アルティメット千早な僕が765プロのオーディションに落ちた件 作:やんや
翌日のレッスン開始前のこと、いつものメンバーでお昼ご飯を食べることになった。
いつの間にかそういう流れになっていた。決まった後にそうなったと伝えられるのは学生時代からよく経験していたのだが、僕が参加するパターンは初めてだった。いつも僕が参加しない方向で決まっていたからね。
おかげでここ数日はお昼を欠かさず食べるようになった。優や春香がそれを聞いて安心した顔をしていたので、まあ、良かったのだろう。
昨日取得した能力の影響で五感がやけに鋭くなっている。おかげで食べ物の味が良くわかるようになった。今食べている野菜炒めが普段食べている物と別物でないならば、いつもより美味しく感じるのが証拠だろう。
野菜を噛み砕く時に広がる旨味をいつも以上に細かく味わう。シャキシャキとしたレタスの甘みと硬いピーマンの苦みが口の中に広がる。それを美味しいと感じる。おかげで食事は栄養補給以外にも意味があるのだと思い出せた。食べ物には不味いと美味い以外の味の指標があるのだ。
そして、誰かと食べるご飯は美味しい。
「本当に如月さんって野菜炒めが好きだよね」
対面に座る本田が、野菜炒めを夢中で食べている僕を眺めながら言う。言葉に揶揄する気配を感じないので、思ったことを口にしただけみたいだ。
「ええ、野菜の味をとても良く感じられるし、歯応えも良いから好きなのよ」
昨日までの僕だったら食べやすいから食べていると答えていた。それが食事に対する冒涜だと気づかずに平気な顔で言ってのけていたはずだ。もしこの場でそんなことを言っていれば、一緒に食事会に参加している皆の顔を曇らせることになっていただろう。
「そうなんだ~。好きな物を食べるのが一番だよね!」
嬉しそうな声を上げる隣の三村の顔を横目で見れば、声と同じくらいテンションが高い笑顔を浮かべている。僕が具体的に何かを美味しいと言ったことが嬉しかったのかもしれない。彼女の食事に対する熱意と真摯さは人並み以上にある。ここ数日の付き合いでそれを把握した。
「他の物も食べたほうがいいと思うんですが、あまり食べられる方じゃないので。他の物を頼んだ結果、口に合わなかったらと思うと……」
「じゃあ、私が食べてるオムライスをひと口食べてみる? それで美味しかったら今度は頼んでみればいいじゃん」
本田が言うなり、それまで自分が食べていたオムライスからスプーンでひと口分掬い、僕の顔先へと差し出して来た。
……陽キャ怖っ!?
当たり前の様にひと口シェアを申し出て来る本田に僕は戦慄するのだった。しかも、アーンのオプション付きですよ。やっぱり本物は違うわ。
「えっと……」
「あれ? オムライス苦手だった?」
「いえ、別にそういうわけではないけれど……えーっと?」
「どうかした?」
「……いえ、はい、いただきます」
観念してオムライスを食べる。オムライス自体は美味しかった。美味しかったのだけど……。
当然ながらこのスプーンは今の今まで本田が使用していた物だったわけで、そうなるとどうなるかと言うとだ。
……期せずして本田のパーソナルデータが揃ってしまった。
「ありがとう、オムライス美味しかったわ」
「本当? 良かった! ここのオムライス美味しいんだよね~。如月さんと好みが合って安心した~。今度は私のおすすめのお店紹介するから」
「ありがとう」
無邪気に食べ物の好みが合ったことを喜ぶ本田に無難に返しながら、先ほどから気になる存在の方へと目を向ける。
「ハイ、如月さん! あーん!」
次は我ぞという感じで順番待ちをしていた三村に春巻きを差し出された。
ここで油物、だと?
そして当たり前の様に構えていた理由を知りたい。あと僕へのシェアは順番制ではない。
「……」
「……あ、あーん」
無言の笑顔の圧に負けて食べた。この子、食べ物に関することになると豹変しない?
「たくさん食べてね?」
「もごもご」
ひと口にしてはやけにでかい。一本丸ごと口の中にぶち込まれてしまった。春巻き定食の春巻きを一本寄越すって結構な大盤振る舞いじゃないかなと思っていると、三村のトレイに春巻きが山盛りになっているお皿が載っているのが目に入った。
あ、単品でたくさん買ったのね。じゃあ僕に一本あげても問題ないね。
「んぐ……春巻きも美味しかったわ」
元から野菜炒めを食べていたのだ。そこにオムライスと春巻き一本を食べたことでお腹がイイ感じに膨らんで来た。この後レッスンがあるのにまずいなぁ。レッスン開始まで時間があるしそれまでには少し消化しているだろうけど……。
そんな甘い考えでいた僕は正しく現状を理解していなかったと言える。
「どうぞ、如月さん。ハムサラダです!」
「みくのハンバーグをひと口あげる。あーん、してにゃ?」
「ど、どうぞ……パスタだけど」
島村、前川、緒方の三人から同時に食べ物が差し出されている。
「……」
へっへっへ、もう慣れてしまったよ。この理不尽なまでの仕打ちにはな。
……ヤダー!
