婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜 作:大岡 ひじき
「三年ぶりに、懐かしい兄貴と対面させてやるぜ。
もっとも、地獄での話だがな。」
…その男の死を辱める言葉を吐くのは、彼にとっては辛いことの筈だ。
なのに、そんな事をおくびにも出さずにニヤリと嗤いながら、つっかえずにその台詞を言った独眼鉄は、己に課したそのゲス野郎の役を、今や完全に自分のものとしていた。
その演技は
「て、てめえ達か…俺の兄貴を殺したのは……!!」
富樫が身体を震わせながら独眼鉄を睨みつけ、それに独眼鉄が頷く。
「その通りだ!」
…まあ正確にはその時、先発で戦った独眼鉄が、富樫源吉の後にその相棒も倒しており、センクウは戦っていないという。
それくらい実力差があったのだ。
その時の挑戦者である出場闘士と、三号生代表との間には。
「俺が先だ。文句はねえだろうな、飛燕。」
王先生に先発を決めろと促され、富樫が上着を脱ぎ捨てる。
…ほらもう、またあんなところにドス差して。
転んだ時危ないからやめろって言ってるのに。
これに限らず富樫は、どこか危なっかしくて見ていられないようなところがある。
今は特に状況が状況だけに、はたから見たって冷静さを失っているのは間違いないし。
「フッフフ、三年前を思い出すわい。」
ニヤニヤ笑いながら、独眼鉄が梯子に続く階段を登る。
思い出すも何も、忘れたことなんかなかったろう。
でもひょっとしたら、この笑みは本物かもしれない。
今日までの後悔に、ようやく決着がつけられるという喜びからの。
対する富樫は相変わらず身を震わせながら、階段の1段目に足をかけた。
「まずい!富樫の奴、ああ興奮していては……!!」
檻の中から桃が、私が思っていたのとおんなじような危惧を口にした。と、
次の瞬間、階段を登る途中の富樫の頭上を飛び越えて、大きな鳥が闘場の梯子の上に降り立った……そのように見えた。
しなやかな手足。
女性のように柔和で整った美貌。
そこに浮かべる涼しげな微笑み。
長くて真っ直ぐな亜麻色の髪を、ヴェールのようにふわりと靡かせ。
…鳥人・飛燕、降臨。
「ひ、飛燕、てめえ──っ!!」
「おっと!気をつけてくださいよ?
三人以上この梯子の上に乗れば、たちまち砕け落ちることをお忘れなく。」
振り返ったその涼しげな微笑みを向けられ、富樫が舌打ちをする。
…てゆーか、えっ!?
ちょっと待ってお姉さん、いやお兄さんか。
あなた、ついさっきまで普通に制服姿でしたよね?
なんで今、拳法着なんですか?
いつ着替えたんですか?
私が富樫に気を取られてた間に着替えたにしても早すぎませんか?
…この人、この特技とこの美貌なら、武闘家でいるよりも舞台俳優かファッションモデルでもやってた方がいいんじゃなかろうか。
それともこれもまた、つっこんだら負け案件なのか。それはさておき。
「そんな、頭に血が上った状態のあなたでは、この勝負勝ち目はありません。
しばらく頭を冷やしていて下さい……。」
…えーと。独眼鉄の心持ちを現時点で唯一把握している私からすれば、この行動は、
『無いわー。空気読めてないわー。』
と思わざるを得ないわけだが、まあ確かに普通の状況ならこの判断が正しいのだろう。けど。
独眼鉄、一瞬唖然としちゃってたじゃん!
メッチャ素の表情に戻っちゃってたから!
