アルティメット千早な僕が765プロのオーディションに落ちた件   作:やんや

12 / 26
今回も会話メインで進行です。
ようやく出会えたCPメンバーと千早との掛け合いに注目してください。


アルティメットな初仕事その3

 プロデューサーはAランチの食券を買っていた。

 

「ハンバーグ、お好きなんですか?」

「ええ、好物です」

 

 プロデューサーは主流派だったか……。

 いつの日か、ハンバーグVS野菜炒め戦争が起きた時、僕はどっちに着けばいいのか。

 

 

 

 

 食券のメニューを食堂のおばちゃんに渡すと時間を置かずに料理を出して貰えた。食券を使う機会が滅多に無いので少し緊張した。しかし、それ以上に料理をちゃんと出して貰えることに感動する。中学時代は給食を配膳係の人から貰えないなんてこともあったから、こんな風に料理を出して貰うことも新鮮に感じられた。

 料理が乗ったトレイを受け取るとプロデューサーと一緒にテーブルが並ぶ方へと向かった。

 千川さんに案内して貰った時は入り口までしか来なかったので、実際に中に入るとその広さに再び驚かされる。

 そして近くで見ると、その広さ以上に利用者のことをよく考えた作りになっているのがわかった。

 

 セルフサービスの給水機が幾つも設置されており、横にはコップが綺麗に並んでいる。

 各料理向けのソースやサラダドレッシングは利用者の好みで掛ける物を選べるようになっており、トレイを片手で持ったままでも掛けやすいように全てソースポットに入れられていた。

 掃除が行き届いた床とテーブルはピカピカに磨かれた窓から差し込む光が反射するくらい常に清潔に保たれていることを視覚で教えてくれる。

 先程使った券売機も英語表記が可能であったりと、多種多様な利用者に対応できるようになっていた。

 

 こんな行き届いたサービスを無料で受けられることに感動しプロデューサーへの感謝で胸がいっぱいになる。

 と言うことで、胸いっぱいになったからこの野菜炒めも食べなくても……駄目っすか。そっすか。

 プロデューサーからの無言の圧力に屈した僕だった。

 

 広い食堂にはあまり人が残って居なかった。もう少し早く来ていればもっと席が埋まっていたのだろうか。その中に現役アイドルが普通に混じっている光景がどうにも想像できない。何となく、画面の向こう側の世界というイメージが強く、生身のアイドルがすぐそこに居ることに実感が持てないでいた。

 

「せっかくですから、外のテラス席で食べませんか? お天気も良いみたいですし」

 

 テーブルが空いているのでそちらでも良いのだけど、せっかくこんな良い天気なのだ、テラス席で食べるのもありだろう。

 そう思って提案したものの、プロデューサーからは難色を示されてしまった。

 

「いけませんでしたか?」

「厳格に駄目と言うことはしませんが、あまり肌を焼くことはしないで欲しいですね」

 

 プロデューサーさんが言うには、アイドルたるもの必要以上に陽の下に出るべきではないということらしい。もちろん屋外でのロケともなればそういう場面も少なくないので、あくまで可能な範囲でということだが。

 少なくとも今みたいに選択肢がある中でわざわざ外に出ることは推奨していない。

 

「特に如月さんの場合、他のアイドルの方々よりも肌が白いので、いくら紫外線対策をしていてもよろしくないでしょう」

「え、特に対策とかはしていませんけど?」

 

 プロデューサーの発言を訂正することが多かったので条件反射的に訂正を入れてしまった。まあ、紫外線対策をしていないってだけなので致命的なものではなかったけど、今後は気をつけよう。

 

「紫外線対策を……されていない……?」

「はい。生まれてこの方、そういうものを塗ったことはないですね」

 

 日焼け止めクリームすら塗ったことがない。全て自前の肌で陽の光を受け止めていた。

 

「如月さん、失礼なことを訊くようですが、今メイクはどの程度されていますか?」

「今ですか? ……すっぴんです」

「っ!?」

 

 プロデューサーが愕然とした顔で僕の顔を見返す。

 そんなにも僕がすっぴんだったことがショックだったのか。特に化粧について指定が無かったので、これまですっぴんで来たけれど、今後はその辺も気にした方がいいのだろうか?

 プロデューサーが僕の発言に百面相──そこまで彼に表情の差分が無さそうなので十面相とする──を晒している間思案に耽る。

 化粧なんて中学時代に「メイクさんが来ないアクシデントに対処する」パターンを練習したのが最後だ。だからオーディション用の写真も最終面接もすっぴんのままだった。

 今まですっぴんであることを指摘される機会が無かったのも僕が現状に疑問を抱かなかった理由だ。まあ、すっぴんの相手に「貴女すっぴんですか?」なんて訊く物好きがいるとも思えないけど。

 そろそろプロデューサーも落ち着いたことだろう。

 彼に今後化粧はした方がいいのか訊こうと口を開いた僕は、いつの間にか真顔に戻ったプロデューサーがこちらに手を伸ばして来る姿を見て言葉を飲み込んだ。

 プロデューサーの手が僕の頬へと触れるのを触覚ではなく視覚で確認する。思ったよりもきめ細かな指先が、まるで割れ物を扱うかの様に繊細なタッチで肌の上を滑った。

 普段の僕ならば、すぐにでも意図を確認しようと口を開いたことだろう。しかし、突然の彼の奇行に対して僕が思ったことは、片手でトレイを持って溢したりしないかという至極どうでも良いことだった。

 一度、二度とプロデューサーの指が頬に触れるのをただ眺める。触覚のほとんどを失っている僕にはこの行為はただの視覚情報に過ぎない。

 しばらく彼の手の動きを目で追っていると、突然その手がピタリと止まった。

 

「……プロデューサー?」

 

 彼の意図のわからない行動に声を掛ける。

 触れた理由もわからければ、止めた理由もわからない。彼の中の行動理由の不明さに僕は自分から行動する機会を逸していた。

 

「……あ、ああっ、これ、これは失礼いたしました!」

 

 珍しく声を張ったプロデューサーが僕の頬から手を放し、勢い良く後退して行った。器用にトレイを保持したままなのを見るに彼はバランス感覚が良いらしい。

 挙動不審なプロデューサーを変な目で見ない様に意識するのは大変だった。普段落ち着いた態度が印象的な相手の謎行動ほど反応に困るものはない。しかし、反応に困っても対応ができないわけではないのだ。たまに優が同じ感じで挙動不審になるから。

 

「突然慌てだして、どうかされたんですか?」

 

 こういう時の経験則に従い、僕は努めて落ち着いた態度をプロデューサーに見せた。こちらまで慌てると相手がさらに慌ててしまい混乱が収まらなくなるなるからだ。

 

「……どこかに座りましょうか」

 

 たっぷり時間をとってから再起動を果たしたプロデューサーは何事も無かったみたいな態度で僕の横を通り過ぎて行った。

 その時仰ぎ見た彼の耳が真っ赤に染まっているのを見て、普段冷静な人でも挙動不審な態度を見られると恥ずかしいのだなと思った。

 

 

 窓から差し込む陽の光から逃れる様に奥側の客の少ないテーブルを選び向かい合う位置に座った。

 プロデューサーは席に着くやコップの水を煽る様に飲み始めた。少し荒々しい態度で喉を鳴らし水を飲む姿を黙って観察する。低い声だからというわけではないのだろうけど、きっちりと絞められたネクタイとワイシャツに隠れていてもわかる喉仏が水を嚥下する度によく動いた。僕には無い器官に自然と視線が向かってしまう。

 水を飲み終えてようやく人心地着いたのか息を大きく吐いたプロデューサーが口を開いた。

 

「改めて驚かせてしまい申し訳ありませんでした」

 

 頭を下げるプロデューサー。

 一旦トレイを横へと退かせてからテーブルに額が付くくらいに低く下げられた彼の後頭部を僕は困惑しながら見返した。

 何に対して謝罪されているのかまったくわからない。

 先程までの一連の出来事を振り返ってみても、僕の視点ではプロデューサーが謝らなければならない場面が思い浮かばないのだ。

 何か僕のあずかり知らない事情があり、それに先んじて謝罪したという可能性もある。この間の最終面接でまさにそんなやり取りがあったことは記憶に新しい。その時は僕の合格が無しになったのかと勘違いすることになったのだが、今回もそんな話の前振りだろうか。

 しかし、前回の教訓からこの人の口からきちんと語られるまで結論を出さないと決めたばかりである。プロデューサーが言ったことは信じると決めたのと同時に、この人が口にするまでは信じないと決めている。

 僕はプロデューサーが続きを話すのを待った。

 

「……」

「……」

 

 が、しかし、いくら続きを待ってもプロデューサーが話し始める気配がない。むしろいつまでも沈黙が続くのではと錯覚するくらいに無言を貫いている。

 息遣いすら押し殺す様に静かに頭を下げ続ける彼に、実は続きなんてないのではないかと思い始めるくらいだった。

 

「あの、プロデューサー……」

 

 椅子に座りながら頭だけを下げ続けるというのは案外辛い。ずっと頭を下げたままのプロデューサーの肩がプルプルと震え出したところで僕の方が限界に達してしまい声を掛けることになった。

 僕の呼びかけに一瞬頭を動かすプロデューサーにいよいよ続きを言うのかと身構えたが、どうやら僕の声に反応しただけで何か話すつもりはないらしい。

 だから、一体全体何をどうしたいのか教えて欲しいのですが。

 

「顔を上げてください」

 

 人が少ないとはいえ、傍から見れば今の僕は目上の男性にずっと頭を下げさせている女に見える。誤解されやすい僕にこれ以上変なキャラ付けをされても困る。

 プロデューサーに何とか顔を上げて貰おうと、身を乗り出して両手で彼の頭を挟み込み、そっと顔を上げるよう促した。

 特に抵抗することなく顔を上げた彼と間近で視線が合う。

 

「理由もわからないまま頭を下げられても困ります」

 

 僕が立ちプロデューサーが座っているために目線は僕の方が高い。そんな体勢も相まって弟を相手にしているような気持ちになる。

 

「……お怒りに、ならないんですか?」

 

 プロデューサーがその上背に似合わない縮こまった態度で訊いて来た。どこかしょんぼりとした空気を放っており、思わずいつものキャラどこ行ったと突っ込みたくなる。

 

「何に対して私が怒ると思ったんですか?」

「いえ、いきなり頬に触れたので。不快に思われたのではないかと」

 

 あー、そこを気にしていたのか。ちょっと納得いかないまでも一応話としてはプロデューサーが突然謝り出した理由は理解できた。

 まあ、いきなり触られたことに多少驚いたとは言え、相手は他でもないプロデューサーだ。文句も問題も何も無い。

 そりゃいきなら目潰しでもして来たら文句の一つも言っただろうけど、頬に触った程度で怒る理由にはならない。

 

「特には?」

 

 触りたければ好きに触ってどうぞといった感じだ。

 知らない相手ならともなく、プロデューサー相手なら別にいい。

 

