やはり俺の女性関係は色々とまちがっている。 作:四季妄
「で、話って何?」
朝のマックで二杯目になるコーヒーを啜っていると、正面に座りながらそう話し掛けてきた女がいた。俺の目が眠気で狂っていなければ川崎沙希に間違いない。うとうとと船を漕ぎそうになる体に鞭打ち、ぐっと気合を入れて頭を回す。駄目だ、眠かった。レッドブルでも飲むべきだろうか。
「まぁ、落ち着け。みんなもうじき来る」
「みんな?」
怪訝な顔を川崎が浮かべていると、やがて自動ドアの開く音がして雪乃と由比ヶ浜が入ってきた。時間よりか少し遅れているのはまぁ、しょうがない。こんな朝っぱらから来いと指示した俺に非がある。昨日由比ヶ浜へとメールを送り、伝えた用件は三つ。雪乃の家に泊まること、その旨を両親に連絡しておくこと、そして朝五時にマックへ来ること。
「おはよう比企谷くん」
「おう、雪ノ下」
……ん?
「ヒッキーおはよー……」
「おう、由比ヶ、浜……?」
若干違和感を覚えながら、由比ヶ浜の挨拶に返答してふと気付いた。妙に顔がげっそりとしている。まさに寝れていない、寝不足です、私眠りたいですと言わんばかりだ。一体何が、と首をかしげたところでひょいっと二人の間から何かが生えてきた。……あれ、俺の妹じゃね?
「お兄ちゃん気が利かないなぁ。結衣さんにメールしたんなら雪乃さんにもメールするのが普通でしょ?」
「いや、別に業務連絡だけだから良いだろ……」
「いえ、良いの小町さん。別に、気にしてないわ」
にこっと微笑んで雪乃が言う。意外なことに彼女は水に流してくれるということか。なんだ、意外と優しいなと思いながらコーヒーを口に含んだ。
「むしろこの男に利かせられる気があるとは思えないもの。ほら、見てみなさい。覇気がないでしょう」
「うるせぇよ……なに、拗ねてんの?」
「別に拗ねてはいないのだけれどあなたの目はモノを正しく映すことさえ出来ないほど腐りきってしまったのかしら気の毒ねええ実に気の毒よ」
「…………拗ねてんじゃねえか」
早口で言い切った雪乃は大きく肩を揺らしながら呼吸を整える。しかしこれがこいつ特有の照れ隠しだ。実に可愛くない。その口の回り具合はどこかちょっと前に関わっていた中学生を思い出させる。いや、あの時は受験だなんだと言ってたから今は高校生か。恐らく海浜とかそこらに行っているだろう、多分。……もしそうならあの学校の地雷率が上がっているのだが。
「まぁ、なに、今度の休みに荷物持ちでもなんでもしてやるから、尤も俺でよかっ――」
たらだけどな、と言おうとして途中で口を閉じた。ずいっと雪乃が詰め寄って来る。近い近い、顔が近いんだよ。なんなの、お前近眼とかだったっけ?
