婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝 作:大岡 ひじき
1・あなたの渇き、癒すまで
…目が覚めたら天動宮の、以前私が滞在していた部屋に寝かされていた。
一瞬、『虎丸がお腹を空かせてる!』と思って焦ったが、あの子がもう懲罰房から出されている事を思い出して安堵した。
もう彼の食事の心配を私がする必要はない。
でも半年続けた事だけに、この感覚はしばらく残るだろう。
というか今、お腹が空いているのは私だ。
枕元の時計を見ると18:48とある…え?
確か、あの場で伊達の治療を施していた時に、朝日が昇るのが見えた筈だ。
という事は、大まかに見てもあの時点で朝の5時から6時の間くらい。
つまり、少なくとも12時間以上眠ってしまっていた事になる。
というか、もし日をまたいでいたら36時間以上なんだがそれは。
そらお腹も空くわ。
でも何よりも先に、お風呂に入りたい。
ここのお風呂は十数人一度に入れる大きなお風呂の他は、邪鬼様の部屋にしか設置されておらず、ここに滞在していた時には、厳重に人払いされてから大きなお風呂を一人で使わせてもらっていた。
いくらなんでも、今日はそこまで甘えさせてもらうわけにはいかないだろう。
起き上がってから、ふと気づく。
富士ではずっと制服姿だったものが、今着ているのは、ぶかぶかのTシャツの下は下穿き一枚のみ。
サラシまで外されている。
またこのパターンか、くそ。
まあ塾長の時は全部だったから下穿き一枚残ってただけましだが、どいつもこいつも乙女の柔肌をなんだと思ってやがるのだ。
見ると、私の制服はきちんと洗濯されアイロンがけもされて、寝台の横のサイドテーブルに置かれている。
サラシも新しいものが用意され、制服と一緒に置かれていた。ありがたい。
まあ、できればお風呂に入って綺麗になってから身につけたかったけれど。
誰のものかは知らないが、着せられていたTシャツを脱ぐ。
それから、新しいサラシに手を伸ばした時、唐突に部屋のドアが開けられた。
「──っ!?」
「……!!し、失礼した!
まだ、眠っているとばかり…!」
「いいから黙ってむこう向いて下さい!」
乙女の部屋にノックもなしに入ってきた金髪のスーパーリーゼントに、私は手にしていた脱いだばかりのTシャツを投げつけた。
…どうやら私が寝ている間に、部屋に花を飾ってくれようとしたらしい。
思いつくのが遅かったと苦笑いしながらセンクウが「持って帰って部屋に飾ってくれ」と手渡してくれたピンク色のバラの花束は、芳しくも爽やかな香りがした。
☆☆☆
深夜11時を少し過ぎた頃、センクウに教えられた、男塾にほど近い一軒の日本家屋を、私は訪れていた。
この場所は三号生が、依頼のあった要人警護の際、必要があれば対象者を避難させる為に使っている家だそうで、見た目に反して警備システムが完璧に整っているそうだ。
渡されたカードキーで門を開けて中に入る。
教えられた、一番広い部屋をそっと覗くと、4組の布団が敷かれ、そこに一人ずつ寝かされているのがわかった。
豪学連側の闘士、伊達臣人と、その配下の三面拳。
私の治療は、最終的にはまとまった睡眠時間を必要とする為、彼らはここに運び込まれた後、しばらくは目を覚まさないよう薬を使ってある。
個人差はあるだろうが恐らくは、明日の朝くらいまでは目を覚ます事はない。
「…総長とお揃いにならなくて、良かったですね。」
飛燕という男の顔に、傷が残っていないのを目で確認して、私はそう独りごちる。
あの時すぐに治療したからまず残らないとは思っていたものの、見える場所だけに心配だった。
雷電の全身の火傷も、月光の背中の刺傷も、経過は順調そうだ。
…うん、我ながらいい仕事をした。
それから最後の男に目をやって、思わずため息をつく。
関東豪学連総長、伊達臣人。
飛燕とはタイプが真逆だが、鎧兜を外してみれば、こちらも男らしく整った顔だち。
その名の通り『伊達男』というわけか。
それだけに頬に刻まれた、6本の古傷が本当に勿体無い。
この傷だってついて直ぐに治すことができたなら、こんなに痕を残す事なく塞ぐ事ができたのに。
