やはり俺の女性関係は色々とまちがっている。 作:四季妄
「ただいま」
ガチャリと自宅の扉を開けてそう言えば、奥から最愛の妹の声が帰ってくる。しばらくしてぱたぱたという足音が響き、ちょうど俺が玄関から上がる時になってその姿を見せた。特徴的なアホ毛、兄とは似ても似つかない綺麗な髪、これまた兄とは違って純粋な瞳。彼女こそ我が妹、比企谷小町である。……あれ、本当に兄妹なのか不安になってきた。
「遅かったねお兄ちゃん。なにしてたの?」
「あぁ。ちょっと……な」
詳しく話すと面倒くさい。それだけ言ってさっさと自分の部屋に行こうとしたのだが、不意に袖をぐんと引っ張られる。犯人はヤス、ではなく小町。ぐるっと顔だけを向けてじとっと睨んだ。
「なんだよ……」
「お兄ちゃん、ステイ」
「俺は犬か」
「いいから、ほら、こっち向いて!」
はーやーくーと急かす小町にぼりぼりと頭をかきながら、仕方なく折れて体を向ける。一体なんだというのか。一応最低限の身嗜みとかは……うん、まあ、整えていないこともないこともないかもしれないので、多分恐らく大丈夫だとは思うんだが。あやふやすぎてやべぇな。俺の将来の夢くらいあやふやだ。
「すんすん」
なんてことを考えていたら、いつの間にか密着した小町が胸のあたりの匂いを嗅いでいる。なに、お兄ちゃんそんなに臭かったの? ちゃんと毎日体洗ってお風呂入ってるよ? 今日は体育も無かったし汗臭い訳でも無いだろうし。
「おい、なにやってんだ」
「……女の匂いがするよ、お兄ちゃん」
「お前は俺の嫁か」
てかなんで分かんだよ、怖えよ。そこ確かちょうど雪ノ下が掴んだ辺りだぞ。将来小町と付き合う野郎は浮気できないな。いやまぁそんな野郎にうちの可愛い妹はやらんが。
「そういうのいいから。で、どういうこと?」
「……だから、なんだよ」
「とぼけないでよお兄ちゃん」
ずいっと詰め寄ってくる小町に、一歩足を引いてしまう。真っ直ぐにこちらを見詰める目には、濁った瞳を当社比三割増しで濁らせた己の顔が映っている。まぁ、この状況の殆どが俺の自業自得だからなぁ……。
「少し、懐かしい奴と会っただけだ」
「……もしかして、またなの?」
「小町……って」
予想外に真面目な声音で言われて驚けば、しかし小町はニヤニヤと笑いを堪えきれていない。雰囲気の割に口元がゆるっゆるである。ちなみに小町は頭の方も若干ゆるめなようで、そこら辺きちんと受験勉強しましょうね!
「なんで笑ってんだ」
「ふ、いや、ごめん。でも、ふふ、そっかぁ。またかぁ」
にこにこにこぱーっと満面の笑みを振りまきながら小町はとててっと距離をとる。今にも鼻歌でも始めそうなくらい上機嫌な様子に、こちらとしては只々困惑するばかりだ。いきなりの妹の奇行にお兄ちゃん付いていけない。
「お兄ちゃん、まだ諦めてないんだ」
「――」
本当に嬉しそうに、そう小町は言った。悪意も同情もなく、単純に嬉しくて幸せだからという風に。いつもなら微笑ましいはずの光景は、けれどもこの時ばかりは違っていた。突き刺さる。真っ直ぐなその想いが、酷く歪んだ自分に突き刺さって、抉っていく。
「……は、そんな訳ないだろ」
「え?」
「言ったろ。懐かしい奴と会っただけだ。――そういうんじゃねえよ」
「お兄、ちゃん……」
俯く小町の横を通り抜けて階段へ向かう。なんだか無性にベッドへ飛び込みたい。あぁ、そうだ、今日は色んなことがあって疲れたんだ。一晩じっくり寝て休めば、明日にはいつも通りの
「悪い、小町。ちょっと今日は食欲がない。飯はいいから」
「……うん、分かった。ごめん」
「なんでお前が謝るんだよ。……悪いのは、俺だ」
そうだ、いつも悪いのは、間違っているのは俺の方なんだから。
「……お兄ちゃん。小町、信じてるから」
◇◆◇
始まりは本当に、小さなことだった。取るに足らぬくらいに些細なことが、大きくなる要素もないほどに小さかった筈のものが、おかしくも膨れ上がったのだ。
『ん? あ、えーっと、たしか……ヒキガヤ、だっけ?』
『……え? あ、あぁ、うん』
『ぷふっ、なにその反応』
どこで狂っていたのか、どこから正史と違っていたのか。そもそも正史があるのならどうだったのか。そんなこと俺には分からないけれど。
『おいーっす、比企谷』
『あ、お、おぉ。うっす』
『ちょ、吃りすぎでしょー、比企谷マジやばい』
多分、彼女に想いを寄せてしまったのだけは、変わらないのだろう。