「プロデューサーにならいくら触られても問題ないですよ?」

「……」

 

 この程度では怒らないという意味を込めて言ったのだけど、言われた側のプロデューサーは再び停止してしまった。

 ……346プロでは何か特殊な病気でも流行っているのだろうか。最終面接でも面接官が同様に停止することがあったので本当に奇病が蔓延している説。

 

「大丈夫ですか? 具合でも悪いとか……」

 

 プロジェクト開始前にプロデューサーが病に倒れるとか止めて欲しい。無理をして体を壊してしまうのは困るので、あまりに酷いようなら休養も視野に入れて欲しい。プロジェクトよりも貴方の身体の方が大事なんですよ。

 

「体は問題ありません」

「では心が」

「そちらはまだ大丈夫です」

 

 タイムリミットがあるような言い方である。

 

「そんな……! プロデューサーが心を病んでいるなんて……どうしてそんなことに」

「誤解です。心身共に健康です。それともし何かあったとしても原因は判明済みなので」

「あ、そうなんですね。良かった」

 

 健康ならば問題ない。それを聞いて安心する。他人の健康状態なんて言われなければわからないから、知らないうちにプロデューサーが手遅れなんてことになったらと思うと気が気ではなかった。

 

「そろそろ手を離していただけると……」

 

 遠慮がちな声でプロデューサーから言われ、先程からずっと彼の顔を持ったままだったと気付いた。

 両手を顔から離すとプロデューサーが自分の顔を触っていた。強く掴み過ぎたかもしれない。もっと強く掴んでいたらアンパン男みたいにプロデューサーの首が取れていたかもだ。

 

「コホン。……その、如月さんの許可なく頬に触れてしまったことに対する謝罪のつもりだったのですが、逆に貴女を困惑させてしまったようですね」

「それは、まあ」

 

 困惑気味に苦笑するプロデューサーに曖昧な同意を返す。

 

「しかし、やった私が言うのもおかしな話ですが。今後は今のように誰かが触れようとしたら避けるか、止めるよう口にするようにして下さい。アイドルのそういった光景をよく思わない方も少なからずいらっしゃいますので」

 

 アイドルの処女性を守るために異性からの接触を避ける風潮は前世のアイドルにもあった。男の影があるだけで露骨に叩くファンも居る。この世界でも前世ほど厳しくないとはいえまったく無いわけではないのだ。確かにプロデューサーが言う通り気を付けた方がいいだろう。

 しかし、その話について僕は確かめなくてはならないことがある。

 

「それは家族や同性も含めてでしょうか?」

「いいえ。ご家族はもちろん構いません。如月さんの場合はお父上と弟さん相手はこれまで通り接して貰っても問題ありません。もちろん同性の方も同様です」

「そうですか。それを聞いて安心しました。家族や友人と触れ合えないのは寂しいですから」

 

 よし、プロデューサーからの許可も貰ったことだし、さっそく今度の休みに優を構い倒しに行こう。アイドルになったんだから弟相手でも自重しなよとか言ってた優にプロデューサーから問題ないと言われたと教えないと!

 優解禁!

 待ってて優!

 これまで我慢した分たくさん構ってあげるからね!

 お母さんに邪魔されないように出掛けている日を狙って実家に行くことを決めた僕だった。

 

「それにしても、如月さんは家族仲がよろしいようで良かったです」

 

 少し安心した顔でプロデューサーが僕の家族仲について言及して来た。確かに家族仲は悪くはないと思う。両親とはここしばらくの間顔を合わせてもいないけれど、優とは頻繁に会うし、メールや電話だってするのだ。

 

「はい、私にとって無くてはならない存在です」

「ご友人も大切にされているようですね。アイドルの中にはデビュー後に友人と疎遠になる方も少なくありません。守秘義務に触れない程度ならば悩み事を相談するのも大切な気分転換になりますから、どうか今後も関係は切らないように心がけることをお勧めします」

 

 やはりデビューすると交友関係が変わったりするらしい。アイドルに数多く関わって来た彼はアイドルになって友達が減った人間を数多く見て来たに違いない。そして友達を減らして行った結果孤独になって潰れた人を何人も知っているのだろう。

 現状友人が春香一人の僕には、友達が減るイコール友達ゼロ確定なので死活問題だ。ここはプロデューサーの助言通り交友を続けるだけでなく、それを続けられるように意識する必要がありそうだ。

 春香と過ごす時間だけではなくどう過ごすかも考えて行きたい。

 試しに今度春香に「春香と末永く仲良くなりたいから触れ合いの時間を作りましょう」とでも提案してみようかな。

 

「家族も友人も大切な宝物です。たとえアイドルとしてどうなって行こうとも、関係を変えるつもりはありません」

「はい。それがよろしいかと思います」

 

 僕の意気込みを聞いたプロデューサーが口角を上げて薄く微笑んだ。

 僕も釣られて……は無理なので、心の中で笑っておく。

 デュフフ!

 

「それではお昼の方もいただきましょうか。冷めてしまってはもったいないですし」

「そうですね。野菜はともかくハンバーグは冷めたら可愛そうです」

 

 冷めたハンバーグなんて美味しさ半減だものね。

 プロデューサーがハンバーグに口を付けるのを確認してから僕も野菜炒めを食べ始める。

 対して野菜炒めは冷めても美味しいのだ。完璧な料理じゃないかな?

 

「如月さんは肉類があまりお好きではないのでしょうか?」

 

 僕の野菜炒めを見ながらプロデューサーが訊いて来た。

 

「? そう見えますか?」

「はい。少なくとも好んで食べるというイメージはありません。今も食べているのが野菜炒めですから」

 

 確かに野菜炒めは好きだけど、別に肉が嫌いなわけではない。どちらがより美味しいかという話であって、好き嫌いの問題ではないのだ。

 

「特にお肉が嫌いなわけではないですよ。ただ野菜炒めが好きなだけです」

「そうでしたか。失礼いたしました」

「いえ?」

 

 どこかほっとした様子を見せたプロデューサーの態度に首を傾げそうになるが、今は野菜炒めを処理する方を優先する。

 機械的に野菜を口に運び下品にならない程度に高速で咀嚼して飲み込む。お米とお味噌汁、たまに付け合わせのお新香を順番に偏りがでないように消費する。

 他人から見ると味気ない食べ方に見えるらしい。でもこれが僕の食べ方だ。物を食べるまではやるから、食べ方については口出しをしないで欲しい。あまりにマナー違反だったらこっそり教えて貰えれば直す意思はあるから。

 

「野菜炒めは美味しいですか?」

 

 今日のプロデューサーは僕の食事について興味ありすぎるよね。

 野菜炒めが美味しいか美味しくないかで言えば正直普通としか言いようがない。可もなく不可もなく。だって野菜炒めだし。

 

「好きです」

 

 味についてはノーコメントで。

 

「…………そうですか、野菜炒めが、お好きなんですね……?」

「はい」

 

 やけに僕が野菜炒めを好きか確認してくるなぁ。そんなに美味しそうに食べている自覚はないのだけど、プロデューサーから見たら僕は美味しそうに食べているように見えているのかもしれない。

 そして美味しいのか訊いて来たということはプロデューサーも野菜炒めに興味があるとか?

 だったら主流派を我々少数派に趣旨変えさせるためにもここで勧誘の手を伸ばしてみよう。

 

「良かったら一口いかがです?」

「なっ!」

 

 野菜炒めをお皿ごと持ち上げ、一口分を取るとプロデューサーの方がへと差し出す。

 

「ハンバーグも良いですが、野菜も食べないと健康に悪いですよ?」

 

 さも相手の健康を気遣うと見せかけてはいるが、これは相手を少数派閥へと引き摺り込むための方便に過ぎない。野菜炒めを食べさせその味に目覚めさせるのが本当の狙いだった。

 まあ、プロデューサーの健康を気遣うのは本当のことなんだけどね。

 

「い、いえ、私はその……」

「野菜を食べやさい」

「は……ほがっ?」

 

 小粋なジョークを挟みプロデューサーが呆けて口を開いた瞬間に野菜を放り込んだ。

 突然口の中に野菜をぶち込まれたプロデューサーが目を白黒させるも吐き出すことはせず普通に咀嚼してくれている。それでも何か言いたそうにこちらを見ているのは極力無視する方向です。

 

「確かに……美味しい、ですね」

「そうでしょう? 野菜は健康に良いんです」

「如月さんが私の健康を気にしてくれたことには感謝します。しかし、私は貴女のプロデューサーです」

「はい?」

 

 プロデューサーが何を言いたいのかわからず首を傾げる。

 何だ、この状況でそれを持ち出す意味がわからない。

 

「……はぁ。いえ、本当に他意がないようですので何も言いません」

 

 どこか疲れた様子で溜息を吐くプロデューサー。なんだかこの十数分の間に疲弊している気がしないでもない。何が原因かわからないけど心配だ。

 

「しかし、一方的に気にされるのも癪ですので、私の方からも如月さんの健康を気にさせていただきます」

「はぁ……それは、どういう」

 

 何が言いたいのかわからないままプロデューサーを見ていると、彼は食べていたハンバーグのうちまだ手を出していない側から一口大の肉片を切り出し、フォークで刺すと掛かっているホワイトソースを絡めてから僕の方へと差し出して来たのだった。

 

「あの、プロデューサー、これは」

 

 目の前の肉とプロデューサーの顔を交互に見やる。これが何を意味するのか察しの悪い僕でもわかった。

 プロデューサーは健康のために野菜を食べさせた僕に対抗して、今度は僕に肉を食えと言っているのだ。

 当然僕の健康云々の話は建前でしかなく、本当は主流派の彼を少数派にするための策でしかない。だからお返しにと肉を食わされるのは肉野菜戦争的には意味はあっても、健康面では無意味なのだ。

 だと言うのにプロデューサーはわざわざ僕の健康のために好物のハンバーグを分けてくれようとしている。僕の健康のために。

 

「ぁぅ」

 

 プロデューサーの気遣いと優しさ、そしてそれに対する自分の策の浅ましさに頬が熱くなるのを感じた。

 僕って本当に浅い奴だな。

 プロデューサーがこんなにも僕の健康を気にしてくれているのに、僕は主流派への妨害行為に感けていたなんて。

 これはけじめ案件だわ。大人しく罪を受け入れよう。

 

「いただきます」

 

 僕は躊躇うことなく肉の刺さったフォークに齧り付いた。

 もきゅもきゅと口の中でハンバーグを咀嚼する。歯で噛み砕くと中の肉汁がどろりと溶け出して来て、舌の上に甘辛い旨味が広がった。

 

「……美味しいです」

「それは良かった」

 

 やっぱりお肉には勝てなかったよ……。

 大変美味しゅうございました。

 

「あまりこういったことを気にされない方なのですね」

 