まあ、すぐに気を取り直して、ゲス野郎のキャラを取り戻したのはさすがというべきか。
「…少しはできるらしいが、おまえのような女々しい野郎が、俺に勝てるとでも思っているのか。」
「見かけで人を判断しないほうがいい…死ぬことになる!!」
確かに。可憐な咲きたてのこの白薔薇は、迂闊に手折ろうとすれば棘に刺されて怪我をする。
かたや対面のゲス野郎は、心のうちを覗けば少し照れ屋で泣き虫で、けれど情の深い優しい男。
どちらも見た目に騙されちゃいけない。
しかし、これで状況が若干カオス化してきた。
少なくとも独眼鉄が富樫に倒されようと思ったら、まずはこの飛燕に勝たなければならないわけだ。
大威震八連制覇第二戦・
☆☆☆
「心配はいらん。
檻の中から飛燕に声をかけ、心配そうに見つめる虎丸の後ろから、伊達が落ち着いた声で言う。
その言葉通り、独眼鉄が例の刃のついた巨大ヨーヨーで攻撃するも、ふわりと飛び上がってそれを避ける。
「そんなオモチャが、この飛燕に通じると思うのか。」
言いながら懐から例の針を取り出し、独眼鉄の第二撃をやはり飛んで避けながら投擲する。
「鳥人拳・鶴觜千本!!」
それは戻ってくる巨大ヨーヨーと同じ速度で、それと並行して独眼鉄のもとに向かう。
独眼鉄はその武器の特性上、戻ってくるそれを受け止めねばならない為、嫌が応にも鶴觜に向けて手を伸ばす事になる。
そして飛燕の鶴觜が狙うのが、その伸ばされた腕。
『驚邏大四凶殺』の時に富樫に対して見せた攻撃と同じように、三本の鶴觜が一瞬にして、独眼鉄の手首に突き刺さる。
「針の穴を通すが如く、貴様の神経節を貫いた。
貴様の右手はもう使えまい。」
…そう言ってるけど、それにしてはちょっとおかしい。
あれ、まともに入ってたら痺れて力が抜ける筈だから、あんな重たい武器とか持ってられないと思うんだけど、それにしては未だに平然と持ったまんまだし。
私が見た限りでは狙いは正確だし、飛燕が外すとも思えないんだけど。
「鶴觜千本十字打ち!!」
そこに気付いていないのかどうなのかわからないが、飛燕は更に鶴觜を、独眼鉄の身体に放つ。
「次はどこがいい…それともひと思いに、心臓を貫いてやろうか。」
言いながら飛燕が冷たい笑みを浮かべる。
あ、これも『驚邏大四凶殺』で富樫と戦った時と同じ表情だ。
どうやら相対している敵に見せて浮かべるらしいその表情は、闘いの最中であっても見惚れるほどに美しい。
…こりゃ、アレだな。
この人、自分が綺麗だって事ちゃんと判ってて、その魅せ方も計算してる。
彼にとっては、その美貌すらも武器なんだ。
それだもん、顔に傷つけられてあんなに怒るわけだわ。
…はっ!!
ま、まさかあの闘いで双方落下した後、気を失ってた富樫が………その、ええと、なんだ、勃起してたのって、まさか……!?
