婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝   作:大岡 ひじき

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最初の分岐です。
決勝戦が桃の勝利で決着した後、光が治療した豪毅のもとにとどまった場合はこのルートになります。
ある意味、光らしいラスト。


分岐1 ・豪毅エンド
願いは、透明なままで


「行くな…行かないでくれ、姉さん…!

 俺の、そばに……」

 …幼い頃と同じように、だがあの頃より遥かに大きな手が、私に向けて、伸ばされる。

 その手が一瞬躊躇ったように見えたが、私は構わずそれを掴んで、握りしめた。

 …瞬間、その滑らかな感触に驚く。

 髪に触れられた時にも、意外に綺麗な指だと思っていたが、剣を握る男の手とは思えないほど柔らかなそれに、私は心の奥から愛おしさが溢れてくるのを止められなかった。

 間違いなく彼は、かつて私が教えたハンドケアを、今も続けているんだ。

 その手に繋がる逞しい腕、厚い胸、太い猪首、その上に乗る頭まで目をやると、戸惑ったような視線が私のそれと合い、その表情が幼かった頃と、重なった。

 

「……私の、豪くん。そばにいますよ。ずっと。」

 私がそう呟くと、豪毅はハッとした顔をして、それが徐々に、泣き笑いのような表情へと変化した。

 それがまた、愛おしさを加速させていく。

 

「眠って、豪くん。

 あなたが目覚めた時、一番最初におはようと言ってあげますから。」

 その手を握ったまま、額に唇を落とすと、豪毅はようやく安心したように目を閉じた。

 

 程なく、規則正しい寝息が聞こえてきて、精悍であるくせにまったくの無防備な寝顔を覗き込んで、思わず笑みが零れた。

 今わかった。私は彼を置いては行けない。

 愛おしいのは当たり前だ。

 この男のすべては私が作ったのだから。

 

 ☆☆☆

 

 天挑五輪大武會が終了し、御前が桃に討たれた後、私は男塾へは帰らなかった。

 代わりに豪毅が男塾へ、塾生として入ることとなり、私は藤堂家で留守を守るよう言いつかった。

 何せ、次期総帥として御披露目が済んでいるとはいえ豪毅はまだ若く、そして旧御前派の中には、彼の総帥としての能力を不安視する者も多かったのだ。

 その不穏分子が、彼の不在の間に事を起こさぬとも限らなかった為、『姉』の私が牽制する必要があった。

 豪毅としては、この期に及んで私を『姉』として藤堂家に置くのは不本意だったらしいが、『婚約者』よりも『姉』でいる方が、発言力が大きいのだから仕方がないだろう。

 彼が18歳になったらすぐに『妻』にしてもらうから、と言いくるめ含めて、自分から言いだしたくせに出発を渋る豪毅の背中を押して、男塾へ送り出した。

 その際、何故か『自分も男を磨きに行く』とゴバルスキーもそれについていき、私付きとして藤堂邸の勤務に戻された清子さんと、暫しの別れを惜しんでいた。

 

 また、御前が手がけていた裏の事業には、豪毅の知らないものも多く、そちらについては私の方が詳しいくらいだった。

 …次期総帥に任命したとはいえ、御前は、豪毅に私が見てきたような、汚い世界を見せるつもりはなかったのだろう。

 実の姪である私には向けられなかったものだが、血が繋がらないとはいえ息子に対する愛情は確かにあったようだ。

 

 …………………………。

 

 …てなことあのひとが思うわけなかった!

 ちょっとしんみりして一粒だけ流した涙を返せ!!

 

 御前の裏事業について、豪毅より詳しいとはいえ私もすべてを把握しているわけではなかった為、一先ず孤戮闘を行なっている組織から潰していこうと決めた。

 私のいた暗殺チームを足がかりにこちらでの調査を進め、それと同時に、男塾を卒業して事業に専念していた邪鬼様に連絡を取って、男爵ディーノを指名で借り受け、天挑五輪で謎の白衣に持ち帰られて以来行方不明の月光の行方も捜してもらっていたところ、棚からぼた餅方式で、なんと御前の生存が確認されたのだった。

 御前を救出、蘇生させたのは、御前が抱える裏組織のひとつ、『闇の牙』に所属する医師、エーベルシュタインという男だった。

 またその特徴を聞く限り、月光をお持ち帰りした白衣の男と同一人物である可能性が浮上した。

 

