婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜 作:大岡 ひじき
驚邏大四凶殺二の凶・
鋼で編み上げた綱一本を命綱とし、それを握って断崖から吊り下げられた状態で、高所にて戦う空中戦。
手を離したら命はない。
男塾側闘士、富樫源次。
豪学連側闘士、飛燕。
「あの飛燕という男、身軽で華麗な動きを旨とする鳥人拳の使い手と聞く。
更にあの若さで中国拳法の秘中の秘とも言われる鶴嘴千本を極め、天才の名を
空中戦はまさにこの男の独壇場。
これは、あの富樫という男、かなり分が悪いと言わざるを得ないな。」
と、またも私の隣でさっきの男が解説してくれるのを聞きながら、心の中で舌打ちする。
偶然ではあるのだろうがさっきの一の凶の時といい、なにやら一方的に相手のステージで戦う状況になってしまっている。
そもそも私の見る限り、富樫には拳法の心得も刀剣術の基礎もない。
彼にあるのは肉体の頑健さと根性、それに尽きる。
それだけでこの驚邏大四凶殺の闘士のひとりとして名を連ねたわけだから、たいしたものといえばそうなのだが、私から見れば死天王が狼狽えた虎丸の選抜よりも、実は富樫の方が意外だった。
どうも根性という目に見えない要素は、女の私よりも、男の彼らに重要な評価ポイントであるらしい。
もっともこの闘場に関して言えば、ここで戦うのがもし赤石だったとしたら、その「根性だけはある」富樫よりずっと、とんでもない苦境に立たされていた気がするけど。
…閑話休題。
戦いは始まってみれば、やはり最初の予想通り、飛燕という男の独壇場だった。
まるで翼が生えているかのごとき、その身の軽さはまさに『鳥人』。
ロープを掴んだ手に体重がかかっているとは思えない動きで、そのロープの揺れを利用しながら、富樫に攻撃を与えていく。
対して富樫は自身の体重を支えるのが精一杯と見え、反撃どころか防御すらままならない。
やがて飛燕はその状態から器用に脚にロープを巻きつけると、懐から細長い針状の暗器を取り出し、それを投擲して富樫の右手首に打ち込んだ。
打ち込まれた富樫の右腕がロープから離れ、だらりと下がる。
「あれが鶴嘴千本。
あの飛燕が最も得意とする武器だ。」
なるほど…あれは私が裏橘を用いて、赤石や豪毅の兄の獅狼に使ったのとほぼ同じ技だ。
ただあの鶴嘴という針では、私が氣で精製する針に比べると明らかに太い為、その分ツボの奥に届く深さが制限される。
私ならば同じ箇所に同じ攻撃を加えれば、強制的に五指を開いた上に、指先から肘までつったような痛みが走る事だろうが、あの場合は痺れて力が抜けるくらいだろう。
しかしこの状況では、それで充分に致命的だ。
そもそもあれは投擲武器だ。
あの距離で正確に神経節に当てる事自体、神業としか言いようがない。
やはり富樫ではここまでか。
落下に備え、崖下に待機している一隊に、警告の合図を出しておく。
そして飛燕の鶴嘴の第二撃が、残った富樫の左手を容赦なく貫く。
そっちは辛うじてロープを掴んでいる手だ。
そこから力が抜ければ…結果は一目瞭然。
これで男塾側の一敗になってしまうが、むしろ大した怪我もない今のうちに落下してくれた方が、それを救出するだけでよく、私は何もしなくて済む。
ドンマイ富樫。後は任せろ。
と思ったのだが。
落ちた、と思った瞬間、富樫は歯でロープを咥え、落下を免れていた。
これが富樫の「根性」。
まったく、要らんところで使いやがって。
まあ、本人的には使わなきゃ死ぬ状況なんだから仕方ないのだが、その光景にその場の全員が驚愕する。
飛燕は、今度は懐から爪形の武器を取り出して手に装着すると(というか、あんな大きなものをどこに収納…いや、そこはつっこんだら負けな気がする。止そう)、未だ手も足も出ない富樫に猛攻する。
それまでは手首以外に目立った負傷などなかった富樫の、厚い胸板に血の花が咲いた。
「富樫───っ!!」
☆☆☆
「なぁ、よく考えたら『もみしだく』って、オッパイにしか使いどころのねえ言葉だよな?」
関東豪学連の奴らが引き上げた後、救護室で手当てを受けながらの俺の言葉に表情を消したあいつが、ものすごく冷たい目をして、それでも言葉を返す。
「いきなり何を言い出すんですかあなたは。」
唐突だったのは確かに認めるが、そんな、公園や通学路で下半身を露出する変態を見るような目で俺を見るのは止せ。
泣くぞこの野郎。
「下ネタは、男同士のコミュニケーションだろうが。」
本当のところ、こいつに対してそういう話題は厳禁と、塾長から釘を刺されてる。
が、そう言われると、それがどこまでの範囲ならOKなのか、確認したくなるのが人情じゃないか?
