天地燃ゆ   作:越路遼介

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再連載開始です。無理なく定期的に投稿していけたらと思います。外伝を含めると多くのシリーズがある作品ですが、まずは本編を全うしたいと思います。


若武者隆広

 ここは加賀の国。現在の石川県。この国は当時は別名『百姓の持ちうる国』と呼ばれ、一向宗門徒の国であったが、加賀の小松城を織田家北陸方面軍である柴田勢が落とすと、ついに越後の龍、上杉謙信が動いたのである。

 上杉家も一向宗門徒とは交戦状態であったが、加賀・能登の一向宗門徒団と上杉謙信との間に歴史的な和睦が成立する。その領内を通過して織田領の能登に進軍した。今まで同盟関係にあった能登の畠山氏が二つに分裂し、片方の勢力が信長についたからである。

 

 柴田勝家は主君織田信長の命令により上杉謙信に対するため加賀国内に進軍していた。

 参陣していた織田側の武将は安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全、滝川一益、丹羽長秀、羽柴秀吉、そして明智光秀と、そうそうたる一同である。柴田家の武将も居城北ノ庄に老臣中村文荷斎を残して、府中三人衆の前田利家、佐々成政、不破光治を筆頭に佐久間盛政、柴田勝豊、可児才蔵、毛受勝照、拝郷家嘉、徳山則秀と揃って参戦している。そしてこの将帥たちの末席に若干十七歳の若武者がいた。

 

 天下統一目前の織田信長が南近江の地に安土城と云う壮大な城を建てた頃、柴田勝家の家臣となった若武者だった。美童だった面影はあるが、現在は堂々とした美丈夫となっている。少年の名前は水沢隆広と云った。

 

 後の世に『手取川の合戦』と呼ばれる戦いに、隆広は兵糧奉行として参陣していた。この時に柴田勝家が率いていた軍勢はおよそ五万。その軍勢の胃の腑を満足させるほどの兵糧を確保し、それを運ぶ輜重隊(兵糧、物資を運搬する隊)を整然と統率していた若武者、それが隆広である。

 地味な仕事ではあるが、腹が減っては戦ができない。兵糧は軍勢の生命線。それを総大将より任されたのであるから、勝家が隆広に持つ信頼は絶大なものであると言える。

 輜重隊と共にあるので、隆広の軍勢は行軍の最後尾にあった。先頭を行く勝家の本隊はそろそろ陣場を築く予定の地に到着するころである。

「隆広様、急ぎませんと本日の夕餉に間に合いません」

 部下の武将が遅々とした行軍に焦れたように言った。

「殿の本隊は騎馬武者と足軽。こちらは食料という大切な荷をもって行軍している。速さに遅れが出るのは当然。我らの務めは一粒の兵糧も失わずに陣中に運ぶことだ」

「それはそうですか…」

「それに各備えも、本日分の兵糧程度は持っておる。心配する必要はない」

 そう言うと隆広は馬を止めた。

「よし、兵たちに休憩と食事を取らせよ」

 兵たちの間から歓喜の声が上がった。およそ将と呼ばれる武士の中で、これほど兵に気遣いを見せる大将はめずらしい。

「とんでもございません、ただでさえ予定より大幅に遅れているのですよ!」

「佐吉、我々は牛馬を使っているのではない。人だ」

「しかし…」

 隆広は本隊の荷駄と別にある荷を解かせた。味噌と麦飯である。

「給仕を始める。みな腹いっぱい食べろ!」

「は!」

 

 兵は飛び上がって喜んでいるが、佐吉は不安でならない。刻限に遅れることではなく柴田家中には隆広を快く思っていない者も何人かいる。

 隆広は武人肌の多い柴田陣営の中で、智将として存在していた。

 加えて彼が始めて勝家の居城である北ノ庄城の軍議に参加したときに、主君の勝家は後々この若者をわしの養子にするつもりだと公言した。すでに養子の柴田勝豊にとり愉快な話であろうはずもなく、隆広自身もまったく聞かされていない事だった。以来、柴田陣営の一部の者にあまり快く思われていないのが現状である。

 

 しかしながら城普請、治水工事、新田開墾、民心掌握などにおいては十七歳とは思えぬ才幹を発揮し、それがいっそう勝家に仕える将たちの妬みをかった。柴田勝家の甥にあたり、家老でもある佐久間盛政などは、会うたびに嫌味を言うほどであった。

