アルティメット千早な僕が765プロのオーディションに落ちた件   作:やんや

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千早の理想の低さと実力の高低差


アルティメットな初ライブその8

 初日から躓いた合同レッスンは数日経った今でも特に進歩は無かった。

 僕が本田と島村に合わせることができずに初歩の部分で足踏み状態になっている。

 何度か城ヶ崎の指導からベテラントレーナーの指導に移ろうという案がだされたのだが、城ヶ崎のプロデューサーが現状トレーナーの指導は不要と判断しているらしく、その言を鵜呑みにした運営側がトレーナーの召喚を後回しにしていた。ちなみにトレーナーが合流できていないのはお家の事情だとか。

 城ヶ崎の担当プロデューサーは担当アイドルを全面的に信頼するタイプのようで、城ヶ崎の大丈夫という言葉を信じて指導内容の修正に乗り気ではないらしい。

 自身はライブ会場の打ち合わせを優先して、城ヶ崎に丸投げしてしまっているそうだ。

 それでいいのか346プロ……。しかし、今の346プロの運営形態では、個々のプロデューサーの担当アイドルに対する権利が強く、プロデューサーといえど他担当のアイドルのことに口が出せない。

 さらに僕達はバックダンサーでの起用のため、運営方針に直接口を挟めず、今は部長経由で正式に指示を出すことも検討しているらしい。

 

 まだ企画は始まったばかりとはいえ、それはこちら側の事情だ。ライブの方はもっと前から準備を進めているのだから僕達の進捗如何によっては運営側に迷惑がかかってしまう。さらに悪いことに、どこからかバックダンサーの伸びが悪いという話が耳に入り、不安を抱いたスタッフから僕達の起用を見直してはどうかという声が上がっていると聞かされている。

 そんなこともあり、前回から遅々として進まないレッスンと合わせて、初めてのライブは前途多難と呼べる状況だった。

 

 でも、少しだけ前回から変わったこともある。

 

「はい、如月さん。タオル使ってね!」

「……ありがとうございます、三村さん」

 

 休憩に入るとすぐに三村が用意していたタオルを手渡して来る。

 前にも言ったように僕にタオルは必要無い。それでも受け取ってしまうのは、相手の好意を否定することを僕が忌避しているからだろう。

 

「栄養補給も大事にゃ! これ食べて。みくもトレーニングの合間に食べるオススメのお菓子だよ!」

「ええ、ありがとうございます。みくにゃ……前川さん」

 

 みくにゃん改め前川がオススメのお菓子をくれた。長いこと基礎トレーニングを積んで来た前川だが、合間の栄養補給に適したお菓子にも詳しくなったとかで色々と勧めてくれるのだ。

 正直ありがた迷惑なのだけど、断ると悲しませることになるのでありがたく頂いている。少なくともこれを食べさえすればプロデューサーが物を食べろとうるさくないので食べている。

 

「あの、これ、今皆が踊った時の映像……スマホで撮っておいたから見返してみると、その、いいかも……」

「本当に助かります。緒方さん」

 

 ツインテという名前ですら無い物で呼んでいた子は緒方智絵里というらしく、今は「緒方さん」と呼ばせて貰っている。

 皆からは一歩引いた位置にいることが多い分色々と気が付くのか、今の様に痒いところに手が届くサポートをしてくれている。

 

「皆さんもご自分のトレーニングがあるでしょうし、ここまで手間をかける必要はありませんよ?」

「如月さんは気にしなくていいよ? みく達がやりたいからやってるんだし」

「そうだよ。同じプロジェクトのメンバーがライブに出るんだから、応援するのは当然だよ」

「うん、好きでしていることだから。……気にしないで?」

「そうですか……」

 

 本当に、なんだこの状況。

 三村、前川、緒方の三人からのサポートが手厚すぎるのだが? 

 手伝ってくれるのはありがたいのだけど、それで当人達の邪魔をしていると思うと気になってしまう。それも今みたいに笑顔で否定されるので断り切れない。

 

「うんうん。すっかり如月さんも皆と打ち解けたようですなぁ」

 

 そして満足げな顔で何度も頷いている本田よ……。君はどうして後方プロデューサー面しているのかね。

 あと、これって打ち解けているって言うの? 正直サポートは助かっているし、その心遣いは嬉しい。でも、それが打ち解けたから云々に繋がっている気はしなかった。

 未だに誰とも連絡先すら交換してないしね。スマホのアプリじゃないとできないあれこれがあるのでガラケー使いの僕は連絡先の交換に二の足を踏んでしまっている。

 

