やはり俺の女性関係は色々とまちがっている。 作:四季妄
寝坊した。
「はぁ……」
もう一度言う、寝坊した。それはもう言い訳の余地もないくらいに綺麗な寝坊だった。ちょっと起きるのが遅れたとか通学途中に色々あってなんて理由は勿論効果は発揮しない。何故ならば、既に時計の針は午前十時を回っている。完全な遅刻である。昨日妹と一緒に勉強をしている途中で落ちてしまったというのに、そのまま迎えた朝に妹の姿はない。代わりに「小町は遅れたくないから先に行くけどお兄ちゃんも学校遅れないようにね!」という書き置きがテーブルに置かれていた。うん、なんで起こしてくれなかったの?
「あいつ……帰ったらしばく……」
密かにそんなことを心に決めながら廊下を歩く。誰一人居ないのは今が授業中だからであり、その事実がより一層憂鬱な気分を引き立てた。やべぇ、このまま帰りたいんだけどいいかな。平塚先生に絶対怒られるんだけど。本日早くも二桁を更新した溜め息をついたところで、ふとさらさら髪の毛の揺れる背中を見つける。
「……川崎?」
「ん……って、なんだ。あんたか」
くるりとこちらを振り向いた川崎は、相も変わらず覇気のない目をしていた。ややトーンの低い声もあって、寝起きで機嫌が悪いようにも見える。人によっては眠そうな状態というのは柔らかくなりそうなものだが、川崎沙希は纏う雰囲気が些か鋭い。自ら人と接するのをやめているような態度は、まるでどこぞの誰かを思い浮かばせる。……俺と彼女では、そもそもの根元からして違っているだろうが。
「あんたも遅刻?」
「あぁ、まぁ、そんな感じだ。川崎もか」
「……まぁ、ね」
ふいっとそっぽを向きながら、まるで何かを隠すように川崎は歩き出した。これ以上余計なことを聞くなという圧が出ている。下手に空気を読めてしまう人間なら即決で離れていくタイプ。空気の読めない奴なら向こうから離れていくタイプ。言ってしまえば、川崎沙希は少々怖かった。
「……行かないわけ?」
「あ、いや、行くけど」
ちらっとこちらを見ながらそう言われて、かつかつと後ろをついて歩くことにする。となると当然、なんとも言えない沈黙が訪れるのだが。元々俺にはそんな雰囲気を打破するコミュニケーション能力もやる気もない。川崎だってそんなに気にするとは思えない。お互いに気まずい筈なのに自然体で居られるこの状況は、ともすれば心地良い静寂、というものなのだろうか。……いや、普通に気まずくて辛いんですけど。なんて思い始めたところで、がらりと川崎が教室の扉を開けた。
「川崎。と……君もか、比企谷。二人して遅刻とはどういうことだ?」
「別になんでもないですよ……」
何故こうもピンポイントで平塚先生の授業なのだろう。神の悪意を感じながらスタスタと先に席へ着いてしまった川崎の代わりにも返答しておく。たまたま合流して一緒に教室に入っただけで何かを言われるのは、俺も川崎も面白くない。尤も、俺自身は知名度補正で数日もすれば忘れ去られる。おいおいマジかよぼっち最高だな。
「……はぁ。君らは後で職員室に来るように」
だがまぁ、お叱りは免れなかったようだ。仕方ない、と割り切ってそっと川崎の方へ視線を向ければ、気にしていないのか気にする程でもないのか、彼女はぼうっと窓の外を眺めていた。話しかけてくるなオーラ漂わせる姿はベテランぼっちの俺でさえ惚れ惚れする程である。ちなみに比企谷八幡はあんなものが無くたって話し掛けられない。むしろ話しかけてオーラを出したって話しかけられない。極一部の物好き共を除いて。
◇◆◇
今日も今日とてテストが近付いているため部活は一旦停止し、ファミレスに集まって勉強会である。メンバーはいつもの三人に加えて大天使が降臨した。間違えた、戸塚がやってきていた。ばったりと出会した折に誘ってみれば、ちょうど暇だったとのことで無事参加。まじえんじぇー。
「じゃあ次、ゆきのんが問題出す番ね」
「では国語から出題。次の慣用句の続きを答えよ。風が吹けば?」
「えっと……京葉線が止まる?」