い、いや止そう。考えるな。
「さすがに大威震八連制覇に選ばれただけの事はあるようだな。
こうでなくては、つまらん。」
それはさておき、独眼鉄のひとつだけの目に、さっきまではなかった気迫が浮かぶ。
そして気合の声とともに、その身体に突き刺さった鶴觜が全て、厚い筋肉の力だけで弾き出された。
それが飛燕の方に飛んでゆくも、さすがに飛燕は小さな動きだけでそれを躱す。
「神経節を貫いただと…そう簡単に、この鍛え上げられた鋼並の筋肉を通して、神経節まで届くと思うのか。」
やっぱり届いてなかったんだ。
あの鶴觜は投擲武器である事の限界から、ある程度の質量を要する。
あれより細い針ならばもっと深いところまで届くのだろうが、飛距離は確実に短くなり、その分対象に近寄らねばならないだろう。
ちなみに私が氣の針で同じ攻撃をしようと思ったら、対象の懐に入って直接触れて行うしかない。
氣を飛ばして攻撃するのも可能は可能だが、飛距離に従って威力も確実性も落ちる。
私は所詮闘士にはなれない、ただの暗殺者という事だ。
「どうやらおまえを甘くみすぎていたようだ。
ならば俺も全力を尽くさねばなるまい…。
仁王流・
独眼鉄が巨大ヨーヨーを投げ捨て、構えを取る。
それを見て伊達が、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「フッフフ、笑わせやがる。
あの図体をして、拳法で飛燕に立ち向かうだと…?」
飛燕が構えると同時に独眼鉄が突進してくる。
この巨体にして鋭く早い攻撃だが、飛燕はその攻撃の悉くを、微笑みすら浮かべながら躱す。
どうやらスピードに関しては役者が違うらしい。
というか、そろそろ判ってきてしまった。
伊達の言う通り、実力的にも飛燕は圧倒的に独眼鉄を上回っている。
…ごめん富樫。私、相当おまえの事舐めてた。
たとえ奇跡にしろこの人と闘って相討ちに持ち込めたって事実、今度からもっと重く見る事にする。
「どこに目をつけている。後をとったぞ。」
その独眼鉄の手刀をすり抜けて、飛燕が独眼鉄の背後に降り立つ。が、
「かかったな。
わざと後をとらせて近づけたのがわからんのか。」
独眼鉄は振り返ると、飛燕に向けて口から含み針…というには太い棘状の暗器を放った。
反射的に飛燕の手が顔を庇い、掌にそれが突き刺さる。
同時に視界が塞がれたその一瞬をついて、なんと独眼鉄の太い脚が、飛燕の首に絡んで絞め上げた。
そのまま梯子の棒を一本掴み、他の棒を破壊しながら回転する。
飛燕は首吊り状態に更に遠心力が加わり、その苦しみは相当の筈だ。
「これぞ仁王流・
「飛燕ーっ!!
この野郎、妙なマネしやがって──っ!!」
思わず富樫が駆け寄ろうとするも、
「馬鹿め、忘れたのか。
この
意訳=『危ないからおまえはまだ来んな』。
というか遠心力がかかってる時点で、三人分以上の重さ、充分かかってると思うのだけれど、やはりこれもつっこんだら負け案件だろうか。
「恐ろしい技よ。完全に決まりおった。
あれでは死ぬまで耐えるだけで逃れる術はない。」
王先生が感情のこもらない声で呟くが、本当、なんて恐ろしい技なんだ。
後頭部に股間押し付けるとかセクハラ過ぎて見てられない。
いや、そんな事言ってる場合じゃないけど。
「ヌワッハハ、苦しかろう。まだ息はあるか。
その美しい顔が歪むのを見るのはなんとも快感じゃて。」
ちょっと待て独眼鉄。
演技に熱が入ってきてるのはわかるけどもうゲス野郎通り越して変態発言ですそれ。
てゆーか多分だけど、自分の決意に水を差された事で飛燕に腹を立ててるぽい。
独眼鉄の思いなんかわからないんだから仕方ないし、飛燕にしてみれば相棒を思いやっただけなんだけど。
それはともかく見てる間に飛燕の顔色が蒼白になってゆき、虎丸が檻の中から必死に声をかけている。
そして相棒の富樫はというと…腹のサラシに差し込んだドスを抜き、じっとその刃を見つめていた。
その様子に王先生が、
「投げて味方を助けるような真似は許さん。」
と注意を促すけど、富樫はそんな事考えるような子じゃない。
大体飛燕ならともかくこの子にそんな技術ない。
下手に刃物なんか投げたところで、この距離でしかも動く的に正確に当てるなんて出来っこないし、下手すりゃ飛燕に当たる恐れだってある。
それにあの刃を見つめていた目は、何かの覚悟を一生懸命固めようとしてる、その過程であるように見えた。
そしてその覚悟は、王先生の言葉により、一気に固まったらしかった。
「なめるな…!!
俺が男の勝負に、そんなチンケなマネするとでも思うのか。」
言うと富樫は、抜いたドスを逆手に持ち替え……!?