 それ以外にも変わったものがあった。

 

「お疲れー! 今日もいい汗かいたー!」

「はいっ、へとへとですけど、なんだかやり切った感じがします」

 

 レッスンが終わっても本田と島村がダウンしなくなった。

 初日の休憩無しのレッスンが続いたならばそうはいかなかっただろうけど、二回目からは最低限の休憩を入れるようプロデューサーから運営を通して指示してくれたのだ。レッスン時間も昼の一時から五時までと定められている。これくらいは僕達の担当プロデューサーとしての権限の範疇ということらしい。

 おかげで二人ともレッスン後も余力を残しているように見える。さすがにまったく疲れていないということはなかったが。まあ、そこまで余力を残したら今度はレッスンの意味が無いので良いバランスと言える。

 指導方針への口出しに城ヶ崎側が難色を示すかと思っていたけれど、それも無かった。てっきりプロとして指導方針にケチをつけられることを嫌がると思っていたのに。何故なのだろう。

 

「城ヶ崎さん、この後なのですが……」

「確かに……前にこっちのプロデューサーに許可取れとは言ったけどさぁ……」

「ええ、ですので許可を取って来ました」

「その許可の取り方が『貴女のところのアイドルをこの後食事に誘ってもよろしいでしょうか?』ってのはおかしいでしょ! おかげであれこれ訊かれたんだけどっ?」

「……まずかったでしょうか?」

「逆に大丈夫だと思った理由がわからないって……まあ、許可を出すあの人もあの人だけどさ」

「城ヶ崎さんを信頼されてるのでしょうね」

「……ま、良い子でいるからね」

 

 指導方針にプロデューサーが関われるようになったのは喜ばしいことだから細かいことは気にしても仕方ないか。

 

「私達はもう上がるけど……如月さんはこの後どうする?」

 

 早々に帰り支度を済ませた本田が僕の予定を訊いて来る。他の皆も帰り支度をしているのでこのまま上がる予定なのだろう。プロデューサー達のやり取りは見て見ぬふりをするのが最近のルールだったりする。

 そのプロデューサー達は一足先にレッスンルームを出て行ってしまった。その際プロデューサーから視線を向けられたので目礼だけしておいた。

 本田がこうしてわざわざ訊いて来るのは誘ってくれているということもあるのだろう、しかし僕の答えは毎度同じであった。

 

「私はもう少しだけ練習してから帰るわ。……ありがとう」

「そう? それじゃ、また明日!」

 

 僕が断ると本田はあっさりと頷いてくれた。これも何度もやりとりした会話なのだけど、最初の頃は結構食い下がられた。僕が首を縦に振らないとわかるとそれ以降しつこく誘って来ることはなくなった。

 ……その代わり、レッスン前の食事会は半分強制参加になったが。

 

「お疲れ様です!」

「まったね~」

「あんまり無理しないでね?」

「えっと、気を付けてね……」

 

 きちんと挨拶残してから帰る皆を見送る。

 パタリと閉じられた扉により廊下の音は聞こえなくなった。完全なる無音というわけにはいかないけれど、外からの雑音の入らない環境になったことで自分だけの時間を確保できた。

 

「さて、やりますか」

 

 一言誰もいない部屋で呟き、課題曲のダンスを始める。

 これからやるのは今日のレッスンのおさらいだ。レッスン中は時間が無くてできなかった見直しをこの時間で徹底的にやる。

 一回目から順に踊り直し、その場で悪かった箇所を修正する。あとほんのコンマ一秒あれば本田に追い付けた振り付けに対しては動きの出だしを早める。島村を置いていってしまったステップに対してはディレイを入れてタイミングを合わせる。

 一度やったからわかる、自分のダンスのズレを一つ一つ修正して行く。

 それはつまり、今日のレッスンをもう一度やり直すということにほかならない。その時間を作るためにレッスンルームの使用申請をしていた。

 余談だが、レッスンルームの申請をする時に一悶着あった。管理課に行きレッスンルームの使用許可をとろうとしたところ、事務員さんに新人で無名の僕が個人名義で部屋を借りることを渋られてしまった。食い下がっても実績が無いと申請不可と言われてしまい一度は諦めかけたのだけど、丁度通りかかった課長さんが僕の顔を見るや慌てて駆け寄って来て事務員さんに事情を聞き始めたことで事態は急変。あっさりと使用許可が下りたのだった。しかも事務処理を課長さん直々にやってくれたので申請と受理が課長→課長となり一瞬で通ってしまった。それ社内ルール的に大丈夫なやつ? 

