど」

 

 隣の部屋。ホウメイさん自慢の調味料棚がある所だ。ちなみに俺とホウメイガールズが使うロッカーもある。

 

「うん、昨日戦いが終わったあとなんだけど……」

 

 俺の問い掛けにユリカ嬢は、先程のように真面目な表情でそれを語った。

 なんでも戦闘配置で待機に入った俺を含めたクルー及びナデシコだったが、連合宇宙軍第二艦隊がサツキミドリの警護に動く際、何故か管轄外の連合宇宙軍第三艦隊(地球方面軍)からその旨の連絡が来たのだ。

 つまり、

 

「ミスマル提督……お前の親父さんから?」

「そう。……その理由はなんでかよく分かんないけど。確かに未だ第二艦隊は再編中だし……うーん、それでもお父様が連絡するなんて……」

「いや、それは……」

 

 分かる。あの親馬鹿カイゼル髭のサリーパパの事だから、権限を振り翳して無理を……いや、多分ミスマル家の権力まで使って、連合総司令部やら総参謀部だとかにそう話を通したのだろう。娘と話をしたいが為に。火星に行ったら顔を合わせるのは難しいから。

 

「まあ、分かんないけど、大したことじゃないし、それはそれで良いんだけど……」

 

 うーん、と首を傾げながらもユリカ嬢は話を続ける。

 良いのか? と一瞬思ったが、言う通り俺達には大したことじゃない。第二艦隊の提督がすべき役目を、第三艦隊の提督が越権して奪おうが。……尤も連合軍内では大問題になっているかも知れないが。

 少し額に汗が浮き出るのを感じつつユリカ嬢の話を聞く。

 

「それで待機中に色々と話をしたんだけど……――聞いてみたの」

「何を?」

「アキトの両親の話。アキトは亡くなったって言ってたから、お父様と話をしていてそれを思い出して、お父様が昔、テンカワの家の人が皆亡くなったって言ってたのが気になって」

「ユリカ……」

 

 二人っきりな事もあって名前で呼んだ。

 ルリちゃんもそうだが、ユリカ嬢の名前を口にするのは、あの子に対して以上に何か違和感と辛いものがある。本当に俺が彼女達の名前を呼んで良いのか? そんな資格・権利があるのか? ……という疑問と不安。

 

「アキト……ゴメン、辛い話だよね」

「あ、いや!」

 

 疑問と不安に捉われた俺の顔を見てどう思ったのか、ユリカ嬢は俺に気を遣う。

 

「いいんだ。それより、気に掛かった事って、そんなこと言われたらそっちが気になる。俺に気を使わなくてもいいから、遠慮なく話してくれ」

「……うん」

 

 変に誤解をさせたようなので少し慌てて気を使う必要はないと訴え、ユリカ嬢はそれに頷いた。ただその表情は気遣わし気なままだが。

 

「変だよね? アキトが生きているのにお父様は皆亡くなったって言うのは」

「うん、まあ……確かにそうかも知れないけど、そんなに変か? 父さんと母さんが死んで連絡が付かなかったりしたら、そう思い込むのも無理はないと思うけど」

「……そうだね。私もそう思ってはいたんだ。けど――」

 

 ユリカ嬢は真面目な表情の中、さらに真剣に考え込むような顔を覗かせる。

 

「変だって分かっちゃった。アキトが生きているって、ナデシコに乗ってるって言った途端、とても怖い顔をしてたから。ほんの一瞬だったけど、アレは何か隠してる」

「……」

 

 原作ではどうだったのか? と考えられずにはいられなかった。ユリカ嬢の様子に。

 第2話でミスマル提督に両親の事を尋ねに行ったユリカ嬢だったが、何も知らないとの返答を得るなり直ぐにナデシコに戻っていたが……此処にいる今の彼女と同じものを感じていたのだろうか?

