婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜   作:大岡 ひじき

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前の話の投稿の次の日、編集中の書き溜め話を間違えて一旦投稿するというポカをやりました。
すぐに削除しましたが、投稿から削除までの1分ほどの間に、ひょっとしたら読まれた方もいらっしゃるかと思われます。



…………………………忘れるんだ、いいね。



8・今があしたと出逢う時

「…貴様のその言葉、信じざるを得まい。

 この勝負、貴様を仕留めるにはまだ時間がかかるらしい。

 だがそれは、俺の性に合わぬこと…。

 受けてみるか、究極の決闘法を!!」

 豪毅はそう言うと、こちら側に向かって何か合図をした。

 

「姫!失礼いたします!!」

 ややあって奥の扉から、双子なのかってくらいそっくりな男たちが、何やらデカイ甕を抱えて控室に入ってきて、私に一声かけてから、同時に開いた鉄柵の下を潜り抜け、闘場へと走り抜けて行った。

 

「…姫様、私も一度失礼させていただきます。」

 更に、何かを察した清子さんがそう言って一礼し、控室を出ていく。

 双方を呆然と見送る私の前で鉄柵は再び閉じ、男たちは持ってきた甕を、それぞれ豪毅と桃の前に置いた。

 

「この匂いでわかるだろう。

 この壺は、瞬燃性の油で満たされている。」

 豪毅はそう言うと何故か、持っていた刀の峰の部分を歯で咥えた。

 それから空いた両手で重そうなその甕を、軽々と頭上まで持ち上げたかと思うと、躊躇う事なくその中身を頭からかぶる。

 

 ……もうこの時点でいやな予感しかしない。

 

 それなのに、甕を持っていった男は更に、何か箱のようなものを、豪毅の前に差し出しており、豪毅はその箱から、指先で中身を掬い取って、それを改めて手にした刀の刀身に塗り付けた。

 

「…松ヤニだ。これを刀身に塗り…着火する!!

 もう、説明の要はあるまい!!」

 最後に、恐らくはライターのようなもので火をつけた男が素早く豪毅から離れ、それと同時に豪毅の刀が、文字通り火を噴いていた。

 確かに説明は要らないが正気の判定は必要だ!

 さっき変なテンションで邪鬼様と闘ってた私が言う事じゃないけど!!

 

「わずかでもこの刀身の炎が体に触れれば、一瞬にして火ダルマ…助かる術はない!

 これぞ究極の決闘法、炎刀(えんとう)嗋油闘(きょうゆとう)……!!」

 そう言った豪毅の表情には、明らかな狂気が浮かんでいる。

 

「上等だ……受けてやるぜ、その勝負!!」

 …そしてお前も乗るんじゃない桃!

 だが私の心の叫びも虚しく、桃は豪毅と同じようにして頭から油を浴びると、やはり差し出された松ヤニを指で塗り、ライターを持つ男の手に、その刀を寄せた。

 その刀にもまた、豪毅のそれと同じように炎が点る。

 

「さあ、来るがいい!!」

「そうだ。それでいい……!!」

 いやまったく、全然よくねえわ。

 ……ただ、なんというかこの辺の流れ、そこはかとなく男塾名物臭がするというか、下手したらこの大武會から桃達が帰った後、教官がたが嬉々として授業に取り入れそうな気さえするのは、私の気のせいなんだろうか。

 そうこうしている間に、先の男達は残った油を周囲に撒いている。

 2人の、半径3メートル強ほどの周囲を囲うように、一通り油を撒き終えると、1人がそこに、火のついたマッチを投げ入れた。

 瞬間、炎が燃え広がり、火をつけた男達は、再び鉄柵を上げられたこちらに、急いで飛び込んでくる。

 

「姫!この後、御婦人の喉にここの空気は、若干お辛くなろうかと思います!

