婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝 作:大岡 ひじき
はたから見れば充分BL。
「光?」
「……お疲れ様です、桃。
傷を見せていただけますか?」
真夜中の男根寮。
本来なら一号生は寮の部屋を数人で使う(部屋数は余っているくらいなので、現在せめて2人一部屋くらいにさせるよう、塾長を通じて寮長に申し渡してある。多分近日中には改善される筈だ)のだが、私の治療の手を入れる事を考えて、今日は一部屋を臨時の救護室にして、桃を一人で休ませていた。
つまりここは本来の彼の部屋ではない。
さっき伊達と三面拳の様子を見舞ったのと同じように、桃が眠っている間に治療をしてしまおうと思っていたのだが、予想に反して桃は私が訪ねた時、こんな時間になっても、まだ眠っていなかった。
疲れ切っている筈なのに、戦いの余韻でもあるのかもしれない。
正直、己の中に引っかかるものがあるせいで、この子と今日はまともに顔を合わせたくはなかったのだが、会ってしまったものは仕方ない。
一通りの治療を施してから、睡眠導入剤を飲ませる。
これで、明日には完全回復している筈だ。
「これで終了です。
後は今夜一晩、ぐっすり眠ってください。
では、失礼。」
だが、その場を辞すべく立ち上がりかけた私に、桃が少し訝しげに声をかけてきた。
「光…なんか、怒ってないか?」
…鋭いなコイツ。
いや、とりあえずここは、笑って誤魔化すことにしよう。
「いいえ全然。おやすみなさい、桃。」
仕事用の顔で微笑んで、強引に話を終わらせようとする。
大抵の男はこれで誤魔化されてくれるんだが。
「待てって。
このまま置いてかれたら、気になって眠れやしないぜ。」
…やはり桃は『大抵の男』ではないか。
ていうか、全身の傷の治療を終えたばかりだから仕方ないのだが、下帯いっちょで詰め寄るのはやめて欲しい。
「ご心配なく。
先程の薬が効いてきたら、嫌でも眠れますよ。
はい、布団に戻りなさい。」
「やっぱり何か怒ってるだろ?
俺が何かしたんなら謝るから、理由を言ってくれ。」
私が立ち上がって背を向けると、桃は私の肩に手をかけ、強引に彼の方を向かせた。
「…手を離しなさい、『剣』。
私に、怪我人を攻撃させないでください。」
軽く睨みながら、脅すように言うと、何故か桃は、悲しそうな目で私を見つめて言った。
「……嫌だ。
おまえにそんな顔をさせたままで、離せない。」
…そんな顔って、私がどんな顔をしていると言うんだ?
そんな疑問が湧いたが、何故か私の口からは、別な言葉が漏れ出した。
「一号のみんなの手は離そうとしたくせに?」
「え?」
言ってしまった。
言わずにおこうと思っていたのに。
だけど、言ってしまったら、もう止まらなかった。
「このたびの『驚邏大四凶殺』、戦っていたのは、あなた方4人だけではありません。
松尾も、田沢も、極小路も、他のみんなも、全員があなた方と一緒に、命懸けで戦っていた筈です。
それなのに…勝ち残って、拾った命を、あなたはそのまま捨てようとしましたよね?」
そりゃあ桃の気持ちだってわからなくはない。
一応全員の命を助ける為に私たちが裏で暗躍していたとはいえ、彼はその事を知らず、仲間を全員失ったと思っていたのだ。
だけど彼の『仲間』は、一緒に『驚邏大四凶殺』を戦った三人だけだったか?
答えは否。
だから、それだけは、どうしても許せなかった。
「光…おまえが、何故その事を…?
…いや、そうだ。J、富樫、虎丸…あいつらの負った傷、本来あんなもんじゃなかった。
治せるとしたら、おまえだけだ。
…ずっと近くで、見ていたのか。
俺たちの戦いを…!」
「そんな事はどうだっていいんです!
ねえ、あの子達が、あなたが生きて帰ってきた時に、どれだけ喜んだことか、その場に居なかった私にだって判る事、あなたはもっと判りますよね?
あなたは彼らの、その手を離そうとしたんですよ?