 

 彼の初陣は一向宗門徒の鎮圧であったが、隆広はここで内政のみの将でないことを家中に示した。

 年若く戦の経験もない隆広。その彼が初陣であったのに手柄を立てた。仕官当時は足軽組頭であったのに、戦後にすぐ勝家から足軽大将に任命され、現在は二千の兵を従える侍大将である。まだ二十歳にも満たないという若者であるのに、織田信長に仕えた羽柴秀吉のごとく破格の出世を遂げている隆広。妬みが生じるのは自然といえるだろう。

 そんな妬みを持つ者は、隆広の失敗を今か今かと心待ちにしている。兵糧の運搬の遅れなど、一歩間違えれば軍勢総崩れのきっかけにもなりうる。兵を思いやる隆広を認めながらも佐吉は家中の妬みを一身に受けている主君が心配でならなかった。そしてそれは的中した。

 

「こら―ッ!」

 隆広隊のはるか前を行軍していた佐久間盛政軍から、佐久間盛政自身が馬を駆けて隆広隊に来た。

 後陣の隆広隊が炊事の煙をあげているのを見て、盛政は頭から湯気を出して怒鳴り込んできたのである。馬から下りてツカツカと隆広に歩み寄る盛政。

「これは佐久間さ…」

「どけ!」

「あっ!」

 佐吉は盛政に叩き飛ばされた。そして盛政はものすごい形相で隆広をにらむ。

「どういうつもりか! 行軍中に兵に食事を取らせるとは!」

「我らは輜重隊を兼務してございます。兵たちは重い荷物を運び、疲労しておりました。だから労い体力の回復を図りました」

「本隊の兵糧を食わせたのか!」

「いえ、それがし個人が用意した兵糧を与えました」

 隆広は鬼玄蕃の異名を持つ佐久間盛政の怒れる形相を見ても顔色一つも変えず、そして目も逸らさない。自分の怒気を受け流す隆広にますます盛政の怒りは上がる。

「殿の寵愛をいいことに増長したか小僧!」

「はい、それまで」

 

 隆広の後ろ、朱槍を持った武人が立っていた。

「佐久間様、味方同士で争っても仕方ないと思うが?」

 おだやかに言ってはいるが、これ以上主君に言いがかりをつけるのなら容赦しないと目が示している。

「…ふん、どの隊にも『いらない』と言われたキサマがイッパシに弁慶気取りか。笑わせるわ」

 佐久間盛政は捨て台詞を吐きながら踵を返した。だがさすがにこの捨て台詞だけは温厚な隆広も腹を立てた。自分を侮辱するならまだしも、部下を侮辱されたからだ。歩き去る盛政の肩を掴もうとした。だが

「およしなされ、隆広様」

 隆広の部下が、その手を止めた。

「はなせ、助右衛門! いくら上将とはいえ言っていい事と悪い事がある!」

 盛政は一度立ち止まり、フンと鼻息を出して馬に歩み、そして隆広隊から去っていった。

 

「なぜ止めた! ああまで言われて黙っていろというのか!」

「今、佐久間様とやりあっても得することは何もありませんぞ。敵は上杉です」

「確かにそうだが…」

 朱槍を持った部下が隆広の肩を叩いた。

「それに、まんざら盛政殿の言ったことはワルクチとも言えませぬ。『弁慶気取りか』ってこたぁ隆広様は義経ってことでしょう」

「その楽観的な考えも、今この時は貴重だな、慶次」

 助右衛門は苦笑して言った。

「そうだろそうだろ」

「とにかく隆広様、兵たちは突如の佐久間様の乱入で戸惑っている。安心してメシを食べるよう促してください」

「ああ、すまん助右衛門、そうだった!」

 隆広が安心して食べてくれというと、兵たちは麦飯と味噌汁を美味そうに食べはじめた。タクアンと梅干も用意してあり、行軍中の食事としては至れり尽くせりだった。

「たんと食ってくれ」

 兵たちは口に麦飯をかっ込みながら満面の笑顔で隆広の言葉に応えた。

 