 ご案内いたしますので、安全な場所に避難を!!」

 そう言われて何故かひょいと抱き上げられ、それまでいた控室から運び出された私が連れて行かれたのは、よりにもよってロイヤルボックス席の、御前の隣だった。

 清子さんは先に来ており、どうやら私の席を整えてくれていたらしい。

 上質なクッションを敷かれた椅子に、ぽすんと置かれ座らされたと同時に、清子さんから飲み物を差し出され、受け取るとグラスの中で、チリンと氷が音を立てた。

 そういえば喉が渇いている。

 ストローに口をつけて吸うと、ほのかな白ぶどうの香りと甘い味、シュワシュワとした炭酸の口当たりが、心地良く口中と喉を抜けた。

 うん美味しい。

 さすがに私の世話をずっとしてきた彼女は、私の好みを熟知している。

 

「御苦労だった、光よ。

 貴様の夫となる男の闘い、ここでゆったりと見物しておるが良い。

 なかなかに見せてくれるぞ、わしの息子は。」

 私が落ち着いたところで、何故か妙に機嫌のいい笑顔で、御前が言葉をかけてきた…が。

 

「…それなのですが、御前。

 私がその件を最初に聞かされたのは、命を狙ってきた刺客の口からです。

 清子さんによれば藤堂家に来た時点で、私が次期当主の妻になる事が既に決まっていたとの話ですが、何故、当人である私にだけは知らされていなかったのですか?」

 なんとなく今でないと聞けない気がして、自分の中で気になっていたことを問いかける。

 

「……ん?言っていなかったか?」

 …だが御前から返ってきたのは、あんまりにもあんまりな答えだった。

 

「…聞いておりません。」

 思わず半目になりながら御前を見上げ、やっとのことでそれだけ口にすると、御前は些細なこととでも言うように、嫌な笑いを浮かべた。

 

「フフッ、ならば改めて命じるとしよう。光よ。

 この大武會が終わり次第、豪毅と夫婦(めおと)となり、奴の子を生め。」

 さも当然というように言って、闘場に視線を戻した御前は、もう私の方など見てもいなかった。

 

 ☆☆☆

 

「火の囲いを作り、土俵を小さくした。

 これでそう逃げ回る事も出来んというわけだ。」

 火を放たれた闘場の真ん中で、炎を纏った刀を振りかざして、先に仕掛けたのは豪毅だった。

 対する桃は防戦一方、やはり先ほどの技のダメージが効いているようだ。

 

「やはり貴様は、とうに限界を越えているな!!」

 まだ体力に余裕のある豪毅は、動きも冴えず息が上がっている桃に向けた刀を、横に薙ぐ。

 それを受け止めた桃の刀が、ガキンと嫌な音を立てて、半ばから刀身が折れ落ちた。

 

「フッ、これで勝負あった。完全にな!!」

 足元に落ちて、未だに炎を纏うその刀身を、豪毅は靴で踏みつける。

 無情にも炎は消えて、精も根も尽きた状態の今の桃は、頼みの氣の集中もままならない筈だ。

 

「往生際良く観念せい!!」

 己が勝利をもはや確信した豪毅が猛攻をかけ、それを身体能力だけで何とか躱している桃は、だがそれでもその目から、闘志を失ってはいなかった。

 掠めた刃先から身を躱し、屈めた体勢から、桃は何を思ったか折られた刃先を拾うと、そのまま転がって間合いを離す。

 それから素早く額のハチマキを解き、折れた刀をそれで繋げた。

 

「なんのつもりだ?それで闘えるとでも思っているのか!?」

 

 その状態で構えを取った桃を、豪毅が嗤う。だが。

 

「来い……!!」

 それでも構えを崩さない桃に、侮られたとでも感じたか、豪毅が刀を振りかぶった。

 その豪毅に向けて、桃は手にした刀を投げ放ち、それは回転しながら豪毅の方へと飛ぶ。

 

「その程度のことが読めぬとでも思ったか──っ!!」

 だが、どうやらその桃の行動は予想の範囲内であった。

 豪毅は、それを難なく屈んで避ける。

 体勢を崩すことなくすぐに立ち上がり、そのまま向かってくる豪毅に、桃は口角を笑みの形に上げた。

 

「…油の染み込んだハチマキで結んだ刀には、ある角度をつけておいた。

 俺に勝利の女神が微笑むなら、それは炎をともない再び帰ってくる!!」

「なっ!?」

 …おかしいとは思っていた。

 相手に当てるつもりで投げ放たれた刀が、回転を伴っていた事。

 手元が狂ったかと思いはしたが、それにしてはそれを投げた時の、桃の手の動きは確かなものだった。

 …答えはすぐに出た。

 周囲の炎の壁の中から、ブーメランのように回転しながら戻ってきた桃の刀は、そうなる為の角度をつけて結んだハチマキに炎を纏わせて、その炎が豪毅の肩を掠めた。

 

