婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜 作:大岡 ひじき
「二号生筆頭・赤石剛次の無期停学を解く事とする。
その為の手続きと準備をせよ。」
ある日の正午、お弁当を持って塾長室に行ったら、塾長が何故か頭をごしごしタオルで拭きながら、私に向かってこう言った。
先日の一号生・二号生合同レクリエーションの夜間遠足の後、熱を出したという江戸川(発症2日めに丸山から連絡を受け、鬼の霍乱!?と思ったら、全身数カ所に打撲痕と、何かはわからないが割と大きな獣の咬傷があり、その咬傷が膿んで発熱していた。何故すぐに私のところに来なかったのかと叱ると、何故かぶるぶる震え出した。確かにこの間八つ当たりで痛い目にあわせたけど、命に別状ないようちゃんと加減したんだから、そんなに怖がらなくてもいいのに)にしばらく付き添っていた為、その間にどういう経緯があったものか私にはわからないが、恐らく午前中に何かあったのは間違いない。
そういえばその日、江戸川の看病からようやく執務室に戻った際(この期間、虎丸の食事係は教官にお願いしていた。暴れたら二度と私が来ないと脅したら大人しくしたらしいけど、飯が不味いとずっとぼやいていたそうだ)、ドアの前で富樫に声をかけられ、桃が来ていないかと訊ねられたが、何か関係があるのだろうか。
あの子、また何かしたの?
それはそれとして、二号生筆頭というと、例の3年前の一号生大量傷害事件の加害者の筈。
そんなの呼び戻して大丈夫なのだろうか。
まあ事務員でしかない私の目にも、本来なら上の者には逆らえない筈のこの男塾におけるパワーバランスが、逆転してきているのがわかるので、二号生のテコ入れをはかるための処置であろうけど。
ていうか3年間も停学食らってたやつが今更戻って来るかどうかすら怪しいけれど。
しかしまあそんなわけで今日、久しぶりに虎丸のところに顔を出した後、二号寮(二号生の寮は塾敷地内にあり、その為か管理人を置かず塾生が自分たちで管理するに任せている)に清掃を行う為に向かっていたら、ほぼ遅刻寸前のタイミングで、校門から松尾、田沢、極小路の3人が飛び込んできた……のだが。
「!?…あ、あなた方!
なんて格好で登校して来るんですか〜〜!!!!!」
下半身は指定の下着のみの姿の彼らを見て、私は思わず叫んでしまった。
一応花も恥じらう18手前の生娘には、いささか刺激が強すぎる。
いや、対外的には男だけど。
☆☆☆
そんな刺激的な朝の出来事は思考の外に追いやり、『赤石剛次』を入れる部屋の清掃を終えた私は、その報告の為に塾長室のドアをノックした。
私が埃と格闘している間、この部屋を使う事になる男は早くも一号生たちと小競り合いを起こしていたようで、一通りの被害の後、遂に筆頭の桃が立ち向かった(基本的に彼は仲間思いなんだと思う)時に塾長が割って入り、戦うなら金取って観客の前で戦えという提案をして、決戦は一週間後だという。
それらの事を私に、ここにたどり着くまでに会った塾生全員が、わざわざ呼び止めて教えてくれた。
おかげで本来なら10分もかからない距離を歩いてきたのに移動にトータルで40分近くかかったのは一応内緒にしておこうと思う。
「入るが良い。」「失礼いたします。」
挨拶をしてドアを開け、一礼する。
顔を上げると、塾長の机の真ん前に、平均的にデカブツ揃いの塾生の中でも(この場合江戸川は数に入れない事にする。彼を入れてしまうとそもそもの平均値がおかしくなるので)一際大きい、多分2メートル近くはあるだろう銀髪の男が立っていた。
この男が赤石剛次に違いない。
だがこの男、その大きさと銀髪だけでも充分目立つのに、体型のバランスがまた異様だった。
少なく見積もっても私の3本ぶん以上はあるであろう太い腕。
