婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜 作:大岡 ひじき
恐らくは追い討ちをかけられぬようにとの配慮なのだろう。
先の戦いに勝利を収めた虎丸に陣へ戻るよう促した後、翔霍は像の上に立つ2人を睨みつけていた。
『金で雇われただけのプロの助っ人』と自分で言った割に、温情を隠しきれていない。
「不思議な男だ…。」
俺が心で思ったことを読んだように伊達が呟く。
だが未だ覆面の下の素顔は隠されたままだが、その熱い魂とともに、今度こそその正体も、それを隠す理由も明かしてくれるだろうという確信が今はあった。
俺の考えが正しければ、やはり、彼は…!
「さあ、俺の相手はどっちだ。
なんなら2人一緒でも構わん……!!」
と、虎丸が縄ばしごを渡り終えて戻ってきたのを確認して、翔霍は男たちに声をかける。
残った2人のうち1人が、そこから飛び降りると同時に翔霍に手刀を放ち、翔霍はそれを迎え撃った。
双方、相手に触れられぬまま交差した2人は、互いに間合いを取る。
「俺の名は
その思い上がった口は、永遠に閉ざされる事になる!!
…だが、少しは使えるようだ。」
どうやら次は翔霍と、このフビライカーンという男との戦いとなるようだ。
あの翔霍の隙のない身のこなしを見て『少し』と言えるあの男、言葉通りの達人か、それともそれこそ思い上がりなのか。
「見事、受けてみせるか!!」
そう言ってフビライカーンが片手を上げて、何か合図をしたと同時に、闘場の地面に地割れが走る。
一瞬バランスを崩しかけた翔霍が飛び退き、それと共にフビライカーンの足元がせり上がった。
「これぞ究極決闘法・
地面の下から出てきた、奴が立っているそれは、巨大な台座のついたガラス球のような、どうやら水槽であるらしい。
「既に察しはついているだろう…ここからは水中での闘いだ!!
空気孔は天井にただ一箇所のみ…闘いの最中は、ここで息をつぐしかない。」
それは奴の足元に四角く空いた、それほど大きいとは言えない穴だった。
フビライカーンはその狭い穴から、やや身体を縮めるようにして、丸い水槽へと飛び込む。
「さあ、どうする!?」
それは闘いの舞台への
受ければまたも相手のフィールドに、文字通り飛び込んでいく事になる。
古今東西、武道家同士がその雌雄を決すべく行なう決闘法は数あるが、中でもモンゴルに伝わる
後に硝子工芸の発達によりガラス球が使用されたが、当初は7メートル四方の木槽に水を一杯に満たし、その中でどちらかが死ぬまで闘った。
水中では当然、闘う時間は限定され、しかも水の抵抗により、動作に通常の3倍もの体力を消耗する為、その苦しさは想像を絶した。
ちなみにこの決闘で負けた者を、モンゴル語で『ドザイ・モーン』(水死の意)と言い、日本で溺死体を『土左衛門』と呼ぶのはこれが語源である。
「バカタレが──っ!!
金魚じゃあるめえし、誰が好き好んでそんな勝負するかってんだ───っ!」
富樫とともに、戻ってきて早々に着替えを終えた虎丸が、『そんな口車に乗るな』と翔霍に声をかける。が。
「フッ…おもしろい。受けたぞ、この勝負!!」
翔霍は軽々と跳躍すると、ガラスの水槽の上に飛び乗る。
そしてフビライカーンが入ったのと同じ穴から、水中へと身を躍らせた。
☆☆☆
「見せてやろう、
フビライカーンと名乗ったその男が用意した水中戦の舞台に飛び込みながら、何故か一昨日まで一緒に行動していた女の顔が、一瞬だけ脳裏に浮かぶ。
『…みすみす、相手のステージに踏み込むってのも、戦略としてはどうかと思うのですが』
『俺も以前はそう思っていたが、敢えて相手のステージで戦って完膚なきまでに勝つというのも、逆に爽快なものでな』
2人で影から仲間たちのサポートをしていた間、光とそんな会話をしたのは、確か
俺の答えに、どこか呆れたような表情を浮かべていた彼女が、先程ようやくたどり着いた簡易休憩所の中に一人で休ませられていた男爵ディーノの話から、ここに居ない事は知っている。
俺の姿を見て負傷をおして跪こうとした彼奴を制し、『拙者がディーノ殿より詳しく話を伺い申す。後から参りますゆえ影慶殿は先に闘場へ』と雷電に言われてここに来たが、俺としては男爵ディーノを責める気など毛頭なかった。
