史上最強の弟子ベル・クラネル   作:不思議のダンジョン

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第一話

 チチチ、と鳥の鳴き声が梁山泊に朝の訪れを告げる。

 東の空には赤い太陽が昇り始め、その光によって暖められた風は早朝であっても体温を奪うことはない。

 そんな穏やかな朝、朝日に照らされた梁山泊の縁側で一人の老人がお茶をすすっていた。

 

「平和じゃのう」

 

 老人と形容したが、その姿は老人という言葉から一般的に連想するイメージからかけ離れている。

 身長は優に2メートルを超え、その肉体はゆったりとした服に凹凸ができるほどに発達した筋肉に包まれている。

 彼の名は風林時隼人。武術の世界において無敵超人と呼ばれる正真正銘最強の武術家だ。

 そんな彼はこの穏やかな日常を一人静かに噛みしめていた。

 

「おや? 長老、こんな所におられたのですかな」

 

「む……? おお、秋雨君か」

 

 そんな彼に一人の中年の日本人男性が近づく。

 外見からして型破りな隼人と並べば、何の変哲もない恰好をしているように見えるが男のそれも現代日本の常識に照らし合わせると十分に奇抜である。

 身長は隼人ほどではないにせよ、日本人としては珍しい180センチメートルの大柄であり、その身にまとう衣服は柔道着だ。加えて、見るものが見ればその衣服の下には隼人に匹敵するほどの重厚な筋肉が眠っていることが分かるだろう。

 彼の名は岬越寺秋雨。哲学する柔術家という異名を持つ、最強の柔術家である。

 

「朝日を見ながらのお茶を楽しまれたいのであれば私に仰ってくだされば、最高の緑茶をご賞味いただけたのですが……」

 

「ホッホッホッ! なあに、君にそこまでしてもらう必要はないのじゃよ。いや、むしろわしはこのありふれたお茶こそ楽しみたいのじゃ」

 

「ふむ……?」

 

 秋雨の入れたお茶ではなく、平凡なお茶の方がいいという隼人の言葉に秋雨が訝しげに声を上げる。

 自慢ではないが、秋雨の入れるお茶はとてつもなく美味い。なにせ、茶道においても秋雨は達人級の腕前なのだ。その味はいかなる人間も感動し、詫び寂びの極致の一端に触れるという。そんな最高のお茶よりもありふれたお茶の方がよい、と隼人は言ったのだ。

 そんな秋雨の様子に、隼人はからからと笑いながら謝る。

 

「ああ、スマンのう。少し言い方が悪かったわい。わしはな、このありふれた日常の風景を楽しむのであれば、君の特別なお茶ではなくどこにでもあるこのお茶こそがふさわしい、そう思ったのじゃよ」

 

「なるほど、そういうことでしたか」

 

 隼人の言葉に、秋雨は合点がいったと首肯する。

 先日までこの梁山泊は戦争状態にあった。敵は武術界を二分する「闇」と呼ばれる者たち。彼らの目的は世界中に戦乱を巻き起こし、武術家がその力を存分に振るえる戦乱の世を作り出すことであった。

 幸いにもその計画は梁山泊と大勢の協力者の手によって未然に防がれ、世界は平和を取り戻したのだ。だが、その勝利は紙一重のものであった。何か一つでも歯車が狂っていたら勝敗は逆転していたであろうと確信できるほどに。

 故に隼人はこのありふれた、だからこそ掛け替えのない日常を噛みしめたいのであろう。今日がそうであるように明日もまた平和である。平和であることが当たり前であるということがいかに尊く、そして儚いかをあの戦いの中で再確認したが為に。

 なるほど、それには特別に美味いお茶など無粋だ。むしろありふれたお茶の方がより当たり前の日常の尊さを実感できるだろう。

 

「それでは、私もご相伴にあずかってもよろしいですかな?」

 

「おお、もちろんじゃとも」

 

 隼人の了解を得て、秋雨はその横に座る。

 

「……」

 

「……」

 