「うおおおお───っ!!」

 瞬燃性の油を全身に纏った豪毅の身体にハチマキの炎が燃え移り、豪毅の身体全体が、一瞬にして炎に包まれた。

 

「ご、豪毅──っ!!」

 さすがの御前が立ち上がり、防護柵の外まで身を乗り出す。

 私もまた、あげかけた悲鳴を押し戻すように自分の口を手で覆った。

 …だが、それも一瞬のことだった。

 

王虎寺(わんふうじ)秘奥義・ 暹氣(しんき)虎魂(ふうこん)!!」

 それは確かに必殺の奥義の筈だったが、全力で放たれたにしては威力の小さいものだった。

 明らかに先ほどまでより小さな青い虎は、豪毅に向かって襲いかかりはしたが、それは彼の身体を覆う炎を、まるで食うように取り込んで、豪毅の身体をすり抜けていった。

 

「ぐおっ!!」

 勿論、まったくのノーダメージとはいかなかっただろう。

 だが、炎に灼かれるよりはるかに少ないダメージで、技の衝撃にはじき飛ばされた豪毅は、一拍のちに自身に何が起きたのかを悟ると、信じられないものを見るような目で桃を見上げた。

 

「き、貴様……なんのマネだ、これは……!?」

「わからんか……火をつけた刀のブーメランが帰ってきたのは、一か八かの賭けに勝っただけのこと。

 それでは本当に貴様を倒したことにはならん!」

 その桃は、何故か戻ってきた刀から、ハチマキの燃え落ちなかった部分を回収したようで、既にそれを額に結び直している。

 折れた刀は足元に落ちており…いや待って!

 あなた武器よりハチマキが大事なの!?

 

「さあ、来るがいい!!

 貴様との真の決着をつけるのは、この拳だ!!」

 既に肉体は限界を越えていながら、やはり桃は桃だった。

 

「……馬鹿めが!後悔させてやるぜ!!」

 再び気迫を漲らせて、2人が間合いを取り合い、構えをとる。

 …どうでもいいが2人とも、穿いているズボンとかもうボロボロで、辛うじて腰のあたりは覆っているものの、そこから下は布が繋がってるのが奇跡ってくらい、太腿から膝からふくらはぎから、その下の脚があちこち露出していて、ここまでくるとむしろ穿いてないほうが潔いんじゃないかって気さえする。

 てゆーか桃は、そのズボンの裂け目から見える筋肉質な太腿に、間違いなく小脇差を添わせてるんだが、どうやら使う気はないらしい。

 というか、以前富樫にも注意した事がある気がするが、男塾(ココ)の男どもはズボンに武器を入れておくのが嗜みなのだろうか。

 だとしたら富樫には悪いことをした。

 

「……フフッ。どうやらあの剣とかいう男、役者が豪毅よりも一枚上手らしい。」

 ふと、隣で席に座り直した御前が、いつのまにかそばに来ていた側近の黒服さんに、何やら指示を出していた。

 ……いやな予感しかせず、御前の横顔を見つめていると、私の視線に気づいたものか、御前の顔がこちらを振り返る。

 

「…わしの可愛い一人息子じゃ。

 親のわしが、このまま指をくわえて見ているわけにはいかんからのう。」

 …絶対思ってもいないだろう言葉を紡ぐその口に絆創膏を貼り付けたいと、この瞬間ほど思ったことはない。

 

「…どうした?剣を使わないのか!?」

 自分と同じように、使えるはずの刀を取らずに拳の構えをとる豪毅に、桃が問いかける。

 