脚も、太ももの一番太い部分は私のウエストより太い。
腰回りも腰骨自体が大きいのであろう、私なら確実に2人は入れる。
幼少期から、当たり前に重い得物を扱ってきた事、容易に想像がつく体型だ。
それにこの男、強い。確実に。
桃も強い…のだろうが、恐らくは強さの方向性が違う。
戦ったらどっちが勝つかは、やってみなければわからないだろう。
そこまで一瞬にして考えたところで、『赤石剛次』が何故か、驚いたような顔で私を見ている事に気がついた。
「……橘っ!?」
「!?」
知らない名前で呼びかけられ、私が驚いて固まった瞬間、長い足がほんの二歩で距離を詰め、大きな左手が私の肩を掴んだ。
「いや…そんなわけがなかった。だが…。」
私の顔をじっと見て、訳のわからない事を呟く『赤石』。
体格差がありすぎて、距離を詰められただけでも覆いかぶさるような形になり、とてつもない圧迫感に襲われる。
…瞬間的に理不尽な怒りが湧いて、私は自分の肩を掴んでいる赤石の左手首を自分の右手で掴むと、ごく微弱な『氣』を撃ち込んで、強制的に五指全部を開かせた。
これをやると数十分の間は物が握れなくなる上、肘までつったような痛みがそれ以上に続くが知ったことではない。
「…っ!?」
そうして赤石が一瞬驚いた隙に、私は詰められた距離を離し、塾長の側まで駆け寄った。
「てめえ…今、何をしやがった!?」
指が開いたままつっている左腕を押さえながら、赤石が私を睨みつける。
「いきなり人に摑みかかる不躾な手を、退けさせていただいただけですが。」
…まあしかし、摑みかかられた事よりも単にデカい事の方に腹を立てたのは事実だから、本当に時間いっぱい苦痛を持続させるのは自分でも若干酷い気がしてきた。
注意しながらもう一度歩み寄ると、今度は肘の方に指を触れ、同じ量の『氣』を撃ち込んで、解除する。
与えられた時と同じように痛みが突然消えた事に、赤石は再び驚いた表情を浮かべ、指を動かせる事を確認し始めた。
「二号生筆頭、赤石剛次。
部屋の清掃は済んでいます。これが鍵です。」
私は彼に話しかけながら、グーパーしてるパーのタイミングで、その手の中に部屋の鍵を、無造作に落とし込む。
「わかっているとは思いますが、寮建物内での抜刀は原則禁止です。
案内は要りませんね?それでは失礼します。」
私がやった事とはいえ、これ以上は関わりたくない。
一礼してから入ってきたドアの方に向かう。
一瞬チラッと見えた塾長の顔がニヤニヤ笑っていたが意味など気にしない事にしよう。
「待て!……てめえの名を聞かせろ。」
若干イラっとしつつ私は立ち止まると、もう一度振り返って赤石の目を見据えた。
そうだな。ここは塾長の威を借りることにしよう。
乱暴に扱われるのは御免こうむる。
「…江田島光と申します。
事務員と塾長秘書を務めさせていただいております。」
「……江田島だと?てめえは塾長の」
「いかにも、こやつはわしの息子。
何か不審な点でもあるか、赤石よ?」
赤石の問いに、私が答えるより先に塾長が答える。
赤石は塾長に向き直ると、フッと笑った。
「…息子、ですか。
自慢じゃありませんが、俺は目はいい方でしてね。
…こいつは女だ。違いますか。」
「………!?」
あまりにもあっさり言い切られて驚く。
桃も初対面で違和感は覚えたそうだが、確信に至ったのは後になってからだった筈だ。
「ほう。よく見破ったのう。」
「塾長!」
しかも塾長も、バレたらあっさり認めるし。
もう少し粘れや。
「そして大方、貴方の娘ですらないでしょう。
俺の知り合いに、こいつによく似た顔の男がいた。
そいつは、生き別れた双子の妹を探していた。
名前は、光。……偶然ですか?」
赤石に問われ、塾長は私と赤石を交互に見てから、私に向かって言った。
「ふむ…光?
