婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜 作:大岡 ひじき
天動宮に出向くと、いつもならば独眼鉄が鎮座している筈の場所に、一般三号生が何人か立っていて、私に気付いて通路の板を渡してくれた。
どうやら鎮守直廊組は全員出払っているらしく、彼らは一応代理らしいのだが、
「光は、我らにとってはもう仲間だからな。」
と、私の場合は顔パスでいいらしい。
ちょっと涙出た。
「今日も邪鬼様に呼ばれているのか?」
「いえ、今日は自主的にです。
お身体の様子を確認するのと、二号生から預かっているものがあるので、それを一応、渡しに…。
まあ、そろそろ意味ないんですけど。」
言いながら、下げてきた紙袋の中のものを見せると、その場の全員が一瞬押し黙り、ちょっと待ってろと言われて別室に留め置かれた。
かなり待たされた後、
「我ら三号生が、邪鬼様への気持ちで、二号生に負けるわけにはいかん」
とか言われて、同じものが入った紙袋をもうひとつ持たされた。
なにと戦ってるんだおまえらは。
そろそろ意味ないって先に言ったのに。
まあ突っ返すのもアレなので仕方なくそれも持って邪鬼様の部屋までたどり着いた。
ノックをして、声をかけるも
「あ、れ……?」
「光か。
邪鬼様に御用なら、出直してくるがいい。」
唐突に後ろから声をかけられ、一瞬驚く。
「影慶…。」
私がその男の名を呼ぶと、男は相変わらず感情の見えない顔で、無愛想に言い放った。
「邪鬼様は今、入浴中だ。」
見ると、手に……うん、その、まあ衣類を手にしている。
ちょ、側近ってこんなことまでやらされんの?
「…失礼いたしました。
30分後くらいに、また参ります。」
私が背を向けて立ち去ろうとすると、
「まあ待て。
一度天動宮を出てまた戻るのも大儀だろう。
俺の部屋で待つといい。右隣だ。」
言って、ポケットから鍵を出して手渡される。
「え、でも…」
受け取るのに躊躇していると、邪鬼様の部屋のドアが、内側から開かれた。
「その必要はない。何か用か、光。」
「邪鬼様?おはようござ……うわあっ!!」
私は思わず影慶の後ろに身を隠し、背中にしがみついて顔を伏せた。だって…だって。
「…
なにをそんなに驚く?」
邪鬼様は、大判サイズのタオルを頭から被っただけで、あとは何も身につけていない。
腹の傷はすぐに治療したから残っていないし、あの様子だと全身の火傷も、後遺症などはなさそうだ…けどそういう問題じゃない!
その格好で廊下に出てくるな!
初めて会った時といい今といいとんだセクハラ野郎かお前は!
すいません言い過ぎました。
「…妙齢の女性の前でお戯れが過ぎます、邪鬼様。
着替えはこちらにご用意しましたので、身につけたらお声をかけてください。」
「……フッ。」
どうやら影慶が、手にした衣類を邪鬼様に押し付けて、無理くりドアを閉めたらしい。
「…光、もう顔を上げていい。」
「は、はい。あーびっくりした。
でもぱっと見た感じ、傷も火傷も綺麗に治っているようで、安心しました。」
「おまえの術の効能は確かだろう。
逆に、失敗することなどあり得るのか?」
「…あなたのケースは、かなりの失敗かと思いますけど。」
「絶対に助からないはずの命が助かったのだ。
上々だろう。気に病むことはない。
本来なら、この手を得る為に何年も、手に毒を染み込ませると同時に、耐性をつける為の修行を重ねるのだ。
その過程を飛ばす事ができたのだから、むしろ有難いくらいだぞ。」
…私は影慶の身体を、完璧には治せなかった。
治癒、造血、解毒。
それら全てがいちどきに必要だった影慶の治療を行うにあたり、一刻を争う致命傷である腹部の傷の治癒を優先した結果、思った以上に浸透性の高かった毒成分を、完全に除去する事ができなかったのだ。
