婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝   作:大岡 ひじき

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書いてたらこの回メッチャ長くなってたけど、分割したらまた中途半端になりそうなのでこのままいく。
後悔はしているが反省はしていない←だから、だめだろ


4・哀しみ胸に閉じ込めるなら

「…ここは?」

「橘の…てめえの兄貴の住んでた家だ。

 親が残したモンらしいから、てめえも売られる前にはここに住んでいた筈だ。

 見覚えはあるか?」

 大人しく俺の後をついてきた橘の妹…光を、主人のいない家の中に促す。

 鍵は、死んだ時に身につけていた奴の遺品が、警察から返ってきた際に、俺が受け取ったままだ。

 誰に返しゃいいのかもわからなかったし、奴の死の手がかりを見つける為に何度か入った事もある。

 何も掴めなかったが。

 だが、唯一の肉親を見つけた以上、いずれはこいつに返すべきかもしれねえ。

 

「…ある、気がします。

 なんとなくですけど、あの壁の染みとか。

 …中を、見て回っても?」

 さっきまで俺に食ってかかっていやがったやつと、同一人物とは思えねえようなしおらしい顔で、光が俺を見上げて問いかける。

 

「その為に連れてきた。好きなだけ…何だ?」

 ふと、小さな手が、俺に向かって伸ばされた。

 こいつの手は武器だ。一瞬警戒する。だが、

 

「手を…申し訳ありませんが、手を繋いでいてもらえますか?

 自分でも意味がわかりませんが、何か…怖い。」

 ガキか。

 思わず言いそうになった言葉を、慌てて飲み込む。

 見返した顔が、何故か泣きそうな表情を浮かべていたからだ。

 …さっきから様子がおかしいと思っていたが、その表情で悟る。

 こいつは今、ここで暮らしていた頃、恐らくは11歳半の少女の頃に、気持ちが戻りかけているのだ。

 巻き戻る時間に引き込まれそうになるのを、懸命に踏みとどまっている。

 そしてここにあるものの中で、こいつの『いま』の時間の中にあるものは、俺の存在しかない。

 

「…いいだろう。」

「ありがとうございます、赤石。」

 伸ばされた手を軽く握ると、それは俺の手の中に、すっぽり収まって見えなくなる。

 俺を見上げる不安げな顔が、少しだけ安心したように、微笑んだ。

 

 ・・・

 

「ここは、子供部屋のようだな。

 恐らくは、てめえと暮らしていた時のまま、あいつが残しておいたもんだろう。」

 パステルカラーというやつだろうか。

 柔らかい青を基調とした壁紙の、俺にはどうにも居心地の悪い色彩の部屋。

 古ぼけた子供用の図鑑やら、科学空想系の絵本などが並んだ本棚の上に、赤い車の模型が2つ置かれており、その1つを、光が手に取った。

 

「これは…。」

「車の玩具か。

 あいつが遊んでいたものだろうな。」

 所謂プラスチックモデルというやつだろう。

 よく見れば子供が組み立てたのだろうとわかる荒い接着面から、はみ出た接着剤の乾いた欠片が覗いている。

 一応はタイヤは動くし、ドアも開けられる作りのようだが、俺などが触れば壊してしまいそうだ。

 

「いえ…これ、多分ですが私のものです。

 懐かしいというか…手に馴染みます。

 というか、この部屋、私の部屋だったような気がします。」

 言われて部屋の隅まで見渡してみても、女が好むような人形やぬいぐるみなどの、可愛らしいものは1つも見当たらない。

 この部屋がこいつの部屋だというだけで、こいつがここに住んでいた間、どんな育てられ方をしたのかわかる気がした。

 こいつはここで、女である事を必要とされていなかったのだ。

 恐らくは例の「橘流氣操術」とやらを、代々伝える家系だったのだろう。

 本来ならそれを受け継ぐ筈の長男にそれが不可能だとわかった時から、こいつは「守る者」として生きる事を余儀なくされた。

 伝統を、家族を。それは本来なら男の役割だ。

 そうして兄を守りきった末に「御前」とやらに買い取られ、初めて女としての自身を必要とされたのが、人を殺す為であったというのなら、それはなんという皮肉であることか。

 そこまで考えたものの俺はそれらを一切口に出さず、

 