 道を外れ、その横にあった畑まで盛政に吹っ飛ばされた佐吉がやれやれと隆広たちの元に歩み寄ってきた。

「やれやれ、えらい目にあいました」

「情けねえなあ佐吉、ちょっと叩かれた程度で二間近く飛ばされよって。そんなんじゃいくさ場で役に立たないぞ」

「ほっといてください、それがしは内政家として隆広様のお側にいるのですから!」

 慶次の言葉に頬をプクリと膨れさせる佐吉。そんな子供のような拗ね方に慶次と助右衛門は笑った。

 佐吉と呼ばれた男は隆広と年が同じであり、気も合った。内政家として自負するだけあり、その内政力は主君隆広と共に抜きん出ていた。佐吉、彼が後の石田三成である。

 

 隆広の家臣は三人、前田慶次郎利益、奥村助右衛門永福、そして石田佐吉三成である。

 しかし当時の佐吉は羽柴秀吉より借り受けた内政家であった。隆広が内政の主命で絶大な成果をあげたのは石田佐吉三成の補佐が大きい。すでにこの時に『三成』と云う名前は秀吉から与えられていたが、彼の仲間は『佐吉』と呼ぶに慣れており、公式の場以外では『三成』と呼ばなかった。また三成も彼らにそう呼ばれることが好きだった。

 

 そして、その佐吉が、この輜重隊の行軍で隆広から学んだことがあった。隆広隊は主君の勝家が課した刻限までに本陣に到着したのである。

 あの休息のあと、兵たちは隆広の計らいに感奮したか、メシを食べた事により体力が回復したか、とにかく懸命に荷を引いて駆けた。休息せずにやっていたら行軍速度は遅くなる一方で結局は刻限まで本陣までたどり着かなかったかもしれない。

 隆広は麦飯と味噌汁を与え、十分に休息を取らせた。そして労いの言葉をかけていった。隆広が兵たちの感奮興起を狙ってやったのかは分からない。だが結果をみてみれば、隆広が兵たちに休息と食事を取らせたことが兵糧運搬という戦時下における最重要任務を成功させたことは疑いない。

 人心掌握においては、佐吉の本来の主君である秀吉も相当なものであるが、隆広も負けてはいなかった。

 

「おお、隆広よ。兵糧運搬、ご苦労であった」

「はっ」

 本陣の中央にある軍机からはなれ、主命達成の報告をしにきた隆広を労う勝家。鬼柴田と呼ばれる彼とは違う、まるで慈父のように隆広を見つめ、隆広の双肩をチカラ強く両手で握った。

「これから軍議を始めるところだ。席に着くがいい」

「わかりました」

 軍机には先刻にいざこざのあった佐久間盛政もついている。忌々しそうに自分を睨む視線を無視して隆広は盛政の向かいに座った。その隆広の横には、向かいの盛政とはまったく逆の愛想ある顔があった。

「いや~久しぶりだのう隆広殿」

「これは羽柴様」

「ウチの佐吉は役に立っておりますかな?」

「ええ、頼りにさせてもらっています」

「それは何より」

 部下を褒められ、上機嫌に笑う秀吉。

「筑前殿、軍議が始まりまするぞ」

 と、盛政。

「おうおう、失礼」

 

「では軍議をはじめる、我が軍勢は加賀に入り、越中の国境を目指している。能登の畠山氏と連携して挟撃。このために我らは手取川を越えて布陣する。上杉は一向宗との和睦がなり、長年の呪縛から開放された。謙信は能登と越中を領土として版図拡大を狙っている。何としても謙信の南下を加賀で防がねばならない。諸将の忌憚なき意見を伺いたい」

 各諸将が活発に意見を出す中、二人ほど沈黙を守っている将がいた。隆広と秀吉である。

 隆広はずっと軍机の上に広がっている地形図を見ていた。そして空模様を。秀吉はただ黙って諸将の言葉を聞いているだけであった。

「秀吉、お前が黙っているとは珍しいな、何か意見はないのか?」

 勝家が秀吉に意見を求めた。

「良いのです。いったんクチを開くと止まらなくなりそうなので」

「かまわん、申してみよ」

「では……」

 