特に長い時間毒物に晒されていた右手は、洗浄してもその成分が完全に深部まで浸透しており、そのままでは壊死する寸前だった。
やむなくその場で方針を変え、解毒を諦めて、私の氣を血流に乗せてリンパ球に働きかけ、毒の抗体を作らせる事で、命だけは助ける事ができたが、その代償として影慶の右手は、触れるものを死に至らしめる、文字通りの「毒手」となった。
彼はこの先一生、例え愛する人ができたとしても、その人に素手で触れる事はできない。
また、その右手には真新しいサラシを裂いた包帯が巻かれているが、これにも少しずつ毒は浸透する為、最低でも一日に二度、新しいものと替えなければならない。これも一生だ。
「そういう問題じゃありません。
…影慶は、怖くはないのですか?」
「怖い?何がだ?」
「……大切な人を、ひとつ誤れば死なせてしまうかもしれない自分が。」
「…言われている意味は理解できるが、俺にはそもそも、大切な者などおらん。」
淡々と返ってくる答えは、まるでかつての己と会話しているようで。でも。
「…邪鬼様は?」
「あの方は、そもそも俺などが触れられる次元の存在ではない。」
確かに以前、邪鬼様に氣のレクチャーを受けていた際、何かのついでに聞いた事がある。
『影慶は、俺の影すら踏まん。』と。
けど、そう言った時の邪鬼様は、少しだけ哀しげだった。
距離をおいているのは、むしろ影慶の方からじゃなかろうか。
「…納得がいっていない
そんな経験でもあるのか?」
「………まさか。」
今何か、嫌なことを思い出しかけた気がする。
「…おまえも、同じだ。」
「え?」
「おまえにも、どこか深いところに、邪鬼様と同じ匂いを感じる。
触れる事など思いも及ばぬ、影を踏む事さえ躊躇うような、そんな匂いだ。
だが、その方向性は完全に違う。
そして、その違いの正体がわからぬ分、俺は、おまえの方がよほど恐ろしい。」
なんか意外な事を聞かされた気がする。
…というか。
「…ひょっとして、以前天動宮に滞在していた間、私のことを避けていたのは、そういう理由ですか?」
影慶は他の死天王と違い、明らかに私と距離を置こうとしていた。
だから先ほど「部屋で待て」と言われた時に、鍵を受け取るのに躊躇したのだ。
確実に、嫌われていると思っていたから。
「気付かれていたか…その通りだ。
それでも邪鬼様に進言して、味方につけるよう促したのは、あの時言ったことも勿論嘘ではないが、敵に回った場合の可能性の予測がつかなかったからだ。
放っておくと危険だと判断した。
…もっとも、塾長はこちらが思うよりずっと、おまえの背中を支えていたから、俺の心配など杞憂だったが。」
「そうでしたか…。」
要するに、やはり野放しにしては危険と判断されていたわけだ。
なんだか私と影慶のいる廊下に微妙な空気が流れた頃、再び邪鬼様の部屋のドアが開かれて、同時に呆れたような声が、その場を支配した。
「そうは言っているが、光。
影慶は、万が一貴様に俺が、手をつけた時の事を考えて、深入りしないようにしているに過ぎん。
あまり気にせぬ事だ。」
「邪鬼様!?」
「事実であろうが。余計な気をまわしおって。
…まったく、可愛いやつよ。」
言うや、大きな手が影慶の頭部を撫でた。
ずっと無表情だった影慶の目が驚きに見開かれ、頬に僅かに赤みがさす。
「おやめください、邪鬼様!」
うわあ…あの手にアタマ撫でられるの、ちょっと羨ましい。
けど入って行けない。
「あ、あの、では、私はこれで…。」
いたたまれなくなりその場を辞そうとしたら、
「ん?俺に用があったのではないのか?」
という声に引き止められた。
「あ…忘れてました。
てゆーか、傷の状態は先ほど見せていただきましたから、私自身の用は済んだのですけど…邪鬼様の療養に、もっと時間がかかると思っていた塾生の皆さんが、コレ頑張って作ってくれてたみたいで…突っ返すのもアレなんで、気持ちだけでも受け取ってあげてくれませんか?」
