試合は中盤、灰色の空から小雨が降り始めた。
恋恋高校の攻撃は前の回ピンチの芽を摘み取った、あおいからの打順。マウンド上の
『空振り、140キロのストレートにタイミングが合いません! あかつきバッテリー、テンポよく二球で追い込みましたー!』
ボールを投げ返し、
「(ぜんぜんタイミングが合ってない......って言うより、バットとボールがかけ離れてる。ノビについていけないって感じのスイングだ。ストレートみっつで仕留めるか? いや、ダメだ。さっきそれで五番に打たれた。このチームは、
「フゥ......すみません、タイムお願いします」
「うむ、タイム」
小走りでマウンドへ向かう。
「そう睨むな。相手は九番、それもあのスイングだ。さっさと仕留めたいのは分かる。けどな、簡単にいって打たれたら上位に回る」
試合は中盤で、しかも雨。雨天コールドの可能性も視野に入れ、これ以上の失点は厳禁だと
「キミが、雨を気にかけていることは判っている。だが今は、ちょうど良い感じに湿ってて、縫い目にしっかり指にかかる。今のボクは、最高のパフォーマンスを発揮できる」
「......わーったよ、ストレート中心で組み立てる。けど、間が開いちまったから次だけは慎重にいくぞ」
「ああ、判っている。さすがにそこまで愚かではないさ」
球審に礼を言ってしゃがんで、アウトコースへミットを構えた。三球目は話した通り単調な攻めは避けて、外角の変化球を放った。ボールゾーンからストライクゾーンをかすめるように入ってくる完璧なカーブ。
「(――変化球! これならボクにだって......!)」
空振りを奪われたライジングショットの時とはまったく違い、アウトコースからのカーブを逆らわずに逆方向へおっつけた。ふらふらっとした弱い当たりだが、ファーストの後方へ飛んだ。ファーストの
「(なんだ、今の......。真っ直ぐの時みたいな戸惑ったスイングじゃない。そもそもどうしてコイツらは、
球審に貰った新しいボールを
「バレたな」
「えっ? もう?」
「さすがは名門の正捕手と言ったところか、なかなかの洞察力だ。だが、理由が判明したところでどう対処するかが重要。よう、お前ならどう攻める?」
「俺だったら、もっと単純にストライクゾーンで勝負させます」
「これまで四失点しているのにか?」
「はい。失点と言っても、まともな失点は、
ネクストバッターズサークルで気合いを入れて素振りをする
「くくく。気にするな、お前の考えは間違っちゃいない。むしろ正しい。
「落とし穴ですか?」
「
「コンビネーション?」
「真っ直ぐが速いから変化球が活きる。変化球が鋭いから真っ直ぐが活きる。そして、それらを思い通りに制球出来るから強力な武器なんだ。しかし――」
あおいを高めのストレートで空振りの三振に奪ってプレートを外した
「
「
スコアブックを片手に聞いていたはるかも一旦手を止める。
「一昔前ならそう呼ばれていただろう。だが昨今、高校生でも150キロを超すストレートを投げる投手は少なくない。中には、160キロ台に迫るストレートを放るヤツも居る」
同じサウスポーの覇堂の
「投手としての完成度で言えば、
ベスト4で敗退したことでストレートの強化を図った、その成果が――ライジングショット。
「ノビとキレを兼ね備えた新しい武器。練習試合を含め今まで、ほぼ捉えられていない絶対的なストレートを会得したことで自信を取り戻した。だが皮肉なことに、レベルアップしてしまったがゆえ本来あるべき投球スタイルから遠ざかる結果となった。そこを突いて、
ストレートを中心に組み立てる場合バッテリーは、まずストレートの走りを確かめる。そして、一番長打が少ない場所であるアウトコースへ投げる割合が高い。
「ホームランでなくてもきっちり前へ飛ばしさえすればよかった。たとえ外野定位置のフライだろうと疑念を抱くのには十分な効果ある。なぜなら?」
「今まで、まともに打たれていないから」
「
「加えて、カムフラージュ役でもあるんでしょ」
「フッ、まーな。あおい、アンダーシャツ着替えとけ」
「女子は、ベンチ裏の更衣室を使わせてもらえるようになってるわ。判らなかったら係の人に聞いてね」
「はーい」
グラウンドから戻って来たあおいは、替えのアンダーシャツとタオルを持ってベンチ裏へ入っていく。
「みんなも濡れたらすぐに着替えるのよ、持ってきてるわよね?」
「もちっす。おいら、十着持ってきてるぞ」
「おいおい。そらいくらなんでも多過ぎだろ?」
「備えあれば売れ残りなしって言うだろ~」
「憂いなし、な。備えたら売れ残るだろ」
「そうだっけ?」
ベンチがアホな会話をしている間に
「なに? あの投手のストレートを、
「はい。おそらくですが、マウンドまでの距離を詰めて再現したんだと思います」
