婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜   作:大岡 ひじき

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『アンタんとこ大丈夫ー?』
「停電にはなってるけど水もガスも出るし特に被害はないよ」
『良かったー。うちも、モノ落ちてきて旦那が頭から血ィ出てるけど大丈夫ー』
「いやそれ大丈夫じゃねえわ!」
…以上、地震後に電話きた下の姉との会話。


12・何を犠牲にして、裏切っても

 “まだわからぬか。

 数ある中国拳法にあって、奥義中の奥義といわれる、この鞏家(きょうけ)土錐龍(どすいりゅう)!!

 未だかつてこれに挑戦し、命のあった者はおらぬのだ……覚悟はよいか!!”

「ならばわたしが、その最初の者として名を刻むことになる……!!」

 深い傷を負いながらも笑みを浮かべ続ける山艶が、服の袂から何か、拳大の黒い玉のようなものを取り出して、地面に投げ放つ。

 

「フッフッフ…土錐龍(どすいりゅう)、敗れたり…!!」

 それは真っ黒な煙を発生させ、彼の姿はその中に消えた。

 …同じ地上で相対している状態であれば、煙幕で身を隠すという戦略もありかもしれない。

 だがそもそも、地中にいる羅刹は山艶の姿を目では捉えておらず、気配で察知しているわけだから、この行動に何ら意味があるとも思えない。

 そして、それほど時間も置かずに風で晴れてきた煙幕の間から…現れたのは、鬼女。

 

「梁山泊秘奥義・凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)!!」

 …もとい、鬼女の面を着けた山艶だが、それ以外に何ら変わった様子はない。

 

 

「さ、山艶が化物に変身しやがった──っ!!」

「違う、よく見ろ!!

 奴は、般若の面を着けただけだ!!」

 うちの陣でギャラリーが騒いでいるが、正確には般若通り越した真蛇ってやつだね。

 一般的に能面でいう般若というのは嫉妬に狂って鬼となった女の顔と言われているが、鬼のランクとしてはまだ先がある状態だったりする。

 ちなみにその手前は生成(なまな)りと呼ばれ、その状態ではまだ女性としての面影が残っているのが特徴だ。

 完全に恨みきるのにまだ迷いがある、女性らしい葛藤や哀しみを感じられる痛々しい姿といえよう。

 般若と真蛇の見分け方は、耳があるかないか。

 完全に鬼になりきった真蛇の状態では、もはや人の言葉など聞く耳を持たない、という意味だそうだ。

 …と、随分前に私が手にかけたターゲットに、能の家元の次男というのがいて、彼と交際している時に教えてもらった。

 まあ、そんな事は今はどうでもいいけど。

 

「さあ、どこからでも来るがよい、羅刹。」

 …見た目より通気性の高い面であるのか、思ったよりくぐもっていないクリアな音声で山艶が言いながら構えを取る。

 

 “凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)だと…?

 なんの真似だ、それは……!?

 その面を被るために、わざわざ煙幕をたいたというのか……!?”

 どこか拍子抜けしたような響きをもって、羅刹の声が問うた。

 

「フッフッフ。気になるか、この面が……!!

 さあ、どうした?」

 勿論それに答えることなく、山艶は羅刹を挑発する。

 

 “そんなハッタリなど、俺には通用せん”

 その声とともに羅刹の攻撃が開始され、先ほどと同様……否、胸に負った傷のせいなのか先ほどよりもやや緩慢に見える動きで、それでも山艶はそれを躱している。

 正直、羅刹が無駄な余裕かました先ほどからいやな予感しかしないのだが、私の考えすぎなんだろうか?

 

「なんのつもりだ、あの般若面はよ──っ!!」

「顔に傷つけられるのを恐れてガードしてんじゃねえのか!!

 一気に勝負をつけちまえ──っ!」

 などと呑気な事を笑いながら富樫や虎丸が言う傍ら、

 

「気づかんか、桃…!!

 おかしい、山艶の動きが何か変だ……!」

 伊達が、どこか不安げに呟いたのに、桃が頷く。

 それは、何かおかしいというのはわかっているものの、何がと言われると答えられないもどかしい感覚。

 そうしている間にも羅刹の攻撃は激化しており、それに対応する山艶は防戦一方に見えるのだが…。

 

「般若の面とは、人間のもつもうひとつの顔を象徴しているとききます。

 それは、決して人目には晒されることのない暗黒面…。」

 どこか暗示するような飛燕の呟きに、桃が何かに気づいたように声を上げた。

 

「い、いけない羅刹──っ!!