 ミスマル提督は実際、両親の研究の事を知っていてネルガルに疑いを持っていた。原作22話でアカツキの意図を受けて再度ナデシコを包囲した時にアイツにそれを問い質していた。あとアカツキの父親の事を引き合いに出していたな。

 

「――!」

 

 さっきのフラッシュバックがまた来た。まるで何かを訴えかけるかのように強く。……思わず額を押さえる。

 

「アキト……?」

 

 怪訝そうな声を掛けられた。ユリカ嬢がジッと俺の顔を、目を見ている。

 

「……もしかしてアキトも何か隠している?」

 

 その真っ直ぐな視線に何も答えられなかった。浮かんだ光景を振り払う。

 

「ユリカ、そのあと提督……おじさんは何か言っていたか?」

「え? えっと……アキトの両親がどのように亡くなったか尋ねられた。アキトから聞いたんじゃないか? って。だから私余計に変に思って……昔、おじさんとおばさん、アキトが亡くなったって言ってたのはお父様だって。なのに死因を知らないのはおかしくありませんか? って、そしたらお父様黙り込んじゃって……暫くして、そうだった、事故だったって、明らかに誤魔化してた」

「………」

 

 この世界でもやっぱり疑っているらしい。恐らく独自に調査を行ったのだろう。あの人はアキトの記憶を思い返す限り、テンカワ夫妻とは家が隣同士だったからかかなり親しくしていたようだし……それでも真実には近づいても掴めなかったようだが。

 

「アキト、何か知っているなら――」

「――いや、ユリカ、事故だ」

「え? でも……」

「……事故という事にしておいてくれないか? おじさんが疑わしいという気持ちも分かるし、正直、俺も隠している事はある。けど、事故という事でそれ以上は……頼むよ」

 

 真っ直ぐ向けられる瞳。そこには不可解な疑問を解こうとする強い意志がある。父親が何かを隠していて疑わしい事、それもアキトの両親の死に関わっているらしい事、そして恐らく大きな秘密があるとも感じているのだろう。ユリカ嬢の勘は鋭い。

 だけど、それを知るのは危険だ。それを迂闊に調べる事も。だから原作でもユリカ嬢の問い掛けに提督は言葉を濁した。

 しかし直感的なものだが、この世界のユリカ嬢は深入りしそうな気がする。原作と違ってあっさりと引き下がらずに、ほっとくとズンズンと足を踏み入れて泥沼に嵌まりそうな気配を覚える。

 だから言う。

 

「ユリカ、そのことは誰にも言うな……絶対に。調べる事も禁止だ」

「アキト……」

「頼む!」

 

 尚もユリカ嬢は問いたそうにしていたが、俺は深く頭を下げてお願いした。

 

「……分かった。アキトがそこまで言うなら、何も聞かないし、調べない」

「そうか、ありがとう。……それとゴメンな」

「ううん、私の方こそゴメン、アキトにとって辛い事の筈なのに……」

 

 受け入れてくれたユリカ嬢にホッとする。

 ただそれでも不安はあったが、俺と……アキトと約束した事は守ると思えた。

 

「いや、いいさ。俺も何も言えないで黙っているんだ。悪いのはむしろこっちだ」

「そうかなぁ?」

「ああ、だからお詫びに朝めしは奢るよ。あとより気合いを入れて作るから」

「え、ほんと! えへへ、嬉しいなぁ。アキトの作るごはん美味しいし」

 

 暗く重かった雰囲気を払う為とこの話をこれっきりとする為にも、明るくやや強引に食事の話へ持って行き、ユリカ嬢も意図を読んでそれに乗って明るく応じてくれた。……彼女の方は半分以上は素なのかも知れないが。

 

 そして、昨日の昼食時と同様、ユリカ嬢は俺の調理する姿を楽しそうに見て、出来た料理を食べて、また俺の姿を見る……と、そうして時間になると彼女は勤務に入る為に食堂を後にした。

 

 

 

 

「ほんと何が楽しいんだか……」

 

 出ていくユリカ嬢の背中を見て何気なしに呟くも、察しは付いている。付き過ぎるほどに……。

 

「ふう」

 

 軽く溜息を吐いてそれを考えないように、仕事に集中して、朝の忙しい時間を乗り切った頃――

 

