偽伝・機動戦艦ナデシコ T・A(偽)となってしまった男の話   作:蒼猫 ささら

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第十五話―――逢引(後編)

「美味しかったです」

「うん、美味かったね」

 

 主菜は二つ頼んでみた。焼いた牛肉に赤ワインのソースを使ったフレンチの定番と真鯛の切り身をホイルにしたイタリアン風のもの。ウェイターに意見を聞いて副菜のサラダとスープそれぞれに合わせてみた。

 一応、主食としてカットしたパンも頂いた。

 デザートはチーズケーキを頼んだ。

 

「ホウメイさんの料理と比べても遜色ないと思います」

「だね、流石はこの時代でも本物って言われる一流シェフ。――ただそれでもホウメイさんの凄さと比べると……」

「ええ、あの人はここのような洋食だけでなく、和食も中華も、それどころか東南アジアや中東のマイナーなものも含めて、ほぼ全世界の料理に通じていますからね」

 

 食後の一服としてミルクティーを飲みながら言うルリちゃんに頷く。

 そう、此処の料理長はフレンチとイタリアンを学んでいて、その二つを合わせた独自のアレンジを加えた料理を振舞うのだが、ホウメイさんはルリちゃんの言った通り、全世界の料理を……それらの道のプロと何ら遜色のない腕前で振舞えるのだ。

 此処の料理長を貶める訳ではないけど、そんな怪物料理人であるホウメイさんと比べると劣った見方をしてしまうのは仕方ない。

 全世界のあらゆる料理を網羅しているだけに、それらの味付けや調理法を組み合わせれば、そのレパートリーはまさに無限と言えるだろう。

 サイゾウさんも中華以外にフレンチ、イタリアンも一流に出来るのだが、流石のホウメイさんには及ばない。

 ただ、二人が会えば意気投合するのは間違いないだろうけど……。

 

「と、感心して何時までも舌に残る余韻に耽っている場合じゃなかった。ごめんルリちゃん、コミュニケ使っていいかな?」

「え? はい、構いませんけど。……どこかに連絡を?」

「ううん、違う。メモを取りたくて……料理の」

「ああ」

 

 ルリちゃんは得心したように頷く。

 許可を貰った事もあって俺は、ジャケットの内ポケットからコミュニケを取り出す。テーブルの上に元の世界でのスマホより少し大きめなウィンドウを投影して、さらにその下に入力用のキーボードもウィンドウで投影。

 コミュニケは色々とアプリが入っていて、こんな風に未来のスマホみたいな所があるんだよな。……というか未来のスマホ……携帯端末そのものか。まだナデシコにしかないけど。

 

 ……まあ、とりあえずはメモメモ。

 

 ホウメイさんに食べた料理の感想を求められているのだ。料理人だけにやっぱり他所の料理に……それも確り名が知られた一流シェフの味付けに興味があるらしい。

 またこうして感想を書く事自体、俺の修行の一環となっている。サイゾウさんにも「ほかんところのメシを食ってこい」と言われる事が度々あった。食べた感想を報告するようにとも。

 

「……料理名は当然として、まずは食材とその調理法から……次はソースとか、調味料を……それらのレシピを分かる範囲で書かないと……うーん……」

 

 レシピとかは思い付いたままとにかく書き殴って後で見直して纏めよう。舌に覚えた味を忘れない内に! 書き出す! 書く!

 そうして20分ぐらいだろうか? 俺は唸りながらテーブルに映るキーボードに指を走らせ――ふいに、結構時間をかけている事に気付いて顔を上げた。

 

「ゴメン、ルリちゃん。待たせちゃって、一服するにしてもちょっと長い時間だし……」

 

 一人放っておいてしまった申し訳なさと、長く滞在して店にも迷惑を掛けているように思えて頭を下げるのだが。

 ルリちゃんは首を横に振った。無言で、いいですよ、と言う風に。放っておいてしまったのに、どうしてかとても嬉しそうな笑顔で。

 しかし、怒っていないとはいえ、待たせすぎるのは良くない。早く書き上げてしまおう。

 

 

 もう10分ほどかけてメモを終えた。

 

「アキトさん、ありがとうございます。奢って貰って……」

 

 支払いを済ませて店を出ると、ルリちゃんはお礼を言いながらも申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「ううん、こういうのはやっぱり男が払うものだしね」

 

 と、そうは言うが、昨今では割り勘の方が良いっていう娘が多いっぽいけど。

 金銭的なもので互いを縛るようなのが嫌だとか……俺は気にしないけれど、でも相手の感情もある事だし――ルリちゃんもやっぱりそうなのかな?

 

「でも、高かったですし」

 

 困ったように遠慮した風にそう言う。

 うん、確かに。……二人分で二万近く飛んだ。ルリちゃんが気にするのも無理ないのかな? やっぱ……。

 けど、

 

「気にしないで。食べる前に言ったけど、見栄のようなものだから。デートなんだし、男性としてはこれぐらいの甲斐性は見せたいしね。それに俺が食べたかった所もあるしさ。ほら……コックとしての勉強代だと思えば」

 

 ほんと、男の意地としてこれぐらいの甲斐性は見せたい。独りよがりにも思わなくもないけど、金銭的に縛る積もりなんて事もないからルリちゃんには何とか納得して欲しい。

 

「うー、分かりました。でもそれなら今度デートした時は私に奢らせて下さいね。……私これでもアキトさんより高給取りなんですから」

 

 俺が頑固に譲らないと理解したのだろう。ルリちゃんは渋々頷きながらも強い目で約束を迫った。少し冗談っぽくも言いながら。

 

「そして、此処よりもうーんと高い店へ連れて行って、アキトさんを困らせてあげますから」

「いっ……!?」

「お返しです」

 

 思わぬ台詞に夜間の高層ビルと高級ホテルのレストラン的な風景が脳裏に浮かび、動揺した声を漏らすと、そんな俺の顔が面白かったのかルリちゃんはくすくすと笑った。

 

「そ、その時はお手柔らかに――」

「――しませんよ。覚悟していて下さい」

 

 う……見栄を張ったが為に何かとんでもない事態を招いたような気がする。ルリちゃんは容赦ない所があるから、多分本気で実行するだろうし……実際、もし金銭的な縛りとなったら俺が雁字搦めになるんだろうなぁ。

 ナデシコの給料以上に、この子はプログラム特許とか取るだろうから。いや、もう既に持っているのかも?

