婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜 作:大岡 ひじき
「あなたも、何もお聞きにならないですね。」
「今なら、お話していただけて?」
「いいえ。」
「ならば、お訊ねしても仕方ないでしょう。
こちら、お味見していただけるかしら?」
「はい。…美味しいです。」
「そう?旦那様は、わたしの料理はいつも、一味足りないとおっしゃるのよ。
あなたが作った時は、何も言わずに召し上がってらしたでしょう?
もし、なにか工夫があるのならば、教えていただきたいのだけれど。」
「この味は上品で、私は好きですが。
単純に地域的な味の好みではないでしょうか?
私が作るとすれば、この昆布の出汁に鰹節の出汁もブレンドしますが、これはこれで完成していますから、直すほどの事ではないでしょう。
刻み柚子か七味唐辛子を、横に小皿で添えて差し上げるくらいで充分では?」
「ああ、刻み柚子を加えるのは、確かに美味しそうね。
だとしたら、柚子胡椒でもいいのかしら?」
「いいと思います。
そして最初から入れるのではなく、あくまでも好みで加えるくらいのスタンスの方が合うかと。」
「よくわかったわ。ありがとう。
あなたはお料理が上手ね。
その年頃にしては随分手馴れているわ。」
「それについて否定はいたしませんが、私の作ったものなどよく口にできますね。」
「何故?本当に美味しいのに。」
「毒が入っているかもしれません。」
「あら?そんなものお持ちでしたの?」
「いいえ…と答えて信用するのですか?」
「現に旦那様はお腹すら壊しておりませんわ。
わたしも勿論。」
「………」
☆☆☆
「御前」の指示で出向いた首相の暗殺は、目的までほんの数ミリの地点で、突然現れた大男に阻止された。
それは仕方ない。
仮にも人を殺めようとする者が、逆に殺められる覚悟も持たずにいるなど、それまで手にかけてきた命に対して失礼だ。
今回は急ぎだとかで、私の本来の仕事とは違う手順を踏んだ事で、失敗する確率が僅かながら上がっていたのも事実。
そもそもはもう少し時間をかけてターゲットの関心を捉え、その閨に入り込むまでが、私の仕事の本来の手順なのだ。
もっとも、そこから実際にコトに及んでしまえば、私の方が無防備な状態に追い込まれる上、私にはターゲットの前で裸になれない身体の特徴がある為、仕事は必ずその前に済ませる事となる。
なので、相当余計な情報ではあるが私は未だ処女だ。
というか、そもそも初潮を迎えるのが15歳の終わりと遅かった上、その後は半年に一度くらいの間隔でしか生理が来ていない事を考えると、生殖機能的にも多分まだ女ですらない。
本来ならばこの手の仕事をするならさっさと女になっておいた方が、後々面倒がなくて済むと思うし、時折顔を合わせる「御前」の側近の人たちは、私には当然「御前」の手が付いていると思っている筈で、そこは面倒だからいちいち訂正はしていないものの、何故だか「御前」は私を、可能な限り生娘のままにしておく事にこだわっていた、気がする。
あくまで気がするだけだが。
まあそれは余談でそんな事はどうでもいい。
とにかく、ターゲットを始末する直前だった筈の私が、次に気がついた時にはどこかの和室で、ふかふかの布団に寝かされており、ふくよかな体型をした上品な感じの和服女性(先ほどの会話を交わしていた相手)が、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
女性は私が目を覚ましたと見るや否や、どこか身体に不調はないかとしつこいくらいに確認して、私に白湯をあてがった後その場を辞して、代わりに現れたのが私の邪魔をした大男だった。
男は「男塾塾長・江田島平八」と名乗り、最初は私に、一通りの質問をしてきた。
「名はなんという?」
「その質問に意味があるとも思えませんが、名が必要であれば好きにお呼びください。」
「ふむ…では、何故貴様が、首相の命を狙った?」
「主の考え故、飼い犬ごときが推し量るべき事ではございません。
また、存じておりましたところで、主の考え故、それを申し上げる訳には参りません。」
「ほほう。自らを飼い犬と称するか。
ならば質問を変えよう。飼い主の名は?」
「申し上げられません。
