婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝 作:大岡 ひじき
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「…光。なんか、俺のこと避けてないか?」
…それは、船の上で簡単な食事と水分補給を行なっていた私の背中にかけられた声だった。
「……避けてなどいませんが、何故ですか?」
確かに避けてはいないものの、正直あまり目を合わせたくなくてのろのろと振り返ると、かがみ込んだ涼しげな顔がえらい間近にあった。
…どうやら、逃さないと言われてるぽい。
「ここまでしないと全然目が合わないし、こっちに誘導しようとしても、なかなか俺の側に寄ってこないからな。
理由があるなら、聞いときたいんだが?」
くそ。相変わらず、鋭くて嫌になる。
避けているというよりは、対面で話をしたくなくて、出来るだけ他の皆と一緒に行動していただけの事で、話しかけられれば会話くらいはしていたというのに。
「ひょっとして、また何か怒っているのか?」
「その言い方では、私がいつも怒っているみたいじゃないですか…。」
あんまりにもあんまりな言い種に、思わず半目になる。
…けどまあ、悩んでいても仕方ない。
せっかく向こうから水を向けてくれたのだ。
この機会は有効に活用させてもらおう。
「…怒っているわけではありませんが…あなたの行動に、どう考えても腑に落ちない点が。」
「腑に落ちない点?」
そう。気になって仕方ないことがひとつある。
本人に問いただすのが一番早いと判ってはいても、気まずさが先に立ってしまい、モヤモヤしたまま数日経ってしまった。
多分、あれに他意はなかったと…思いたいのだが。
「………あの、海の中での話ですが。」
「…ん?」
「あれは、人工呼吸ですよね?」
こちらを見つめてくるその強い瞳を、なんとか見つめ返しながら問いかける。
私のその問いに、桃は一瞬だけ目を
だが、すぐに元通りの笑みをその唇に浮かべて、頷く。
「……ああ、勿論。
なんだ、ひょっとして照れていただけか?」
「いえ、人工呼吸であればそれはあくまで救命行為ですので、別段気にはなりません。」
「…そう言い切られるのも複雑なんだが。」
誰かと唇を合わせるのは初めてのことじゃないし、むしろ暗殺者時代は一番効果的に
人工呼吸は、同じ『唇を合わせる』でも普通にノーカンだ。
前者は死を、後者は生をもたらすもので、私にとって重要なのは前者であったからだ。
つまり、それがどっちであるかは、私の中では割と重要なのだ。
「…ですがあの場合、はたして舌を入れる必要があったのかと、考えれば考えるほど思考がループにハマりまして。」
…そう問いかけながら見上げた桃の顔には、相手をからかって遊ぶ悪い癖が出ている時の、人の悪い笑みが浮かんでいた。
「…フッフフ、バレていたか。
意識が朦朧としてた感じだったから、気づかないかと思ったんだが。」
「桃っ!」
やっぱりか!変だと思ってたんだ!!
だって舌だよ?フレンチ・キスだよ!?
あ、ちなみに日本語では軽いキスの事をそう呼ぶ傾向があるけど、本来は正反対の意味で『フランス映画のような情熱的なキス』の事だからね!
「責任を取れというなら、喜んで取らせてもらうが?」
そして、その人の悪い笑みを浮かべたまま、更に桃はふざけたことを口にする。
その顔を見ていたら徐々にムカついてきて、私は彼を睨みつけながら、思わずこんな言葉を発していた。
「…そんなものは要りませんが、代わりにあなたの弱点を私に教えなさい。」
「弱点?」
「そうです!
苦手な事のひとつくらい無いんですか!?」
ビシッと指差しながら割と情けない事を言った私に、桃は自身の顎を摘みながら、考えるような仕草をする。
数瞬、眉根を寄せて視線を上げていた桃が、再び私に視線を戻して、もう一度笑みを浮かべながら言ったのが、これだった。
「………朝、かな。
寝て起きるのが、割と苦手だ。」
殴りたい、この笑顔。
・・・
思い返しても他愛のない、あの時のことを夢にみたのは、商店街までちゃんと送り届けてくれたバイク乗りの蛮カラ
「男塾に入ろうと決めた時点では、総代は大豪院邪鬼という男だと聞いていたから、その男については調べていたんだが、まさか天挑五輪大武會の間に交代してたなんて、入塾試験を受けにきた時まで知らなかったんだ。
10年在籍してたってやつが、まさかいきなり居なくなるなんて思わねえじゃねえか。」
…逆に邪鬼様が10年塾生をやっていることに対しては、疑問を抱かなかったのだろうか。
しかしまあ、男塾に関して世間の常識は通用しないというのが、今となっては逆に世間の常識なのだ。
「それはそれは。
ですが、逆に良かったではありませんか。
大豪院邪鬼に挑む状況であれば、まずは鎮守直廊3人の門番に挑んだあと、更に死天王を納得させなければ、恐らくは顔も見せては貰えないでしょうからね。
桃…剣桃太郎であれば、その心配はありません。
彼は良くも悪くも、闘いに関して
本人に挑む前に消耗しているような闘いには、決してなりませんので、その点は御安心を。」
まあ、正確には邪鬼様にも、一応拠点が塾敷地内にあるのだから、挑戦したいと思えばそうすることは可能だろうが、その場合は桃に挑むよりハードルが高いことになるのは間違いない上、たとえ勝っても得られるものはない。
「……別に、そうであったとしても、挑むことに変わりはねえ。」
おやまあ。勇ましいことだ。
「…本当に、帰りは送らなくていいのか?」
「充分です!ありがとうございました!