「…そのコミュニケーション要りません。」
「なんだよ、ノリ悪ぃな…おめぇ童貞だろ。」
更に温度の冷えた目であいつが俺を睨むのを見て、ちょっとからかってみる。が。
「…そういう富樫はどうなんです?
経験あるんですか?」
そっちは見事に反撃された。くそ。
「………あるわけねえだろうが。」
嘘を言っても仕方ないので正直に言う。
「お互い様です。
さあ、もうこんな不毛な話は止して、怪我は治療したんですから、さっさと教室に戻りなさい。」
俺が答えるとようやく薄く笑って、あいつはその、女の子みたいに小さい手を、パンパンと鳴らした。
その仕草が、子供扱いされてるようでちょっとムッとする。
ふたつ年上だからって、こんなチビに。
「不毛とか言うな!
おめぇには、宿題の為に開いた辞書にうっかり『乳房』みたいな単語見つけて、その後ついついそういう、いやらしい単語を引くのに夢中になって、気付けば宿題の事なんか忘れてた、そんな栗の花臭い青春の記憶はねえのかよ!」
ちょっとムキになって言い募る。
しょうもない事を言ってるのは判ってる。だが、
「ないわ!おまえと一緒にすんな!」
適当に流されると思ってたら、あいつは同じテンションで言い返してきた。
…よし、やっと同じ土俵に立てる。
「ねえのかよ!おめぇ本当に男か!?
男なら大きいオッパイや、ミニスカートから覗くムチムチの太ももとかに、ロマンを感じるモンだろうが!」
「だから、さっきからなんの話をしているんですか!?」
「男の健康な性欲の話だよ!
マスラオのマスせんずれば若き血潮ほとばしりじっと手を見る、そんな話だよ!」
「そんな若者のリアルな下半身事情とか聞きたくないわ!私に振るな私に!!」
若干顔を赤くしながらあいつが言うのを聞き、ここらへんでもう既にアウトなのを理解した。
こいつ男のくせに下ネタに免疫なさ過ぎじゃねえか?てゆーか…、
「…おめぇ、女に興味ねえのか?
ひょっとして……ホモか?」
「……は?」
俺の問いに、あいつはぽかんとした顔をする。
そういえば、こないだこいつ、桃のやつと妙な事になってたし。
考えてみりゃ桃の、こいつに対する態度も、おかしいっちゃおかしいよな?
「…そうだ。
桃のヤロウも断煩鈴の時、一人だけ鈴鳴らさなかったし…やっぱりおまえらデキてんだろ?」
「……へ?」
あと椿山なんか、こいつに惚れてるって公言してやがるし、それでちょっかいかけようとして、赤石先輩に睨まれてたらしいし。あ?
「…それとも、赤石先輩の方か、本命は?」
いや待て。
それ言うならJも、あの顔面神経痛みてえな仏頂面が、こいつに対しては妙に優しい。
だが、そこまで考えたところで、心臓を圧迫されるような威圧感に気がついた。
「………私の事なら、どう思われても構いませんが、桃や赤石におかしな疑いをかけるのは、やめていただけませんか。」
ゴゴゴゴゴ……!!
地の底から響くような音が聞こえた気がした。
そうだ、こいつ普段は穏やかだが、怒らせると結構怖いんだった。
なんかもう、何をされるとかじゃなく、雰囲気が。
「うっ!す、すまねえ。そ、そろそろ戻るわ。」
若干脚をもつれさせながら救護室のベッドから降りる。
「あ、富樫、上着。」
慌てて扉に向かおうとする俺の背中に、あいつの声がかかった。
「お、おお。悪……いっ?」
まだ脚がもつれたまま振り返ろうとして、バランスを崩す。
思ってたより近くにあいつが、俺の上着持って立ってた。
その身体を巻き込んで、救護室の床に転倒する。
「痛たた…。」
「わ、悪りぃ光。大丈夫……か……。」
顔を上げると、滅茶苦茶近くにあいつの顔があった。
…普段から女みたいだと思ってたが、こうして間近に見ると、ほんとの女の子にしか見えねえ。
しかもとびっきりの美少女だ。
「…ねえ富樫。
お節介かもしれませんが、普段からズボンの中に、ドス入れとくのやめた方がいいです。
こうやって転んだ時、危ないですよ。」
「へっ?」
一応有事の際は確かにそうして持ってるが、今は置いてきてる。
こいつ、一体なんの事を言って……あっ!?
