やはり俺の女性関係は色々とまちがっている。   作:四季妄

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ファースト・ネーム

覇気のない目、青みがかった黒髪、黒レース。それらから構成されていく女子を俺は知っている。

 

「姉ちゃんが総武高の二年で……あ、姉ちゃんの名前川崎沙希って言うんすけど、なんか、不良になったっていうか、なんていうか……」

「……やっぱりか」

 

ぼそりと漏らして、ふとしんと静まり返ったことに気付いた。顔を上げてみれば雪ノ下ら周りの知り合い全員がこちらを向いている。いや弟君お前は違うよ? 知り合いでもないし出来ればお知り合いになりたくもないよ川崎弟。だからこっち見んなお兄さんとか言うな。

 

「なんだよ」

「いえ、あなた、知っていたの?」

「や、違ぇよ。あれだ。ちょっと面識があるだけでな」

「……あ、そういやヒッキー今日川崎さんと来てたじゃん。しかも二人とも遅刻して」

「あぁ、うん。そうそう、確かに来てたよ」

「え?」

「え」

 

由比ヶ浜と戸塚の言葉に中学生組が固まる。ここで情報を整理してみよう。不良になった姉、男女が一緒に登校、しかも遅刻と来た。はてさて、ここから導き出される答えがなんなのか。俺は分かる。俺には分かる。性欲盛んな男子中学生がここから何を連想するのか、手に取るように分かってしまう。何故なら俺も同類だったから。

 

「ま、まさか義兄(おにい)さんがっすか!?」

「だからお兄さんって呼ぶんじゃねえ。違う。お前の考えているような事実は一切無い。あいつとはただの知り合いだ。それ以上でも以下でもない」

「不純異性交遊……駄目ね、弁護のしようが無いわ」

「雪ノ下。やめろ、そんな哀れな目を向けるな。勘違いだ」

「あれ? よく考えたらヒッキーマジでダウトじゃん。一緒に遅刻してるし」

「だからそれは偶然だ。そもそも――」

 

話がややこしくなりそうだったので、びしぃっと思いっきり妹を指差す。にやにやと「おやおやお兄ちゃんも隅に置けませんなー」とかなんとか言っていた顔から一転、ぽかんと呆けながら首をかしげた。

 

「遅刻したのは半分くらいこいつの責任だ」

「いやいや、小町そういうの良くないと思うなー。起きなかったお兄ちゃんが悪いでしょ」

「そうだ。思い出した。小町、お前なんで起こしてくれなかったの?」

「んふふー。お兄ちゃんの寝顔が素敵で起こすのが躊躇われちゃってー」

 

あ、今の小町的にポイント高ーいなんて言いながら笑う駄妹(小町)。八幡的にはポイント低過ぎてマイナスいってる。そのくせちゃっかり自分だけ遅刻を免れているあたり、若干の怒りを覚えるのは当たり前だ。はぁ、とひとつ溜め息を吐きながら、ぐっぱっと見えないようにテーブルの下で手を動かす。

 

「……小町」

「なに? お兄ちゃん」

「ちょっと、顔寄せろ」

「え、なにそれどうい――ったぁ!?」

 

渾身のでこぴんが小町の額に刺さる。完全に隙をついた一撃はかなり効いたようで、俯きながらおでこを押さえる妹に無言でジト目を向けた。昨日はシャーペン、今日は指。しかし威力は後者の方が圧倒的に上だ。ぼっちな兄だからと高を括っていたのが仇となったな。

 

「とまぁ、なんだ。つまり、俺は無実だ」

「証拠がないのにここまで説得力があるのは何故かしら……」

「ヒッキー容赦ないね……」

「えっと……小町ちゃん、だっけ。大丈夫?」

「お兄さんマジぱねぇっす」

 

うるさい、お兄さんって呼ぶな、ぶっ殺すぞ。あと戸塚マジ天使。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

思っていた以上に、川崎大志は参っていた。

 

「帰りとか五時くらいっすよ。朝の。うち両親共働きなんで滅多に顔合わせないし、たまに顔合わせてもなんか喧嘩しちまうし。俺がなんか言っても『あんたには関係ない』の一点張りで……」

 

困り果てたように肩を落とす大志は、本気でどうにかしたいと思っているらしい。家族で雰囲気が悪いと色々気を遣われるし、気を遣ってしまう。小町には一時期酷く苦労をかけた。現在進行形でも苦労をかけている。むしろ開き直って未来永劫苦労をかけよう。小町ちゃん養って。

 

「家庭の事情、ね。……どこの家にもあるものね」

 

ふと、雪ノ下が小さくそう呟いた。ちらりと覗いた顔色は酷く陰鬱なもので、今にも泣き出しそうなくらいだ。この手の話題が自分に帰ってくることくらい分かっていた筈だろうに、何をしているのか。ひそりと、横に座る雪ノ下へ声をかける。

 