「なめるなっ!!貴様ごとき、素手で倒せぬこの俺だと思うか──っ!!」

 どうやら少し頭に血が上っているらしい豪毅の繰り出した拳には、確かに凄まじい気迫がこもっていた。

 だが、やはり違う。

 私は男塾で、桃に稽古をつけてもらっていた。

 それは彼の実力の一片にも満たない情報であったろうが、それでも私はその片鱗を、近くで見せてもらっていたのだ。

 だから、判る。

 こと、拳だけの勝負となれば、豪毅の実力は桃に及ばないと。

 桃は、豪毅の鋼のような拳を掻い潜ると、向かってくる勢いも利用して、豪毅の顔面に己の拳を入れた。

 続けて第二撃。更に第三撃。

 豪毅が体勢を整える前に、脚で第四撃までもがまともに入る。

 桃の拳は、基本は空手ベースで間違いない。

 そこに中国拳法のアレコレや体術なども混じり、それらを総合して桃にとって一番効率の良い形にまとまったのが今の桃の拳になってるんじゃないかと、私は勝手に思っている。

 考えてみれば、正式なボクシングのルールではなかったものの、彼はボクサーにすら拳で勝っているのだ。

 対して、豪毅は赤石ほどではないが、才能が剣技に偏っているタイプだ。

 もっとも、それが通常の人間で、桃みたいに能力値が全方位に高ポイントで振り分けられてる天才肌なんて、そうそう居るもんじゃない。

 強いて言うなら伊達はそれに近いタイプかもしれないが、ほぼ全方位に高ポイントを振り分けつつ、彼は槍術に特化している。

 桃に関して言えば、苦手なものはないと思っていいと思うけど、逆に一番得意なものがなんなのかが本当に判らない。

 …それはさておき。

 拳の勝負となってからは、完全に桃が優勢となり、豪毅が倒れるのは時間の問題と思われた。

 ……が、そろそろノックアウトというタイミングで、桃の動きが一瞬止まり、唐突にその身体がぐらついた。

 

「…フ、フフッ………!

 どうやら今までの疲労が、一気に来たようだな!」

 それにより体勢を立て直す余裕を与えられ、防戦一方だった豪毅が、そこから反撃を開始する。

 桃よりスピードはないが一撃が重そうな拳が、先ほどまでのお返しとばかりに、やはり顔面に叩き込まれた。

 続けて脚の第二撃。再び拳での第三撃。そして。

 

「蒼龍寺・千烈拳!!」

 目にも止まらぬ速さの拳の連打がほぼ全身に叩き込まれ、桃は弾き飛ばされ、地面に転がった。

 

「…フフッ。

 象を捕獲する為の麻酔銃をくらっては、立っていられただけでも不思議というもの。

 これで豪毅の勝利は不動のものよ!!」

「いや待てやハゲ」

「……なにか言ったか?」

「………何でもありません。」

 ああそうかつまりさっきの黒服さんへの指示はそういうことだったんだね!!

 …けど、これで勝ったと知ったときの、豪毅の心はどうなるんだろう。

 根っこは真っ直ぐな子だから、すごく嫌な気持ちになるのは間違いないと思う。

 もっとも御前にとっては、豪毅の感情がどうあろうと、頓着するに値しないのだろう。

 私同様、豪毅もまた、御前にとっては駒でしかないのだ。

 

「これで勝負はあった。」

 もう何度目かってくらい聞いたような気がするその台詞を口にしながら、豪毅が倒れた桃を見下ろす。

 

「とどめはこの太刀で、ひと思いに決めてやろう。

 それがここまで俺を苦しめた貴様への、せめてもの餞よ!!」

 言って、地面に刺していた自分の刀を抜き、その白刃を桃へと向けた。

 介錯、とでもいうところだろう。

 だが、桃はその豪毅を睨み返しながら、残る力を振り絞って立ち上がる。

 

「ま、負けん…俺は、男塾総代・剣桃太郎……!!

 ま、負けるわけにはいかんのだ…負けるわけにはいかんのだ───っ!!」

 振りかざしたのは、ただの拳。

 だがそこに、彼の残りの氣のみならず、その命、果ては全塾生の心すら乗せられている事に、豪毅は気がついたかどうか。

 

「死ねい──っ!!」

 真っ直ぐに向かってくる桃の、腹部に向けた切っ先は、ガキンと音を立てて何故か砕けた。

 そして……!!