飼い犬にも、飼い犬なりの義がございます。」
そんなやりとりの後、江田島は諦めたようで質問をやめた。
そんなわけで、私はどうやら与えられた任務に失敗したわけだが、私を捕らえたこの男は、私を警察に引き渡すでもその身を拘束するでもなく、この邸に常駐させている先ほどの女性とともに、簡単な自分の身の回りの世話を命じた。
もっとも警察に引き渡したところで、私を罪には問えないだろうが。
私は暗殺に際し凶器を持っておらず、よしんばあの光景を誰かが見ていて、その上で任務を遂行したとしても、私が殺したと見る者は恐らく居ない。
私の武器はこの手であり、また人体の急所とそれがもたらす効果を熟知したこの頭。
あの時は首の後ろのツボから針のように研ぎ澄ました『氣』を注ぎ、脳と心臓を連絡している神経を破壊する事で、外傷すら与えずにその心臓を止めるつもりでいた。
それは傍目には私の指が、首相の首筋をそっと撫でるくらいにしか見えない筈だ。
それを未然のうちにこの男は見抜いた。
つまり、私が指先で人を殺せると、判っているという事なのに、危機感がなさすぎではないだろうか。
肩をもめと言われた際に思わずそう言ったら、大人しく従っている私も同様だと笑われたうえ、何故かその大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でられた。
私としては、抵抗しても意味がないと諦めただけなのだが。
何せこの江田島という男、氣の大きさが常人と違う。
通常、氣の総量というものは、その器である肉体の大きさに準ずる。
なので私のような小柄な女と、巨漢のこの男とでは、そもそもの氣の総量が違うのは最初からわかっている。
が、それにしても違いすぎだ。
氣というものは、練る事で密度が増す。
私が極限まで練った氣を、針のように研ぎ澄ますのは、その方が私が扱うならば殺傷能力が高いのも勿論だが、何より総量が少ない為、一度に大量の氣を放出する使い方ができないからだ。
そんな使い方をしていては、あっという間に氣は尽きてしまう。
氣の扱いに熟練した者ならば、肉体のうちに溜め込んでいる時点で、ある程度そうして密度を濃くする事で、総量を増す事ができる。
本来ならシャツ10枚しか入る事を想定していない引き出しの中に、ぴっちりと折りたたんで隙間を詰めて30枚入れるようなものだ。
…若干喩えが所帯くさいがそれはこの際どうでもいい。
この男の場合、その詰め込み方が、既に達人の域すら越えている。
だから最初に顔を合わせ、自分が失敗してこの男に捕らわれたのだと理解した時点で、私は完全に己の命を諦めていた。
そもそも任務に失敗した時点で、私に待っているのは死しかない。
生き延びようと思ったらまずは目の前の男を殺して、自由になってから改めて、首相の暗殺を成功させなければ、私は「御前」のもとには戻れないのだ。
逃げる、という選択肢も、ないではないがそれは愚策だ。
逃げれば追われる。当然の話だ。
実際、任務に失敗して逃亡を企てた暗殺者をひとり、「御前」の命令で始末した事がある。
私は暗殺に関しては自身に並ぶ者はいないと思っているが、基本的な身体能力そのものは、ごく普通の17歳の女の子のそれでしかない。
追っ手を返り討ちにして逃げ延びる。
生きる為に何度も繰り返し。
それが可能であるとは到底思えない。
どちらにしろその初手からそもそも詰んでいる。
すべての選択肢の前に、今立ち塞がるのがこの男である以上、私には死を覚悟する以外なかった。
なかった…筈なのだ。それなのに。
最初にされた質問をすべて私が流した後、暫し私を見つめ、ニヤリと笑って江田島が発した言葉は、
「貴様、茶の湯の心得はあるか?」
…まったく意味がわからなかった。
真面目に答えれば、ある。
私はどのような席にも完璧に馴染まなくてはならず、またターゲットは有力者の男性である率が高い。
だから「御前」は私に、必要と思うありとあらゆる事を教え込んだ。
茶道や華道は勿論の事、日常会話程度の主要5カ国語、更に男が最終的に求めるのは家庭の癒しであるとして、家事なども完璧である事を求められた。
完璧な暗殺者になる事は、男が欲しがる女を完璧に演じられる事だった。
多分、余程特殊な嗜好の持ち主でもない限り、大抵の男の理想の女を、私は違和感なく演じる事ができるだろう。