「首を突っ込むようなことはしねぇけど。無理とかすんなよ。お互い、分かってんだろ」

「えぇ、そうね。……私もいつか、前へ進めれば、良いのだけれど」

「俺だって前になんか進めてねぇよ。行って戻っての繰り返しだ」

「だとしても、よ。私は行けないから」

 

ふっと、諦めたように微笑んだ雪ノ下は、見ている俺がむしゃくしゃしてしまう程にらしくない。がりがりと頭をかきながら、もやもやする気持ちをコーヒーと一緒に流し込む。雪ノ下雪乃は雪ノ下雪乃だ。どこまでいってもそれは変わらないし、変えようがない事実だ。俺に言えるのは、それくらいのことだろう。だから、そう、これは。 

 

「……まぁ、なんつうの」

「比企谷くん?」

「お前は、雪ノ下……あぁ、いや……その、悪い」

「え?」

 

ちょっとした、気まぐれだ。

 

雪乃(・・)、か」

「――」

 

言ってから即座に後悔の念に駆られる。似合わねぇ、絶望的に似合わねぇ。俺が雪ノ下のことを下の名前で呼ぶのがここまで似合わないとは思わなかった。これは由比ヶ浜も戸塚も下の名前で呼ばない方が懸命かもしれない。……だが、まぁ、ここでその羞恥心に負けてやめる訳にもいかないだろう。

 

「あなた、今……」

「俺にとってのお前は、そうなんだよ」

「……っ」

「だから、なに、上手く言えねぇけど」

 

なんだよこれ恥ずかしいし恥ずかしくもあるし恥ずかしすぎる。

 

「……初めて、かしら」

「は、ぁ?」

「あなたに名前を呼ばれたことよ」

「……あー、や、悪い。嫌だったか」

 

うん、自分でもちょっと気持ち悪かったからね。仕方ない、というかこれで否定されない方がヤバイ。主に俺の精神的に。

 

「別に、その、嫌とは言ってない、でしょう?」

 

……主にッ、俺のッ、精神的にッ。

 

「あの、これ、俺の相談確実に忘れられてません?」

「しーっ。今ちょっとお兄ちゃんが凄く頑張ってるから」

「良いなぁゆきのん。あたしだって名字なのに」

「そういえば僕も名字呼びなんだよね」

 

外野ちょっと黙っててくれ。俯きがちに答えた雪ノ下の顔は見えない。ただ、さらりと流れる黒髪の隙間から見えた耳は、少しいつもより赤いように見えた。本気でどうすれば良いのだろう、はっきり言って無理。恥ずかし過ぎて死ぬ。あの雪ノ下を? 名前呼び? たしかにあの人としっかり分けられるとは言え、代償がでかすぎる。そう、主に、俺の、精神的にだ。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

結局、川崎沙希の件は奉仕部で取り持つこととなった。決定的になったのは、あの後微妙な雰囲気の中提示された新たな情報。

 

「エンジェルなんとかって店から電話かかってきて……や、絶対やばい店っすよ! だってエンジェルっすよ、エンジェル!」

 

激しく同意した。分かるわ、という風に頷いて予想外の意気投合を俺達がしている間、雪ノ下や由比ヶ浜ら女性陣は逆に分からないわという反応だった。こういうのは理論や理屈ではない。男の感性もとい中二エロセンサーが訴えているのだ。エンジェルの付く店はやばい。

 

『全くもって分からないわね』

「つーか、分かられても困るんだがな……」

 

そうして現在、絶賛雪ノ下との通話中である。かれこれ一時間は携帯を耳に当てている。長電話とかぼっちであるこの俺がするとは思わなかった。世の中分からないわ。

 

「特に雪ノ下(・・・)は真面目だしな」

『あら、そういうそちらは随分な根性無しじゃないヘタレ谷くん』

「ぐっ……否定出来ねぇ」

 

いやだって言えませんし。言えてないですし。

 

「……初めて、なんだよ」

『初めて、って』

「その、妹以外の奴を、下の名前で呼ぶの……っ」

『――っ』

 

そう考えると俺の人間関係がどれだけ狭いのかがよく分かる。名字で十分に通じる範囲の人間しかいない。というか居るには居るが呼び捨てとさん付けで分けるという非常に面倒臭い方法だった。名前呼びも同じくらいに面倒臭いのだが。

 

「……あ、あー、もう、寝る時間、だな」

『え、えぇ、そうね』

 

だから、まぁ、率直に言って限界だった。

 

「そ、それじゃあ、な」

『そ、そうね。おやすみ、比企谷くん』

「あ、あぁ。――ゆ、雪乃」

『ッ!?』

 

通話を切る。そのままぽいぽいぽーいとソロモンの悪魔ばりにスマホを放った。ぼふんとクッションの上に落ちたそれを拾う気は無い。だから嫌だったんだ、下の名前で呼ぶのは。

 

「……友達なら、普通、だよな……?」

 

口から出たそれは、俺が言ったとは思えないような内容だった。


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