「......なるほど。アンダースローの浮き上がるような軌道のストレートを手前で打ち込んできたとすれば、ノビに戸惑わなかった説明がつくな」
「
「おお、そうだな。アンダースロー特有の軌道に惑わされると、どうしても視線が上向いて肩も上がりがちになる。アッパースイングにならないように上から叩きつけるような感覚で打て」
「わかった。それを心がけよう」
その
「はい、何ですか?」
「お前は今、
「......はい!」
真剣な
「どうしたの? 急に」
「まあ、アイツをキャッチャーにコンバートさせたは俺だからな」
「ふーん、そう言うことにしておいてあげるわ」
どこか嬉しそうに
* * *
『さあ、試合は中盤戦。二点を追いかけるあかつきの攻撃は、二番
五回裏あかつきの攻撃、恋恋高校は前回から引き継いであおいがマウンドに立ち。そして交代した
「ストライクッ!」
球審の手が上がった。見逃しのストライク。そして二球目は一転高めのストレートでファールを奪い、バッテリーは二球で
「(なるほど、確かに打ちづらい......。低いと思えばストライク、ストライクだと思えばボール球を打たされる。これは思いのほか手を焼くぞ。ならば......)」
「(ん? バットを短く持ち直した、意地でも食らいつくつもりか。なら、これで仕留めよう)」
サインに力強くうなづいたあおいの三球目は――。
「(――真ん中、失投か! もらった......な!?)」
『空振り三振! 膝下へ落ちる鋭い変化球にバットが回りました! ワンナウト!』
「今のボール、変化球カ?」
「ああ......。おそらく、
「そうか、了解しタ」
「(――外、やや甘めのストライクゾーン。例の変化球カ? いや、しっかり回転してる、これはストレートダ!)」
狙いにいったが、バットは空を切った。
「(ストレートが消えた......いや、落ちたのカ? 今のが、
「オッケーナイスボール! バッター、目がついていってないよ!」
状況を整理が出来ていない
またしても同じアウトコース。だが今度は、マリンボールよりも球速を抑えた通常のシンカー。
「くっ......!」
『
三遊間のど真ん中の一番深いインフィールドライン上で、
「
「おう!」
トスを受けた
「ア、アウトーッ!」
『な、なんと......ショート
アウトにされたことよりも自分のバッティングをさせてもらえなかったことに、悔しそうな
『ツーアウトランナーなし、ここで眠れる四番
「(良い流れが最悪の流れへ変わりつつある......。しかし、ここでお前が打てば引き戻せる。流れを、空気を――)」
「(よし、理想的に追い込んだ。でも、ここで焦って勝負にいったらダメだ。一球見せるよ。絶対にストライクゾーンには入れないでね)」
「(――うんっ)」
カウント1-2追い込んでからの四球目は、アウトコース低めへボール二個分外したシンカー。しかし
「まだだーッ!」
左膝を地面に付き、ボール球を強引に引っ張った。ライナー性の打球がライト上空へ飛ぶ。
「ウソだろ!? ライト!
『なんと左膝を地面につけ強引に引っぱたいた! 打球の角度は低いが、
ファースト
「まさか、あれが入るの......!?」
「慌てるな、届かねーよ」
『これはおしい! あとひと伸び届きませんッ!』
ホームランにはならなかったが、前の二打席の雪辱を晴らした
『
「(よし、
「(伝令か。当然と言えば当然の場面だが。しかしこの流れ、半端な策では変わらんぞ)」
内野陣が、マウンドに集まる。
「コーチの指示は?」
「特に何もありません」
そう平然と言ってのけた伝令の
「えっ? 何もないの?」
「はい。球審が注意に来るまで祝勝会で食べたいものでも話してテキトーに時間を使えだそうです」
ナインたちの目がベンチへ向く。
「(――内外野共に守備位置は変わらない、キャッチャーも座ったままだ、敬遠もないのか。では今の伝令は、いったい何を......?)」
疑問を抱く
『打ったー!
「よし、行った!」
打球の角度から逆転のホームランだと確信して拳を握る
『おや。これは......失速、失速しています!』
「なに......!?」
右中間の一番深いところで落ちてきた打球を、
『これは非常におしい!
「クックック......甘いな、
そう言って
この雨が、今の勝負を明暗を分けたことを――。
* * *
五回の攻防が終了しグラウンド整備が行われる中、
「監督。お願いがあります」
「何だ?」
「キャッチャーを、
「なんだと!? どう言うことだ!」
「オイ! ちょっと待てよ!」
「俺じゃあ力不足だって言うのかよ!?」
「そうじゃない。力不足は、ボクの方だ」
「何だよ、それ!」
「待て、
「一点負けている状況で試合は終盤に入ります。もう一点もやれません。彼らは強い。はっきり言って今年対戦した相手で一番強い。だからボクは――」
――もう一段進化します、と。
P.S