婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜 作:大岡 ひじき
「よく言った───っ!!」
積年の仇敵に向けて塾長が振り抜いた拳は、素手とはいえその年齢の男性が繰り出すものとしては決して非力なものではない。
否、むしろスピードもパワーも闘氣さえも完璧に乗った、一撃でも食らえば全身粉砕間違いなしの剛拳………の筈だった。
………当たりさえすれば。
その渾身の拳が貫いたのは…虚空。
そこは確かについ一瞬前には、御前の身体があった空間だ。
真正面から向かっていった筈の目標物を見失い、塾長が周囲を見渡したのと、
「フッフッフ、どこに目をつけておる。
わしならここにおるぞ?」
と、御前が塾長のはるか後方から、そう声をかけたのと、どちらが早かったろうか。
「な、なに───っ!!なんじゃあ今のは──っ!」
「藤堂のじじいめ、ま、まるでテレポーテーションのように、一瞬にしてあんなに遠くまでいっちまった───っ!!」
富樫や虎丸が驚愕の声を上げた通り、御前は文字通りの目にも留まらぬ速さで滑るように移動していた。
「むうっ!!おおお───っ!!」
その御前に向き直り、改めて拳を構えて突進する塾長の動きも、常人と比べれば充分に速いものだったろう。
そのスピードも加えた、先ほど繰り出したものより更に強力であろう拳が、またも空を切り…
「たいした剛拳よ。
だが、わしの体に触れる事さえ出来はせん。」
またしても消えるように塾長の拳を避けた御前の、技術のある職人にしっかりと脚に合わせて作らせた最高級の雪駄を履いた足が、ふわりと着地したのは、あろうことかその拳の上だった。
驚きながらもその腕を振り上げた時には、またもふわりと跳躍した御前は、既に10メートルは離れた地点に着地している。
…恐らくは。
一撃の破壊力に関してならば、御前は塾長には敵わないのだと思う。
というかその点に於いては、例の奥義を含まずに考えても、息子の豪毅にさえ及ばないだろう。
だが、その一撃が当たらなければ意味はないのだ。
先ほどの、私と邪鬼様の闘いのように。
「フッフッフ。
我が拳法の極意は、この極限ともいうべき身の軽さと素早さにある!!
今から貴様に、その真髄を見せてやろう。」
言った御前の指先には、何やら丸い手裏剣のような形状の刃が挟まれている。
……多分、腕につけた防具の隙間に仕込んであったんだろう。
その防具自体、いつ身につけたのかわからないけど。
うん、少なくともロイヤルボックス席で隣に座ってた時には、着物の袖から覗く腕にそんなものは見えなかったと思う。
それはそうと、よく見れば材質は違うがデザインがさっき豪毅が着けてたやつとほぼ同じなんだが……うん、考えない事にしよう。
割と男性全般に言える事なのかもしれないが、御前には歳の割に子供っぽいところがある。
「この刃には、巨象をもカスリ傷で即死させる猛毒が塗ってある!!」
いや危ないわ!そんなもん防具に仕込んでおくな!!
ちょっとした加減でうっかり先端が出ていて、掠ったら一巻の終わりじゃねえか!!
私が心の中で盛大なツッコミを入れている間にも、御前と塾長の闘いは続いており、御前が指に挟んだそれを、腕を振り抜いて塾長に向けて投げ放つ。
「貴様にこれが躱せるか───っ!!」
「なにをたわけたことを!!
この程度のもの、眼を瞑ってでも躱せ……っ!!?」
それを僅かに首を捻っただけで躱した塾長の言葉が止まったのは、今目の前にいた筈の御前の身体が、次の瞬間には背後に回っていたから……だけではなかった。
それと同時に、今己が投げ放ったその刃を、先ほど投げる前と同様に、両手の人差し指と中指で、挟んで止めて見せたからだ。
「ワッハハハ、これぞ
御前はそこで止まらず、更に次の瞬間にはそれをまた投げた。
今度は身体を捻ってそれを躱した塾長の背後で、再び受け止めて、また放つ。
「いつまでもこの連続攻撃が躱せると思うのか!!
カスリ傷ひとつであの世に直行だということを忘れるな──っ!!」
…そういえば準決勝で闘った梁山泊というチームには、己が放った矢を追い越して敵の背後に回り、羽交い締めができる巨漢の弓使いがいた。
この場合、あれをやられたら塾長は確実に死ぬ。
御前にその発想がなくて良かった。
というか改めて思い出すと、アレって物凄くえぐい技だったんだな!!