 

 

 そんなやり取りをしながらも俺達は水族館を出た。

 

「次は……このブロックの反対側の位置にあるんだけど」

 

 もう一度コミュニケを取り出してマップを確認する。

 

「うん、やっぱり此処の反対側だ」

「路面電車がありますから、それに乗って行きましょうか?」

「そうだね。同じブロック内とはいえ、距離があるしその方が時間を短縮できる」

 

 ゆっくりと街を見ながら行こうかとも思ったがルリちゃんの提案に頷いた。それは帰りで良いだろう。

 

 

 程なくして水族館正面にある乗り場に着くと、丁度出る所だった。

 

「走りましょう」

「え、うん」

 

 ルリちゃんが言い。一瞬戸惑ったが頷いて走る。……ってルリちゃん意外に速い! 俺も負けじと足に力を入れて……動き出す電車を見て、間に合わないと思って全速で走る。

 ルリちゃんを追い抜いて、歓楽街に相応しいクラシックな見た目を持つ路面電車の脇、扉も何もない出入り口に飛び込み、

 

「ルリちゃん!」

 

 すかさず振り向いて、すぐ後ろにいた少女の腕をとって引っ張り上げた。胸の中に飛び込む柔らかな感触を受け止める。

 

「ありがとうございます。アキトさん」

 

 胸の辺りから聞こえる声。腕を取ってそのまま腰を抱き上げる形になったからルリちゃんの顔が近い。花のような香りとミルクのような甘い匂いがする。

 ミルクのような甘い匂いは石鹸だろうか? でも花の香りはシャンプーとかにしては……?

 

「ルリちゃん、もしかして香水付けてる?」

「あ、はい。ミナトさんに勧められて」

「うあ、今気づいた。ごめん今更だけど……甘くも爽やかな感じで――うん、ルリちゃんに合ってる」

 

 不覚だった。それなりに手を繋いだりして、距離が近い時が間々あったのに気付いてあげられないとは。

 

「あ、ありがとうございます。……こういうのは正直よく分からなくて、それにミナトさんは大丈夫だと言っていましたけど、アキトさんはこういうの嫌いじゃないかって不安だったから……」

「大丈夫、嫌いじゃないよ。さっきも言ったけどルリちゃんに合ってるからさ」

「はい、変に思われなくて良かったです。嬉しいです」

 

 ルリちゃんは頬を赤くしながらもこちらを見詰める。ただ昨日や今朝見たように真っ赤じゃない。薄っすらとした感じで――……

 

「……にしても、ちょっと映画のワンシーンっぽかったね」

 

 顔を逸らして流れる風景を見る。

 ローマの休日的な……ゲームやアニメだと、某サクラな戦いのムービーや某可変戦闘機のFの劇場版などで、主人公がヒロインとそんなシーンを演じていた。

 まさかそんな場面を自分がやるとは、それもルリちゃんのような奇麗なまさにヒロインみたいな娘を相手に……ちょっと照れ臭い。

 

「そうですね、もっと余裕を持って乗れると思ったんですけど、やっぱり今の身体だと厳しいですね。アキトさんがこうして引っ張り上げてくれなかったら――……」

 

 何故か言葉の途中で黙り込んだ。訝しげに思って再度ルリちゃんの顔を見ると、薄っすらとした頬の赤みが増して行き……あ、

 

「ゴ……ゴメン、抱えたままだったね」

 

 ルリちゃんの身体が軽い所為か、腰から彼女を抱えたままだったのを忘れていた。ルリちゃんが入り口にあるポールを掴んでいる事もある。体重が殆ど掛かっていないのだ。

 しかし、それでも香水とかの香りや、暖かな体温を感じられたりしているので言い訳にならない。いや、その良い匂いの方に気を取られていたから気付かなかったのか……?

 照れ臭さが恥ずかしさへと変じて、俺も頬が熱くなっていくのを自覚する。

 

「い、今、降ろすから……」

 

 流れる街並み……風景から視線を逸らして車内の方を向き、ワタワタとしながらルリちゃんの身体を降ろそうとして――

 

「――え?」

 

 首に手を回されて、ジャケットの前裾を握られてルリちゃんは離れようとしなかった。

 

「……もう少し、……このままで。……お願いします」

 

 顔を赤くして消え入りそうな口調でありながらも、ルリちゃんは耳に届くしっかりした声でそう言った。

 恥ずかしげなのに俯かず、真っ直ぐ俺の顔を見詰めている。

 

「う――」

 

 やや潤んだ瞳でもあった為――……やっぱり、くそぅ……可愛いなぁと思う。こんな顔をされては断れない。少し反則に思える。

 

「わ、分かったよ」

 

 俺も恥ずかしく思いながら……きっと顔も赤いだろう。それでもしっかりと返事をした。

 すると、

 

「アキトさん……」

 

 甘えた声が聞こえて両手が首に回されて、よりギュッとルリちゃんが身体を押し付けてきたので、俺は背を壁に寄りかけてお姫様抱っこしてこの子の身体を持ち上げた。

 

「……」

「ふふ…」

 

 ルリちゃんは嬉しそうに笑う。

 暖かく柔らかな感触と甘い香りが傍に……息遣いも近い。

 嬉しそうなルリちゃんの真っ赤だった頬は、薄っすらとした赤みへと戻って少し余裕がありそうだが。俺は逆に頬に感じる熱が高まったようで赤くなる一方な気がする。

 

 ああ、もう……くそぅ、やっぱり自分は……そうなんだなと思う。

 けど――……それは、心でも言葉にできない。胸中でも言えない事だ。

 