そもそも本当の自分がわからなくなるくらい。
結局、こんな事で嘘を言っても仕方がないので私が肯定すると、江田島は「いい茶道具がある」と自らそれを持ってきて私の前に並べた。
「一服、点ててくれぬか。」と言って。
…正直、私は戸惑った。
こいつは何を言っているんだと思った。
とはいえ、逆らう理由も見つからず、下準備が済むと私は江田島に求められるままに茶を点てた。
「頂戴いたす。」
江田島は男らしくそれでいて美しい所作で、私の点てた茶を服むと、先程と同じようにニヤリと笑った。
「なるほどな。」
何がなるほどなのか、私にはさっぱりわからない。
「人は嘘をつくが、茶の味は嘘はつかぬ。
貴様は見どころがありそうだ。
暫くこの邸におるが良い。
いずれ、身の振り方を考えてやろう。」
…そうして、今に至る。
江田島が私の茶の味に何を見たのか、今はまだわからぬままだ。
☆☆☆
「あら嫌だ。
お米とお味噌を買わなければいけなかったわ。」
…夕飯のおかずをほぼ完成させてしまった今になって、何を言っているのだこの人は。
確かに江田島から改めて紹介された際に、「こいつは少し抜けている」と言われてはいたが、いくらなんでも気付くのが遅すぎだろう。
…いや、ここは私が気をつけていなければならなかった。申し訳ない。
「いつもは配達をお願いしているのだけれど、今から頼んだら明日になってしまうわね。
申し訳ないのだけれど、これからスーパーマーケットに買い物に行くので、一緒に来ていただけないかしら。」
彼女…
「構いませんが…いいのですか?
私は江田島殿に、外には出ないようにと言われています。」
「わたしが無理にお願いしたと言えばいいわ。
わたし1人では荷物が重たいし、あなたにも気分転換が必要でしょう?
ここは親子みたいに、仲良く買い物しましょう!」
親子みたいに、と言われても、母親というものを知らない私には、どのような感じなのかわかりかねるが、この人はかつて、幼かった娘を事故で失っている。
目を離したほんの僅かな時間の出来事で、生きていれば私と同じくらいなのだそうだ。
彼女の夫とその親族はその事で彼女を酷く責め、彼女は絶望して一時は命を絶とうとさえ思ったという。
死に場所を求めて街中をふらふら歩いている時に江田島に声をかけられ、判断力も低下していて特に考える事もなく、促されるままに自身の状況を語ったところ、江田島は彼女を保護して住むところと仕事を与え、ついでに離婚に強い弁護士を紹介して、彼女に有利な条件で夫との離婚を成立させたとの事。
そもそも彼女は嫁いで以来、夫や義両親から無料の家政婦か奴隷のように扱われ、それを本人ですら当然のように感じてしまうくらい、人としての自信と尊厳を踏み躙られていた。
今はふくよかな体型をしている彼女だが、当時はやせ細って、実年齢より十も上に見えるほどだったという。
「旦那様にはいくら感謝しても足りません。」
としみじみ言った幸さんの後ろから突然江田島が話に入って来て、
「なに、いい女だと思っただけの事。
単なる下心よ。」
などとと言わなくてもいい事を笑って言っていたが、あれは照れ隠しなのだろうと思う。
私が見る限り、基本的にはこの男、女好きで好色なのは間違いない。
だが、それ以上に限りなく優しい。
少なくとも女性には下心以上に、守るべき対象という意識の方を強く抱いている、気がする。
しかも無条件に。
こんな出会い方をしたのでもなければ私も…まあ私の場合年齢に不足があり過ぎるから恋愛感情は持ちようがないが、それでも尊敬の念くらいは抱いたかもしれない。
…それはさておき。
彼女の懇願に従って、一緒に一番近くのスーパーマーケットに行き、米10キロと味噌、ついでに玉子を買って、米は私が担ぎ彼女に味噌と玉子を持たせて、やや急ぎ足で帰途についていた。
自身の状況を忘れたわけではないが、確かに私は油断していたのだろう。
自分のした事を考えたらありえないほどに優しい男女の、その温かさに溺れきっていた。
自身が殺される可能性は考えていても、隣にいる人に及ぶ危険については、まったく考えていなかった。
スーパーマーケットに面した大通りから、ひと気のない路地に入って少ししたところで、異様な空気に気付いた。
それは、明らかな殺気。
気付いた時には遅かった。