…けど御前の言う通り、いくら塾長が体力の化け物だとしても、いつまでも躱し続けられるものじゃない。
これが赤石であれば躱すのではなく瞬時に見切って、刃自体を両断してしまえるだろうし、影慶ならば毒など気にすることなく対処できると思うのだけれど、私も塾生たちも先ほど塾長に『手を出すな』と命じられている。
その命令に背ける者は、この場には居ないだろう。
…やはり闘いに相性というものは大事だと私は思う。
「あ、あれが世にきく
まさか、奴がその極意を極めていようとは………!!」
私の周囲の死天王ガードの横から、雷電の呻くような声が聞こえた。
素早い動きを基礎とした秘奥義は中国拳法にも数あるが、中でも最高峰とされているのがこの
この技の修業法は、硫酸池に浮かべた不溶性の紙片の上を驚異的速さで駆け抜けるというものであり、失敗すれば即死の恐るべき荒業であった。
これを成し遂げ達人の域に達した者は、瞬きする間に二十間(約36m)を移動したという。
余談ではあるが我々が親しんで食べている『かけそば』は、当時修業者達が座して食べる間を惜しみ、器を持って駆けながら食べた蕎麦がその名の由来である。
このままでは勝ち目がないと、塾長も判断したのだろう、飛んでくる刃を避けたと同時に方向転換し、何故か墜落したヘリの残骸に向かって走り出す。
「フッ、そんなところに隠れても無駄だ。」
壊れた機体の側に屈み込む塾長にそう言って、御前が受け止めた刃を再び放とうとしたその時。
塾長は驚くべき行動に出た。
ヘリのプロペラを叩いて回転させたかと思うと、壊れた機体からその軸を引っこ抜く。
それからその軸にしがみつくと、なんとプロペラの回転により、塾長の身体が、宙に浮かんだ。
……そういえば以前、田沢に見せてもらった『漫画でわかる科学』とかいう本に、ヘリコプターの回転のしくみでは、プロペラの回転だけで浮き上がった場合、機体が反作用でプロペラの動きとは反対向きにゆっくり回転してしまうところを、テールローターの力によりそれを防いでおり、だからそれによれば某ネコ型ロボットの所持する頭につけて飛ぶ飛行器具は、着けている本人が飛んでいる最中にくるくる回っていなければおかしいという内容の事が書かれていた。
…などという場違いな事をつい思い出してしまったのは、上昇していく塾長がやはりゆっくりと回転していたからなのだが…まあそんな事は些細な事だろう。
とにかく、皆が驚いて見つめる中、塾長ははるか高くまで上昇すると、普通の人間なら絶対にやらない、パラシュート無しでのダイビングを決行した。
要するに、手を離して飛び降りた………頭から。
当然自由落下に従い、加速度をつけて落ちてきた塾長は、一瞬地面に突き立って…そのままゆっくりと、その身体が倒れた。
「…フフッ。まったく、なにを考えているのやら。」
その様子を茫然と立ち尽くして見ていた御前が、息を
「昔から少しも変わっておらんな。
この男の常軌を逸した行動は理解できなかった。
……これで判ったろう、光よ。
このような者たちに入れ込む事の愚かさを。
さあ早く、こちらに戻ってくるが良い!」
そう言って、こちらに一歩踏み出した御前の行動に、私の周囲を取り囲む死天王が、改めて迎撃の構えをとった。だが。
「あ、安心しろ。
今度ばかりは貴様にもよく理解できるだろう。
己の足もとをよく見るがいい………!!」
倒れた塾長が、うつ伏せたまま、しっかりした声で告げるのに、御前はほぼ反射的に、言われた通り足元に目をやる。
瞬間、立っていた御前の足元に亀裂が走り、砕けた地面に、長身の御前の身体が肩まで埋まった。
「こ、これは──っ!!」
そこから這い上がろうとするも、足場が崩れてもがく御前のもとに、塾長は腹這いで近寄っていく。そして。
「捕まえたぞ!念仏を唱え始めるがよい、藤堂兵衛!!」
長く伸ばした後ろ髪を鷲掴み、引きちぎらんばかりに持ち上げた塾長の手の動きに合わせて、埋まりかけた御前が地面から掘り出された。
更にその身体を、地面の割れていないところへびたんと叩きつける。
「覚悟を決めるがよい!
貴様の行なってきた極悪非道の数々。
その全てに終止符を打つ時が来たのだ!!」
すぐには立ち上がれずにいる御前に、拳を固めてのしのしと歩み寄る塾長だったが、私はこれを甘いと感じていた。
殺すつもりであるならば、動けずにいるところに手を下せば良いものを。
…けど、それは塾長としては、そしてここにいる塾生にしても、良しとしない事であるのだろう。
私は、彼らのその甘さが、嫌いではない。
…しかし、それが通じない相手というのはいるもので、塾長が今目の前にしているのも、その類の相手である事を、塾長はわかっていただろうか。
「ま、待て!!待ってくれ江田島──っ!
わ、わしの言い分も少しは聞いてくれ──っ!!」
懇願する御前の言葉に、塾長は一瞬だけ動きを止める。
その瞬間、こっそり背中に回した御前の手が、そろそろボロ布と化しつつあるズボン様の袴の下で身に沿わせていたらしい、45口径の拳銃を手にしていた。
「死ねい──っ!!」
躊躇う事なく御前の指がその引き金を引き、塾長の銃創痕だらけの身体に、新たな傷を刻む。
だが、塾長は倒れるどころか身体に力を込め、その筋肉を膨れ上がらせた。
「わしを倒したいなら、核ミサイルでも持ってくるがいい──っ!!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、身体に撃ち込まれた数発の銃弾が、その傷口から弾き出される。
…ぶっちゃけこの光景を見る限り、核ミサイルでも倒せる気がしないのは気のせいでしょうか。
「くうっ!化け物めが!!」
そう言った御前の言葉は、多分その場にいる全員の総意だったと思う。
塾長が飛ばした弾丸を避けながら、だが御前は素早く塾長から、7、8メートルの距離を取った。
「仕方ない!
こうなっては最後の手段をとるしかあるまいて!!」
そして…完全に追い詰められた御前は、遂に私が恐れていた通りの行動に出た。
拳銃と同様袴の下から取り出した、四角い機械に付けられたスイッチを押す。
次には、塾長との間の地面が、自動扉のように開く。
更にそこから、巨大なものが迫り上がってくる光景に、皆が一瞬目を奪われた。
それは、ロケットのような形状……あれが
それが、この場面で出てきたという事は。
……誰もがそれに目を奪われていた、その一瞬。
私は死天王ガードをすり抜け──走った。
「御前!御覚悟っ!!」
「光っ!!?」
背後に誰かの呼ぶ声を聞きながら、私は御前に向かって、跳ぶ。
氣の針を溜めた指先が、もう少しでその身体に届く、その瞬間。
私の意識は、御前の手刀によって、刈り取られた。
多分0時に続きを更新します。