「ふん…てめえらしいといえば、らしいかもしれねえな。」

 とだけ呟いた。

 

 

 その宿命から逃れても「守る」という意識だけは消えず、こいつにとって自身に属する者を守る事は、息をするくらいに当たり前の事なのだろう。

 だがな、てめえを守りたい男にしてみりゃ、それは屈辱だぞ。

 俺はこの時初めて、こいつが『豪くん』と呼んでいた男に同情した。

 

 

「……桜の木。」

 居間を通り抜け、縁側から庭に出ると、草ぼうぼうの庭の真ん中に、確かに木が一本生えているのが見えた。

 

「桜?あの木か。

 花が咲いていねえから、わからなかった。」

 何気なく口に出した言葉に、何故か橘の笑顔が、引きずられるように脳裏に浮かぶ。

 

『一年中咲く桜があるんですか?

 へえ…見てみたいなぁ。』

『てめえにゃ無理だ。

 男塾の校庭にある木だからな。』

『残念。オレ、桜って好きなんですよ。

 子供の頃ね、妹が…』

 

「散った花びらを…地面に落ちる前に受け止められたら、願いが…叶うんだよって。」

「…!?」

 今思い出していたあいつの話を、目の前の妹が、ぽつりと呟くように語り始める。

 いつもの可愛げのない、つっけんどんな敬語ではなく、まるで子供みたいな口調で。

 …いや、今のこいつは本当に子供なのだろう。

 

「だから、いっぱい取ろうとしたの。

 元気になって欲しかったから。

 でも、手を伸ばしたら花びらは逃げて、全部地面に落ちちゃう。

 そしたら、『自分から取りに行くんじゃなく、手の中に落ちてくるのを待つんだよ』って…。」

 

『あ、でもそれはあくまで、花びらの捕まえ方ね。

 これって思った人間関係は、やっぱ、自分から捕まえに行かないと。

 だからこうして、剛次さんとも、運命的に出会えたわけだし。』

『気色悪い事言ってんじゃねえよ!』

『えー、剛次さん、つれなーいwww

 …でも、今隣にいた人だって、明日には居なくて、二度と会えないかもしれないし。

 後悔とか、したくないですからね。

 だから、好きなものは好きだし、欲しいものは欲しいって言うんです。オレは。』

 

「思い……出した。なんで忘れていたの…。

 お兄ちゃん……!!」

  繋いだままの手が、ぶるぶる震える。

 少し強めに握ってやると、不安げな顔が俺を見上げた。

 

「ねえ、お兄ちゃんほんとに死んじゃったの?

 ほんとに、もうどこにも居ないの?

 もう………二度と、会えないの………?」

「…ああ。」

 

『春は毎年来るけど、咲く花にしてみれば、その年の春はその時だけだ。

 だから、散り落ちるその瞬間まで、精一杯咲き誇る。

 桜は、オレの理想の生き方そのものです。』

 

 あいつが死んだあの夜は桜が薫っていた。

 自身が好きだと言った、桜の花の季節に、その香りの中、奴は逝った。17歳の若さで。

 

 俺の肯定に光が俯き、唇を噛みしめる。

 俺はその小さな頭を掴むと、強引に上向かせて、言った。

 

「…………泣け。」

「え?」

「我慢する事ぁねえ。泣け。てめえは女だ。

 あいつの為にも、てめえ自身の為にも、今は泣きたいだけ泣け。」

 女は悲しい時には泣くもんだろう。

 涙を堪えて先に進むのは男の仕事だ。

 ガキの時分にどっちも求められて、自分はどっちに傾くべきか判らなくなってんだろうが、ならせめて、泣きたい男の代わりに泣くがいい。

 