 それらの情報を豪毅に伝えようと、男塾に連絡をした時は事態は既に動いており、豪毅は桃達男塾の精鋭と共に、その『闇の牙』が運営する『七牙冥界闘(バトル・オブ・セブン・タスクス)』という闘いに乗り出していった後だった。

 連れ去られたという塾長の代理として塾に残っていた(ワン)先生に事の次第を説明すると、『あい判った。後は任せろ』と返事をして、それ以上私がこの件に介入しないようきつく言い渡された。

 

 …果たして藤堂家で一週間ほど待機していたら、事態の終息の連絡が来た。

 その闘いの最中に月光が戻り、逆にゴバルスキーが亡くなったという報が一旦入って、悲嘆にくれて何も手につかなくなった清子さんを慰めるのに手一杯でいたら、ゴバルスキーの死は誤報だったとの連絡が後日再び入って驚愕した。

 

「……姫様、申し訳ございませんが、1日お休みをいただきますわ!!」

 そう言って怒りの形相で飛び出していった清子さんが、その日どこに行っていたか私は知らない。

 だが帰ってきた時には何だかツヤツヤした顔をしており、

 

「ねえ姫様、信じられます!?

 あの人、3年間も洗わずに同じ下着を身につけていたらしいんですのよ!!

 ええ勿論、剥ぎ取って洗って差し上げました!

 真っ白にするのはすごく大変でしたわ!!

 ついでにお風呂にも放り込んで全身丸ごと洗って、心配させられた腹いせにあの人の頭から足先まで、何処を嗅いでも心安らぐフルーティフローラルの香りしかしないようにしてきましたの!!

 最低でも2日は狼達に、微妙な反応をされるといいのですわ!ホーッホホホホッ!!」

 と、なんだかえらく上機嫌な感じで報告された。

 あの、下着を剥ぎ取って洗濯してお風呂にも入れて……その一連の行動を行なったの、まさか塾敷地内じゃありませんよね?

 あれ、ゴバルスキーが他の塾生達からの『リア充滅べ』攻撃に晒されてる光景がありありと浮かんでくるんだけど、これ私にしか見えない幻覚(マボロシ)かな。

 

 …それはともかく、男塾に捕獲された御前が戻されて、強制的に隠居に入らされた事で、私の役目に御前の監視という項目が加わった。

 私は御前にある程度の自由を約束する代わりに、私を養子縁組するよう説得し、後日私は正式に『藤堂 光』となった。

 いずれ豪毅と結婚すればそうなるのだが、豪毅が戻ってくる前に彼の足場を固めておきたく、その為に藤堂の名を欲したわけだが、結果的にはそれは悪手だった。

 私の意図が豪毅に伝えられる途中で故意に捻じ曲げられ、豪毅的にはどうやら私を人質に取られた形になっており、私の知らないところで親子のみで話し合いがなされた結果、藤堂財閥の表の事業を全て豪毅に譲渡する代わりに、裏には目を瞑る約束を取り交わして、後日御前は彼に仕える一派と飼い猫と共に、邸から行方を眩ましてしまった。

 

 せめてもの幸いは孤戮闘を行なっていた組織は既に潰し、継続中のそれから救い出した孤児達を親元に返す、または支援施設に入れて生活の保証をする事ができた事くらいだ。

 そこからは他の組織についても、全く手がかりを掴む事が出来なくなり、個人的に使える資産も底をついて、私は御前の裏組織の調査を諦めざるを得なくなった。

(私も暗殺者時代に一応報酬が出ており、使う事がなかった為かなりの額が口座にあったのだが、暗殺の仕事を受けなくなってからは当然それが発生せず増える事がなかった為、調査やそれに伴う実費などをそこから出していたら、無くなるのはあっという間だった)

 塾長の長年の宿願を無駄にする事になってしまった己の過失を、とにかく詫びる為に男塾に久し振りに出向いたところ、塾長は割とあっさり、気にしなくていいと言ってくれた。

 