え…ギャ───ッ!!な、何やってんのよアイツ!!
・・・
「ヌワッハハハ、腕の力が弱くなってきたぞ!
このまま絞め殺されるのと、それとも硫硝酸の池に放り投げるか、どっちがいい──っ!!」
独眼鉄の錠枷殺大車輪に極められて、飛燕はもはや完全に力を失ったように見えた。
その飛燕に向かって、富樫が大声を張り上げる。
「飛燕──っ!!目を覚ますんじゃ───っ!!
目ン玉を開け!これが見えんか──っ!!」
それは、先ほど手にしたドスで、富樫が自らの胸に刻んだ『闘』の文字。
「血闘援か……。」
王先生が呟いて、少しだけ説明してくれた。
その起源は中国の兵法書の中に残るという、身をもって闘士と苦しみを同じくして必勝を祈願するもの。
…あの傷は、私が介入しなければ残りそうだな。
友を思う気持ちはよくわかったが、私にかかる負担も少しは考えてくれんかね?
考えるわけないかそんなもん。
「貴様それでも生死を共にすると誓い合った俺の相棒か!
俺は、そんな情けねえ相棒をもった覚えはねえぞ──っ!!
これを見ても駄目ならてめえもそこまでの男!
勝手に死んじまえ────っ!!」
気持ちはよくわかったが出血が凄い。
飛燕がもしこれで目を覚ましたにしても、交代は必至だろうから、これからあなたが闘わなければならないのに、その前に自分からダメージ食らってどうする。
「何をたわけたことを!!
そんなマネをしても無駄なことじゃ。
もうこいつは息をしておりはせんわい。」
そして相変わらず演技が白熱してる独眼鉄がその富樫に言うも、その台詞がまだ終わらぬうちに、だらりと下がっていた飛燕の両手が上がり始めた。
その手が首に絡む独眼鉄の脚を掴む。
先ほどまで苦し紛れにそこにあった手ではあるが、先ほどよりもしっかりと掴んでいるようにすら見える。
「フッフフフ、まったくきつい相棒をもったもんだぜ…どうしてもただでは死なせてくれんらしい。」
恐らくは飛燕が抵抗しなくなったあたりで、脚の締め付けが緩んでいたのだろう。
そうでなければ首の骨が折れる勢いで、飛燕は独眼鉄の脚を掴んだ手を軸にして身体を大きく揺らすと、上がった脚でそのまま、独眼鉄の顔面に蹴りを放った。
その華奢な脚で、しかも不自然な体勢から繰り出されたとは思えないほどの一撃に、思わず独眼鉄の口から血と演技ではない声が漏れる。
飛燕はその状態から空中で体勢を整え、再び梯子に降り立って、構えを取った。
「そうだ、それでいい。
それでこそ俺の相棒だぜ。」
「フッ…余計なマネをしてくれる。
しかしおまえの血闘援、無駄にはしない…富樫…。」
だが、飛燕の呼吸はかなり乱れており、ピンチは切り抜けたものの残るダメージは相当なもの。
檻の中で見守る面々の表情にも不安げな彩が映る。
対する独眼鉄は、口から折れた歯を三本ほど吐き出し、やはり闘う構えを取った。
「フッフフ、やるのう。
俺の錠枷殺大車輪を破るとは…しかし相当こたえたようだな。
その身体でまだ戦うつもりか?」