「あ~! 居た居た!」

「本当にコックなのか……」

「コック……コック……トントンと扉を……それはノック。ププッ……なんちゃって」

 

 昨日も聞いた聞き覚えのある声が食堂から厨房へと聞こえた。寒いギャグも……。

 思わず視線が声の方へ向く。やはりそこには例の三人娘の姿があった。

 

「おや、見ない顔。もしかして新顔で来るっていうパイロット達かい?」

「あ、えっと……」

「……と、私としたことが……ここで料理長をやっているリュウ・ホウメイって言うんだ」

 

 ホウメイさんがカウンターから食堂に居る彼女達に尋ね。ヒカル嬢から問いたげな視線を受けると自己紹介した。それに三人娘は昨日のように名前を告げている。

 ――で、

 

「それで向こうに居るのがテンカワだ」

 

 こっちに顔を振り向かせながら、三人娘の俺に向ける視線に答えた。

 その視線は明らかに値踏みするものだ。不躾なそれを三人は……いや、その内の一人……イズミ嬢は良く分からないが、二人は隠そうともしない。

 

「ふむ、……テンカワ。手が空いたしちょっと休憩に行ってきて良いよ」

「はい、じゃあ少しの間失礼します」

 

 ホウメイさんの意図を了解し直ぐに答えて厨房を出て、食堂の暖簾も潜って通路に出る。

 そのあとを三人娘も続いた。

 

「改めて紹介するよ、アタシはスバルリョーコ。知っての通りエステバリスのパイロットだ。今日付でナデシコの世話になる事になった」

「同じくエステちゃんのパイロットのアマノヒカルです」

「マキイズミ……パイロットよ」

 

 ナデシコ艦内の通路に幾つかある自販機も並ぶ休憩スペースで、椅子に座って俺達は向かい合った。

 

「俺はテンカワアキト、コックと一応パイロットもやっている。よろしく、スバルさん、アマノさん、マキさん」

 

 一応同年代という事と、堅苦しいのは彼女達には受けが悪いと思って頭を下げずに気軽に挨拶する。

 

「ああ、よろしく」

「よろしくね。テンカワさん」

「……よろしく」

 

 挨拶に挨拶が返るが……やはりリョーコ嬢、ヒカル嬢からは不躾な視線がある。

 

「うーん、やっぱ……」

「うん、そうだね。余り“らしく”ないね」

「ははっ、俺は本職はコックだしね」

 

 彼女達の言いたい事を察して苦笑する。視線の事も含めて別段不快という事は無い。自分でも自覚はあるのだ。パイロットは似合わないと。

 

「……まあ、見た目がどうこう言ったらヒカルはこんなだし、関係はないんだろうけどな」

「ひどいなぁ、リョーコは。うん、まあ……でもそれは私も自覚はあるかなぁ……?」

 

 リョーコ嬢に言われてヒカル嬢は、何故か自分の事なのに不思議そうに首を傾げる。

 

「そうだね、ヒカルの腕は確かだし、それにテンカワ君もね。昨日の動きは良かったよ」

「お、そうそう、空戦フレームなのに見事だったぜ。動きも良かったし、バッタのミサイルに追っかけられた時の判断の早さも対応の仕方も確りしてたしな」

 

 イズミ嬢は真面目モードなのかギャグは言わず、リョーコ嬢も意外にも称賛した。原作のアキトへの対応を思うと、もっと突っ掛かられるかと思っていたのだが。

 

「うんうん、流石だよね。サセボで初のエステでの実戦経験者ってだけはあるよ。それも訓練を一切受けていない素人でさ……まるで大昔のアニメの主人公みたい」

 

 ヒカル嬢がコクコク頷きながら言う。

 何か大仰な評価をされているような気がする。変に突っ掛かられないのはその所為らしい。その上で昨日の戦いを演じた事も関係してそうだ。

 ただヒカル嬢の言いようには……某天パの白い流星が脳裏に浮かぶ。もしそれと同一視されるなら過大評価もほんと過ぎると言うもので、きついのだが。

 