 

「ぐわっ!!」

 全てを込めた最後の一撃、桃の渾身の拳が、豪毅の胸を貫いた。

 

 瞬間、闘技場(コロシアム)の時間が、止まった。

 

「な、何故だ…俺の剣は何故、折れた……!?」

 自らに起きた事が信じられないという表情で、豪毅が胸に突き刺さる桃の腕を掴む。

 

「これが…俺を救ってくれたのだ……!!」

 問われて答える義務はなかったろうが、桃は震える手で、腹に巻いたサラシの間から、なにかを摘んで引き出した。

 それは、八角形の形をした、金属のペンダントのようなものだった。

 

「先に闘った邪鬼先輩から授かった、男塾総代継承の証……俺は、全塾生の命と願いを背負って闘っていたのだ…!!」

 邪鬼様がそれを桃に渡した瞬間、彼は名実ともに男塾の頂点に立ったという事なのだろう。

 誇り高い帝王にそれを決心させたのに、先ほどの私との闘いも要因として含まれている気がするのは、些か自惚れすぎだろうか。

 と、一瞬悔しげに歪みかけた豪毅の表情に、再び驚愕が浮かぶ。

 

「ま、まさか、その銃創……お、親父の仕業か……!!」

 どうやら父親の所業に気付いてしまったらしい。

 すぐにその発想に至るあたり、彼もそもそもわかってはいるのだろう。

『藤堂兵衛ならやりかねない』と。

 

「ああ…ま、麻酔弾の類だろうな……。」

「そ、そんな状態で俺と戦っていたというのか……しかも、その事は一言も言わずに……!!」

 そう呟く豪毅の瞳が揺れる。

 短い時間のあいだに、憎しみと狂気が(おもて)から消え、冷たい瞳に熱と、どこか寂しさと孤独を湛えた色が蘇る。

 豪毅は、自身の胸を貫いている桃の拳を引き抜くと、私がよく知っている優しい笑みを浮かべ、その腕を勝利者を讃えるかたちで掲げた。

 

「負けたぜ……剣。

 この天挑五輪大武會…貴様等、男塾の優勝だ。

 悔いはない……き、貴様に負けたのなら……!!」

 豪毅はそう言って、その場に崩れ落ちる。

 場内アナウンスが、男塾の優勝を告げ、桃が腕を上げたまま、涙ぐんでいるのが見えた。

 

「よくも、わしの息子を……!!

 殺せ!奴等男塾……ひとりたりとも生かしては……む!?ま、待て!!」

 怒りに身を震わせた御前が、その表情に驚愕の色を乗せる。その瞬間……

 

「…姫様!?」

 私は、ロイヤルボックスを飛び出していた。

 

 ☆☆☆

 

 傍に倒れた、今の今まで死闘を繰り広げていた男の側に膝をつく。

 巻いていたサラシを一部解き、彼の傷口に巻いて止血をした。

 攻撃の際、ほんの僅かに急所を外したから、即死する事はなかった筈だ。

 その身体を抱え起こしてやると、藤堂豪毅の口から、微かな呻き声が聞こえた。

 運が良ければ、命は助かるだろう…。

 

「豪毅──っ!!」

 と、開けられたあちら側の鉄柵の内側から、小さな身体が飛び出して、こちらに向かって駆けてくる。

 その、涙でぐしゃぐしゃになった頬に、ほんの僅か、胸の奥に痛みを覚えた。

 

「豪くん、豪くんっ!」

 光は駆け寄ると、その男の傍に膝をつく。

 そして、その胸元に手を伸ばしてから、俺の顔を見上げ……涙に潤んだ瞳が、真っ直ぐに俺を捉えた。

 同じ泣き顔を腕の中に抱きしめたあの夜から、それほど経っていない筈なのに、随分久しぶりに絡んだ視線は、どこか、遠く見えた。

 

 ☆☆☆

 

 胸を拳で貫かれた…正確には拳に纏った氣が突き抜けた状態の豪毅の胸板には、既に男塾仕様の血止めが為され、恐らくは完璧な応急処置が施されている。

 あのまま置かれていればすぐに出血多量で豪毅は死んでいただろうが、すぐに止血されたこの状態ならば、最悪このままでも死ぬ事はない。

 桃が、豪毅を助けてくれた。

 直前まで、殺し合いをしていた筈の相手を。

 見上げた顔が、微かに微笑んだ気がした。

 だが視界が再び涙で曇り、それを確認できない。

 袖でぐっと拭って、五指に氣を集中させる。

 そうだ、今は豪毅の治療を優先させなくては。

 対応するツボに指を当てて、そこから氣の針を撃ち込む。

 傷口がみるみる塞がっていくのを確認して、増血の処置もしてから、傍に立ったまま見守っていた桃の顔を、もう一度見上げた。

 

「……桃。

 どうして、豪毅を助けてくれたんですか?