あの時…梁山泊戦の後、重傷者をこっそり手当てしに行って戻ってきた光が、『二手に分かれよう』と提案した時、何か思いつめた表情をしていた事には気がついていた。
それでもあいつを止める事ができなかったのは俺の力不足のせいだ。
…それほど長くもない時間の中、行動を共にして判った。
あいつは己が手にかけた命に、全く罪の意識を感じていないわけではなかったという事。
むしろその罪の意識ゆえに、この闘いに飛び込んだという事。
共に行動して最初の日、俺に向かってきた黒蓮珠の副頭を躊躇いなく手にかけておきながら、直後に泣きそうな顔をしたのを、柄にもなく抱き寄せて宥めた。
それから手を携え言葉を交わして、最後の日にまだ息のあった梁山泊の首領のひとりを、あいつが自ら進んで命を救った時に、その冷え切った心に、僅かな灯りを、俺が点す事が出来たのだと自惚れた。
…今ならば、それでもまだあいつには足りなかったのだと判る。
いやむしろ、中途半端に温かい感情を呼び起こした事が、この事態に繋がったともいえよう。
あいつは…これ以上仲間たちが傷ついていくのを、ただ見ている事に耐え切れなくなったのだ。
だが、まさか一足飛びに大将首を狙いにいくなど思いもよらなかったが。
……起きてしまった事態はもう仕方がない。
今は、目の前の闘いに没入しよう。
男塾死天王の将ではない、3年前に邪鬼様と出会う以前の、ただ一介の闘士として。
「闘いの前にひとつ言っておく。
俺を相手に、生きてこの
考え直すなら今のうちだ!!」
飛び込んだガラスの水槽の中で対峙したフビライカーンは、そう言って俺の闘いの意志を再確認してきた。
「ならば俺も言っておく。
この毒手にかかれば、たとえカスリ傷であっても、たちまちあの世へ直行する事になると!!」
右手に隙間なく巻いた、サラシを裂いた包帯を外しながら、俺は完全な戦闘態勢に入る。
「笑わせるな、毒手だと……そんなものが、この俺に通用すると思うか──っ!!」
言うやフビライカーンが水中を、螺旋を描いて飛ぶように泳ぐ。
一瞬その動きに翻弄された次の瞬間、水中とは思えないほどの威力で回し蹴りが放たれ、その脚に向けて俺が放った手刀は、易々と躱された。
「無駄だ、いくら手数を出そうが、そんな緩慢な拳ではカスリもしない!!
水の中では地上での力の、一割も発揮できなくなる!!」
確かに水中で動けば、当然身体に水の抵抗がかかる。
曲線的な奴の動きは、その抵抗を散らす為だろう。
だがそれにしても、奴の動きは速すぎる。
「この俺は違う!!
水中にあっても陸と同様の動き!
それが
ここは奴に有利な舞台であると同時に、思った以上に俺に不利な舞台でもあったのだ。
俺が体勢を整えなおす前に、再びフビライカーンの蹴りが、俺の身体を水槽の壁に叩きつける。
……またも一瞬『だから言ったでしょう』とでも言いたげな、光の呆れ顔の幻が見えた気がした。
俺とてまったくなんの考えもなしに飛び込んだ訳ではないのだからそんな顔をするな。
…と、これはあくまで俺の想像の中の光だった。
何を言い訳する必要があるのだと思い直し、慌ててそれを振り払う。
「驚くのはまだ早い。
この程度のことは、体を慣らすための基本運動に過ぎん…見るがいい!」
そう言ってフビライカーンがどこからか取り出したのは、2本の剣だった。
いや…剣、にしては、妙な角度に反りの入った、変わった形をしている。
フビライカーンはそれを両手に握った状態で、猛スピードで身体を回転させた。
「なっ!!」
「
回転しながらこちらに向かってくるその動きは、まさに船のスクリューのようだった。
ただ泳ぎ回るだけでもこの男のスピードは常軌を逸していたものを、その回転により更に凄まじいスピードでの水中移動を可能にしている。
更に、避け切れなかった回転する刃が俺の腕を切り裂き、こちらから攻撃に転じようとする間にもう間合いの外へと逃れて、再び同じように向かってくるのを、辛うじて避けた。
……そろそろ、無呼吸での活動も限界だ。
だが、それは奴にとっても同じ筈…!