この先の話、わしは聞かぬ方が良いかな?」
…この人は、いくら何でも私に甘すぎやしないだろうか。
ここに自身の子で通しているのは、知己を手にかけようとした犯罪者で、自分の事は何ひとつ話さない、得体の知れない女である事、忘れているわけではないだろうに。
「いえ、居ていただいた方が心強いです。
この人と二人きりにさせられるのは遠慮したいですし、そもそも私自身、そう言われてもまったく、なんの心当たりもありませんので。」
私がそう言うと、赤石は睨むように私を見た。
「…男の名は橘 薫。この名に聞き覚えは?」
たちばな、かおる。心の中で反芻する。
少し考えてから、私は答えた。
「ありません。…思い出せません。」
「思い出せない、だと?」
「はい。10か11くらいまでの事ならば、遡って思い出せますが、少なくともそれ以降の記憶の中にはない名前です。」
私の一番古い記憶は孤戮闘の中だ。
それ以降の事ならば、近い記憶故に鮮明に覚えている。
…正直その『たちばなかおる』という名前、聞いた瞬間少しだけ、心の奥に何か引っかかるものはあったが、記憶の糸を手繰り寄せても、何も引き寄せられては来なかった。
「…なるほど。その男の名、橘と申すか。
貴様も味わったであろう。
こやつが使うのは橘流氣操術という、古い治療術から発展した技でな。
本来橘の血族の者しか知り得ぬものよ。
こやつ自身が知らぬというのでそれ以上追求はせなんだが、身内と思われる者の名が橘なら、やはり最初に思うた通り、こやつが橘の末裔である可能性が濃くなったわ。」
塾長が勝手に何事か納得し、赤石が続ける。
「奴が、妹と別れたのは11歳半の頃だと言っていた。
重篤な病を抱えていて、その莫大な手術費用の為に、妹はどこかの金持ちに売られたと。」
売られた…もしそれが本当に私ならば、買ったのは、『御前』以外には考えられないのだが、そもそも自分がどういう経緯で『御前』の元に来たのか、そんな事は考えもしなかった。
「それはわしではないわい。
そんな金があるなら、この貧乏塾の経営にアタマを抱えてはおらん。
そもそもこやつを引き取ったのは今年に入ってからでな。」
「それを聞いて安心しました。
どうも、奴を殺したのがその金持ちの関係者のようなので。
仇をとってやると約束したので、そうであったなら、貴方に刃を向けねばならなくなる。」
私が考え込んでいる間にも、塾長と赤石の会話が続く。
そこにどうも、物騒な事実が入ってきた。
「殺された?その方は亡くなったのですか?」
「…直接の死因は心臓発作だ。
手術はしたものの完治はしなかったようで、すぐに死ぬ事はないまでも、強いショックを受けたり、激しい運動がそもそも出来ない身体だった。
妹の行方の手がかりが掴めそうだと、それを知る人間に会いに行くと言って…俺が遅れてそこに行った時、奴の首を何者かが締めてる最中だった。
寸でで阻止したが、奴の心臓が保たず、そのまま…。」
…彼は私を『買った』人間が、その人の死に何らかの形で関わっていると考えているようだが、聞いた限りで私が判断するに、『御前』配下の仕事にしてはあまりにもお粗末だ。
まあ、その『仕事』に失敗してここにいる私が言える事じゃないし、その人が亡くなった原因になってるのがどうも私らしい事を考えると、余計な事は言わない方がいい気がするが。
それにしても…私の、兄?