では、東郷。新学期にまたお会いしましょう!!」
商店街のアーケード内にバイクや自転車の乗り入れができない為、その手前で下ろしてもらい、そんな挨拶で彼と別れた、すぐ後の出来事だった。
多分だが小路に入った瞬間、なにか薬品のような匂いのする布を鼻と口に当てられ、すぐに意識が遠のくのがわかった。
☆☆☆
「…ほう。これが藤堂家の深窓の姫君か。
…………その、本当に…コレなのか?」
意識を完全に失う直前、自身に氣の針を打ち神経に対して薬品の効果をブロックする作用の処置を施した私は、数分は確かに落ちたものの、僅かに夢を見た程度で目を覚ましており……そのまま担がれて運ばれた場所の埃臭いマットレスか何かの上に横たえられながら、聞こえてきた何やら失礼ぽい言葉につっこみたい衝動をぐっと堪えて、敢えて気絶したフリをし続けている。
「はい。間違いございません。
もっとも、基本的に離れで生活されていましたので、私のような下っ端が本邸でお目にかかることは滅多にありませんでしたが、それでもお顔は存じております。
何故このような格好をして、あんな男ばかりの私塾に出入りしているかまでは、さすがに存じ上げませんが…」
「わかった。ならば、受け取ろう。
…むしろ偽物で騙す気であれば、もっとそれらしいのを用意するだろうからな。」
失礼な台詞に答えたもう1人の男の声には、聞き覚えはあるようなないような微妙な感じだったが、まあそこはこの際どうでもいい。
つまりは、藤堂家に勤めている、或いは過去に勤めた事のある人物が、私をそれと知ったうえで捕らえ、今はもう1人に引き渡すところだという事だ。
更に、相手がどうやら私の顔を知らないらしいところを見ると、先の天挑五輪大武會の、少なくとも優勝決定戦を見ていた層の人間でない事は確かだろう。
目を閉じているので確認はできないが、気配を探った限り少なくとも、半径5、6メートル圏内の範囲には、この2人以外の人間はいないようだ。
「で、では…息子を返」
「ご苦労だった。」
「ひっ!?」
「驚く事ではなかろう?
裏切りの末路などこのようなもの……っ!?」
男の声が一瞬止まったのは、もちろん本人の意志によるものではなく、私に全く警戒していなかったその男の手首を捉え、氣の針を撃ち込んで全身を麻痺させる処置を施したからだ。
私に腕を取られたままぐらりと崩折れたその身体を、先ほどまで自分が横たえられていたマットの上に導いてやる。
一応、手から落ちた小型の拳銃を、回収しておく事も忘れない。
そうしてからもう1人のほうを振り返ると、その声の印象同様、見たことあるようなそうでもないような蒼ざめた顔が、呆然とこちらを見つめていた。
「ひ…姫……!?」
「…事情をおうかがいする前に、まずはこの人の拘束を手伝ってください。
殺してしまうのは簡単ですが、先ほどまでのやりとりをうかがう限り、貴方も私と同様、この人から聞かなければならない事があるのでしょう?」
先ほどの会話から判断して、人質を取られている状態らしいその男を落ち着かせるべく、なるべく穏やかに声をかける。
男は一瞬ハッとした表情を浮かべた後、壊れたおもちゃみたいな動きで、かくかくと首を縦に振った。
…首肯はしたものの、これは役に立ちそうにないなと判断して、何か縛るものはないかと周囲を見渡す。
幸いにも…というか多分私に使うつもりであっただろう手錠のようなもの(形状は確かに手錠なのだが、何故か肌に当たる部分の金属の芯が、フェイクファーみたいな布で覆われている)があったので、後ろ手に回した手首にそれを填める。
鍵がないかと男の上着のポケットを探り、身体の向きをこちらに向けた時に、初めてその男の顔をまともに見た。
ずくん。
瞬間、心臓の奥の部分が、痛みを伴い激しく跳ねる。
そこからじわじわと、黒い感情が湧き上がるのがわかった。
それが怒りであることを、数瞬遅れて理解した。
かつて孤戮闘を生き残った私は、最初に降りてきた男に襲い掛かろうとして、指が届く寸前で網をかけられて捕縛され、その後、薬で無力化された。
意識だけははっきりとしているのに身体を動かす事が出来ず、そのまま数時間放置され……あまり言いたくはないが、その間に若干の粗相をした汚れた服を剥ぎ取られ、まるでモノでも扱うように身体を洗われた後、背中に例の、孤戮闘修了の証の刺青を施されたのだ。