「…泣き顔を見られんのが嫌なら、俺は背中を向けていてやる。」

 顔を見られたくないのは、どちらかというと俺の方だったのかもしれねえ。

 俺は掴んでいた光の頭を離すと、そのまま背を向けた。と、

 

「……!!?」

 不意に、背中に温かく、柔らかいものがしがみついてきた。

 

「ごめ…なさい……でも、背中……貸して…っ……!」

 …俺の背中で、その温かいものが弾かれたように慟哭した。

 それでいい。泣きたいだけ泣けばいい。

 あいつの為、てめえ自身の為、そして…俺の代わりに。

 

 ・・・

 

「赤石。」

 背中から、温かい感触が離れたと同時に、呼びかけられる。

 

「…なんだ?」

「帰りましょう、男塾へ。

 今日は一日中付き合わせてしまって、申し訳ありませんでした。」

 …どうやら11歳半の少女から、実年齢の時間に戻ってきたようだ。

 泣いた事が気まずいのか、俯き加減の顔の、頬が少し赤い。

 まったく可愛げのねえ女だと思っていたが、こうして見ると少しだけ可愛く見える。

 …って、何を考えてんだ、俺は。

 

「フン。

 そう思うんなら、今度いい酒の一本でも持ってくるんだな。」

 何だかこいつの顔をまともに見ていられなくて、俺は明後日の方向に視線を泳がせながら応じる。

 さっきまで泣いていた女が、俺の言葉にクスッと笑うのが聞こえた。

 

「今日のことを、口外しないでいただけるのでしたら、3本は用意させていただきますよ。

 良ければそれで、桃と和解してください。」

 生意気な事を言いやがる。

 口外するなと言うが、てめえは肝心な事は何一つ言いやがらねえだろうが。

 だが、その提案は魅力的だな。

 

「余計なお世話だ、ガキが。

 …まあいいだろう。

 いい酒だとてめえが選んできたものを話のネタにして、それをツマミにヤツと酌み交わすのも悪かねえ。」

「あら、信用がないんですね。

 私だってお酒の事、少しはわかりますってば。

 ていうか…私は桃よりも年上なんですがね。」

「ああ…橘とは双子だったな、そういや。

 あんまりちっこいんで、忘れてた。」

「ちっこいとか言うな!

 あなたと比べたら誰だって小さいでしょう!」

 そのちっこい身体で俺に食ってかかる心臓は褒めてやる。

 もっとも、さっきあの男と対峙していた様子から見て、本気になればこいつは、俺くらい躊躇もなく殺しにかかってくるのだろうが。

 

 

「あ、ちょっと待って。確か…ここだ。」

 突然光が、桜の樹に歩み寄り、その幹の下にしゃがみ込んだ。

 そうしてそこに転がっている大きな石を、躊躇なくひっくり返す。

 

 …普通、女はそういうの、嫌がるもんなんじゃねえのか。

 というか、和服姿の女がする事じゃねえ。

 

 ひっくり返した石の下からは、湿気のある場所を好む虫がわらわらと出て…来なかった。

 そこは石で組まれた、明らかに人工的に作られた隙間というか穴が開いており、光はその中に手を突っ込むと、青っぽいビニール袋に包まれた何かを、その穴から引っ張り出した。

 

「ん?……なんだ、それは。」

 ビニールを外すと、中から出てきたのは2冊の、子供用の学習用ノート(所謂ジャ◯ニカ学習帳。分類は『じゆうちょう』とある)だった。

 

「…父が、私に教える為に、古文書を現代語に直して纏めたものです。

『橘流氣操術』と、その禁忌を記した『裏橘』の書。

 どちらも今は、全て私の頭の中に入っています。

 だから、これは誰かの目に触れる前に、私の手で焼却処分します。

 そういう約束でした。

 その前にこの家を離れざるを得なかったので、隠すしかできませんでしたが、ようやく果たす事ができます。」

 そう言うと、どこか切なげに、光はそれを抱きしめる。

 