しかしまあとりあえず、この闘いで負った傷は、全てではないが深いものは塞いでやったから安心しろ。
この後に桃の治療が控えてるから、お前にばかり氣を取られるわけにはいかないが。
ああでもせめて、この左腕に刻まれた、仲間の名前くらいは消してやろうか。
死に別れたならともかく、全員生きているのだから、残しておく必要もあるまい。
むしろ残しておいたら彼らの間で、黒歴史扱いになる可能性が高い。と、
「これは…!」
何気なく取ったその左手首に、私にとっては馴染んだ文様が刻まれていた。
もっとも私のは、鏡を使わなければ、自分では見えないけれど。
六芒星をモチーフにしたそれは、私の背にあるものと同じ。
御前のもとにいた時に一人だけ、同じ文様の刺青を、やはり左手首に持った少年がいた。
そしてかなり余計な情報ではあるが、私はそいつが大嫌いだった。
それはさておき、その刺青は、紛れもなく孤戮闘修了の証。
つまりこの『伊達臣人』も、あの地獄を生き抜いた一人という事だ。
「うっ…。」
伊達が呻いて身じろぎをする。
はっとして、手首に集中していた意識をその顔に向ける。
形のよい眉根が寄せられ、その目がうっすらと開いた。
「誰……だ?」
掠れた声が誰何してくる。
唇もカサカサだし、喉が渇いているのかもしれない。
彼の手首から手を離し、枕元に置いた水差しを取ろうと手を伸ばす。
だが、私のその手は水差しに届く前に、今離した手に捕らえられた。
「誰でもいい。そばにいろ。
俺を……一人に、するな。」
…どうやら、意識がはっきり戻ったわけではなさそうだ。
その目は私の方を見ているようで、微妙に焦点が合っていない。
それにしてもこの、鬼のように強い男の口から出てくるには、なんという意外な言葉であることか。
だが、同じ刺青を持つ者として、私にはこの男の恐怖が理解できた。
普段は心の奥底に沈めて、自身で意識する事すらないかもしれない。だが確実に存在するものだ。
…自分が、最後の一人になる恐怖。
最後の一人になってしまった、トラウマ。
私たちがあの試練を抜けてきた事を知る者は、私たちの中にその恐怖がある事を知れば、きっと嗤うだろう。
おまえが殺したのだろうと。
自分以外全て殺し、勝手に一人になっておいて今更と。
だけど、その事実を受け止めるには、その時の私たちはまだ幼すぎたのだ。
男塾を出奔した時に一号生だったとするなら、伊達は私よりふたつ年上くらいだろう。
あの少年は私よりひとつ上だったから、多分だが御前が孤戮闘を毎年行なっているとするなら、彼もあの子も私と同じ11歳くらいの時にあの地獄に放り込まれたのだろうから。
それは実際にあの地獄をくぐり抜けた、私たちにしかわからない。
わかってあげられるのは、今は私だけだろう。
伊達は、本来なら私やあの少年同様、御前の手駒として生きる筈だった。
それがどうにかして外の世界へと逃げ出して……三面拳と呼ばれていた他の3人、東洋系ではあるが恐らく日本人ではないと思われる事を考えると(飛燕という男に至っては、恐らくは中国とロシアの国境付近の生まれではなかろうか。なんとなくだが純粋なアジア系ではないような気がする)、彼らと知り合ったのは男塾に入るより前かもしれない。
とにかく彼は、独りで強くなる事よりも、仲間を求めた。
独りになる事は耐え切れなかった筈だ。
そしてどのような経緯でか男塾に入り、そこで得た仲間を守ろうとして人を殺め、外の世界でまた仲間を求めて…遂には関東豪学連という組織をまとめ上げる立場になるまでに至った。
だが、今はその地盤もない。
総長が敗れた事で統率が乱れた関東豪学連は、現在工作員として潜り込んでいる三号生の手で、多分半年以内には空中分解する筈だ。
元々は力によって支配されていた学校の集まりだ。
その支配がなくなれば、本来あるべき姿に戻るだけだろう。
だが…
「…大丈夫。
あなたは一人になんかなりませんよ。」
伊達はこの戦いで、1人、また1人と斃れてゆく腹心たちを前に、孤戮闘で植え付けられたトラウマを刺激された筈だ。
左腕に刻んだ名前は、それに必死に耐えて、強くあろうとした、その心の揺れ。