 プロデューサーが手に持ったフォークに視線を落としながらそんなことを訊いて来た。

 気にするというのはプロデューサーが使っているフォークに食いついたことだろう。差し出して来た本人がそれ言っちゃうのはマナー違反だと思うけど。

 ぶっちゃけ気にする方だった。「人が口を付けた物なんてばっちぃ!」みたいな潔癖まではいかずとも、躊躇う程度には気にするタイプだった。

 でも春香とやり合っているうちに慣れてしまったのだ。

 春香が家で料理を作ってくれる際に色々と小皿に種類多く作り分けてくれるのだが、一人一皿とはいかないためシェアすることになる。その時春香から食べさせて貰ったり、逆に僕が食べさせたりする。当然使うのはお互いが使用している食器になるので自然と口を付けた物をお互いの口にぶち込むことになる。

 最初僕も気にして別の食器を用意しようかと申し出たのだが、春香が食器を余分に出すのは洗うのが手間と言って却下された。じゃあ小皿に取り分けなくていいじゃんという突っ込みは春香の耳に届かなかった。

 そうやって春香とお互いに食べさせ合っていたため、まったく知らない相手や生理的に嫌悪感がある相手以外となら問題なくなった。

 

「ええ、プロデューサーのなので」

 

 唇についたホワイトソースを舌で舐めとりながら問題ないと答える。

 むしろ僕みたいな奴が口を付けた物を今度はプロデューサーが使うという方が申し訳ない気持ちになる。春香は同性だから気にしていないみたいだけど、これが優だと僕が口付けた物なんて頑なに拒否するから。

 

「それにしてもこのハンバーグ美味しいですね。人気メニューなのもよくわかります」

「え、ええ、聞いた話ではレシピから拘っているらしく、特にかかっているホワイトソースはわざわざレシピを有名レストランから買い取ったそうですよ」

「なるほど。その白いやつですね。とても濃いので喉に引っかかるくらいでした」

「あの、如月さん」

「あ、でもそれが嫌というわけではないんですよ? プロデューサーが(好物であるにも関わらず)出してくれたやつですし。ただ、初めて(食べる味)なのでびっくりしただけで……」

「……もしかして、わざとやってますか?」

「はい? 何がですか?」

「……」

 

 一瞬プロデューサーの目が遠くを見つめた気がした。

 どことなく草臥れた顔のプロデューサーと食事を続けた。

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 一緒に食べ始めたのに食べ終わったのは僕の方が遅かった。

 やはり男の身体というのは凄いね。結構ボリュームがあったハンバーグが瞬く間に消えてしまった。僕の方は野菜炒め定食なのに時間が掛かりすぎだ。

 

「如月さんのこれからの活動についてご説明いたします」

 

 僕が食べ終わるのを待っていたプロデューサーが話を切り出した。

 たぶん先程電話で話していた午後の活動についてだろう。……それにしては言い方がどことなくおかしかったが。

 

「まず本日の予定についてですが、上の者と協議した結果、午後から予定していたレッスンは全てキャンセルということにしました」

「えっ……キャンセル、ですか」

 

 午後からの仕事に期待していた僕にはいきなり告げられたキャンセルという事実に動揺してしまった。

 予定がレッスンだったことはこの際置いておいて、予定自体がキャンセルされたことが問題だった。

 今日予定していた仕事の中で明確に指示されていたのは十八時からの仕事だけだ。午後の予定が無くなるということはそれまで時間が空いてしまうということになる。

 そもそも、今日僕がやったことなんて準備運動みたいなレッスンとライブ映像を千川さんと仲良く観ただけだぞ。その上この後の何もないなんて言われてもどう時間を潰せばいいのか。どこかレッスンルームでも借りて自主練習でもしようか。

 

「如月さんには十八時まで休息をとっていただきます。休憩と捉えていただいても構いません。何でもいいので”何もしない時間”を作って下さい」

「何もしない時間? あの、もしご許可いただけるのでしたら、どこか空いているレッスンルームを借りることはできませんか? そこで自主練習をしようかと思うんです」

「それは許可できません」

「何故でしょうか?」

「先程お話した件を覚えていますでしょうか」

「私の自主練習のことでしょうか?」

「そうです。あの内容を私だけでなく上の者も拝見されました。その時の様子を詳しく語ることは憚られるため詳細は省きますが、とても動揺していたとだけお伝えしておきます。中には泣き出す方もいらっしゃいました」

 

 泣く程か?

 アイドルになる前から自主練習を始めるなんて近頃の若い者んして偉い! ……みたいな肯定的な意味ではないんだろうなぁ。

 詳細を省くと言いながら泣いたことを伝えたということは、実際はもっと酷いことになっていたってことだ。

 そこまで驚かれる内容を書いたつもりはないだけどなぁ……。

 

「そこで如月さんには何もしない時間を今のうちに過ごしていただき、一度身体への負担をリセットしてただくということに決まりました」

「ちなみに、それに対する拒否権は……」

「346プロダクションの経営顧問兼社長補佐兼専務、芸能・歌手・アイドル部門部長三名、撮影部門長、施設管理部部長補佐、広報部部長、健康支援センター長、そしてシンデレラプロジェクトプロデューサーの私の連名による命令です。ちなみに、今言った方々は最終面接に参加されています」

 

 それ逆らえるアイドル居ないやつ。

 最終面接に居た人達ってことは……。え、あの人達全員部長クラスだったの?

 最終面接で専務が出て来るのは普通の会社の面接を考えたら理解できるとして、他部門の部長が出て来るとか意味がわからないよ。あと僕ってば歌手部門の部長の前で歌ったの? 何それ怖い。

 あと専務さんの肩書が改めてやばいことに胃が痛くなった。なんであの人野菜炒め食べているんだよ。ハンバーグ食えよ!

 どちらにせよ、プロデューサーも同意しているなら僕に否はない。この人が出した指示に疑問を挟む余地はない。

 

「わかりました……」

 

 渋々──その態度をとることすら許されないくらい偉い人達の命令に僕は従うことにした。

 午後は頑張って時間を潰そう。

 

「ご理解いただけたようで幸いです。あと、本日以降の貴女の活動に対してもご説明しておきます」

 

 まだあるのか。

 最初は聞きたかった話でも今の衝撃的な事実を聞いしまってはちょっと遠慮したいかも。

 しかし、僕の心の声が聴こえないプロデューサーは構わず続きを話し始めるのだった。

 

「貴女に枷をします」

「枷、ですか?」

 

 予想していた活動自体の自粛と言う最悪のシナリオではなかったことに安堵しつつ枷という言葉に疑問が浮かぶ。

 枷?

 亀仙琉か? それとも呪霊錠?

 765プロでは菊池と我那覇がダンス属性として有名だし、その二人の様にスポーツウーマン的技能を獲得しろってことをプロデューサーは言いたいのかも知れない。

 任せてよプロデューサー。こんな事もあろうかと「突然重力が倍になったステージでライブをするパターン」を想定して、重りを担いで踊りの練習をしたことがあるからさ。

 

「まずは両手両足それぞれ三十kgくらいでしょうか?」

「物理的にではないです」

 

 即答で否定されてしまった。

 

「では、美城一族に伝わる秘術か何かで?」

「美城にそういった方々はいらっしゃいません。と言うか、そもそも枷とはそういう意味で言ったわけではありませんので」

 

 なんだ、美城一族は普通の家だったか。地下に重力ルームとかあるんじゃないかと少し期待してしまったではないか。

 

「当初の予定では、如月さんにはデビューまでダンスレッスンを集中して受けていただき、一定の習熟までは歌特化のアイドルとして活動いただく予定でした。ですが、青木さんの件でダンスの習熟が必要無いことが判明しました」

 

 青木さんって誰?

 後で知ったが、青木さんとは先程僕に色々と教えてくれたルーキートレーナーのことだった。

 

「急遽上層部と私の方で会議を開き、貴女の今後の活動方針を修正することになりました」

 

 僕がレッスンを受けてからまだ数時間しか経っていない。その間に会議をしたとか緊急会議にも程がある。もしかして、プロデューサーと専務さんのお昼が遅くなった理由もそれとか?

 僕のせいで上司が苦労している件。胃が痛くなるわ。

 

「それは、お手数をお掛けいたしました……」

「いえ、あらかじめ貴女に確認をとらなかったこちらの責任です。……貴女の実力を我々は知らなかった。いいえ、今も知ったつもりになっているだけで、本当はまだポテンシャルを出し切れていないとさえ会議の中で意見が出たくらいです。それについては私も同意見でした」

 

 バレてーら。

 プロデューサーが言う通り、僕はまだ全力を出し切れていない。この間の最終面接でその一端を開示した程度で、僕が持つチートの本領というものは未だ発揮されたことはない。

 しかし、今のブランクのある状態で僕が全力全開でチートを使用したら僕は壊れてしまうだろう。ほんの少しギアを入れ替えただけで、こうして死に体になるくらいダメージを負ってしまったのだ。

 

「……」

「貴女の全力を我々は把握できていません。そして、それを把握する環境も場所も今の346プロでは用意できません」

「つまり、それは」

「ちなみに、用意できないだけでいずれは貴女に適した場所を用意するよう各部門長が相互協力することが決定しました。決して貴女を手放すための方便ではないのでご安心下さい」

「あ、はい」

 

 ほぼ一息で言い切ったプロデューサーの言葉で頭に浮かんだ”解雇”の文字が立ち消えた。

 まるで僕が何を考えるのか予想したかのような補足だった。この間からプロデューサーの台詞が僕の思考を先回りしているみたいに的確な物になっている気がする。的確過ぎて反応に困るけど。

 まあ、それでもあんな間近で『貴女を手放すつもりはありません』と言われた時に比べたらどうってことないが。

 

「そういうわけで、如月さんにはこちらの準備と環境作り、それから周りへの根回しが終わるまで力を抑えていただくという形になります」

「力を抑える、ですか?」

「はい、本日使用された様な物のことです」

「本日……?」

「……相手の動きを完全にトレースし、鏡写しの様に再現すること。本人も気付いていないような粗を指摘して瞬間的に修正した物を見せること。あとは相手の完成系を見せる事などです」

「はぁ……」

 

 今プロデューサーが挙げたものが僕の力ということらしいけど……。

 

「自覚がありませんでしたか? レッスン中にそれらを見せられた青木さんは──」

「それは、凄いことなんですか?」

「っ……」

 

 素朴な疑問を口にするとプロデューサーが顔を引き攣らせた。ついさっき千川さんが見せたものと似ている。

 僕にとって瞬間記憶も完全再現も児戯でしかない。こんなもの、僕の力でもなんでもないんだけれど……。

 記憶すること。

 動きを真似ること。

 それらは人が元々持っている能力だ。赤子だって周りの人間を真似ることで言葉を覚える。生まれたばかりの生命ですら持っているモノを僕の持つチート能力と同じにして欲しくはない。

 

「如月さん、貴女は……」

「ごめんなさい。私にはそれがどれだけ凄いことなのかわかりません」

「……いえ、私の方こそ酷なことを言いました。貴女がそういう方であるとずっと前から知っていたはずなのに、私はそれを忘れていたようです」

「プロデューサー……」

「でしたら、私からはこれ以上のことは申し上げません。これは貴女自身が周りと関わることで自ら気付くべきことなのだと私は思います。たとえそれで誰かが傷付いても……それが貴女自身であったとしても、私が先回りして予防線を張って誤魔化していいわけがない。貴女がそれを乗り越えられると私は信じます」