俺は慌てて光から身体を飛び退かせた。
どうしてこうなった!?
…なんでか知らんが俺の分身が臨戦態勢で、光の内腿に当たってた。
多分、こいつがドスと思ったのは、これだ。
「そ、そうだな。悪かった。じゃ、じゃあな。」
俺は光の手から、奪い取るように上着を受け取ると、救護室から駆け足で逃げ去った。
この後、俺が若き血潮をほとばしらせたのは言うまでもない。
ちょっと、桃や赤石の気持ちが判った。
・・・
どこかで光が、俺を呼ぶ声を聞いた気がした。
へっ、女の子みてえな声出しやがって。
だからホモ疑惑なんざかけられんだぜ。
まあ、間近で見たあの時には、俺もちょっとだけくらっときたが。
…ああ、光だけじゃない、桃の声が聞こえる。
虎の声も……あいつには貸しがあったっけな。
麓にいる筈の、松尾や田沢、秀麻呂の声もするぞ?
おかしいな、ここは確か富士の……。
フレー、フレー!富樫!!
それは、富士をも揺るがす、男塾大鐘音。
途切れそうだった意識がはっきりしてくる。
目の前に迫ってくる、飛燕とかいうオカマ野郎の鋭い武器。
俺は咥えていた綱を口から離すと、脚をそいつの腰に絡みつけた。
「フフフ、そうだ。俺は負けるわけにはいかねえ。
てめえらとは、背負ってるもんが違うんだ。」
俺の実力がこいつに及ばねえのは判ってる。
だから、せめて刺し違えてでも。
「自分の命と引き換えに相討ちを狙う気か。
まったく、どこまでしぶとい奴なんだ。」
男のくせに無駄に綺麗な顔が、僅かな動揺を見せつつもニヤリと笑う。
「だてに毎日、血ヘド吐きながらしごかれてきたんじゃねえ。
これからが男塾一号生・富樫源次の真骨頂だぜ。」
俺の言葉に、そいつは怒りに顔を歪ませ、更に例の武器で攻撃してきた。
バケモノ呼ばわり、結構じゃねえか。
相変わらず手が使えない俺は、やっとの事で握っていたドスを、口に咥えて反撃した。
奴のお綺麗な顔に、一筋の赤い線と、驚愕の色が走る。
俺は勢いに任せ、同じ攻撃を再び繰り返した。
と、奴が崖壁を蹴る。
その振動で俺の身体がぐらつき、僅かに脚が緩んだ。
刹那、奴の
…痛みが、一瞬後に遅れてやってくる。
そこに追い討ちのように奴が俺の身体を蹴り……
俺の身体は宙に投げ出された。
………。
それはまさに奇跡だった。
次の瞬間、落下していた筈の俺の身体は、谷底から吹き上げる風に乗って、さっきまで戦っていた高さまで持ち上げられていた。
飛燕の美しい顔が、驚愕に歪んでいる。
俺は咄嗟に、その長い髪を掴んだ。
気付けばさっきまで力の入らなかった痺れた手に、握力が戻っている。
「どうだ、ここは引き分けというのは。
おまえも一度死んで拾った命、大事にしたほうがいい。」
「たわけた事こいてんじゃねえ。
俺が神風に吹かれて地獄から戻ってきたのは、てめえをお迎えする為だぜ。」
「フフフ、冗談じゃない。
おまえと心中なんてまっぴらだ。」
飛燕はそう言って鷹爪殺を振るうと、俺が掴んでいた長い髪を、根元からバッサリ切り落とした。
再び落ちかかる俺の身体に蹴りを入れてくる。
その脚を俺は掴むと、それを軸にして体勢を変え、渾身の蹴りを、奴のご自慢の顔にくれてやった。
身体を捕まえている状態だ。
もう絶対に逃げられない。
「地獄へ行っても忘れんじゃねえ!
俺の名は富樫源次!!
男塾一号生、油風呂の富樫源次じゃ────!!」
俺の一撃で気を失ったのだろう。
奴が顔から血を流しながら、ゆっくりと落下していくのがわかった。
心残りは…ない。
「男塾万歳──っ!!