「てめえ…記憶が」

 俺の呟きにこくりと頷いて、光は言葉を続けた。

 

「父は、兄の病気が発覚した時点で、兄の命を諦めていました。

 だから本来なら兄が受け継ぐ筈の一族の秘術を、まだ幼い私に教え込みました。

 私は10歳になるかならないかで、その全ての技を修めた。

 本来ならいつ尽きていてもおかしくなかった兄の命を、それから2年弱、繋ぎ止めたのは、この私です。」

 恐らく父親は、この女に自身の宿命を納得させる為に、兄の命をダシに使ったに違いない。

 理由が理由だけにこいつは必死になった筈だ。

 もっともその親にしても、こいつがそこまでの速さですべての技を習得する事になるとは思っていなかったのだろうが。

 その点では棚ボタというか、結果的にこいつが天才だったのだろう。

 橘のやつがもし健康で、同じ修行をしたとしても、同じ結果にはならなかったろうから。

 

「御前…私の飼い主が、いつ私を見つけたのか、それはわかりません。

 ですが、父が兄の命を諦めた事に不満のあった母に、私を寄越せば兄の手術費用を出してやると、話を持ちかけたのは間違いないようです。

 両親がそのように言い争いをしているのを、何度か見ました。

 私は兄と離れるのが嫌だったからそう言ったら、『兄さんを助けたくないのか』『お前は人でなしだ』と母に詰られ、父が母に手を上げるのも見ました。

 飼い主の元へは、母に連れられて行きました。

 そこで…人を殺す事を学び、それ以外の事は、全て忘れました。

 己の感情はなく、飼い主の意のままに、証拠も残さず人を殺す暗殺者。

 それが、私です。」

 飼い主にとってのこいつの価値は、人を殺す力。

 僅か11歳半の少女の身に、課せられたそれは、なんと重い宿命だったことか。

 温かい記憶など忘れきらなければ、到底耐えきれるものではなかったろう。

 

「以前塾長は私に、力そのものに善悪はないとおっしゃいました。

 ですが私はその力に、罪を与えてしまった気がします。

 受け継いだのが、私だったばかりに。」

「そんなもんは、てめえの責任でもなんでもねえ。

 何もかも、大人の都合だ。」

 聞いていて胸糞が悪くなり、俺は思わず吐き捨てるように言い放つ。

 

「…似たような事を、てめえの兄貴も言っていたがな。

 生き延びた事が罪だが、生きてるからには責任取らなきゃいけねえんだと。

 本当に…てめえらは似てる。そっくりだ。」

 違うのは、あいつはそれを笑って言った事くらい。

 あいつの心の強さは、しなやかさだった。

 こいつは違う。

 心が壊れないよう、固く覆って隠す事で、それを守っている。

 内側は恐らく、儚く脆い。

 

「だが橘は、自分の力が及ばねえ事に、他人を頼る事を恐れなかった。

 てめえもそうしろ。

 生きてる責任が重てえてんなら、誰かに一緒に持ってもらやいい。

 …俺の手がまた必要なら言え。貸してやる。」

 気がつけば俺は、自分でも気持ちが悪いと思う事を口にしていた。

 どうやら兄だけでなく妹にまで、俺は完全に絆されたようだ。

 そして兄の時と同じように、俺はそれを不快に思ってはいない。

 まったく…どうかしている。

 

 ・・・

 

 時間はもう真夜中。男塾の正門前。

 

「あなたは先に入っていてください。

 私はこの格好で、正門から堂々と入る訳には参りませんので、あとで裏門から入ります。」

 馬鹿か貴様は。

 普通は男が、女を送り届けるもんだろうが。

 こうなると分かってりゃ先に裏門から回ったものを。

 

「…まさか、このまま行方を眩ましやしねえだろうな?」

 少しだけ悔し紛れに、俺はその目を睨みつける。

 

「しませんよ。

 豪くんが…彼が言っていたでしょう?