ちなみに、僕がお返しに野菜炒めをひと口ずつ返そうかと申し出たところ、全員から「ちゃんと食べなさい」とお叱りを受けたのだった。解せぬ。
結局お昼の時間だけで全員分のデータ取得が完了してしまった。
今後あのメンバーとじゃんけんをしたら僕は全勝できるだろう。
それはともかく、午後からレッスンが始まるのだが、その前に朗報が一つ入った。
トレーナーが今日からレッスンに合流することになったのだ。これでこれまで停滞していたレッスンも進められる。ライブまで日数に余裕はないものの、僕達の参加が中止になることは無くなったと思っていいだろう。
どうやら、プロデューサーが上手く動いてくれていたらしい。結構無茶をしたと千川さんがこっそりと教えてくれた。
一体何をしたのか。トレーナーが参加してくれたのは嬉しいけれど、それでプロデューサーの立場が悪くなるのは本意ではない。いざとなったら専務さんにでも直談判しに行く所存である。僕なんかが何を言ったところで焼け石に水だろうけど。
「本田と島村は知っているだろうが、改めて、トレーナーの青木聖だ。昨日までは城ヶ崎がお前たちを指導していたが、今日からは私が指導することになる」
トレーナーは青木聖さんというらしい。硬い口調と吊り目が特徴的な大人の女性だ。苗字が青木ということは、この間のルーキートレーナーの身内なのかも。
本田達が言っていたベテラントレーナーとはこの人のことみたい。千川さんからも、厳しいけれど指導内容は本物と聞いているので安心している。
「まずはこれまでの成果を見させて貰う。進捗によっては個人レッスンからやり直すから、そのつもりで居るように。……城ヶ崎は慣れた曲だろうから自由にやれ。三人の方を私は見ておく」
「はい」
まずはこれまでの進捗確認からすることになった。とりあえず合同でやるというのは城ヶ崎と同じ方針だけど、パフォーマンスに参加する城ヶ崎と違いトレーナーは見ることに専念できるから色々教えて貰えそうだ。
この数日で何度も立ったポジションに着く。日によって僕達バックダンサー組のポジションは変わるのだが、今のところ一番多いのはセンターが本田で左右が島村と僕という形だった。途中の振付けで位置が変わるので、あくまでスタート位置だけという話だが。性格的にも見栄えとしてもこれが一番しっくり来る。後は最後の振付けを誰を中心とするか調整中といったところか。あくまで城ヶ崎がメインのステージなので、僕達のポジションなぞあまり考えても仕方がない。とは言っても、バックダンサーといえどセンターはセンターだ。多少そちらを意識してしまうのは仕方がない。
「それじゃ、始めるよー!」
城ヶ崎の合図とともに僕は演算を開始する。
疑似的な未来予知とも呼べるこの能力は、昨日の春香とのレッスン時に手に入れたものだ。
つい先ほどコンプリートした本田と島村のパーソナルデータを参照し、二人が動き出そうと思った時に発する生体情報を強化した知覚能力で取得。そこから自らの脳を演算装置として代用し、さらに演算に特化した”如月千早”を並列接続する。自分の脳と”如月千早”の演算により導き出された二人の行動を未来予知として扱う。これによりタイムラグ無しで二人の動きをトレースできるようになった。後は動きをトレースしつつ、最適な動きをするだけ。実に簡単な作業である。
これだけの事ができる僕はやはりチートなのだろう。しかし、ここまでしなければ人に合わせられない僕は結局才能が無いのだ。
それでも、これがあれば”みんな”と同じステージに立てるというのならばそれで構わない。すでに王道は捨てた僕には関係が無い話だった。
「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス、セブン!」
今日はトレーナーがいるので城ヶ崎もこちらを見ようとせず、踊りに専念している。
城ヶ崎の掛け声に合わせて僕達バックダンサー組もステップを刻む。腕の振りと脚の運び、腰の捻り方まで二人の動きが手に取るようにわかる。しかも動き出す前にだ。
正解の動きだと本田の動きに置いて行かれる。そんな時は正解の動きを意識しつつ、本田に合わせて少し早めに動き出すことでズレを無くす。
今度は遅れそうになっている島村をカバーするように、やや大きめの振り付けをすることで違和感が出ないように着地タイミングを合わせた。
「ふむ、それなりに出来ているようだな」
ダンスを観察しているトレーナーの呟きと表情から、口出しする程の大ミスは犯していないみたいだ。
こんな風にトレーナーの様子を窺えるくらい今の僕はダンス以外に気を配る余裕があった。
そのまま特に問題無く僕達のダンスは終了した。
「如月さんいつの間にそんなに踊れるようになってたの!? 凄いじゃん!」