 親子ほどに年の離れた二人の間に会話はない。これは、両者ともに言葉を交わさずとも相手の気持ちが分かるからだ。

 こうして穏やかな日々を送れることへの感謝、それを守ることができたことへの安堵、そしてそれを分かち合うことのできる親友に出会えた自らの巡り合わせ。

 それらに思いをはせながら二人は声に出すことなく、この日常を守っていくことを誓い合うのであった。

 

 

 

 

 

 

「きぃぃぃやあああああああああっ! こ、殺されるうぅぅぅぅっ!!」

 

 そんな二人の横から少年の魂の叫びが飛び込んでくるが、両者はそれを黙殺する。なぜならばそれが聞こえるのは二人が話していた日常の一コマであり、二人はその日常を守っていくと誓い合ったばかりだからだ。

 

「ホッホッホッ……秋雨君、これからも守っていかなければいかんのう、この太平の世を」

 

「ええ、勿論ですとも。頑張っていきましょう、長老」

 

「そこの二人! 平和よりも前に可愛い弟子の命を守ってくださ……ぎいやああああああああああああああああっっ!!!」

 

 少年の声が巨大な破砕音に遮られると同時にドップラー効果を伴いながら遠ざかっていきやがて聞こえなくなっていく。数秒の後、今度は腹の底に響くような落下音が聞こえた。二人が視線を向ければそこには地面にめり込む少年の姿があった。

 一般人が見れば目を疑うだろうが、この少年は今しがたものすごい衝撃によって空高くまで打ち上げられたのだ。

 泡を吹く少年の下にその衝撃を生み出した張本人が駆け寄る。

 

「アパパ! だめだよ、ケンイチ! よそ見なんかしていちゃ危ないよ!」

 

 その男を一言で表現するならば巨漢という言葉が一番しっくりくるだろう。2メートルを超える体格とタンクトップから覗く鋼のような筋肉。究極の肉体美を誇る彼こそは裏ムエタイ界の死神、アパチャイ・ホパチャイ。物理的に地獄に落とされる、と数多のムエタイ選手から恐れられた豪傑の一人だ。これだけ聞くと恐ろしい人物を想像してしまうが、実のところ本人の性格は人畜無害にして善良であり、この梁山泊において一番純真無垢な性格をしている。

 ただし、本人の力が強すぎるせいでこうしてちょっとした事故を引き起こすことが非常に多いのだが。

 

「全く……何やってんだ、オメエらは……」

 

 アパチャイと少年の醜態に虎の唸り声のような重低音で毒づくと、アパチャイに負けずとも劣らない大男が二人に近づき、無造作に少年を引っ張り上げる。

 男の顔には鼻の上に大きな傷が横一文字に走っており、狼のように鋭いその瞳と相まっておとぎ話に出てくる鬼を連想させた。大男の名はケンカ百段の空手家、逆鬼至緒。国内だけでなく国外でもかなりの武勇伝を持ち、その名を聞くだけで震え上がるものは数えきれないという空手界きっての武闘派だ。

 もっとも、彼に近しい者たちは彼の粗暴な振る舞いが見せかけのものであり、彼の本当の性格は優しいということに気が付いており、実際今も少年を乱暴に扱っているように見えるが、その実では細心の注意をはらって少年の体に異常がないかを確認している。

 やがて少年は気絶しているだけだと判断した至緒は傍らの中国人に少年を放り投げる。

 

「ほれ剣星、いつものようにやってやれ」

 

「仕方ないね。おいちゃん特製の秘薬をこうして飲ませてやれば……」

 

 中国人は少年の体を受け止めると、取り出した瓢箪を少年の口につけると強引に中身を飲ませていく。

 怪しげなこの中国人は馬剣星。あらゆる中国拳法の達人であると同時に鍼治療や漢方医の達人でもあり、秋雨にも劣らぬ万能の天才である。

 彼の技術はこうして少年がノックアウトされたときに重宝がられており、少年が故障と無縁でいられるのは彼の功績が大きい。

 逆に言えば、彼が最高の技術で少年を治療してしまうせいで、少年は故障の可能性を考えない限界以上の修行を毎日させられているとも言える。

 しかしながら、今日はいつも通りとはいかなかった。

 

「……おい、剣星。ケンイチの奴、目を覚まさねえぞ?」

 

