―――それでもたしかに、わたしは人を殺したんだ。
人理修復後。ぐだ子にモブ彼氏がいるし喋る。

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Who Knows?/Who Cares?

 ゲーティアという言葉には、いくつもの意味がある。

 

 ソロモン王の小さな鍵(ゲーティア)。それは冠位に至った魔術師の書―――レメゲトンの第一冊。強大なる悪魔を魔界より招来し使役するためのもの。召喚術を修めた身ならば誰もが求める神代の魔術書。

 

 人理補正式(ゲーティア)。それは生ける魔術である。神ならぬ身にして人を憐れんだ人類愛。人を見て、人を愛し、そして愛が長じて憎悪と化した―――人理焼却式(ゲーティア)、それは獣の名。憐憫の人類悪、ビーストⅠ。

 それは騎士(セイバー)に強かった。もっとも憐れな者たちは民のために王のために限りある命を投げ捨てられる者のことである。故に弓や槍を扱う者、純粋なる戦士にはそれに抗う術がなかった。

 それは(ライダー)に弱かった。ソロモンという一人の王に仕えたからだろうか。ソロモンその人の該当する魔術師のクラスもそれに痛手を与えることができた。暗殺者、陰の住人らは偉大なるものにこそ強いものだ。彼らの抵抗は一矢報いる程度では終わらなかった。

 狂った英霊は、何も気にかけず普段のままに普遍の理を振るった。純然たる暴力、何者にも阻まれない狂気そのものの発露。憐れみを受けても、彼らは知らぬことだと言外に語る。

 裁定者にはそれを裁く権利がなかった。それが人間であったことなどなかったのだから。人を見限り、ある種の裁きを下したそれに、聖人は対等なものとして立ちはだかるほかなかった。

 復讐者(アヴェンジャー)とは、神の愛を否定したものである。超越者からの救いを放り捨て一つの存在として世界に挑む彼らに、どうして魔術式ごときが救済(れんびん)を与えられただろう。

 

 盾持つ少女はいつだって対等に相手を見据えた。この時も変わらずに。雪花の壁は揺らぎなく、人理の集約すら防ぎきってみせた。それは、それこそが人のありよう。かの式が愛し、ある獣が見たうつくしいもの。

 

 そして焼却された時の中で人類最後のマスター候補だった少女だけが、もう一人の「ゲーティア」を知っている。

 

 人王(ゲーティア)。神殿にて生まれ、滅びゆく神殿(とき)の中でただ数分の生を燃やしつくした者。たった一人の王国で外敵と戦い、そして滅んだ人間。

 

 ゲーティアは、一人の少女を運命と呼んだ。けれどそれは決して甘いものではない。むしろ苦い出来事で、到底忘れることのできないような傷を生き残った少女にもたらした。肉体的には崩れゆく世界を走り抜けられる程度の傷でしかなかったけれど、彼女は彼の在り方を聞いてしまった。彼が神殿が崩れきるまでの数分で成したかったことの人間らしさを知ってしまった。

 

 誰も知るはずのない命だった。無為に終わった三千年の果ての、たった三分の命。誕生したその瞬間から崩れかけの肉体をを持っていた彼が、生命の喜びを謳っていた。千里眼(ぜんち)を失った彼が、時の動き出した神殿跡で愚者として懸命に智慧を絞った。その瞬間を知るのはたった一人。生きるために走り続けてきただけの少女だった。

 

 

 

 

「世界って、不公平だよね」

 明るい髪をした少女が言う。窓枠に寄りかかって、花の散った桜を見下ろしながら。隣には同じ年頃の少年が一人。西洋の血が濃い少女とは違って髪も目も黒い、強いて言えば眉が濃いくらいの、クラスに十人はいそうな、そんな少年。

「なんだよ唐突に。小テストの点でも悪かった?」

「やや、そうじゃなくて。なんか昔のこと思い出して」

「ふーん。……あ、それひょっとしてカルデアとかいうところの話?」

 人理継続保証機関フィニス・カルデア。何をしているのかさっぱり分からない胡散臭い組織名だが、一応は国連の機関であるらしいその場所で彼女は働いていたのだという。この消えた一年の間、ずっと。