 

 プロデューサーは覚悟を決めた顔をしていた。

 勝手に一人で納得して、勝手に覚悟を決めてしまったこの人に僕は何も言ってあげられない。その覚悟がどれほどの物なのか僕には考えもつかない。もしかしたらただの言葉遊びの延長でしかない可能性だってある。

 でも、僕を信じると言ってくれたから。この人がそう言ってくれたのならば、僕はこの人が信じたという言葉を信じようと思った。

 

 意味はさっぱりわからんかったが。

 

「具体的には私はどうすればいいのでしょう? 枷と言われても何が枷になるのかもわからないです」

「そうですね。如月さんが予想外に自覚が無いために具体的に何をしていいか説明し切る自信が私にはありません」

 

 口下手ですもんね。

 

「でしたら、ユニットメンバーにレベルを合わせるというのはどうでしょうか?」

「レベルを合わせる?」

「はい。同じユニットを組む相手と同じレベルの動きを心掛けるということです。成長速度などをメンバーの方を参考にすれば自ずとご自分のレベルも把握できるかと」

「なるほど……」

 

 良いこと言った感を出しているところ申し訳ないのですが、今プロデューサーから結構重要な話が出た気がする。

 

「つまり、私はユニットを組むわけですか」

 

 ここ重要ね。

 ユニットメンバーに合わせるということは、そもそもユニットメンバーが居るのが前提となるわけで。それはつまり、僕が誰かとユニットを組むという意味になる。

 

「言っていませんでしたか」

 

 困り顔で首に手を置くプロデューサー。

 

「ないですねぇ」

 

 そういうところだぞ。

 肝心なところで言葉が抜けている所為で相手に正しく情報が伝わらないとか社会人としてどうなの。

 人のこと言えないけどさ。

 

「順番が逆になりましたが、如月さんにはユニットを組んでいただくことになりました」

「私がですか。自分で言うのも何ですが、私はあまりユニット向きの性格をしていませんから、てっきりソロデビューになると思っていました。やはりプロジェクトの方針としてユニット単位でデビューが望ましいということでしょうか」

 

 僕が誰かと組んでライブをしているシーンが思い浮かばない。実力云々ではなくキャラとして僕と合わせられる子が居るとは思えないからだ。原作でも千早が誰かと組んでやっているのは稀だ。全体曲やグループ単位で一曲なんてのはあるけれども、竜宮小町やプロジェクト・フェアリーみたいなユニットでの運用は無かったはずである。それくらい千早は765プロの中でも孤高なキャラだった。そこまで孤高キャラのつもりはないにしても、僕が顔を合わせても居ないプロジェクトクトメンバーの誰かとすでにユニットを組むことが決まっているのは意外だった。

 

「それが、お一人どうしてもソロでデビューしていただかないといけないくらい個性的な方がいらっしゃいまして」

「お、おー……」

 

 つまり僕をソロデビューさせるよりもそちらをソロにしないといけないわけね。自分で言っちゃいけないとわかりつつあえて言うけど、僕よりソロ向きってどんだけだけ!?

 方言が強すぎて何言ってるかわからないとか?

 もしかして常に眼帯しててその下に「邪王神眼」を隠しているとか言っちゃう子とか……。

 無いかぁ。

 

「そういう事情もあり、さすがに同プロジェクト内でソロを複数出すというわけにもいかず、如月さんにはユニットを組んでいただくことになりました」

「わかりました。そういう理由でしたらユニットの件、承りました。ちなみに、枷というのはいつまで続ければ良いのでしょうか? もしかしてプロジェクト参加中はずっとですか?」

「具体的な日付を申し上げることは現状出来かねます。しかし、どの様な条件で外すかで言えば、貴女がソロで歌うことになるまでとお答えいたします」

 

 少し引っかかる言い回しだったが、プロデューサー曰く僕の枷はソロデビューまでということらしい。

 ……枷を外すその時には「(アンテ)」とか言ってみてようか?

 それはともかく、そうか僕はユニットを組むのか……。

 組めるのか。

 

「嬉しそうですね」

「はい。だって、私はずっと誰かと一緒に歌ってみたかったから……」

「……そうでしたか。実はユニットを組むと聞いて難色を示されるかと思っていたので少し驚きました」

「ソロ専門が良いと言うと思われました?」

「はい」

「あまり他の人と一緒にという機会が無かっただけで、一人で良いと思っているわけではないんです」

 

 ユニットというか、誰かと何かをやるというのを僕はずっと夢見て来たのだ。嬉しくないわけがない。

 ずっと一人でやって来たのだから……。

 

 その昔、まだ僕が中学に入りたての頃の話だ。

 体育のソフトボールの時間に教師から「はい、二人組作ってー」と言われた。皆仲の良い相手と示し合わせたように二人組を作る中、僕は誰とも組むことができなかった。別に奇数人数のクラスでもないのに。

 その時は仕方なくそのまま一人で壁を相手にキャッチボールをすることになったっけ。

 次の授業でも二人組を作れと言われたが、その回でも僕は一人になってしまった。

 その次も、その次も僕は誰とも組まずに壁相手にキャッチボールをしていた。

 そうやって何度かキャッチボールならぬぼっちボールを続けていたら、教師から壁が痛むから今後壁の使用は禁止だと言われてしまった。しかし、相手の居ない僕には壁くらいしかボールを受け止めてくれるモノはいない。少し考えた僕は自分で投げたボールをそのボールより速く移動し軌道上に素早く回り込んで自分でキャッチすることを思いついた。

 実際にやってみると出来たので、これでどうですかと教師に訊くと教師は顔を押さえていた。

 期末のクラス対抗の試合ではチームに入れて貰えなかったので、仕方なく校庭の端で一人で試合を行った。ピッチャーとバッターと外野の一人三役で九回裏までやって0-0の引き分けだった。

 試合後にスコアを教師に見せに行ったところとうとう教師が泣き出してしまったのは謎である。

 さらに、それを見ていたクラスメイト達が僕が教師を泣かせるような奴だと吹聴したのには困った。

 その日のうちに校長室に呼び出された。校長と担任から事情を訊かれても教師が泣いた理由なんてわかるはずもないので「知らん」の一言で切って捨てた。

 しかし、僕が教師を泣かせたことは確かだったので特に事実の否定はしなかった。

 結局それ以降の体育に僕は参加せず、見学するだけということで落ちが付いた。

 その結果を聞いた僕は見学していれば参加しなくていいものだと理解し、体育祭や合唱際のような誰かと一緒に何かをやるイベントは全て見学で済ますようになった。

 でも、それで済まないイベントもある。

 体育祭や合唱祭は見ていればいいけれど、修学旅行は不参加の場合行き場所がない。学校に行くわけにもいかず、自宅待機するにしても親に事情を説明しなくてはならない。わざわざそんな事を共働きで忙しい両親に言うのも面倒だったので修学旅行中は町をぶらぶらすることで時間を潰した。制服姿をモロに晒すわけにもいかなかったので、道端で拾った僕の髪と同じ色のウィンドブレーカーを着て誤魔化した。少し大きめのウィンドブレーカーは制服の上から着てもキツくなく、数日も着ていればすっかり馴染んでしまった。そのウィンドブレーカーは今でも大切な思い出の品としてクローゼットの奥に保管してある。

 

 そうやって他人との関わりを排して来た結果、僕は誰かと何かを一緒にやるということができなくなってしまった。

 ただ、憧れを抱くだけだった。

 そんな僕が誰かとユニットを組んで、しかもアイドル活動ができるだなんて夢のようだ。

 だから僕は枷の話よりもユニットを組めるということに興味を持ったのだった。

 

「……そうでしたか。……では、今後、如月さんはソロ活動までユニットメンバーに合わせるということでよろしいですね?」

「はい。頑張ります」

 

 プロデューサーからの最終確認に僕は力強く頷いた。

 周りに合わせるなんて経験が無いから頑張らないと。

 ユニットでどんな相手と組むかわからないけれど、その相手に合わせるためにも、よく見て、よく考えて、相手の一挙手一投足を見逃さないように観察し尽くそう。

 久しぶりの努力を奮える矛先が見つかったのは嬉しいな。

 ああ、本当に嬉しい。

 これでまた如月千早の経験値が増える。

 

「ところで、最近は何か興味を持てたことはありますか?」

「そうですね……あ、そう言えばこの間」

 

 顔には出さずに喜びに打ち震える僕にプロデューサーが話しを雑談に変えて来たので最近あった出来事を話した。

 そんな風にプロデューサーとの他愛ない会話に花を咲かせたお昼の一時であった。

 

 

 

 食休みも済み、プロデューサーと別れた僕は言いつけ通りに何も無い時間を過ごすことになった。

 敷地内から出なければ基本的に何をしていてもいいとのこと。

 プロデューサーには「これを機会に休む練習をしてください」と言われてしまった。

 休む練習と言われても、引き篭もり時代にはだらだらした時間を過ごしていたので練習する必要性を感じない。そもそも僕が常に何かしているという認識は間違いだ。ちゃんと空いた時間には休んでいる。ダンスのステップ確認や負荷を掛けての体力作りをしているくらいで常に何かしているわけではない。

 今も足運びだけで分身の術が使えないか試しながらの休憩中だ。

 でも何もしなさ過ぎても身体が鈍ってしまう。ただでさえ二年間もの間惰眠を貪っていたスキル達を呼び覚まさないといけないのに、ただぼーっとしていてはいつまでも春香には追い付けない。

 少しでも「何もしない」の参考になるかもしれないし建物の外を歩いてみよう。ちょうどずっと室内に居たから外の空気が無性に吸いたくなっていたから。

 正面玄関とは違う出入り口から外に出ると広場に繋がっていた。芝生や木が植えてあり、ここだけ見ると公園に見えなくもない。

 僕も今後使用することがあるだろうし、ちょっと見ておこうかな。

 探索欲求を刺激された僕はそのまま広場を歩き回った。

 最新の設備が入った建物が立ち並ぶ346プロの敷地だけど、こうして至る所に緑があるので無機質な感じはしない。

 広場は社員やアイドルの休憩場所に使われているらしく、そこかしこにスタッフやアイドルの姿が見えた。

 こういう心休まる空間を広く作っているのはさすが老舗の美城と言えるね。アイドルプロダクションでは大手の961プロですらこういう場所は無かったんじゃないかな。765プロなんて言わずもがなだろう。

 

「目的もなく歩くのなんて久しぶりだ」

 