「おかしいね……? 分量は間違っていないはずね……?」

 

「アパ……? どうしたよ、剣星。早くケンイチを起こしてよ?」

 

 通常ならば、飲ませてから数秒ほどで飛び起きる筈の少年がどういうわけか、今日は意識を失ったまま目を覚まさないのだ。いや、それどころか徐々に呼吸が小さくなってきている様子だ。

 流石の三人もこの事態に動揺し、一瞬少年から注意を逸らす。

 その瞬間――

 

「戦略的撤退!」

 

 少年は飛び起きると、一目散に逃げだした。

 突然のことに呆気に取られる三人だが、すぐに自分たちが一杯食わされたことに気が付くと凶暴な笑みを浮かべ、少年を捕まえるべく動き出す。

 

「へっ! あの野郎、俺たちの目をごまかす程の死んだふりをかますとはなかなかやるようになったじゃねえか!」

 

「あれは内功の応用ね。内功を練ることで自身の代謝を徐々に落としていったね。ケンちゃんもようやく基礎を使いこなすことができるようになったみたいね、おいちゃんはうれしいよ」

 

「アパパ! よく分からないけど、ケンイチが無事でよかったよ! さあ、スパーリングの続きを始めるよ、ケンイチ!」

 

「うおおおおおっ!! 捕まってたまるかあああああっ!!」

 

 達人三人との鬼ごっこという、結果の見えた戦いを始めたこの少年は白浜健一。この梁山泊唯一の弟子であり、空手、柔術、中国拳法、ムエタイをそれぞれの達人から教示を受けた史上最強の弟子だ。

 ひょんなことから武術の世界に入った彼は激流のような事態の変化に流されるまま戦い続け、遂には世界の行く末を決める戦いの台風の目となり、その勝利に大きく貢献することとなった。

 そんな経歴だけは前途有望な男が何故、こうして修行から逃げ出すという醜態をさらしているのか。それは彼の才能にある。

 実のところ、ケンイチの才能は決して恵まれたものではない。むしろ、皆無と言ってもよい。そんな人間が一定以上の水準にたどり着こうとするにはどうすればよいか。

 ケンイチの師匠たちが下した結論は、限界一杯……いや、限界以上の鍛錬を積めばよい、というものであった。その苛烈さは凄まじく、殺人を是とする「闇」の人間たちですらドン引きするほどである。

 結果、ケンイチはほぼ毎日生死の境を彷徨うほどの修行を行うこととなっており、こうして彼はあまりのつらさに修行から逃げ出すという行為を度々行っていた。

 しかしながらその結果はいつも師匠たちに軍配が上がっており、実際今日もまたそうなった。

 

「ったく……変な小細工ばっかり上手くなりやがって。手間かけさせんじゃねえぞ」

 

「いやだあああああっ! 死にたくない! 僕はまだ死にたくなあああああいっ!」

 

「ケンちゃん、いい加減覚悟決めるよろし。おいちゃん達、いつも言ってるね。武術家は長生きを競い合うものじゃないね。どうせ人間いつかは死ぬんだし、遅いか早いかの違いだけよ」

 

「アパパ! 大丈夫よ、ケンイチ! アパチャイ、沢山手加減するよ! だけどムエタイは相手をぶっ殺すための技だから、下手すりゃ死ぬよ! でも、ケンイチならきっと大丈夫! アパチャイは信じてるよ!」

 

 逃げ出して1分ほどで取り押さえられ、縄で簀巻き状態にされたケンイチを前に三人の達人は好き勝手なことをのたまう。知らない人間が見れば、犯罪現場にしか見えないのだが少年も含めその様な認識はない。もはや彼らにとってこれは恒例行事のようなものだ。

 そんな、殺伐としながらものどかな日常にまた一人姿を現す。

 

「ケンイチ達、楽しそうだ……な」

 

 スルリ、とどこからともなく秋雨と隼人の後ろに一人の女性が現れる。

 一見すれば、一振りの日本刀を彷彿とさせる女性だった。こう表現すればさも恐ろしい似姿をしているのかと勘違いさせるかもしれないが、そんなことはない。寧ろ町中を歩けば老若男女全員が振り返りそうな程に女性は美しい。では何故日本刀の様な、などという印象を与えるのか。それはおそらく女性の隠しきれない本性に、人間の本能は否が応もなく気づいてしまうからであろう。