 何はともあれ、レッスンルームを無期限で借りられた僕はこうして一人居残り練習をしているというわけだ。

 

「ここはもう少し早く足を出したいけれど……」

 

 そうすると島村のステップとズレてしまうんだよね。

 

「こっちの手の動きは大きな円を描く感じで伸びやかに」

 

 今度は本田の振り付けに置いて行かれてしまう。

 

「えーい! まどろっこしい!」

 

 たまに癇癪を起してしまい記憶の中の二人を無視して動いてしまうこともあった。

 

 

 ……上手くいかないなぁ。

 何十回と繰り返した復習という名のアップデート作業を終えても満足な成果をあげられた気がしなかった。

 どうしても合わせようとする時に発生するラグを消しきれない。一つ一つの動きのラグはコンマ一秒程度に抑えられるのに、それが積み重なると致命的なズレとなってしまう。

 今は定期的にスタートタイミングをずらすことでズレをリセットしているが、端から見ると無理やりズレを修正しているように見えて酷く不格好に見えるらしい。これは緒方が録画してくれた動画を皆で見返した時に出た感想である。

 やっぱり皆もプロのアイドルということだけあって良く見えていると感心したものだ。僕が気付かなかった粗を指摘してくれるのは正直ありがたい。前川曰く「毎回同じ場所で大きくズレていれば誰でもわかる」とのこと。皆も同じ意見だったらしい。若干一名、三村だけがいくつか動画を見た後に何かに気付いたのか首をひねっていたが特に何か言って来なかったということは気のせいだったのだろう。

 

 一息ついた後にまた復習を開始する。今度はなぞるだけではなく一つ一つの初動のラグを無くすことを意識する。その分身体への負担は増すが泣き言を言う余裕なんて今の僕には無い。

 

「もっと」

 

 同じプロジェクトメンバーとやるレッスンは楽しい。僕がずっと求めていたアイドルらしい活動ができていることが嬉しい。

 でもそれと成果を出せないこととは別問題だ。楽しいことを優先して、結果を出せないなんていけない。僕が足を引っ張るのは嫌だ。これ以上遅れることが許せない。

 早く、速く、疾く、脳の処理と身体の反応を加速させる。

 

「もっと」

 

 踏み出した足が床に触れる────、

 

 

 と同時に────その感触を脳が受け取る、

 

 

       ────────前に腕の動きを始める、

 

 

 と同時に重心の移動を開始する。

 

 

 

 ……だけでは追いつけない速度の壁が立ち塞がる。

 

 すでに僕は人が出せる反射神経の限界値に達してしまっている。

 全てを最速かつ最大効率で動かしても届かない。

 歌の才能に匹敵する、ダンスの才能の極点に辿り着くには足りない。

 

「もっとっ」

 

 それでも足りないというのならば。

 

「もっと……!」

 

 超えるしかないではないか……。

 

「もっと、頑張らないと──!」

 

 そのためならば、人くらい幾らでも止めて──。

 

「もうほとんどの方が帰宅している時間ですよ」

「っ……!?」

 

 突然掛けられた聞き覚えのある声に動きと思考を止める。

 

「……プロデューサー」

 

 声の主はプロデューサーだった。

 確か城ヶ崎と用事があったはずだけど……。

 

「城ヶ崎さんとの用事はもう終わりました。今何時だと思っているのですか?」

 

 言われて壁掛けの時計を見れば夜の九時を過ぎていた。

 どうやら僕は四時間近く踊り続けていたらしい。

 

「夢中だったので、全然気が付きませんでした」

「あまり自分を追い詰め過ぎても結果は付いて来ません」

「はい……」

 

 最近は注意されていなかったから気が緩んでいたらしい。久しぶりに練習時間についてプロデューサーからお叱りを受けてしまった。前は毎日のように言われていたので進歩してはいるんだけどね? 

 

「ですが、私にはまだ努力が足りません。遅れた分を取り返すためにも、置いて行かれないためにも、まだまだ頑張らないといけないんです。……そうしないと追いつけないから」

 

 いつもなら素直に頷いて終わるのだが、今日に限っては素直に聞き入れるわけにもいかない。

 もう誰かに置いて行かれるのは嫌なんだ。今度こそ置いて行かれないように、僕は自分の全てを掛けるつもりでいる。

 

「追いつけない……、というのは本田さん達にということではありませんね?」

「……」

 

 調子に乗って少し失言をしてしまった。

 僕の過去をプロデューサーはほとんど知らない。話の流れで引き籠っていた時期があるのは教えているのだが、765プロのことや春香との関係については一切伝えていない。これは彼が知る必要がないことだから。

 そんなプロデューサー相手に口が滑って僕の根源に関わる話をしてしまった。いや、まだ本質的なことは口にしていないからセーフかな? 

