スリーアウト目を取った二宮は急いでベンチへ戻ると、すぐさま打席の準備に取りかかる。
「進、手伝え!」
「はい!」
「おい、猪狩――」
『四回の裏、あかつき大学附属高校の攻撃は――』
話しかけようとしたところで場内にアナウンスが流れる。
「二宮、話をしている暇はないぞ。キミも準備を急げ」
「......ああ、わかってる!」
時間短縮のため進にプロテクターを外すのを手伝ってもらうもネクストバッターの猪狩と会話を交わす時間は取れず、二宮はバッターボックスへ向かわざるを得ない。
「(嫌な形で失点した直後だってのに、まともに話しも出来やしねぇ......クソ!)」
絶対的エース猪狩の四失点。攻撃が四番三本松で切れることは想定外のことだったとは言え、バッテリーが並ぶ打順を組んだことを、千石は悔やんでいた。
「(要所要所で嫌に絡みついてくる。こうも裏目に出てしまうとは......しかし、今さら悔やんだところで遅い。今は、あの投手を攻略しなければ......頼んだぞ二宮、突破口を開いてくれ)」
瑠菜の投球練習が終わり、二宮は右のバッターボックスに入ってバットを構える。
「(地区予選で、しかも新参相手にこうも良いようにやられるだなんて......。次の回は、九番の女子からか。ひとつは取れるとして、問題は上位打線だ。これ以上の失点は絶対にしちゃいけない。クリーンナップの前にランナーを溜めないようにして――)」
『あかつきは、五番二宮から下位へと向かっていく打順。しかし! バッターボックスの二宮、ネクストバッターの猪狩、八番五十嵐と一発のある強打者が揃っています! 下位打線と言えど気は抜けませンッ!』
二宮にチラッと目をやり、鳴海はすぐさまサインを出す。うなづいた瑠菜も、間髪入れずに投球モーションに入った。
『ストライク! なんと初球は、ど真ん中のストレート! 』
タイムを要求した二宮は、打席を外す。
「(......やっちまった、余計なこと考えてたらど真ん中を見逃しちまった。今は打席に集中しねぇーと、点差を詰めることが最大の援護なんだからな......!)」
「(ん? 構えの迷いがちょっと薄れたかな? これは甘いところは確実に狙ってくるよ。これで誘おう)」
「(――ええ)」
瑠菜の二球目――アウトコースから逃げるシュート。ボール球に手を出してファール。恋恋バッテリーは理想通りの組み立てで、二宮を二球で追い込んだ。
「(ほぼ同じ球速から逃げるシュート......なまじ球速がない分多少のボール球にもつい手が出ちまう。次は何で来る? 一球遊ぶか、それとも三球勝負に来るのか......?)」
『さあ、バッテリーのサインが決まりました! マウンドの十六夜瑠菜、初球とは打って変わってゆったりと投球モーションに入る!』
三球目、バッテリーは三球勝負を挑んだ。選んだ球種は、右バッターへクロスして入ってくるインコース高めのストレート。
「(インハイの真っ直ぐ、三球勝負! けど甘ぇ、ここから変化してもストライクゾーンの中だ......!)」
ミートポイント手前で逃げるように小さく沈んだ。練習で奥居を三振に仕留めた、見極めが難しいインハイからの低回転ストレート。しかし二宮は、持ち前のバットコントロールで左手を払うようにして瞬時に対応してみせた。
『打球は、三遊間のサード寄りの強いゴロ! サードの葛城、腕を伸ばして捕球! そのまま一回転して難しい体勢からの送球も正確です、ワンナウト! 二宮上手く捉えましたが、ここはサードの好プレーに阻まれましたーッ!』
先頭バッターをしっかりアウトに取ったが、今の一打を見た東亜が動く。藤村にブルペンへ行くよう指示を出した。藤村と新海の二人が動いたのに合わせて、ライトに入っているあおいも軽くストレッチを始める。