「本当です! 今日の如月さんの動き、とっても綺麗でした!」
踊り終わると、すぐに本田と島村から僕の動きが見違えたことを褒められた。
ズルをしているようで素直に喜べないけど、二人が自分のことのように喜んでくれた事は嬉しかった。
「あ、ありがとう。二人の方も、かなり完成に近づいているみたいだったわ……」
「本当っ? 実は如月さんに倣って自主練してたんだよねー! 場所が無いから近所の河原まで行ってさ」
「私も誰も居ない空き地を見つけて、そこで踊ってました!」
「二人とも、とても頑張っていたのね。凄いわ」
二人ともこの短期間で急成長をしていた。過去のレッスン風景を脳内で再生すると日ごとに動きが洗練されていっているのがよくわかった。
どうやら僕は自分のことばかりに必死で、ユニットメンバーである二人の成長に目が行っていなかったらしい。
もしかしたら、このまま自然とズレは無くなっていたのかもしれない……。ま、今更か。その選択肢を捨てた僕には惜しむ権利はない。
「終わった瞬間に雑談を始めるな。評価を伝えるから集まれ」
「申し訳ありません」
トレーナーに叱られてしまった。
即座に謝罪をしてトレーナーの感想を聞くために集合する。
「はぁ。良くできていたと褒めようと思ったらこれだ……まあ、その様子ではようやく上手くいったというところか」
呆れた様子のトレーナーに指摘された通り、今回僕達は初めて通して踊り切ることができた。所々危ない箇所があったけれど、これまでの停滞と比べたら大成功と言っていい。
「気を取り直して、今回お前達の出来を見た評価を伝える。まず、本田」
「はい!」
「全体的にテンポが速い。振り付けを意識するあまり先走って動いているところがあるな。そのせいで一つ一つの動きが雑になっている」
「は、はいっ」
「動きに緩急を付けようとしているようだが、基本もできていないうちに応用をしようとするな。関節の動きも硬いせいで動き自体も硬くなっている。それから」
「はい……」
トレーナーの口から本田への駄目だしが湯水のように飛び出して来る。今言った内容以外にトレーナーから見て本田には直すべき箇所があったようで、しばらく修正箇所が挙げられていくと、段々本田の顔から彩りが消えて行った。最後の方なんて目が完全に虚ろになってしまっている。大丈夫だろうか。
「とまあ、こんなところだな。……次は島村」
「は、はいいっ!」
だいたい言い終えたという感じで本田へのアドバイスを終えたトレーナーは今度は島村へと顔を向ける。それだけで本田の惨状を間近で見ていたためか、島村がビクっと震え上がっていた。完全にビビってしまっているね。その隣では本田がいつかの前川のように死んでいた。
「お前の場合、本田とは逆にテンポが遅い。一つ一つの動きを考えてから動き始めようとしているせいか、すべての動きが若干遅れている」
「はい……」
「手足の動きを意識し過ぎて身体全体の動きが疎かになっている。さらに腕の振付けの時はステップが、ステップの時は腕の振りから意識が逸れていたぞ」
「ひええそんなにあるんですか~」
「まだあるぞ」
実は本田に比べて島村の方が基本ができている。これは長い間養成所に通っていた島村の努力の結果だった。だからこそ、トレーナーとしては直して欲しい箇所が目に付いてしまうのだろう。
こうして自分の頭の中にある動きが正解だと思って二人を見てみると、その動きが荒いということに気付かされた。
今回はそんな二人の動きに対して、僕の動きと一緒に見ると実は合っているんじゃないかと錯覚するように動いてみたのだった。素人相手なら騙せる自信があったのだけど、さすがにプロのトレーナー相手には無理だったらしい。幻の六人目になるのは遠そうだ。
「こんなものか」
「島村卯月、頑張ります」
頑張れ。超がんばれ。
一通りトレーナーがアドバイスを言い終えると、島村はがくりと腰を折っていた。それでも本田よりはダメージが少ないのは挫折し慣れているからだろうか。確か島村は僕達補充組の中で唯一の再審査組だったはずだ。つまり一度はシンデレラプロジェクトに落ちていることになる。その他にもオーディションに落ちていると言っていたし、逆境には強いのだろう。逆に本田はついこの間までアイドルにまったく触れてこなかった人種だ。挫折し慣れていなくても仕方がないと思う。
この程度で崩れているようでは、いつか大きい逆境を前に折れてしまわないか心配だ。
「最後に如月」
「はい」
いよいよ僕の番になった。何と言われるのだろうかと少し緊張する。
まあ、これまでの人生で色々言われて来た僕だ。ただでさえ皆の足を引っ張って来たのだから多少の酷評は甘んじて受け入れよう。