 

「貴女は時折誰かを追い求めているようなことを口にする……それがずっと気になっていました」

 

 そんなに僕の口はガバガバですか。そうですか……。

 って、もしかしてプロデューサーってば僕に男の影があると心配している? 

 

「えっと、それは特に誰というわけではなくてですね? 何と言いますか、現実にいる誰というわけではないんです」

 

 色々な意味で慌てて取り繕うとしても語彙力が追いつかずに意味のない言い訳ばかり口から出て来る。

 こんな言葉でプロデューサーが納得するわけがないよなぁ……。

 ますます疑われてしまっただろうか。そう僕が内心やってしまったと落ち込んでいると、プロデューサーから意外な言葉が返って来た。

 

「私としては誰か特定の人間が対象であった方が良かった」

「え? なんで?」

 

 想像していなかった返しに思わず素で聞き返してしまった。

 特定の対象の方が良かった? 

 何で? 

 

「それが現実に存在する相手ならば実際に追いつくことは不可能ではありません。貴女の実力があれば誰が相手であろうと必ず追いつけると私は思っています。しかし、それが貴女の中にしか居ないのであれば、その理想は高いまま、ずっと追いつくことができなくなります」

「プロデューサーは私の中に居る存在が、私にとってアキレスと亀になると言いたいのですか?」

 

 ちなみにアキレスと亀というのはゼノンのパラドックスの一つで、どんなに遅い存在相手であっても先に行かれてしまってはどれだけ速く追いかけても永遠に追いつけないという理論をアキレスと亀に例えて説明したものだ。常識的に考えれば足の速いアキレスは足の遅い亀に追いつけるはずなのに、アキレスが進んだ分だけ亀も進むから永遠に追いつけないという……まあ、何かすごい矛盾話のことである。

 で、ここで言うアキレスはもちろん僕のことを意味する。そして亀とは僕が理想とする存在のことだ。

 プロデューサーからすれば僕は亀を追いかけるアキレスに見えるのだろう。そりゃ心配になるか。踵撃ち抜かれたら大変だし。

 

「はい。私はその可能性があると思っています」

 

 なるほど。プロデューサーの懸念はよくわかる。確かに僕の中で最高の存在と言えば千早だ。現にいくつかの”如月千早”は今の僕をもってして化物じみた才能の持ち主に感じる。それら全てを目標にした場合、僕一人の才能では全てに追いつくことなど不可能だ。彼の言葉を借りればそういうことになる。

 普通はそうなのだろう。一般人はプロデューサーが言うような理想の存在と自分との差に挫折してしまうのだろう。

 しかし、僕は違う。だって僕の才能はいつか必ず全”如月千早”を網羅するから。

 だから、それは理想ではない。

 僕にとって”如月千早”は目標であって理想ではない。

 僕の理想の先に”如月千早”は居ない。

 

「プロデューサー……少しだけ、私の理想を見ていただけませんか?」

「理想を……ですか? どうやって……いえ、それは構いませんが……」

 

 自分の話をぶった切って突然こんなことを言い出す僕に戸惑いの視線を向けるプロデューサー。ここで断ることをしないのが彼の人柄の良さが表している。

 

「実は私、立ってみたいステージがあるんです」

「それは……」

 

 僕がステージと言ったことで何かを察したのか、プロデューサーの顔が曇る。

 いや、違うんですよ。たぶん貴方が考えているような話にはならないから。

 

「仮に。ここがそのライブ会場だったとして……」

 

 レッスンルームの中を見回し、ここに架空のライブ会場を想像する。

 

「ここが上手で、ここから……ここまでがステージです」

 

 次に部屋の端から端、それよりも短い距離を歩きステージだの大きさをプロデューサーへと伝える

 

「……思っていたよりも手狭なステージなのですね」

 

 それまで黙って見ていてくれたプロデューサーが初めて口を開いた。

 彼の疑問はわかる。アイドルを目指すならば誰しもステージでのライブを夢想する。そして理想はドームやアリーナライブだ。

 しかし、僕が彼へと示したステージの大きさは五メートルも無い小さいスペースだ。ステージに喩えるならかなり小さいことになる。箱の大きさで言えば二、三十人が入れば満杯になる程度だ。