そう言って、二つの紙袋を差し出す。
邪鬼様はその中にあるものを一本つまみ上げると、独り言のように呟いた。
「…千羽鶴か。」
正確には千羽はないだろうが、それに近いくらいはあるだろう。
とりあえず江戸川の号令で二号生にひとり十羽のノルマで作らせたものを私が持って行ったら、それを見た三号生が急遽折りあげたものが加わった。
「しかしこいつを見るたびに思うが、ただ連ねてぶら下げておくなど、いかにも不粋よな。」
「はあ……えっ!?」
邪鬼様は二、三号生の想いが込められた千羽鶴の白い束を、全て無造作に宙に放り投げた。
同時に、氣を弱く調整した殲風衝をそれに放つ。
当然グシャグシャに破れ落ちると思ったそれは、連ねている糸が切れたのみで、一羽一羽綺麗な形を残したまま、部屋の中を縦横無尽に飛び回った。
「わ………!!」
私がそのメルヘンファンタジーな光景に見惚れている間も、邪鬼様は腕を振って風の流れを調整し、鶴はその腕の動きに従って舞っている。
更に邪鬼様が大きく腕を回すと、折り鶴達は一斉にひとつの方向に向かって飛び、もう片方の手で脱ぎ捨てたマントが床に落ちる前に、全てがその中に飛び込んで、包み込まれた。
「…フム。意外と使えそうだな。
奴らの気持ち、この邪鬼、有り難く受け取ろう。」
邪鬼様が、薄い唇に笑みを浮かべる。
私と影慶は思わず顔を見合わせた。
何に使う気なんだろう。
まあ、無駄にならなかったようで良かった。
☆☆☆
天動宮を出て、同じ敷地内の修行場のようなところに行くと、黒い生き物の群れに囲まれている男が、私を見てニヤリと笑った。
「…よぉ。」
「こんばんは、蝙翔鬼。あの…」
「こいつらのことは恐れずとも良い。
俺が号令をかけさえしなければ、貴様に危害は加えぬさ。
そして、俺には貴様を害する理由はない。
…まあ、女にとっては気持ちの悪い生き物だろうが、な。」
彼の周囲を舞っているのは、小型の蝙蝠の群れだった。
背筋を寒気が走る。
「…否定はしません。調子はいかがですか?」
「しばらくは顎が動かなくて、流動食しか口にできなかったが、やっとものを噛めるようになった。
だが、このへんの肉が落ちたおかげで、若干細面の色男顔になったと思わんか?」
蝙翔鬼は、磁冠百柱林闘の柱から落とされた際、顎の骨を骨折していた。
それ自体はすぐ治療したのだが、逆にそれが良くなかった。
時間をかけて少しずつ回復させ、それとともに周囲の筋肉をそれに対応させて行けば問題なかったのだろうが、怪我をした際にそれを守ろうとして収縮した筋肉が、急激な治療に順応するのに時間がかかったのだ。
あくまで肉体の反応の問題なので回復の過程に問題はなかったのだが、やはり元通りになるまでは苦痛だったと思う。
確かに彼の言う通り、その間動かせなかった筋肉がやや落ちて、以前とは若干面変わりしていた。
「は、はぁ…。
ともあれ、快復してきたなら何よりです。」
「…ああ。貴様には感謝している。」
ストレートにそんな言葉を口にする彼に、驚きを禁じ得ない。
この人、以前顔を合わせた時には、もっと病んだ雰囲気だった気がするのだが。
「どうした?」
「なんか…雰囲気、変わりましたね、あなた。
あ、いえ、輪郭だけではなく…言い方は悪いかもですが、どこか毒気が抜けた感じです。」
「毒気、ね。まあ、言い返す言葉もないな。」
少し失礼な私の物言いに、特に気を悪くした様子もなく、蝙翔鬼はフッと笑った。
それから少し真顔になって、その場に積み上げた石に腰を下ろす。
すぐ隣に同じものがあり、彼は私にもそれを指し示した。
座れという事らしい。
大人しく従ったが、私には少し高めで座ると足が浮いた。
「…少し、話をしていいか。
いや、勝手に話すから、聞き流してくれていい。