 や、やめろ──っ、その山艶は──っ!」

 

 

 どこから出て来るか判らない羅刹の腕を避け、それに攻撃する為に山艶が刃を構えた瞬間、その仮面の背後の地面を割って、羅刹がその姿を現わす。

 

「これで決まったな。

 完全に後ろを取った!!山艶、貴様の負けだ!!」

 言いながらその鋭い指拳を山艶の背に突き立て…

 

「フフッ、かかりましたね…!!

 負けは貴方です、羅刹!!」

 次の瞬間、刃を着けた山艶の右腕が、あり得ない角度で後方へと向かい、羅刹の胸板を貫いた。

 自身に起きた事が信じられないといった表情で体勢を崩す羅刹の前で、後ろを向いたままの山艶の左腕が、またもあり得ない角度に曲がる。

 

「わたしの背後を取ったと思ったのが、貴方の不運…これぞ凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)、真の狙い!!」

 人体の構造的にあり得ないほど後ろ側に上げられた山艶の左手…いや、よく見ればそれは、親指の位置からすると右手のようだ…が、その後頭部の長い髪をかき上げると、そこから山艶の綺麗な顔が現れた。

 

「おわかりになりましたか。

 凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)の極意は、己の五体の関節を外し、表裏を逆にしても動きを可能にすることにあります。」

 山艶がそう言いながら、手足の逆向きになった関節を戻していく…が、その光景は、実に気色悪かった。

 せっかく綺麗な顔してるのに台無しだ。

 

「あの煙幕の中で、それと同時に着物も逆にし、後頭部に面を着けたのです。

 そして貴方が背後を取り、一瞬の油断が生じるのを待っていたというわけです。」

 戦いに如何にも不向きそうな、袂や裾に余裕がありすぎる衣をわざわざ身につけていたのはこの為だったか。

 てゆーか、一応騙し技なんだけど本人は真正面から堂々と敵と相対してるってあたり、卑怯なんだかそうでないんだか今ひとつわからない技だな!!

 

 凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)

 中国拳法屈指の奇襲策として知られるこの技の発祥は、秦代末期の()筴振(ばしぶる)と陳栄公による『紅原の決闘』にある。

 はるかに技量の勝る陳に対して、李は己の甲冑すべてを表裏逆に着用して後ろを向いていると錯覚させ、油断して近づいてきた陳を、一撃のもとに倒したという。

 後に、関節を逆にするまでにそれを発展させ、完成したのが凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)である。

 ちなみにこの噂はシルクロードを通じて西欧にまで伝わり、現代英語で表裏自在を意味する『リバーシブル』は、()筴振(ばしぶる)の名が語源である。

太公望書林刊『シルクロードの彼方』より

 

「ま、負けん…負けるわけにはいかんのだ……!!」

「羅刹…貴方の名は忘れません……!!」

 勝負への執念を見せながらも、その身体と共に地に落ちる羅刹の指拳を見下ろして、山艶がどこか哀しげに言葉をかけた。

 

「奴の闘いは、まだ終わってはいない……!」

 どうして平然としていられるんだと、号泣しながら詰め寄る虎丸に、卍丸が闘場を見据えたまま呟く。

 それに隣のセンクウが頷いて、どういう事だとでも言いたげな後輩たちの為に、その先を続けた。

 

「奴の名は男塾死天王、羅刹……!!

