婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝   作:大岡 ひじき

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6・友よ、流れる雲のように

「塾長、お風呂のお湯が出ないのですが。」

 虎丸の食事を届けに行き、戻った自室に突然生じていた重大問題を塾長に告げに行く。

 

「うむ。二号生が武術鍛錬中に、誤って水道管を一本破損したという報告が入っておるが、どうやらそれが貴様の部屋に繋がっている管だったようだな。

 修理は頼んであるから、明日には元通り使えるようになるだろう。」

 いやちょっと待って。

 

「困ります。

 その日の匂いが身体に残ると落ち着いて眠れませんので、次の日の業務に差し障ります。

 私は刺青持ちなので、たとえ外出許可が出たとしても公衆浴場には入れませんし。」

 飲み水や煮炊きに使う分は、他の部屋の水道から調達すればいい。

 洗濯や食器洗いは、1日くらい我慢できるだろう。

 だが風呂だけはほんと困る。

 入らない事は考えられないし、入浴に使う水をキッチンで沸かしていたら明日の朝になってしまう。

 私が訴えると塾長は少しの間考えてから、ニヤリと笑って言った。

 

「ふむ…わしは寮の大浴場を、塾生が使わん夜中に利用するのだが…貴様、今日はわしと一緒に入るか?」

「その案しかないようでしたらそうさせていただきます。」

 だって背に腹は変えられないし、塾長には既に裸は見られている。今更だ。

 だが塾長は、自分では私をからかったつもりだったのだろう。

 私が普通に了承した事に、ほんの一瞬驚いた表情を浮かべてから、次には苦笑混じりに言った。

 

「…湯は落とさずにおくから、わしの後にこっそり入るが良い。」

「御配慮感謝いたします。」

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

 …うん、今日はつっこまずにおくことにする。

 何だか勝ったような気がするし。

 

 ☆☆☆

 

 ちゃっぽん。

 高い天井から水滴が落ちる。

 広いお風呂って気持ちいい。

 浴槽で手足が伸ばせるなんて久しぶりだ。

「御前」の邸のお風呂も広かったから。

 そういえばあの獅狼に夜這いをかけられたのを撃退してしばらくの間、無防備な状態で1人になるのが怖くなり、頼み込んで『おとうと』と一緒に入っていたら、私だけでなく彼も怒られてしまって、あの時は本当に悪い事をした。

 その代わり世話係の女中さんが入浴中は警護に付いていてくれるようになったのだが、それはそれで窮屈だった。

 あーでも、ここのお風呂は確かに広いのだけれど、使う時は塾生が何人も一斉に入るんだっけ。

 そうなると逆に狭いかもしれない。

 お互いに何も身につけていない身体を晒し、無防備な状態を共有しあうのも、ある意味絆を深める事かもしれないけど。

 そう言えばこの前、私が部屋に押し込められていた謎の3時間についての真相がようやく判明した。

 松尾と田沢と極小路が何故か3人揃って酷い怪我をしてやって来て、その時に松尾が口を滑らせたのだが………………………うん。止そう。

 少なくとも私は彼らとは、そういう絆は深められそうにない。

 そこは高くそびえる男女の壁がある。

 

 ガラガラ…

 不意に入口の方から扉が開けられる音がした。

 湯気の向こうでよく見えないが、入ってきたのは身体の大きな人物のようだ。

 

「塾長?」

 忘れ物でもしたのだろうか。

 一応は腕で、胸を隠して呼びかける。

 ちょっと前まではそうでもなかったし、日中はサラシで抑えてかなり虐げられているにもかかわらず、ここ2、3ヶ月でやけに膨らんできたので、先端は覆えても膨らみ自体を完全には隠しきれないのだが。

 と、私の呼びかけに反応して、動きが止まった相手の姿が、湯気の間からはっきり見えた。

 え…塾長、じゃない。これは…。

 

「……………つる、ぎ?」

「光?」

 

 意図せずお互いに無防備な状態を晒しあった形で、私たちは暫し固まっていた。

 確かに少し羨ましいとさっきは思ったが、これは違う。

 

 ・・・

 

「…なあ、ひとまず背中を向けて話さないか?

