やはり俺の女性関係は色々とまちがっている。 作:四季妄
「あなたの」
雪ノ下雪乃は、強い人間である。例え一人だろうが彼女は自分を強く持ち、正しくあり続けることが出来るのだ。一人でいながら一人になり切れない自分とは大違いの、完成された存在。同時に弱さを抱えている、不完全な存在。
『あなたが比企谷八幡くん?』
『あ?』
だからこそ、だろうか。自然と俺は彼女に惹かれていて、共に過ごすのもまぁ悪くないと思い始めて、己というちっぽけな奴がもたらす不幸を忘れていた。どこまでも比企谷八幡は、弱かった。
「あなたの隣に、居たかったのよ」
人の心が理解できない訳では無い。何故なら俺も悩んで間違えて失敗を繰り返す人間だからだ。むしろ悩みに悩み、間違いに間違いを重ねて、失敗という失敗を繰り返している。そういう部分だけ見ればぶっちゃけ俺ってそこら辺のリア充より人間してるんじゃね、なんて錯覚しそうになるくらいに。
『……や、えっと、なに?』
『……犬を庇って事故に遭い入院していたのは、あなたで合っているかしら』
『あ、あぁ。そう、だけど、なんで知って……』
『そう』
故にいつも言われるのはそうではない。俺は人の心が分からない訳では無い。人の気持ちが分からないと、理解できないと言われるのだ。その度に何度も思い、考え、結論を出し、次こそはと自分なりに間違いを正してきた。結局はそれも間違っていたが。
「な、んで……だよ……」
「だから言っているでしょう。あなたがやり方を間違えたのよ」
比企谷八幡には芯がない。心を強く保つための何かが足りない。力を十全に出し切るためのスイッチが存在しない。芯が形成される以前の時点で、既に空っぽの状態だったのだ。何も無いところから、何かが生まれて来る筈もなかった。
『見たところ、そんな人間には見えないわね』
『……人を見た目で判断するなよ。見たところ性格キツそうだけど』
『あなたも見た目で判断してるじゃない……』
ならばもし、仮にでもなんでもその芯が出来たとすれば。曲がりすぎて曲がらない芯を持ち、捻くれた考え方と妙に回る頭を駆使し、少ない手札を上手く切り、他人の気持ちを考えずに最良の結果を出す。――比企谷八幡は、結局のところ比企谷八幡だ。
「あなたのやり方を通すには、長く過ごしすぎたのよ」
土台は完成されていた。器も形まで整えられていた。その時だけは全てが変わる。ただ真っ直ぐに突き進む気持ちに、強く組み立てられた心。従って行動にも一貫性が出てくるほど、簡易的に比企谷八幡は完成していた。
『私は雪ノ下雪乃。あなたを轢いた車、覚えている?』
『そんなの、覚えてる訳――』
『それに乗っていたのが、私よ』
『な……』
自分と接した誰かを救うために、俺は正しく間違いを犯した。
「そう簡単に繋いだ縁を切れると思わないことよ」
それを芯として、一時的に比企谷八幡は本来あるべきものとなっていた。
『……そうか、……悪かったな』
『……どうしてあなたが謝るのかしら』
『好き勝手やって事故ったのは俺だ。全部俺が悪い。お前に謝られるのも同情されるのも心配されるのも御免被る』
『……そう』
だから、そう、これは。
「あなたの行動の意図を読み取れないほど、私は馬鹿ではないのよ」
どうやっても回避しようのなかった、俺の間違いなのだろう。
◇◆◇
「あ、おかえりお兄ちゃ……ん?」
こてんと首を傾げる小町の横を通り過ぎて、鞄を放り投げながらソファーへ座り込む。最早言葉を返す気力すら残っていない。何かを見ているのも辛くなって、すぅっと目を閉じた。
「……」
瞼の裏に映る先程までの光景が、じくじくと胸を締め付ける。あの後、ほどなくして鳴った完全下校のチャイムに解散をしたが、雰囲気はお察しである。正直どうやって家まで帰ってきたのかさえあまり覚えていない。特に体で痛むところは無いので、怪我などはしなかったのだろうが。
「……もう、しかたないなぁ」
ぱたぱたと、近付く足音が聞こえる。気付いたとして、何か言うのも億劫だった。ただ黙って過ごしていれば、やがて足音の主はぽすんと俺の隣に腰を下ろし、ひとつ小さく息を吐く。
「どうしたの、お兄ちゃん」