「フッ、貴様は俺が息継ぎをする為に上昇した時、出来る筈の隙を狙っているのだろう。
これだけの動きをすれば当然、自分より早く息が苦しくなると予想してな。
だが、それは大きな間違いよ。
俺は想像を絶する修練により、十分間は息継ぎなしで、この攻撃を続けることが出来る!!」
……読まれていた。しかも十分とは。
さすがに、俺ではそこまでを耐える事は不可能。
それどころか今は一刻も早く呼吸をせねば、そのうち動くことも出来なくなる。
だが、その唯一の空気孔の前に奴は待ち構えて、いつでも次の攻撃に移れる態勢だ。
ならば、残された術はひとつ…!!
首から提げ服の下に入れていた革袋を引き出して、その中身を周囲の水に撒き散らせば、たちまち水が黒く変色する。
それは水槽全体に広がり、俺の姿を覆い隠した。
「ぬううっ、これは黒染料!!」
「敵がしつらえた未知の決闘法に、なんの策もなく飛び込むほど愚かではない。
これくらいの用意はしてきた。」
もっとも、正確にはこの覆面を着用するにあたり、サラシを染めるのと目の周りに塗る為に、この島で採取した泥炭だが。
まあ目の周囲に塗りつけたものは、既にこの水槽に飛び込んだ時に落ちてしまっていようが。
…だが一昨日この姿で戦った際には、気分が幾らか高揚していて気にならなかったが、後で冷静になって思い返すとやらかした感が半端なく、今は流れでこの格好をしてきてはいるものの、そろそろ潮時だと思っている。
「フッ。だが所詮悪あがきに過ぎん。
貴様はいくら身を隠そうとも、この空気孔に来ないわけにはいかぬ!!
ここを俺が押さえている限り、貴様に望みはないのだ!!」
……そう。本来なら奴はそこで、俺が溺れ死ぬのを待てばいいだけだったのだ。
俺はその時点で限界は超えていたのだから。
だが、奴はそこで勝負を焦った。
だから、俺の仕掛けにまんまと引っかかったのだろう。
「見つけたぞ!!
確かにあの位置から、気泡の漏れる音がした。」
フビライカーンは鮮やかな泳ぎでその場所へ移動すると、寸分違わぬ箇所へ剣を撃ち込む。
「もらった──っ!!」
だが次には、明らかな手応えの違いに気付いて、引いた剣の先には、俺の仕掛けが突き刺さっている。
即ち、俺の肺に残る最後の息を吹き込んだ、先ほどの染料を入れていた革袋。
そして、俺は……、
「フフッ…空気がこんなにうまいものだとは知らなかった。」
たどり着いた水槽の天井の穴から顔を出して、目一杯肺に空気を吸い込むと、薄らぎかけていた意識がはっきりするのが判った。
「き、貴様!よくもこのフビライカーンに、こんな子供だましを!!
今度こそ刻み殺してやる──っ!!」
逆上して、また先ほどの技を仕掛けて来ようとするフビライカーンに向けて、覆面に使用したサラシを解いて巻きつけ、その動きを止める。
「貴様の負けだ、フビライカーン!!」
どうやら底の方に濾過装置が付いているらしく、少しずつ晴れてきた視界に、薄っすら見えてきた姿の、その胸元に、俺は毒手の手刀を叩き込んだ。
「ば…馬鹿な。
この俺が、
「わからぬか……。
貴様はその、自分自身の驕りに負けたのだ…!!」
受けた傷に加え、徐々に浸透していく毒の効果で、力を失い沈んでいくフビライカーンを振り返ることをせず、俺は水槽から己が身体を引き上げた。
☆☆☆
「影慶──っ!!
やっぱり影慶だったんだ──っ!」
「どうりで強いはずだぜ!!」
突然黒く濁った水の中で何が起きていたかわからないまま、そこから上がってきた男を見て、富樫や虎丸が嬉しげに叫ぶ。
先ほどまで顔の上半分を覆っていた覆面はそこにはなく、晒された素顔は、思い描いていた通りの顔だった。
やはり皆が思っていた通り、翔霍とは男塾死天王の将・影慶の仮の姿だったのだ。
生きていたのに何故正体を隠していたのか……いや、隠しきれてはいなかったがそれはさておいて、今度こそ話してくれるだろう。
だから、彼が自陣に戻ってくるのを、俺たちは待った。