 この状況だと、お互いに刺激が強すぎる。」

 という剣の提案で、私たちは腰まで湯に浸かりながら、お互いに背後に向けて話をしている。

 

「…あなた、こんな時間に何故ここに?」

「塾長が夜中に入ってるのは知ってたからな。

 時々その後にこっそり一人で入ってる。

 まさか今日に限って先客がいるとはな。」

「はあ…私はあなたという不安要素を、もっと警戒すべきでしたね。

 他の塾生ならこっそり始末して、失踪扱いにする事も出来るでしょうが、あなたに関してはそうもいかない。

 筆頭のあなたが突然消えたら大騒ぎになるでしょうから。」

 こんなことになったのも自室の風呂が使えないせいだ。

 明日は江戸川に八つ当たりをしよう。

 

「物騒な事を言うんだな。

 時間外に風呂に入っただけで殺されるんじゃ、命がいくつあっても足りやしないぜ。」

 どうやら論点を微妙に変えていく作戦のようだ。

 そうはいくか。

 

「絶対に知られてはいけない秘密を知られたら、そこは殺すか殺されるかしか無いでしょう。」

「そうは言っても、おまえが女だって事なら、少し前から判っていた事だしな。」

「!?」

 軽い口調で、剣がとんでもない事を言う。

 いけない。

 今、驚いて思わず振り返りそうになった。

 

「…いつから気付いていたんですか?」

「初めて会って、傷の手当てをしてくれた時に、なんとなく違和感を覚えて、御対面式の日に資料室で会った時に、そうじゃないかと思った。

 ダメ押しに、椿山に押し倒されて服、脱がされかけた時、おまえはまず最初に胸元を気にしてた。

 あれは男ならまずやらない仕草だからな。」

 …という事で椿山も八つ当たり要員決定。

 

「そうでしたか。

 ですが、何故今までそれを黙っていたんですか?」

 理由如何によっては、対処を考えなければならないだろう。

 

「飢えた狼の群れの中に、狼の皮を被せて羊を放り込むんだ。

 腕に覚えがあるとはいえ、自分の娘だろうがそうでなかろうが、そこまでの試練を課すには、塾長に何か考えが、或いは事情があると思ったからな。

 俺が口を挟む事じゃない。」

 …本心で言っているなら、下心ではないという事だ。

 

「なるほど。

 知った上で今まで黙っててくれたと言うなら、あなたにはお礼を言わなくてはいけませんね。

 …これから先の事も含めて。」

 そう、これから先についてはわからない。

 まずは一旦下手に出て、口止めを頼む事にする。

 そうして、調子に乗って私に手を出してきたら、その瞬間に共犯の関係が成立するのだ。

 私が女である事を晒せば、自分のした事も晒される。

 形として、秘密を盾に脅して関係を迫った(てい)になるのだから。

 

「礼なんざ要らないが、ひとつだけ頼む。

 ……桃、だ。」

「え?」

 …何を言われたか、一瞬判らなかった。

 

「桃。俺の事はこれからそう呼んでくれ。

 敬語も要らん。」

 ああ、確かに他の一号生はそう呼んでいるな。

 見た目の印象の割に、随分可愛らしい仇名だと思っていた。

 まあ、本名が「桃太郎」なのだから、そのままといえばそうなのだが。

 しかし、何故?というか…。

 

「…それだけ、ですか?」

「なんだ、まだ敬語になってるぞ?」

「あ、それは…これが素の口調なので、すぐに直すのは無理かと。

 でもあの、剣。」

「桃。…ほら、呼んでみろって。」

 何故だろう。

 背中を向けているのに、あの余裕の微笑みが見えるようだ。

 

「………桃。」

 少し戸惑いながらも、呼んでみる。

 

「それでいい。

 …光、おまえは椿山に言ったな。

 ここは男が強さを学ぶ場所だと。

 強くなる為、強くある為に、仲間と絆を深めろと。

 どんな事情があるかは知らん。

 だがここで男として暮らしているなら、おまえも俺たちの仲間だ。

 いつもおまえに頼っている俺たちだが、だからこそ、おまえも必要なら俺たちに頼って欲しい。

 心配すんな。

 おまえに頼られて嫌な顔する奴なんか居やしないさ。

 …まずは、俺を信じろ。

 おまえが困るような事は、絶対にしやしない。

 約束する。」

 彼の言葉に、さっきまでの自身の考えを反省する。

 というより男の汚い部分ばかり見てきた己の心の汚さそのものを恥じる。

 私の方が年上なのに、この男の完成度の高さはなんだ。

 