「まあ俺未だに信じてないけどね。そこが黒幕なんじゃないかって噂の方がもっともらしいじゃん」

「ま、だよねー。わたしのこともいつの間にかばれてたし。機密とは一体」

 

 とはいえ、本来長期アルバイター程度の立ち位置である彼女自身にとっては黒幕説などよりこの一年の働きに対して給与が支払われないことの方が一大事なのだが。

「つまり国連はブラック企業……」

「『消えた一年間わたしたちはちゃんと働いてました!』って言っても信じてもらえなかった」

「そらそうだろ」

「えー、ちゃんと記録残ってるんだよー?」

 

 生き残ったカルデアの職員らが金銭を受け取らなかったわけではない。レフ・ライノールによるテロリズムでほとんどの職員が命を落としたところまでは焼却される前の出来事だったため、それに対する補償として少なくない金額が国連名義で魔術協会から支払われている。そのため、この少女も高校生の身の上としてはそれなり以上の金銭を扱えるようになった。もっとも地上波で流れる政治家さながらにテレビ局や新聞社が群がる様子を見て、それでも羨ましがる人間は少数派だったが。

 

「わたしたちは、幸せだね」

 幸せでいいんだよね?と彼女は言った。

「いいに決まってんじゃん。俺じゃ不満?」

 少年と少女は交際関係にある。それなりにうまくいっているという自信もあったのに、こんなことを言われれば不安にもなろう。けれど、テロを生き残ってしまった少女が問題としているのはそこではない。

「そういうわけじゃなくて……うーん、マシュの話ってしたっけ」

「マシュちゃん?眼鏡でおっぱいの大き……げふっ」

 少女の肘が少年の脇腹に激突する。せめて髪の色とかなにかないのか、などと言いながら少女が頷く。

 

 マシュ・キリエライト。表向きには、難病を抱えるマスター候補生が空白の一年間で好転したということになっている、デミ・サーヴァントの少女。カルデア局員としての姿のみではあるが、写真を見せることは許されていた。カバーストーリーしか知らされてはいないものの、少年もその少女が二十歳を迎える可能性が低かったことは聞いている。

「すごくよくできたらしいよ。選抜チームの主席。なのに数あわせのわたしを『先輩』なんて呼ぶんだ」

 48人目のマスター候補生がAチームの主席に会った日に、きっと彼女のすべては始まった。かわいい子だった。世間知らずの、初めて会った人間を先輩と呼ぶ、少し変わった子。一年かけて彼女は笑顔が眩しい子になった。怒ったり、悲しんだり、バレンタインのチョコレートを作ったり、そういう人間らしい少女に。一年前に会ったばかりだが、妹のような後輩だ。

「あ、マシュ泣かせたらぶん殴るから」

「俺その子と会ったことすらないんだけど!?」

 

 けれど、そのまま時が進んでいたなら、マシュ・キリエライトは今頃生きてはいなかった。次の朝起きたときに体が動かないかもしれない、次の一歩を踏み出した瞬間倒れるかもしれない、その恐怖すら碌に感じないまま死んでしまったのだろう。生存を当然の権利と思うことすらできずに、「耐用年数」を迎えていただろう。

 死ぬのが怖いのは、当たり前だと思っていた。魔術など知らなかった少女には目の前で人が死ぬだなんて信じられず、きっとなんとかなるという言葉は慰めではなく根拠のない楽観だった。それなのにマシュの口から出たのは「助けて」でも「恐ろしい」でもなくて「逃げて」。

 

「会いたいなー。平和な話がしたい。付き合ってるんだー、なんて軽ーく紹介したい」

「行けないんだっけ」

「もう局員じゃないからね。かなり辺鄙なとこにあるし」

 

「テロったやつ―――レフって言うんだけど、会ってるんだよね……テロの前に。それで、色々あったんだけど……うん。レフは死んだ。その仲間も」

「……待ってそれ俺が聞いても大丈夫なやつ?」

「……あ」

「あ、じゃないよ!ねえここ学校!」

 放課後、他には誰もいない教室。二つ隣で吹奏楽部がパート練習をしている。付き合っている二人の会話に聞き耳を立てる無粋な輩がいるわけではないものの、それはせめて家の中で話すことだろう、と少年が言う。そうだね、ごめん。一言謝ると、少女は窓の外、空を見やる。