 私はもとの飼い主から、命を狙われているんです。

 単独でどこへとも逃げ回るより、ここにいた方が安全ですから。」

 その俺の視線に怯むでもなく、軽く肩を竦めて、おどけて答える。だが、

 

「…その言い方は二度とするな、光。」

「…は?」

 さっきしたのと同じように、頭を掴んで上向かせる。

 何を言われたのかわからなかったのであろう、光はきょとんとした目で、俺を見返した。

 

「さっきも言ったが、てめえは犬じゃねえ、人間だ。

 今までも、これから先もだ。それを忘れんな。」

 当たり前の事を言っているだけなのに、光の目が驚いたように見開かれる。

 

「…何か、文句でもあるのか?」

 黙ったまま何も答えない事に、若干イラッとして俺が問うと、その口角がゆっくり、笑みの形に上げられた。

 

「いいえ……赤石は、優しいんですね。」

「…!く、くだらねえ事言ってんじゃねえ…!!」

「フフッ…今日はありがとうございます。

 おやすみなさい、赤石。」

 光が小さく手を振るのに、答えず俺は背を向けた。

 校門をくぐると、季節外れの桜が薫った。

 あいつが見たいと言っていた桜。

 あの時は俺とて、二度と見ることはないと思っていた。

 春と違って満開ではなく、夏はこの枝、秋ならここと、一部の枝に花が咲くような形。

 その花が、風に揺れて、花びらを散らす。

 不意に橘の満面の笑顔が、その光景に重なった。

 さっき別れた顔と同じで、それでも全然違う顔。

 そうだ、てめえの妹は、まだそんな風には笑わねえな。

 少なくとも俺は見たことがねえ。

 いつか見る事があるんだろうか。

 

 ☆☆☆

 

「押忍、光。」

 いつも通り、執務室で雑務をこなしていたら、桃がまたやって来た。

「殺シアム」で彼が負った怪我は、一番大きな胸の傷自体がそれほどの重傷でもなかった為、私は手当てを施していない。

 ので、あちこちに包帯やら絆創膏が目立っているが、男塾仕様の応急処置は信用できる。まあ大丈夫だろう。

 

「おはようございます、桃。今日は何か?」

「特にないが、何か手伝うことは?」

 彼のこれは、授業をサボる口実でしかない事はそろそろ判ってきているので逃げ道を塞ぐ。

 

「ありません。授業を受けてきてください。」

 そのまますげなく執務室から追い出そうとしたら、桃は私の顔を覗き込んで、少しだけ探るような眼差しを私に向け、言った。

 

「で、赤石先輩とのデートは楽しかったか?」

 …一瞬何を言われたのかわからなかったが、昨日自分でも赤石に、同じような冗談を言った事を思い出して、苦笑する。

 うん、とりあえず乗っておこう。

 

「…おや、どうして知ってるんですか?」

「俺は聞いただけだけどな。

 一昨日俺との決闘で全治3ヶ月の重傷を負った筈の赤石が昨日、和服を着た美人と歩いてたって。

 傷に関しては、そんな事が出来るのはおまえくらいだろうし。

 連れの女がおまえかどうかは、今聞くまで確証はなかったが。」

「所謂、カマをかけたというやつですか。

 残念ながらデートではありません。

 最初から話すと長くなるんで端折りますが、赤石に付き添って貰って兄弟に会ってきただけです。」

 …嘘は言っていない。

 

「兄弟?」

「正確には義理の弟と、死んだ兄です。

 詳しく話す気はありません。

 もういいでしょう。ほら、授業に遅れますよ。」

 正確には、もう始業のチャイムが鳴っているので既に遅れているけれど。

 多分、本人もわかっているのだろう。

 