それって、裏切りと同じじゃないですか!」
違う。こんな事が言いたいんじゃない。
裏切っていたのは私だ。
そもそも私は桃には、いつか償わなければいけない負い目がある。
それをせめて謝る事もさせないまま死のうとした事に、理不尽に腹を立てているだけ。
全部、私の我儘だ。
それでも、わかっていても私は、桃を責める言葉を、止める事ができなかった。
私は、ひどい女だ。
だから言いたくなかったのだ。
冷静に話せない事が判っていたから。なのに。
「すまなかった…光。」
ひどいのは私なのに。
どうして謝るんだ。この男は。
「私に謝ったって仕方ないでしょう。
もっともこんな事、あの子達には言えやしない。」
だから、違う。そうじゃない。
「だからだ。
俺の浅慮のせいで、あいつらの心全部、おまえ一人に背負わせるところだった。
だから…すまない。」
「…ほんとですよ。私、関係ないじゃないですか。
あの子たちのことを考えるのは、筆頭であるあなたの仕事でしょう。
なんで私が、そこまで背負わなきゃいけないんですかっ…!」
言いたくないのに。傷つけたくないのに。
なんで私の口からは、こんな言葉しか出てこないんだ。
なんで涙が出てくるんだ。
そんなどうしようもない状態の私に、桃は両腕を伸ばすと、背中に掌を触れた。
気がつけば、私は、桃の腕に抱き寄せられ、その胸に優しく抱きしめられていた。
「そうだな。
本当に…悪かった。そして、ありがとう。」
深く落ち着いた声が、耳に心地よく響く。
触れた胸板から、心臓の鼓動を感じる。
なにより、穏やかで心地良い氣が、身体全体を包んでくる。
ああ、桃は、間違いなく、ここに生きている。
そのことをもっと実感したくて、私は桃の身体を抱き返した。
「桃が…あなたが生きていてくれて、本当に…良かった。
帰ってきてくれて…良かった。」
つまらない意地も、悔恨も、怒りも、取っ払ってしまえば、結局最後に残ったのはこの気持ちだけだった。
「お帰りなさい…桃。」
「ああ。ただいま、光。」
と。
突然、桃の体重が、私の方にかかってきた。
「…?」
「……なんだ?急に、眠く…」
ああ、そういうことか。
「薬が効いてきたんですよ。
はい、今度こそもう横になって、ゆっくりおやすみなさい。」
倒れかかる彼の身体を支え、布団のある方に導く。
そうしたつもりだった。だが。
「…光も。」
「え?」
「光も、一緒に…。」
「いや、何を言って…ちょ、桃!!」
桃に肩を貸して布団に連れていき、中に押し込んだ筈が、桃は私の身体を離してくれない。
何をどのようにされたものか、私は桃と同じ布団に引き込まれ、胸に彼の頭を乗せられていた。
「頼む。もう少し…このまま、居てくれ。
俺が、眠るまででいい、から…。」
「桃……。」
…唐突に、御前のところに来たばかりの頃、豪毅が熱を出した事があったのを思い出した。
女中さんの世話を何故か拒み、私を呼んだ彼は、やはり眠るまででいいと言って、私の手を握って離さなかった。
あの日は結局彼と一緒に眠って、後で女中さんに甘やかすなと小言を言われたものだ。
けど、純粋に私だけを頼って、必死に伸ばしてくるその手を、振り払う事が出来なかった。
…今も、同じだ。
・・・
「寝た…よね?」
規則正しい呼吸を確認して、私はそっと身体をずらす。
桃の頭を持ち上げ、その下に枕を当てがって、這うようにして桃の身体の下から脱出した…つもりだった。
「っ!?」
寝ている筈の男に、唐突に、両手を掴まれ、再び引き寄せられた。
先ほどまでより堅固にホールドされ、抑え込まれる。
元々体格差があり過ぎるのだ。
完全にのしかかって来られたら、私では抵抗しようがない。
しかも一番肝心の手を押さえられている。
「ちょ、桃!起きてるんですか?」
私の質問に桃は、私の耳元で相変わらず規則正しい寝息で答える。
どうやら眠っているのは間違いないらしい。
って、これもう、寝相が悪いとかいうレベルじゃないだろ!