「……はい。ありがとう、桃。」

 …どうして胸がこんなに痛むんだろう。

 人間としての格の違いを見せつけられたからか。

 しかしそもそも、私は人間ではない、飼い犬だ。

 否、今は飼い主にすら捨てられた野良犬でしかない。

 嫉妬や羨望など、感じる事さえ間違っている。

 

「…それにしても。

 おまえが女だって事に驚きはしなかったが、正直その刺青の方に驚いた。」

 私が思わず黙り込んだ事をどう解釈したか、桃は軽い口調に戻り、話題を変えてきた。

 が、それも私にとっては、私の穢れの象徴だ。

 

「自分で望んで入れたわけじゃありません。

 愉快な話ではないので今は語りたくありませんが。」

 だけど、この男にはいつか、話さねばならない日が来る。

 そんな気がする。

 と、そこまで思ったところで、不意にある事に気付いた。

 先ほどから湯に浸かりっ放しであるのも加わって、覚えず顔が熱くなる。

 

「…って、え?ひょっとして、つ…桃!

 あなた今、こっち向いてるんですか!?」

 自分から、背中向けようって言ったくせに!

 いや私だって見たくないけど!

 その厚い胸板とか、締まったウエストとか、割れた腹筋とか、とにかく彫刻みたいに全体的なバランスの取れた、男として非の打ち所がないほどに美しい筋肉とか……ええくそ腹の立つ!!

 さっきチラッと見ただけだけど、貶すところがまったく見つからないじゃないか!!

 

「おっと、悪い悪い。

 じゃあ、俺は先に上がらせてもらうぜ。

 また明日、な。」

 背後の水音とともに、大きな気配が遠ざかる。

 私はしばらくそのまま固まっていたが、脱衣所の方からも気配が消えた事を確認して、ほうっと息を吐いた。

 少しのぼせたかもしれない。私も上がろう。

 …あれ?

 

「あの子、身体洗えてないよね…?」

 確実に私のせいだ。申し訳ない事をした。

 

 ・・・

 

「フフフ、どうやら味方ができたようだな。

 結構。」

 服を身につけて、髪をタオルで拭きながら、大浴場の裏口を出ると、そこに塾長が腕組みしながら立っていた。

 

「…剣が来る事知っていたんですね。

 どうやら私も彼も、あなたの掌の上で踊らされていましたか。」

「実際に来るかどうかはまあ、賭けのようなものだったが。

 あやつは周囲に影響力のある男よ。

 充分に貴様の助けになろうて。」

 味方なら、塾長が後ろにいるだけで充分助けになっているのに。

 それだって私には、身に余る事なのに。

 

「…どうしてですか?」

「ん?」

「私がどんな女か、あなたは御存知でしょう。

 …どうしてそんなによくしてくれるんですか?

 あなただけじゃなく幸さんや、教官も塾生も、どうしてみんな、優しいんですか?

 私にはそれを受ける資格なんかないというのに。」

 何故か判らないが、心が騒つく。

 優しくされると、逃げ出したくなると同時に、そこに身を埋めたくなる。

 結局身の置き場がわからなくなる。

 

「ふむ…なんの資格かは知らぬが、それは貴様が決めることではないぞ、光。」

「え?」

「己を評価するのは常に他人ということよ。

 己を卑下する事は、即ち他人を貶める事、ゆめゆめ忘れるでない。」

 塾長はそう言って手を伸ばすと、まだ湿っている私の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

 …私はこうされるのが好きだが、今はやめて欲しい。

 その胸にすがりついて甘えたくなる。

 私が黙っていると、塾長は口元に笑みを浮かべ、言葉を続けた。

 

「フッ。今は分からずとも、心にだけ留めておけばよい。

 いずれ貴様にも腑に落ちる日が来ようぞ。

 …わしが男塾塾長江田島平八であ…ックション!」

 …うん、つっこむのはやめておこう。

 

 ☆☆☆

 

「押忍。おはよう光。」

「おはようございます……桃。」

 いつもとまったく変わらない調子で、執務室を訪ねてきた桃に、私は挨拶を返す。

 若干気まずい。

 

「よくできました。

 ところで、今日はちゃんと授業に出るから、コーヒー飲ませてくれ。」

 これは脅迫だろうか。

 いや、違う。多分だが違う。

 そんな風に考えてしまう私の心が汚れているだけだ。

 