「如月は……そのままの調子で行け。今はまだ踊りにくいところがあると思うが、他二人が仕上がれば楽になるだろう」
「えっ?」
ボロクソに言われると思っていたのに、意外にも高評価を受けてしまい動揺してしまった。
「あ、その……」
「どうした?」
「改善点とかは」
「無いな。お前はそのままでいい」
「ソデスカ」
ならば改善点を聞こうと食い下がるも一言で切って捨てられてしまった。取り付く島もない感じ。いや、改善点が無いというのは良い事なのかもしれないけどさ、伸びしろがないと言われた気がして不安になる。
「もう一度最初からやるぞ。今度は都度私から指摘するから意識して踊るように……いつまで落ち込んでいる。本番まで時間がないぞ!」
「はい!」
「はい!」
「ハイ」
何か思っていた展開と違う。トレーナーが来たらもっと駄目だしとかちゃんとして貰えるのかと思ってたのに、何も言われずに終わってしまった。他の二人はアドバイス的な物を言って貰えてたのに……。
釈然としないものを感じながら位置に着く。
「……やるじゃん」
城ヶ崎とすれ違う際に声を掛けられた。これまでの強い口調とは違い、少し跳ねた感じの……なんとなく面白がっているような声色に感じた。
その後のレッスンでも僕はトレーナーから特に指摘を受けることはなかった。
そしてそのままレッスンは何事も無く終わってしまった。
レッスン終了後、クールタイム中の本田と島村がトレーナーにそれぞれ課題を告げられていた。二人ともトレーナーの話を真剣な顔で聞いており、やる気に満ちているといった様子だった。
その時も僕は自分にも何かアドバイスは無いかとトレーナーに訊いたのだが、返って来たのは「お前には何も言うことはない」という突き放した言葉だった。そう言われても納得できなかった僕はなおも食い下がった。何か粗の一つくらいあるはずだと縋る気持ちで訊ねてみたのだけど、やはり返って来たのは「完璧に出来ている」という無意味な言葉だけだった。
それならば自主練でもしておこうかと思ったらトレーナーから過度のトレーニングの禁止を言い渡されてしまった。せっかく押さえていたレッスンルームも没収である。代わりにそこを本田と島村の居残りレッスンに使用している。今頃二人はトレーナー付きっ切りで指導を受けているのだろう。
居残りレッスンとか羨ましいわぁ。
「……」
虚しい。
沈む夕日を眺めながら、頭に浮かんだ言葉を口の中で遊ばせる。
普段のルーチンワークを取り上げられ、何をしていいかわからなくなった僕は、シンデレラプロジェクトの担当ルームに一人で居た。今の時間無人となっている部屋で、備え付けのソファに座りながら無為な時間を過ごしているわけだ。レッスンルームに居場所がない僕にはここくらいしか来る場所が無かった。いつもなら居残りレッスンかロードワークに勤しんでいるはずなのに、今はそれすらできずに居る。
考えるのは先ほどのレッスンのこと。
何だか思っていたのと違った。もっとビシバシと指摘を受けて、ヒーヒー言いながら頑張るのだと思っていたのに、蓋を開けてみれば指摘もアドバイスも何も無い無味のレッスンだ。これでは城ヶ崎が指導していた時の方がまだ遣り甲斐を感じたと言える。少なくとも、城ヶ崎は僕から頑張ることを奪いはしなかった。
「レッスンを受ける意義がわからなくなった」
とうとう口から出てしまった。言わないように気を付けていたのに、抑えが利かなかった。
──そんなものあるわけないじゃん。
ふわりと風が髪を揺らした。
「え……?」
室内の空気が動くのを感じる。
風の行先を目で追って行くと、扉の前に杏ちゃんが立っていた。どうやら今まさに部屋に入って来たところのようだ。
「双葉さん?」
「レッスンなんて受ける意味ないと杏は思うよ。疲れるし」
何故ここに?
そんな意味を込めて名前を呼ぶも、杏ちゃんは答えることはせず、レッスンを受ける意味なんてないと告げて来た。その断定口調は僕への意見というよりも自論を語ったように見える。
杏ちゃんは僕の対面まで来ると、ソファに寝転がった。本人的にはどかりと乱暴にしたつもりかもしれないけれど、僕から見るところんという可愛い擬音が見えた気がする。雑な動きすら可愛いとか反則かよ。
そのままゲームを始めた杏ちゃんだった。
「でも、レッスンを受けないと良いパフォーマンスが出せませんよ?」
無視されるかなと思いつつダメ元で話し掛けてみる。相手にしてくれなかったら飽きるまで杏ちゃんを眺めよう。
「杏は省エネだから、少しのレッスンで問題ないんだよね。それなのにプロデューサーもトレーナーもレッスンしろってうるさくて。だから逃げて来たんだよね」
意外にも杏ちゃんは対話に応じてくれた。ゲームの起動中だからかな?