そして打席では、内野ゴロに打ち取られた二宮と入り替わりで猪狩が入った。初球は、外角のストレートを三塁方向へファール。二球目は、高めのストレートに手を出して空振り。二宮と同様に、理想的に二球で追い込んだ。
「(強引に振ってくるなぁ、まあこっちとしてはありがたい。三球勝負で球数を抑えたいけど、でもここまで振られるとストライクゾーンでの勝負はちょっと行きづらいな......)」
サインを出して、外角のボールゾーンへミットを構える。
『ファール! 少々力んでいるのでしょーか? 完全なボール球に手を出してしまいました』
「(こんなボール球にまで手を出してくるのか、だったら振ってもらおう)」
サインにうなづいた瑠菜の四球目――。
瑠菜の投げたボールは、鳴海のミットに収まることなくライトへ上がった。
『猪狩、打ったー! 低めの変化球を掬い上げて引っ張った打球は、ライトの上空へと上がったーッ!』
打球を追っていたあおいは足を止めて、頭上の遙か上を越えていく打球を見送る。矢部の打球をスタンドまで運んだ追い風に乗り、ライトスタンドの中段で弾んだ。
『入りましたー、ホームラーンッ! 猪狩守、今大会二本目のホームランは、自らを援護するソロホームラン! 特大の一発で点差を再び二点差と詰め寄りますッ!』
ダイヤモンドをゆっくりと一週して、ネクストバッターの九十九とハイタッチを交わし、ベンチへ戻ってくる猪狩を、あかつきナインたちは総出で迎える。
「猪狩、見事なバッティングだ」
「ありがとうございます。二宮、肩を温めたい」
「おう、先に行ってるぞ」
二人は次の回の話しをしながらベンチ前で軽めのキャッチボールを行う。一方の恋恋高校は、ここでも伝令は使わずにバッテリーの二人でだけでの会話に留めた。
「今のは、打った猪狩の勝ちだな。もう一度打てと言われても簡単に打てる球じゃない」
「ストライクからボールになる膝下への縦のカーブだったものね。あれを打たれたら仕方ないわね」
「フッ、まあアイツらが勝負を焦ったことに変わりはない。多少ミスと意地が重なった結果だな。しかし、起こってしまったことはもう戻らない」
「ここからどう取り戻すかが重要ね」
それは鳴海も、瑠菜も、重々承知している。だからこそ東亜は、伝令は出さなかった。主審が注意に来るギリギリまで言葉を交わし、鳴海はポジションへ戻る。
瑠菜は前の打席ヒットを打たれている九十九をセカンドライナーに打ち取り、リベンジを果たしてツーアウトまでこぎ着けた。だが七番の五十嵐には、バスターからの小さなスイング、さらに完全に芯を外すも持ち前の腕力で詰まりながらレフト前へ運ばれてしまう。
『ツーアウトランナー一塁。ここで六本木の当場です。そしてさっそく、バットを寝かせました。例のごとくバントの構えでバッテリーを揺さぶります! はたしてバスターか? それともセーフティバントをしてくるのでしょーか?』
初球、外角低めへ逃げるシュートに対して六本木は、寝かせたバットを引いてバスターを試みた。無駄のないバッティングで捉えた打球は、やや弱い当たりながらも一・二塁の間をゴロで抜けて行く。
『ここで連打、連打です! ツーアウトながら下位打線が繋がりチャンスを作りました! そして打順は一番に戻って、今日二打数二安打と好調の八嶋中がバッターボックスに立ちます! あかつき応援団の大声援と共に、私のボルテージも上がって参りましたーッ! この対決一瞬も目が離せませンッ!』
「よーし! おいらで同点に――」
『恋恋高校、選手の交代をお知らせいたします』
「あ、ありゃ? 今、代えんの?」
場内に流れたアナウンスに試合が止まる。良い流れを作り勢いのまま行きたかったあかつきに取って、肩透かしのようなタイミングでの選手交代。交代するのは――。
『おっと、先発の十六夜瑠菜がマウンドを降りるようです。代わりにマウンドへ上がる選手は......今日、ライトで先発の早川あおいの名前が告げられました! 渡久地監督、このピンチの場面でエースナンバーを背負う、早川を送り込みますッ!』