 光帯のない青空。つい一年前には見慣れていたはずのそれに、彼女はまだ違和感が拭えないでいる。マシュがこの空を初めて見た時、自分も隣にいたのだというのがふと思い出されて、またつらくなる。カルデアの外が暗闇でしかなかった時間が濃すぎたのだ。それは、それまでの十数年を覆いつくして余りあるほどに。

 

「ま、読んだ小説の話くらいに思っとくよ。それなら大丈夫……かなあ」

「だといいなー。でね、同じ日に会った人……ドクターって呼んでたんだけど、その人が」

 

「その人に、もう会えないんだなって」

 この空を、見せたかった。今年はもう散ってしまったけど、一緒に桜を見たかった。マシュやダ・ヴィンチちゃんも一緒にブルーシートの上でお弁当を食べたい。夜空を見上げて星座を探したり、焼き芋とかやってみたかった。ロマニ・アーキマンは走り続けてきたから、少し立ち止まって欲しかった。働きづめ、徹夜明けの彼と部屋いっぱいに敷き詰めた布団で昼寝したり。彼は十歳なのだから、かまくらの一つも作る権利があるだろう。

レフ・ライノールとロマニ・アーキマンは同じ日に消えた。もう二度と会えない。死んでしまったのですらない、どこかへ行ってしまった二人―――いや七十四人だろうか。一人かもしれない。魔術王ソロモンという一人の王の名で、彼ら全てを表すには足りてしまう。たった一人、あの場所で生まれ落ちた人の王の除いて。

 

 彼らはずっと同じ場所にいた。三千年の間、同じ空間、同じ時間にいた。冠位時間神殿、ソロモン。果ての果て、世界が焼き尽くされても残った陣地作成の極致。戴冠の時来たれり、其は全てを始めるもの(アルス・パウリナ)、それは世界を創った力の一端。

 そこでは時が止まっていた。ソロモン王が消え去る前は、過去も未来もその場所にはなかった。断絶されたその場所では花の魔術師でなければその空間を見通すことはできず、マーリンは妖精郷(アヴァロン)から出てこなかった。

 

「もし、もしも、だよ?自分しか会ったことのない人がいたら、それでその人が死んじゃったらどう……する?」

 たった一人その場所から帰還した少女は、自分だけは覚えていようと思ったのだった。他の誰も知らない男のことを。自分が殺した男のことを。けれど殺人の罪はただの少女には重すぎた。その時は生きるのに必死だった。新宿でも、バビロニアでも、そのほかのどんなところでも、自分が生き延びるためならと言い聞かせることは可能だった。その時は確かに平気だったはずだ。

 生きるために戦ってきた。だからあの場所で死ぬわけにはいかなかった。合理性を、全能性を捨てたあの「人間」との戦いを嘘にはしたくない。だから自分から死を選んではいけない。あれは人類最後のマスターだった自分が背負うべき瞬間で、忘れてはならない人だ。彼女は隣の少年にも聞こえない小さな声でそんなようなことを曖昧に呟いた。

 

「お墓とか……ないんだろうなあ。仏壇でも作る?」

「あの人ユダヤ教徒じゃないかなあ。そっか、お墓……お墓かあ。……いいのかな」

「それか、誰かに話すとか。俺じゃだめならマシュちゃんでも、いつかできたら子供でもいいし」

 

 十秒か、三十秒か、二分だったかもしれない。とにかく会話の中では長すぎる沈黙があった。いつの間にか吹奏楽部の音はやんでいて、野球部だかサッカー部だかが校庭で叫んでいる音と、防音のはずの音楽室の窓から聞こえるドラムの音が妙に耳についた。

 

「ねえ、わけわかんないと思うけど、それでも聞いてくれる?」

 少女は少年の方へ散々泣いた後のような顔を向けた。夕焼け色の瞳には涙の跡などなかったけれど。黒髪の少年は頷いてから、少し躊躇うように、分からないままにしておいてもいいかと訊ねた。