この時間はこの部屋を使う人が少ないからここに逃げ込んできたという感じだろうか。確かに杏ちゃんが来るまで誰も来なかった。
あと、自分を省エネと言う杏ちゃんは天才側の人間なんだね!
「なるほど、双葉さんもそういうタイプですか」
僕が感心したように言うと、ゲーム機越しに杏ちゃんはちらりとこちらへと視線を向けて来た。だがそれも一瞬で逸らされてしまった。
もっと僕を見てくれてもいいんだぜ?
その分僕も杏ちゃんのこと見てるからさ。
「如月さんもレッスンあんまり要らないタイプなんだ」
今日はやけに会話を続けてくれるなぁ。なんでだろう。これがFAQ2なら緊急クエスト待ちなんだろうけど。FAQ2は時間ごとに緊急クエストが発生するのだけど、ゲーム全体に緊急クエストのアナウンスが出てから実際にクエストが発生するまで十数分のラグがあるため、どうしても待ち時間ができてしまうのだ。その微妙な待ち時間にキョウとよく無駄話に花を咲かせていたのを思い出し胸が痛くなった。
……。
「ええ、この間までは本田さん達に合わせられなかったのですが、昨夜認識に変革がありまして、合わせられるようになりました」
「認識一つでそんな劇的に変わるの?」
「はい、私の場合はそうなりますね。私はてっきり自分が合わせられないのは自分の動きが悪いからだと思っていたんですよ。でも、それは間違いで、実際に私の動きは完璧で、間違っていたのは二人の方だった。そう指摘されたことで、間違った動きに合わせるのではなく、間違った動きに合う動きをすることができるようになったわけです」
「……自分を完璧と言っちゃうんだ?」
「はい。それは確かなことなので」
「あ、本気のやつだこれ」
本気も何も僕が完璧なのは確定事項だ。僕は間違えない。春香もそう言っていたし、証拠として僕がダンスを踊るところを春香に録画して貰って確認したら寸分違わず同じ動きで踊れていたから確かである。この動画機能のためだけにスマホが欲しいと思ってしまった。
「ふーん、如月さんも省エネタイプなんだ」
「私は作りは省エネタイプですが、稼働時間が火力発電タイプなんですよ」
「火消さないやつじゃん。しかも発電側だし」
「一度燃え尽きると、しばらく稼働できないので燃やし続けます」
「燃費悪そうだね。省エネって話どこに行ったの?」
「食費は安いですよ」
「杏も飴くらいしか食べないよ」
そう言って口の中の飴をコロリと鳴らす杏ちゃん。その可愛らしいお口からはほんのりとオレンジの香りがした。柑橘類特有の薄い酸味と無機質な甘味料の味しかしないであろうそれが、杏ちゃんが舐めていると思うととても美味しそうに思えてしまう。
「双葉さんが舐めている飴は美味しそうですね」
杏ちゃんが舐めている飴は美味しそうだなぁ。
「色々と拘ってるからね。あげないけど」
「残念ですが、仕方ないですね」
杏ちゃんが舐めている飴欲しかった。
でも無理強いはできない。僕は特に気にしていない風を装いながら、ソファに倒れ込むと体をズルリと床へと滑り落とした。
「……残念ですが」
「めちゃくちゃ残念がってる!?」
そんなことはない。子供からお菓子を奪おうだなんてそんな……。
「いえ、そこまででは」
「体全部使って残念がっておいて、それは説得力がないって。そんなに欲しかったの?」
「そんな。私はただ、双葉さんが舐めている飴の味に興味があっただけで、それを強請ろうなんて……そんな。飴舐めたい」
「強請ってるじゃん。直球で飴舐めたいって言ってるじゃん。せめて一ターンは我慢できなかったの?」
「ふん……、ふん……、飴舐めたい」
「二ターン我慢した!? ……ことにはならない!」
一呼吸一ターンとすれば二呼吸は二ターンになる。常識だよね。
「……そんなに欲しいならあげるって。だから床から起きなよ」
「ありがとうございます」
杏ちゃんは優しいなぁ。僕は大して欲しがっていないのに飴をくれるって言うんだもの。
すぐに床から起き上がると飴を貰いに行く。いや、たかだか飴一つにテンションを上げたわけではない。ただ、せっかくくれるって言うから嬉しそうにしているだけだ。
うっひょー!