「自分の言葉には責任を持ちなさい、八幡」
「え、あ、おう」
「あーあ……これはお兄ちゃんやっちゃいましたなぁ」
「ヒッキーが外出……まぁ、良いんじゃない?」
周りがなんだかんだと言うも意味が分からない。とりあえず置いておき、今は場を回すことだけを考える。
「それで、小町。連れてきてくれたか?」
「うん」
そうして小町が指差した先には――。
「……大志」
もうそろそろ、この一連の厄介な依頼も終わりが近付いていた。
◇◆◇
「大志が言ってたろ、姉ちゃんは昔から真面目で優しかったって。つまりそういうことなんだよ」
大体ぼっちになる奴は俺みたいに性根から腐りきっているか、俺みたいに性格がひん曲がっているか、俺みたいに不器用な生き方しか出来ない奴である。なんだか俺が全てのぼっちの祖的な立ち位置になってしまった。実際は全くもって違うのだが。
「大志、お前、中三になって変わったことあるか?」
「はぁ……塾に通い始めたこと、くらいっすかね?」
「あ、弟さんの学費のために……」
「違うな」
由比ヶ浜の意見を否定する。そもそもとして大志が塾に通えている時点で学費の問題は解決している。逆に言ってしまえば、それしか解決していない。
「……なるほど、そういうこと」
「大志の学費については問題ない筈だ。元々中三なんて分かりやすいそういう時期だしな。でも、俺らだってもう高二だろ?」
本格的になっていないとは言え、この時期から進路を意識し始める人間は少なくない。
「川崎、お前、進学希望だろ」
「……」
「姉ちゃん……お、俺が塾行ってるから」
「…………だから、あんたは知らなくていいって言ったじゃん」
川崎沙希は不器用だ。されど不器用なりに生き方がうまい。覇気のない目も、やる気のない態度も、疲れと眠気から来ているものだとすれば納得がいく。それらを怖い雰囲気に見せていたのはなかなか地のぼっち力が高い。俺もすっかり騙されていた。
「けど、やっぱりバイトはやめられない。あたし大学行くつもりだし、そのことで親にも大志にも迷惑かけたくないから」
「あのー……ちょっと良いですかね」
と、そこへ割り込んできたのは意外な事にうちの妹だ。
「なに?」
「やー。うちはほら、こんな面倒くさい兄を飼っていまして」
「おい」
その一言に突っ込みたいところが凝縮されていた。面倒くさいとか飼っているとか凡そ喧嘩を売っている言葉に頬を引くつかせていると、ちらっと小町がこちらを見る。
「本当の事じゃん。ほら、お兄ちゃんって大体面倒くさいこと抱えてくるし、そうなるともうくさいから消臭するっきゃないなって」
「くさいの意味違うからな。なに、お前そんな理由でファブリーズしてきたの?」
「やだなぁお兄ちゃんリセッシュだよ」
いやお前の消臭剤のチョイスなんて知らねぇよ。
「とまぁ、こんな風に昔から面倒くさい兄でして」
「どんな風になのか分からないんだけど」
「うーん、ちょっとお兄ちゃん黙ってて」
そう言われて、仕方なく口を噤むことにした。一体どんな酷いことを言われるのかと小町の話に耳を傾ける。
「それでまぁ、こんな兄ですから色々とあるのは分かります。機嫌が良い時も悪い時もありましたし、それで
あ、駄目だこれ。一番辛いの出されるパターンだ。
「急に死んだような顔で戻ってきて、それから数ヶ月ずっと同じ調子ですよ。食欲はない、会話も殆どしない、何言っても怒らないし笑いもしない。……本当、酷い兄ですよねー……」
そこまで酷かったのかと記憶を掘り返してみる。まぁ、たしかにちょっと飯とかあまり食べなかった。喋る気力もちょっと無かったし、相手の言葉に反応するのもちょっと怠かった。ちょっと、そうちょっとだ。ほんの少し程度である。だよね?
「で、そっから少し経って、また良くなったんですよ。これには小町もハッピーって思ってたらまーた突然ゾンビみたいな顔で帰宅しやがったんですよこのごみいちゃんは……」
うんうん、それは多分こいつらのことだから。やめような? 頷いてる雪乃とか複雑な表情の由比ヶ浜とか色々と察しちゃってるから。後のことを考えると気まずくて仕方ないから。
「ご飯は食べない。会話はしない。何か言っても空返事。もうこれはどうにかしないとって原因をつついたら――まさかの大爆発で。そこでやっとお兄ちゃんが抱えたものの大きさを認識しちゃいました」
そんな事もあった。あったけどな、昔のことは水に流してさっさとこの話題をやめよう小町。なぁ、頼む、お願いだよマイシスター。