 座っていた秀吉が立ち、軽く咳をする。武将たちは秀吉を見た。

「この戦、我らに勝ち目はありません」

「な、なに! 秀吉! キサマ何と申した!」

「この戦、我らに勝ち目はないと申したのです」

「藤吉郎!」

 秀吉と親交の厚い前田利家が秀吉を睨み、一喝したが秀吉は黙らない。

「勝家殿、相手は軍神謙信ですぞ。浅井や朝倉と格が違いもうす。野戦ではまず勝ち目はありますまい。狭隘な近江路に上杉軍を引きずり込んで、敵の備えに各個撃破体制を執れば、わずかながらも勝機もありましょうが、野戦で正面から対すれば我らの軍勢など謙信の神算鬼謀のごとき用兵でことごとく駆逐されるは必定と…」

「だまれ!」

「勝家殿は大殿からお預かりした大事な将兵を、むざむざ敵の手柄として献上するおつもりか!」

「だまれだまれ! ええい! キサマの猿ヅラなど見とうない! 立ち去れ!」

「今、『去れ』と申されましたな! それは総大将の命令と受け止めました。羽柴隊は陣払いいたします!」

 

「羽柴様!」

 秀吉は隆広にフッと微笑み、軍机から立ち去ろうとした。

「サル! 勝手に陣払いなどして許されると思っているのか!」

「……ふん」

「総大将のワシの命令は大殿の命でもあるぞ!」

 秀吉は聞く耳もたず、そのまま本陣から立ち去ろうとした。だが

「羽柴様、お待ちを!」

 隆広が追いかけて秀吉の前に立って止めた。

「隆広、止めずともよい! そやつは謙信怖さに適当に理由をつけて帰るつもりなのよ。しょせんは百姓出、臆病者よ!」

 諸将は勝家の言葉に乗り、秀吉を笑った。笑っていないのは前田利家と隆広だけである。秀吉は勝家の嫌味を歯牙にもかけず、そのまま隆広の横を歩き去ろうとしていた、その時である。

 

「おそれながら殿!」

「なんじゃ隆広」

「それがしも羽柴様と同じ意見でございます!」

「なんじゃと!」

「……隆広殿?」

 秀吉は驚いた。見所のある若者とは思ってはいたが、この局面で自分の味方をして主君勝家に意見を言おうとするほどの豪胆さがあるとまで思わなかった。

「クチを慎まんか!」

 盛政が軍机を平手で叩いて隆広を一喝する。その盛政を静かに勝家は制し訊ねた。

 

「それはいかなる理由か」

「ハッ」

 しっかり秀吉の腕を掴みながら軍机に戻る隆広。秀吉は振り払うに振り払えず、軍机に歩んだ。そして同時に隆広の意見を聞いてみたかった。

「まず、布陣する場所が問題です。湊川(手取川)を越えて、この水島の地に布陣いたしますれば、われ等は川を背にして上杉軍と戦わなければなりません。そして今は九月。いつ大雨が降ってもおかしくありません」

「…………」

 立ち上がっていた勝家と盛政、そして秀吉も腰を下ろした。

「そして七尾城。城主不在で求心力はなく、自力で家中をまとめる統率力もなく、家中は『織田派』と『上杉派』と分かれているとの事。それがしが謙信公なら、上杉派の主なる将に書状を送り降伏を勧めるか、畠山領の分配や上杉家での地位をエサに内応を促します。いかに堅城でも内部から崩れたら終わりでございます。我らの作戦は七尾城の畠山勢と我らで上杉勢を挟撃のはず。その七尾城が謙信公の手により落ちてしまったら、我らは絶望的な背水の陣を敷くことと相成ってしまいます。秀吉様の言われる近江路まで誘導したら、勝機は多分にありますが、上杉勢を畿内に入れることを許す事となってしまいます。せめて湊川の西側のこの地ならば地の利はこちらにございます。上杉軍が湊川を渡河している最中か、渡河直後に襲えば勝機はあります!」

(見事じゃ……これがわずか十七の小僧とは末恐ろしいわい……)

 傍らにいる秀吉は隆広の意見に唸った。同じく軍机にいる明智光秀もアゴを撫でながら隆広の意見に感じ入っていた。

(的を射ている意見だ。わしならばその言を入れるが……さてさて勝家殿は……)

 