「はい、コレ」
杏ちゃんがたくさん飴が入っている袋から小袋に包まれた状態の飴を一つ差し出して来た。
袋には林檎の絵がプリントされている。
「……」
僕はその飴と杏ちゃんの顔を交互に見るだけで受け取ることはしない。
うん……。
「どうしたの?」
「いえ、双葉さんが舐めている飴が」
「あー、今舐めてるのは、これが最後の一個だから……」
「そうですか。いえ、ありがとうございます」
差し出された飴を受け取る。
……まあ、そうだよね。最後の一個なら仕方ないよね。うん、仕方ない。
「……そんなに舐めたかったの?」
「え? ……まあ、どんな味なのか気になりましたので」
「ふーん。今度また同じの買ったらその時あげるよ」
「いいんですか?」
「別にいいけど。その代わり如月さんも今度飴ちょうだい」
「もちろん。喜んで」
杏ちゃんと飴の交換とか、テンション上がるじゃん。今年一番のビッグイベントと言っても過言ではない。
気合を入れて美味しい飴を探しておこう。
「省エネという話ですが」
「あ、その話まだ続くんだ」
「双葉さんは普段レッスンとかされないんですか?」
貰った飴の袋を破り、口へと放り込むと途端に甘い林檎の味が広がった。鼻腔まで突き抜ける甘味の香りで嗅覚が満たされる。
これはこれで……。
「杏はレッスンしなくても結果を出しているからねー。何回かやってだいたい覚えちゃえば後は適当でいいやって感じ」
「己の出来得る限り最大の結果を出すと」
「軍隊用語の方じゃないよ。テキトーテキトー」
「ああ、俗語の方」
「一般的な方、だよ。世の中の適当人間を完璧人間にしないで」
「双葉さんは適当なんですか? 完璧じゃないと不安になりません? むしろ完璧になってもまだ不安になると思いますけど」
「自分の不安を他人と共有したいなら他当たってよ」
「はい……」
叱られてしまった。確かに価値観の共有を図ってしまっていた。人によってはこれを押し付けと捉えることもあるって教えられていたのにね。またやっちゃった。
「杏は完璧なんて求めてないしね。アイドルデビューして、CD出して、あとは印税生活ができたらそれでって感じ」
「なるほど、具体的な展望があるのですね」
杏ちゃんが不安そうにしていない理由がわかった気がする。やはり目標が明確にある人間は強いと思った。
「……普通、こんなこと言ったら否定するものだと思うけど」
「否定することなんて何もないですよ。前にも言いましたが、お金のためというのも立派な理由です」
僕に比べたら、大多数のアイドルの志望動機は健全だ。あくまで僕と比べたらなので、僕くらい不健全な輩も居るだろうけど。
「少なくとも、私は双葉さんのアイドルの姿勢を否定しません」
「ホント、調子狂うなぁ」
不貞腐れた顔をしてゲーム機をいじる杏ちゃんだったが、機嫌を損ねたという感じはしなかった。良くも悪くも僕の言葉は無意識に相手の急所を突く。それで関係が悪化するなんていつものことだけど、もう慣れてしまったことだけれど、杏ちゃんとのこの関係は壊れて欲しくないと思った。
「如月さんは……」
「ん?」
「限界まで頑張っちゃうタイプ? 完璧とか言いながら不安になるとか、止め時がわからなくなっているのかなってさ。違ったら別にどうでもいいけど」
心配……してくれているのかな?
全てに興味無さそうにしつつ、実際はこちらを気にしてくれているのがわかる。杏ちゃんの興味の有無は実はわかりやすい。
今杏ちゃんはゲーム機をいじっていない。
「はい。止め時がわからない、と言っていいのかわかりませんが……目標となる場所が遠過ぎて、頑張らなくなった瞬間、また手が届かなくなるんじゃないかと不安になるんです」
「完璧なのに?」
完璧を強調して訊いて来るなんて、そんなに僕が完璧だって信じられないみたいだ。
まあ、完璧だからって十分なわけではないからね。
「完璧でも、それが魅力的かは別の話ですから」
「完璧ならそれでいいんじゃない? まあ、トレーナーが完璧だと言うならだけど」
「ええ、確かに言って貰えてますが、結局のところアドバイスは貰えてないので」
「……」
「なにか?」
「いや、ただ……本当にトレーナーから完璧って言われてたんだなって。やる気のない杏が言うのもアレだけど、あのトレーナーの人達って皆厳しいからさ。完璧なんて言われるのは素直に凄いことじゃない? アドバイスが貰えてないからって不満に思うことなくない?」
「だって、アドバイスがあればもっと成長できるじゃないですか。努力できる余地があれば、それだけ伸び代があるんですから。それが無いってことは停滞するってことです。私はそれが嫌なんです」
「ダメ出しされたいなんて変わってるね。杏なら何も言われないならラッキーって思うよ」
「何か言って貰えるならそっちの方がいいんです。何も言われずに、察しろと言われる方がキツいですから」
「……」
「わかってくれると思ってたと言われたら、もう何も言えませんから」
それまで何度も指摘されて来た僕の悪癖。それに対するキョウの最後通牒。
もういい、と。切られた関係が、切られた心は今も傷んでいる。
「……なんて、レッスンの話なのに脱線してしまいましたね。今のは気にしないで下さい」
唐突に話を脱線させた僕に呆れてはいないだろうか?