この、俺の右腕な。
5年ほど前に、男塾と南国の長年の宿敵との闘いのさなか、敵の卑劣な罠に引っかかって、失ったものだ。
それからの俺は、少し荒れた。
闘いに際し、手段を選ばなくなり、それを、この腕のハンデがある分仕方ない事と己を正当化して…いつしか己に対して、そんな言い訳さえもしなくなった。
…気がつけば、俺に卑劣な罠をかけた、あの敵と俺は、同じになってしまっていた。
あいつらとの闘いを経て、貴様に助けられなければ、俺は未だに、そんな自分に気付かずにいただろうな。」
そう、淡々と呟く蝙翔鬼の目は、どこか遠くを見ていた。
「…気がついた時、苦しかったですか?」
その後の沈黙に何故か耐えきれず、思わず質問が口に出る。
「ん?」
「私は、自分が、真っ黒に汚れていると…もはや、どんなに洗おうとしても、己に染み付いた汚れは雪げないと、自覚した時…苦しくて、居たたまれなくなりました。
あなたも、そうでしたか?」
「…さあな。忘れちまった。」
そんなに前の話ではない筈なのに、蝙翔鬼はそんな風に言って、肩をすくめる。
「だが、どんなに真っ黒く汚れていても、諦めずに雪ぎ続けていれば、いつかは洗い流せるんじゃないか?
少なくとも、そう信じて生きる事はできる。
俺は、それでいいと思ってるぜ。
少なくともこれからの俺は、この腕を言い訳にはしない。
それだけは、今、ここで誓わせてくれ。」
そう言って蝙翔鬼は、私の目を真っ直ぐに見つめる。
それを見ているのが苦しくなり、私はさりげなく視線を外して、わざと笑ってみせた。
「…そうですね。
確かにそれは言い訳になりません。
生来目が見えないのに、そんな事をまるで他人に気付かせすらせずに、真っ直ぐに生きている人もいるくらいですし。」
「ん?誰のことだ、それは?」
…軽く言った言葉に、何故か食いつかれた。
「…月光です。三面拳の。」
「本当なのか、それは…?」
「ええ。本人がそう言っていました。」
言っても良かっただろうか。
けど、殊更に隠してる様子でもなかったし、別にいいか。
私の言葉に、蝙翔鬼はなにか考えるように宙に目をやってから、もう一度私に目を向けた。
「…一度、サシで話をしてみたいところだな。
俺たち三号生が生きてるんだ。
あいつらも生きてるんだろう?」
「…ええ。
あなたがそう言っていたと、今度訪ねる時にでも、月光に伝えておきます。
彼はきっと、拒まないと思いますよ?」
「頼む。
それに、俺と戦った雷電という奴にも、面と向かって謝っておきたいところだな。
卑怯な真似をして、悪かったと。」
…あれ?
ここの塾生は結構意地っ張りな奴らばかりな気がしてたけど、この人ってひょっとしたら、素はすごく真っ直ぐなタイプなのかもしれない。
…そうか。
だからこそ、挫折を感じた時に、ひたすら真っ直ぐに落ちていったのだろう。
「…それはそうと、大丈夫か?」
「…本当言うと、大丈夫じゃないです。
そもそも動物自体、あんまり好きじゃなくて。
その割には、特に群れで行動する習性のある生き物には、高確率で懐かれるので、嫌な予感はしていたのですが。」
…そう。蝙翔鬼と話をしている間に、私は頭から肩から腕から、ありとあらゆる場所を蝙蝠にとまられていた。
肩に留まっているやつに関しては、頭を擦り寄せてすらくる。
気持ち悪い。
「俺も、蝙蝠にそこまで懐かれる奴を初めて見た。」
「…笑ってないで、助けてください。」
私が情けない声を出したのを見て、蝙翔鬼はますます笑った。
その笑顔は、本当に邪気のない、彼の心からの笑顔だと、私は感じた。
なんか、彼の心の黒い染みが雪がれる日は、そう遠くないんじゃないかって気がする。
けど、やっぱり蝙蝠は気持ち悪い。ヤメロ。
天挑五輪大武會での蝙翔鬼先輩は別人です。
演じてる俳優が途中降板して、代役が立てられたんだと思ってます。