 そう、この達人が集まる梁山泊にいる以上、女性もただ者ではない。

 彼女は剣と兵器の申し子、香坂しぐれ。東洋最強の武器使いと評される武術家である。

 

「おや、しぐれ。君もケンイチ君の様子を見に来たのかね?」

 

「ああ、そう……だ」

 

 自分の後ろに突如人が現れたというのに秋雨の声に驚きの色はない。むしろ、梁山泊に来た当初は誰にも心を開かなかったしぐれがこうして他人に関心を寄せることへの喜びが感じられた。

 それが分かったのだろう、返答するしぐれの声にはわずかながら気恥ずかしさが見受けられる。

 

「ホッホッホ、それではそんなところに立っとらんでこっちに来なさい」

 

「うん、分かっ……た」

 

 しぐれは隼人の誘いにうなずくと、その隣に座りケンイチ達の修行を面白そうに見物し始める。

 当のケンイチはと言うと、彼もようやく諦めたのか不承不承ながらもアパチャイの前でファイティングポーズを取ったところだ。

 

「安心するよ、ケンイチ! アパチャイ、沢山手加減するよ! だけど、スパーリングは真剣にやらなきゃ駄目だからぶっ殺すつもりで行くよ!」

 

「すみません、アパチャイさん! それ、全然安心できません!」

 

 何とも間の抜けた師弟の会話とともにスパーリングは再開される。

 一般的にボクシングを始めとした打撃系の格闘技のスパーリングは肉体へのダメージを考え、軽いものを行うものだ。しかしながらそれは一般論であり、魔境である梁山泊ではそのような常識は通用しない。

 

「アッパアアアアアアッッ!!」

 

「ヒイイイイイイイイッ!!」

 

 開始の合図とともにアパチャイの剛腕が空気を撹拌しながらケンイチを襲う。ケンイチは悲鳴をあげながらも体幹をひねることでそれを躱す。

 瞬間、破裂音が鳴り響き周囲に突風が巻き起こる。手加減したとはいえ、アパチャイの豪拳の威力により周囲の空気が弾き飛ばされ、局所的な嵐が引き起こされた結果だ。

 ごくりと思わずケンイチは生唾を飲み込む。だが、緊張に固まるケンイチに容赦なくアパチャイは追撃を加える。

 

「アパパパパパパッ!」

 

「うわあああああっ!!」

 

 あんなものは序の口だと言わんばかりの激しい連撃。肘打ち、膝蹴り、ボディーブロー。そのどれもが速く、巧く、そして何よりも重い一撃である。まともに喰らえばケンイチの意識など一撃で持っていかれると確信できるほどに。

 故にケンイチはそれを必死に捌く。ある時は足を使って的を絞らせず、またある時は拳でいなすことで直撃を避けていく。しかしながら、全てを躱すことはできず対処のできない一撃がどうしても出てきてしまう。そんな時は肩を使うことで被害を最小限にしているのだが、その度にケンイチの動きは鈍くなっていく。

 

「どうしたよ、ケンイチ!? 殴られたら殴り返さなきゃダメだよ! さもなきゃ一生相手に殴られっぱなしよ!」

 

「くっ! まだまだああっ!」

 

 アパチャイの言葉に負けん気が刺激されたのだろう。ケンイチの目に力が宿る。だが、気持ちだけではどうにもならない。連撃の中に隙を見出すことができず、依然として防戦一方だ。

 一方的に攻めるアパチャイとなすすべもなく殴られ続けるケンイチ。それはスパーリングとは名ばかりのワンサイドゲームである。

 一見すれば不甲斐ないことこの上ない戦いぶりである。しかし、その場にいる達人たちは皆全く別の感想を抱いていた。

 

「ほお……! ケンちゃんもだいぶやるようになったのお……!」

 

「うん。ケンイチの体、重心が全くぶれていな……い」

 

「ええ、彼には足腰を重点的に鍛えさせましたからな」

 