その時、部下たちに事細かに指示を出していたのが……まさに今、ここに倒れている男だった。
………この男、私の顔を覚えてなかった。
あれほどの屈辱と苦痛を私に強いておきながら。
まだ呆然としつつ、へなへなとその場に座り込んだもう一人の男に先ほど言った、情報を聞く為に殺さずにおくという言葉を一瞬後悔してしまった自分に気がついて、私は慌てて己が殺意に蓋をした。
☆☆☆
「…商店街で降ろしたのは、確かなんだな。」
光が姿を消してまる1日経った朝、彼女と一緒に塾を出たという新塾生を、塾長に頼み込んで特別に見せてもらった入学願書から、椿山の証言をもとに割り出して、俺はその自宅を訪ねていた。
その椿山は、『アイツが光さんを攫ったに決まってる!』と憤慨していたが、状況を説明して事情を聞いたところ、明らかに驚いた様子で、名を名乗った俺に何か含むような目を向けたものの、その目は嘘をついているようには見えなかった。
「ああ、間違いねえよ。
帰りも送ろうか聞いたら要らないって言うから、そのまま別れて俺は帰った。
……チッ、だから言ったんだ。
あの女、初見から危なっかしい感じがしてた。
こんな事なら、無理にでも付き合って帰りまで送ってやるんだった。」
そう悔しげに独りごちるその様子からは、むしろ、真っ直ぐな印象しか受けない。
この男は信用してもいいと、俺は判断した。
光もそう思ったからこそ、会って間もないコイツのバイクに乗ったのだろうし。
「いや…光がどんなトラブルに見舞われたかは判らんが、そうしてたらおまえまで巻き込まれていただけだろう。
光はあれで、その辺の男程度に引けをとるような女じゃない。
…最後の足取りが判っただけでも、今日おまえに話が聞けて良かった。」
相性の問題が大きかったとはいえ、光はあの邪鬼先輩と互角の闘いを繰り広げた女だ。
その彼女が巻き込まれたのが、生易しい事態である筈もない。
ともあれ、これ以上こいつから、得られる情報はないと思っていいだろう。
「朝早くに訪ねて、済まなかったな。
新学期にまた会えるのを楽しみにしてる。」
まともに対応してくれた事への謝意を示しつつ、春から後輩になる男に軽く頭を下げる。
忙しい早朝に、明らかに面倒ごとを持ち込んだ自覚くらいはあるつもりだ。だが、
「……待てよ。」
「…………ん?」
その場を辞すつもりで向けた背中に、固い声がかけられる。
振り返るとその声の主が、真新しい学帽を頭に乗せているところだった。
「あの女を探すなら、俺も付き合う。
どっちにしろ最後に会ったのは俺だ。
何かあったら寝覚めが悪いし…何より、このまんま結果だけ待ってるなんざ、性に合わねえからな。」
更に、玄関のフックに掛けられていた黒い上着を、ばさりと音を立てて羽織る。
上着と見えていたそれはマントのようで、どうやら大正〜昭和初期の、蛮カラと呼ばれるファッションを模したものらしい。
…その下に学生服を着るのが本式だろうに、素肌に直接身につけているのは何故だろうと思わなくもないが、その点はひとのことは言えないので黙っておく事にする。
というか、『やっぱりサラシを巻いた上から直接制服を着るより、下にTシャツの1枚でも着る方が、汗も吸うし暑ければ脱げるぶん快適です!』と、冥凰島からの船の上で光が力説していたのを急に思い出して、場違いに笑いそうになるのを慌てて堪えた。
…塾に戻ったら、俺もそれに倣うことにしよう。
・・・
「ひとつ答えろ、総代。
……あれは、アンタの女か?」
気がつけば何故かバイクを押して俺と並んで歩いていた、東郷総司という名のその男は、学帽の庇の下から、射抜くような鋭い視線を俺に向けて問うてくる。
「だとしたら、どうする?」
唐突なその問いに、なんとはなしに否定するのも癪な気がして、俺は曖昧に問い返した。
「……別に。
だがこの件が済んだら、男塾の総代の名を賭けて俺と勝負すると、約束しろ。」
学帽を深く被り直しながらそう言うそいつが、入塾試験で弾丸5発入りのロシアンルーレットを見事生き残った上、男塾を制覇すると宣言した男だと、塾長から聞かされた事を思い出した。