「……別に、何でもねぇよ」
「嘘だね、隠す気ないくらい露骨だし」
隠す気がないんじゃなくて、隠せないんだよ。
「……なぁ、小町」
「なに、お兄ちゃん」
「どうすれば、良かったんだろうな」
掠れそうなくらいに小さく、ぽつりと呟いた。漏れ出た声が予想以上に弱々しくて、気分が更に落ちていく。落ちた気分はまたいつもとの些細な変化を敏感に察知し、気付いてもう一段階下へ。見事なまでの負のスパイラルだ。
「本当に、どうすれば、良かったんだ」
「お兄ちゃん……」
「俺は……俺は……、ただ」
「……うん」
ただ、こんな自分と接してくれた奴に嫌な思いをして欲しくなかった。
「だから、考えて、悩んで、やり方を見つけて」
「うん、うん」
「そんな簡単に割り切れる訳、ねぇだろ。迷って、でもそれしかないから、やったんだろ」
「そうだね、お兄ちゃんは、そうだもんね」
他に良い方法があったのなら、一も二もなく飛び付いていた筈だ。成功する確率が高ければ、誰も被害に遭わずに済む解決法があったなら、そっちの方が良いに決まっている。でも、どう考えたとしても、その解決法は一番酷い己の策のことで。
「今更、だろ。終わったことだろ。だって、そうじゃないと、俺は――」
一体何のために自分を犠牲にして、何を守ったというのだろう。独り善がりなのは分かっている。何故なら俺は何をする時も独りであるからだ。善し悪しを考える時でさえ他人を頼らなかった。ならば真に、それは独り善がりな行為と言える。でもそれで救えたならと、そう思い続けてここまで来た。
「お兄ちゃん」
ぎゅっと、優しい感触に包まれる。割れ物を扱うように当てられた手が、ちょこんと制服を掴む。突然の状況に驚いて固まっていれば、次いでするすると頭を撫でられ始めた。やっとのことで、声を出す。
「……何してんだ、小町」
「ん? んー、なんかこういうの新鮮だよね。昔は小町がやってもらってたし」
「やめろ。いらん」
「まぁまぁ」
言いながら小町はよーしよしと俺の頭を撫で続ける。あの、ちょっと? マジでやめてくんない? お兄ちゃん色々となけなしというか殆ど無いプライドとか存在すら確認されているかあやふやな尊厳とかが完全に消えちゃうから。もう消えてるか、やべぇ手遅れだった。
「お兄ちゃんは、頑張ったんだね」
「――」
「頑張って、一生懸命やったんだよね」
「……こま、ち」
「精一杯やって、でも」
ぴたりと、動いていた手が止まる。
「お兄ちゃん、間違えちゃったんだよね」
「……っ」
今度は両腕、ぎゅうっと抱き締められる。妹にハグされるのなんて久しぶりだ。小学生の時には「お兄ちゃんのお嫁さんになるー!」とか言ってよく抱きつき、俺が親父から酷く睨まれていたというのに。
「らしくないよ、お兄ちゃん」
「……そう、かもな」
「うん、そうだよ。だってお兄ちゃん、何回も間違えてるじゃん」
「おい……」
そこ言っちゃうの? という風に視線で訴えてみれば、くすりと小町は笑う。口元は緩めながらも、腕の力は緩めない。逆にほんの少しだけ強くなった気がした。
「その度にこんなことなってたらお兄ちゃん今頃引きこもりだよ。それならさ、多分だけど」
「……」
「それだけ大事なこと、だったんじゃないの?」
「……そうだな」
大事なこと
「まぁ、大丈夫だよお兄ちゃん。ほら、人間間違えることはあるし、仕方ないんだよ」
「いや、でも……」
「いいじゃん、間違っても」
軽く放たれたその言葉に、ゆっくりと顔を向ける。小町はにこりと優しく笑いながら、恥ずかしそうに顔を赤らめて。
「間違ってもいいんだよ、大丈夫。小町を信じなさい。あ、今の小町的に超超ポイント高い!」
「最後のが無ければ八幡的にポイント高かったわ……」
なんだ、一瞬でも妹を女神と見間違えた俺が馬鹿だった。全くやれやれ、これが血の繋がった妹で無ければ惚れていたところである。だかまぁ、しかしだ。
「まぁ、でも、あれだ。……サンキューな」
「……うん。それじゃあ小町、ご飯作るから」
「おう」
それだけ言い切ると小町はぱたぱた駆けてキッチンへ向かう。やはりうちの妹は、兄より余程しっかりとしている。