杏ちゃんの機嫌を損ねてはいないかとつい顔色を窺ってしまう。
「もしも」
それは本当に杏ちゃんが発した言葉なのか。そう疑いたくなるくらい酷く掠れた声だった。
今まで聞いていた声は頑張って出していたのではないかと勘違いしてしまうような重く低い声。とても小さな子供が出しているとは思えない、まるで疲れ果てた旅人がいつまでも目的地に着かないことを嘆くかのような、ざらざらとした音だった。
それが杏ちゃんの口から出た事が信じられない。
「もしも……例えば、如月さんが、仮に、とても大切にしていた友達に同じことを言われたら…………どう思う?」
「私が言われたら、ですか……」
「うん。もういいって。突き放されたらどう思うかなって、思って」
それは何か恐ろしい物を見ようとしているような、自分にとって決定的な傷を負おうとしているような、ともすれば精神的自傷行為にも似た自暴自棄の質問だった。
しかし、これは後になってから僕が思い至ったことだ。今この質問を杏ちゃんからされた僕は、質問の意図を正しく理解していなかった。ただ杏ちゃんの質問に正しく答えようと思っただけだった。
何も考えずに。
何も疑問に思わずに。
「私が大切な人に、もういいと言われたら……」
目を閉じて、あの時の言葉を思い出す。パソコンのモニターに映された終わりの言葉。
あの時感じた自分の絶望はどれほどだっただろうか。今でも思い出すだけで胸を掻きむしりたくなる程の後悔が胸を過る。自らのガラクタ具合に本当の意味で絶望した瞬間だった。延々と続く地獄の日々に唯一残された安住の地が目の前でスッと消えて無くなってしまったのだ。唐突に奈落の底へと叩き落されたかのような……いや、自分が地獄の中にまだいるのだと思い出させられた絶望感は筆舌に尽くし難い。
ただ、あの時感じた思いを率直に言葉にするならば──、
「きっと……生きていることが、生きている今が、地獄だと思うくらいに絶望した……すると思います」
素直に思ったことを告げる。ある意味この時の僕は無邪気だったのだろう。杏ちゃんとお話しできたことにテンションを高くして、なんとか彼女の期待に応えようと、一生懸命当時の自分の心境を思い出していた。実感を込めるために、きちんと伝わるように、絶望を伝えたのだった。
「ああ……そっかぁ」
僕の答えを聞いた杏ちゃんは何か納得がいったように呟くとそのままゲーム機へと視線を向けた。
どうやら会話タイムは終了らしい。
「双葉さん、これはあくまで私の考えであって」
「うん、わかってるよ。別にそんなことわかってるって」
最後に補足を追加しようとしても杏ちゃんはゲームを優先してろくに話を聞こうとはしてくれなかった。いつの間にか声も元の可愛らしいものに戻っていた。
時計を見ると針は五時を指している。どうやらボーナスタイムは終わりらしい。
まあ、仕方ない。今度また話しかけよう。その時には飴を用意しなくては。
「それでは、私は隠れレッスンをしに行きますね」
「ん」
退室することを告げると一応返事が返って来たので嫌われたわけではないのだろうけど、それにしては先程の質問から杏ちゃんの纏う空気が重くなっているように見える。あの質問には一体どんな意味があったのだろうか。
言葉を濁してお為ごかしで流すべきだっただろうか?