 あの三日三晩の地獄の拷問をも生き抜いた、不死身の男だからよ……!!」

 なんの話か問おうと影慶の方を見ると、私と同じことを思っていると何故かはっきりわかる表情で、影慶が男爵ディーノの方を見ているのが目に入った。

 …さっきの赤石の話と同様、影慶が男塾に来る前の話ってことね。

 

「どうしました、わたしの次の対戦相手はどなたですかな。」

 だがディーノが口を開く前に、素早く衣の前後を元通りに直した山艶が、男塾の陣に向かって声をかけた。

 臆病風に吹かれて出てこれないのかと薄く笑った、その表情が固まる。

 その視線の先で、倒れていた羅刹の手が上がり、独特の指拳の型をとる。

 刃に貫かれた胸から多量に出血しながらも、羅刹はその大きな身体を、ゆっくりと立ち上がらせていた。

 その瞳に闘志を漲らせたまま。

 羅刹は、まだ諦めてはいない。

 豆腐メンタルとは何だったのか。

 その強い意志だけが今、彼の瀕死の身体を動かしている。

 

「どうやらわたしは、とてつもない相手と闘っていたようですね。」

 言って山艶は再び、先ほどの手甲の刃を装着する。

 それを視線で牽制しつつ、羅刹は腰の防具の背中から…多分そうだ、絶対ズボンの中からじゃない…、なにを思ったか、ひとふりの短剣を抜き出した。

 まあ、相手が武器を所持している以上、条件的に対等ではあるが、正直こんな貧弱な武器よりも、羅刹の指の方がよほど殺傷力があると思う。

 そんな私の心の声が届いたわけではあるまいが、羅刹はその短剣を何故か口に咥えて、手は兜指愧破(とうしきは)の構えを取る。

 

「なんの真似ですから、それは!?

 …まあよいでしょう、もう一度、地獄へ送り返すのみ!!」

 それを訝しげに見ていた山艶だったが、自身の優位は揺るがぬとみてか、真正面から羅刹に斬りかかった。

 その切っ先を跳躍で躱し、空中で整えた体勢から繰り出した羅刹の技は。

 

「あ、あれはまたもや鞏家(きょうけ)最大奥義、兜指愧破(とうしきは)土錐龍(どすいりゅう)〜っ!!」

 全部言ってくれてありがとう、富樫。

 だが山艶は余裕の表情のまま、最初の落下からの一撃を躱す。

 

「なんという勝負への執念……!!

 どこにまだそんな体力が残っていたのか。

 良かろう、どこからでも来るがいい。」

 驚きながらもどこか面白そうに笑う山艶が、全方向に対応する構えをとった。

 

「貴方の最後の気力と体力を振り絞って仕掛けた土錐龍(どすいりゅう)…!!

 もっともわたしには、自らの墓穴を掘ったとしか思えませんがね!!」

 そう、今の羅刹にとってはこの技はおろか、単に気配を殺すだけでも、相当な身体の負担になっている筈。

 このまま時を経ればそれだけで死んでしまうのではないかとすら思うほどに。

 

「教えてください先輩…さっき言った、三日三晩の地獄の拷問とは……!?」

 そんな中、桃が先ほどのセンクウの言葉の意味を問うた。

 いやそれ今聞くのとちょっとだけ思わなくもなかったが、私も聞きたかったからつっこむのはやめておく。どうせ聞こえないし。

 

「良かろう、聞くがよい。

 あれは貴様等一号生が男塾に入塾する数年前のこと……!!」

 

 

 センクウが語るところによると、その頃男塾は西国の長年の宿敵との闘いに決着をつけるべく動いており…って男塾、長年の宿敵多過ぎだよね!?

 さっきの赤石の時に聞いた話もそうだし、確かこの大武會が始まる前にも、そんな言葉を蝙翔鬼からも聞いた気がするよ!!

 それはさておき、敵地奥深くに陣を置いて、最後の戦期をうかがっていた時に、その事件は起きた。

 偵察に出ていた羅刹率いる小隊が、部下の不注意からその存在を敵に感付かれ、羅刹共々囚われの身になってしまったのだという。

 痛めつけられ半死半生となった部下たちの身体はロープで括られて、崖の上の大きな木に吊るされ、その端を羅刹が握らされた。

 手を離せば部下たちは崖下へと、真っ逆さまに落下する。

 手足も満足に動かないほど痛めつけられた上、ロープで一纏めに括られた部下たちが、谷底へ落とされればひとたまりもない。

 自身の部下の命を自分が握る事となり、反撃も抵抗もできぬまま、羅刹は男塾の本隊の居場所を吐かせようとする敵の拷問を受けた。

 生爪を剥がされ、身を削がれ、焼いた鉄の棒を身体に押し付けられ。

 自分たちの為に、人が考え得るありとあらゆる拷問をその身に受ける羅刹の姿に、もう手を離して反撃してくださいと部下たちが懇願しても、羅刹はロープを離さぬまま、三日三晩耐え続けた。

