婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝 作:大岡 ひじき
1・アウトロー・ブルース★
「ボクシングのルールでは、バックハンドブローは反則なんだがな。」
あれは天動宮滞在の前日。
例の、型だけのスパーリングから、軽く打ち合う方向(と言っても当ててるのは私だけでJは寸止めに終始してくれていた)に、ほんの少し進化したトレーニングを、校庭の桜の樹の下で行なっていた際、私が思わず繰り出してしまった裏拳での攻撃を、あっさりその太い腕でガードしながらJが苦笑した。
「失礼いたしました。
一時間ほど前に桃と空手の組手をしていたもので、まだ頭の中で切り替えができていなかったようです。」
「…その足で俺のところに来たのか。
光は意外とタフなんだな。
それにしても、今のは反射的に出た動きだろう?
これまでに、何か格闘技の経験があったのか?」
Jに問われて、私は頷く。
「護身術程度の拳法なら、ほんの少しだけ。
あくまでも危機的状況の時に身体が動くように、くらいの位置付けで、飼い…養父が雇っていた師範に教わりました。」
いけない。
飼い主、なんて言葉を使ったらまた赤石に怒られる。
今は近くにいないようだが、油断はできない。
どこからでも現れる可能性がある。
「恐らく、まともに修業すれば、かなりのものになってたんじゃないのか。
…リーチの長さという、格闘家としては致命的なハンディが確かにあるとはいえ。」
…Jは純粋に、褒めてくれたんだとは思う。
けど、最後に余計なこと言った。
「…今、ものすごい地雷踏んだ事に気付いてますか?」
大人気ないとは思うが、とりあえず睨んどく。
「…すまん。だが、本当だ。
光には格闘技の才能がある。」
そういえば、留学生が来た日に塾長室で会った、
自分ではよくわからないけれど。
「…俺としてもいい勉強になった。」
「え?」
と突然、意外なことを言われ、私は思わず聞き返す。
「ここでの格闘術の授業は、基本的に異種格闘技戦のようなものだからな。
いつも自分の得意のステージで戦える訳ではない以上、あらゆる状況や攻撃に対する心構えは必要になってくるという、いい教訓だ。
…ボクシングのルールなら、俺とおまえのような、体重差のある同士が戦う事自体、そもそもありえない。
だが、異種格闘技戦となる場合、おまえがどのような戦い方をするか、俺は瞬時に予測を立てねばならん。
おまえの格闘スタイルがボクシングでない以上、さっきのような攻撃もあり得るわけだ。」
…真面目だなあ、Jは。
私が単にうっかりやっちゃった事まで、教訓にしちゃうんだから。
「例えば…そうだ。
あの桜の花びらが、敵だったとしたら、おまえならどう対処する?」
は?桜の花びらが…敵?
「凄いこと考えますね、Jは。
そうですね、私なら…。」
それは、予想もつかない動きで襲いかかってくる敵。
こちらから攻撃しても、その動きに合わせてひらりひらりと躱される。となれば。
☆☆☆
「私は、救命はできますが救助はできません。
そこは全面的に、あなた方にお任せします。
どうぞよろしくお願いいたします。」
「承知した。そちらは任せておいて欲しい。
こちらも光の力を全面的に信頼している。」
三号生たちと、そのように話をして、最初の闘場へと向かう。
ちなみにこの道行きだが、邪鬼様や、あの時彼の側に控えていた4人(
彼らが出張るほどの事ではない、という事であるようだが、今同行している三号生たちは、必要であれば私の指示に従って動いてくれるとの事で、改めて自身に課せられた期待の大きさを意識させられる。
誰も…死なせない。敵も味方も。
その為に、茶番劇と知りつつも私はここにいるのだから。
両軍合わせて8名の男たちが、大きな鉄球を押し上げながら、富士山を登ってくる。
先に着いて待機していた私たちは、それぞれの持ち場で彼らを待つ。
驚邏大四凶殺一の凶・
千度もの高熱をもつというマンガン酸性硫黄泉。
戦いの足場は、突出点在する無数の岩のみ。
見届け人の男たちが戦いの開始を告げ、それぞれの闘士が一人ずつ、鉄球と繋がれた足枷を外されて闘場に立った。
男塾側闘士は、J。
豪学連側闘士は、雷電という男。
戦いは終始、雷電のペースで展開していた。
「伊達の側近のあの3人は、三面拳と呼ばれている。
それぞれに中国拳法の奥義を極めた強者だ。
中でもあの雷電が操る大往生流とは、古い歴史のある流派で、優れた体術と高い俊敏性に重きを置くという。」
何故か私の隣で解説し始めた三号生のひとりが言う通り、雷電は足場の悪さなど何程のこともないというように、Jへの攻撃にヒットアンドアウェイの足技を繰り返す。
しかもその爪先に刃物を仕込んである為、攻撃を受ける箇所によっては致命傷も免れない。
ボクシングのリングの上であれば、Jとてフットワークに定評のある男だが、この足場ではそれが生かせず、ダメージが蓄積していく。
それに、一発入ればそこで勝負が決まるであろうJのパンチに、足元を気にする為か今ひとつ切れがない。
このままでは負ける。
☆☆☆
「………私なら、待ちます。」
正直、軽い気持ちで訊ねただけだったが、光は俺の『桜の花びらが、敵だったら』の問いに、少し考えてから、そう答えた。
「待つ?」
「ええ。敵が、こちらに向かって攻撃して来るのを待ちます。
その瞬間なら確実に動きを捉えられますから、相手を捕まえてから攻撃をします。」
…こういうのを日本語では、『目から鱗が落ちる』と言うのだろうか。
それは、少なくともボクシングのルールを前提として考えたら、相手を捕まえての攻撃など、絶対に出てこない発想だった。
だが異種格闘技戦なら、そういった事も考えに入れておかないと、思わぬ形で敗北を喫する事になる。
改めてそれを感じた。
狂気を極めるにしても、俺の世界はまだ狭い。
・・・
…何故このタイミングで、そんな事を思い出したのだろう。
俺の対戦相手の雷電という男が繰り出す、つま先に仕込んだ刃物以上に鋭い足技に翻弄され、それでも何とか致命傷は避けながら、俺は考える。
足場の悪さを、逆に利用するような、変幻自在の動き。
押さば引き、引かば押す。
そうだ。こいつはまさに、桜の花弁だ。
あの時仮想敵として思い描いた、自分に攻撃して来る桜の花弁。
ならば……!