 俺は流れる風景に意識をなるべく集中させた。

 歓楽街なだけにこのブロックの街並みは美しい。古い欧州の街並みを再現したノスタルジックな風景は、気分を少しは落ち着かせてくれるだろう。

 

 

 

 ノスタルジックな街並みを見ながら、電車に揺られて水族館から丁度反対に位置するエリアへ来た。

 その間、電車に乗り降りする客に訝し気な視線を何度向けられたか。

 正直冷や汗ものだった。お蔭で風景を見る以上に頬の熱さを忘れられたが、別の意味で心臓に悪い。下手したら通報されていただろう。

 されなかったのは終始ルリちゃんが嬉しそうに笑っていたからだと思う。だから不審に思われなかった。もし俯いて恥ずかしげにされていたら、多分……考えるのも恐ろしい。

 

「……着きましたね」

「うん」

 

 ルリちゃんは残念そうな声だったが、俺は頷くと彼女を下ろした。

 代わりに手を繋ぐ。抱えるよりは良いし、余り残念そうにされるのはこっちとしても嬉しくない。

 

「あ、ありがとございます」

 

 路面電車から降りる事も重なって自然な動作でもあった。先に降りていた俺は彼女を支える感じで降ろす。

 勿論、降りても手はそのままにする。

 

「行こうか」

「はい」

 

 見えた次の目的地へ、二人手を繋いで並んで足を運ぶ。

 

 

 

 街並みからやや外れたこのエリアは緑が多い。周囲には芝生や草原や森林などが見える。空こそ人工太陽とホログラムで覆われているが、それでも宇宙コロニーの中とは思えない。

 SFの世界に迷い込んだのだと改めて思えるようで、そうでないような不思議な感覚がある。地球の風景が再現されながらも、妙な違和感があるからだろう。

 煉瓦で敷かれた道を歩いて、丸太を組み合わせたやや大きめのログハウスへと向かう。

 

「大人一人、……子供一人です」

 

 ハウスの中に入り、受付で水族館と同じく料金を支払う。子供という部分で隣にいるルリちゃんがまた苦笑しているのが分かった。

 

「コースはどうされますか? 経験はおありですか?」

「コースはプライベートで。経験はあります。自分だけで大丈夫だと思います」

 

 受付に自信をもって答える。受付の女性はタブレット端末に電子ペンを走らせて頷く。

 

「プライベート……と。……で、スタッフも不要ですか? ……一応安全の為に経験は確認はさせて頂きますが」

「はい、こっちも久しぶりな所もありますし、お願い致します」

「では準備いたします。運が良いですねお客様、今は予約もありませんから直ぐに準備できます。……そちらにお掛けになってお待ちください」

 

 促しに応じて受付カウンターを離れ、来客スペースにある木製の椅子にルリちゃんと並んで座る。

 

「アキトさん、乗馬の経験あったんですか?」

 

 少し驚きを持って尋ねられた。この子の言葉から分かるように此処は所謂乗馬クラブという奴だ。

 

「……火星で農場のバイトをしていた時にちょっと仕込まれてね。一応人並み以上に出来ると思う」

 

 これは半分本当で半分嘘だ。“彼”自身農場のバイトで馬を扱った事はあるが、言うほど乗馬の経験はない。主に引き手側だ。乗る事もあるにはあったようだが。

 ただ俺は元の世界で古い友人の付き合いで、連休とかに泊まりでそういった体験乗馬やレッスンを結構受けていた。

 まあ、それもあって少しは自信がある。多少競技場を走らせたりも出来る。勿論プロには及ばないが。

 

「でも、もう一年以上前だからなぁ」

 

 実際は数年だ。あのボンボンの若頭とはもう長い事会っていなかった。連絡はくれていたのだが会う気にはなれなかったから。アイツとつるむとあの日の事を思い出してしまいそうで……いや、このデート自体が……――駄目だ、よそう考えるのは。

 今大事なのはこの世界で生きる事で、そして傍にいるルリちゃんの事だ。……少なくとも今は、いや……もう本当忘れるべきだ。

 

 「けど、ルリちゃんをリードするぐらいは出来るかな」

 

 過去を振り払ってルリちゃんに笑いかけた。

 

 

 ◇

 

 

 路面電車では思わず甘えてしまった。

 優しく抱き止めて貰え、感じるアキトさんの体温から離れ難くて……デートに誘った日の事を思い出して――あの時は気を失ったフリをしていましたが――もっと確りと抱えて欲しくて我儘を言ってしまった。

 

 意外にもアキトさんも顔が赤かったですけど。

 

 私も頬が熱いから顔が赤くなっていたのは分かっていた。でもこの人も同じで、意外だけど嬉しくて、一人の女性として見てくれているんだと思った。お昼のレストランでもそれを感じたけど。

 子供の身体であっても未来の記憶があるからそうなんだと思う。……デートに誘う前はそうじゃないと思っていたのに違って、だから意外で嬉しい。

 

 ただ電車に揺られて静かに流れる風景を見る時間が楽しくて、アキトさんの体温と感触を感じて、自分の胸がドキドキと脈打つ鼓動が不思議と心地良かった。

 

 でもアキトさんの方はどうだったのだろう? 顔を赤くしていたけど、同じ気持ちだったらやっぱり嬉しい。香水の事も褒めてくれたし、アキトさんも私の体温と感触に心地良く思ってくれていたら……。

 それとも、重いとか、辛く感じていたのだろうか? 幾ら体重が軽いとはいえ、長く抱えていたら腕も疲れた筈。

 けど、そんな様子はなかったし、目的地に着くまでずっと抱えていてくれたし、身体を下ろしても直ぐに笑顔で手を繋いでくれた。だから嫌ではなかったと思う。

 

 ……ですが、アキトさんは優しいですから。多少辛くて迷惑でも気にせず、笑顔で接してくれているだけかも知れません。

 