 いつも何かしら目的があって歩いていた気がする。

 今日だって家からここまで歩いて来たけれど、出勤という目的があって歩いて来た。しかし今の僕には歩く目的がない。

 無駄な行為と無駄な時間だ。無駄な時間を過ごすことに言い知れぬ焦燥感を覚える。この時間を自主練習に使えればどれだけレベルアップに繋がるだろう。

 でもプロデューサーと何もしないことを約束したばかりだ。何もしないことを頑張る。言うは易く行うは難しとはまさにこの事だ。

 ぐるぐる。

 広いとはいえ所詮会社の中庭でしかない。十数分も歩き続ければ一周くらいしてしまう。再び建物の入り口前まで戻ってきてしまった。

 どうしよう、もう「何もしない」のストックが切れてしまった。敷地外に出ていいならいくらでも歩き回れるのに……。

 困った。「何もしない」ができない。プロデューサーと約束したのだから何かしら「何もしない」をやらないと。

 

「もう一度歩いてみようかな?」

 

 仕方なくもう一周何もせず歩くことにした。

 ぐるぐる。

 一度通った道をもう一度歩く。

 草木の葉も花壇に植えられた花もすでに一度見ているので全部覚えてしまっているから二回目にしてすでに目新しさを感じない道を何もせず歩く。

 やっぱり飽きるよね。

 それでも歩く以外に「何もしない」が思い浮かばない僕は歩くしかなかった。

 ぐるぐる。

 何かをしないと落ち着かない。でも、何もしないと約束している。

 黙って練習をしてしまおうか。でも、何もしないと約束している。

 思考が巡る。

 ジレンマが僕の精神を焦がしていく。

 

「とにかく歩こう。とりあえず歩いていれば『何もしない』ができるはずだ」

 

 僕はそうやってぐるぐると回遊魚の様に346プロの敷地内をあてどなくさまよい続けたのだった。

 

 

 広場での回遊が二十周を超えたところで、そろそろ待ち合わせの時間になると気づいた僕は指定された時間の少し前にエントランスホールに着いた。

 そこにはすでにプロデューサーの姿があった。

 先に到着しているつもりだったのに待たせてしまったか。これだから無駄な行為というのは駄目だな。時間の正確性が無くなる。

 プロデューサーが頻りに腕時計を確認しているところを見るに結構な時間あそこで立っていた可能性がある。

 

「申しわけありません、お待たせしてしまいました」

 

 早足で歩きつつプロデューサーへと声を掛ける。本当はおはようございますとか業界的挨拶をするつもりだったけど、この状態で新人がそんなことやっても寒い上に気取って見えるだろう。そもそも遅れておいてその挨拶は無い。

 

「いえ、私も今来たところですので」

 

 期せずしてデートの待ち合わせみたいなやり取りになってしまった。

 春香との会話を思い出し変な感じになる。

 

「……あの、如月さん」

「あ、はい。……ええと、やはりこの時間に来るのは拙かったでしょうか?」

「いえ……予定よりも早い時間なので問題ありません。ただし、仕事として他所のスタジオに入る場合はもう少しだけ早めに到着すると良いでしょう」

「はい……」

 

 気にしないように言ってくれてはいても、やはりもう少し早く来ておくべきだった。大事な初日にプロデューサーからの心象が悪くなったのは拙い。それにこの人に悪い印象を持たれるのは嫌だから。

 今後はもう少し早く着くよう意識しよう。

 

「如月さん、今のは決して責めたわけではありませんので本当に気にしないで結構です」

「わかりました……ただ、プロデューサーを待たせてしまったことが心苦しくて」

「今回は私が早く来てしまっただけですので、如月さんは気にする必要はありません」

 

 念を押して気にするなと言ってくれるプロデューサーは優しくて気配りができる人だと思った。僕もこんな大人の男になりたかったな。

 立場もあるだろうに、一アイドルでしかない自分を気遣う態度に心が温かくなる気がした。

 

「それに、こういうのは男性が待つものと決まっていますので」

 

 それは違うやつじゃないかな。男が先に待ってるとかって、デートの待ち合わせとかの話でしょ。この場合は上司であるプロデューサーは待たせる側でいいはずだ。

 また千川さんから変な入れ知恵でもされたのかね。しかも使う場面間違ってるし。素直なのはいいけど、何でもかんでも鵜呑みにしちゃうのは問題だよね。

 春香の言葉を思い出した所為か変に意識してしまう。男相手に何を考えているのかと思うも、そう言えば春香相手だと女同士だったと今更ながら自分の性別の行方不明さに眉が下がってしまう。

 

「お気遣い、ありがとうございます」

「……あの、あまり悲しそうな顔をしないで下さい。貴女のその表情は……その、非常に困ります」

 

 プロデューサーを困らせてしまった。益々落ち込んでしまう。本当に僕はこの人に気遣われてばかりいる。

 そんな僕を見てプロデューサーの方も戸惑ったのか、困り顔で首に手を当てていた。僕相手に何と声を掛けて良いか悩んでいるようにも見える。

 

「如月さん、私は……」

 

 やがて何か良い台詞を思いついたのか、プロデューサーは軽く目を開くと「これだ」という感じで頷き言った。

 

「私は笑顔の貴女が好きですから」

「……」

 

 また千川さんの入れ知恵か。

 あの人には一度物申したほうが良い。絶対にだ。

 プロデューサーがアイドルに意味が違うとはいえ好きと告げるのは問題じゃないのか。

 と言うかよく僕の表情の変化がわかったね。僕って笑顔はともかく悲しいとかの感情は表に出やすいのかな。

 じゃなくて、こんな人が多い場所でそんなこと言って良いの?

 エントランスホールを見回して見るとそこそこ人の通りはあるものの、こちらを見ている人は居なかった。一応セーフなのかな?

 誰かに聞かれていたらアウトだったよね。まあ、仮に見られたとしても僕は無名の新人だから今のところプロデューサーが未成年に告白しているように見えるだけだ。

 十分アウトだ。

 これはプロデューサーに注意する必要があると思った僕は、彼に近寄ると顔を寄せた。一応大きな声でする話ではないという配慮からである。しかし僕とプロデューサーでは身長差があるため目いっぱい背伸びをしないと内緒話ができる距離に顔を近づけない。もっと身長が欲しい。

 僕が爪先立ちでぷるぷると震えていると事情を察してくれたのかプロデューサーの方も顔を寄せてくれたのですかさず耳打ちをする。

 

「あの、プロデューサー……そういうことはあまり言わない方が……」

 

 僕が耳元で囁くとプロデューサーが珍しくぽかーんとした表情へと変わった。自分の台詞がどういう意味に聞こえるか理解できていないらしい。彼が理解を示すまでこの珍しい表情を眺めておこう。

 しばらくの間無言でお互い見つめ合った。

 

「……あ」

 

 やがて自分の台詞がどう聞こえるのか理解を示したらしく、プロデューサーの顔から色が失くなった。

 次に瞳が左右に揺れ出し、汗が一筋頬を流れる。

 絶賛混乱中のプロデューサーには悪いが、こうして彼の意外な一面を見られたので何だか得した気分になった。

 

「あ、えっと、これはですね……違うんです」

 

 ようやく目に見えて慌てだしたプロデューサーを見て少し安心する。

 普段冷静に見えるからこそ、お茶目な様子を見せてくれるとぐっと距離が縮まった気がするのだ。

 前からどこか僕に対して距離を置いている気がして、それがずっと気になっていたのだ。でも今の感じからして絶対に内面を見せないというわけではないと知れた。

 

「わかってます。笑った方がいいと言いたかったんですよね?」

 

 彼と同じく誤解されやすい質の僕にはプロデューサーの言いたいことはわかっていた。口下手同士の意思疎通は多弁な人のそれよりも正確なことがある。

 

「あ、はい。まさしく……申し訳ありません」

 

 首を押さえながら頭を下げるプロデューサー。別に謝る必要なんてないのにね。

 

「謝らなくていいですよ」

 

 だから口に出して言ってあげたのだけど、プロデューサーは恐縮するばかりで聞き入れてくれなかった。

 これは困った。僕としては本心から謝る必要はないと思っているので、彼に謝罪されると逆に申し訳なくなってしまう。

 ここは何かウィットに富んだ切り返しでプロデューサーの心の曇りを晴らしてみよう。

 今回プロデューサーは真面目だけど茶目っ気がある人というのがわかったので、少しだけ茶目っ気を出せば聞き入れてくれそうだ。

 

「あまり困った顔をしないで下さい」

 

 先程プロデューサーが言った時の様に自分の首に手を当てる。こうして意図的に癖を真似することでこれが真似っこだと教えるためだ。

 そしてここからが本番。

 真似っこの次はオリジナリティだ。僕らしい動作──首に当てていた手を軽く上げて首筋に掛かった髪を軽く掻き上げ、指でくるくると髪を玩ぶ。こうすることで一つ前の真似が強調される。

 次にシンメトリー。上背のあるプロデューサーが僕を見下ろすならば、僕はあえて見上げることを意識する。気持ち顔を下げながら、上目遣いで彼の顔を覗き込む。

 そして最後にトドメの一言。

 

「私は笑顔の貴方が好きですから」

 

 本当は笑顔の一つでも浮かべられたらよりシンメトリーになるのだけど、そこは笑顔の不得意な僕なので真顔になってしまった。

 まあ、慣れない茶目っ気に恥ずかしくなって少し頬が赤くなっていると思うので対比はそれで良いだろう。

 これでプロデューサーは僕の「謝る必要がない」が自分の言った「謝る必要がない」と同じ気持ちだと気づくはずだ。僕も途中で気づいたけど、過剰な謝罪って逆に戸惑うんだよね。同じ思いをプロデューサーにさせてしまったことは申し訳ないと思う。

 でもこれでお互い様ってことでいいんじゃないかな。

 どうでしょうかという意味を込めてプロデューサーの顔を見続ける。

 

「…………あ、はい」

 

 だが返って来たのは淡泊な返事だった。いつの間にか平常運転に戻っていたらしい。平静になって貰えたならそれでいいけど何か釈然としない気分だ。

 醜態を晒したという負い目があるためか、プロデューサーは僕から目を逸らしている。少し耳が赤いのは僕みたいな小娘に窘められたからだろう。この人にも大人としてのプライドがあるのを失念していた。恥ずかしい思いをさせたのは失敗だったね。

 

「あの、プロ──」

「おはようございます」

 

 フォローを入れておこうと口を開いたところで、背後から声が掛けられたため口閉ざした。

 声の方に振り返ると、そこには二十代前半くらいの、ふんわりとしたボブカットの女性が立っていた。

 その人は僕が一方的にだがよく知る相手だった。

 高垣楓。

 現346プロにおいて最も有名なアイドル。そして、346プロ以外のアイドルと比較してもその実力は頭一つ抜きん出ている。名実ともにトップアイドルの一人に数えられる高垣楓本人が目の前に居た。

 

「おはようございます」

「お、おはようございます」

 

 プロデューサーが高垣に挨拶を返したので、慌てて僕も高垣に向け頭を下げた。

 346プロのトップアイドルが気になった僕はちらりと視線を高垣へと向ける。

 とても綺麗な人だと思った。髪型もそうだけど、服装とかもきっちりしていてまるでモデルさんみたいだ。左目の下にある泣きぼくろがとても色っぽい。

 表情は笑っているのか真顔なのか曖昧な感じがして、珍しいオッドアイの瞳と合わさってどこか浮世離れした雰囲気を醸し出している。

 