「うん。その方がわたしも気が楽かな。全部説明するのも疲れるから」

 

 ごめんね、と言う彼女の頭を少年が撫でる。何も悪いことはしてないだろう、と何も知らされない少年は言う。その言葉がどれだけの救いとどれだけの悲しみをもたらすのか彼は知るよしもない。

 

 少女の、脈絡のない言葉は確かにわけがわからなかった。

―――たぶん、誰かが殺してあげなきゃいけなかったんだ。終わりにしていいんだよって、誰も言ってくれなかったからあんなことになっちゃったんだと思う。

―――答えが出ちゃった式はもう使わないよね。必要のなくなった道具は捨てられちゃうよね。

―――人間なんて見捨てちゃえばよかったのに。頑張りすぎだよ、もう。

―――「我が運命」だってさ。プロポーズかっての。

―――誰もいないのは、さみしい、よ?

 

「マシュはさ、すごくいい子なんだよ。でも、生きるためにはきっと、そんなに立派じゃない方がよかった」

 自分の見た写真は遺影なのかと言いたげな、少年のぎょっとした面持ちを見て、少女は慌てて付け加えた。

「……あ、いや、生きてるよ?むしろ一年前からすれば信じられないくらい元気だよ?でもそれは、結果論なんだよね。こんなハッピーエンド、二度とありえない」

 マシュ・キリエライトはキャスパリーグの話をしなかったし、リスのような生き物の行動は少女の目から見ても変わったようには思えなかった。けれどなにかがあったはずだ。肉体の消滅を塗り替えてしまえるほどのなにかが。それは何度もできていいもののはずがない。聖杯を使っても叶えられない奇跡が叶うなど、二度もあるはずがないのだ。

 

「いい人ほど死んじゃうんだ。ドクターなんて、誰よりも頑張ってたのに」

 ドクター・ロマンーーーロマニ・アーキマンは平穏を知らない。焼却された世界を見てしまったのは、自身の誕生と同時だった。そこからがむしゃらに走って走って走り続けてーーーきれいさっぱり、消えてしまった。もう、部屋の内装すら残っていないだろう。そういう人間がいたのだという痕跡は、きっとすぐに風化してしまう。

 

「わたしは」

「わたし、は」

 今にも泣き出しそうなその少女は、ずっとこのことを誰かに言いたかった。言われても困るとわかっていても、誰かに聞いて欲しい。教会で祈るクリスチャンの気持ちがわかるような気がした。裁いてくれる存在がいるのは、それだけで救いに他ならない。少なくとも、罪を咎められないよりは、ずっと。

「わたしは、人殺しなの」

 

 それは誰も知らない。存在しない人間を殺したという、本人以外に責めるもののいない罪。神がいるなら死後に罰が下るのだろうか。ゲーティアとは獣の名であるのに、それは預言者の名を騙るものだったというのに、それを殺した罪を咎められるのか。

 いやそれ以前に神を信じる心など、第四特異点で「ソロモン」を見た瞬間に吹き飛んだ。誰も裁きなど下さないから、人間は戦うのだ。その結果がどれほどの罪悪感だったとしても、自己保存のためには抗うしかなかった。その果てにどんな屍山血河があったとしても、人類を救うためではなく自分が生きるために。

 

 ティアマトー、万象の母にしてビーストⅡ。ゲーティア、極点を目指した人の王、ビーストⅠが出した結果。どれだけ取り繕ってもカルデアは神殺しで、48番目のマスターは人殺しだった。

 

 けれどそれを誰も信じない。誰も知らない。廃棄孔の共犯者ですら知りえない。

 

 今、泣くまいとする少女の髪を撫でる少年もただ聞いているだけで、なんの話なのかすらわかってはいない。理解しうる、空白の一年を戦ったカルデアの第四の獣に対する勝利者たちには決して語られない。

 

 正当防衛だとどれほど自分に言い聞かせたところで、その心は晴れない。つまるところその少女は誰かに、指輪をはめた誰かに責め立ててほしいのだ。ついぞ生きるためには戦わなかったダビデの息子たちに。決して帰ってこない神の御遣いに。

 

 


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