 うん、今にして思うと迷惑だったのかも……と心配になります。

 

 そう心配する私を他所にアキトさんは馬に乗って駆けています。楕円形のコースをグルリと回って。

 ただし軽い感じでTVなどの映像で見るレースのようではありません。あくまで本当に乗馬できるかという確認と、騎乗する本人の慣らしという事だとか。

 ですが、それでも颯爽した雰囲気があってカッコよくもあります。

 

「様になってるね、貴方のお兄さん」

「え? はい」

 

 スタッフの方から言われる。

 お兄さん……やっぱり周囲からはそんな風に、兄妹に見えるのでしょうか? 髪や目の色もそうですが、顔立ちも私は北欧系で――日本人の血も入っているそうですが――アキトさんとは全然似ていないのに。

 何か複雑な事情があるとか、そう思われているのかも知れない。

 分かってはいましたが、恋人というのは無理があるという事なのでしょうね。

 

「はぁ」

 

 溜息が出た――……けど、首を横に振る。今はそれでも良いと、まだこれからが勝負だと。

 そう、もうあと5年もすれば、兄妹なんて誰も思わなくなるでしょうから! 前回より成長しますしね!(※希望的観測)

 ただ問題は、その5年という時間を如何にして稼ぐかですが。何としてもアキトさんには待っていて貰わないと――いえ、もしくは……いっその事……いえいえ、駄目です、早まるのは。一歩一歩少しずつ進まないと。急がば回れ、です。

 しかし、それでも…………、

 

「お兄さん、戻って来たよ」

 

 はい、と返事をする。

 ……分かってはいてもやっぱり妹扱いなのは悔しい。掛けられる声色も子供を相手にする感じですし。……悲しい現実です。弓とか琴とかあったら弾いていそうです。

 

 それにしても本当に馬に乗れるんですね、アキトさん。スタッフの人も言うように結構慣れた感じです。

 よくよく考えてみれば、昔……前回も火星に居た時の事とか聞いた覚えがありません。というかアキトさんの過去自体……。

 

「――……私、思ったよりアキトさんの事を知らないんですね」

 

 ぽつりと呟いて、その今更の事実に気付き、愕然としたショックを受けた。

 アキトさんとの思い出は殆どがナデシコでの事。アパートでの生活は一年もなかったですし……いえ、そもそもナデシコも八ヶ月もの飛んだ時間があってこちらの日々も一年程度。

 

「……知りたいです。貴方の事をもっと……」

 

 戻って来てスタッフと話しをするアキトさんを見ながら、知らずに言葉が漏れていた。

 

 

 

「時間は90分、それ以上は10分ごとに延滞料が加算されます」

「はい」

「延長の事を含めて何かありましたら、こちらの端末でご連絡を下さい」

「分かりました」

 

 アキトさんがスタッフの方から小さなカード型の端末を受け取る。トラブル防止の為の発信機兼通信機だ。盗みというのは流石にないそうだが、場合によってはコースを外れて迷子になる事もあるらしい。

 

「それでは楽しい時間をお過ごし下さい」

 

 スタッフの方が頭を下げてこの場を後にする。アキトさんだけでも大丈夫と判断されたのだ。

 

「じゃあ、行こうかルリちゃん」

「は、はい」

 

 アキトさんに軽く背中を押されて馬に近づく。近くで見るとやっぱり大きい。私の身体が子供のものというのもありますが……少しおっかないです。

 

「怖がらなくても大丈夫だから。な、アヤメ」

 

 私に声を掛けて、馬の方にもアキトさんは声を掛ける。アヤメという名前の雌だそうです、この馬は。

 呼びかけられたアヤメさんは、アキトさんに肯定するようにブルンと唸って答えて、首を動かして私の方を見る。

 大丈夫だよ、と言ってくれているのでしょうか?

 

「じゃあ、乗せるよ。乗ったら確りと掴まってね」

 

 私は無言で頷く。大きな顔を向けられて緊張していた。

 アキトさんの手が私の脇に回されて、身体が持ち上げられる。ちなみに今の私は乗馬に相応しい服装としてジーンズとシャツが貸し出されている。あの服のスカートは少し短めだったので馬に乗る際に捲れたら困った事になっていた。……まあ、アキトさんになら見られてもそんなには困らないのですが。

 そんな事を考えている間に子供用の鞍に身体が乗る。

 

「……ッ」

 

 高くなった目線に、自分の足で地面に立たない不安から悲鳴ではないですけど、それに近い息が短く零れた。

 だけど――

 

「よっ……と!」

 

 すぐ後ろの安心できる暖かな気配が感じられて、覚えそうになった不安も怖さも吹き飛んだ。

 

「大丈夫、ルリちゃん?」

「はい」

 

 後ろから掛かる声に安心感が大きくなる。背中に当たる感触にも。

 アキトさんの手が前に回って手綱を握る。まるで後ろから抱きかかえられているみたいで……もう、またドキドキしてしまいます。路面電車の時のように。

 恥ずかしくも嬉しい感覚。

 乗馬という事で少し不安でしたが……これは当たりです。アキトさん、午前中の水族館に続いて良いチョイスです。

 

「じゃあ、馬を歩かせるから」

 

 アキトさんはそう言うと、足で軽くアヤメさんの横腹を叩く。すると前へゆっくりと……それでも人の足よりも早く歩き出す。

 上下に揺れる感覚。見慣れない目線の高さでの移動。初めての体験の所為か、少し不思議な感じ。

 

 固いレンガの道を進む度にカッポカッポと音がする。それも耳慣れないから不思議だけど、一定のリズムがある為か聞いていて気分が良い……風情があってとても落ち着く。

 道を進んで、私達はアヤメさんの背中に乗って森林へと入った。

 森林は土を踏み固めただけの道の所為か、風情のある音が聞こえなくなったけど、木々の合間から差し込む陽の光、ほど良い風の感触、その風に乗って運ばれる緑の匂い、馬に揺られてみる風景。

 十分、落ち着いた風情があった。

 

