game37 ~セオリー~
『さあ、やって参りました。夏の高校野球選手権大会東東京地区予選大会ッ! パワフルテレビが全面協力のもと予選から本大会まで各試合を生中継。今年も熱く、熱くお送りして参りまーすッ!!』
七月初旬、埼玉リカオンズ本拠地のミーティングルームでパソコンの画面を見る
「
「ん?
「高校野球? ああ......もうそんな時期ですか、早いもんですね」
「そうだな」
まるで縁側で日向ぼっこをしながら庭を眺めるお年寄りのようにしみじみ言った
「テレビで見ないんですか?」
「埼玉の試合じゃないからな。ネット中継で見ているんだ」
「埼玉じゃない? あっ......! 俺も見せてもらっていいですかっ?」
「ああ」
気づいた
『東東京予選の一回戦。恋恋高校対バス停前高校の試合開始まであと10分あまりとなりました。両校共に、試合前の練習を終えてベンチへ下がって試合開始の時を待っていますッ! ウーンッ、試合開始が待ち遠しいッ。この胸の高鳴り、わたくし興奮を抑えきれまセンッ!』
「このアナウンサー、相変わらずハイテンションっすね。それにしても、一回戦なのにずいぶん客入りがいいみたいですね」
「今年は、女子部員の試合参加が認められた特別な年だからな。特に恋恋高校は女子部員が多い注目もひときわだろう」
「なるほど。言われてみれば確かに、色んな学校の制服姿の女の子が目立ちますね」
例年は学校OBと保護者の割合が高いが、今年は小学校・中学校・リトル・シニアで野球をしている女子の姿が多く見受けられた。
それはあおいと
その活動は徐々にだが全国各地へと広がり、ついに成し遂げられた。そしてそれはあおいたちだけではなく、スタンドで観戦している彼女たちにも希望を与える活動になっていた――。
「あん? あ、あっ、ああぁーッ!」
「どうした?
画面に写ったベンチの映像を見て、
「い、今、恋恋高校のベンチに
「――何ッ!?
「ほら、ここっすよっ、ここっ!」
「本当だ......
「アイツ、なんでベンチに......。前に聞いた時、コーチ契約は六月末までの契約だって――」
「うむ......。分からないが、何か
「理由......見当もつかないっすね。それにしても――」
画面に写る
「おっ、出て来たぞ」
球審と塁審がホームベース前へ現れ、号令を聞いた両校のベンチから駆け出したナインたちが、グラウンドに一列になって整列。
「先攻、バス停前。礼!」
――お願いします! と頭を下げて、バス停前高校と先発メンバーでない恋恋高校ナインたちはベンチへ戻る。捕手の
「先発は、あおいちゃんか」
「
「高い制球力とシンカーを得意にしているアンダースローの投手さ」
「へぇー、アンダーか。珍しいな」
「そうだね。ただ――」
先日東京遠征の際、久しぶり
「インコースへの投球が課題か。投手としちゃあ致命的な欠点だな」
話を聞いてからまだ数日、そう簡単に克服出来ていないと踏んでいた
「......だが、
「確かに、
「何かあるんだろう」
「そう考えるのが自然だな。それにしても――」
画面に写し出された
あのユニフォーム姿、全然似合ってねーな、と。
* * *
「ついに始まるのね、
グラウンド中央で整列しているナインたちを見て、
「なあ、帰っていいか?」
「ダメに決まっているでしょっ!」
「俺が居なくても四回戦までは余裕だ」
「ダメ。あの子たち、今日までまともな実戦練習をしてきていないから、あなたがベンチに居ないと不安なのよ。そもそも甲子園出場を破棄して、甲子園優勝と監督を引き受けることを条件に、新しい取引を持ちかけてきたのはあなたでしょ?」
「......まあ、面倒だが仕方ないか。はるか」
「はい、何でしょう?」
「サインは覚えているか?」
「はい。みんなと一緒に聞いていましたので」
その答えを聞き
「今日のサイン。全部、お前が出せ」
「わ、私がですかっ?」
「はあ? 何を言い出すのよっ」
「そう目くじらを立てるな。何も采配しろと言っているワケじゃない。俺が伝えた采配を、はるかがサインにして出すだけだ。スタンドを見てみろよ」
練習試合とはいえ、春の甲子園ベスト4の覇堂の
「既に勝負は始まっているのさ。特に
「なるほどね。はるかさんが本物のサインを出して、
「そんなところだ。まあ今日は、サインを出す状況は来ないと思うけどな」
思惑を話し終えたところで、スタメンを外れたナインが戻ってきた。
「今日の試合、お前ら全員を使う。いつ出番が来ても良いように準備しておけ」
「――はい!」と全員で声を揃えて返事をしてベンチに座ると、守備に着いたナインたちへ声援を送り始める。
グラウンドでは、最後の投球練習を終えたあおいの元へ
「スゴい応援だね」
「うん、ホントだね。がんばって期待に応えないと......!」
「そうだね。体は熱く、でも頭は冷静にいこう」