「貴様ごときに後ろを見せるこの飛燕ではない。」
飛燕がそう言って懐から、例の鷹爪殺を取り出して右手に装着する。
…この件に関して私はもうつっこまないからな。
折りたたんで入れてあんのかとか言わないからな。
飛燕は大きく振りかぶり、その鷹爪殺を独眼鉄の身体に突き立てる。
それを独眼鉄は避けることもせず、そのまま腹で受け止めた。
「その程度の力では、俺の鋼の筋肉を貫けはせん!」
…鷹爪殺は先端が表層の皮膚を薄く傷つけたに過ぎず、独眼鉄の分厚い腹筋はそれ以上の刃の侵入を許さない。
独眼鉄の右手がその鷹爪殺を掴み、同時に右脚が蹴りを放つ。
飛燕はそれを飛び上がって躱したが、その際に鷹爪殺を独眼鉄の手に残す結果となった。
「いいものをもらったぜ。」
嗤いながら手の中に残ったその武器を自分の手に装着し、独眼鉄は飛燕に向けてそれを振り回す。
飛燕はそれを辛うじて躱しているが、その動きに先ほどまでのような精彩がない。
やはりダメージが蓄積しているのか。
かと言って自陣に戻り選手交代しようにもその隙は与えられず、自身の武器である鷹爪殺に道着の胸元を切り裂かれ、更にらしくもなく脚を踏み外す。
すんでのところで梯子に捕まり落下を防いだものの、安心できる状況ではまったくない。
「フッフフ、どうやらこれで勝負あったようだな。」
梯子からぶら下がっている飛燕のそばにしゃがみ込んだ独眼鉄が、無造作にその指に鷹爪殺の先を振り下ろす。
「ぐっ!!」
「ククッ、それにしてもその美しい顔が、苦痛で歪むのを見るのは快感よ。」
だから、変態発言ヤメロ独眼鉄。
というかこれ完全に、自身の設定したゲスキャラに、本来の独眼鉄が飲み込まれてる気がしてならない。
こうまでしなきゃならないのかと、そろそろ見ているのが辛い。
見ているのが辛いといえば、富樫の胸の傷なんだが、一応今は戦闘に参加していない彼の手当てをしては駄目かと王先生に訊ねたところ、この先の闘いの事もあるから止血くらいなら構わんと答えたので、全員が梯子の上に注目している今のうちに、こっそり背中から富樫に近寄り、脊髄の部分に氣を入れて、止血処理だけ施すことにした。
これなら使用する氣もほんの僅かで済む。
ただ、やはり処置の際に一瞬だけ痛みが走ったようで、富樫は驚いたように後ろを振り返った。
その時には私はもう、他の白装束スタッフの陰に走りこんで姿を隠していたけど。
チビスケ舐めんな。
「フッフフ、快感、快感!」
そんな事をしているうちに独眼鉄の変態劇場はまだまだ続き、あろう事か飛燕の右頬に鷹爪殺の先を当てて、そのまま横に滑らせた。
…ギャ────!!おま、独眼鉄!
女性の顔になんて事を!いやわかってる!
彼が男性だとアタマではわかってるが、私の感情的にはまだ許容しきれていないんだよ!
あの驚邏大四凶殺の時に富樫につけられた傷でさえ許し難いと思ったのに、これがもし傷跡残ったら今度こそ伊達とお揃いだろ!
責任とって嫁にもらったって鬼畜の汚名は雪がれんわ!!