「惜しいな、由比ヶ浜。最近は止まらずに徐行運転の方が多い、だ」
「あなた達馬鹿なの?」
雪ノ下の心底見下すようの視線を受けて、俺と由比ヶ浜は一斉に目を逸らした。千葉県横断ウルトラクイズ的な切り返しは彼女のお気に召さなかったらしい。頭が痛いとでも言うようにこめかみを抑えながら、雪ノ下はゆっくりと溜め息をつく。そんな光景を見ながら、にこにこと微笑んで口を開いたのは天使だ。間違えた戸塚だ。
「桶屋が儲かる、だよね」
訂正。間違ってなかった、天使だった。
「正解。二人は彼を見習いなさい。特に比企谷くん」
「おい、なんで俺なんだよ。由比ヶ浜はどうした」
「あなた腐っても三位じゃない」
腐ってもは余計だ、腐ってもは。確かに俺は目とか性根とか性格とか考え方が腐ってはいるが、これでと歴とした現在進行形で生きている人間である。例え無言で妹からファブリーズをかけられることがあろうとも、ゾンビではないのだ。ねぇ、小町ちゃんなんなのアレ。お兄ちゃんちょっとトラウマなんだけど。
「では次の問題。地理から出題。千葉県の名産を二つ答えよ」
「みそぴーと……ゆでぴー?」
「この県には落花生しかねぇのかよ。正解は千葉の名物、祭りと踊りだ」
「名産と言ったでしょう。大体、千葉音頭の歌詞なんて誰も知らないわよ……」
雪ノ下がマジでドン引きしていた。ていうかお前知ってるじゃんちょっと引くわ……と逆にドン引いていると、くいっくいっと顎でこちらをさされる。なんなのかと思って首を傾げれば、とんとんとテーブルに置いた教科書が無言で叩かれた。あぁ、次は俺の出題番でしたね……とだらだら適当な教科書を持ってぺらぺらとページを捲っていく。まぁ、こんなんでいいんじゃね。
「あー、問題。以下の四字熟語の意味を答えよ。不撓不屈」
「ふとーふくつ?」
「比企谷くんやめなさい。由比ヶ浜さんが困っているでしょう」
「むしろこいつが困らない問題なんてあるのか」
「むっ! ヒッキーもゆきのんも酷いよっ! あたしだってちゃんと入試受かって総武入ったんだからね?」
「まぁまぁ、二人も悪気がある訳じゃないし」
「さいちゃん……」
今更ながらその事実を聞いて、思わず感動してしまいそうになった。そうか、こいつが試験合格したんだよな……。もしかすると人類最大級の奇跡ではないだろうか。そうでなければぶっちゃけ小町くらいなら余裕で受かりそうじゃね。うちの妹もなかなかなものだと思う。
「――あれ、お兄ちゃん?」
と、そんなことを考えていたところにその声を聞いて、自然ぴくんと肩が揺れた。すっと振り向いて声の主を見やれば、特徴的なアホ毛に普通の瞳を持った美少女中学生が居る。総合的な見た目だけなら本当に良いんだよなぁ、俺とは違って。
「小町か。どうしたんだ、こんなところで」
「いや、こんなとこって、まぁ、ちょっとね」
「なんだそ……れ…………は」
言葉を区切る。力を入れる。見付けた、小町の後ろに若干肩を落としながら立っている野郎の姿を。この比企谷八幡、容赦せん。頭を回せ、口を慣らせ、油をさしたように滑らせろ。全身全霊をもってこの男を二度と小町に近付けないようにしてやる。雪ノ下から直に見て、聞き、受けてきた毒舌、とくと味わうがいい。
「……なぁ、おい、そこのお前」
「え、あ、はい。えと、比企谷さんのお兄さんっすよね」
「てめぇにお兄さんと呼ばれる筋合いはねぇ」
「何を頑固親父みたいなことを言っているの……」
雪ノ下が呆れたように言う。うるさい、ちょっと今妹を持つ兄として大事な話をしてるんだ。
「前言ってた川崎大志くんだよ。どうしたら元のお姉さんに戻ってもらえるのかって話してて……あ、お兄ちゃんも手伝ってよ。困ったことあったら手伝うとか言ってたし」
「お前な……」
「お願いします、お兄さん」
「だからお兄さんって呼ぶな。お前を義弟とは断じて認めん」
「やれやれだよお兄ちゃん……」
川崎大志を名乗る男にうっすらと殺意を覚えながら、しかし俺の中でその名字がしっかりと引っ掛かっている。川崎沙希。それは決して、無関係ではなかった。