「水族館でも思ったけど、やっぱり凄いね」

「そうですね」

 

 すぐ後ろ、息遣いさえ聞こえてきそうな距離から掛かる声に頷く。落ち着く風景に気を取られていたけど、アキトさんに抱きかかえられている状態である事がそれで思い出されて、頬が熱くなる。また鼓動が高まる。

 

「こういった森まで作るんですね。……未来では宇宙に出て、色んなコロニーを見て回りましたが、こうして森の中を見るのは初めてです。あるのは知っていたんですけど――勿体ない事をしていました」

 

 アキトさんの言葉の意味を察して答えるも、改めて自分が極端な生活をしていたのだと思わされる。

 戦艦に乗って宇宙に出て、コロニーに立ち寄っても船からは殆ど出ず、出る事があっても仕事の件ばかり。たまの休暇も宿舎で本を読むか、電子の海を潜るか――ああ、でも街に出てホウメイさんの所に顔を出したり、ユリカさんとユキナさんと遊ぶ事はありましたね。ハーリー君とサブロウタさんに、それとアオイさんを時々巻き込んで、それはそれで楽しかったのですが。大体は都市部で出掛け先も固定していて、たまに違っても似たような場所ばかりで……観光だとか旅行だとかはまったくした事がない。纏まった休みを取らなかった事も……いえ、取る必要を覚えなかったというべきですね。

 

 そういえば、ユキナさんはそんな私の生活に気付いていたのかも知れませんね。

 軍はもう辞めるべきだとか、ルリはもっと友達を作るべきだとか、そして……恋をしないと行けない! ……ってよく言っていました。

 

「今にして気付くなんて」

 

 話半分に聞き流していたのが悪いように思えた。彼女にはもう会えず、そうやって心配してくれた事ももう謝れない。けど、

 

 ――けど、大丈夫です、ユキナさん。私は今、こうして恋をしていますから。

 

 頬の熱さと鼓動の強さ、背中に感じる大切な人の気配と感触。

 この人と……アキトさんといれば、もうきっと大丈夫ですから。だから心配しないで下さい。

 言葉が届かないのは分かってはいても。私は、未来の……多分別の世界にいるユキナさんに向かってそう告げた。届かなくとも届くようにと思って。

 

「ルリちゃん……」

「大丈夫ですアキトさん」

 

 さっきの私の言葉に心配そうな声が掛かったけど、私は笑顔で答える。アキトさんの方へ振り返って、その顔を見上げて。

 

「こうしてアキトさん、貴方と一緒に知る事が出来ましたから。教えてくれましたから。――だからこれからも傍にいて、私と一緒に……」

 

 言葉を途中で切りはしたけれど、きっと通じている。だからアキトさんも、

 

「――……うん、ルリちゃんがそう望む限り、傍にいるよ」

 

 笑顔で答えてくれた。

 

 

 

 

 ――望む限り……それが精一杯だった。

 

 笑顔で返せたと思う。変に間を空けてしまったが、ぎこちなさは無かった筈だ。

 

 と――

 

 アヤメが立ち止まった。手綱を引いた訳ではない。だけど彼女は止まった。こちらに振り向いて俺の顔を、目を見ている。

 馬というのはとても利口で、人の感情に思いのほか敏感だ。彼女は心配そうに俺を見ているようだった。

 大丈夫だというように足で優しく腹を叩いて答える。

 アヤメは、頷くように首を縦に振ると再び前を向いて進みだした。

 

 それで良いと思う。ルリちゃんは俺の返した言葉に嬉しそうに笑顔を見せている。

 だから前を向いて進もう。この子は笑えているんだ。それを大事にしよう。これからも……。

 

 

 

 

 人工の森の中を進む。あくまでも人が模したもので自然のものではないけど、土も草も木も、時折見える鳥も、その全ては本物だ。

 私の眼にはおかしな物には……空に違和感は確かにあるけど、地球の自然と変わりないように思える。

 まあ、それが分かるほど、自然の森に接したことがないからそう感じるだけかも知れませんが。

 

「あ……」

 

 おかしな場所に出た。

 自然を模した森が続いていたと思ったら、明らかに人の手が加わっている事を隠していない場所。

 木々が開かれていて木製のテラスがあって、椅子やテーブルがある。

 

「中間点に来たみたいだね」

 

 アキトさんが言う。手綱を引いて続く道を外れてテラスがある方へ向かう。

 言葉の意味から察するにコースの半ばに差し掛かったという事なんだと思う。

 

「休憩にしよう。まだ40分ほどだから大丈夫だと思うけど、長く乗ってるとお尻が痛くなってくるから」

 

 テラスの傍でアヤメさんを止めてそう言い、アキトさんは地面へ降りて私の身体を優しく抱えて降ろしてくれる。

 確かに言われるとお尻が少し張っているような気がする。……お尻と言われて少し恥ずかしい気もしましたが。

 

「ご苦労様」

 

 顔を撫でてアヤメさんを労うアキトさん、私もそれに倣ってそっと彼女の頭を撫でた。

 

「ルリちゃんは疲れていない? 乗るだけでも体力使うし」

「大丈夫です」

 

 私にも気を使ってくれるアキトさんに平気だと笑顔で答える。アキトさんは「そっか」と言いながら背負っていたリュックサックを下ろす。スタッフの人に渡されていた物だ。

 チャックを開けて中身を出して、

 

「はい、ルリちゃん」

「これは?」

 

 差し出されたのは透明なビニール袋。少しずっしりとしていて中にはニンジンが入っている。

 

「あ、アヤメさんのですか?」

「うん、そう」

 

 アキトさんが頷くと、アヤメさんもヒヒンッと元気よく答えた。

 これもコースの一環という事なのだろう。馬に餌を上げる。これも初めての経験。少し緊張する。だけど怖がる必要はない。馬が優しい生き物だって言うのは何となく分かったから。

 

「はい、アヤメさん。ここまで運んでくれてありがとうございます。この後もよろしくお願いしますね」

 