必ず勝てよ、この『驚邏大四凶殺』!!」
落下しながら、俺は何故か妙に高揚していた。
☆☆☆
胸に多数の切り傷、腹部に深い刺し傷。
富樫の負った負傷は、特に腹部のそれは肝臓にまで達しており、あと少し治療の手が遅れれば失血死していてもおかしくないものだった。
それなのに…何故だ。
いやその、なんだ。
私は女を武器にして仕事をしていたから、実際に自分の身体に経験していないだけで、見るだけならその状態のそれを何度も見てきているわけだが…だ、だから、この程度の事で動揺など、決してしてはいない。
してはいない、のだが…。
なんでこの男、この状況で勃起してるんだ。
いや、きっと戦闘による興奮と、死を目前にした生存本能がない混ざって、肉体におかしな反応が出ているだけだ。
そう思う事にしよう。
そう思っておく事にしておくが…失血死寸前の身体のくせに、血液を無駄遣いするんじゃない!
しかしまあ、これで彼を表現する言葉は「頑健な肉体」「底なしの根性」の他に「強い生存本能」が加わった。
個人的にはその前に『ゴキブリ並の』と付け加えたいところだ。
…とりあえず致命傷となり得るのは腹部の傷なので、そちらを優先して治療を行う。
切り傷は止血の手当てのみで済ませた。
血液の再生までは手が回らないので、そちらは時間をかけて自然回復してもらうしかない。
現時点でそこまでしていたら多分、氣を使い果たしてしまう。
「…帰ってから、血を作る為の美味しいもの、なにか作って差し入れしましょうか。
お疲れ様、富樫。」
三号生の誰かが回収してきてくれた帽子をかぶせてやりながら、意識のない富樫に語りかける。
そういえば初めて会った時にも思ったけど、この帽子は制服に比べると随分くたびれている。
この間塾史を読み返した時に、彼と似た名前をその中に見たし、ひょっとしたら親戚か肉親のお下がりなのかもしれない。
…ただ、その人物の名前は、確か死亡者として記されていた筈だけれど。
だとすると、お下がりではなく形見か。
…少ししんみりしながら、ショートブレッド様の高カロリー食品をもそもそ口にし、申し訳程度にエネルギー補給をしてから、もう一人の治療にかかる。
口の中の水分が一瞬にして奪われるのが気になったけど、それよりも。
「え…女の人?」
私の前に運ばれてきた、豪学連側の闘士であるその人を初めて間近で見て、私はついそんな事を言ってしまった。
「…の訳がなかろう。」
私の中で既に解説役という認識となった三号生が、それに冷静につっこむ。
「ですよね…。」
顔だちは確かに女性と見紛うばかり、しかしその身体は一見華奢に見えはするがそれでも鍛え抜かれている。
気を失っているのは落下の衝撃によるショックだけであり、その身体にはほぼ傷と呼べるものがなかった。
先ほどの雷電に比べたら本当に軽傷だ。
負傷は首から上に集中している。
殴打による腫れと、頬の切り傷。
どちらも富樫が付けたものだ。
やはり富樫のスペックでは、達人レベルの格闘家相手では、これだけの傷を与える事しかできなかった。
双方落下の相打ちに持ち込めた事は奇跡としか言いようがない。
とはいえ、傷つけたのは顔である。
ほっといても死ぬ事はないのだが、やはり気にはなる。
この人が本当に女性だったら、富樫が責任取って嫁に貰わなきゃいけないレベルの罪ではなかろうか。
本人が承知するかはともかく。
ついそんなしょうもない事を考えながら、さっきまで富樫と死闘を繰り広げていたその男の、頭部全体を包むように五指でツボを押さえ、微弱な氣の針を優しく送り込む。
顔は他の部位より皮膚が薄い為、その周囲の部分の細胞も同じように活性化しておかないと、最悪傷痕が残ってしまう。
「せっかく綺麗な顔してるんですから、勿体無いですものね…。」
呟きつつ治療の効果を観察する。
みるみる傷が塞がると同時に、癖のない真っ直ぐな亜麻色の髪がざわりと伸びた。
頭部全体だからこれも仕方ない。
これも富樫との戦いの時に切り落としたものらしいから、ひょっとして後になってから気付いて疑問に思うかもしれないけど、別にいいや。
2人の治療を終え、先程と同じように5人借りて、搬送と私の護衛をお願いした。
さあ、次の闘場が私たちを待っている。
下品。