例え名前だけでもその身に刻んで、己が一人である事実を無意識に、認める事を拒否したのだろう。
だけど、少なくとも、彼の腹心である3人は、現実にここに生きている。
そしてこの先、もっと大勢の仲間を得る事になる。
『伊達臣人』は元々、仲間を守ろうとする思いが強い男だ。
それは、彼が起こした男塾を去らねばならなかった事件が証明している。
男塾に戻れば、きっと事実上の副筆頭のような立場になって、筆頭の桃を支える事になるだろう。
『奴は…全てにおいて秀でていた。
何をやらせても完璧で、苦手なモンなんざなかった。
だが、秀で過ぎてて、並ぶ奴が居なかった。』
桃の存在は、その『並ぶ者』になり得るのだし。
もう彼は一人になんかならない。
一人になんか、させない。
「……本当に?」
「本当に。」
私の言葉に『伊達臣人』は、少しだけ安心したように微笑んだ。
まるで子供のようだ。
いや、この状態は私にも覚えがある。
恐らく今の彼は、孤戮闘終了時の少年に戻っている。
…あの日、子供に戻った精神状態の私のそばには、赤石が居てくれた。
不安に震える手を、あの大きく無骨な手で、しっかりと包んで握りしめていてくれた。
…比べると私の手は小さすぎて、両手を使っても伊達の片手を、包み込むことができないけれど。
「さあ、もう少し眠ってください。
あ、その前に…喉が渇いたでしょう?
お水、ゆっくり飲んで。」
先ほどの水差しからコップに水を注ぎ、伊達の背中を支えて、少し起き上がらせる。
伊達は素直に私の手からコップを受け取った。
その手の動きがまだ弱々しい。
落とさないように、私の手で支える。
「ゆっくり…そう。まだ飲みます?もういい?
…では、また横になって。
もう少し眠りましょうね。」
優しく声をかけながら、伊達の逞しい身体を布団に横たえる。
一瞬不安げな目をした男の、少しだけ癖のある髪を、そっと撫でた。
「安心して。
大丈夫…おやすみなさい、伊達臣人。」
私の言葉に、『伊達臣人』はゆっくりと目を閉じた。
☆☆☆
翌朝。
「どうやら全員、奴らに助けられたらしいな。」
「そのようです。ですが総長、これから…。」
「こうなった以上、俺はもう総長じゃねえ。
伊達でいい。」
「いや、それは…。」
「うむ、いくらなんでも…。」
「なんだ?
初めて会った頃はそう呼んでたじゃねえか。
今更だ。それより飛燕。」
「…何です?」
「俺の髪、切ってくれねえか。若干鬱陶しい。」
「…わかりました。髪……!?」
「どうした?飛燕。」
「切った…筈なんです。
あの富樫という男に掴まれたのを、こう、首の付け根辺りから、バッサリと。
それが…確かに切る前よりは短いとはいえ、いくらなんでも…伸びたにしても、早すぎる。」
「…確かにな。俺も見ていたから、間違いない。
それに、確かこっちの頬も切られていた筈だな?
その傷も無くなってるぞ。」
「あ……!」
「伊達殿。
拙者も、酸性の高熱泉に、あのJとか申す男とともに落下した筈。
気を失う寸前、全身の皮膚の焼ける感触を、確かに味わい申した。
それが……この通りでござる。
全身に負った火傷が、これほど早く治癒する事など、あり得るのであろうか?」
「私の方も、氷の杭に貫かれた背中の傷が、何事もなかったかのように無くなっております。」
「……信じられませんが奴らの中に、常識を超えた治療術の使い手がいるという事でしょうね。」
「まさか…あのガキが…。」
「
「ああ。
俺が夜中に目を覚ました時に、ガキが1人、この部屋に居やがったんだ。
…そうだ、今思えば、男塾の制服を着てやがった。」
・・・
「総長…いやさ、伊達殿。
これを…今、玄関に置かれており申した。」
「何だ?開けてみろ。」
「これは…服?」
「……男塾の制服だ。フン、なるほどな。
負けたからには、軍門に下れということか。」
「どうされますか、伊達殿。」
「…面白えじゃねえか。俺は応じるつもりだ。
だが、お前たちは好きにしろ。
俺と来るも、別れるも自由だ。」
「何を申される。
我ら三面拳、この命と忠誠、伊達殿に捧げており申す。
この命ある限り、どこまでもお供致す所存。」
「異論ありませぬ。」
「同じく。」
「…難儀な奴らだな。」