「……そちらの子は?」

「彼女は本日付けでシンデレラプロジェクトに配属になりました如月千早さんです」

「はじめまして。如月千早です」

 

 プロデューサーの紹介に乗る形で女性へと名前を告げる。

 

「そう、貴女が如月さんですか。……初めまして、高垣楓です」

 

 人当たりの良さそうな笑顔を僕に向ける高垣だったが、僕はその顔に違和感を覚えた。

 なんだろう、これは……。

 何か違う。

 

「初めまして……」

 

 その違和感の正体が掴めないまま挨拶を返した。ここで無視する程世間知らずでも無謀でも無い。相手はあの高垣楓なのだ。

 それに映像と実際の見た目では違いがあって当り前だ。こうして初対面でありながら僕に友好的に接してくれた先輩アイドルに失礼な態度をとるべきじゃないと考えを改める。

 

「それでは」

 

 もう一度頭を下げてから高垣は僕達の前から立ち去って行った。

 結局違和感の正体はわからなかったか……。

 

「プロデューサー!」

 

 と、そこでホールにプロデューサーを呼ぶ女の子の声が響いたことで僕は一旦この事について思考を中断させられた。

 声の方を見ると、制服姿の女の子がこちらに駆け寄って来るのが見えた。

 その隣には島村の姿がある。もしかしたらあの少女がオーディション組で残った子だろうか。

 

「ねぇねぇ! プロデューサーって高垣楓と知り合いなの!?」

 

 プロデューサーの前まで来た少女は挨拶も無しに高垣のことを彼に訊いていた。

 まあ、彼女がオーディション組なら僕と同じく新人ということになるだろうし、挨拶が無いくらいで何か言うことはない。先輩でも後輩でもないのだから。

 

「ええ」

 

 プロデューサーも注意をするつもりはないらしく、律儀にも少女の問いに答えてあげていた。

 それを聞いた少女と島村が喜色の笑みを浮かべる。自分のプロデューサーが有名人と知り合いだとわかって嬉しいということかな。僕からするとプロデューサーの立場の方が業界内では凄い人のイメージだから二人のテンションは少し理解できない。

 

「あの高垣楓と知り合いなんて……ひょっとして、プロデューサーって大物!?」

「いえ、ただ同じ事務所なだけです」

 

 大物でしょ。天下の346プロダクションの新プロジェクトのプロデューサーという地位がどれ程の物か、僕はそれを良く知っていた。

 ……実際は春香に教えて貰っただけです。

 春香が言うにはプロダクションによる力関係というのは結構大きいらしく、仕事の優先順位もプロダクションのネームバリューで決まることがあるらしい。プロダクションの優劣で撮影時間や待機時間の長さが変わったりと、差別が激しいと言う。まだ765プロが弱小の時は大手プロダクションのアイドルのために数時間待ちぼうけをしたこともあるんだとか。

 ちなみに秋月律子とプロデューサーが対面した場合、形式上対等に話をすることになるが、秋月律子側は決してプロデューサーに失礼な態度がとれないという具合らしい。簡単に言うと765プロ側がナメた態度を見せた瞬間芸能界から干されるレベル。

 確かに765プロはトップアイドルを世に送り出すなどしてここ数年爆発的な知名度と影響力を持つにまで至ってはいる。だが、346プロと違い一度に運用できるアイドルの数が十二人と少ない。秋月律子自身がアイドルとして自身を売り込んだとしても十三人だ。それに対して346プロはアイドル部門だけでも三桁に及ぶメンバーが所属している。さらに346プロは芸能関連全般で力を持つ最大手だ。そこに老舗という信用があるとあってはいくら765プロのプロデューサーといえど強く出ることは不可能なのだそうだ。

 その話を聞いて、周りがなんで未だに僕が765プロに拘るのか不思議に思っていた理由がわかった気がした。346プロに入れておいて765プロに固執する理由は無いよね。普通の人間は。

 そんなわけで、大物で当たり前のプロデューサーなのだった。

 しかし、さすがに高垣もプロデューサー相手とはいえ異性と噂が立ったら困るんじゃないかな。気分を害していないかと心配になり高垣の方を振り返る。

 

「──」

 

 その顔を見た僕は相手に気付かれる前に慌てて前に向き直った。振り返った先でまさか高垣もこちらを見ているなんて予想していたなかった。大丈夫だ、高垣は僕を見ていなかった。僕なんて見ていなかった。

 一瞬だけ見た高垣の顔、表情こそ確かに先程見せた柔らかな物のままだった。でも、その彼女の左右で色の違う瞳が宿す光が別物になっていた。

 プロデューサーを映す瞳……そこから相手を凍てつかせる程の冷たさを帯びながら、その温度の低さで相手の皮膚を火傷させるような陰湿さを感じた。

 恨みとも怒気とも違う。彼女が発するそれら矛盾した感情がプロデューサーの背中へと向けられていた。

 そこでようやく僕は違和感の正体に気付いた。

 千川さんと観た高垣の出ていたライブ映像。そこに映っていた彼女は確かにシンデレラだった。優しい笑顔で、裏の無い表情で、曇ることを知らない青空の様に澄んだ空気を纏っていた。

 でも、今の彼女からはそれを感じない。──を見つけたシンデレラの顔じゃない。

 しかし、僕はあの目を見たから気づいたのであって、先程までの笑顔だけを見ていたならこんな物気付けなかっただろう。それくらいには擬態ができていた。

 プロデューサーは彼女のこんな表情を知っているのだろうか。

 今度こそ高垣が立ち去るのを気配で感じながら隣の彼の真意を測った。

 

「それより、遅刻ですね」

 

 顔を戻した先では、プロデューサーが二人に遅れたことを注意していた。高垣のことなどもう気にも止めていない。当たり前だけど。

 それにしても、そっちは注意するんだ。僕の時は確かに時間内に来ていたし、二人は遅刻しているけど、ここまで対応が変わるものかね。

 たとえ数分と言えど遅刻は遅刻ということか。この辺りは社会人同様に厳しくしていくつもりなのだろう。アイドルとしての何かより、世の中に出る人間として時間は守らなくちゃいけないってことだよね。人のふり見て我がふり直せって感じに僕も気をつけよう。

 

「ところで、そっちの子は誰?」

 

 叱られた当人である少女にはプロデューサーの言葉に堪えた様子が見られない。

 

「彼女は如月千早さんです。シンデレラプロジェクトの欠員補充のためスカウト枠で採用されました」

 

 プロデューサーもプロデューサーで特に何か言うこともなく僕の説明をしている。

 そんなんでいいのか。結局甘い人なの?

 

「おおー! じゃあじゃあ! 貴女が最後の一人ってやつなんだ?」

 

 少女は僕へと近付きテンション高く話しかけてきた。初対面から距離感近いと思う。島村がリア充とか言ったのは訂正しよう。これの方がリア充っぽいわ。

 当の島村は隣で少女のテンションの高さに目を白黒させている。彼女にしても、この少女のテンションは付いて行けない領域なのか。新キャラの方が強いってよく聞くけど、まさに島村改みたいなテンションお化けが現れるとは思っていなかった。上には上がいるものなんだね。

 

「お……お、おお?」

 

 テンションの高い少女が僕の顔を見て慄いている。若干芝居がかった様子が見られるが驚いているのは確かなようで、若干瞳孔が開いていた。

 

「び、美少女だ……」

 

 その少女の口から出た「美少女」という言葉に一瞬誰のことを言っているのかと周りを見回してしまう。

 

「静かな雰囲気の中に大物の貫禄……そして何よりもその容姿。只者ではないと見た!」

 

 言い回しもちょっと芝居臭い。舞台のお仕事をさせたらいい感じになるんじゃないかな。今度プロデューサーに言ってみよう。

 あとさっきの美少女ってのは僕のことを言っていたらしい。

 そうか? 僕って美少女枠か?

 そう言う少女の方が美少女だと思う。明るい色のショートヘアと大きな瞳、そして愛嬌のある笑顔が万人受けしそうだ。

 

「あっと、自己紹介がまだだった。私は本田未央! よろしく!」

 

 まさに元気っ娘という形容詞がぴったりの自己紹介だ。

 

「如月千早です。宜しくお願いします」

 

 対して僕の方は無難と呼ぶにも硬すぎる挨拶だ。昔のはっちゃけていた頃の自分でも、挨拶に限っては真面目だった覚えがある。

 

「硬い硬い! これから同じシンデレラプロジェクトの仲間になるんだから、もっと気軽に行こうよ!」

「仲間……」

 

 本田が何気なく口にしたであろうその単語に僕は過剰に反応した。

 まさか。出会ってすぐの相手から仲間扱いをしてもらえるなんて夢にも思っていなかったので驚いた。それ以上に喜びの感情が強く心に広がった。

 これまで僕を仲間と呼んでくれた人間などいただろうか?

 春香ですら親友とか憧れとか自分のとか呼んでくれても、仲間として扱われたことはなかった。春香の場合は仲間になれなかった分余計にそう呼び辛かったのかもしれない。

 それ以外の人が僕を仲間扱いすることはなかったので、本田の態度に僕はいたく感激したのだった。

 

「私達って仲間ですか?」

「そうだよ! 当たり前じゃん! こらから一緒にアイドルやっていくんだし。それに同じプロジェクトのメンバーなんだから仲間でしょ!」

 

 何ということだ!

 こんなにも簡単に仲間が出来てしまった。

 あんなにも憧れていた仲間を仕事の初日に手に入れてしまったぞ。もっと時間がかかるものだと思っていた。

 

「そう、なら仲間ね」

「うんうん、仲間仲間! あっ、でもでも、仲間であると同時にライバルでもあるよね」

「ライバル……」

「トップアイドルを目指すライバル同士……うんうん、なんかそれらしくなって来た!」

 

 凄い。一日の間に仲間とライバルを同時に手に入れてしまった。これなら明日あたりに四天王とか魔王とか裏ボスも出てくるんじゃないかな。ワンクール持つか心配になるくらいの怒涛の展開に頭が追いつかないよ。

 

「久しぶり、島村さん」

 

 それまで黙っていた島村に話しかける。ずっと何か言いたそうにこちらを見ていたので仕方なく僕から声を掛けた。

 

「お、お久しぶりです!」

 

 なんで声が上ずってるんだい。

 目も左右を見るばかりでこちらを見てくれてないし。キョドってる感が凄い出ている。

 

「ちょーっと、しまむー! こっちこっち」

 

 見かねた本田が島村を引っ張り少し離れた位置まで移動した。

 どうでもいいけど「しまむー」って何。あだ名? もうそんな仲良しになってるの。ウラヤマ。

 

「いやいや、しまむー……何そんな緊張してるのさ? 知り合いなんでしょ?」

「う、それはそうなんですけど……前お会いした時に、ちょっと私の方が失礼なこと言っちゃってましてぇ」

「ええっ、それまずくない?」

「ど、どうしましょう……」

 

 顔を突き合わせて小声で会話する二人だが僕の耳はばっちりそれを聞きとっていた。僕相手に内緒話を本気でしたいなら四百メートルは離れた方がいいよ。

 あと島村は何も失礼なこと言ってないから。むしろ僕の方が失礼な態度だったから。あの態度見せた僕に申し訳ないという気持ちを抱く時点で島村はお人好し過ぎる。

 

「そろそろ行きましょうか。他のメンバーを紹介しますので」

 

 空気を読まずにプロデューサーが移動を呼び掛けて来た。まあ、今島村とどう会話したところで引かれるだろうから丁度いいか。

 それにしても、何かプロデューサーの声がいつもより硬い気がするのだけど気のせいかな。いつもはもっと柔らかい感じの声をしているから違和感がある。それとも、今は仕事用かな?