でも、僕は杏ちゃんへの答えを嘘で誤魔化したくなかったんだ。それをしたら、杏ちゃんの信頼を裏切ってしまうような気がしたから。
何とも言えない気分のまま部屋の扉はと手を掛ける。
「ま、頑張ってよ」
「えっ!? 頑張って!?」
杏ちゃんから掛けられた言葉に勢いよく振り返る。
「え、何?」
僕の反応に戸惑いの表情を浮かべ──しかし、ゲーム機から顔を上げることはせず──戸惑う杏ちゃん。
今の言葉は聞き捨てならなかった。
「今頑張れって……言ってくれましたよね!? ね!?」
「言ったけど。……何? 気に障った?」
「いいえ、むしろ嬉しいです。初めて言われたかもしれません」
「嘘ぉ」
嘘ではない。少なくともここ最近掛け声的な意味で頑張れと言われることはあっても、僕のやっていることに応援の言葉を投げてくれる人はいなかった。
頑張りすぎるな。
無理をするな。
心配になる。
誰も彼もが僕に頑張るなと言う。僕は頑張りたいのに……それを否定する。
頑張っている僕を見て、まるで痛々しいものを見るような眼を向ける者までいるのだ。
そんなものは求めていないから。頑張るななんて言わないで欲しい。僕は頑張らないといけないのだから、頑張りたいだけだ。
でも、今杏ちゃんは頑張れと言ってくれた。
僕が頑張ると言ったことに対して頑張れと言ってくれた。
肯定してくれた。
「ありがとう、双葉さん。頑張るわ。頑張ることを肯定してくれた貴女のために」
「勝手に頑張る理由を人に委ねないでよね」
「そうね、自分のために頑張るわ。頑張れと言ってくれた双葉さんに私が報いたいと思ったから、だから頑張るの」
「勝手にすればいいんじゃない?」
「ありがとう!」
「……そんなに拗れるまで、よく頑張れたね」
おっと、杏ちゃんの声に憐れみが混じり始めてしまった。この辺りで退散しておこう。
僕は感謝の気持ちを込めて一礼すると、今度こそ部屋から出て行った。
「やった」
頑張れと言って貰えた!
それも杏ちゃんに言って貰えた!
嬉しい。何か自分のやっていることを肯定された気がする。頑張っていいのだと許された気になる。ずっと頑張って来たのに、誰にもその頑張りを認められて来なかったから……。
だから先程杏ちゃんに頑張れと言われて、それが認められた気がして、それが嬉しくて、誇らしい気持ちになったのだ。
「頑張って良いんだ……」
頑張って良いのだ。
たとえトレーナーから完璧と言われようが、アドバイスが貰えなかろうが、それは僕が頑張らなくていい理由にはならないから。この先もまだ頑張って良いのだと、自分の在り方を自分で承認する。
さて、この後からさっそく頑張るかな。まずはレッスンルームを押さえるところから始めよう。346プロの屋上って鍵開いてたかな?
「如月千早、頑張ります!」
なんつってな!
「…………ちはや?」
く(*≧∀≦*)/ワーイ
ΠΠ
ドー【地雷】ーン!!
地雷を全力で踏み抜くスタイル。
【零落全知(ルーサー)】
千早が手に入れた予測演算能力の名前。中二病が再発しかけている上に深夜テンションで名付けたためにこんな名前になった。
全知と言いつつルーサーなのは元ネタが原因だが、全知に頼るのは千早にとって敗北を意味するため敗者と名付けている。
※作中ではたぶん能力名は出てこない。
ルーサーの力で無事トレーナーから合格を貰えた千早ですが、達成感は得られなくなりました。
演算中の千早はただ相手に合わせるのではなく、その相手の間違いすら予測して動き、カバーできるようになっています。あらかじめ春香に本田達の動きが間違いだと教えられていたので真似するだけではなくなりました。
あと2話くらいでライブになります。
アイドル的な意味でのウジウジが今回の一件でだいたい終わりました。
後は人間関係をなんとかできればいいのですが・・・千早なので。
たぶんレッスン後にあったであろう会話。
「色々とお忙しいのにありがとうございました」
「千川か……そろそろ出て来ないといけないと思っていたから丁度良かった。妹も近々復帰する予定だ」
「それは良かったです。妹さんのことは私がお願いしたことが原因だったので……」
「それはプロデューサーの指示だろう? それにアイドルに教えるのが私達の仕事だ。それで自分を見失う方が悪い」
「青木さん……」
「そう思って妹を叱咤していたんだが……」
「実際に青木さんから見て如月さんはどうでした?」
「すでにアイドルとして……いや、ステージに立つ者として完成している」
「わ、そこまで言うくらい如月さんに才能を感じたんですね!」
「才能? ……アレを才能とは言わん。鳥が空を飛べるのを才能と言わないのと同じだ」
「そこまで如月さんは突出していると?」
「見て覚えるなら理解できる。見てから反応するのでも、まだ納得できる。しかし、見る前から合わせに行ってるのは何なんだ……相手がその瞬間に間違うことを前提にして先に動いていたぞ? 未来でも見えているのかアイツは」
「さすがに如月さんでもそこまでは……」
「どちらにせよ、如月は紛う事なき化物だよ。アレに何かを教えるのは私には無理だ。私は人間だぞ」
「……」
すでにベテラントレーナーですら教えられるレベルにありません。
ゲームで言えばある一定以下の経験値は0EXPになるみたいな感じでしょうか。
無理に教えようとすると逆に千早から「そこ間違っていますよ」と言われます。
それでも、それでもまだ日高舞なら・・・!