 手取川合戦の予兆はこうである。能登畠山氏の重臣の長続連が織田方に寝返り、上杉方の熊木城、富木城を奪回し、穴水城に迫るとの報を受けた。謙信は春日山城を出発、能登をめざし天神川原に陣を定めた。長続連は一族の長連竜を信長への援軍要請の使者として向かわせた。七尾城主、畠山義春には統率力がなく、重臣たちが虚々実々の駆け引きや謀略を繰り広げ畠山家の主導権を争っていた。

 畠山氏は一向宗への対抗上、越後上杉家と長きにわたり同盟間にあったことから、重臣の遊佐続光は深く上杉謙信と通じていた。しかし城内では反上杉方である長続連、綱連親子は密かに織田信長に通じ、同じく重臣の温井景隆は一向宗門徒と結んでいたため、能登畠山家を取り巻く状況は、もはや修復不能の泥沼状態と言って良かった。

 やがて、城主の畠山義春が毒殺され、あとを継いだ義隆も病死してしまい、主君不在の城内には暗雲が漂っていた。

 

 この時、謙信は家臣たちの専横を除き、越後に人質として送られていた畠山義則を七尾城に入れて能登畠山家を再興するという大義名分をかかげ、能登へ侵攻を開始したのである。

 謙信の本当の目的は、織田と結ぶ長一族を滅ぼし、上杉領を越後から越中、能登と拡大し、越後から能登に及ぶ富山湾流通圏を掌握することだった。

 同時に謙信は足利義昭、毛利輝元、石山本願寺と結んで信長包囲網を作り上げていた。越中、能登に軍を進める謙信は織田の加賀小松城の領内に乱入する勢いだった。信長は謙信の南下を阻止すべく柴田勝家を総大将として、羽柴秀吉ら有力武将を付属させて加賀に派遣した。これが手取川合戦のはじまりである。

 

「確かに隆広の意見にも聞くべき点はある」

 聞き終えると勝家は静かに言った。各諸将も隆広の言に一理ありと思ったのだろう。特に異論は唱えず、勝家の結論を待った。

「しかし、それはすべて推測の範疇であろう。七尾城は天嶮を利用した堅固な城。謙信とて容易に落とせようはずがない。現に謙信は一度落とせずに退陣したこともあるではないか」

「あの謙信公の退陣は、北条が上杉領に侵攻したと云う報が謙信公の耳に入ったからでございます。現在はその北条とは同盟し、一向宗とは和睦し、何の後顧の憂いもありません。今度は落ちるまで退陣はありえません。それにいつ一向宗門徒が我らの背後をつくか……」

 

「水沢殿!」

 軍机の末席にいた客将が言葉を発した。

「長殿……」

 隆広を呼ぶのは長連竜と云う武将である。彼は織田軍に援軍を要請するために安土城へ使者として赴いた長一族の武将である。

 織田は何としてでも加賀の国で謙信の南下を阻止しなくてはならない。そのためには能登の大名の畠山氏との同盟は不可欠である。織田と畠山の連合軍で上杉を撃破すること。これは織田と畠山双方の目的であり、絶対に叶えなくてはならない事である。

 

 現在の七尾城の防備を指揮しているのは、長一族の続連、綱連親子であり、連竜は綱連の弟である。対謙信に対して、電撃的な挟撃を展開させるには織田にとり長一族との繋がりは軽視できないものなのである。その連竜が隆広に言った。

「そのお若さで見事なまでの慧眼と思わぬでもないが、やはりそれは勝家殿の言われるとおり推測の範疇であるとそれがしも思う。悪いほう悪いほうに考えてばかりいては勝てる戦にも勝てなくなりもうす。また貴公の言われる内部分裂であるが、いったん戦端が開けば一致団結しなくては謙信を追い返すことは至難。軍議にて確かに隆広殿の言うとおり降伏か徹底交戦かはもめた。しかし最後は七尾城にこもり、篭城で上杉軍を迎え撃つことに相成った。降伏論を唱えた遊佐や温井も、一度決まったからには謙信を倒すと息巻いておる。皮肉にも謙信という強大な敵がいて家中はまとまっていったわけでござる」