「まぁ、こんな兄でも根は優しくて、次の日には謝ってきました。まだ死人状態のくせに。そんなんされたら、こっちだってなにかしてあげなきゃって思うじゃないですか。もう限界近いお兄ちゃんを支えるくらいしかできませんでしたけど」
……、……。
「……つまり、何が言いたいわけ?」
「迷惑かけたくないし、重荷にもなりたくないんですよ、下の子も。上だけじゃないんです。そこら辺分かってもらえると、下の子的に嬉しいかなー、なんて」
「……まぁ、俺もそんな感じ」
マイラブリーエンジェル小町の言葉に大志が同意する。や、もうほんとやめて。お兄ちゃん泣きそう。涙腺が緩いのは歳のせいだろうか。くそう、俺はまだぴちぴちの十代だというのに。
「――」
「ひ、ヒッキーが死にそうになってる……」
「仕方ないわ。今の話で精神をタコ殴りにされたようなものでしょう」
マジそんな感じ。やべぇ語彙力の欠如がぱない。
「……なぁ、川崎」
「……なに?」
だからまぁ、こうして良い弟妹を持った兄姉の仲だ。元々教えるつもりだったそれを、惜しげも無く伝えてやろう。
「
◇◆◇
「きょうだいって、ああいうものなのかしらね」
「……さぁな。人によるんじゃねえの。俺も、川崎も……お前も。同じように接してる訳じゃないだろ」
「そうね……少し、羨ましいわ」
「隣の芝生は青いっていうしな」
「ならあなたの目から見て私の芝生は青く見える?」
「見える見える。超見える」
「良かったわね。その目はたしかに腐っているわ」
「全然嬉しくねぇよ……」
◇◆◇
そうして翌日、未だ片付いてない一つの問題に決着を付けるため、俺は昼休みの屋上のドアを開けてそこへ足を踏み出した。
「よう」
「ん」
パンと缶コーヒーを持っていることから察したのだろう。川崎はそれだけ反応すると座る場所を開けて食事を続ける。手作りであろう弁当はかなりの出来栄えで美味しそうに見えた。まさに隣の芝生は青い。菓子パンを貪る己が惨めに思えるのだ。
「……なんかよう?」
「ああ、ちょっと、な」
こういう時の言葉選びに関して、俺の経験則は全く役に立たない。そもそもの経験が無い。故に、ただ只管に言葉を漏らしていくしかなかった。似合わないと分かっているから、自己満足という心を盾にして。
「これは別にお前を――いや」
切り出そうとして、
「これはお前を責めるために言うんだが」
「……ふぅん」
なにやら意味ありげな反応が若干怖い。そのふぅんにどれだけの感情が込められているのだろう。想像したくもない事実に震える体をしっかり支えた。
「お前の苦労は誰にも分かんねぇよ。お前はお前で、他の奴らはお前じゃないんだ。理解なんて出来る訳がない」
「……」
「でも」
歪みきったこの性根は、恐らくまともな行為すら気持ち悪く映し出す。
「苦労してるのはお前だけじゃない」
「……、」
「誰でも、俺も、由比ヶ浜も……雪乃、雪ノ下だって苦労してる。だから、まぁ、なんだって話でもあるが」
すっと川崎の方をしっかり向いて、頭を下げた。
「雪ノ下のこと、あまり言わないでやってくれ」
「あんた……」
「今はまだ、なんつうか、時期じゃねんだよ」
余計なことだ、恐らくこうして下げた頭すら無駄の極みである。故にこそただの自己満足だ。比企谷八幡が動く理由に他人のためを追加して、上手くいった事例はない。俺は俺が満足できるようにこんなことをするのだ。
「……なら、その時期が来たら好き勝手言っていいわけ?」
「あぁ、そりゃあな。言ってみろ。……多分、十倍くらい濃くした正論過ぎる反論が返ってくるぞ」
「なにそれ。……信頼、してるんだ。雪ノ下のこと」
信頼。信頼、だろうか。いや、これは――。
「信頼じゃねえよ。ただの押し付けだ」
「は?」
「俺の知るあいつなら大丈夫だって押し付けてるだけだ」
そうしてあいつは、俺がそう考えている事をしっかりと気付いている。
「……ほんと、なにそれ」
「世間では親友とか言うらしいぞ、こういうの」
「いや違うでしょ、絶対」
雪ノ下雪乃は必ず何とかすると押し付けて、比企谷八幡ならどうにか出来ると押し付けられた。雪ノ下雪乃にも出来ないことを知って、比企谷八幡にはどうしようもないことを教えた。雪ノ下雪乃には要らないからと思って――比企谷八幡が必要であるとする思いを受けた。そうして今は大丈夫だと押し付けて、大丈夫だと押し付けられている。
「やっぱ違うか……」
「そりゃあね」
雪ノ下雪乃ならいつか大丈夫だと押し付けて。
「……そうか」
比企谷八幡ならもう大丈夫だと押し付けられて。
同時に、どちらもどこかで駄目だと分かっていた。