 

「はーい!」

「は、はい!」

 

 元気よく返事をした本田と島村と一緒にプロデューサーの後を付いて行く。これからシンデレラプロジェクトのメンバーと会うわけか。

 

「同時に、皆さんにとって初めての仕事を行ってもらいます」

「え!?」

「えっ!?」

 

 移動しながらついでのように仕事があると伝えられた。あらかじめ聞いていた僕と違い二人は初耳だったらしく驚いた顔をしていた。

 まさか教えていなかったとは思っていたなかった。そういう連絡って重要なことなんじゃないの?

 まあ、僕も実際何の仕事をするかは聞かされていないので似たようなものか。結局プロデューサーの言葉が足りないことに変わりはないのだった。

 

 案内された部屋に入るとまず目に入ったのは大きなハートマークだった。

 それは撮影用のキットのようで、白塗りの背景の中心にピンク色のハートマークが設置されている。その周りには小さなハートの小物が置かれていた。

 大きなハートは枠だけ残して切り抜かれているので中に座ることを想定しているのかも知れない。

 カメラさんや照明さんが色々と機材をいじっているところを見ると、誰かこれから撮影でもするみたいだ。

 ……まさか僕達がこれを使うってわけではないよね?

 

「これから皆さんには今後の宣材写真を撮影していただきます」

 

 僕の疑問に答える様にプロデューサーが仕事の内容が宣材写真の撮影だと教えてくれる。

 別に歌の仕事じゃなくてがっかりしたということはない……。ただ写真を撮られるのが苦手なので若干テンションが下がっただけである。

 この間はプロデューサーのおかげで少しだけど笑うことができた。でも、それをぶっつけ本番でできるかと訊かれたらできないと即答できる。

 そう言えば原作でそんな話があったな。765プロのメンバーの宣材写真が酷すぎるので、奮発して良い所で撮るという感じだったっけ。

 そこでメンバーが各々の個性を模索するわけだけど、年少組が個性の意味をはき違えて大変なことになった。無理に大人ぶろうとして似合わない服と化物みたいな化粧で現れたとかなんとか。

 

「あの、プロデューサー……もしかしてこれで撮るんですか?」

「いえ、如月さん達は別の場所での撮影です。……あちらは別の方用ですので」

 

 せめてあのハートだけは回避したいという願いを込めてプロデューサーに訊いてみると、幸いなことにハートマークの椅子で撮影という痛いことにはならないらしくほっとした。

 と言うか、あんな痛い椅子で撮影とか誰がやるんだよ。もし僕がそんな撮影セットで写真を撮れなんて言われたら「ハハ、ワロス」と言って破壊する自信があるね。

 

「こちらです。他のメンバーの方はすでに撮影を始めています」

 

 どうやらさらに奥に部屋があり、そちらで僕達は撮影をするらしい。

 撮影中ということは、この奥にプロジェクトメンバーがいるってことだよね!

 

「あれあれ?」

 

 奥の部屋に入ると休憩中のメンバーらしき人に気付かれた。明るい髪色をしたお洒落な女の人が部屋に入った僕達を見て声をあげる。

 

「あっ、残りのメンバー?」

 

 大学生くらいの女の人も僕達に気付き声を上げると、それに釣られて他のメンバーがこちらに注目を向けて来た。

 ここに居る全員がシンデレラプロジェクトのメンバーということもあって皆容姿に優れている。歌特化で容姿に自信の無い僕にはこの中に混じるのは勇気が必要だ。みんな顔面偏差値高いね。化粧もばっちしって感じじゃないか……。

 そんなアイドルの卵達から向けられる視線に少しだけ気後れしてしまう。

 

「あ」

 

 と、こちらに気付いたメンバーの中から聞き覚えのある声が聞こえた。

 どこかで聞いたことがある声だと目を向けると、なんとそこには一昨日のお出掛け(デート)中に会った城ヶ崎妹の姿があった。

 

「あ」

 

 僕の口からも同じ声が出てしまった。

 まさか姉だけでなく、妹の方までアイドルだったなんて。

 いや、少し考えれば予想できたことだ。大好きな姉がアイドルをやっているんだから、妹の自分もアイドルになろとするのは必然だ。

 春香が妹の方までアイドルと言わなかったのでその可能性に考えが至らなかった。新企画のシンデレラプロジェクトなら知らなくて当然だよね。

 

「あー!」

 

 突然立ち上がりこちらへと指を指す城ヶ崎妹。その拍子に金色のツインテールがぴょこりと跳ねるのが何か可愛い。

 おいおい、別に僕は転校初日に曲がり角でぶつかった拍子にラッキースケベをした末にクラスメイトと発覚した主人公じゃないんだぜ。

 だからここで会ったが百年目みたいな顔は止めろ。罷り間違ってラブコメが始まったらどうするつもりだ。

 全力で喜ぶぞ?

 

「莉嘉ちゃん知り合いなの?」

 

 城ヶ崎妹の反応に隣に座っていた小学生くらいの女の子が知り合いかと訊いていた。

 

「知り合いって言うか……知り合いなんだけど」

「? よくわからないけど、人に指差しちゃ駄目だよ?」

「うぅ〜」

 

 まだ小学生くらいなのに、やけにしっかりしている。転生している僕だって小学生時代はもっとちゃらんぽらんだったのに。やはりこの歳でシンデレラプロジェクトのメンバーに選ばれるというだけはあるね。逆にその小学生に嗜められている城ヶ崎妹の方が幼く感じられた。残酷な話だ。

 

「初めまして。私は新田美波といいます。宜しくお願いします。……貴女達はプロジェクトの最後のメンバーかな?」

「あ、はい。そうです」

 

 城ヶ崎妹の妹の相手をするか迷っていると大人びた少女ーーいや、大人な女性が声を掛けて来た。代表として本田が返事をしてくれている。やはりこういう時リア充が居るとコミュニケーションが捗って助かるわ。僕だったら絶対「あ、ど、どうも……」とかボソボソと何言っているかわからない返事になっていたと思う。

 こちらに話しかけて来てくれた新田は長い黒髪に柔和な笑みが清楚感を出しているお姉さんだった。それだけで近寄りがたい物を感じてしまう。

 これだけ正統派なアイドルというのは逆に珍しい。

 僕よりも年上って感じだし、大学生なのだろう。服装やメイクが大人びている。メイクの方はアイドルの特訓でしかメイクをしたことがない僕が良し悪しなんて判りはしないけれど、派手過ぎない感じが男ウケしそうに見えた。

 大学生のお姉さんか……。

 何かそのフレーズだけで世の青少年の心を鷲掴みにしそうだね。壁に立て掛けてあるのはラクロスのラケットかな?

 大学ではラクロス部かサークルをやってると……。

 どんな戦闘力だよ。あと一つで役満じゃないか。

 僕が男子高校生だったらヤバかったね。千川さんと合わせてお姉さんにしたくなっちゃうところだったよ。

 ここではこの人が最年長なのかな。

 新田の挨拶に便乗して他のメンバーもこちらへと近寄って来る。どうやらこれから挨拶と雑談の時間が始まるらしい。

 僕はそれを確認するとちょうど良いタイミングだと思いその場から離れることにした。皆の会話の邪魔をするのも悪いしね。島村と本田はコミュニケーション能力が高いしさぞや会話も弾むことだろう。

 如月千早はクールに去るぜ。

 てなわけで、僕の方は今のうちにプロデューサーから仕事の内容でも聞いておこう。プロデューサーは部屋に入ってすぐに部屋の傍に行ってしまい無言で佇んでいるだけで、他のアイドルと会話する様子は見られない。

 誰かしらと話し始めたら割り込めないので今がチャンスとばかりにプロデューサーの元へと向かった。その際、背後から「えっ」という声が聞こえた気がしたけれど、特に振り返ることはしなかった。呼ばれてもいないのに反応したことで「あいつ自分が呼ばれたと思ってるよ恥ずかしい奴」とか思われても嫌だからね。中学時代にそれで散々迷惑を掛けたのでもう失敗はしない。

 

「プロデューサー」

 

 プロデューサーに声を掛けながら近寄る。すっかりプロデューサー呼びにも慣れてしまった。名前で呼んでも良いかもだけど、やはり僕のプロデューサーはこの人だけだから、プロデューサーと呼びたかった。

 僕の呼び掛けに対し、プロデューサーの方は無言で特に反応らしきものはない。ただ僕のことを無言で見つめてくるのみだ。

 

「?」

 

 無言の彼に何事かと思いながら近づいて行く。

 

「プロデューサー?」

「皆さんとの交流はよろしいのですか?」

 

 プロデューサーの前まで着くと当のプロデューサーからそんな言葉を掛けられた。

 交流?

 誰と?

 他のメンバーとだろうか。

 でも他の人は本田と島村と会話中だ。わざわざ僕が割って入るような場面ではないし、邪魔するのも悪いと思う。

 そこまでして交流を持たずとも、後から時間を作って話せばいいと思った。仕事の説明を聞くことよりも優先させる程ではない。

 それはプロデューサーとてわかっているはずだ。

 

「それは必要があることでしょうか?」

 

 だから僕は単純に疑問を口にした。

 交流なら仕事の後に幾らでもできるからね。これから初仕事という時に誰かと話す余裕なんて僕には無い。だから本田と島村が積極的に他のメンバーと交流を開始した時は内心驚いた。さすがコミュ力オバケ、僕とは格が違うと。僕にはあんな器用な真似はできない。

 そういう意味もあって言ったのだけれども、どうやら単純と思っていたのは僕だけらしい。

 僕の言葉にプロデューサーは少し困った顔をしたのだった。

 その顔を見て僕はまた何かしでかしてしまったかと不安になる。

 しかし、何をしでかしたのかよくわからないため首を傾げるしかない。

 

「今日は初仕事ということもありますが、本筋で言えばプロジェクトメンバーの初顔合わせとなります」

「はい」

「……そのため、できれば皆さんと親交を深めることをお勧めいたします」

「なるほど、わかりました」

「それは良かった」

「仕事の後に時間があれば交流の時間を設けたいと思います」

「……」

 

 僕の答えにプロデューサーは首へと手を当て溜息を吐いた。

 何となく、プロデューサーの心の声が聞こえた気がする。彼の心情を一言で表すならば「駄目だこりゃ」だった。

 

「プロデューサー?」

 

 何でそんな顔をされるのか意味がわからない。

 あ、実はプロデューサーは仕事前に話し掛けられるのが嫌なタイプとか?