「……それで、七尾城を襲う謙信公を我ら織田勢が襲い掛かり、理想的な挟撃戦を展開。そうでございましたね」

「さよう、七尾城に十分な兵糧や水もあるが、いかんせん相手は上杉謙信。早く能登に到着するに越したことはありませぬ。数日中に湊川を越えねばなりますまい」

 連竜の言葉に諸将はうなづく。武断派の多い柴田勢。音に聞こえた越後上杉軍との戦いが近く、気持ちが高揚しているせいもあるだろう。隆広の慎重論は一蹴されてしまった。

 隆広は勝家に仕えて、まだ二年しか経っていない事に加え、居並ぶ諸将は信長直臣で、身分も部将、家老、宿老級の重臣ばかり。陪臣の侍大将で、かつ歳若い隆広の言葉がそう受け入れてもらえるはずもない。

「だが聞くべき点はあった。以後も腹蔵なく軍議にて言葉を発せよ。よいな隆広」

「は……」

 

 秀吉はため息を嫌味タップリに吐き出し、軍机を離れた。

「藤吉郎!」

 前田利家が呼び止めるが、秀吉は振り返らず、忌々しそうに陣幕を払い、柴田軍本陣から出て行った。

「捨て置け、又佐!」

「しかし勝家様…ッ!」

「あやつの軍勢など、いてもいなくても変わらぬ! それどころが士気の低下に繋がる。おらんでよいわ!」

 明智光秀は相変わらず沈黙している。

(やはりこうなったか……。やむをえまい、この状況で活路を見出すしかない)

 

 隆広は自分の陣所に戻っていった。自分の意見が一蹴されたのは無念だが、いったん畠山勢との挟撃と云う方向に決まったのなら、その上で勝利する方法を考えなくてはならない。

 隆広は気持ちを切り替えて、部下である慶次、助右衛門、佐吉に本陣での出来事を話し、これから隆広隊の執るべき方策を講じだした。

「そうですか、親父様(秀吉)は陣払いを」

「ああ、だが佐吉。オレにはむしろ秀吉様があえて意見の対立をして陣払いしたとも考えられるのだ」

「なぜそのような?」

「秀吉様が毛利攻めの総大将の座を欲しているのは知っていよう。毛利といえば当主の輝元殿は並みの武将だが、毛利の両川と言われる吉川元春殿、小早川隆景殿は優れた武将。対するに秀吉様は戦力の温存をしたいと思っているのだろう。この加賀の戦いの総大将は我が殿勝家様。どんなに働いても結局は殿の手柄となるだろうからな。あえて意見を対立させ、帰陣するも一つの駆け引き。秀吉様の将としての能力は図抜けている。大殿とて罰して殺すより、こき使ったほうが得と考える。すべて計算の上なら、たいした御仁だよ、あの方は」

 佐吉は感嘆した。今の柴田家中で秀吉のあの行いの真意を看破している者などいようか。『すべて計算の上ならば』を見抜いた隆広もまた大した武将だと三人の部下たちは思った。

 

 秀吉は、本陣から出てすぐに自分の陣所に帰り、長浜に引き上げてしまっている。隆広の見抜いた通りなのである。あえて意見を対立させて陣払いすると秀吉に入れ知恵したのは今孔明と名高い、あの竹中半兵衛である。

 秀吉は長浜に帰ると、謹慎のような態度を執らず、わざと毎日酒宴を開いて騒いだ。これも半兵衛の智恵である。大殿、安土城の信長にいらぬ警戒心を持たせぬ方便であった。

 信長からの使者が来るとピタリと酒宴をやめて、安土城に赴くと、信長から言い渡されたのは無断で退陣したことへの叱責ではなく、若殿である織田中将信忠の副将として、謀反を起こした松永弾正久秀の討伐だった。

 今度は柴田勝家が大将でなく、織田の跡継ぎである信忠の副将であるから、秀吉にとっても戦う意味のあるものであった。

 後に佐吉から、柴田陣営からの無断退陣の真意を隆広が看破していたと秀吉は聞き、高笑いをした。そして同時に恐ろしいとも感じたのだ。

 

 軍机に加賀領内の地図を広げる隆広。

「さて、軍議を始めるぞ。まず明日の進軍の道筋だが……」

 隆広、慶次、助右衛門、佐吉は軍議で語り、そしてその後は軽く酒を酌み交わした。特に慶次はこの時間がお気に入りである。

 夜はふけていく。そして月を厚い雲が覆い隠していった。


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