 そう言って私はニンジンを取り出して、アヤメさんの顔へ近づけて、彼女は口を開けて、

 

「わっ!?」

 

 思ったよりも大きな歯が出て来てビックリしてしまった。あとアヤメさんに失礼ですけど余り可愛くないです。

 そんな私を気にしていないようにボリボリとニンジンを食べるアヤメさん。

 

「はは……ビックリするよね。俺も最初見た時は結構驚いたから」

 

 アキトさんは可笑しそうに笑う。ちょっとムッとしましたが私も可笑しさを覚えて笑う。

 その間にも顔を近づけて催促してくるアヤメさんに応じてニンジンを上げる。そして大きな身体もあって、あっという間に何本もあったニンジンを平らげてしまう。

 食べ終わるとアヤメさんは器用に足を折りたたんでその場に座り込んだ。アキトさんはこれと言って何も指示とかはしていない。

 それを不思議に思って見ていると、

 

「この場が休憩所って分かっているからだと思う。それで半ば癖になってるのかな? 俺達もちょっと休もうか」

「はあ……?」

 

 生返事をしつつ、アキトさんに言われるまま、その後に続いてテラスへ入って椅子へ座る。

 アキトさんは再度リュックサックを開いて新しくビニール袋を三つぐらい取り出す。あとジュースの缶も。すると――

 

「え?」

 

 テーブルの上に何かがチョロチョロと小さなものが――リス? フェレット?

 

「え? ええ?」

 

 気付くと沢山いた。十匹以上います。

 

「此処はこの子達にも餌を上げられるんだって。自然の森じゃないからなんだろうね。人を全然怖がらない。あと小鳥が来て、ウサギもいるらしいけど……」

 

 アキトさんはテーブルの上のリスとフェレットを気にした様子もなく、周りを見て、私もそれにつられてテラスの周囲を見る――と、

 

「いますね」

「いるね」

 

 これまた何時の間にかテラスの周りの木々と地面に小鳥がいて、ウサギもぴょんぴょんとこちらへ跳ねて来ていた。種類も幾つかある。

 

「うーん、可愛いけど……これだけいると」

 

 アキトさんの言いたい事は分かる。何十匹もズラッと居て不気味な感じもある。あと少し怖い。

 

「何時もなら俺たち以外の客もいたんだろうけど、今日は偶々少ないか、時間が合わない所為なんだろうけど……」

「餌…絶対足りませんよね、これ?」

「「「「!?」」」」

 

 あ、私は今余計な事を言ってしまったらしい。一瞬ザワリとした気配が周囲に奔った。

 まるで私の言葉を理解したように、周囲の小動物たちは首を動かして互いを牽制するように睨み合っている……ような気がする。

 

 言いしれない沈黙が辺りの空気を支配する。

 

「……………」

 

 スクッとアキトさんが立ちあがる。ビニール袋を持って。

 

「じゃあ、逝ってくるよルリちゃん」

「だ、駄目です!? は、早まらないで下さい! アキトさんきっと大変な事に……!」

 

 無駄に良い笑顔を見せるアキトさんの服の裾を掴んで止める。好きな笑顔なのにこういう時にそんな顔をしないで下さい!

 

「……でもさ、此処で何もしなかったら二人とも大変なことになる気がするんだ。ならここは俺だけでも……。大丈夫、俺戻ったらユリカに――」

「――そういう台詞も駄目です!!」

 

 フラグを立てようとするアキトさんの言葉を遮った。冗談でもやめて下さい……本当に! あと艦長と何ですか!? 告白(プロポーズ)ですか! 結婚ですか!? もしそんなこと言ったら舌噛んで死にますよ! 化けて出ますよ……私!

 

 しかし――

 

「ッ!?」

 

 アキトさんは私の裾を掴む手を振り払う。森の小動物たちが動き出す気配を感じたからだ。

 牽制して睨み合っていた状態から私の大声に反応して、よーいドン的な合図になったらしい。

 

「ああ……」

 

 フラグを立てさせない為とはいえ、合図を掛けてしまった事で悲しい声が出た。いえ、フラグを立てようとしたアキトさんが悪いのかも知れませんが。

 だから自業自得だったのか?

 

「うわぁあああっ!?」

 

 リスがフェレットが、鳥がウサギがアキトさんに飛び掛かって群がる。

 

「ア、アキ―――え? あ、危ない!?」

 

 木々の合間から大きな影が飛び出すのが見えた。

 

「し、鹿ぁぁーー!? ……ヒッ! ぐぇあ!?」

「アキトさぁーん!!!」

 

 な、何てことに! 目の前でアキトさんが鹿に跳ね飛ばされました! それも二匹に。そのまま倒れたアキトさんに……! 動物達が……! アキトさんは逃げようとしますが鹿に踏まれて……しかも餌の入ったビニール袋がアキトさんの身体の下に。アキトさんが動物たちに啄まれています。放って置くと数分もしない内に骨だけになっていそうな勢いです。肉食ではないんですから、あくまで例えですが……でも、

 

「ど、どうしたら……?」

 

 流石の木連式柔でも動物相手には……基本、対人の技ですし――ハッ、そうです!

 

「ア、アヤメさん!! お願いします! 助けて下さい!」

 

 座るアヤメさんに呼び掛けると、彼女はすぐに立ち上がって、

 

 ――ヒヒーンッ!!!

