やはり俺の女性関係は色々とまちがっている。   作:四季妄

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彼と彼女らの始まり

「これでよしっと……」

 

エプロンを着けてそう言い、由比ヶ浜はふんすとやる気に満ちた表情で袖を捲る。その姿をちらりと見て小さくため息を吐いたのは雪ノ下だ。やれやれとでも言いたげに首を振りながらすたすたと近付き、由比ヶ浜のエプロンを優しく掴む。

 

「曲がっているわ。あなた、エプロンもまともに着られないの?」

「エ、エプロンくらい着られるよっ! ……ごめん、ありがと」

 

何だかんだ言って、雪ノ下雪乃は優しい。態度や言い方は厳しいが、相手を思いやる気持ちが無い訳ではないのだ。そうでなければ、こんな性根から腐ってそうな自分と進んで関わらないだろう。加えるなら、そんな馬鹿の幸せを願うことすら無いだろうに。

 

「な、なんか、雪ノ下さん。お姉ちゃんみたいだね」

「私の妹ならこんな出来が悪いわけないのだけれどね……」

 

だろうな、と一人胸中で納得する。雪ノ下と聞いただけで優秀そうだなーとか思うくらいには、優れた者という印象は強い。しかしながら妹である雪ノ下をして姉っぽいとは、果たしてどうなのだろうか。そう、妹だ。雪ノ下雪乃には、印象通りに優秀(・・)な姉がいる。

 

『無理だよ、君は。一人でなんて、そんな人間じゃないんだから』

 

不意にその言葉を思い出して、不思議なくらいに軽くすとんと飲み込めた。結局のところ、あの人の言った通りになったというのにだ。下手すれば出会った時から、俺の本質を見抜いていたのかもしれない。存外分かりやすいとか言われてますし。

 

「ねぇ、ヒッキー」

「あ?」

 

ぼうっとその光景を見ながら考え事をしていれば、由比ヶ浜に呼ばれて意識を戻す。案外近くまで寄っていた事実に驚きながらも問い返せば、視線を左右に泳がせ、恥ずかしげに頬をかき、つんつんと胸の前で人差し指を合わせる動作を三セット。なにそれ、悪魔かなにかを召喚する儀式?

 

「か、家庭的な女の子って……どう?」

「……別に、良いんじゃねえの。料理が出来て損する事は無いだろうし」

「そ、そっか……」

 

それを聞いた由比ヶ浜は緩く、安心したように微笑んでから、ぐっと握り込んだ両の拳をふんすと構える。

 

「よっし、やるぞー」

 

随分と気合いの入っているようで、これなら雪ノ下もスムーズに教えられるだろう。やる気があるのはいい事だ。そんな中で大体やる気の無い俺は事実思考回路もぼっち化している。うん、やはりこれはそう簡単に無くなるものではない。変な安堵感に包まれながら、黙って椅子に座り待つことにした。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

結果から言うと、由比ヶ浜の作ったクッキーは最早クッキーとは呼べない代物へと変貌していた。

 

「あ、あれー……?」

 

なんで? という風に皿の上の物体X(黒色)を見つめる由比ヶ浜。そんなに視線を浴びせても魔法みたいにぽんと変わるなんて事はないぞ。

 

「どうしてかしら……普通、あれだけのミスを重ねに重ねられるわけが……」

 

小さくぽつりと雪ノ下が呟く。小声なあたりが本気の本気でやばいということをしっかりと伝えてきた。恐る恐るもう一度、まるでホームセンターに売ってある炭のように黒い苦ッ奇異(クッキー)に視線を向ける。思うことと言えば、黒い。黒い。とにかく黒い。まじでこれ食べて大丈夫なの? と心配になるくらい黒い。

 

「……一つ、貰うぞ」

「えっ!? あ、うん。良い、けど、ヒッキー……?」

「……まぁ、食べてみなければ分からないものね」

「雪ノ下さん……」

「何が問題なのか知らなければ対処できないし、知るためには危険を冒すのも致し方ないことよ」

「……じゃ、じゃあ、私も」

 

三人がそれぞれ一つずつ黒いクッキーをつまみ、口の近くまで運んでからお互いを見やる。こくりと頷いてから、一斉に食べた。

 