「でもおまえ、なんか雰囲気変わったぜ。

 なんていうか…少し、綺麗になった。

 もしそれが赤石のおかげだというのなら、少し妬けるな。」

「…相変わらず気色の悪いことを言いますね、あなたは。」

 一応、確認すべき事は確認したが、私が依然、命を狙われたままという事実に変わりはない。

 という事は、私はまだまだ男でいなければいけないという事だ。

 事実を知っているとはいえ、女を見る目で私を見るのはやめてほしい。

 …とはいえ、椿山の時のような特殊なケースもないではないので、男だからいいという事でもないのか。難しい。

 

「フフフ、そうか?だが本当だ。」

「変わったというなら、幾らか吹っ切れたものがあるからでしょう。

 …それは多分、赤石だけじゃなく塾長や…桃、あなたのお陰でもあると思いますよ。」

 けど、そういう関心から離れた、純粋な好意や思いやりが、彼らの中に存在するのも事実で。

 以前なら、それを感じるたびに、身の置き所がわからなくなって、逃げ出したくなったものだけど。

 

「俺の?」

「ええ。以前言ってくれましたよね?

 私の事も、仲間だって。

 昨日、赤石に言われた事があって、それによってあなたのその言葉が、いきなりストンと腑に落ちたんです。

 だからじゃないでしょうか。」

 

『生きてる責任が重てえてんなら、誰かに一緒に持ってもらやいい。

 …俺の手がまた必要なら言え。貸してやる。』

『おまえに頼られて嫌な顔する奴なんか居やしないさ。

 …まずは、俺を信じろ。』

 

 ここの男たちは、優しすぎる。

 けれど、今はその優しさが、素直に嬉しい。

 なんて事を考えていたら、

 

「…ふうん。だとしたら、やはり妬けるな。

 なあ光、今度、俺ともデートしてくれないか?」

 と、もう一度顔を覗き込んで、桃が言った。

 

「デートじゃないと言った筈ですけどね。

 でも、いいですよ?」

 さっきの冗談の続きならば、まだ乗っておく事にする。

 それなのに当の桃は、一瞬目を見開いて黙り込んでから、少し驚いたように言った。

 

「いいのか?

 絶対に断られると思っていたんだが。」

「私も、あなたは絶対に本気じゃないと思っていましたが。」

 私の言葉に、何故か挑戦的に微笑んで、桃が答える。

 

「フッフフ、それでも約束はしたぞ。

 どこに行きたいか決めておいてくれ。」

「あら、あなたが誘ったんですから、プランはあなたが考えてくださいよ。

 ちなみに、女の『あなたに任せる』は『どこでもいい』という意味ではなく、『あなたのエスコート能力を見極めさせてもらう』の意味ですからね。

 将来、これはと思う女性と付き合う時の、参考にしてください。」

 どうやら、交際経験というジャンルに関しては、私に軍配が上がったらしい。

 もっとも、私の過去の「交際相手」は、上流階級の大人の男性ばかりだったから、エスコート能力で十代の男の子が敵うわけがない。

 そのうち一人として、今現在まで生きている者はいないけど。

 

「なるほど、よくわかった。

 …ところで、なんか珍しいもんがあるな。」

 言われるとは思っていた。

 私の執務室にあるソファーの前のローテーブルは、天板はアクリル板だが下にもう一枚オーク材の板との2枚仕立てになっており、間にディスプレイ品が置ける形のもので、今はそこに、2台の赤い車の模型を配置してある。

 昨日赤石に連れられて行った兄の家から、隠しておいた秘伝書と共に持ち帰ってきたものだ。

 

「これですか。

 どうやら私は子供の頃、車が好きだったようです。

 見ていると懐かしい気がして、兄の家から持ってきました。」

 記憶が完全に戻ったわけではない。

 思い出せたのはほんの断片だが、親戚のおじさんとかいう人に、欲しい玩具を買ってあげると言われて、私が選んだのがこの2台の模型だった。

 …というか、今気付いたのだが、あの時のおじさんが、今思えば御前だったような気がする。

 …いや、止そう。考えるな。

 