 感心する三人の前で必死に戦うケンイチ。目まぐるしく動き続ける彼の体だが、その体にはブレがない。体の軸が鉄骨のごとく強固である証拠だ。これにより、ケンイチの体幹は濁流のような拳撃の中にあってなお安定している。それが動いた後の隙をなくすと同時に無駄な力みをなくしている。結果、それが次の動きを素早くさせ、未だ膝を屈せずにすんでいるのだ。そうして稼いだ時間を使い、ケンイチはアパチャイの隙を伺っていたのだ。

 ともすればリンチにしか見えない応酬。だが、その実においてケンイチは着々と反撃の牙を研ぎ続けていたのだ。

 そして遂にその牙をむく瞬間が訪れた。

 

「アッパアアアアッッ!」

 

「っ! ここだああっ!!」

 

 永劫に続くかと思われた連撃に一瞬の途切れが現れる。千載一遇の好機を見逃さず、そこに合わせてケンイチは渾身の一撃を放つ。狙いは肝臓。あばら骨で守られていない唯一の場所であり、避けることの難しい箇所だ。

 だが——

 

「遅いよ!」

 

「っ!? しまった!」

 

 周囲を震わす程の破裂音が響く。それだけでいかに強力な一撃であったかと推察できるケンイチの拳はしかしアパチャイの大きな拳で止められていた。

 全力で一撃を放った肉体はわずかに泳いでおり、これでは次の動作に遅れが出てしまう。それはあまりにも大きな隙だ。

 硬直するケンイチの目の前でアパチャイが拳を握りしめると真っすぐに突き出す。

 意識だけが先鋭化され、まるでスロモーションの様にゆっくりと迫ってきているように見えるが自分の体はそれよりもさらに鈍重であった。ケンイチにはそのまま、拳が向かってきているのを眺めることしかできない。

 そして遂にその拳がケンイチの顔面をとらえようとして——

 

「はい! スパーリングはここでお終いよ!」

 

「わっ! あ、あれ……?」

 

 そこでアパチャイはケンイチの顔面ギリギリの所で拳を止めるとスパーリングの終了を告げた。スパーリングの終了という言葉にヘナヘナとケンイチは座り込む。先ほどの二の舞になるかと覚悟を決めたところで九死に一生を得たのだ、気が抜けてしまうのも無理はなかった。

 とは言っても、いつまでもそうしているわけにはいかない。修行の後にある最も大事な作業がまだ終わっていないのだ。

 ゆっくりと腰を上げるとケンイチは姿勢を正し、アパチャイに向き合う。二人の目が合うと、同時に両者は深々と礼を行う。

 修行が終わった後の互いの一礼。梁山泊の修行が本格的に始まって以来一度も欠かしたことのない日課である。これを終えてようやく修行は終了となるのだ。

 修行が終わり、ホッとするケンイチにアパチャイはにこやかにスパーリングの感想を伝えた。

 

「ケンイチ、最後の一撃は力がこもっていてなかなか良かったよ! だけど、ああいう時は無理に強い一撃を出そうとするんじゃなくて素早くコンパクトに打つようにするべきよ!」

 

「ハイ! ありがとうございました!」

 

 注意付きとはいえ、珍しく自身の一撃が褒められケンイチはうれしくなる。と、そこに至緒と剣星も加わってくる。

 

「へへへ……最後の一撃だけじゃなくその前の防御もほめてやったらどうだ、アパチャイ?」

 

「そうね、荒削りな所も多かったけどおいちゃん、感心したね。少し前とは比べるまでもなくバランスが良くなってきているね」

 

「もちろんだよ! ケンイチは防御に関しては最近特に成長してきているね!」

 

「そ、そうですか! いや~それほどでも……」

 

 まさか、全員から褒められるとは思わず、ケンイチは照れてしまう。そんなだらしなく笑うケンイチを見て、秋雨はかぶりを振る。

 

「やれやれ……ケンイチ君にも困ったものだ。褒められる前に注意を受けたことを忘れているのではないのかね? あの三人にもケンイチ君をあまり甘やかさないように言わなければならないね」

 