『比企谷ー? 次移動教室だけどー?』
『あ、あぁ、おう』
大した切っ掛けも運命的な出来事もなく、平凡な日常の中でふと湧いて出たそれを、最初は非常に持て余していた。近付けば動悸が激しくなる、声を聞けば体が熱を持つ、言葉を交わせば口が上手く回らない。尤も、人と話し慣れていなかったのが一番の理由かもしれないが。
『比企谷っていつも一人じゃない? なんで?』
『あ、それは、なん、つーか。……一人の方が、楽というか』
『へー、それ超つまんなくない?』
『いや、別に……』
人間何事も慣れてしまえば大丈夫だという。その時の俺としては、そんなに早く慣れる訳ねぇだろお前の頭が大丈夫かなんて気持ちだった。
『え? なに? 比企谷の家ってこっち?』
『まぁ、そう、だけど』
『なにそれ、ウケる』
『……いや、ウケねーから』
『ふーん。なんだ、ちゃんと喋れるじゃん』
『へ? ……あ』
ついいつもの癖というか、その時も少なからず存在していた捻くれた考えがふと出たというか、そんな感じの一言が引き金だったと思う。結果、俺は彼女とそれなりの会話が出来るようになった。
『でさー……って聞いてる? 比企谷』
『あぁ、聞いてる聞いてる』
『うっわ、それ絶対聞いてない奴の言葉でしょ』
『いや聞いてるから。大丈夫だから』
気持ち悪さは、まぁ、自分なりに頑張ったと思いたい。
『比企谷のくせに車道側歩くとか、やばい』
『……妹がいるからな。なんつうか、当たり前になってるんだよ』
『なにそれ、ちょっと似合わないんだけど』
『うるせぇ……』
ただ、一度抱いたそれだけが手放せなくて、ずっと内側から圧迫していた。だから。
『へ? 好きって……それ、マジ?』
馬鹿なことを、した。
『比企谷が? 私と? うーん……』
本当に、本当に。
『……ん。まぁ、そこまで悪い奴じゃないけど』
本当に、本当に、本当に、思い返せば思い返すほど。
『比企谷、かぁ。……うん。ぷっ、く、ふふ、あ、あははっ……』
酷く、酷く。
『――良いよ、比企谷』
馬鹿なことをしたのだ。
◇◆◇
「……暗っ」
ほんと、今の心境くらいに部屋の中は暗かった。いつの間にか寝てしまっていたようで、寝汗の滲んだ下着と制服が気持ち悪い。がさごそと探って取り出した携帯の画面に、ちょうど九時半頃と表示される。いやそんな捻くれた表示実際にはされてないけどね?
「小町に飯いらないって言ったのは、ある意味正解だったな……」
駄菓子菓子もといだがしかし、腹はすっかりと減っているようで食べ物を寄越せと汚い悲鳴を上げる。本人がこんなんだというのに、体はなんと正直で素直なことか。ぐいっと起き上がって体を伸ばし、適当な服に着替えてから財布を片手に部屋を出た。
「……あ、お兄ちゃん」
「……おう。ちょっと、飯買ってくる」
「簡単なものなら作れるよ?」
「いや、いい。お前にばっかり負担かけさせる訳にも」
「別にそんな負担じゃないけど」
「……いいから。中学生は早く寝なさい」
「またそんなこと言う……」
たったったーんと階段を降りて玄関へ向かう。近くのコンビニにでも行けば弁当とまではいかなくてもパンか何かは置いてあるだろう。靴を突っ掛けてドアへと手をかければ、後ろからぽつりと声がかけられた。
「いってらっしゃい」
「……あぁ、いってきます」
最近、お兄ちゃんとして色々と自信を無くしそうになってるどうも俺です。
◇◆◇
「あざっしたー」
店員の絶妙にやる気のなさそうな台詞を聞きながらコンビニを出る。本当にパンしか無かったので腹を満たせるのか不安だが、まぁ何も食べないよりかはマシだろう。さっさと帰ってMAXコーヒー片手に味わいたい。たまにはこんな夕食も悪くないな。うわっ、私の食生活、酷すぎ……? なんて考えて余所見をしていたのがいけなかった。どん、と不意に体へ衝撃が来る。
「あたっ、あ、す、すみません」
「あ、いや、別に。こちらこそすいません」
実際不注意だった俺が悪い。人とぶつかるなんて、ぼっちとしてあるまじき不覚だ。ぺこぺこと頭を下げて直ぐその場を去ろうと思ったが、おかしい。足が地面にくっ付いたように動かない。声に聞き覚えがあったから? それとも、見た目がそう変わっていなかったからか?
「え……」
あぁ、改めて、今日は厄日だと認識した。
「……久しぶり、だな」
自然とそんなことを言っていた。一体どの口がそんなことを言えるものかと思いながら。
「――折本」
「比企、谷……」
俺は、中学時代の……