 あなた方にとっては、彼も藤堂兵衛も、同じ穴のムジナでしょう?」

「…光に、似ていたから、かな。」

「え?」

「…この男の狂気と憎しみに燃える目の奥に、たとえようもない哀しみと孤独が、闘いながら俺には見えていた。

 それは、光の中に俺が見たものと同じ色だった。

 光と闘っているようにすら、思えていたかもしれない。

 …だからだろう。俺は、この男を殺せなかった。」

 そう言って、私を見つめてくる桃の鳩尾に、氣の針を溜めた指を当てる。

 

「……!!」

 ほんの少し痛みがあったのだろうが、それまでの戦いに比べたら僅かなものだったに違いない。

 露出している部分から見える傷が塞がる。

 ついでに解毒も施しておいたので、今は多少ふらついているが、それもじきに治まる筈だ。

 その身の裡に満ちてきた氣は、相変わらず優しく穏やかで、うっかり縋りつきたくなるのを理性を総動員して耐え、指を離した。

 

「……あなたの温情に、感謝致します。

 今は姉の私から、この程度のことしかできませんが、いずれ本人からも御礼に向かわせますので、申し訳ありませんが、一旦失礼させていただきます。」

「光っ……!」

 タンカで運ばれていく豪毅の後を追いかける私は、背中から私を呼ぶ声に、敢えて振り返らなかった。

 

 ・・・

 

「勝負にも、そして男としても…すべてに於いて、俺の負けだ…。」

 運び込まれた部屋で目を開け、吐息とともに言葉を紡いだ豪毅が、微かに涙ぐんでいるのがわかった。

 

「…泣き虫ですね、豪くんは。

 こんなに大きくなったのに、そういうところは変わらないんだから。

 生きていれば、いずれまた挑めるでしょう。

 今度は、横槍の入らない条件下で。

 …だから、今は休んでください豪くん。

 目が覚めた時には、すっかり身体は元どおりに治っている筈です。」

「行くな…行かないでくれ、姉さん…!

 俺の、そばに……」

 …幼い頃と同じように、だがあの頃より遥かに大きな手が、私に向けて、伸ばされる。

 それを反射的に取ろうとして…だが、豪毅の綺麗な指先は、私のそれに軽く触れたのみで、止まった。

 

「…すまない。卑怯だったな。」

「えっ……?」

「こうして…弟の顔をして泣きついて、縋ってしまったら…光は、俺を拒めない。

 そんな事、一緒に暮らしていたあの頃にはもう、知っていた筈だというのに。」

 豪毅の言葉に、私は声を失う。

 

『おまえは高圧的に来る相手には強いだろうが、甘えてくる奴には案外、コロッと絆されるタイプだ。

 甘えて、縋って、場合によっては涙なんかも見せればおまえは簡単に心も身体も開く。』

 それは以前、伊達に指摘された事だ。

 

「…自覚はあったらしいな。

 だが、なぜ俺がそれを知っているのか、という顔だ。

 …判らぬ筈がないだろう。

 共に暮らしたのは2年ほどの間でしかないが、俺は一番近くで、ずっとおまえを見ていたのだから。

 初めて会った時から、ずっと好きだった。

 藤堂家の後継者の座などどうでもいい、ただ、光だけが、俺は欲しかった……!!」

「豪くん……。」

 その、血を吐くような告白に胸が痛んだ。

 思わずその手を取りかけたが、豪毅は私の手を避けると、首を横に振る。

 

「…それは、おまえの望みではあるまい。

 光。おまえは自由だ。

 今ようやく羽ばたく事を知った翼で、心のままに飛び立っていくがいい。」

「……ありがとう。ごめんなさい、豪くん。」

 そう、私は知ってしまった。

 もっと、もっと自由に羽ばたける事を。

 籠の中には、もう戻れない。

 その為に、今はやらなければならない事がある。

 

「…豪毅を、お願いします。」

 後ろに控えていた係員に一言声をかけ、私は立ち上がる。

 

 駆け出した脚が、空を飛ぶように軽く感じる。

 私が帰るのは、あの大空だ。

 流れる雲のように穏やかな、今別れたばかりの桃の氣が、それと重なった。

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