「私の執務室は喫茶店じゃないんですが。」

「フフ、光のコーヒーは喫茶店より美味いぜ。」

「この前は飲む前に寝ちゃったくせに何言ってるんですか。」

「そうだけど、起きてからちゃんと飲んだだろ。」

「冷めちゃってたじゃないですか。

 あんなものは、ちゃんとコーヒーを飲んだとは言えません。」

 美味しいコーヒーの淹れ方は、「御前」の邸にいた時に女中さんから習った。

 でもやっぱりどんなに美味しいコーヒーを淹れても、冷めたものや温め直したものはどうしても味が落ちる。

 どうせ褒めてくれるなら、一番いい状態で褒めて欲しいものだ。

 会話しながらケトルを火にかけ、ドリッパーにペーパーフィルターをセットしてサーバーに乗せる。

 コーヒーの粉を棚から取ろうと、振り返ろうとして何かにぶつかった。

 目の前に突然現れた黒い壁を見上げると、謎に微笑む桃の顔があった。

 

「…ちょ、距離が近い!もっと離れてください!」

 いくら私が小さくたって、狭い距離でちょこまか動けるわけじゃない。

 

「なんだ、照れてるのか?

 一緒に風呂にも入った仲だろう?」

「それ以上言ったら殺……あれ?」

 反射的に物騒な台詞を吐きそうになった時、ふと気づく。

 

「ん?」

「…こんなに近づいたのは、最初に会った時以来ですけど、あの時は気付きませんでした。」

 言いながら、桃の胸元に手をかざす。

 

「…なんの話だ?」

「あなたも、『氣』を扱うんですね?

 塾長ほどのものは感じませんけれど、身体の大きさ以上の総量を有しているのがわかります!

 …やはり只者ではありませんか。触れても?」

 彼は、私が『氣』で人を殺せる事に、うすうす気付いているはずだ。

 だから、安心させる為に了承を取る。

 

「あ…ああ、構わない。」

 少し戸惑った様子で、桃が頷いた。

 私は掌を、桃の厚い胸に当てる。

 

「失礼いたします。…信じられない。

 ここまで洗練されているのに、なんて穏やかな『氣』…!」

 恐らくすぐに気付けなかったのは、彼の持つ『氣』に威圧感を全く感じないせいだ。

 それどころか、実際にやってみた事はないが、ぽかぽか陽気の草原に寝転んで、流れる雲を眺めているような気になる。

 なんだか離れたくなくて、その大きく固い胸板に、頬を寄せ、目を閉じた。

 

「……っ?」

 少しだけ桃が身じろいだ気がしたが、私はそれに構わなかった。

 

「眠ってしまいそう…こんなに心地いい『氣』に、触れたのは初めてです…!」

 ため息混じりに呟くと、頭の上から、深く落ち着いた声音が降ってきた。

 

「…それはどうも。

 でも、そろそろ離れた方が良くないか?」

「え?」

 あ、ひょっとして不快だっただろうか…?

 

「押忍!光さん!何かお手伝い……!!?」

 と、執務室の扉が開けられ、そこに椿山の姿があった。

 いつも思うがここにはノックの習慣というものは存在しないのだろうか。

 

「お疲れ様です、椿山。………椿山?」

 桃の胸から渋々顔を上げると、椿山がドアのそばで固まっていた。

 ん?どうかした?

 

「ま、まさかそんな。桃と、光さんが…!?」

「は?……あ!!」

 今の自分の状況に、ようやく気付いてハッとして、慌てて桃の身体から身を離す。

 ふたりきりの部屋で、対外的には、男同士で抱き合っていたのだ。

 はたから見ると異様な光景だ。

 

「うっ、うわあぁぁぁああ!!!!」

 椿山が叫び、執務室から駆け出す。

 

「ちょ、待ちなさい椿山!

 とりあえず廊下は走っちゃ駄目です!」

「いやそこじゃないだろう、問題は…。」

 動揺して思わずズレたコメントを発した私に、桃が冷静につっこんでくる。

 

「わかってます!剣!

 あなたからも何か言ってください!」

「…ん?今、なんて呼んだ?」

 私の言葉に反応した、桃の顔がまた近くなった。

 

「え……その、も、桃。」

「よくできました。」

 あああああ、もう!この美丈夫本当に腹立つ!!

 私は心の中で地団駄を踏んだ。

 もう完全に、後で江戸川に八つ当たりすることに決めた。


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