 

 大きな鳴き声を上げてアキトさんの方へ駆け出してくれた。

 

 

 

 

「あ、お客様。お帰りなさ――! 大丈夫ですか!? どうされたのです!?」

 

 乗馬施設の方へ戻って来ました。何とか……。

 しかし、

 

「その服は一体!? あ、怪我まで!」

 

 出迎えてくれたスタッフの方が驚いてます。アキトさんの方を見て。

 

「いや……はは……」

 

 私の背中でアキトさんは乾いた笑い声を上げています。

 アキトさんの前でアヤメさんに跨っている私には見えませんが、その姿はもうボロボロとしか言いようがありません。

 リスとフェレットに噛まれ、鳥に突かれ、鹿に踏まれ齧られて、服は破けてほつれて穴も空き、アキトさんも生傷だらけです。

 正直、鹿の体当たりを受けた時点で死んでいてもおかしくなかったと思います。

 

「……疲れた」

 

 馬から降りてどっと地面に尻餅をついているアキトさんを視界の端に捉えつつ、そう言った事情をスタッフに説明する私。

 

「そ、そんな事が……」

 

 説明を聞き終えたスタッフの方は引き攣った顔をして戦慄した様子。

 

「みんな大人しい子だったのですが、お兄さんには申し訳ない所です。此処のスタッフ一同を代表し……いえ、森林エリアの管理主任として謝罪させて頂きます」

「え、責任者の方だったのですか!?」

「はい、ホシノルリさん」

 

 名前まで出て、素性を知っているらしい事も察して私は驚く。そんな私の顔を見て苦笑を浮かべるスタッフ……いえ、管理主任さん。

 

「こう見えてもう30半ば過ぎで結構偉いんですよ、私。……ナデシコの可愛いオペレーターさん」

 

 可愛いと言われた事に照れそうになりますが、30半ば過ぎと聞いて驚いてしまう。どう見ても二十歳前後のお姉さんにしか見えません。

 

「とりあえず、お兄さん……テンカワさんを手当てして休ませてあげましょう。救護室に案内しますね」

 

 そう言ってアキトさんの具合を軽くこの場で確かめてから、彼女の案内を受けて救護室へと向かった。

 

 

「ああ、酷い目に遭った」

 

 救護室にあるソファーにぐったりと凭れながら言うアキトさん。あちこちにシップや絆創膏を張られている。ただ服の方は幸い私と同様に貸し出されたものだったから、その身体の傷以外は問題ない。

 

「アヤメさんのお蔭ですね」

「うん、彼女がいなかったら、ちょっとどうなっていたか分からない」

 

 まったくです。さっきも思いましたが下手したら死んでいた所です。フラグ建てを阻止したというのに。

 

「どうもテンカワさん、ホシノさん、お茶です」

「「ありがとうございます」」

 

 出されたお茶に私とアキトさんが口を揃えてお礼を言う。

 

「ふふ、いえこちらこそ、ご迷惑をお掛けしました」

 

 揃って口を開いたのが可笑しかったのか、謝罪を言いながらもクスッと笑う管理主任さん。

 しかし直ぐに真剣な様子となり、頭を深く下げた。

 

「それに……先の件で夫を助けて頂いてありがとうございます」

「「え?」」

「……私の夫はパイロットなのです」

 

 深く頭を下げた事と唐突な感謝に何かと思ったら……なるほど、そうなのですか。

 

「救援に駆けつけてくれたナデシコ……特にテンカワさんには、お礼の申しようもありません。貴方がいなかったら私はもう二度と夫と会う事が出来なかったでしょう。息子も娘も悲しんでいた筈です。本当にありがとうございます」

「………」

 

 頭を下げて深く、とても深く感謝を表す彼女をアキトさんは呆然と見つめている。ただ、

 

 ――ああ、そっか……守れた人、いたんだな、俺。

 

 そう小さく呟く声が耳に強く残った。

 

 そのあと、一時間ほど管理主任さんと話をした。

 その夫、彼女の旦那さんの事、彼女とその旦那さんの間に出来た息子と娘の事、本当に嬉しそうに、感謝するように話してくれた。

 今、そうして笑って話せることがアキトさんのお蔭だと言うように。

 アキトさんも話を聞いて感慨深げに頷き、相槌を打っていた。何度も、

 

 ――良かったです。

 

 そう口にしていた。嬉しそうに、喜ばしげに。

 私も嬉しかった。サツキミドリで多くの人を守れたんだと改めて実感できて。あのイルカさん達の事も過った。

 

「テンカワさんを傷付けた動物たちも貴方に助けられたというのにね」

「いえ……それは。あ、そういえば、コロニーから撤収するという話ですけど……あの動物たちは……?」

「ああ、それなら大丈夫ですよ。あの子達も一緒にしっかりとここから離れますから。ナノマシンで管理と居場所はバッチリですから」

 

 アキトさんの質問に返った言葉にホッとした。あの二匹のイルカも同様だからだ。

 ただ貨物扱いだから窮屈な思いをさせるでしょうけど、とやや心苦し気に言ってはいたけど、それでも良かったと思う。

 

「また、会えるかな?」

 

 そう、いつか何処かでの再会を願う。

 

 ――うん、会えますよね、また。

 

 そう不思議なイルカ達のことを思った。

 

 

 

 

 思いのほか、話し込んでしまった。もう3時近くになる。

 管理主任の女性は、あの最初に通信をしたパイロットの奥さんだとの事だった。話込んで長くなったのはそれもあった。

 

 多くの人が亡くなった中で申し訳ない気持ちもあるけど、夫が助かり、自分も子供たちも悲しまずに済んで良かったと言って、嬉しそうにあのパイロット……旦那さんと子供たちの事を話すのをつい聞き続けてしまった。

 

 俺も嬉しかったからだ。助けられたという実感を得られて、戦った意味と価値を見い出せたように思えたから。

 別に感謝して欲しかった訳でもないけど……それでも嬉しそうに向けられる感謝の言葉はありがたくて、心が温かくなった。パイロットになって、逃げずに戦う事を選んで良かったと、そう本当に思えた。

 

「それでは失礼します」

「はい、本当にありがとうございました」

「いえ、こちらこそ、手当ありがとうございます」

 

 互いにお礼を言い、旦那さんに宜しくとも言って別れて乗馬クラブを後にした。

 

「ちょっと……いえ、結構大変な目に遭いましたけど、楽しかったです」

「……はは、そう言って貰えると連れてきた甲斐があったかな」

「はい、アヤメさんともまた会いたいですし」

 