「天挑五輪で奴を討ったと思った時には感じなかった達成感を、奴の口から『悪かった』という言葉を引き出した瞬間に感じることができた。

 たとえ命惜しさから出た言葉であろうと、それはわしが、そしてあの日サマン島で命を落とした者達が、最も欲しかったものだ。

 あの瞬間に、わしらは復讐の輪から解き放たれたのだ。

 だから後のことは、わしら自身が追い追い考えてゆくでな。」

 そう言って私の頭を撫でる塾長に、うっかり溢れかけた涙を堪えて、頭を下げた。

 

「どうか、豪毅をよろしくお願いします。

 藤堂財閥だけでなく、この日本を負って立つひとりとして、恥ずかしくない男に育ててください。」

 塾長は微笑んで頷いてくれた。

 

 ところで。

 その時に初めて聞いたのだが、例の七牙冥界闘(バトル・オブ・セブン・タスクス)に於いて瀕死の重傷を負った赤石が、その時点で3ヶ月以上も昏睡状態で入院中だった。

 他の事は割と詳細に情報が入ってきていたのに、それだけが私の耳に届かなかった事実に、何か作為的なものを感じて豪毅を問い詰めたら、やはり赤石の件だけ情報を伏せていたのはコイツの仕業だった。

 

「あいつがそんな状態と聞けば、光があいつの所へ行ってしまうのではないかと思った。」

 と、切なげな目で訴えてくる豪毅に、そんなに心配なら同行しろと連れ出して、入院中の赤石の様子を見に行った。

 そこで世話をしてくれていた男性に、話しかけてやって欲しいと言われて、赤石の手を取って呼びかけてみたら、あっさり目を覚まして驚いた。

 でももっと驚いたのは、その世話をしてくれていた男性が、マスクを外したら私にすごく似た顔立ちをしていた事だ。

 それは死んだと思っていた私の兄だった。

 後のことは任せてくれと言った兄は、最後に私に幸せかと問うた。

 私は傍の豪毅の指に自分の指を絡ませながら、笑って頷いた。

 

 ☆☆☆

 

 ……3年後、男塾を卒業した豪毅が藤堂邸に戻った翌日に、私たちは婚姻の儀を執り行った。

 というか、豪毅が帰るまでの間に身形を整えていようと、先ずはお風呂で全身を清めていたら、思っていたよりずっと早く帰ってきた豪毅に風呂場にいきなり踏み込まれて押し倒され、本来なら初夜までとっておくべきものを強引に奪われた。

 どうせ式が終わった後には初夜を迎えるのに、1日くらい待てなかったのかと、事後に懇々と説教した。

 どうやら豪毅は、私が処女だと思っていなかったようで、若干乱暴にした事は謝ってくれたのだが、

 

「…俺の為に磨き上げてくれているのだと思ったら、抑えがきかなかった。」

 とか言って微妙に緩んだ顔にまったく反省の色が見られなかったので、夫婦になってからも自分たちだけの時は『姉さん」と呼ぶ事を強要した。

 豪毅はすごく嫌そうな顔をしたが、呼ばなければ今後指一本触れさせないと脅したら渋々承諾した。

 

 結婚して数年後、ちょっとした体調不良が続き、もしやと思って行った病院で検査した結果、私は子供をつくる事が、不可能ではないが非常に困難な身体である事が発覚した。

 子宮の状態は正常だが、なんでも卵巣が10歳前後の状態で成長が完全に止まってしまっているそうで、正常な卵子は数万分の一の確率でしか排出されないだろうとの事。

 なのでたとえ受精しても着床できない可能性が高く、自然妊娠はほぼ絶望的だった。

 以前(ワン)先生が危惧していた事態が、現実になってしまったわけだ。

 ちなみに体調不良の原因は寝不足と、食べ過ぎによる胃もたれだった。滅べ。

 

 橘流(たちばなりゅう)氣操術(きそうじゅつ)の伝承は自分の代で止める事を決意していたから、自分の子が生めない事はそれほどショックではない…と思っていた。

 だが豪毅の目から見ると、私は今までに見た事がないくらい打ちひしがれていたらしい。

 今までずっと私付きでいてくれた清子さんが結婚退職し、ロシアの外交官となったゴバルスキーについて行ってしまった事もあり、私は女性にしか判らない自身の心の動きが、自分でよくわからなくなっていた。

 