ていうか、心なしか脚にさっきから……当たっているのだ。
何がって?聞くな。
「こ…困った。どうしよう。」
あまりの事に、覚えず半泣きになる。と、
「…どうした?」
聞き覚えのある声が、部屋の入り口から低く響いて、私は凄く苦労して顔をそちらに向けた。
「塾長!」
ほんの二日ばかり顔を合わせなかっただけなのに、なんだか随分久しぶりに会ったような気がする。
塾長は私の置かれている状況を目の当たりにし、何故かニヤリと笑って言った。
「これはまた、随分と大胆な真似をしているのう。」
ヤメロ。ていうか、指導者なら止めろ。
「呑気に笑ってないで助けてください!」
思わず強く言ってしまってから、慌てて声のトーンを落とす。
「…あの、できれば剣を起こさないように、そーっと。」
「それは、なかなか難しい注文だな。」
「眠るまで一緒に居てくれって言われて、寝たと思ったら抱きつかれて。
ここで起こしたら、また最初からやり直しですから。
強制的に寝かしつけるにしても、まずは腕が自由にならないと。」
私が状況を説明すると、塾長は顎をさすりつつ、屈んで私の顔を覗き込んだ。
「ときに、この後ここを出たら、貴様はどうする?」
…塾長が訊ねながらニヤニヤ笑う。
この顔はなんか企んでる顔な気がするが、今は考えても仕方ない。
「え?勿論、他の子たちの様子を見に行きます。」
「…それは必要なことか?」
「治療は完璧に施してありますから、心配ないとは思いますが、念の為。」
私の答えを聞くと、塾長は立ち上がり、
「…どうやら、このまま捨て置いた方が良さそうだな。」
と言ってから、入ってきたドアに身体を向けた。
「えっ!?」
「これほどの男に甘えられるなど、女冥利に尽きるであろうが。
今夜はこのまま、剣の隣で、おとなしく休んでおれ。
貴様に倒れられたら、明日からの仕事が立ち行かぬわ。
何せ、三号生どもに貸している間に、日々の事務仕事は溜まる一方だからな。」
…なんか鬼のような事言われた気がするが、それよりも。
「そんな、塾ちょ…」
「ほら、騒ぐと剣が目を覚ますぞ?」
「うっ…!」
もう一度ニヤリ笑いを私に向けてから、塾長はドアノブに手をかける。
「ま、待ってください。
もし、万が一、剣が私に無体な真似をしてきたら、どう責任をとっていただけるんですか…。」
「その場合、責任を取るのは剣だろうて。
逃げようとて決して逃がさぬから安心しておれ。」
「違う、そうじゃない…!」
「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である!」
…もう泣いていいだろうか。
・・・
あったかくて気持ちいい。
ぽかぽか陽気の中で、草原に寝転がって、流れる雲を眺めながら眠ったら、こんな感じだろうか。
「………る。光。」
「………………ん?」
誰かに名前を呼ばれ、重たい瞼をなんとか開く。
まだ夜も明けぬ薄暗闇の中、目の前のものに焦点を合わせると、無駄に端正な顔が間近で微笑んでいた。
「おはよう。ずっと居てくれたんだな。」
「………っ!!」
思わず飛び起きて、自身の状況を確認する。
結局あのまま、私は眠ってしまったらしい。
「心配すんな。何にもしてやしないぜ。」
桃がからかうように笑いながら言う。
「あ、あたりまえです!…怪我の具合は?」
…見た感じ、顔色は悪くないようだが。
「フッ、おまえが治療してくれたんだ。
悪くなってるわけがないさ。」
桃がそう言って私に向けたのは、完全に信頼しきった目だった。
「良かった…。」
思わず、ホッと息をつく。
何せ、昨日の私は冷静ではなかった。
今更治療の手が感情に影響されるとは思わないが、判断を間違う恐れはある。
そんな私に、桃は手を伸ばすと、右の掌を私の頬に触れた。
ほんの少しの間そうしてから、名残惜しそうに手を離す。
「…まだ夜明け前だ。
他の連中がまだ目を覚まさないうちに、光は自分の部屋に帰った方がいい。
…前に昼寝の件で俺と、おかしな噂が立っちまったからな。
これ以上は嫌だろう?」
…あの件はおまえ、自分でも煽っただろ。けど。
「…あ。そうですね。お気遣い感謝します。」
「いや…俺が引き止めちまったからな。
でも、居てくれて嬉しかった。
ありがとう、光。」
そう言って、何故か幸せそうに優しく微笑んだ顔が一瞬だけ、かつて私が殺めた人の顔と重なった。
私が見たその男の、最後の笑顔と。
そう思ったら見ていられなくて、私は桃に背を向けた。
そんなに優しい目で、私を見ないで。
壊れてしまいそうだから。