「うんっ」
味方ベンチとスタンドを埋める観客からの歓声に少し気負い戸惑ったあおいだったが、胸に手を当てて、一つ大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
そして――。
「プレイボールッ!」
『今、球審の右手が上がりましたー! いよいよ試合開始ですッ! 先攻バス停前高校の先頭バッターがバッターボックスで構えます。対する恋恋高校の先発は、今年から正式に参加が認められた女性選手――
「(先ずは、これで行こう)」
「(うんっ)」
サインに頷いたあおいは、
『
「オッケー、ナイスボール!」
ボールを投げ返されたボールをキャッチして、あおいは笑顔を見せて。パソコンで試合を見ている
「おいおいっ、初公式戦で初球を変化球かよっ? しかも、しっかりストライクを取りやがった......!」
「ずいぶんと落ち着いているな、このバッテリー」
「それだけじゃないっすよ。打ち気がなかったんだから外のまっすぐでもらっとけば良いのに。あのキャッチャー、打ちごろの甘いボールと思わせてボールになる
「ふっ、間違いなく
相手に心理を読んでストライクを奪った配球に、
「(よし、狙い通り振らせられた。次はこれで――)」
あおいはサインにうなづくと、そのままテンポよく投球モーションに入る。二球目は、外角低めのストレート。バッターは、タイミングが合わなかったことに加えて低いと判断して見逃した。しかし、無情にも球審の手は上がる。
「ストライク!」
「――ッ!?」
球速は120km/hにも満たないが、アンダースロー特有のまるで浮き上がるような軌道を見極められず、たったの二球で追い込む。
理想的な形で追い込んだバッテリーは、数多くの選択肢を残したまま相手に考えさせる時間を与えず、すかさずサイン交換を済ませて、三球目を投じた。
「ストライク、バッターアウトッ!」
遊び球は使わず、三球勝負。
制球を重視した二球目よりもやや甘いコースだったが、二球目よりも速いストレートで空振りを奪い、一つ目のアウトを奪った。
「ナイスボール! 走ってるぞー!」
「いいぞー、あおいー!」
「ワンナウトー!」
「ナイピー!」
内野を守る
『恋恋高校の
「へぇー、なかなかやるな。相手に自分のバッティングをさせなかったぞ」
「見慣れないアンダースロー特有の軌道に加え、あの球持ちの良い投球、一発勝負のトーナメント戦。少ない打席で捉えるには、事前にそれ相応の対策を講じていなければ難しいだろうね。しかし――」
「全部“外”だったな」
トマスの言う通りあおいの投球は、外の出し入れを中心とした配球だった。唯一インコースへ行ったボールも真ん中付近から甘いインコースへ落ちるシンカーだけだった――。
「まずまずだな」
ベンチへ戻ってきた
「今のところ、あおいのボールは悪くない。だがこの相手はともかく、一巡のうちにスタンドの連中は気づくだろう。そうなればお前のリード次第だ」
「はい、分かってます。あおいちゃん」
うなづいた
「お願いしますッ!」
「うむ」
ジャスミン学園戦の教訓から必ず球審に対し、メットを取って丁寧に一礼することをチーム内で決めた。しっかり挨拶をしてから
『一回の裏恋恋高校の攻撃は一番レフト――
バス停前高校のピッチャーの初球――。
「ボール」
全く打ち気のない
『おっと、これはいけませんっ。立ち上がりで焦ったか、ストライクが入りません。次は入れたいところ、しかし制球は乱れています。バッターは一球待つでしょうか?』
アナウンサー
「(
四球目、ストライクを取りに来たストレートを狙い打ち。打球は、内野の頭を越えて右中間を真っ二つに切り裂いた。
『先頭バッターの
先制のチャンスに盛り上がる恋恋高校ベンチ。
「さすが狙い通りね」
「球種が分かっているんだから当然だ。ノースリーは、投手の制球が乱れているから四球を頭に入れつつ様子を見ろということらしいが。ハッキリ言って愚作だ。『ノースリーは待て』じゃない『甘いコースに来たら打て』だ」
『ノースリーは、一球待て』これが野球のセオリー。相手チームもセオリーが頭にあるから、力を抜いたボールでストライクを取りに来る確率が高い。
このセオリーを逆手に取って
「完全なボール球ときわどいところは見逃せばいいのさ。だが、打てる甘いボールをわざわざ見逃して、カウントを悪くして、相手投手を助ける必要はない」
「日本の場合、ノースリーから手を出して凡退すると怒られるものね」
「フッ......ベンチが選手を萎縮させてどうする、愚かことだ。さて、はるか、サインを出す」
「はい」
「サインは、“無し”だ」
二番バッターの
「(自由にやれ、か。よっし......!)」
「さて、どうするか見ものだな」
この状況を楽しむように、ベンチから小さく笑みを浮かべて戦況を見守っている――。