 道を歩きながらルリちゃんは微笑ましそうに言う。

 俺を助けてくれたからなのか、ルリちゃんはアヤメの事を気に入ったらしい。救護室から出た後、進んで会いに行って餌を上げたりブラシを掛けたりしていたぐらいだ。あと楽しそうに話し掛けていた。

 ……本当に来た甲斐があった。

 

 と――ふと気づくと自然と隣にいるこの子と手を繋いでいた。俺もルリちゃんも意図していない筈だ、何時の間にか指が絡んでいた。

 

「……」

 

 そうなる事にこそばゆい感情はあったが、嫌ではない。手を離そうとも思わない。

 

 ああ、けど……いつまでこうしていられるのか。どうしてもその不安は付きまとう。

 

 昔の事を思い出した。過る感情……苦しさが似ているのだ。

 だからだろう。同時に似ているという事で自覚する。してしまう。

 

 ……俺は、やっぱり――そうなんだよな。この子の事が……。

 

 だから苦しい。とても……辛い。

 けど、昔に覚えがあるから耐えられる。昔も、最後の最後……あの瞬間まで耐えられたのだから。

 

「ルリちゃん、これから街を見て、買い物でもしてから帰ろうか?」

 

 だから笑顔でこの子に応えられる。

 幾ら苦しく、辛く、心が軋もうとも耐えられる。

 

「はい、そうしましょうか」

 

 この子が、ルリちゃんがこうして笑顔でいてくれるなら、幾らでも。

 

 

 

 

 楽しいデート時間は終わった。

 けど、

 

「ふふ、アキトさん」

 

 私はデスクに向かって一人で笑っている。

 傍から見たら不気味で変な子に見えるかも知れないけど、笑う事は止められない。

 

「……アキトさん」

 

 もう一度名前を呼んだ。

 それを――今日……あの乗馬クラブでアヤメさんの前でアキトさんと並んで撮った写真を、フォトフレームに入ったそれを見ながら。

 

 その写真は、あの管理主任さんが撮ってくれたものだ。森林管理を行う一環で撮影に慣れていて、趣味でもあるそうだ。

 だからとても奇麗に撮れている。

 街でコミュニケを使って噴水の前で撮ったもの、200年前からあるプリクラという機械で撮ったものもあるけど、やっぱりこれが一番だった。服も撮影に合わせてミナトさんがプレゼントしてくれたワンピースに着替えていた。

 

「アキトさん」

 

 デスクに頬をついて写真を眺めてまた名前を呼ぶ。

 デートが終わって少し寂しかったけど、これを見たらそんな気分も吹き飛んでしまった。

 今日の幸せな時間を思い出せるから。

 他にも思い出となる物はある。部屋にあるぬいぐるみ達。

 ゲームセンターで取った小さなキャラクター物の三つのぬいぐるみに、デパートで買った大きな猫のぬいぐるみ。

 

 左手首にあるブレスレット。

 ワンポイントの金色の星に青い石……瑠璃をあしらったものだ。コミュニケの邪魔にならないように付けているそれが部屋のライトの明かりに照らされキラリと輝く。

 

「アキトさんからのプレゼント……」

 

 笑顔である事を止められない。

 明日にはデパートで買った部屋の装飾なんかも届く。アキトさんと一緒に選んだもの。

 私の部屋が殺風景だと気に掛けてくれて、今日初めから買いに行こうと決めていたとの事だった。

 そういった気遣いも嬉しい。ああ、やっぱり――

 

「アキトさん、やっぱり私は……貴方の事が大切で、とても……そう、とても――」

 

 ――大好きです!

 

 そう言葉にする。

 まだ心は伴っても身体は幼いから言えないし、未来の事もある。だからまだ直接には言えない。

 けど、こうして一人でいる時ぐらいは、心であなたに向けて言うぐらいは良いですよね。

 

「ね、アキトさん」

 

 

 

 

 




 ―――……ぐぇあ、


 ……もうほんと最後の部分は私自身、身悶えしながら砂糖の混じった血反吐を吐く思いで書きました。
 恥ずかし過ぎて精神へのダメージが半端ないです。しかしルリちゃんがアキトへの想いが止まらず動いてしまいまして…(汗

 と。ルリちゃんもそうなのですが、アキト(偽)も止められなかった感じです。いえ、それでも止めてもいるのですが。
 やはりデートとなるとルリちゃんとより向き合う事になる為に、彼の本心にも少しは触れざるを得なくなりました。本当はもっと後に書こうと思っていた心情なのですが。
 感想返しでも一部触れてますが、この彼は元の世界で長く片思いをし、手痛い…というよりも重い失恋を経験してます。この部分は彼にとって最大の問題であり、ルリちゃんの想いに応える為には乗り越えなくてはならない部分なのかな?と思ってます。
 ただ偽物であっても、やはりアキトはアキトという根の部分壊したくないので彼に関わるエピソードは余り出さない方が良いのではないかとも考えてます。少し難しい部分ですが。

 それと彼の本心がそこに向いてはいてもヒロインレースは、一応まだ決着していません。ルリちゃんがフライング気味で先行してますが、ユリカさんがそれに甘んじるとは思えませんし。

 街での買い物部分は流石に冗長が過ぎると思いましたので省きました。

 ちなみにルリちゃんの部屋に転がり込んだキャラ物三体のぬいぐるみは、某4の数字の名を持つ猫かリスみたいな生き物と、デフォルメされた食っちゃ寝王、赤い弓兵だったりします。
 アキト(偽)も驚いた彼女も欲しがったぬいぐるみ達。本作でルリちゃんがそのネタを挟む理由にもなってます。

 あと、ここまでは結構短い頻度で更新してこれましたが、次回から更新に間が明くようになると思います。
 一週間か一度か、二週間か一度か、聖杯の少女の方も進めたいのでちょっと判りかねますが、それぐらいの頻度で更新したいと思ってます。

 カオカユイカー様、bq様、リドリー様、誤字報告等ありがとうございます。

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