 

「はい。ステージは小さくてもいいんです」

 

 仮にこれがCDの販促のための路上ライブだろうが場末のスナックのお立ち台の上だろうが全然構わないのだ。

 

「誰かが私の歌を聴いてくれる場所があるのなら……そこがどこであっても、私は楽しく歌えるから」

 

 子供の頃は漠然とステージと連呼していただけだったけど、十代も中盤に差し掛かった頃には理想のステージは大きなステージになっていた。それが自分に相応しい場所だと勝手に思い込んでいた。

 夢破れ、地へと落ち、自分が青い鳥ではないと知ったことで、僕の中の理想は消えた。

 そして、あの日の夜……春香の前で歌った時から、僕の中の理想のステージはこれになった。

 

「私の歌を聴いてくれるファンが居る。たった一人だけだったとしても、その人のために歌える自分でいる……それが私の理想です」

 

 僕が恐れるのは、その機会が奪われることだ。アイドルとして二年も遅れた分、僕は原作の千早に比べて歌う機会が減っていることになる。

 だからこれ以上足踏みをしてその時間を奪われるわけにはいかないんだ。

 

「如月さん、貴女はあの日の──」

「今日は私のライブに来てくれてありがとう!」

 

 突然のライブ開演時の前口上に、何かを言いかけたプロデューサーは口を閉ざし目をぱちくりと瞬かせた。

 そんな彼の様子に構うことはせず、僕はライブを続ける。

 普段は出さないような明るい声で精一杯の前口上を演じる。昔だったらもっとエグいキャラができたんだけどさっ。

 

「私のライブに来てくれたみんなのために、今日は新曲をお披露目しますね!」

 

 ここまで来ればプロデューサーも事態を把握してくれたらしく、黙ってこのライブの観客になり切ってくれている。

 彼からすればまだメジャーデビューもしていないアイドルがごっこ遊びをしているように見えるだろう。しかし、僕からすればここは紛れもない本物のステージなのだ。

 

「聴いて下さい。今私が出せる最高の歌を」

 

 たった一人の貴方(ファン)のために僕は歌う。

 

 

 

「眠り姫」

 

 

 

 曲も無いアカペラ状態で歌い始めた。

 この曲は、もしも僕が765プロに居たならばすでに持ち歌として歌っていたはずの曲だ。

 765プロの皆の助けで取り戻した歌声で、今度は自分が皆を助けるのだと奮起した千早だが、この世界の僕はこれを歌うことはない。

 だから、プロデューサーのために歌うことにした。どうせ世に出る歌ではないのだから、ここで歌っても構わないだろう。

 最近誰かに合わせようとして窮屈なことばかりしていたから、自由に動けると思うと楽しくて仕方がない。誰かに合わせる必要がない。それがこんなにも楽なことだなんて……。

 頭の中の”如月千早”が「アカペラとはやるな」という感じでウンウン頷いている──気がする。まるでアカペラバージョンを知らないような言い方をして……あっ(察し)。

 気を取り直して僕は「眠り姫」を歌い続けた。

 身体全体で歌う感覚。自分が歌を奏でる一つの器官になったような感覚。歌だけに特化した何かになった全能感。

 前回よりもスムーズに、違和感なく、”如月千早”のアシストを受けた僕が歌を紡ぐ。

 観客はプロデューサーだけ。でも、ファンが一人でも居れば僕は百パーセントの実力で歌うことができる。一人でもファンが居れば、それだけでアイドルはライブで輝けるのだから。

 ここ最近の猛特訓のおかげか、それとも拘束が解けたためか、身体のキレがすこぶる良い気がする。

 身体の軽さに同調するように歌のレベルが上がっている。これは超絶至近距離で指導してくれる”如月千早”が居たからだろう。

 この歌なら任せろ! と言わんばかりにテンションを上げる先輩に心の中で苦笑する。まあ、それも伝わってしまうのだが。

 ああ、それにしても……。なんて……。

 

 ──楽しいのだろうか! 