「あ、あの変態野郎──っ!!」
虎丸がその場にいた全員の意見を代表した言葉を叫ぶ。
そんなものにはまったく頓着せずに、独眼鉄は更に鷹爪殺を、今度は飛燕の背中に打ち込む。
「おまえの心は、その顔と同じように醜くゆがんでいる。
ならばそれにふさわしい死を与えてやるまで…!」
泣き叫べ命乞いをしろと高笑いする彼に、飛燕はその姿からは考えられないほど、強い口調で言い放った。
その言葉に逆上した独眼鉄が、鷹爪殺を飛燕の頭部に向かって打ち下ろす。
その瞬間、飛燕は梯子を掴んでいた両手を離した。
「潔い奴よ、自ら硫硝酸盆へ飛び込みおったか──っ!!」
「ひ、飛燕ーっ!!」
自殺したとしか見えぬ飛燕の行動に富樫が思わず叫ぶ。
だがその飛燕は落下しながらくるりと体勢を変え、頭上に向けて何かを投げ放った。
ロープ様のそれは梯子に巻きつき、寸でのところで落下を防ぐ。
こうなれば、空中戦を得意とする鳥人・飛燕に敵はない。
ロープにつかまりながら反動をつけ、その遠心力で梯子のはるか上まで飛び上がった飛燕は、その勢いで独眼鉄を梯子から蹴り落とした。
先ほどまでの飛燕と同じように梯子から、しかも片手だけでぶら下がる独眼鉄に向けて、更に空中から鶴觜を投擲する。
「鶴觜千本・断神節!!」
血まみれのその繊細な指から放たれた四本の鶴觜は、独眼鉄の梯子を掴むその指に突き刺さった。
同時に飛燕の足が梯子の段を踏み、一瞬にして双方の立場が逆転する。
「な、何をしやがった。
体が痺れて動くことができねえ…。」
「自慢の筋肉も、指の甲だけは鍛えようがなかったようだな。
鶴觜千本、寸分の狂いもなく指の神経節を貫いた。」
指には、首と繋がる神経がある。
そして首は脳と身体を繋ぐ重要な箇所。
うまく刺激すれば、麻酔の如くそこから下の神経を麻痺させる事も、理論上は可能だ。
飛燕がしたのはまさにそれ。
とはいえ言うほど簡単な事では勿論なく、しかもそれを投げた針で行なったのは、改めて見るとやはり神業だ。
私がやるなら触れられる距離で直接氣を撃ち込むしかないから、わざわざ指からなんてまどろっこしい事はせずに直接首を狙うけど。
「今からおまえの指は一本ずつ、意思とは無関係にはがれてゆく。」
飛燕が冷たい目で独眼鉄を見下ろしながら、死刑宣告のように言い放つ。
その言葉通りに、最初に小指が一本立ち上がった。
「馬鹿な奴よ。飛燕を本気で怒らせるとは…。」
その光景を見ながら伊達が呟く。
彼をよく知る伊達がこう言うのだ。
飛燕は普段は穏やかでいながら、怒ると怖いタイプなのだろう。
うん、絶対怒らせるのやめとこう。
更に、独眼鉄の薬指が立ち上がり、今やその身体を、人差し指と中指のみで支えている。
私からすればそれだけですごい事だ。
「最後だな。
いくらおまえでも、指一本では支えられまい…。」
言いながら、飛燕は独眼鉄に背を向ける。
その
「ちょ、ちょっと待て──っ!!
お、俺は独眼鉄!
貴様ごときに負けてたまるか───っ!!」
彼にとっては、富樫との闘いを果たさぬ前に、その相棒などに倒されるわけにはいかないのだ。
だが、そんな彼の想いなど誰も知らぬまま、今度は中指が立ち上がり、独眼鉄は悲鳴をあげて、硫硝酸盆へ落下していった。
「貴様にはこんな死がふさわしい……!!」
・・・
「ひ、飛燕の奴、あんな優しい顔して、あんな恐ろしい一面があったとは……。」
「どこに目をつけている虎丸。
もう一度よく見てみろ。」
独眼鉄が落下する瞬間目を背けていたのだろう虎丸が呟くのに、桃が微笑みながら下を指し示す。
独眼鉄の身体には、先ほど飛燕が使ったロープが繋がっており、彼は硫硝酸盆に落下する寸前のところで泡を吹いて、あまつさえ失禁すらしてぶら下がっていた。
「命だけは助けてやる。
死の恐怖は存分に味わっただろう。」
ナイスだ飛燕。
独眼鉄はほぼ無傷の状態だから、敗退しても手当はしなくて済む。
飛燕は三号生側の陣に初めて目をやると、そこに控えたままのセンクウに声をかける。
「わたしはこの
その間に助け上げてやるがよい。」
だがセンクウは、必要ないと一言告げ、その場から立ち上がりもせず手を動かす。
次の瞬間、独眼鉄を繋いでいたロープが切れ、独眼鉄は悲鳴を上げて、今度こそ硫硝酸の中に沈んだ。
ちょっと待て──!
なんて事するんだよセンクウ!!