「こんな形で申し訳ないけど、あとはお願いするわ」
「うん、任せて!」
ボールを受け取ったあおいは足を踏み出す位置を測り、マウンドを降りた瑠菜は、そのままライトの守備へ回る。ピッチング練習を終えて、セットポジションに着いて試合再開。
この試合中一度も座ることもなく立ったまま憮然な表情で腕を組む千石は、自分とはまったく対照的に、余裕しゃくしゃくな表情でベンチでふんぞり返っている東亜に目を向ける。
「(ようやく目が慣れてくる三巡目でアンダースローのピッチャーへ切り替えて来た。イニングの途中での交代......最初から二巡目までと決めていたのかは測りかねるが、良い流れをリセットされたことに変わりはない。どこまでも狡猾な采配を打ってくる。だが、タフな場面であることは変わらない。あの投手は、ブルペンに入っていない。緊急登板だ、勝機は十分にある......!)」
しかし、千石の思惑は無情にも叶わなかった。
瑠菜とはまた違う超変則のアンダースローの軌道に、八嶋は翻弄された。
『セカンドゴロ! セカンドの浪風からベースカバーの奥居へトスしてスリーアウトチェンジ! 八嶋、見逃せばボールのシンカーを引っかけてしまいました! ライトから緊急で登板した早川あおい、一打同点のピンチを物ともせず冷静に打ち取りましたー!』
「残念だったな、名監督さんよ。そう思い通りにことはいかねーよ。クックック......」
緊急登板に思えたが実は、あおいはイニング間の守備練習などでセンターの矢部を相手に軽く投げ込みをしており、いつでも行けるように予め肩は作っていた。そして、藤村と新海がブルペンへ行ったことが登板が近いと言う合図と決めており、心の準備も万端でマウンドへ上がった。
「ナイスピッチ、あおいちゃん!」
「うん、ありがとっ」
ピンチを切り抜けた二人は、グラブとミットでタッチを交わして一緒にベンチへ戻る。
「どうだった? あのピッチャーの印象は」
こちらもベンチへ戻った四条は守備の準備をしながら、八嶋に打席での印象を訊ねる。
「遅いし、低いと思って見逃したらストライクを取られるし、同じコースを振りにいったら変化球を打たされた。正直おいらには、こっちの方が打ちづらいぞ」
「そうか、うちはアンダースローのピッチャーはいないからな。見極めに苦労しそうな相手だな」
「て言うか、練習試合でも対戦したことなくない?」
「いや、一度だけあった。ただ、オレたちが一軍へ上がったばかりの頃だったから、厳密に言えば二宮だけだ」
その二宮は、既にグラウンドで猪狩とピッチング練習を始めていた。
「......仕方ない、次回の頭に訊くとしよう。さあ、オレたちも行くぞ」
「はいよー」
二人は、グラブを付けてグラウンドへ駆けて行く。
恋恋高校のベンチでは、東亜と鳴海が裏の守備ついてを振り返っていた。
「確かに上手く拾われたが、急ぎすぎたな」
「はい、一球インサイドを見せておくべきでした。俺の配球ミスです、あれは防げた失点でした」
わかりやすく顔を伏せて、大きなタメ息を吐く。
「フッ、終わったことをいつまでも引きずるなよ、まだ二点リードしてるじゃねーか。それに下を向いてちゃ見逃すことになるぞ」
「えっ? あっ......!」
顔を上げた鳴海は、東亜が見ている空を同じように見上げた。試合前から空を覆っていた薄暗い雲がより深くなっていた。そして――。
「ん?」
「どうした? これは......」
帽子から伝わった異変に気がついた猪狩は、一旦手を止めて空を見上げる。二宮は、右手を前に差し出す。その手のひらが僅かに濡れる。
「さあ、来たぜ」
どんよりとした灰色の雲から、透明な雫が降りてきた。
この試合の勝敗を左右することになる、雨が降り出した――。