「……そう言っている秋雨も口元が笑っている……ぞ」

 

「なんと!?」

 

「ウソ……だ」

 

 慌てて口元に手をやる秋雨に、してやったりとばかりにしぐれは唇を歪めた。弟子を思い、あえて厳しい態度を取ろうとしていたようだが、これでは形無しだ。

 

「ホッホッホ! これは秋雨君も一本取られたようじゃな! 君も観念して弟子の成長を素直に喜んだらどうかね?」

 

「コホン……まあ、確かに褒めるところは褒めなければいけませんな。……フム、修行も終わったことですし、そろそろ朝食の時間ですかな?」

 

 不承不承ながらも弟子の成長を認めると、秋雨は露骨に話題を変え始めた。形勢が不利と見て、逃げの一手を取ったことは明白であったがまるでそれを聞いていたかのような少女の声が届く。

 

「皆さーん! 朝ごはんの用意ができましたわよー!」

 

 快活な声と共に母屋から少女が姿を現す。少女の名は風林時美羽。隼人の孫娘である。

 無敵超人の孫というだけあり、美羽もまた達人ほどではないにしてもかなりの武術の使い手だ。しかしながら、笑顔で皆の食事を用意する家庭的な彼女の姿からはそれを感じさせることはないだろう。

 日ごとに武術家としてだけでもなく女性としても成長している孫に隼人は目を細める。

 

「おお美羽よ、もう朝食かのう。今日はずいぶんと早いのう」

 

「ええ、今日は少し早めに目が覚めてしまって……ひょっとして、いけませんでしたか?」

 

「いやいや、そんなことはないぞ。むしろ秋雨君には助かったぐらいじゃろう」

 

「は?」

 

「オホン!」

 

 隼人の揶揄する声に思わず、秋雨は咳ばらいで答える。と、そこに美羽の声を聞いてきてケンイチ達がやって来る。すると秋雨はケンイチを美羽の側に押し出すように立たせる。

 

「美羽君、長老の言葉を気にする必要はないよ。さあ、君はケンイチ君と一足先に食事を取に行ってきなさい」

 

「へ? 私たちだけで?」

 

「師匠たちはどうするんですか?」

 

 何か話し合いでもあるんですか、と問う二人に軽く手を振り、秋雨は何でもないと言わんばかりの口調で答えを告げる。

 

 

 

「いやあ、何。ちょっとそこにいる失礼なお客さんのおもてなしをしようかと思っていたのだよ……いい加減、出てきたまえ!」

 

 秋雨の怒声が放たれた瞬間、その場の空気が一変する。背筋が凍りつくような寒気を感じながらも全身を炎で舐められたかのように焼けつくような痛みを発する。ケンイチにとってなじみ深い感覚、殺気である。

 そして、どういうことであろうか。つい先ほどまでそこには誰もいなかったはずなのに、庭の片隅にある一本の木に見知らぬ男が立っていた。

 男の外観を形容するならば異様の一言であろう。全身を漆黒の衣類で覆い隠し、容姿は一切わからない。しかし、その身のこなしや弟子とはいえケンイチや美羽たちでは存在を察知することすらできなかった技量を見れば男が相当以上の腕前であることは分かるだろう。

 

「見事だ……梁山泊の達人たちよ……私の隠形を見破ったのはお前たちが初めてだ」

 

 男は、唯一全身を漆黒で覆い隠していても視認が可能な眼球を殺気でぎらつかせながら達人たちを褒めたたえる。

 態度と言動が全くかみ合っていないが、隼人はそんなことを気にするそぶりもなく軽快に笑い飛ばす。

 

「ホッホッホ! そんなに褒められると照れてしまうのお。それで、お主はいったい何者じゃ? 闇の残党かのう」

 

「フッ……これからこの世からいなくなる者が知る必要はあるまい?」

 

「へっ! たった一人で俺たちをまとめて殺すとは言ってくれるじゃねえか!」

 

 世界最強クラスの達人集団を前に傲慢とも言える男の発言に至緒がいきり立つ。だが、男はうっすらと笑うと至緒の発言を否定した。

 

「まさか。いくら私でもお前たちを一度に相手取ることなどできんよ」

 