「私でよろしければ、代理母になりましょうか?」

 新しく私付きになった若い女中がそう囁いてきた時に、私はこれだと思ってしまった。

 私は自分の子が欲しいわけではなく、豪毅の子が欲しかったのだ。

 一も二もなく頷いて豪毅にそれを伝えると、最初は渋っていたものの、『光がどうしてもというのなら』と、同意を取り付けることに成功した。

 だが豪毅が、直接彼女を抱くことだけは頑なに拒否した為、人工授精させた卵子を再び彼女の子宮に戻す方法が取られた。

 …今思えば、私は子宮は正常だったのだから、成功率は下がるだろうが卵子だけ提供してもらって、自分の腹から産めば良かったのだ。

 何度目かの挑戦の後、ようやく着床が確認できてから生まれるまでの間、私は彼女の体の変化を見て、自分も同じようにボディメイクをして、妊婦らしく振舞った。

 それは周囲の目の事も勿論あったが、私自身の母親としての自覚を育てるためでもあった。

 …当時を思い返して、豪毅がしみじみと言った事は、『あの頃は、俺たちみんなが狂っていた』という事だ。

 だが、それを過ちと思う事はできないくらい、私たちにとっての究極の至宝が、やがてこの世界に誕生した。

 

 ……生まれたのは、女の子だった。

 しかも生まれた直後には判らなかったが、数日もするとしっかりしてきたその顔だちは、信じられないほど美しい赤ちゃんだった。

 なんだ女神か。

 うん、夜明けに生まれたから曉の女神(アウローラ)だ。

 この子はきっと、その化身に違いない。

 

 ──娘は(あきら)と名付けた。

 安直とか言うな。

 

 豪毅は、その小さく美しい生き物に、最初はどう触れていいかも判らず戸惑っていたが、日に日に自分に似てくる娘に、最終的にはメロメロになった。

 帰宅して私が(あきら)を抱っこしているのを見て、

 

「ここは天国(ヘヴン)か、それとも楽園(エデン)か…聖母が、天使を抱いている…!」

 というキャラ崩壊確実の台詞を吐いた時には、思わず背中にチャックを探した。

 

 (あきら)の反抗期が徐々におさまってきたくらいの秋、幸さんが癌で亡くなった。

 豪毅に車で送られて(あきら)を連れて駆けつけた時、かつてはふくよかだったその身体は、ガリガリに痩せてしまっていたけど、それでも私と、(あきら)の手を引く豪毅を見て、

『よかったわね』『しあわせにね』と苦しい息の下で微笑んだ。

 その顔を見た瞬間、それまでに感じたことがない感情が込み上げてきて、なぜか次の瞬間、幸さんの手を握り締めながら『おかあさん』と呼びかけて号泣してしまった。

 幸さんはそんな私に驚くでもなく、何故か幸せそうに微笑んで『ありがとう、光』と呟いた後、そのまま静かに息を引き取った。

 

 代理母になってくれた女中は(あきら)の乳母として、乳離れが済んでからは専属の女中として働いてくれていたが、そのことを豪毅は最初から懸念していた。

 

「あの女は、充分な退職金を積んで辞めさせた方がいい。」

 何度もそう忠告されたが、その時を迎えるまで、私はその意味に気付かなかった。

 欲しいものが手に入った幸せに浮かれきっていたのだ。

 身近に迫る悪意にすら気がつかないほどに。

 

 ある時、(あきら)が庭で火遊びをしているのを見て、危ないと思わず声を荒げ、持っていたものを奪い取った。

 それはグリム童話の本だった。

 4歳にして小学生の読むような児童文学を既に読み始めていた彼女のお気に入りの本だったのに、それを燃やそうとしていた事に、何故かと問うと(あきら)は『恐いから』と答えた。

 どうしてと聞いても、それ以上答えようとしなかった。

 本は私が預かる事になった。

 

 事件が起きたのは、(あきら)が5歳になった夏だった。

 私は、娘は私立の名門女子校に通わせたいと考えており、その付属幼稚園の受験の為に、色々と準備をしている間に、件の女中が(あきら)を連れて、藤堂家を出奔した。

 藤堂家の総力をもって大々的に、けど秘密裏に捜索を行ない、何故か事態を聞きつけてきた御前の一派までもが協力してくれた結果、すぐに女中の居所は割れて、(あきら)の身柄は無事確保できたが、丸一日怖い思いをした彼女は、涙すら流せないほど憔悴しきっており、それを見てまず、豪毅が暴走した。