「スーパーカーブームの頃だろう。

 俺も好きだった。」

 桃が、言いながら、天板の下から、その小さな車を出して、掌に乗せる。

 

「特にこの、フェラーリ365GT4ベルリネッタ・ボクサー、この世で最も美しく官能的な車で、今でも俺の憧れだ。」

 桃が言うのに対抗して、私ももうひとつを手に取る。

 

「私はこっちが好きです。

 ランボルギーニ・カウンタック。

 この、車を超えた、美しいデザイン、もはや芸術の域でしょう。」

 同じ時に買ってもらって同じように組み立てて、若干カウンタックの方が痛みが激しいのは、やはり当時も気に入っていたのがこっちだったからだろう。

 …それはそれとして、桃だとすっぽり掌に乗るのに、私が同じようにするとはみ出して、同じ縮尺なのになんかものすごく大きく見える。

 泣くもんか。

 

「あと、あの当時人気だったのは、ポルシェ・ターボやロータス・ヨーロッパかな。」

「その辺はあんまり好きじゃなかった筈です。

 今は知りませんが、当時はカエルみたいな顔とか思っていましたから。」

「顔、ねえ…。」

「…でも意外です。

 あなたがこんな話題に乗ってくれるなんて。」

「俺にだって子供の頃はあったんだぜ?」

「きっと、相当かわいげのない子供だったんでしょうね…。」

「しみじみ言うな。」

 いつもより軽口の応酬が何故か心地いい。

 

「…やっぱりおまえ、いい方に変わったと思うぞ。

 少なくとも一昨日会った時点では、まさかおまえとスーパーカーの話ができるとは思っていなかったからな。」

 けど、いつまでもこうしているわけにもいくまい。

 私は事務員、相手は塾生だ。

 

「そうですね。楽しかったですよ、桃。

 はい、雑談は終わりです。

 授業は始まっていますから、今から行って潔く鬼ヒゲ教官に怒られてきなさい。」

 彼の手からベルリネッタ・ボクサーを回収し、カウンタックと一緒にまたディスプレイスペースに戻してから、私は桃の背中を両手で押した。

 

「フフッ、まったく厳しいことだ。」

 抵抗せずに入口付近まで私に押し出されながら、桃が少しだけ私を振り返る。

 その顔を見上げた時、小さな違和感を覚えた。

 

「あ、ちょっと待って。ここ、何か…?」

「ん?」

 桃の顎の下、真正面から見れば辛うじて隠れているくらいの位置に、何か白いものが付着している。

 指でつまんで取ってやり、正体を目で確かめて…それが何か理解した瞬間、思わず吹き出した。

 

「…ぶふっ!

 やだちょっと、歯磨き粉の欠片ですよ、これ。

 付けたままここまで来たんですか!?あなたが!?」

「え?本当か?」

 さすがに慌てたような表情をする桃に、更に笑いがこみ上げてくる。

 まずい、止まらない。

 

「本当ですって。

 くくっ…もう、子供じゃないんですから…っ……ぷぷっ」

「フフッ……ハハハッ…」

「アハハハハ、や、やだもう、苦し…!」

 

 

 と。

 大笑いしているところに、突然巨人が現れた。

 

「邪魔するぞ、光。

 …剣か、何してんだてめえ。」

 唐突に訪れた圧迫感に、笑った顔のまま固まる。

 

「赤石!お、お疲れ様です。」

「押忍、赤石先輩。

 …先輩こそ、どうしてここへ?」

 桃が問うと、問われた赤石は、親指で私を指し示した。

 

「俺はこいつに用がある。」

「ここに来たからにはそうなんでしょうね。

 用はなんですか?」

「その前にこいつを追い出せ。」

 今度は同じ指で桃を指し示す。

 

