やはり俺の女性関係は色々とまちがっている。   作:四季妄

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お前と、あなたと、もう一人

『あの、えっと、比企谷くん、だよね?』

『……あぁ、そうだけど』

 

初めて話し掛けられた時は、一体何事かと思った。何せ俺自身は全然顔見知りでも何でも無かったし、というか何このビッチっぽい女子やべぇなちょっとあまり近付かないでくれます? とさえ思っていた。正直あの頃は女子と話すなんて状況だけで嫌なモノが続々と湧き出ていたから、仕方が無いだろう。

 

『その、なんていうか、ありがと』

『は? なにが?』

 

ぼそっと呟かれた言葉に反応して返してみれば、あたふたとし始めるビッチっぽい女子。なんかアレだな、この子は若干アホっぽいな。初対面の女子に我ながら酷い評価を内心で付けながら、ぼうっとその様子を眺める。何してんだろなぁ、俺もこの子も。

 

『えっと、あの、あれ、サブレ!』

『は?』

 

え、なに? サブレ? ビスケット的な洋菓子のあれ? ちょっと何言ってるのかよく分かんないですね。と目の前の女子に懐疑的な視線を向けてみる。余計にわーわーとあたふたし始めた。結構真面目になんなのこの子。

 

『だから、その、さ。入学式の日に、うちの犬のこと……』

『……あぁ、そういうことか』

 

その一言でやっと合点がいった。ちょうど入学式の日に早起きして通学途中、らしくもなく犬を庇って車に轢かれたのだ。おかげでこうして校内ぼっちは確定するわ、周りからの目が突き刺さるわで、何とも素敵な高校生活である。どうせ事故にあわなくてもぼっちだったろうがな。

 

『あ、あたし由比ヶ浜結衣。結衣って呼んでくれて良いから』

『おう、由比ヶ浜。まぁ、なんだ。俺の好きでやった事だから、あんま気にすんな』

『あ、あれ……?』

 

てか関わるな話し掛けるな触るな一緒に歩くな同じ息を吸うなまである。主に俺が。どんだけ卑屈なんだよ。

 

『結衣ー』

『……お前、呼ばれてるぞ』

『あ、うん。今行くー! ……またね、比企谷くん』

『おう』

 

その挨拶は間違ってるぞ、とはあえて言わなかった。言わずとも彼女は分かっているだろう。ああいう奴等は自分の立場をしっかりと理解している場合が多い。見たところ友達が多く、クラスの中心的立ち位置に近い由比ヶ浜結衣という少女は、決して俺と関わるような人間じゃない。お互いに分かり合っているのだ。

 

『……もう、ああはなりたくないだろ』

 

うっすらと重なる一度手放した影が、優しく微笑んでくる。もう二度と見れないだろう脳裏に焼き付いた表情が、未だ塞がりきらない傷痕を抉った。決めたのだ、中学の時のような過ちは二度と犯さないと。

 

『どうせ、またなんて無いからな』

 

後に、その台詞がフラグだったかと頭を抱えることになるなど、この時の俺はまだ知る由もなかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……ヒッキー」

 

若干震えている声は頼りなさげに、しかし瞳は揺れながらも強く、由比ヶ浜結衣は確かにそこに立っていた。どうして彼女がこんな所にいるのか。混乱する頭がぐるぐると空回りして、目の前の光景を正しく認識出来ているかも自信がなくなる。

 

「……あなたは」

 

雪ノ下が驚いたように言いかけて、すっと目を細めた。意外なことに由比ヶ浜を知っているような態度だ。俺の記憶では、二人がお互いのことを知っているような話は無かった筈だ。ちらりと由比ヶ浜の方を見てみれば、じっとこちらを見詰めている。

 

「……っ」

 

驚いて反射的に目を逸らした。や、あんまりそんな見ても何もないから。精々変な気持ち悪い汗くらいしか出てこないから。大体マジでどうしてお前がここにいるんだよ、タイミング悪いし空気も悪いし雰囲気も悪い。これ作った原因誰だよ、俺だよ。

 

「っ……そう、だよね。ごめん、ヒッキー」

 

それは、何に対する謝罪なのだろう。

 

「――雪ノ下さん、だよね」

 

自分から視線が外れたのを感じて、僅かにそちらの方を向き直す。雪ノ下へと視線を移した由比ヶ浜は、ぎゅっと胸元を小さく握りながら答えを待つ。

 