「「「……苦い」」」

 

初めて心が一つになった瞬間だった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

雪ノ下の淹れた紅茶を一気に飲み下し、口の中の苦味を流していく。紅茶自体の美味しさが中中なもので美味さ半減だが、今はそれで十分だ。由比ヶ浜の作ったクッキーは絶妙な苦味と不味さを携えており、漫画のように気絶することはないが、むしろ気絶した方が幸せなんじゃないかと思わせるモノだった。結論、劇物。

 

「うぇ、苦い……不味い……」

「なるべく噛まずに飲み込んだ方がいいわ。劇薬みたいなものだから」

 

ずばっと言っているが正にその通りである。これ原材料何使ってんだ木炭とかじゃないの? と思考するくらいにやばかった。一通り落ち着いてから集まり、雪ノ下が切り出す。

 

「では、どうすれば良いか考えましょうか」

「……由比ヶ浜、料理、やめないか?」

「全否定!?」

「比企谷くん。それは最後の解決方法よ」

「それで解決するんだ!?」

 

がっくりと肩を落として深いため息をつく由比ヶ浜。いやこれ本当一種の才能かもしれない。お米研ぐ時とか洗剤入れちゃいそう。料理下手な奴でももっと上手くやれるぞ。

 

「レシピ通りにやれば上手くいく筈なのだけれど……」

「うーん……隠し味とかあった方が美味しいと思ったんだけど……」

「気持ちは分かるが基礎が出来てないのにアレンジ加えるなよ……」

「うっ……」

 

すっと俺の指摘に由比ヶ浜が目を逸らす。まぁ結果を見る限りではそれだけじゃ無いんですけどね。めっちゃ焦げてるし。仕方なしと息を吐いて、ぼりぼりと頭をかく。

 

「まぁ、なんつうの。お前のそういう気持ちは十分伝わるし……余計なもん無くても、良いと思うぞ」

「……そっか。うん、そうなんだ」

 

あ、やばい超恥ずかしい何これらしくないし何よりなんか気持ち悪い。今すぐ自室の布団に包まって叫びながらごろごろと転がりたい。脳内で激しい羞恥心に襲われていれば、気を取り直したのか立ち上がった由比ヶ浜が今一度よしっと呟いた。

 

「もう一回。今度こそ」

 

――今度こそ。

 

「……おう、頑張れ」

「うん、頑張る」

 

にこっと笑ってそう答えながら、由比ヶ浜は雪ノ下へと頭を下げていた。若干戸惑った様子でそれを見ていた雪ノ下だが、こめかみに手を当てて本日何度目か分からないため息を吐いたことで決着したと思われる。厳しいが優しいあいつなら、本気の由比ヶ浜を断る事はしないだろう。

 

「軽くやり方を教えるから、その通りにして」

「……そ、それで大丈夫なんだよね?」

「ええ、レシピ通りにやれば」

 

少し前までの由比ヶ浜結衣という少女は、ここまで自分を出せる人間では無かった。誰かと合わせて、流されて、揺らぎやすい普通の女子高生だった。それを歪めてしまったのは、一体どこのどいつなのだろうか。

 

「……それは流石に自惚れすぎだな。馬鹿だろ」

 

はっと自嘲して窓の外を眺める。調子に乗るな、俺はどこまで行っても俺でしかない。それを忘れてはいけない。二度と間違えないと決めて、必死に歩んできた比企谷八幡だ。ならば、希望を持つと決めたのなら。

 

「気を張らなきゃ、な」

 

大丈夫だ、周囲に気を配るのは慣れている。ぼっちとして身に付けたスキルは未だ健在だ。現状に甘えて繰り返すなど、そんなことはしない。絶対に。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「で、出来た……」

 

都合三度目の焼き上がり、二回の失敗を経て由比ヶ浜のクッキー(・・・・)はやっと完成した。見た目はまぁまぁ、というよりも真っ黒な鉄鉱石じみたアレと比較すると大きな進歩である。一応匂いを嗅いでみるが、普通に良い香りだ。

 

「やっとね……」

 