 うーん……だったら悪い事をしてしまったかな。

 誰しも話し掛けられたくないタイミングってあるよね。僕だってある。優にだってある。春香にだってあるのだろう。

 ならばプロデューサーが今そうだったとしても仕方がない。

 

「失礼いたしました。私は少し向こうに行ってますね」

「はい、よろしくお願いします」

 

 だから僕が部屋の隅、プロジェクトメンバーの向こう側に見える空いた席を指差して言うと、プロデューサーはホッとした顔で了承した。

 その安心した顔を見て、やはり話し掛けるタイミングではなかったと改めて自分の間の悪さに顔を顰めるのだった。

 謝罪の意味も込めて少し深めにお辞儀をするとプロデューサーの前から離れ部屋の隅へと向かう。

 その際プロジェクトメンバーの横を通り過ぎたが特に話し掛けられることはなかった。当たり前だが。

 部屋の隅へと着き椅子へと座ると荷物を備え付けのテーブルへと置く。

 仕事まで時間があるなら春香にメールでも送ってみるかな。初仕事とあって色々心配してくれていたし。

 その前に知らなかったとはいえ仕事前に嫌なことをしてしまったプロデューサーは気分を害してはいないかと様子を窺うと、彼は顔に手をやって肩を落としていた。

 やはり話し掛けるべきではなかったか。

 今後はプロデューサーには仕事前に自分から話し掛けるのは禁止だな。

 

 気を取り直して鞄からケータイを取り出してメールを確認すると、案の定春香からメールが山のように来ていた。

 どうやらお昼過ぎくらいから定期的に送ってくれていたらしく、新着は三分前になっていた。

 そのどれもがこちらを気遣う内容であったため心がほっこりとする。親友からこれほどまで気遣われるなんて僕は幸せ者だ。

 一人喜びに浸っている横ではシンデレラプロジェクトのメンバーがお互いの紹介をし合っている。

 僕も後で挨拶回りでもするかな。その時は頑張って愛想よく接してみよう。第一印象って大事だもんね!

 せっかく同じプロジェクトに参加するのだからできれば仲良くしておきたい。765プロのメンバーみたいに超絶仲良しは無理にしても、そこそこの仲にはなっておきたかった。せめて排斥されない程度には馴染みたい。僕VSプロジェクトメンバーとか嫌だなぁ。せっかく同じプロジェクトメンバーになったんだからできればそうはなって欲しくない。仮になったとしたら穏便に消えて欲しい。

 あとは、アイドルになったからにはコミュ障も治さないとね。

 そんな風に意気込んだ僕に冷ややかな声が浴びせられた。

 

 

 

 ──そういう生き方って楽そうでいいね。

 

 

 

 その声を耳にした瞬間、何故か僕の背筋が反射的に伸びた。それ程までにその声に温度が感じられなかったのだ。まるで気を抜いている時に背中に氷を放り込まれたような、そんな寒さを感じたのだった。

 慌ててプロジェクトメンバーの方を見るが誰もこちらに注目してはいないようで、先程の言葉を投げかけてきた様子は窺えない。

 いったい誰が……。

 声の主を捜して周りを見回しても誰も見えない。

 まさか幻聴?

 

「杏ちゃん発見!」

 

 と、その時、先程最初に僕達に気付いた──やけに背とテンションが高い──女性が僕の横に立てられた衝立を勢いよく捲った。

 

「っ!?」

 

 その時、僕に衝撃が走った。

 カーテンの向こう側は長机と椅子が多数置いてあり、椅子の方が数脚揃えて並べられている。

 そして、まるでベッドの様に椅子の上に寝転がる一人の少女。その姿を見た僕は動揺した。他のメンバーを見た時の比ではない。魂が揺さぶられるくらいの驚きだった。

 杏と呼ばれた少女が衝立の裏に隠れてゲーム機で遊んでいた。仮にも仕事中にゲームをしていることに言いたいことはあったものの、今はそれどころではない。

 金色の長い髪を二つに分けて縛っ髪の毛。気怠げな表情。ダサさとズボラさを示す様に着崩された謎Tと謎パンツ。

 そして世の中のほとんどをどうでもいいと捉えているかのような気怠げな表情。

 それらを僕は知っていた。すこし前まで毎日のように見ていた顔だからだ。

 チハヤ。

 僕がずっとやっていたゲームの自キャラにこの金髪ロリは似ていた。思わずチハヤと呼んでしまいそうになり寸でのところで堪える。そんなことしたら自分の名前を叫ぶ痛い奴と思われてしまうだろう。

 なんとかギリギリのところで口を閉ざした僕は改めて美少女金髪ロリを見た。

 やはりチハヤに似ている。いや、似ていると言うか瓜二つと言うか……。元から3Dのゲームなのでそこそこリアルではあったのだが、それがそのまま出て来た様なクオリティである。

 可愛いぞ。凄く可愛いぞ。思わずテンションの上がった外国人みたいにガッツポーズで立ち上がりかけそうになるくらいだ。

 

「双葉杏……よろしく」

 

 双葉杏ちゃんというのか。杏って名前も可愛いね。心の中では杏ちゃんと呼ぼう。あの背の高い人もそう呼んでたし。

 杏ちゃんは必要最低限の挨拶を済ませると、もう用はないとばかりにゲーム機に視線を戻した。一瞬だけ僕の方を見てくれた気がしたけど、特に何か言うことはなくゲームを始めてしまった。

 猫みたいなそっけない態度が可愛いなぁ。

 あとそのゲームは何かな。僕がやったことある奴だったら一緒にプレイしたい。長椅子に二人で座ってダラダラと一日中ゲームしていたい。

 後で絶対話しかけよう。僕の心の中のToDoメモに二重傍線込みで書いておく。

 

「シンデレラプロジェクト、遂に始動です」

 

 一人杏ちゃんへのアプローチ方法を考えていると、プロデューサーのプロジェクト始動の声と皆の喜ぶ声が衝立越しに聞こえた。

 すでにハブにされている、だと……?

 ま、まあ別に円陣を組んでやるタイプの掛け声ってわけでもないし、その輪の中に入れなかったと言っても気にすることはないよね!

 それに杏ちゃんも僕と同じでゲームしたまま我関せずで輪の中に加わってないし。似た物同士仲良くしたいのぜ。

 

 ……うん、コミュ障治そっと。

 

 そっと心の中で誓う僕であった。

 こうして僕達シンデレラガールズの活動が始まった。




総括:千早(7才)「つよいアイドルよわいアイドルそんなのひとのかって。ほんとうにつよいアイドルはわたしだけ」(ドヤ!

CPメンバーとの掛け合い?
ねーよ!千早だぞ!?
ハイ。


今回武Pと千早で認識の違いが発生しました。武Pと千早で同じ物を見ているのに違う視点を持っているので話が噛み合っていません。
武P:完全記憶に完全再現。その力を児戯のように語る如月さんはやばい。
千早:完全記憶と完全再現とか児戯だよね。本当のチート能力はもっとやばい。
今が上限だと思っている武P(と上層部)と上限とかまだ見せてねーよな千早。さらに進化を数回残している怪物に付け焼刃の対処でどうにかなると思っている346プロはどうなるのか。
そんな千早が今回ユニットを組むことになりましたが、まともに考えたらユニットなんて組ませません。メンバー側が折れるので。
つまり、この時点で上はユニットメンバーがここで折れてもいいと思っていることになります。それを必死で軌道修正かけようとしている武Pの図。
ただ武Pの誤算は「ユニットメンバーに合わせろ」とは言っても「手を抜け」と言っていないことです。
千早「つまり、全力でユニットメンバーに合わせればいいわけだ」


今回ようやくCPメンバーと合流できた千早。しかしどう見ても歓迎ムードではありません。自業自得。
中身はともかく、他人から見た千早は大人しい子に見えるので絡みづらいでしょう。実際根暗なので絡みづらいのは確か。

千早→メンバー
「誰か時間停止能力を持っていたりしないかな。瞬間移動はともかく、時間停止の方はまったくできる気がしないのでよければ教えて貰いたいなぁ」(おめめキラキラ)

メンバー→千早
CPメンバー「なんかめっちゃ冷めた子が来た」
ロック「ロックじゃん」
猫「クールキャラ?」
元ニート志望「ふーん」


仕事とプライベートは別物。
メリハリをつけよう。
真面目が一番。
その結果がこのファーストインプレッションだよ。
まさに未知との遭遇。

気をつけろCPメンバー。この新人、アイドルというだけでハードルを上げてくるぞ。具体的に言うと、アイドルの基準が765プロメンバーと日高愛(最終進化済み)である。
自分が簡単にできることだから、他の人間なら少し努力すればできる程度だろうくらいの認識。同じだけできるとは思っちゃいないが、自分に付いてこれるくらいには思ってる。


今回の武Pとの描写。
親子?兄妹?千早には男に対する恋愛感情が無いので甘い感じにはなりません。でも傍から見ると「ヤベー・・・まじっべーぞ」なくらい不穏な関係に見えます。本人に自覚はなくてもその気に見せる悪女。それが千早。前後の言葉を抜いて端的に「好きです」とかは普通に言ってきます。今回も頭の中で色々こねくり回した結果あんな台詞をPにぶつけていますし。しかも食堂とエントランスホールでやらかしてます。それでもスキャンダルにならないのはアイマス世界のいいところ。たぶん事あるごとに居合わせては二人の会話に胃を痛めるちひろさん。労災は下りない。


今回で爆弾持ちキャラが出揃いました。誰が該当者かは申しませんが。
現状明らかな爆弾持ちとして描写しているのは春香と凛だけです。春香の方は不穏になりやすくても千早が無意識にパーフェクトコミュニケーションするからしばらくは安全です。むしろ現状は不穏芸枠。一周回って安全牌。毎回何かしては千早のピュア(無頓着なだけ)な姿を見てしばらく良心の呵責に苛まれます。すぐに復活して今度はどこまでセーフか探り出す感じ。
どちらかと言えば凛の方が危ない状態でしょう。
しかし現状一番拗らせている人は別にいます。外見上平常運転に見えていても中身はほぼ発狂しています。いや、発狂は言い過ぎかもしれません。鬼隠し編のバット振り回し始めた頃の圭一君くらいじゃないかな。もしくは志乃が未帰還者になった後のハセヲ。

これから千早が本格的にCPメンバーと絡んでいきますが、本人の意図しない形でヘイトを溜める千早はCPメンバーと仲良くなれるのか。
卯月と未央で大切に囲ってくれませんかね。二人で交互に見ていれば大丈夫だから。でも両方とも目を放すとどっか行っちゃって被害出すから。


次回は撮影回か最終面接回を幕間として投稿することになると思います。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。