「……えぇ、そうよ。由比ヶ浜さん、よね?」

「うん。あたしのこと、知ってたんだ」

「……まぁ、一応、かしら」

「そうなんだ。……あの、さ」

 

真っ直ぐに雪ノ下を見ながら、由比ヶ浜は言った。

 

「なんか、よく分かんない、けど。ヒッキー……比企谷くんのこと、あんまり悪く言わないで欲しい、かなぁ」

「……よく分からないのに意見するのね」

「うん、分かんない。でも」

 

そっと目が伏せられる。少しばかり俯いてしまった由比ヶ浜の表情は見えない。紡がれる言葉の声音だけが感情を伝えてきた。詰まるところの、彼女の気持ち。由比ヶ浜結衣という少女の気持ち。

 

「……やめろ」

 

俺の知ろうとしなかった気持ち。

 

「ヒ、企谷くんは、悪くないよ」

 

知りたくもなかった、他人の気持ち。

 

「……あなたは、そう思うの? 本当にこの男が悪くないと?」

「ううん。悪いかもしれない」

「言っている事が違うのだけれど」

「でも、ヒッキーが、比企谷くんだけが悪いってことは、無いんじゃないかなぁ」

 

馬鹿だ、阿呆だ、お前は何を言っている。なんてことを口走っている。誤解だ、間違いだ、勘違いだ。全てが全て根本から別だというくらいに異なっている。だからやめろ、やめてくれ。これ以上は何も言わないでくれ。

 

「ヒ企谷くんは、優しいから」

「――」

「だから、全部押し付けるのは、違うんじゃないかなぁ」

「由比ヶ浜」

 

ぴくりと、明るい色の髪と共に肩が揺れる。ふと血が滲みそうなくらい握り締められた拳に気付いて、かなり己が酷い状態なのだと認識した。ゆっくり、ゆっくりと、慎重に力を抜いていく。()()()()()()()()()()()()

 

「お前、なんでここにいる」

「ぁ……えっ、と。平塚先生から、聞いて……」

「――わ」

 

それは嫌に響く、小さな鈴の音のようだった。

 

「え?」

「……おい……雪ノ、下?」

「そんなこと」

 

すぅっと息を整えながら吐かれた台詞は、今度こそ凛と室内へ響く。

 

そんなこと(・・・・・)、とうの昔に知っているわ」

 

かつんと、雪ノ下が一歩前へ出た。黒くて艶のある長い髪の毛がふわりと揺れて、燃え盛る炎を彷彿させる。それはさながら、現在進行形で彼女の胸にめらめらと灯る怒りのようで。

 

「その上で言っているのよ、彼が悪いと」

「っ、それは」

「由比ヶ浜さん」

 

詰め寄る雪ノ下の迫力にやられたのか、由比ヶ浜はただ押されるばかりだった。彼女とまともにやり合って勝てる人間は少ない。俺の知る限りでは片手で足りる程に、雪ノ下雪乃という人間は強い。そうして俺の知る由比ヶ浜結衣という人間は、その中に入っていない。

 

「あなたは悪くない。悪いのは彼」

「違っ――」

「彼のやり方が、考え方が、間違っている彼が悪い」

 

貶されているのに、否定されているのに、ついさっきよりも心は軽かった。結局、そういう人間なのだ、俺という奴は。

 

「あなたも私も、彼がやり方を間違えなければこうはなっていなかった」

「ッ……ち……ぁ、知ってる……の?」

「……知ってしまった、というべきかしら」

「……雪ノ下、さん」

 

……知っている? 何を? まさか、雪ノ下が由比ヶ浜とのことをか? だとすれば、そうだ、彼女の態度にも納得がいく、いってしまう。

 

「結局この男は学ばなかった。変わりもしなかった。変わろうともしなかった。だから、私が変えるのよ」

「ヒッキー、は……」

「だって、そうでもしなければ」

 

――救われないじゃない。

 

「……あ?」

「……っ」

「……ぇ」

 

ピキリと、一瞬空気が凍った。

 

「雪ノ下、お前」

「私の気持ちを忘れたつもりかしら」

「雪ノ下さんの、気持ち……」

 

この短時間で忘れていたら、さぞおめでたい頭だったに違いない。

 

「言わなければ分からない? なら言うわ」

「待て、やめろ、分かってる。分かってるから」

「いいえ分かっていないでしょう。私は――」

「ゆ、雪ノ下さん……?」

 

強く、強く、嫌な予感に警鐘が鳴っていた。


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