 そのうち何をしても呻き声も上げず、反応すら示さなくなった羅刹に、敵は死んだと判断した。

 ロープを離さないのは死後硬直のせいと判断され、近寄ってきた敵兵が、握りしめた彼の指を開かせようとする。

 その油断が彼らの命取りだった。

 羅刹は待っていた、その瞬間を。

 動けない自身の手の届く位置に、無防備に全員が立ったそのタイミングを。

 意識も肉体もほぼ朽ち果てた状態で、羅刹はロープを口に咥えて支え、片方自由になった左手の指が、一瞬にして敵兵全員の額を貫いた。

 

「…そして奴の位置を把握し、ようやく救出のために駆けつけた我々が見たものは、まさにインド神話の、鬼を喰らって生きるという鬼神『羅刹』の姿……!!

 敵を全滅させ、血の海に仁王立ちしながら、まだロープを離さない、奴の姿だったのだ……!!」

 絶体絶命の窮地からも死線を超越する程の、あくなき勝利への執念…それが羅刹という男だと、絶対の信頼をもって卍丸がその話を締めくくる。

 その凄まじい話に、その場の全員が息を呑んだ。

 

「フフッ、どうしました。

 まさか、そのまま地中で死んでしまっているのではないでしょうね。」

 違うと信じたいが、そうなっていてもおかしくないくらい、羅刹は重傷なのだ。

 声をかけてから山艶が、何かに気付いたように地面の一点に目をやる。

 どうやら土に羅刹の血が滲んでいたようで、山艶は羅刹が攻撃を仕掛けてくる位置を特定してしまったらしい。

 果たして、地面から突き出してくる羅刹の太い左腕を難なく躱し、カウンターのように手甲の刃を、羅刹の身体があるとおぼしき位置に向けて、躊躇なく深く突き立てた。

 

「ラ、羅刹──っ!!」

 

 

 その瞬間、信じられないことが起きた。

 

「か、かかったな…山艶……!!」

 地面から突き出た腕はそのまま、羅刹の身体が山艶の背後の地面から現れる。

 攻撃直後の完全に無防備な背後を取られ、山艶が反応するも、それは一瞬遅かった。

 何とか振り返り、羅刹に向き合ったその胸板が、鋭い指拳に貫かれる。

 

「うおお──っ!!」

 自身に何が起こったか理解できず、絶叫する山艶の胸から、吹き出した血が飛び散って、闘場の地面を染めた。

 

「な、なんだと…貴様、そ、その腕は…!!

 地中へ潜る時に持っていた短剣は、そ、その為に……!!」

「腕一本……勝利の為なら惜しくはない……!!」

 言いながら苦痛に顔を歪ませる羅刹の左腕の肩から先に、あるべきはずのものがなく、それは未だに地面から突き立ったままだ。

 

「な、なんという男よ……羅刹。」

 左腕一本切り落として囮にするなど、誰が考えるだろう。

 もはや闘う力もなく、あとは倒れるがままの山艶は、だがその美しい顔に、どこか満足げな笑みを浮かべた。

 

「貴方ほどの男に負けたのなら、悔いはない……!!」

「そのセリフは、そのまま貴様に返そう。

 俺も、貴様になら負けても悔いはなかった…!!」

 それは、互いの命を握り合った同士、互いにしか判り得ない絆だったのだろう。

 満足げに倒れた山艶の骸を見下ろした羅刹の表情には、厳しいながらもどこか優しげな色が混じっていた。

 

「あれが男塾死天王・羅刹という男よ……!!」

 そう呟いたセンクウの声が、震えて聞こえた。

 

「大したことはない、カスリ傷だ。」

 歩いて自陣に戻ってきた羅刹が、心配して駆け寄る仲間たちに向かって、一番に発した声がこの言葉だった…馬鹿かお前は!!

 

 ☆☆☆

 

「…ん、何を……!?」

「じっとしていてください。

 肉体の欠損に対する処置を、光から教わっています。

 …申し訳ありませんが、先輩方、手伝っていただけますか。

 腕と、指を、落ちないように、しっかり固定してください。

 そして、ここと、ここに……!!」

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