「大往生───っ!!」
「…フフフ、そいつを待ってたぜ。
今までは斬るばかりだったが、今度はとどめに突き刺しに来るってわけだ。」
「な、なに…!?」
俺はファイティングポーズのまま微動だにせず、雷電の攻撃をそのまま胸で受け止めた。
「無駄だ。いくらあがこうが抜けやしねえ。
胸の筋肉ってな人間の体で一番緊縮力の強い部分…これでもう逃がしゃしないぜ。」
雷電の爪先に仕込んだ刃が、俺の胸に突き刺さったまま固定される。
雷電は蹴りを繰り出した足を、俺に完全に取られた格好になった。
後ろで俺の戦いを見守る仲間たちに、笑いかけながら、俺は言った。
「フフフ、先に地獄で待っている。
必ず勝てよ…この『驚邏大四凶殺』。
…俺の名前は男塾一号生、J!
これがこの世で最後のマッハパンチだ────っ!!」
瞬間、なぜか桜の下で一生懸命に拳を振るう、少年のような少女の姿が脳裏に浮かび…次にはその姿が、桜の花びらのように散っていった。
☆☆☆
雄叫びをあげながらのJの一撃が完全に雷電を捉えた。
そりゃそうだ。
あの状況では、いかな雷電とて避けようがない。
2人はそのまま、酸性の泉の中に倒れていく。
勝負は…相討ち。
だが、私たちの仕事はここからだった。
J、その覚悟や見事。
だが最後になんて私がさせないから安心しろ。
「急いで引き上げて、酸性の液体を洗い流してください!」
私の指示で、三号生たちが動く。
だが私たちの動きが生き残りの闘士たちの目に触れるわけにはいかない為、彼ら2人が落ちた瞬間を狙い、周りが見えないほどの濃い煙を立てておいた。
これは闘士たちの目には、2人が落ちた瞬間に一気に立ちのぼった蒸気のように見える筈だ。
その煙に身を隠して、鮮やかな救出劇が行われる。
見届け人達は「千度の高熱」と言ったが、恐らく温度自体は大袈裟だ。
この場合、皮膚を損傷しうるのはあくまで泉の成分の強い酸で、確かに温度は高いが、実際には100度に満たないだろう。
とはいえ引き上げられた2人が全身火傷を負っている事実には変わりなく、全身を水で洗い流された後の皮膚は、かなりひどく焼けただれていた。
「お疲れ様です。
後は5人ほど残っていただいて、残りの人数は先に二の凶へと向かってください。
残りの方は私が治療を終えるまで待機していただいた後、4人は彼らを、それぞれの救護地点まで搬送してから、あとの1人は私と一緒に、それぞれ二の凶へ向かうという事でお願いします。」
「了解した。」
全身の火傷だから、治療は広範囲に渡る。
しかも2人ともだ。
この後の事も考えて、完治まではさせずに、焼けた皮膚の再生とJが胸に受けた刺し傷の治療のみに留めておくべきだろう。
両手の五指に氣の針を溜め、2人同時に、心臓に直接送り込む。
こうしておけば血流とともに全身に私の氣が巡り、その氣が細胞を活性化させるだろう。
Jの胸の傷はほっとけばほぼ致命傷なので、これだけは完全に塞いでやろうとは思うが、この後最高で6人に治療を施さなければならない事を考えたらここまでが限界だろう。
少しずつ増やす努力はしているものの私の氣はまだ少なすぎる。
後は、2人を安静に休ませてやれる場所まで運ぶ。
この後三号生達の別動隊が彼らを迎えに来て、麓まで運んでくれるという手筈だ。
もっとも、うちの塾生と豪学連のメンバーを、同じ場所に寝かせておくわけにもいかないのだけど。今はまだ。
「…お疲れ様です、J。そして、雷電。」
近い将来、この者たちが手を携えて、共に戦う日が来る。
その日の為に、私はここにいる。
さあ、感傷に浸っている暇はない。
次の闘場へ向かわなくては。