 

「己の身すら己で守れぬようではこの先、どのみち生きてはいけん。女の身であれば尚更だ。

 今日より貴様が女であること、俺は忘れることにする。」

 誘拐のショックから抜けきらない娘に、なんということを言うのかと思ったが、(あきら)は見た目よりもタフだった。

 その日から、良家の令嬢(しかも幼女)にとっては地獄のような修業を父親に科されながら、彼女は数日後には常を取り戻していた。

 どうやら誘拐で刻まれた恐怖は、その時の父親の地獄の修羅のような表情への恐怖に上書きされたらしく、しかもこの聡明な幼女は本能的に、それが父親の愛情故であることを理解したらしい。

 そして私も、この子がミニ豪毅であることをその時理解した。

 

 …件の女中は、自分を私だと思い込んでいた。

 本来豪毅の妻だった自分が、何故か女中と入れ替わってしまったのだと…私が彼女になり変わって豪毅の妻の振りをしていたと、本気で信じていた。

 …そういえばグリム童話の『鵞鳥番の娘』がそういう話だったと、今更思い出しゾッとした。

 

 彼女の証言により、(あきら)を連れ出すのに邪魔だったから毒殺したという飼い犬の死体が、庭の片隅に埋められた状態で発見された。

 それは御前の代から警備の一環として飼っていたドーベルマンの最後の一頭で、(あきら)が…というより(あきら)の事を可愛がっていた。

 隠して作業していた筈なのにいつのまにか現場に来ていて、その遺体を目にしてしまった(あきら)は、声を出さずに号泣した。

 さながら『鵞鳥番の娘』に登場した喋る馬の最期のようだと気付き、彼女は二度とあの本を手に取ることはないだろうと、心の片隅で思った。

 私は、(あきら)が泣き疲れて眠るまで、せめて抱きしめ続けることしかできず……

 

 ……こちらでの聴取を済ませた後に事件を通報して、警察が来た時には、我が家で確保していた女は、施錠していた部屋で事切れていた。

 検死の結果、心筋梗塞による突然死であると診断された。

 実際その通りである。

 彼女の本当の死因…私の『氣』が脳からの神経伝達を阻害して、心臓を止めたなどという事実が、警察にわかるはずがなかった。

 

 許せなかったのだ。

 まだ幼い(あきら)の心を傷つけたあの女のことが。

 それがたとえ、実の母親であったとしても。

 藤堂家令嬢誘拐事件は世間には伏せられ、被疑者死亡のまま送検という決着を迎えた。

 …けど、この事件は自分で思っていた以上に、私の心に深く爪痕を残すこととなった。

 

 私は、(あきら)に触れる事ができなくなった。

 娘の血を分けた母を手にかけた、その穢れた手で娘に触れるのが、堪え難かった。

 清らかな彼女を穢してしまう気がした。

 …幸い、可憐な少女でありながら中身はミニ豪毅である(あきら)は割と豪胆で、毎日父親から付けられる修業に、自分が意外とついていけると判ると、己の強さを極める事にのめり込んでいき、私との接触が極端に減った事に気付いた様子はなかった。

 

 …豪毅は、私のした事に、恐らくは気付いていただろう。

 それ故に、(あきら)に対して罪の意識を、私が感じていることも。

 自分が(あきら)の修業に出来るだけの時間を割く分、私に自分の仕事を割り振ってくれるようになったのは、だからだろうと思う。

 私は彼の名代として出る事が多くなり、そんな毎日に慣れていった。

 

 …それは、(あきら)が9歳の年の事だった。

 史上最年少で内閣総理大臣に就任した桃が、乗っていたセスナ機の墜落により行方不明となり、その生存が絶望視された。

 これは彼の政敵とも繋がりのある国際的な麻薬組織による暗殺であり、塾長とその秘書を務める富樫により男塾OBが招集されて、うちの夫は勿論だが既に結構な社会的地位の上に立っている面々が多く居るにもかかわらず、彼らは全面抗争を決めた。

 私も微力ながら協力を申し出て、藤堂財閥が主催する新聞社のビルで、敵の存在と藤堂財閥がどのように戦っていくかを幹部達に説明していたその時、最上階の会議室の窓に、軍用ヘリの姿が見え…その後のことはまったく記憶にない。