「そんな大したことじゃないよ。偶然ってだけで。俺は火星出身だからIFSに慣れているお蔭だってプロスさんも言っていたし」

 

 だから過大過ぎる評価を払拭する為にそう言った……のだが、

 

「んな訳あるかよ。アレはお前の実力……才能だよテンカワ。確かに慣れは重要だが、それだけで何とかなるならIFSを持ってる奴は、今頃みんなエースパイロットになっちまってる」

「リョーコの言う通りね。謙遜も過ぎると嫌味よ」

「いや、そんな積もりは……」

 

 過大な評価を否定しようとしたらリョーコ嬢に食って掛かられ、イズミ嬢に呆れられた。

 

「うーん、どうもテンカワ君は自分の実力って言うのを分かっていないみたいね」

「……そっかー、テンカワさん、素人だから比較対象が身近に居ないんだ。私達みたいに軍の学校で教育を受けている訳じゃないし」

「なるほどな、だから無自覚って訳か。自分がどれだけ良い筋しているのか分かんねえ、と……おっし、分かった!」

 

 やや悩まし気な表情のイズミ嬢、納得した様子のヒカル嬢、そして不満げな顔を一転して気合いを入れた様相を見せるリョーコ嬢。

 リョーコ嬢はパシンッと自分の膝を叩くと、俺に強い視線を向け、

 

「俺達がテンカワの実力がどれ程のものか教えてやる。それにまだまだ伸びそうだしな、鍛えてやるぜ!」

「え? ……えっと……」

 

 戸惑う俺。いや、何れにしろ訓練は必要だから、それはそれで構わないんだけど……。

 

「それが一番ね」

「よしよし、テンカワさん。任せて! 私たちが君を全国に連れて行ってあげるから!」

 

 イズミ嬢はリョーコ嬢に同意を示し、ヒカル嬢は冗談めかしながらも気合が入っている様子。

 三人娘の視線が俺に集中する。何か圧力めいたものを感じる。……顔が引き攣って汗が頬を伝った。

 

「……――ゴメン、俺仕事があるからっ! コックの!」

 

 三十六計逃げるに如かず! 嫌な予感を覚えて俺は素早く立ち上がると、同時にその場から脱兎の如く駆けだした。

 あの場に居たらどう考えても、シミュレーター上で三人掛かりで小突き回される未来しか見えない。

 せめてガイが……アイツが居ないと、バランスが悪い。戦力的な意味でも男女比的な意味でも。

 

「って、そういやアイツどうしたんだ!? ああしてパイロットは皆揃っているのに……!」

 

 そう言うと同時に脳裏に答えが出た。朝早く出勤する際に見た、大きないびきを掻いて寝ているガイの姿が浮かぶ。

 

「おらぁー! 何で逃げる!? 逃げんなぁ!! テンカワぁ!!」

「アキトくーん! 全国に行かないのぉ!!」

「やれやれ、ね」

 

 リョーコ嬢の怒鳴り声と、ヒカル嬢の……何故か名前呼ばわりで君付けになっている声が聞こえるが無視する。

 イズミ嬢、シリアスモードの貴女は真面そうに見えるんで止めてくれませんかね? 背後から、背後から、足音が! ……足音がガガッ! 何か凄まじい怒気と共にッ!

 

「よし! 捕まえ――」

「――させませんッ!!」

「……た! って何!? ――ぐあッ!」

 

 な、何だ! 足音がもう直ぐそこに――という所で、覚えがある声と共にリョーコ嬢の驚きと短い悲鳴が聞こえた。

 

「え? ――ええっ!?」

「……」

 

 さらにその直後、ヒカル嬢の驚きに満ちた声が聞こえ、イズミ嬢のあっけに取られた気配が何となしに伝わった。

 それに遅れて足を止めた俺は振り向くと、

 

「え?」

 

 ポカンと口を開ける事となった。

 

「い、いつつつ!! は、離してくれぇ!」

「駄目です! アキトさんを追いかけないと約束しないと離しません!」

 