 

 歌うことが楽しい。

 ファンの前で歌うことが楽しい。

 自分の歌が誰かに聴いて貰えることが楽しい。

 楽しくて、嬉しくて、幸せ過ぎるこの時間をずっと生きていたい。

 それが絶対に叶わないことなのだとわかっているけれど……。

 いつか終わってしまう日が来るけれど……。

 この時だけは、この幸せが永遠だと思って、僕は心のままに歌い続けた。

 

 

 楽しい時間はすぐに終わってしまった。

 歌った後の熱を冷ますように、長く長く息を吐き出す……。

 

「私の理想って、こんなものなんですよ……」

 

 小さい箱で小さいライブをする。それだけで僕は満足してしまうような小さい人間なのだ。そんな人間になってしまったのだ。それが悪いことだとは思わないが。

 

「それでも、私にとってはこれですら遠い場所でした。……一度は諦めたアイドルになってライブステージに立つ夢を、貴方は私にもう一度見せてくれると言ってくれました」

 

 あの公園でプロデューサーが言ってくれた言葉……一度は否定してしまったけれど、あの時の自分は確かに喜んでいたのだとわかる。

 捨てた。捨てたと思っていた夢を拾ってくれたプロデューサーには知っておいて欲しかったから。

 

「やはり……貴女を見つけられて良かった」

 

 それまでずっと口を閉ざしていたプロデューサーの第一声はそれだった。

 彼が僕を見るその目は、彼にしては珍しく優しいものだ。そのせいで、いつもは生真面目が服を着ているような彼が、今はただの大人の男性のように見える。

 

「申し訳ありません、如月さんにはどうしても負担を強いてしまっているようで……」

 

 そして本心から申し訳なさそうに謝罪をされてしまい僕は大いに慌てることになる。

 

「あの、謝罪は要りませんよ? と言うか、何も負担を感じていませんが……?」

 

 むしろ僕がプロデューサーの負担になってやしないかと不安になる今日この頃である。

 そこんところ大丈夫だろうか。最近は色々と自重しているからそんなでもなと思うんだけどなぁ? 

 

「……本当に、申し訳ありません」

 

 また謝られてしまった。何の謝罪なのかよくわからないけれど、ニュアンスからして先程とは違う意味のようだ。

 本当に何の謝罪なのだろうか。

 

「……はぁ」

 

 どちらにせよ、求めていない謝罪を受けても意味が無いし居心地が悪い。

 

「プロデューサー、私は貴方を信じています。私のプロデューサーである貴方が、きちんと私を導いてくれると信頼しています」

「如月さん……」

 

 顔を上げたプロデューサーだったが、腰は曲げたままのため丁度目線の高さが僕と同じくらいになる。

 いつも少しだけ遠い彼の瞳を間近で覗き込み言葉を続ける。

 

「今回の件にしてもそうです。どんな形であれ、アイドルとしてステージに立つ機会をくれた貴方だから、私は貴方を信じます。だからもっと自分のしていることに自信を持って下さい。これはアイドルのプロデューサーにしっかりして欲しいと言っているわけではありません。私の担当なのだから胸を張って下さいという意味です」

 

 プロデューサーが僕に謝る必要はない。それがプロデューサーがやることならば、僕は全幅の信頼を寄せて従う覚悟があるのだから。

 

「私は貴方を信じています」

 

 これが僕の嘘偽らざる気持ちだ。

 

「新人の私が生意気を言い過ぎましたね……」

「いいえ。決して、そのようなことはありません。……貴女の言葉は私に勇気を与えてくれています」

 

 僕を信頼するのがプロデューサーの義務だと言うのならば、その信頼に応えるのが僕の権利だ。

 

「絶対に後悔はさせません」

 

 貴方が僕をアイドル(人間)にしてくれたことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで……ドームやアリーナでのライブに興味はありませんか?」

「? え、まあ、無いことはないですが……」

「でしたら」

「まあ、私には縁遠い物ですから。私は小さな場所でも歌えればそれで満足ですので」

「……」




豆知識。アキレスと千早が足の速さを競ったら千早が勝つ。



アイマス世界では基本的にアイドルのプロデューサーへの好感度って高いですよね。


面接時に覚醒済みのため、すでに歌フリーク千早レベルの歌唱力が出せる本作千早。
この時点でそこらの中堅アイドルプロダクションの上位アイドル程度では千早と勝負になりません。もしそのレベルのアイドルが歌番組のオーディションで千早と競うことになった場合、歌を聞いただけで実力差に心折れてそのまま帰ります。
春香ですら「今の千早ちゃんと競えるのはうちでは凛くらいかな…」と自身が歌で千早と競うことを諦めています。それでも総合的なアイドルの格はまだ春香の方が上ですが。



そんな超絶歌声持ちがミニライブで満足しようとしていることに気付いたプロデューサーがめっちゃ焦っていますが、それはまあいつか解決するでしょう。

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