 

 私はヘリからの銃撃を受けて、同じ室内にいた幹部たちと共に、病院へ運ばれたらしい。

 私たちが運び込まれたのが、飛燕が理事を務める病院であった事が幸いして、生死の境を彷徨った私たちは一命を取り留めた

 同じ頃、富樫や虎丸も爆弾テロの被害にあって同じ病院に運び込まれており、私の出席していた会議が、直前まで豪毅が出る予定だった事を考えても、剣首相暗殺の報復を恐れて、男塾OBを狙った犯行であるのは明らかだった。

 新聞社ビルの銃撃と富樫や虎丸の件があった事で、自分も狙われていると判断した豪毅は、誘拐の可能性も考慮して学校から(あきら)を回収し、その身柄を無事保護してから、街なかで捕まえたタクシーで私のいる病院へ向かい、うちの夫と娘は無事だった。

 後日わかった事だが、やはり我が家の自家用車にも、エンジンをかけたと同時に起爆するようセットされた爆発物が仕掛けられていたらしい。

 豪毅がその危険に配慮して行動してくれていなかったら、娘まで危険な目にあっていたかと思うと、未だにはらわたが煮え繰り返る。

 …けど敵にとっては、そこから先は悪夢だったと思う。

 というのも、私はまったく知らなかったのだが、この件に私が巻き込まれた事で、元塾生達がそれまで以上に奮起して、総力を挙げて敵の本拠地を割り出し、あっという間に叩き潰したのだという。

 伊達とか、自分の家に攻め込んできた戦車に槍一本で勝ったと後で豪語したけど、さすがに嘘だよね……と、笑い飛ばせないのが嫌だ。

 あいつならやりそうなんだもん。マジで。

 しかも死んだと思われていた桃も生還して、終わってみればめでたしめでたしなのだが、私はといえば痛い思いをした挙句、娘には泣かれるは、夫には自分の身代わりでこんな事になったと落ち込まれるはで散々だった。

 死なない限りはかすり傷だと言ったら、父娘おんなじ顔でダブルで睨まれた。

 …(あきら)のその顔を見た瞬間『あれ、ひょっとしたらもう大丈夫かも』と唐突に感じて、(あきら)のぷりぷりのほっぺに触ってみたら、なんか知らないけどぎゅーって抱きつかれた。

 萌え死にそうになった。

 

 以降、完全復帰した私は、外国語ができたこともあり、海外業務を一任された。

 未だ力をもつ御前への牽制として豪毅は日本を離れられないと言われたら従わざるを得なかったが、私が二度と代理として立つ事がないようにという配慮であることはわかっていた。

 その業務が意外と多忙を極め、なかなか日本へ帰れなくなり、夫とも娘とも年に2、3回ほどしか会えなくなった。

 (あきら)とは頻繁に電話で話をしていたが、その僅かな交流の中で、母親が近くにいない状態で自分そっくりの父親だけを見て育つ娘が、令嬢としてどんどんポンコツになっていく事に気がついた。

 何の為に高い金を出して、私立の名門女子校に入れたと思ってるんだ。

 私は豪毅には内緒で使える限りのコネを使い、ローティーン雑誌のモデルにこっそり娘を推薦してスカウトさせ、それに乗っかってきた(あきら)はすぐに売れっ子になった。

 

「将来は女優になりたいの。」

 電話の向こうで女の子らしい夢を語るようになった娘に、私はようやく安心した。

 

「絶対に、スタントの要らないアクション女優になってみせるわ!!」

 と、その後に続けられた言葉には頭を抱えたけど。

 芸能界は上下関係や礼儀作法に厳しい。

 女の子としての猫の被り方くらい学んでくれるだろう。

 彼女はいずれ藤堂家に、それを背負って立つ婿を迎えなければならないのだ。

 少しでもいい男を見つける為にも令嬢力は大事だ。

 

 …そう思っていたが、どうやら豪毅の考えは違ったらしい。

 