「だ、そうですよ桃。」

 私が暗に退室を促すと、なにを思ったか桃は私の肩を抱くと、自分のそばに引き寄せた。

 赤石の眼光が鋭くなる。いや怖いから。

 

「光が女だって事は俺も知ってますよ、先輩。

 なので、二人っきりにはさせられません。」

「てめえこそさっきまで二人っきりだったろうが。

 つか、手ェ離せ。

 いいか、俺の妹に手なんか出してみろ。

 その手、今度こそぶった斬ってやる。」

「ちょ、ひとの執務室で抜刀はやめ…………え?」

 なにか今、あり得ない宣言を聞いた気がするが気のせいだろうか。

 

「………妹?」

 さすがの桃も怪訝な表情を浮かべ、私の肩を抱いたまま、私と顔を見合わせる。

 

「あの…赤石?何を言って…」

「…そう言いに来た。

 てめえの兄貴の仇は、結局この手で取れなかった。

 ならせめて、その役割を俺が肩代わりしてやる。」

 ちょっと待って。その決意要りません。

 

「…いやもう、こいつ代表にした手のかかる弟みたいのがここにはたくさんいるんで、それ以上に手のかかる兄とかほんと要らないんですが…とか言っても無駄なんでしょうね。

 ありがとうございます、赤石。」

 なんか色々な意味でまた泣きそうなのは気のせいだろうか。

 赤石が、本質的には優しい人なんだという事は、昨日一日でよくわかった。

 けど、惜しむらくは、その方向性が明後日に向かっている上、血の気が多いこともあって、深く関わったら嫌な予感しかしない。

 

「用はそれだけだ。ではな。

 …剣、てめえも来い。

 どうせ授業に出る気なんざねえんだろう。

 相手してやるから、こいつを煩わせるな。

 行くぞ。」

 抜きかけた刀を背に戻しながら、赤石が桃を促してドアへ向かう。

 桃はようやく私の肩から手を離すと、軽く肩をすくめて、苦笑いした。

 

「前門の虎、後門の狼か…光、また後でな。

 デートプラン、ちゃんと考えとく。」

 これは私に対してより、赤石に対するからかいの冗談なんだろう。

 とりあえず乗っておく。

 

「はい、楽しみにしています。」

「!?貴様っ……!!」

 赤石が桃を睨みつけ、桃は飄々と、その視線を受け流した。

 いいから外でやれ。

 

 ・・・

 

「…俺が入る前、なんの話をしていた?」

「はい?」

「俺も付き合いが長いわけじゃねえが、あいつの笑い声なんざ初めて聞いたぞ。

 どうやって笑わしたんだ?」

「ああ、あれね。

 朝、寝坊して急いで出てきたんで、歯磨き粉が付いてたらしいです、ここに。

 どうも、それがツボったみたいで。」

「ガキか。」

「あいつにも言われました。…で?

 兄貴になるなんて言っちゃって、いいんですか?」

「…どういう意味だ。」

「フッ、まあ、俺としてはその方がいいですけど。

 光は、いい女ですからね。」

「いい女?

 あんな、男のひとりも知らねえガキがか?」

「…いやまあ、そこのところについては、俺は知りませんけど。」

「俺は目はいい方だ。間違いねえ。

 それよりさっき、デートがどうとか言ってやがったな。

 どういうつもりだ。」

「どういうつもりと言われてもね。

 駄目元で申し込んでみたら、了解してくれただけなんで。」

「絶対に許さん。

 貴様は今ここで、俺の刀の錆にしてくれる!」




この時期の桃は、他の塾生がハチャメチャにした展開を、スッキリ纏めるのがお仕事の主人公でした。
なので、最後の一番いいトコは彼が持っていきます。
リアルタイムで読んでた時は、ちょっとズルいと思ってましたwww
そしてアタシの中では、赤石先輩はナチュラルに兄貴キャラ。

「帰ろう、男塾へ…!」というフレーズがなんか好きで、思い切ってヒロインに言わせてみたw

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