おぉっと目を輝かせる由比ヶ浜とは反対に、雪ノ下はげっそりと気力を持っていかれたような顔をしていた。確かに作業中の彼女の大変さは傍から見ていても分かるくらいで、何かと失敗しそうになる由比ヶ浜のフォローは見事なものだったと言える。

 

「えっと、その、ど、どうぞ、ヒッキー」

「あ、お、おう」

 

そっと差し出して来る由比ヶ浜の言葉は歯切れが悪く、思わず俺まで吃って返事をしてしまった。だが気にしては進まない。そっとクッキーを摘んで、さっさと口に放り込む。一度、二度と咀嚼しながら舌で味わってごくりと嚥下した。

 

「……あぁ、うん。良いんじゃねぇの、多分」

「えっと、それは駄目だった的なカンジ……?」

「あ、や、違くてだな。その、なんつうの、普通に上手いから心配すんな」

「ほ、ほんとにっ!」

 

答えを聞いてばっと顔を上げた由比ヶ浜が一つ、見守っていた雪ノ下が断りを入れて一つ、食べてから顔を見合わせる。

 

「確かに最初と比べれば随分良くなったわね」

「うん! なんか美味しい! ありがと雪ノ下さん!」

「ちょ、ゆ、由比ヶ浜さん? 抱き着かないで貰えるかしら」

 

がばっと感極まった由比ヶ浜に抱き着かれ、雪ノ下が嫌そうな顔で対応する。その割に無理矢理離れようとはしてないので、放っておいて大丈夫だろう。俺はもう一つクッキーを手に取り口へ放った。味わう。しっかり、しっかりと。これが俺と由比ヶ浜の仲直りの味であり、恐らくは何度目になるかも分からないリスタートの味だ。そう思うと、不思議と先程よりも美味しく感じられた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

それから暫くして時計を見れば完全下校時刻まであと少しであり、俺たちは家庭科室から部室まで戻って来ていた。ちなみに鍵を返しにいくついでに教室に置いたままだった荷物を持って来た訳だが、由比ヶ浜はそれをすっかり忘れていたらしく、入れ替わりで教室に走っていった。去り際の台詞は「ヒッキー待っててよ! 一緒に帰るんだから」とのこと。いやそんな約束したつもりないし廊下は歩きなさい。とまぁ、結果として、ここには雪ノ下と二人っきりになったのだが。

 

「比企谷くん」

「なんだよ」

「また繰り返すのかしら」

 

唐突に、そんなことを問い掛けてきた。

 

「……違ぇよ。今度こそは、な」

「上手くいくとでも?」

「いや、上手くいかせ――てお前、なに笑ってんの」

 

ふと違和感に気付いてちらりと見れば、くすくすと雪ノ下は唇を歪めて静かに笑っていた。物凄いデジャヴだ。最近妹にも同じ反応をされた記憶がある。一体なんだというのか。俺の周りの奴等はそんなに俺が誰かと接するのが面白くて堪らないの?

 

「いえ、ごめんなさい。……やはり、嬉しいものね」

「意味分かんねぇ……」

「そういうものよ。大体、人の心を完璧に理解することなんて不可能だわ」

 

人の気持ちを知れと言ってきたのはお前だったと思うんだが。

 

「結局まだ諦めてないのでしょう?」

「……らしいな、俺は」

「なら、いいわ。その方がずっと」

 

分かったように言ってくれる。どれだけの苦悩の末にこうなったのかも知らないで、とは言えない。どうせ彼女ならそれくらい(・・・・・)分かっていてもおかしくない。一度はお互いがお互いを深く理解し合った仲だ。……そんなことにも考えが及ばず、やらかしたのは俺の方だが。

 

「以前までのあなたの目、見るに耐えなかったもの」

「じゃあ、なんだ。今はそうでも無いのか」

「……そうね」

 

夕陽に照らされた教室では、雪ノ下の顔を鮮明に窺うことはできなかった。所々影がさしていて暗くもあり、光が当たって眩しくもある。ただ、それでも。

 

「――今のあなたは嫌いではないわ」

 

その時の雪ノ下は、微かに優しげな表情をしていたように思えた。


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