「藤堂家の時期当主は(あきら)だ。

 どんな男を連れてこようがそれは覆らん。

 男を立てる女らしさより、己の力で立てる強さこそ、あいつには必要なのだ。

 故に、自由にさせるのは15歳までだ。

 そこから先は、俺に従ってもらう。

 あいつが、俺を納得させるほどの強さを示せたなら、その限りではないが、な……!!」

 そう言って、物凄く悪そうな顔で笑った、久しぶりに顔を合わせた豪毅を見て、私は何だか判らないが何かを確実に諦めた。

 

 ☆☆☆

 

「……そんな顔をするな。

 俺は(あきら)に、本当の自由を与えたいだけだ。」

「本当の自由……ですか?」

 私が鸚鵡返しに問うた言葉に、豪毅が頷く。

 

「そうだ。

 真の自由とは、強者だけに許されるもの。

 弱者に選び取れるのは、結局は強者が取らなかった残りだけだ。

 本当に欲しいものを己の手で選び取るには、まずは選ぶ権利から得なければならない。

 …俺は(あきら)に、本当に好きな男と一緒になって欲しいのだ。

 俺は強くならなければ、この世で唯一欲した女に、手を伸ばす権利すら与えられなかったのだから。」

 そう言って豪毅が私の身体を、その逞しい腕に抱く。

 それは、彼が兄たちを討ち果たした時のことを言っているのだろうが、実際にはそこは出発点でしかなかった筈だ。

 

「違いますよ、()()()。」

 まるで私が賞品であるかのような豪毅の言葉に、私は唇を尖らせ、夫となってからは封印してきた呼び名で彼を呼んだ。

 

「私が、あなたを選んだんです。」

 …豪毅は私の言葉を聞いて、喉の奥で笑った。

 

「ああ知ってる。光は、この世で最強だからな。」

 そう言って、ますます強く私を抱きしめる腕の中で、私はため息をついた。

 そうだな。もう諦めるしかない。

 私が、豪毅をこう育てたのだ。

 その豪毅が育てたミニ豪毅を、今更それ以外に育てられる筈がない。

 

 童話のお姫様は、助けられるのを待つだけだった。

 けど私たちのお姫様はきっと、茨に四苦八苦する王子様の前でそれを斬り払って、自分から迎えに行ってしまうんだろう。

 

 それも幸せな未来なんじゃないかと、私は豪毅の腕の中で、目を閉じた。

 

 豪毅エンド・完

 


 

おまけ

 

 

「まあいい、てめえは人質だ!

 俺をこんな頭にした奴が出て来ねえならてめえをぶっ殺す!!俺は、マジだからな!!」

「承知した。その言葉を覚悟と受け取ろう。」

 次の瞬間、抜き放たれた刃の居合の軌跡が、突きつけられた拳銃の、その銃口を斬り飛ばした。

 

「……刀も銃も同じ事。

 抜いた瞬間、そこから(タマ)()り合いだ。

 殺される覚悟もない奴が、安易に『殺す』などと口にするな!!」

 その美しい(おもて)に気迫を漲らせ、そう言い放ったその塾生は、閃かせた刃を、静かに鞘に収めた。

 

 ・・・

 

「…あの神々しいばかりの美青年は、いったい誰ですか?」

「どう見ても(あきら)だろう。

 しばらく見ないうちに、娘の顔を忘れたわけでもあるまい?」

「やはりそうですよね。どうしましょう豪くん。

 うちの娘がイケメン過ぎます。」

「落ち着け光。」

「だって!私があれを着ていた時は、サイズが合っているにもかかわらず、子供が大人の服を無理して着てるみたいだったのに!

 何であの子が着るとあんなにカッコいいんですか!!

 世の中不公平です!」

「落ち着けというのに。

 ……だが、言うようになったものだ。

 先が、楽しみだな。」

 車の中で暴れる私を抑えながら、豪毅は悪そうな顔で、微笑んだ。




豪毅エンドは、別立てで連載中の『亜琉帝滅屠麗埿偉〜ultimate lady〜』と、一応リンクする流れにはしています。
但し、光が豪毅以外のルートのエンディングを迎えた場合にも、豪毅はその後に出会った、どこかに光を思わせる要素のある女性との間に(あきら)をもうけますので、あるてめにおける(あきら)の母親が光かどうかはわかりません。
あくまでもこの話が光の豪毅ルートってだけ。
あとちょっと番外編の『硝子の少年』とも、少し。

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