そう言われてもまったくピンと来ない。
「犯人は取り逃がしたが、橘の身元引受人である、奴の死んだ両親の顧問弁護士が、それ以来行方不明だ。
恐らく、何らかの事情を知ってやがるに違いない。
だがそれよりも、橘は妹の行方を追って殺された。
…奴が言うには、手がかりを知ってる男は、奴を人違いで『姉さん』と呼んだそうだ。」
どきん。心臓がいきなり跳ねる。
「!………その、橘という方は、私と似ていたのですね?」
考えられる事が、ひとつ。
私を『姉さん』と呼ぶ人間は1人しか居ない。
だけど、まさか、そんな。
「顔だけならそっくりだった。
髪は今のおまえより長かったし、タッパはさすがにもう少しあったがな。
…その顔は、心当たりがあるな?言え!」
赤石にとって、亡くなった人は友であったのだろう。
彼にしてみれば、その妹である筈の私が、犯人と思われる人物を庇っているように見えて、それが腹立たしいのはわかる。だが…。
「…申し上げられません。」
「何だと!?」
私にとっては知らない人であり、これから先会うこともない人なのだ。
その辺の意識の違いが、私と赤石の間に大きな隔たりを生んでいて、だけど現時点で少し頭に血が上っている彼に、そこを理解して貰えそうにない。
「赤石剛次。
あなたは大事な戦いを控えている身の筈です。
それまで身を休めていてください。
終わった頃には今の質問に、何らかの形で返答させていただきます。
…その時点であなたが生きていれば、ですけど。」
だから、その頭に上った血を利用するような形で、違う方向に挑発する。
「下らねえ事をほざくな。
この俺が、あんな一号のヤサ男に。」
「桃を…剣を舐めてかからない方がいいですよ。
私が見る限り、あの子は常に何か、切り札を隠し持っている。
それをそもそもあなた相手に出してくるかは、その時にならないとわかりませんけれど。」
桃のいつも浮かべている余裕の笑みが頭に浮かぶ。
『俺を信じろ』という声と、穏やかで心地いい『氣』を同時に思い出す。
それがこの荒ぶる、抜き身の刀みたいな男相手に、どう戦うのかわからないけど。
そもそも私はまだ、桃の戦うところをまともに見た事がない。
まあ、それはこの男にしても同様だ。
「チッ…いいだろう。
あの剣とかいうガキをぶった斬ったら、必ず聞かせてもらうぞ。忘れんな。」
抜き身の刀…うん、自分自身でいい表現をした。
まさにそれだ。
常に研ぎ澄まされ、ギラギラ光って、触れるもの全てを斬らんとする。
けれど、本当の名刀は鞘に納まっているものなのだ。
・・・
「フッ。おぬしもいい度胸をしておる。
おなごの身であの赤石を前にして、一歩も引かぬどころか、挑発までしてのけるとはな。」
赤石が退室した後、ほうっと息を吐いた私に、塾長がニヤニヤ笑いながら言う。
その笑い顔に向けて、私は先ほどから考えていた事を切り出した。
「…塾長。外出許可をいただけないでしょうか。
できれば7月2日、殺シアム開催の当日に。」
この日なら、事前に準備さえしておけば私の仕事は特にはあるまい。
「んー?」
「自身の、咎人としての身の上を忘れたわけではありません。
ありえない事を言っているのもわかっています。
…ですが、確かめたい事があるのです。」
自分が誰かなんて、考えた事はなかった。
考える必要もなかった。
けれど赤石の言葉が、私の心に波を立てた。
もっとも、確かめてしまえば、その波が収まるどころか、そこに沈んでしまうに違いない事も、よくわかっていたけれど。
それでもいつかは、決着をつけなければいけない事だ。
「それは、今の赤石の話に関わりのある事だな?
ならば許可は出せんな。」
そう言われると思った。
けど、一応礼儀として確認しただけで、反対されたなら勝手に行こうとも思っていた。だが、
「どこに何を確かめに行くかは敢えて聞かぬが、行くのならば、殺シアムの試合が終わった後日、赤石を伴って行くがよい。
それが筋というものだし、そうでなければ許可は出せん。」
意外にも、『その日以外』と『同行者あり』の条件であっさり許可が下りてしまった。あれ?
「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である!」
…桃に対しても思った事だが、この人の目も、一体どこまで見えているんだろう。
「抜き身の刀」のくだりは映画「椿三十郎」からのパクリ。
関係ないけど個人的にはあの話を「原作『日日平安』」とは言って欲しくない。