 床に背中から倒れているリョーコ嬢、右腕を取られて伸びきったそれは関節を極められているのか痛みに喘いで起き上がれない様子。オマケに左腕も踏まれている。

 そしてその腕を取って極めて、踏んでいるらしいのは……

 

「ル、ルリ……ちゃん……?」

 

 銀の髪と金色の眼を持つ、我らが電子の妖精様だった。

 

「追いかけない! もう追いかけないからッ!!」

「本当ですか?」

「痛たたたっ!? ち、力を入れるな! 捻るなって! ほんとテンカワを追いかけないからぁ!!」

 

 リョーコ嬢のものとは思えない懇願に満ちた情けない声。

 二十歳近い腕っぷしの強そうな女性が、大人しく無害そうな十歳程度の少女に取り押さえられて凄まれるという――どう見ても異様な状況。

 何が一体どうなっているのか思考が追い付かない。いや、ほんと何なんだこの状況は? というかルリちゃんに一体何が……?

 

「……約束ですよ」

「あ、ああ」

 

 ルリちゃんが手を離す。リョーコ嬢がホッとした顔をする。

 

「スゴ……あのリョーコを、それもあんな小さな子が……」

「……合気道かしら?」

 

 唖然としながらも感心した様子のヒカル嬢、その横で興味深げにルリちゃんを見るイズミ嬢。

 

「くそぉ、なんでこんな……」

「……何か言いましたか?」

「い、いや! なんでもねえ!」

 

 立ち上がって悪態を吐くリョーコ嬢であるが、ルリちゃんに……ルリさんに睨まれてビクリと肩を震わせた。

 それを尻目に銀の髪を揺らして、こちらへルリさんが駆け寄ってくる。

 

「大丈夫ですか、アキトさん?」

「大丈夫っス、ルリさんに助けられましたんで……」

「……ルリさんって……どうして、そんな余所余所しいんですか?」

 

 思わずヘコヘコと頭を下げてしまう。

 

「いや~、ルリさん流石っス。マジパネェっす」

「……アキトさん、冗談でもそういうの止めてくれません? ――――怒りますよ」

 

 ――怒りますよ、とそう言われた瞬間背筋に悪寒が奔った!

 笑顔だけど眼が笑っていない。鋭さを感じさせて金色の眼だけに猛禽を連想させて本気で怖い。しかし此処で「我々の業界ではご褒美です!」とか言ったらどうなるのか? と好奇心が出たが、蛮勇&無謀な気がするのでグッと堪える。

 あと冗談だと分かってくれないルリちゃんに本気で蔑まれて、首を括りたくなる気もする。

 

 ……――とりあえず、いい加減落ち着こうか、俺。

 

「ゴメン、何か混乱した……っていうかルリちゃんいつの間に!? というかスバルさんに何をしたの!?」

 

 落ち着こうとするが、それでも困惑は残る。

 そんな俺にルリちゃんは首を傾げる。

 

「普通に食堂に向かっていたらリョーコさんの怒鳴り声が聞こえて、そしたら目の前の通路をアキトさんが凄まじい勢いで駆けているのが見えて、その直後にリョーコさんが飛び出て、アキトさんに危害を加えそうでしたから……こう、つい咄嗟に」

 

 通路の十字路となっている場所を指差して説明し、背負い投げのような動作をするルリちゃん。

 なるほど、脇に続く通路から、俺とリョーコ嬢が駆け抜ける通路へと出ようとした所を偶然遭遇し、俺の身が危ない思ったら勝手に身体が動いてリョーコ嬢を床に叩き付けていたと。

 ……うん、分かるけど、分からん。

 

「……咄嗟にって、ルリちゃんにそんな事が出来るのがビックリなんだけど」

 

 一番理解できない事を口にする。すると――

 

「――私、艦長でしたから」

 

 などとルリちゃんは説得力があるのか、無いのか、余計に訳が分からなくなることを言った。

 

 ……一応、もう少しだけ詳しく聞くとA級ジャンパーほどでないにしろ、身を狙われ、命の危険に晒される事もやはりあったそうなので、最低限自分一人でも身を守れるようにあの高杉 三郎太から“柔ら”を軽く学んだらしい。