「ああ? お前、何を言ってるんだ?」

 

 男の奇妙な言い分に至緒のみならずその場にいる者たちは皆困惑する。いきなり現れて物騒な発言をしたと思ったら、突然の敗北宣言である。男の考えが全く分からない。

 自然と皆、男を警戒し距離を取ってしまう。そう取ってしまったのだ。もしこの時、男の言葉を意に介さず、全員で取り押さえに行けばこの後に起こる事件は未然に防げたかもしれなかった。

 

「この世から消す、とは言ったが何も命を奪うだけがこの世界から消す手段とは限らぬであろう? 『セキイダ・イオウ』」

 

 男が奇妙な文言を唱えた瞬間、文字通り世界が一変する。

 周囲から色という色が失われ始め、実体の輪郭がぼやけはじめる。地面が揺れたように感じられ、とても立っていられない。思わずケンイチと美羽はへたり込んでしまった。

 

「な、なんですのー!?」

 

「美羽さん! 早く逃げてください!」

 

「止すね! ケンちゃん、美羽! 下手に分散すれば飛ばされた後で合流できなくなってしまうね!」

 

 混乱し、這ってでもその場から離れようとする弟子レベルの二人に剣星が鋭い声で制止する。その声にいつもの様なお気楽な色はなく、それが否が応にも事態の深刻さを物語っていた。

 

「テメェ! 源術師か!? 俺たちに何をしやがった!?」

 

「ククク……言ったであろう? お前たちをこの世から消す、と。お前たちにはここではない何処か、に行ってもらうぞ!」

 

 勝利を確信したのであろう。笑みを抑えきれないまま、男は無防備に勝ち誇りを上げる。だが、そんな男に冷や水を浴びせる男がいた。

 

「ほう……ここではない何処か、と来たかね。それは、ずいぶんと大きく出たものだね?」

 

「フン……強がりはよせ、哲学する柔術家よ。いくらお前でもこの状況はどうしようもあるまい?」

 

「ふむ、まあその通りだね。しかし……」

 

 男の嘲笑に一旦うなずくと、秋雨は冷たく切り捨てる。

 

「それが、いったい何だというのだね?」

 

「何?」

 

 秋雨の言葉に男は自失する。そんな男など眼中にないとばかりに秋雨は言い放った。

 

「ここではない何処かに飛ばされる。その程度で我々をどうにかできると、本当に君は思っているのかね?」

 

 はったりとしか思えないような言葉だった。だが、気負いのない平坦な声がそうではないと気付かせる。そう、秋雨は本気でこの事態をちょっと面倒なことになったなとしか、捉えていないのだ。

 渾身の秘術をその程度と言われ、プライドを傷つけられた男は忌々し気に眉をしかめる。

 

「負け惜しみを!」

 

「そう思いたいのならば、そう思いたまえ。もっとも、すぐに後悔することになるだろうがね」

 

「ホッホッホ! 秋雨君、そこまでにしておいてあげなさい。どうやら、そろそろ時間切れの様だしのう」

 

 隼人の言葉に応えるように、いよいよ異変は激しくなり始めた。もはや周囲の輪郭線はぐちゃぐちゃにのたうち回り、色彩は様々な色が混ざり合って極彩色に輝いている。やがて上空に漆黒の穴が浮かび上がり、そこから渦を巻くようにして周囲の全てが吸い込まれ始めた。

 

「ではさらばじゃ、名も知らぬ源術師よ。この場ではあえてこう言わせてもらおうかの……また会おう!」

 

 その言葉を最後に周囲に轟音と一際まぶしい光が迸る。

 一瞬の視界の断絶の後、残されたものは主たちがいなくなったことを除けば先ほどまでと何も変わらぬ梁山泊の屋敷、そして言いようのない敗北感に震える男の姿だけであった。

 

 

 

 







 へっぽこ冒険者の続きを待っている御方には申し訳ありません。執筆が思うように進まずに気晴らしに書いていたケンイチとのクロスオーバーの一話が出来上がってしまったため、折角なので投稿させてもらいました。
 遅筆ではありますが、両作品とも完結できるよう頑張っていきたいと思います。


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