 ただ軽くではあるもののIFS持ち、つまりナノマシンによる神経の補助のお蔭で反射神経や動体視力が常人よりも優れ……それもIFS強化体質な分、余計に向上しているらしく、先程のリョーコ嬢のように軍で格闘訓練を受け、居合抜き有段者のような実力者でも不意を突けば簡単に取り押さえられたり、一撃で叩きのめす事が出来たらしい。

 

「私は未来でも小柄であんな華奢な見た目でしたからね。随分と油断してくれて助かった事もあります。……リョーコさんから教わった銃技もとても役に立ちました」

 

 とも言うルリちゃんだが、誇らしそうなのに寂しげ、虚しげでもある。

 劇場版以後、未来で何があったのか非常に気に掛かったが、深く尋ねるのは躊躇われた。

 だから俺は尋ねない。

 

 その後、

 

「アキトさんはコックです。正式なパイロットではありません」

「いや、でもよ。だからって訓練は――」

「それも分かっています。ですから後々はスケジュールが組まれる筈です。リョーコさん達の訓練に混ざる事は間違いありません」

「……分かったよ、そん時を待つ」

「分かってくれればいいです。……でしたらアキトさんにも謝って下さいね」

「ぐっ」

「――謝って下さいね」

「わ、分かった。分かったって……テンカワ、悪かった。ゴメン、無理やり訓練に連れ出そうとして」

 

 ルリちゃんの説教を受けてリョーコ嬢は俺に頭を下げた。

 

「分かってくれればいいよ。それにスバルさんが訓練を付けてくれようとしたのは俺の事を思っての事で、悪気はなかったんだしさ、ありがとう」

 

 俺は彼女の謝罪を受け入れながらも、首を横に振って軽く頭を下げる。

 気に掛けてくれた礼もあるが、俺が変に逃げ出したのがリョーコ嬢を無意味に刺激したような気がするからだ。

 尤も……逃げなかったら逃げなかったで押し切られるか、捕まるかしてシミュレータールームに引きずり込まれていた気もやっぱりするが。

 

「……それは礼を言われる事じゃねえよ。パイロットの仲間として当然の事なんだし」

「それでも気を使ってくれたことに変わりないよ。あと――スケジュールは多分ゴートさんが決めると思うから、その時はよろしく」

「ああ、そん時は任せとけ! こっちこそよろしく頼むぜ、テンカワ!」

 

 ニッとした笑顔で手を差し出され、俺はその手を握り返した。

 その彼女の背後で「よろしくよろしく!」と手を振るヒカル嬢と「よろしく……よろしく……」と言いながらも何かを……多分ダジャレを考えているイズミ嬢がいた。

 

 とりあえず妙な騒ぎはあったものの、こうして俺は三人娘と正式に顔を合わせ、難なくパイロットとしても受け入れられた。

 ただ、ルリちゃんは俺がパイロットになる事にやっぱり思う所があるのか、懐かしそうな様子ではあったものの、不安そうな不満そうな複雑な顔をしていたが。

 そこに――

 

「おう、アキト! 飯作ってるんじゃなかったのか? って……昨日の新顔じゃねえか? あと病弱っ子も。なんだ大勢でそんな通路で突っ立って?」

 

 残りの一人のパイロットも姿を見せた。あ、ルリちゃんのこめかみに青筋が浮かんでるような……。

 

 

 




 原作第2話にあったサリーパパ訪問フラグを回収。ちょっとユリカさん様子がおかしいですが。
 ちなみに6時間の待機時間の間にアキトに彼女が話しかけられなかった原因だったりします。サツキミドリ側とも色々と忙しくあった模様。

 IFSによる神経補助と反射神経などの向上は一応公式設定です。
 独自解釈としては、ルリちゃんは補助脳の処理速度高いので状況判断もかなり早く、集中すればリアルでも少しだけスローモーに周囲が見えるのではないかな?と思ってます。

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